原水禁大会原水禁大会 ~2009年~2009年

メッセージfromヒロシマ2005報告

2005年08月05日

平和の想い、世界に

盛り上がりました

被爆60周年、「メッセージfromヒロシマ2005」は5回目を迎えました。 昨年までと同様、実行委員会は高校生を中心に結成され、企画・運営を行いました。 首都圏スタッフは5月から、広島スタッフは6月から活発な意見交換を経て、8月5日を迎えることができました。そして当日、海外、全国から広島を訪れ、資料館などで原爆の被害について見学を終えた子どもたち約500人が参加しました。

華やかにオープニング

オープニングの前に、急きょ、「核廃絶の壁」キャンペーン-木製ブロックに平和のメッセージを書いて壁を作る運動を世界で展開しているドイツの高校生が参加。壁の取り組みとメッセージを紹介してくれました。つづいて、広島朝鮮初中高級学校、高級部舞踏部の皆さんによる民族舞踊「巫女の舞」のオープニングが始まりました。独特でありながら、どこか懐かしさを感じさせる民族音楽と華麗な踊りに、子どもたちは真剣に見入っていました。 笑顔いっぱいに踊ってくれました。

踊り終えたあと、代表してキム・ヒョナさんは「私たちは在日三世四世です。今、私たちの国は北と南に分断されています。親兄弟と会うこともできず、悲しみにくれる人がたくさんいます。私たちは、在日一世二世の苦しみ悲しみを知り、それを力に変え、祖国統一の担い手になれるようがんばっています。戦争のない世界をめざして手と手をとりお互いにがんばりましょう」と訴えました。
さて、今年の司会は、広島の実行委員で高校3年生の堀田紗千さんと、東京の実行委員で高校1年生の芳賀充士さんです。総合司会の野崎彩さんが二人を紹介し、元気よく舞台に登場しました。

みんなで踊ろう「うらじゃ」

実行委員のメンバー紹介で第1セクションは始まりました。実行委員は全員、手作りの黄色のお花を頭につけての登場です。委員を代表して岡崎好司さんが「今日1日広島をまわってきて、どんなことを思いましたか? 感じたことをメッセージにして発信しましょう」と呼びかけました。

見よう見まねで踊り始めました。

見よう見まねで踊り始めました。 そして、緊張気味の子どもたちをほぐすため、鬼祭り踊り「うらじゃ」のレッスン開始です。「戦争に使うエネルギーを祭りに使って、みんなで仲良くなっちゃおう」という気持ちを込めて踊りました。サビの振り付けは、周りにいる友達と手をつないで輪になって、「ハイハイハイハイ!」といいながらくるくる回ります。最初は恥ずかしがっていた子どもたちも、動き始めると少しずつ笑顔が増えていくのがわかりました。

爆弾を消して、平和の花を咲かせよう

ここで突然、会場にロックンロールがかかって、黒いマントに身を包み赤い髪を振り乱しながら、妖怪ロックが登場しました。ここからが第2セクションです。
ロックは、「戦争好きでお金や名誉のことしか考えない人間の弱さ」を食べて生きているのだそうです。この世界には食べるものが多すぎて、ぶくぶく太り今にも爆発してしまいそうです。
そこへ登場したのが、二人の「希望の花」。この世界には、戦争よりももっとおいしい素敵な世界があるんだよとロックに教えてあげます。楽しい音楽に身をゆだねて、みんなで手をとって踊ろう! 仲良くなろう! 戦争に使うエネルギーを平和のために使おう! と。それに気付いたロックはすっかり心を入れかえ、3人は仲良く去っていきました。
さあ、みんなの前のシートの中の爆弾の絵を平和のメッセージで消していきます。まず参加者全員が、広島で学んだことや平和への思いなどを、言葉やイラストにして、花の形をしたメッセージカードに描いていきました。できあがったメッセージカードは、爆弾の絵が描かれているシートの上から、それを消していくように貼り付けます(この時点では、いくつかのグループにシートを分けて作業をしているので、全体を合わせるとどんな作品ができ上がるのか、誰も知りません)。
メッセージカードが配られると、じっくり考えながら慎重に書く子、すぐに思い浮かんだ絵や短いメッセージを書く子、急いで描き終えて友達の作品を見て回る子など、それぞれに作業を楽しんでいました。
その間に、宮本千夏さんと松田卓也さんが会場をまわってインタビュー。カードに描かれたメッセージや参加者の声を紹介していきました。

