被爆81周年原水爆禁止世界大会(2026)、2026年
揺らがない核廃絶の決意を、ともに 「被爆81周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」が閉会
2026年08月10日
8月9日、「被爆81周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」閉会総会が長崎県立総合体育館アリーナで開催され、約950人の参加がありました。
川野浩一・共同実行委員長(原水禁共同議長から主催者あいさつ。自らの被爆体験、長崎で行われた最初の原水禁大会の熱気などを振り返りつつ、核兵器にいい核兵器、悪い核兵器があるのではなく、人類の生存のためにすべての核兵器を廃絶しなくてはならないとし、原水禁はその実現に向けがんばり続けると述べました。
続いて谷雅志・事務局長が3日間にわたる長崎大会全体についての総括を報告しました(本記事下部に掲載)。
第29代高校生平和大使と高校生1万人署名活動のメンバーが登壇。ジュネーブ派遣を予定するメンバーをはじめ、それぞれが思いを述べました。
最後に「大会アピール」(全文を本記事下部に掲載)を全体の拍手で確認し、集会を終了しました。
会場から爆心地公園に向け、実行委員会役員、海外ゲストを先頭に平和行進を行いました。
11時2分を爆心地公園で迎えた参加者は、鐘の鳴り響くなか、長崎・広島の原爆犠牲者、そしてすべての核被害者の皆さんに黙とうを捧げました。
「被爆81周年原水爆禁止世界大会」のなかでともに学び、議論し交流した内容をぜひ各職場・各地域に持ち帰り、共有するとりくみをすすめましょう。厳しい情勢のなかであるからこそ、私たち一人ひとりの行動が重要です。引き続きともにがんばりましょう。
「被爆81周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」谷事務局長まとめ報告
1945年8月9日、原爆投下があった日あの日から今日で81年になります。
原水禁世界大会は、被爆者の声を聞きたい、被爆の実相を知りたいという多くの声を、具体的に実現する一つの場として今日まで続いてきました。私たちはその言葉に込められた怒りや憤り、被爆後の生活におけるさまざまな困難を想像することを通して受け止めようと努めることしかできません。
広島大会では想像する一つとして、においについて述べました。長崎では昨日の第6分科会の中でも話されていましたが、風について想像してみたいと思います。原爆が炸裂したあと、秒速400mをこえる爆風が襲ったと言われています。それはどれほどの爆風だったのでしょう。台風が直撃して日常生活が送れないときの天気予報ではおよそ風速40m程度です。一瞬にして突き抜けた爆風を少し思い浮かべることで、その威力のすさまじさを考えてみたいと思います
核兵器はもちろん、すべての核エネルギーの利用を認めない「核絶対否定」の信念を築き上げてきた原水禁運動は、被爆から81年経とうとする今日、その重要性を増していると言わざるを得ません。
第1分科会であったように、世界での核をめぐる状況は危機的です。大国と言われるアメリカやロシアが武力による現状変更を否定しないとする姿勢は、これまでの国際関係を大きく揺るがす事態となっています。海外ゲストでお招きしたアメリカや韓国の市民団体のみなさんや、多くの国のみなさんと連帯して、二度と核兵器を使わせないという声を強めていく必要があります。
第2分科会では混迷を深める国際情勢を背景に、日本が戦争のできる国づくりを進めている現状について学びました。現状を認識することは、これから先の未来を想像することにつながると考えています。
第3分科会では核の「平和利用」と言われる原子力発電の危険性について考えました。原発は戦争が起こった時には攻撃対象となり、核兵器と同様の被害をもたらす危険性があります。そもそも原発がある限り、プルトニウムを保有することになり、いつでも核兵器への転用が可能であると認識されるのです。
第4分科会・第5分科会では被爆者の残された課題、世界の核被害・グローバルヒバクシャについてのお話を伺いました。フランス領ポリネシアからお招きしたプアライさんのお話によって、世界の核被害の状況・住民のみなさんのとりくみについて学びました。ヒバクは決して過去の問題ではありません。特に長崎ではいまだ被爆者と認められない「被爆体験者」問題があります。被爆体験者は被爆者です。被爆者と同じように高齢化が進み、残念ながら被爆者と認められないままに亡くなられてしまう方がいらっしゃいます。1日も早い問題の解決が必要です。
第6分科会では、はじめてこの原水禁大会に参加する方々に向けて、被爆者のお話と、被爆の継承にとりくまれている地元長崎の漫画家、西岡さんにお話しいただきました。
広島・長崎の両大会でとりくんできた特別分科会。青年層の企画・運営によって、参加者が車座になって自分のおもいを話し合うことにとりくんできました。少ない人数でも、講演を受けるだけでなくそこから何を考えたかを交流すること、受け取るばかりではなく発信することで心に残るものがあったのではないかと思います。
原水禁世界大会では「継承」を大きなテーマとしています。その具体的場面の一つになることを願っての特別分科会のチャレンジとなりました。大会実行委員会としてこの後しっかり総括をして、今後につなげていきたいと思います。
長崎大会では80人を超える高校生のみなさんが集まりました。大会期間中の海外ゲストのための通訳・アテンドにも大学生が関わってくれています。
参加することから一歩先へ、青年層のみなさん自身の声を反映できる大会のあり方について、今後も議論を深めていきたいと思います。
このあと、高校生からの報告もあります。幅広い年齢層の参加があることもこの原水禁大会の特徴の一つです。すべての人にとって開かれた大会として、すべての人にとって参加しやすい大会でありたいと考えています。
