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【ニュースペーパー2012年5月号】原水禁関連記事
2012年05月01日
●ストレステストで大飯原発の安全性は判断できるか
原子力資料情報室共同代表・物理学 山口 幸夫
●失望の総選挙結果、そして韓国の反核運動
韓国・エネルギー正義行動 代表 イ・ホンソク
●東北アジアの非核化を求めて(1) 北朝鮮の衛星発射と日米の対応を考える
●県内全市町村で脱原発キャラバン行動に取り組む
平和環境岩手県センター事務局長 野中 靖志
原子力資料情報室共同代表・物理学 山口 幸夫
ストレステストは「だまし」
ストレステストは原発を推進する人たちが編み出した新手の「だまし」手法である。この4月13日、政府は大飯原発3、4号機の運転再開を妥当と判断した。関西電力が提出したストレステストの第一次評価報告書が、専門家11人による「意見聴取会」で認められたと原子力安全・保安院(保安院)が判断した。さらに原子力安全委員会(安全委員会)がそれを確認した。それらの一連のプロセスを経た後、関係4閣僚が「おおむね安全が確保された」として、運転再開へと動き出したものである。
3.11福島原発震災は未だ進行中である。事故の検証もなされていない。政府の事故調査委員会は中間報告を年末に出した段階であり、国会の事故調は実質的に今年1月にスタートしたばかりである。科学的・技術的に事故の解明はなされていない。
にもかかわらず、政治家が再開判断をしたということは、民主主義の本旨に反している。いざというときには「責任をとる」と言うが、どのような責任を取るのか。3.11地震で引き起こされた福島第一原発震災は基本的に人災である。だが、政治家、官僚、学者を含めて責任をとった人は未だ一人もいない。保安院、安全委員会、そしてもっとも責任を取るべき原子力委員会の誰一人として、責任をとった人はいない。
ストレステストは、福島第一原発事故の惨状を見たEU理事会が、傘下の14ヵ国の原発を対象に実施要請をした耐性試験のことである。公開性と透明性を謳い、市民の理解と認知を得ることが重要だとした。また、当該国の専門家を除いたピア・レビユーなど、慎重に原発の安全性をチェックする姿勢を示した。
保安院の意のままの意見聴取会
しかし日本の場合、菅総理(当時)が7月7日、「全原発を対象に実施する」と参院予算委員会で発言。7月11日、枝野・海江田・細野3閣僚が「1次評価を停止中の原発の運転再開の条件」とする声明を出し、再稼働条件にしてしまった。
それを受けて、保安院は専門家11名による「発電用原子炉施設の安全性に関する総合的評価に係わる意見聴取会」(ストレステストの表現は使われていない)なるものを設け、11月14日から2月8日まで8回にわたって意見聴取を行った。ちなみに、保安院は9月から11月にかけて、次の四つの課題についての意見聴取会を発足させた。「高経年化技術評価」、「東電福島第一原発事故の技術的知見」、「地震・津波の解析結果の評価」、「建築物・構造」に関してである。
これらの意見聴取会の大きな特徴は、委員が意見を述べ、それを聴いた保安院が委員の意見を集約するものであり、委員同士で議論をたたかわせて結論を導くものではないことである。保安院の意図のもとで、専門家の意見がまとめられてしまうとは奇妙な仕組みである。福島第一原発事故の直接の責任は保安院にあるのであり、これまでの保安院の方針・実施・判断の責任がきびしく問われているのだ。少なくとも保安院の課長クラス以上は引責辞任すべきなのである。さらに、3月31日をもって保安院も安全委員会も解体されることが決まっている(ただし、4月14日現在、解体されていない。新組織の原子力規制庁が発足できないでいるからである)。
大きく広がった「地元」の概念
ところで、ストレステスト意見聴取会は、原発の安全性に関する総合的評価が課題である以上、福島事故の検証ナシ、破綻した従来の安全基準の見直しナシ、事故時に被害を受ける地元住民の参加ナシは異常と言うべきである。意見聴取会には利益相反の疑いが濃い委員が4人もいるありさまだ。
一方で、後藤政志・井野博満の両委員は、毎回、安全性を問う意見を提出したが、二人の意見のほとんどを保安院は無視して、関西電力のストレステスト第一次評価報告書を「妥当」と判断したのである。ストレステストの第二次評価報告書は、各電力会社が年末までに提出するはずだったが、未だ一つも提出されていない。なんと拙速なことであろうか。