全国のお友達からのメッセージ

第3セクションは全国から参加している子どもたちの紹介です。北海道から沖縄まで、12人の代表が一言メッセージを発表してくれました。

まずは北海道のHさん「戦後50年目の8月6日に私は生まれました。とても複雑な気持ちです。その時の子どもたちはどんな気持ちで逃げたのでしょうか。そのことを思うと胸が苦しいです。私たちがしなければいけないことは、戦争のない平和な世界をつくることだと思います」。

つづいて、山形県からSさん「大義ある戦争なんてこの世界にはひとつもありません。ただそこにあるのは殺す殺されるの関係だけです。自分の子どもに『勇ましく戦場で死んで来い!』と言わなければならない世の中には決して戻してはなりません」。

群馬県からはAさんが発表しました。「唯一原爆被害にあった日本の子どもとして、広島で感じたこと、学んだこと、戦争の愚かさと平和の大切さを、後世に伝えていくことが、戦争で亡くなった人たちに対して私たちができる大切なことです」。

埼玉県から参加したWさんは、短歌を作ってアピールしました。『世の中に あってはならない 核兵器 本当の恐さは 誰も知らない』
同じく埼玉県から個人参加してくれた、Oさん兄弟も元気よくあいさつをしてくれました。

東京の三多摩から参加の、YさんとMさんは「埼玉の丸木美術館に行きました。原爆で多くの被害があったことが作品を観ていて伝わってきました。日本は今、平和な毎日を送っていますが、過去にひどい戦争があったことを忘れてはいけないと思います」と思いを語ってくれました。

つづいて神奈川県から川地彩未さん「基地の多い神奈川から来ました。今、日本は豊かで平和な暮らしをしていますが、神奈川からは、米軍の戦闘機や空母が外国に出撃しています。それにより、爆弾やミサイルでたくさんの人が被害を受けています。もう戦争はいらないといろいろな人に伝えたいです」と、現在も日本がアメリカの戦争に協力しつづけている状況を伝えてくれました。

生活クラブ神奈川のOさんとDさんは、一緒に参加した16人で詩を作ってくれました。そして「今日から3日間、戦争や原爆の悲しさ、恐ろしさ、二度と繰り返してはいけないことを学びます」と決意を新たにしていました。

長野県はTさん「戦後60年経ったが、世界ではテロや戦争が起こっています。戦争により人生を狂わされてしまった方々から話を聞くことが私たちの世代に必要なことだと思います」。

三重県からはTさん「原爆のことは本や写真で知っていましたが、実際に見てとても衝撃的でした。これから学んで戦争や核のない世界を作っていきたいです」。

香川県のKさんは「広島で戦争と原爆について、しっかり学んで帰りたい」と発言しました。

長崎県からは、高校生一万人署名のMさんと高校生平和大使3名(広島、長崎、神奈川)がアピールをしてくれました。「若者だからこそ、国連で伝えていけることがあると思います」と話をしました。

海外のお友達からのメッセージ

つづいては、海外のお友だちからのメッセージです。フィリピン、韓国、オランダ、オーストラリアの4ヵ国から参加してくれました。
韓国から参加の4名を代表して、金大健さんが「戦争と原子爆弾の痛みを経験した韓国と日本は、どんなことがあっても、再びそんな辛さを繰り返さないように努力しなければならないと思います。過去の歴史に対する正しい認識をお互いの立場で考えて理解するように願っています。ともに、原爆と戦争がない世の中をつくりましょう」と呼びかけました。
フィリピンから参加の2人はそれぞれにメッセージをくれました。
キーン・マリアー・マリラさんは、「被爆後に街がどうなったかを知りたいです。広島で平和のために行動している人と会えてうれしいです。平和とは大きなことをするのではなく、まず私の中から始め、そして私がいるあらゆる場所から作り出していくことだと思います」。チェリー・セリロさんは、「文化の違いに関わらず、一緒に平和を作っていきたいです。憎しみが生まれた結果、原爆が落とされました。愛と尊敬、責任の意味を理解していきたいです」と発言しました。


