2026年10月01日

1999年9月30日、茨城県東海村にあるJCOの核燃料加工施設で臨界事故が発生し、急性放射線障害で労働者2名が死亡、1名が重症、施設周辺住民の多数が被ばくする事態となりました。
この大惨事の直接の原因は、同施設で核燃料製造中、国が許可していない作業手順で、臨界量以上のウラン溶液を使用したことで核分裂連鎖反応が発生し、これにより大量の中性子線が放出されたことによります。事故発生は10時30分、終息したのは翌日10月1日の6時30分でこの20時間の間、目に見えない強烈な放射線を放出し続けたのでした。
発生から27年が過ぎ、原子力の「安全神話」を完全に崩壊させたJCO臨界事故を忘れず、語り継ぎ、教訓を次の時代につないでいくために9月27日、地元の団体や原水禁など6団体が主催して「JCO臨界事故27周年集会」を東海村・石神コミュニティセンターで開催しました。
地元の市民団体を代表してあいさつに立った大泉実成さん(臨界事故を語り継ぐ会)は、事故発生当時JCOから120メートルのところでご両親が仕事をしており、お母さんがその日の夜から口内炎や激しい下痢などで苦しみはじめ、その後も「JCO」、「原発」など被爆に関連する言葉を聞いただけで体が硬直するなど、典型的なPTSDの症状が出るようになったと住民の被害の実態を話しました。こうした被害が明らかであるにもかかわらず、JCOは補償にはいっさい応じず、やむなく裁判も提起しましたが、8年間にわたる裁判闘争で結局敗訴になってしまいました。体の不調がJCOの事故による放射線によるものだという因果関係を被害者側が立証しなければならないという法律の不備が大きな壁になったと穏やかな口調で怒りを語りました。
フォトジャーナリストの豊田直巳さんは、東京電力福島第一原発の過酷事故から15年たった今の福島の状況を、事故直後からの豊富な取材と撮影された写真を紹介しながら説明しました。被害の実態を小さく見せたい、復興が進んでいると喧伝したい政府の説明がいかに実際とそぐわないものであるか、事実はどこにあるのか、豊田さんが具体的に示す過去と現在の写真であきらかにわかります。
集会では他に、茨城県内の39市町村長からのメッセージが紹介され、また集会参加者一同で採択されたアピールでは、核のごみの「地層処分」で、文献調査の対象に茨城県の常陸大宮市が対象となったことに反対する姿勢を示しました。核のごみがウラン鉱石並みの「安全」となるには10万年の年月を要します。遠い遠い将来に渡って、4つのプレートがぶつかり合い、活断層だらけの日本列島でどうやって安全な地層処分があるのでしょう。アピールでは、「いま、必要な原子力政策は、まずは核のごみを出し続ける原発推進を改め」ることを求めています。

集会に参加した180名は、「JCO臨界事故を忘れない」「子どもたちをまもろう」などと、全港湾青年部労働者の若々しいシュプレヒコールが村内に響き渡るなか、JR東海駅までデモ行進をしました。
JCO臨界事故27周年集会アピール
JCO 臨界事故は1999年9月30日10時30分に、ウラン加工工場の転換試験棟で起こり、一昼夜臨界状態が続き翌10月1日、6時30分に終息した。この20時間のあいだ居住地に中性子線を主に放射線が放出され、労働者や周辺住民が被ばくした。
この事故は、チェルノブィリ事故・スリーマイル島事故についで世界第三番目の規模に達し、作業員2名の死亡を含む3人が急性放射線障害で労災認定された。日本の原子力事故で死亡者が出たのは初めてである。国の線量評価では660名を超える被ばく者と、うち年間線量限度1mSv超えの被ばく住民は119名と記録されている。
事故の直接的原因は、高速増殖実験炉「常陽」の核燃料製造の前段階の硝酸ウラニルを製造する際に、国が許可していない作業手順や道具を使って、沈殿槽という装置に臨界量以上のウラン溶液を投入したことにあった。本来あってはならない違法作業が行われていた上に、国の監視もずさんで、認可のない工程での作業を見逃していたのである。
住民が村内放送で臨界事故を知ったのは発生2時間後の12時半であり、350m圏内の住民に1㎞先の避難所への避難を、国の無策のなか独自に東海村が要請したのは、4時間30分後の午後3時であった。そして翌朝、臨界が収束したが、避難者の避難解除は2日午後6時30分になった。この間住民は制限された情報の中、放射線に怯えて不安と焦燥の時間を強いられたのである。屋内退避解除後の放射能汚染検査会場への長蛇の列はその恐怖の確かな証明である。
