2010年、分科会報告、原水禁大会、原水禁大会 2010年
【報告】広島第4分科会/ヒバクシャを生まない世界に2―交流・討論編―原爆訴訟・在外被爆者と被爆者援護法
2010年08月05日
会場:広島市・ワークピア広島
参加者:41名(うち、初参加者8名)
●平野伸人さん(韓国の原爆被爆者を救援する会)から
被爆地を爆心地からの距離や行政区で決めることの誤り。
上空での爆発、放射能は広範囲に影響を及ぼしている。
厚生労働省との意見交換(7月)の中で、国は「原爆症の認定について、これ以上拡大したくない。今、年間1400億円のお金が認定患者を増やすと、財政破綻する。対象者を少なく」。という考えが明らかだった。
また、被爆地の基準の見直しについては、基準は多分に政治的圧力で決められている。非科学的な基準は見直されるべき。
「誰が被爆者なのか」が大きな課題。今は(1)直接被爆者(2)入市被爆者(3)救護被爆者(4)胎内被爆者の4種だが、被爆二世、三世は第5の被爆者ではないか。しかし、法律上そうはなっていない。新たな被爆者として認めよ、という声は裁判でしか改善されない。30万人署名とともに闘っている。最大の支援は原水禁国民会議である。
●在外被爆者 郭貴勲さん(元韓国被爆者協会会長)から
日本に徴兵で来て被爆した。終戦で韓国へ帰った。韓日条約で一言も被爆者について触れられていなかった。日本政府は知っていたが、韓国が触れなかったのでふたをされた。生きることもままならず、1967年に被爆者協会をつくり、保障要求を始めた。しかし、「韓日会談で解決済みである」の一点張りで、仕方なく裁判を起こした。
当時、三度も密航した人が、福岡地裁(74.3.31)で、密航者であろうと被爆者は被爆者であるとする判決を受けた。
その日に申請を出した。すぐ、旧厚生省の402号通達(日本居住者に限り保障が受けられるとした通達)が出された。韓国の口座に、保障金を振り込んでほしいと言ったら、国外居住者に資格はないと言われた。そして、大阪地裁で「どこにいても被爆者」であるとする判決を勝ち取った。
●中谷悦子さん(広島県被爆二世協議会)から
父親が被爆者。二世も影響を受けている。医学は進歩しているが、まだ低線量被爆、内部被爆、染色体異常、遺伝的解明はなされていない。二世、三世は皆、健康不安を抱えて生きている。
実態調査は一度も実施されていない。二世、三世が何人いるかもわからない。20万とも50万とも言われて、漠然としている。
被爆者援護法に、二世、三世が触れられていないことが問題。
次に、結婚への不安がある。被爆者であるゆえの差別的人権問題がある。子どもを生むことへのためらい。
ピースボートに参加して、核兵器廃絶への関心が高いことがわかった。体験を伝える大切さを感じている。
●会場からの発言
原爆被害者の認定は、原発被害者救済へも波及する。大阪では、裁判に取り組んでいる。
二世、三世の問題は今、三世同士の結婚に直面。これ以上、被爆者をつくってはいけない。偏見を持たず、理解してほしい。
また、米国の被爆者の保障についての疑問や、被爆者が高齢化し、学校教育の場などにもあまり呼ばれなくなっている。二世、三世への健診内容がお粗末。もっと充実をはかってほしいなどの意見が出された。二世の健診費用は1億4千万円、被爆者援護が1400億円なので、1000分の1しかない。
いろいろな観点からの発言があり、教育については地域の力で平和教育を守ってほしい。被爆二世、三世のことも援護法の中にきちんと位置付け、まず調査を行い、保障をすべきとの考えもはっきりした。裁判も力を合わせてがんばろう。
さらに、被爆の実態を70年、100年と語り継ぐ重要性を再確認した分科会だった。