福島事故を踏まえれば、「地元」の概念は大きく広がった。しかし、どこまでを地元と言うのか、今後つめなければならない。いまや、関西圏の滋賀、京都、大阪、兵庫も地元というべきである。大飯原発3、4号機の再開などは全く論外なのである。過ちは二度と繰り返してはならない。
韓国・エネルギー正義行動 代表 イ・ホンソク
高まる原発問題に対する韓国民の関心
福島原発事故後の最初の韓国の総選挙が終わった。今年の総選挙は、いつにもまして変化への期待が高かった。韓米FTA、四大河川事業、チェジュ島の海軍基地問題など主要な懸案はもちろん、李明博大統領が普段自信があると豪語していた経済問題に至るまで、国民の失望が大きかったからだ。ほぼ全てのメディアは、今回の総選挙で野党の勝利を予想し、各種世論調査の結果はそれを裏付けていた。<br /> 特に原子力発電の問題に対する国民の関心と熱は非常に高かった。宗教界では総選挙の候補者に対する政策の検証内容を発表し、原発の周辺地域と新規原発候補地では原発問題は選挙の最大の争点であった。これまで脱原発問題で微妙な反応を見せていた野党第一党の民主統合党までが「原発見直しの立場」を発表し、与党のセヌリ党を除くすべての野党が原発に対して否定的な立場を表した。福島原子力事故の前は、少数の進歩政党だけが原発廃止を公約に掲げていたことを考えると大きな変化であった。
緑の党の出発とセヌリ党比例代表1番
この変化の最たるものが緑の党だ。以前にも韓国社会で「緑の党」という名前の政党が結成されたことがあったが、きちんと「緑」の価値が含まれていないと批判を受けたりし、新しい政党の結成を難しくさせている韓国政党法の限界を乗り越えることができなかった。韓国で政党を結成するためには少なくとも五つの広域市にそれぞれ千人ずつの党員が必要だが、これは新生政党にはあまりにも大きな壁だからだ。しかし福島原発事故は、この厳しい状況を変える大きな流れをつくり、結党は難しいという一部の予測を超えて党員7,000人規模の緑の党が結成され、地方選挙区の国会議員候補2名と比例代表候補3名が出馬した。<br /> このような脱原発陣営の流れにも与党は全く反応しなかった。セヌリ党は今後の原子力発電政策を問う市民社会陣営の質問に回答を遅らせるような形で結局答えなかった。しばらく時間稼ぎをしていたセヌリ党は比例代表の1番に「韓国原子力研究院」の研究委員を選ぶという「正面突破」を試みた。セヌリ党は女性科学者の役割を考慮して彼女を選定したと表明しているが、様々な女性科学者がいる中で、どうしてよりによって「原子力工学」を選んだかについては、相変わらず黙ったままだった。これは誰が見ても脱原発への意志がないことを明確に表した事件だった。
より強固な運動をつくる苦い薬に
そして総選挙が終わった。しかし、結果は非常に失望に満ちたものだった。選挙運動期間中、大統領府が政府に批判的な芸能人をはじめ、民間人を査察していたという証拠が出てきたり、一部のセヌリ党の候補者は、セクハラ、論文の代筆など資質が問題になったりしたが、国会議員全議席の過半数の152議席をセヌリ党が獲得した。ヨンガンを除いた既存の原子力発電所の地域と新規原子力発電所の地域でセヌリ党の候補が当選した。脱原発政策に何度も言及しながら比例代表候補当選のために努力していた緑の党と進歩新党は、それぞれ0.5%と1.1%の支持を獲得するにとどまった。韓国の政党法上、2%未満の支持率だった政党は解散することになっているため、これらの政党は新たに登録手続きを踏まなければならない。
今回の選挙結果は、まだ選挙で政策が優先されない韓国政治の断面を見せた。原発問題をはじめ様々な社会的問題への関心はこれまで以上に高かったが、まだ進歩政党はオルタナティブな勢力として認識されておらず、野党第1党の民主統合党に対する失望がより大きく作用したのだ。<br /> 韓国反核運動は、新たな戦略を練らなければならない。その戦略は、核のない世界を夢見る人々の考えを結集することから始めなければならないだろう。今回の総選挙は、巨大な大衆運動として反核運動が発展しない限り、原発を廃止させることができないという、最も単純な真理を韓国反核運動全体に伝えている。「雨降って地固まる」ではないが、今回の総選挙の結果は明らかに痛恨の失敗ではあるが、より強固な反核運動をつくるのに必要な"薬"になるだろう。この苦い薬を飲んで再びスタートに立てば、いつかは韓国でも真の脱原発が成されるだろう。