この住民の体験とは裏腹に国の事故調査委員会は、確定的な影響をもたらす線量ではなく、確率的な影響も見出しがたい線量のレベルであったと放出線量評価を行い、住民の被ばく認定や補償の道を閉ざしてしまった。このような評価をしながら、「不安解消のためと」して住民健康診断を国の予算で茨城県が実施することになった。この年1回の健診は今も続けられている。
以上は、JCO 臨界事故状況のあらましであり、記憶すべき事態の要点である。私たちはこの事故を語り継ぎ、ここから学び取る教訓を次の時代への糧にしなければならない。
JCO臨界事故は、原子力の「安全神話」を完全に崩壊させ、国内外に大きな衝撃を与えた。この東海村で、東海第二原発の再稼働問題が焦点となっている。人口過密地帯に立地し運転開始から48年になる超老朽原発で、防潮堤の不良工事が内部告発で明らかになり、中央制御室の火災をはじめ頻発する火災を起こし、運転習熟要員も少ないなかで、原発の安全な運転を期待するのは無理であり、再稼働の選択はあり得ない。日本原電は東海第二原発の再稼働を断念し、廃炉にする手だてに入るべきである。
もう一つ、この地域に大きな衝撃が起こっているのが、常陸大宮市が高レベル放射性廃棄物の最終処分場の文献調査の対象と発表されたことである。地層処分は、この核のごみを地中に埋めて、10万年という遠い将来の世代に責任を押しつけていく政策であり、安全性も確認できていない。周辺地域の自治体や住民は、核のごみの危険性を知らされていないし、反対の声を拡げていかなければならない。いま、必要な原子力政策は、まずは核のごみを生み出し続けている原発推進を改めて、これ以上使用済み核燃料が発生しないようにすることである。
2026年9月27日
JCO臨界事故27周年集会参加者一同
2012年09月30日
この度は、JCO臨界事故13周年集会の開催、誠におめでとうございます。
皆様の、JCO臨界事故を背景とする種々の取り組みに対し、心より敬意を評します。
本年の集会におかれましても、昨年3月の福島原発事故を踏まえ、今後の原子力発電のあり方や、代替エネルギーについて深く考える貴重な機会になることと存じます。
本集会のご盛会と、ご参会の皆様のご健勝を心よりご祈念申し上げます。
平成24年9月30日
結城市長 前場 文夫
「JCO臨界事故13周年集会」メッセージ
「JCO臨界事故13周年集会」が、多くの方々の参加のもと開催されますことに深く敬意を表します。
本集会にご参会の皆様方の、ますますの御健勝と御活躍をお祈り申し上げ、メッセージといたします。
平成24年9月吉日
鹿嶋市長 内 田 俊 郎
皆様には、日頃から原発依存からの廃炉やエネルギー政策の転換を目指すための積極的な活動を展開されていることに対し、心から敬意を表します。
東日本大震災に伴う原発事故から一年半が経過しましたが、未だ福島第一原発事故は収束せず、放射線の多方面に及ぶ影響などを考えますと、原子力そのものを見つめ直さなければならないのではないかと考えております。
JCO臨界事故から十三年目を迎えますが、十三周年集会が、平和で安全な社会の実現に向けた新たな飛躍の場となりますようご祈念いたします。多くの方々のご参加のもと、この集会が成功されますよう、また皆様の益々のご活躍とご健勝をお祈り申し上げまして激励のご挨拶とさせていただきます。
平成二十四年九月三十日
茨城県かすみがうら市長 宮嶋光昭
JCO臨界事故13周年集会 高萩市長メッセージ
本日ここに、JCO臨界事故、福島第1原発事故を忘れない!原発再稼働反対!「JCO臨界事故13周年集会」が開催されますこと深く敬意と感謝を申し上げます。
JCO臨界事故から11年が過ぎた昨年3月、東日本大震災により、福島第1原子力発電所において、起こしてはならない事故が起きてしまい、私達の生活に甚大な被害と損害をもたらし、未だ収束することなく、見えない放射線の恐怖によって脅かされながら暮らしております。
原子力事業については、国民の信頼を一層喪失することとなりました。
再び原子力による重大事故を起こさないためにも、「事故を忘れてはならない、風化させてはならない」の願いを本集会から発信し、原子力事業の安全管理体制の強化と再発防止策の徹底を求めていかなければなりません。
