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止めよう再処理!共同行動ニュース9/28号記事から
2011年09月28日
さようなら原発集会に6万人
脱原発にむけて大きなうねりに
これまでの脱原発運動の中で最大規模
9月19日、東京・明治公園で開催された「さようなら原発5万人集会」に予想を超える6万人が集まり、これまでの脱原発運動の中では、最大規模となりました。この集会は、作家の大江健三郎さん、鎌田慧さんら9名の著名な方々の呼びかけて行われたもので、市民団体・NGO、労働組合、生協・共同購入会、市民など北は北海道から南は沖縄まで、全国各地から参加者が集まり、被災地・福島からも1,000名近い参加者がありました。
福島の「苦渋の思い」語られる
集会の中で、大江健三郎さんが、自分の先生であった仏文学者の渡辺一夫さんの文章を引いて、「狂気なしでは偉大な事業は決して成し遂げられない、と言う人々もいるが、それはうそだ。狂気によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲を伴う」。これはいま、「原発の電気エネルギーなしでは偉大な事業は成し遂げられない、と言う人々もいるが、それはうそだ。原子力によるエネルギーは、必ず荒廃と犠牲を伴う」と発言しました。
福島からは、「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんが、「毎日、毎日、否応なく迫られる決断。逃げる、逃げない。子どもにマスクをさせる、させない。洗濯物を外に干す、干さない。何かもの申す、黙る」この間の苦渋の思いを語りました。その他にも呼びかけ人の落合恵子さん、内橋克人さん、澤地久枝さん、鎌田慧さんが発言し、ドイツから環境団体・FoEドイツ代表のフーベルト・ヴァイガーさんと俳優の山本太郎さんが、脱原発を訴えました。
時代の流れは脱原発へ
集会後、渋谷や原宿、新宿にむけてデモ行進を行い、沿道の市民からも応援の声や拍手、クラクションがあちらこちらで沸き上がりました。
今回の6万人の人々の後ろには、参加できなかった人たちが多くいます。その数は10倍や100倍にものぼるでしょう。いま多くの人々が、原発からの脱却を求めています。これまで原発を推進してきた政府や政治家、事業者、官僚、学者などは、この6万人をはじめとする多くの超えに真摯に耳を傾けることを強く訴えます。時代の流れを間違いなく読んで欲しいものです。
●詳しくはこちらから
「さようなら原発1000万人アクションホームページ」http://sayonara-nukes.org/
武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40周年実行委員会)の発言要旨
皆さん、こんにちは。福島からまいりました。きょうは福島県内から、また避難先から、何台もバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に、やってまいりました。初めて集会やデモに参加する人も、たくさんいます。それでも福島原発で起きた悲しみを伝えよう、私たちこそが「原発いらない」の声をあげようと、誘いあってやってきました。
初めに申し上げたいことがあります。三・一一からの大変な毎日を、命を守るために、あらゆることに取り組んできた皆さん一人一人を、深く尊敬いたします。それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様ざまな支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった、子どもたち、若い人たちに、このような現実を作ってしまった世代として、心から謝りたいと思います。本当にごめんなさい。
さて、皆さん。福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を望む浜通り。モモ・梨・リンゴと果物の宝庫の中通り。猪苗代湖と磐梯山の周りに黄金色の稲穂が垂れる会津平野。その向こうを、深い山々が縁取っています。山は青く、水は清らかな、私たちの故郷です。
3.11原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降り注ぎ、私たちは被ばく者となりました。大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。すばやく張り巡らされた安全キャンペーンと不安の狭間で、引き裂かれていく人とのつながり。地域、職場、学校で、家庭の中で、どれだけの人が悩み、悲しんだことでしょう。
毎日、毎日、否応なく迫られる決断。逃げる、逃げない。食べる、食べない。子どもにマスクをさせる、させない。洗濯物を外に干す、干さない。畑を耕す、耕さない。何かにもの申す、黙る。様々な苦渋の選択がありました。
そしていま、半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、事実は隠されるのだ、国は国民を守らないのだ、事故は未だに終わらないのだ、福島県民は核の実験材料にされるのだ、莫大な放射能のゴミは残るのだ、大きな犠牲の上になお原発を推進しようとする勢力があるのだ、私たちは捨てられたのだ――。私たちは疲れと、やりきれない悲しみに、深いため息をつきます。
でも口をついてくる言葉は、私たちを馬鹿にするな、私たちの命を奪うな、です。福島県民は今、怒りと悲しみの中から、静かに立ち上がっています。子どもたちを守ろうと、母親、父親、おじいちゃん、おばあちゃんが。自分たちの未来を奪われまいと若い世代が。大量の被爆に晒されながら事故処理に携わる原発従事者を助けようと、労働者たちが。土地を汚された絶望の中から、農民が。放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が。市民が、国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと、声を上げています。
私たちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。福島県民は、故郷を離れる者も、福島の土地に留まり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちのアクションに、注目してください。政府交渉、疎開、裁判、避難、保養、除染、測定、原発と放射能についての学び。そしてどこにでも出かけて、福島を語ります。今日は、遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限り、あらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。福島を忘れないでください。
もう一つ、お話したいことがあります。それは、私たち自身の生き方、暮らし方です。私たちは何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。差別と犠牲の上に成り立っていることに、思いをはせなければなりません。原発は、その向こうにあるのです。
人類は、地球に生きる、ただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物が、他にいるでしょうか。私は、この地球という美しい星と調和した、まっとうな生き物として生きたいです。ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。だれにも明確な答えは分かりません。でき得ることは、誰かが決めたことに従うのではなく、一人一人が、本当に、本当に、本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。一人一人に、その力があることを思い出しましょう。
私たちは誰でも、変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がりつながり続けていくことが、私たちの力です。たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめ合い、お互いの辛さを聞きあいましょう。涙と怒りを許しあいましょう。いまつないでいる、その手の温もりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たち一人一人の、背負っていかなければならない荷物が、途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあり、軽やかに、朗らかに、生き延びていきましょう。ありがとうございました。