2012年世界・原水禁の動き

【報告】5.15沖縄平和行進・南コース1日目に参加して

2012年05月11日

 5.15沖縄平和行進に参加するのは今回で2回目。前回は2008年だと記憶していたのですが、私が参加した嘉手納基地包囲行動があったのは、インターネットで調べたところ07年。平和フォーラムに入局したのが06年9月で、最初の平和行進は東京で留守番をしていたとばかり思っていたのですが、全く当てにならない記憶です。昨年は東日本大震災に伴う規模縮小のため、一昨年は限られた?参加枠を未経験者だったY本さんに譲ったため不参加でした。では、08年と09年はなぜ参加していないのだろう。ひょっとして参加したのかな……。それほど大昔のことではないのに思い出せません。情けない……。

 2012年5月11日、暑いというより、痛いという言葉のほうが適切に思えるほどの日射しの下、第35回沖縄平和行進がスタートしました。私は南コース1日目に参加しました。辺野古、宜野湾の東コース、嘉手納、北谷の西コースは米軍基地の周囲を歩くコースですが、南コースは私たちが忘れてはならない、戦争の痕跡をたどるコースとなりました。

 出発地点である県庁前の県民ひろばでは、朝9時から出発式が行われ、本土代表として発言した、福島県平和フォーラム事務局次長の國分俊樹さんが、「沖縄は基地、福島は放射能が故郷を奪っている。思いは同じだ」と訴えました。

 2回目の参加で、歩くのは初めてだった私は鉢巻きを忘れてしまったのですが、(鉢巻きが必要と自覚していなかった)、たまたま出発式に顔を出していた事務局のS木さんのおかげで、鉢巻きを締めて参加することが出来ました。

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発言する國分俊樹さん

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 参加者は県民ひろばを出発し、昼食をとるための休憩場所である西崎運動公園(糸満市)を目指しました。行進では隊列の後方で、日本音楽協議会・沖縄県支部(沖音協)の皆さんによる歌と演奏が、ほとんど途切れることなく続いていました。ただ歩いているだけでも参ってしまいそうな暑さの中、そのがんばりは印象に残りました。同じ歌も何度か演奏され、参加者の中には思わず鼻歌を歌っている方も見受けられました。休憩中には、食事を終えた参加者の方に、“突撃インタビュー収録”を実施し、快く応じてくださいました。

●参加者へのインタビューはこちら(1分30秒)

120511oki_8.JPG演奏しながら行進する沖音協+東京からの応援団の皆さん

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昼の休憩場所となった西崎運動公園で

 午後は、交通量の多かった泉崎バイパスなどを歩いた午前中とは一転、畑や養豚場のあるのどかな風景の中を通り、白梅の塔での給水を挟んで平和行進の隊列は、到着場所であるひめゆりの塔へ向かいました。道中、腕を何ヵ所か虫に刺され、かゆい思いもしました。

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 朝の出発から19.2キロ。日焼け止めを塗って臨んだ行進でしたが、腕のしっかり塗れていなかった部分がくっきり火傷のように日焼けし、沖縄の日射しの強さを思い知らされました。併せて、股関節が痛み始め、日頃の運動不足も実感させられました。来年参加される皆さんには、帽子やタオルの準備、十分な水分補給と睡眠(夜のアルコールは控えて!)、日焼け止めは汗で流れてしまうので、丁寧に時間を置いて何度か塗ることをお勧めします。

 ひめゆりの塔では、祈念館の館長さんから戦争当時のお話を伺いました。館長さんからは「今、立っているこの辺りにも死体がたくさんあった。私たちはまだ女学生だったけれど、ケガ人の介抱などに従事していて、いつしか死んだ人を見ても何とも思わなくなっていた」と、戦争がもたらす悲惨さを訴え、参加者は静かに耳を傾けました。

(阿部浩一)

平和行進すべての詳細はこちら 

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