結びに、本集会が有意義なものとなりますことを心よりご祈念申し上げ、私のメッセージといたします。
平成24年9月30日
高萩市長 草間 吉夫
「JCO臨界事故13周年集会」へのメッセージ
―脱原発は世直し運動である―
東海村長 村上達也
JCO臨界事故1 3周年集会のご盛会を心からお慶び申し上げます。
さて福島原発事故後この1年半、政府を始めとする原子力産業界は停止原発の再稼動、すなわち従来の「国策」原子力政策への回帰を策しています。これは敗北を認知できない恥すべき醜態を世界中に曝しまくっていることに他なりません。アジア太平洋戦争で敗戦が明らかとなっても敗戦を肯んぜず己の保身のため、オキナワ、ヒロシマ、ナガサキ、本土空襲を招来し、国民に空前の犠牲を強いた戦前の軍部に酷似しています。
野田首相は6月16日、福井県知事らとの茶番劇を演じ、「国民の生活を守る」ためと称し、大飯原発3、4号の再稼動を政治決定しました。なんと国民に対する温かい思いやりでしょうか。ところが国民の大多数は正反対の反応を表明し今日に至っております。
毎週金曜日の夜の首相官邸、国会を包囲する市民の集会、7・16代々木公園での脱原発大集会、政府自らが企画した新しいエネルギー政策を決める「国民的議論」等に、そのことが良く表われています。苦肉の策の討論型世論調査に至っては「原発ゼロ」の支持割合は討論の後の方が討論前より増加するという政府の意図に反する皮肉な結果がでました。
古川国家戦略相を座長とする「国民的議論に関する検証会合」も過去に未練タラタラながらも「過半の国民は原発に依存しない社会を望んでいる」と表明せざるを得なくなったようです。しかしここに至っても依然、政府、電力業界、財界、一部マスコミは敗北を認めようとはしません。福島原発事故から1年有半経っても原子力政策の転換、新たなエネルギー政策の決定が何一つできないでいる、この醜態の最大の要因は、「福島原発事故は敗戦である」このことを認めようとしない推進勢力の存在にあります。
結論を言います。最早原子力は日本では勿論、人類にとって未来を託せるエネルギーではないことがフクシマで証明されました。それは経済の面から言っても、地域社会にとってもであります。ましてや10万年もの先まで管理を要する核廃棄物を未来世代に残すに至っては。過去や現状に捕われず、如何に速やかに原発依存から脱却するかでこの国の将来が決せられる、私はこう確信しています。
また私の15年余の東海村長としての体験から、この国は原発を持つ資格、能力のない国だと思っています。 JCO臨界事故の原因を「ヒシャクとバケツ」に矮小化し、安全規制体制強化を骨抜きにし、ルネッサンスだ、クリーンエネルギーだと遮二無二原発推進政策を喧伝してきた、その結果がフクシマです。今回改革できなければ第二のフクシマは必ず起こるでありましょう。将来世代のためにも原発の脅威のない平和で健全な社会の創造を目指して参りましょう。脱原発の戦いは世直し運動でもあります。
JCO臨界事故13周年集会のご盛会、誠におめでとうございます。
福島第一原発の事故から1年半が経過し、この間、多くの方々のご努力により脱原発の声は日増しに高まっております。このような中、5月には全原発が停止したのもつかの間、十分な議論もされないまま大飯原発が再稼働する等、原子力事故への不安は依然として払しょくされておりません。
「3.11」以降、近隣市町村の放射線量は平常時と比較して高い状況が続いております。本村におきましても、学校等公共施設の空間や食材の放射線量測定を行うと共に放射能対策室を設置し、村内の除染を進めております。また「脱原発をめざす首長会議」への参加、先の議会において「東海第二原発の廃炉を求める意見書」を可決したほか、村内にメガソーラー発電所の建設誘致など、少しずつではありますが、脱原発に向けた取り組みを始めております。
事故はいつの間にか人々の記憶から忘れ去られてしまいます。それを防ぎ、風化させないためにも、引き続き脱原発に向けた活動が継続されていくことが重要であります。原発からの早期脱却を目指し、放射能の恐怖のない安全安心な社会の実現に向けて、共に頑張って参りましょう。
結びに、本日の集会が実り多きものとなりますことをご祈念申し上げます。
平成24年9月30日
美浦村長 中島 栄