海外から参加してくれたお友だち

オランダからは3人を代表して、アシュウィン・ラブルイエさんが、「原爆の経験は、とても深刻なことですが、非常に関心を持っています。オランダでヒロシマの話を伝えていこうと思います。この話が風化しないように、人々の心に生きつづける話にするためです」と話をしてくれました。そして、アヌーク・デブレシャーさんとハンナ・ヘラウディさんがヒロシマをテーマにした詩を作って読んでくれました。
最後に、オーストラリアからの留学生、アンドリュー・キングスフォードスミスさんが「留学をすると、その国のことも自分の国のこともよく理解できるようになります。みんなにも留学をしてほしいです。わかり合えば、友達の輪が広がって、助け合えるようになります。助け合えれば平和になるでしょう。お互いに理解し合えたら戦争はなくなると思います」と力強く訴えました。その熱い気持ちが会場中に伝わり、参加者たちは大きな拍手で応えました。

高校生の活動

第4セクションでは、岡山県の高校生がピースウォークの活動を紹介しました。
今年で7回目を迎えるピースウォーク。福山市から平和公園まで歩き通した高校生たちの姿がビデオで映し出されました。今年初めて参加したという三島麻美さんは「初めは参加することに抵抗があったけれど、多くの人の励ましを受けて、仲間もできて、参加してよかったです」と感想を発表しました。
そしてここで再び、「うらじゃ」踊りです。今度は初めの練習で覚えた振り付けを思い出しながら、いろいろな人と手をつないで、思いっきり踊りました。

世界に届け!私たちの思い


たくさんの仲間たちと思いっきり踊りました。

楽しい時間もあっという間に過ぎ、ついに『メッセージfromヒロシマ2005』もエンディングを迎えました。実行委員の横山千夏さん、高橋真捺さん、石黒友恵さんがメッセージを読み上げます。このメッセージは首相官邸や、アメリカやイギリスなど核保有国の代表あてにメールで送信するものです。会場いっぱいの大きな声でカウントダウンをし、一斉に送信すると、大きな拍手が起こりました。
つづいて、参加者全員でつくったモニュメントが披露されました。カウントダウンで「ゼロ!」の掛け声とともに舞台のうしろにある幕が下りると、みんなで書いたメッセージカードが集まって、3.6m×3.6mの大きな笑顔のニコニコマークになっていました。その下には万国旗でつくった「PEACE」の文字が並び、世界の平和を願うみんなの思いがひとつの作品になりキラキラと輝いていました。

たくさんの仲間たちと思いっきり踊りました。

最後の最後にもう一度「うらじゃ」です。会場にいた海外ゲストもステージにあがり、フィナーレを盛り上げました。
みんなで作りあげた『メッセージfromヒロシマ2005』の経験は、きっと子どもたちの心の奥深くに刻まれ、未来に平和をつくるために行動していく力となるでしょう。そして、同じ思いを持つ仲間たちがつながりながら、日本中、世界中で希望の花となっていくでしょう。

~海外(かいがい)のお友(とも)だち紹介(しょうかい)~

韓国からのお友達

金 阿永 (Kim Ah Young)1988.9.13
過去史に対する正しい認識をお互いの立場で考えて、理解するように願う。核問題と戦争は地球の破滅を招く行為だから、平和な世の中を韓国と日本が作ろう。

朴 世訓(Park Se Hoon)1988.4.19
不幸な過去史に対する反省と報償が成り立って、原爆のつらさと戦争の苦しみがない平和な世の中をつくろうと努力しましょう。

金 大建(Kim Dae Keon)1987.7.9
戦争と原子爆弾の痛みを経験した韓国と日本は、どんなことがあっても、再びそんな辛さを繰り返さないように努力しなければならない。 私たちは、核の危険と戦争がない平和な世の中を願う。