NPTでは成果文書をまとめ上げることはできませんでしたが、それでもNPT体制は続いています。核保有国には核軍縮を進める義務があることを忘れてはなりません。そしてこの夏の原水爆禁止の運動を、11月末に開催される核兵器禁止条約第1回再検討会議へとつなげていかなくてはなりません。
核兵器廃絶を本気で日本政府がめざすのであれば、核兵器禁止条約に参加することは当然のことです。1日も早い署名・批准を求めて運動を展開していきます。
これまでの歴代政権が国の基本方針・国是としてきた非核三原則を見直している場合ではありません。緊張度合いを増す国際社会に、明確に核兵器廃絶を示す姿勢こそが今、重要だと考えます。
本大会はこのあと、爆心地公園に向けて行進し、11時2分の黙とうをもって幕を閉じます
多くの大会参加者を迎えてくださった現地実行委員会のみなさん、これまでのご準備・運営に心より感謝申し上げます。
分科会運営を中心に担ってくださった大会実行委員会のみなさん、ありがとうございました。
分科会やひろばでお話しいただいた講師と報告者のみなさん、多くの学びと気づきを与えてくれました。ありがとうございました。
ここにご参加いただいたみなさんが、今後ご自分の地域や、団体に戻られてから、それぞれの原水爆禁止の運動にいかしていただく何かを感じてもらえていれば、大会実行委員会としては何よりうれしいことです。
「核と人類は共存できない」原水禁運動の確立された理念のもと、多くの仲間とともに力を得ながら今後もがんばっていきましょう。
以上をもって長崎大会のまとめとします。
ありがとうございました。
被爆81周年原水爆禁止世界大会・大会アピール
1945年8月6日広島、8月9日長崎。原爆投下から81年目の夏を迎えました。一瞬にして多くの命を奪った原子爆弾は、81年経った今でも後遺症に苦しむ被爆者を生み出し、その影響の大きさと長さが、いかに非人道的な兵器であったかを示し続けています。被爆者とともに私たちは、侵略戦争を起こした日本の加害責任を厳しく問い、再びあやまちを繰り返さないためにも、被爆者援護法を国家補償とすることを求め、粘り強く運動を続けてきました。いまだ被爆者と認められない「被爆体験者」問題や、被爆二世・三世の遺伝的影響の問題、日本に強制的に連れてこられ被爆した朝鮮半島出身の被爆者、とくに在朝被爆者の補償問題といった残された被爆者問題の解決をはかる運動を、引き続き進めていきます。
5月に閉会した核不拡散条約(NPT)再検討会議では、成果文書をとりまとめることができませんでした。核保有国であるアメリカとロシア・中国の対立が深まり、イランやウクライナでの武力による現状変更を押し進めようとする姿勢に、国際社会全体が混迷度合いを増しています。国際条約を履行することで、世界の平和を実現しようとしてきたこれまでの歴史と積み重ねに、公然と異を唱える国のリーダーが、国家間の対立と分断を煽っています。それでも、こういった対立と分断を乗り越える力は、立ち上がる市民にこそあるのだと訴えます。時の政治権力者によって核兵器使用という誤った判断がなされないよう、私たち市民が声をあげなければなりません。成果文書をまとめることができなかったNPTは、それでもなお国際条約として有効であり、核保有国には核軍縮を進めていく義務が課せられています。11月末から12月にかけて開催される核兵器禁止条約第1回再検討会議へと、核廃絶を願う私たち市民の声をつなげていかなくてはなりません。そのためには被爆国である日本が、まずは核兵器廃絶を実現させる強い決意を示すうえでも、核兵器禁止条約に署名・批准することは当然だと訴えます。1日も早くその決断を日本政府に迫る市民の声をあげ続けていきましょう。
核兵器が存在することで戦争を回避できるとする「核抑止」の考え方は、核軍縮に逆行し、使える核兵器の開発配備競争を招き、核戦争へのハードルを下げるものです。核兵器のない平和な社会、戦争のない暮らしを1日でも早く実現するためにも、核兵器が存在し、使われるリスクがあり続ける今の社会の不安や危険性について、被爆者が語る被爆の実相から学び続けなければなりません。
国際情勢の不安定さや「安全保障環境の変化」を理由に、高市政権は2026年中に見直すとする「安保3文書」に関わって、「非核三原則の見直し」を議論する姿勢を示しています。これまで佐藤栄作内閣以降、歴代政権が堅持してきた国の基本方針・国是をなぜ今、見直す必要があるのでしょうか。軍備拡張路線の「戦争のできる国づくり」は、私たちがめざす平和な暮らしとまったく相容れないものです。非核三原則の見直しなど、もってのほかです。
東京電力福島第一原発事故の発生から15年が経過しました。日本政府はいまだ避難生活を強いられている住民が数多くいるにも関らず、被害者支援を切り捨て、原発推進・積極活用へと舵を切りました。原発に絶対の安全はありません。構想から30年以上が経っても完成しない核燃料サイクルに依拠した原発推進政策は破綻しています。地震大国日本に原発は危険です。原発に頼らない再生可能エネルギーの促進によって、安全で安心して暮らせる社会を構築していきましょう。
核を使用することは、ウラン鉱石採掘から始まるすべての過程で、絶えずヒバクシャを生み出しています。ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウォー、核も戦争もない社会をつくりましょう。
私たちは今後も被爆の実相を原点に、「核絶対否定」の揺るがない信念のもと、「核と人類は共存できない」という理念の実現をめざしていくことを決意します。
2026年8月9日
被爆81周年原水爆禁止世界大会 参加者一同
「被爆81周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」閉会総会アーカイブ動画