東北アジアの非核化を求めて(1) 北朝鮮の衛星発射と日米の対応を考える
あいまいな米朝協議後の衛星打ち上げ
今年の2月29日、米・国務省と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)外務省はそれぞれ、北京での高官協議における合意事項を発表しました。その内容は、「北朝鮮は核実験、寧辺(ニョンピョン)でのウラン濃縮活動、長距離弾道ミサイル発射実験の一時停止を受け入れ、国際原子力機関(IAEA)からの査察に応じる。一方米国は、24万トンの栄養補助食品を提供し、さらに追加的な支援を協議する」というものでした。
この協議は、昨年12月14、15日に開かれた米朝高官協議直後の17日に、金正日総書記が死去したため、仕切り直しとして開催されたと言えます。この12月の協議では、北朝鮮側から衛星打ち上げが伝えられています。北朝鮮は2009年3月に「宇宙条約」に加盟していて、2月の協議でも「平和的な衛星打ち上げ」と主張し、一方で米国は「衛星もミサイルと見なす」と主張し、双方の意見がまとまらないまま、前記の合意点だけ発表されたのが真相といえます。
こうしたあいまいな米朝合意後の3月16日、北朝鮮は4月15日の故・金日成主席の生誕100年に合わせ、地球観測衛星「光明星3号」をロケット「銀河3号」で打ち上げると発表。4月13日早朝、人工衛星を打ち上げましたが爆発し、破片が黄海に落下しました。
米国の懸念は長距離弾道ミサイル
今年末に大統領選を控え、外交成果の欲しい米・オバマ政権と、金日成国家主席生誕100年を前に食料支援を求める北朝鮮、双方の思惑があいまいな合意を作りだし、結果として合意を無にする結果となりました。6ヵ国協議再開や朝鮮半島、東北アジアの非核化を求めてきた私たちとしては、今後どう運動を進めていくのか、北朝鮮の衛星発射をめぐる米韓日の対応、特に日本の対応を検証し、考えていくべきだと思います
米国の北朝鮮に対する懸念は、小型核弾頭の開発と長距離弾道ミサイルの開発です。核弾頭は現在では不完全なものでも、小さな都市を破壊できることがわかっています。ですから当面の最大の懸念は、長距離弾道ミサイルの開発です。また衛星と弾道ミサイルのどちらも、同じロケットを使用するので、米国としてはどちらについても反対の立場です。ただ理由づけとして、国連安保理決議違反であるとしたのです。
こうして米国は反対の姿勢を強く打ち出し、宇宙、海上、陸上配備のレーダーと迎撃システムによるミサイル防衛網を起動させます。さらに日韓両国と共同して対処する方針を打ち出したのです。日韓両国もまた北朝鮮の衛星発射を最大限利用しました。ただ、核サミットに参加した中国の胡錦濤国家主席との会談では、反対の立場は引き出せたものの、中国は「憂慮する」との表現にとどめ、自制を求めました。
日米統合作戦の訓練の場に
北朝鮮の衛星発射を積極的に利用した日本は、どう動いたのでしょうか。北朝鮮の衛星が3段ロケットで、1段目が韓国西方沖の黄海、2段目が沖縄県・石垣島上空付近を通過し、フィリピン・ルソン島東方沖へ落下するとの通報を受け、3月30日に安全保障会議を開き、衛星打ち上げを長距離弾道ミサイル発射実験と見なして田中直紀防衛相は、自衛隊法に基づく破壊措置命令を出しました。さらに、イージス艦1隻を日本海に、2隻を沖縄周辺海域に配備、PAC3部隊を首都圏、沖縄本島、石垣島、宮古島に配備。その上、自衛隊員800人を沖縄本島や、石垣島、宮古島、与那国島に配備しました。
航空自衛隊の航空総隊は、米軍再編成によって3月26日に、これまでの府中基地から福生市の米軍横田基地に移転したこともあり、日米初の統合作戦が行われることになりました。陸上自衛隊の中央即応集団司令部も2013年3月までに、在日米軍司令部のある神奈川県のキャンプ座間に移転する予定です。アジアに軍事力の重点を移すとした米政権と、日本政府が2010年末に閣議決定した「防衛大綱」「新中期防」で「動的防衛力」を打ち出し、対中国への防衛力増強(沖縄などへの軍事力増強)を進めようとする両国政府にとって、北朝鮮衛星発射問題はまたとない日米統合作戦訓練の場となりました。