裵 美賢(Bae Mee Hyun)1988.11.23
韓国と日本は、近くも遠い国である。正しい歴史認識で、お互いの関係が世界の中心になるように願う。

フィリピンからのお友だち

チェリー・セリロ
若者として与えることができ、生きることができる愛と尊敬、責任の大きな意味を理解していきたいです。

キーン・マリアー・マリラ
平和のために実際に運動している、日本の若い人たちと会い、一緒に行動をともにできることがうれしいです。

オランダからのお友だち

アヌーク・デブレシャー1991.2.3
14歳。来年、ボックステルにあるヤコブ・ウーランズ・リシェーム校の3年生になります。趣味は、読書、ゴルフ、そして友達と遊ぶことです。

アシュウィン・ラブルイェ 1991.8.1
14歳。オランダの北西部にある北シャーウードに住んでいます。北シャーウードにあるヤン・アーヘンツ・クリスチャンスクールに通っていて、そこで一般的な授業と理論的な授業を受けています。

ハンナ・ヘラウディ 1990.6.25
乗馬が好きで、音楽に熱中しています。広島に落ちた原爆の歴史だけでなく、日本文化にも関心があります。オランダでヒロシマのことを伝えていきたい。

オーストラリアからのお友だち

アンドリュー・キングスフォードスミス 16歳
留学生。駒場高校です。体操部と演劇部に入っています。僕はまだあまり日本語がうまくないです。3年日本語を勉強しました。日本語をとても覚えたいです。

平和アピール メッセージfromヒロシマ2005

今年は被爆60周年の年です。計り知れないほどの人が悲劇を体験した60年前、それなのに戦争は今なお続いています。戦争によって世界中の人びとが幸せになったことがあったでしょうか? 戦争によって、なにかを手に入れようとするのは、欲に染まった大人たち。戦争によって利用され傷ついて死んでいくのは、罪のない人びと。「平和のための戦争」なんて子どものけんかの言い訳よりも幼稚です。今すぐ、世界中が核兵器を捨て、戦争をやめ、手をとりあうべきです。

被爆者の方が訴えています。「私たちに被爆60年はあっても70年はありません。生きている間に核兵器の恐ろしさを伝えていかなければなりません」と。この先の80年、90年、100年と伝えていくのは私たち子どもの役目です。私たちは、目をつぶらずに、戦争という恐ろしい事実を学んでいかなければなりません。私たちだけではなく、世界中の人びとが学ぶべきです。そうして一歩一歩「ノーモア・ヒロシマ」、「ノーモア・ウォー」の輪が広がっていくことが必要です。

私たちは叫びます。「戦争はいらない、核兵器もいらない」。互いを傷つけ合って、なにかを奪い合うなんて、そんなのは悲し過ぎます。世界中の人びとがもっとお互いを認め合って生きていくことができたなら、世界中の人びとが当たり前のように人を愛せたなら……世界はもっと変わるでしょう。そして戦争という恐ろしい歴史を、被爆という恐ろしい事実を、二度と繰り返さないためにも、私たちが新しい時代へと伝えていくことが何よりも大切なのです。

私たち一人ひとりが世界に訴える力はとても小さく無力に思えます。だけど、ここにいる私たちが同じ想いを世界に訴えかけたなら。世界中の人びとが手をとりあって、世界に平和を訴えかけたなら。世界は必ず変わります。私たちは世界を動かす力をもっています。一人では小さな力でも、みんなで心を一つにして集えば大きな力になるのです。
「もう戦争はいらない! 核兵器もいらない!」

2005年8月5日

子供の広場全体のスケジュール

●8:00~8:30  子ども慰霊祭 (平和公園内 原爆供養塔前)
●8:40~10:10  フィールドワーク
●10:15~10:30  ダイイン
●10:45~11:30  被爆のお話を聞こう
●11:30~12:25  昼食
●12:25~14:30  メッセージ from ヒロシマ2005
●15:00~16:00  被爆電車
●15:00~16:30  灯ろう作り
●15:00~16:30  海外ゲストとの交流

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