2021年03月01日
3月1日、「コロナ禍」を考慮し、8名の参加で、「被災67周年3.1ビキニデー全国集会 墓前祭」を静岡県焼津市の弘徳院で開催しました。
墓前祭は、主催者あいさつ、地元あいさつ、読経、献花・焼香、と滞りなく行われました。
第五福竜丸が被災した当時、日本国内では、陸揚げされた魚を廃棄処分する様子が連日報道され、国民全体に大きなショックを与えました。
その中から、原水爆の禁止を求める署名運動が始まり、現在の原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が発足しました。
原水禁運動の原点と言える「3.1ビキニデー」を毎年継続して開催し、ビキニ事件を「風化」させることなく、今後もとりくんでいく決意を確認する墓前祭となりました。
2021年02月18日
※3,1ビキニデー集会のライブ配信動画は、機器の不具合で音声が聞き取りにくいため、動画としては公開しないものといたしましたので、ご了承ください。
日本の原水禁運動が誕生した直接のきっかけであり、原水禁が毎年開催してきた「3.1ビキニデー集会」を今回はコロナ禍の現状を考慮し、オンラインで開催致します。
あの日から67年。1954年3月1日、アメリカがビキニ環礁で水爆実験を行いました。付近で操業していた静岡県焼津のマグロ漁船・第五福竜丸をはじめ多くの漁船に「死の灰」が降りかかりました。乗組員の方々が放射線障害にかかり、厳しい生活を余儀なくされ、亡くなられていきました。
「当時は、毎日陸揚げされた魚の放射能が測定され,次々に廃棄処分されました。この様子は連日報道され、国民全体に大きなショックを与えました。こうした中で、原水爆の禁止を求める署名運動が始まり、それはたちまち野火のように全国に燃え広がりました。このような流れの中、1955年9月16日、原水爆禁止日本協議会【現在の原水爆禁止日本国民会議(原水禁)】は発足しました。広島・長崎の被爆者の原爆をなくせという声と悲惨な被爆の実態が、この署名運動の過程を通じて国民に伝えられ理解されていきました。ビキニの被災によって巻き起こった『死の灰』への恐怖に、広島・長崎の悲惨な状況を知ることによって強まった反戦感情が結びついて、強力な原水禁運動として爆発した」と書籍「開かれた『パンドラの箱』と核廃絶へのたたかい 原水爆禁止日本国民会議編」に記されています。
記
「3.1ビキニデー集会」オンライン開催
(1)日時:3月1日(月)18:00~19:30
(2)内容:
① 主催者あいさつ
② 地元・原水禁静岡あいさつ
③ 講演「知らなかった、ぼくらの核 詩人といっしょに考える、禁止したいものベスト10!」
講師:アーサービナードさん
④ 地元・原水禁静岡からの報告
⑤ 集会アピール
YouTube「原水禁チャンネル」にてライブ配信いたしました。
◆「原水禁チャンネル」のURL
https://www.youtube.com/channel/UCE9kPbD9CrNxSe9eF54nz3Q
◆3.1ビキニデー集会のライブ配信動画は、機器の不具合で音声がとてもひどく聞き取りにくいため、動画としては公開しないものといたしました。ご了承ください。
◆チラシはこちら(講演のタイトル変更となっています)
2021被災67周年3・1ビキニデー全国集会チラシ第4バージョン
被災67周年3.1ビキニデー全国集会に寄せられたメッセージはこちら
集会では、時間の関係で、読み上げることができません。こちらでご確認ください。
◆静岡県知事メッセージ 被災67周年ビキニデー(PDF)
◆静岡市長メッセージ 被災67周年ビキニデー(PDF)
◆焼津市長メッセージ 被災67周年ビキニデー(PDF)
被災67周年3.1ビキニデー全国集会
配信のトラブルがあり、集会本編で公開することができませんでしたので、こちらで公開いたします。
◆原水禁議長挨拶
◆静岡県報告 高校生平和大使・長崎派遣高校生代表
2020年03月01日
原水禁ビキニデー集会の中止と墓前祭の報告
新型コロナウイルスの感染拡大によって、3月1日に開催される予定であった「被災66年ビキニデー集会」が急遽中止となりました。
しかし、ビキニデー前日の2月29日、ビキニ水爆実験で犠牲となった久保山愛吉さんが眠る焼津市の弘徳院で、小規模ながら墓前祭を行いました。地元の原水禁静岡県民会議や志多平和フォーラムをはじめ、原水禁日本国民会議からも参加し、献花と黙とうなどをおこないました。「NPT再検討会議が開かれる今年、反核・非核の訴えをゆるぎなく続けていく」と、核兵器廃絶に向けた決意を墓前で誓いました。
写真後方の墓が久保山愛吉さんの墓です。
なお、予定されていたビキニデー集会に寄せられましたメッセージを掲載いたします。