さらに北朝鮮の衛星発射に際して、沖縄などへの連絡の遅れあったことを大きな理由として、政府は偵察衛星の必要性を訴えようとしています。衛星打ち上げに失敗した北朝鮮は、今後どのように動くでしょうか。昨年末までの米朝協議では、05年9月19日の6ヵ国協議共同声明を基礎とすることが確認されてきました。
しかし、金正日総書記の後を継いだ金正恩第1書記は、核武装は父の遺訓であると語るなど、今後、核実験にまで踏み切るのかは見えていません。
平和環境岩手県センター事務局長 野中 靖志
平和環境岩手県センターは、2010年12月、県原水禁、県護憲連盟と平和環境岩手県労組センターが統合し、新組織として結成されました。昨年3月11日の東日本大震災・大津波によって、本県でも大きな被害があり、この間の全国からの支援に対し感謝申しあげます。<br /> 当センターは、社民党岩手県連合とともに、さようなら原発1000万人アクションの取り組みの一環として、2月14日から3月6日にかけ県内全町村の延べ700キロをめぐる「脱原発キャラバン行動」に取り組みました(写真)。キャラバン隊は、県都の盛岡市を出発し、県北地域から沿岸部、県南部の順に県内を1周して、市民に脱原発を訴え続けました。
キャラバンでは、社民党の地方議員団が弁士として街頭宣伝を行い、県北部の久慈地域では市の日にあわせて街頭署名行動にも取り組みました。地元の社民党市議が、「福島第1原発の放射能もれ事故によって、本県南部を中心にシイタケなど農作物をはじめとする風評被害や、幼稚園・保育園、学校などの庭土からも放射性セシウムが検出され、市民の不安が大きい。今こそ、岩手から脱原発の声を大きく上げていこう」と、市場に訪れた買い物客に訴えました。
現在、岩手県内に原発はありませんが、今から50年前には、岩手でも原発の誘致、建設の動きがあり、県労連(当時)や社会党が地域住民といっしょになって反対行動に取り組み、原発建設を阻止した歴史があります。1000万人署名の岩手県の目標は10万筆であり、現在7万筆を集約したところです。
3月11日に福島県郡山市で開催された「原発いらない3.11福島県民大集会」には岩手から70人が参加。また、4月7日に青森で開催された「反核燃の日全国集会」にも40人が参加しました。今後も、広範な市民とともに手を携えて、脱原発への道筋を確かなものにするため取り組んでいく決意です。
「原発はあんたたち(注・マスコミの人間)ふうに言えば、タブーの宝庫。それが裏社会の俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ。はっはっは」。とある原発立地の街のヤクザの組長の言葉です。地元の有力者をとりまとめ、街を代表して電力会社と交渉し、補償問題を解決する。ゼネコンと話をつけて、息のかかった地元の土建屋に仕事を振り、また労働者のあっせんを請け負う……。筆者はこう言います。炭鉱でもそうだったように、「暴力というもっとも原始的、かつ、実効性の高い手段は、国策としてのエネルギー政策と常にセットとして存在している」。
筆者はヤクザ専門誌の元編集長で、裏社会取材を得意とするジャーナリストです。暴力団関係者から寄せられた情報をきっかけに取材をするうちに、周辺取材に飽き足らず、福島第一原発へ作業員として潜入取材を行いました。筆者自身が汗まみれになり被曝の恐怖を肌身に感じながら、付け焼き刃の工事の実態、ずさんな放射線管理、すさんだ現場の様子を記録していきます。事故直後の第一原発での決死の作業に従事した、いわゆる「フクシマ50」の当事者にも接触しています。彼の所属する会社への電力会社からの要請は、「死んでもいい人間を用意してくれ」。その内容は実に生々しいものです。
筆者は、タブルスタンダードの常用を余儀なくされる点に、ヤクザと原発の親和性を嗅ぎ取ります。「原発は村民同士が助け合い、かばい合い、見て見ぬふりという暗黙のルールによって矛盾を解消するシステムの上に成り立っている。不都合な事実を詰め込む社会の暗部が膨れあがるにつれ、昔からそこに巣くっていた暴力団は肥太った。原発と暴力団は共同体の暗部で共生している」。構成からも、取材の行き当たりばったりさが伺えますが、それが筆者の息遣いをよく伝えていて、迫真のノンフィクションに仕上がっています。
(山本 圭介)