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被爆72周年原水禁世界大会・長崎大会基調提案

2017年08月07日

 被爆72周年原水禁世界大会・長崎大会基調提案

被爆72周年原水爆禁止世界大会実行委員会
原水爆禁止日本国民会議
事務局長   藤本泰成
 
 被爆72周年、原水禁世界大会長崎大会、開会総会に多くのみなさまに参加いただきました、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。台風を心配しましたが、長崎では杞憂に終わりました。ただ、今後列島を横断するのではないかと危惧されます。被害が拡大しないことを願っています。
 それでは、若干の時間をいただいまして、大会の基調を提案申し上げます。詳しくは、後ほどお手元のピンクの冊子「基調」に目を通して下さい。
  敗戦と被爆から72年が経過して、2017年7月7日、国連総会において「核兵器禁止条約」が、採択されました。核兵器の製造や使用などを法的に規制する画期的な条約であり、その前文では、被爆者や核実験被害者の「受け入れがたい苦痛と被害」に触れています。多くの被爆者が、高齢にもかかわらず、世界に足を運び、訴えてきた結果として、加えて原水禁運動の結果として、心から歓迎するものです。
 米国オバマ前大統領は、「核なき世界」をめざすとした「プラハ演説」をスタートに、核セキュリティーサミットの開催や被爆地広島訪問、先制不使用宣言の検討など、在任8年間、努力を重ねました。しかし、一方で米国内では、核兵器の近代化のための巨額投資が続きました。オバマ大統領がプラハ演説で、「『核なき世界』という目標は、私の存命中には実現しないかもしれない」と述べています。米国社会に染みついた核兵器への幻想を思い起こします。
 トランプ新大統領も、核の近代化に積極的であり、「核兵器保有が存在するなら、米国はその頂点に立つ」とまで言い切っています。米国のかたくなな姿勢は、核兵器廃絶の大きな障害となっています。
 昨日、広島の平和祈念式典で、安倍首相は「唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を、絶え間なく積み上げていくこと。それが、今を生きる私たちの責任です」と述べましたが、核兵器禁止条約には一言も触れませんでした。それが、日本政府の姿勢なのです。
 日本政府は、「核兵器禁止条約」の検討会議に参加せず、総会では反対を表明しています。安倍首相は、常に平和を口にしますが、しかし、それは政治的ポーズに過ぎません。このような態度は、被爆者の思いを踏みにじるもので、許すことはできません。
  自民党政権は、1957年5月7日の参議院予算委員会で岸信介首相(当時)が「憲法は、核兵器保有を否定していない」と発言したり、また、2016年4月1日には、安倍政権が「必要最小限度の核兵器は合憲」の閣議決定をするなど、核兵器保有を否定しないできました。
 日本政府は、福島原発事故以降も、エネルギー基本計画の中心に、「原発推進」と再処理したプルトニウムを高速増殖炉で利用する「核燃料サイクル計画」を位置づけています。
 高速増殖炉もんじゅは、発電を本格化することなく廃炉に追い込まれました。完工延期が続く青森県六ヶ所村の再処理工場建設計画とともに、計画全体の見直しが迫られています。しかし、日本政府は、フランスの高速炉計画に参画するとして、プルトニウム利用の延命を図っています。
 元米国の国務次官補を経験し、クリントン政権で北朝鮮の核問題を担当したジョージタウン大学のロバート・ガルーチ教授は、「六ヶ所再処理工場は2割程度の稼働率であっても、年間1.5トンものプルトニウムが生産される。有能な科学者であれば、年間300個の原子爆弾を作れるほどの量になる」と指摘し、再処理工場は、米国の傘の下から脱した場合のリスクヘッジであり、いざとなれば核武装できることを担保するものだとの見方を示しています。この懸念は米国の安全保障関係者に共有されているとも指摘しています。
 原子力の平和利用・核燃料サイクル計画が、日本の「核抑止力」そのものであることは重大な問題です。「脱原発」を確定すること、そのことは「核燃料サイクル計画」の存在理由を排除することです。唯一の戦争被爆国と主張するなら、核兵器廃絶を主張するなら、プルトニウムを放棄して、本当に核を持たない国として、核兵器廃絶に向けて核保有国への働きかけを行っていくべきです。
 日本こそが、米国の核の傘を脱して、平和外交による安全保障の道を追求しなくてはなりません。そのためにも、今後予定される、日米原子力協力協定の改定作業においては、再処理の放棄を検討し、最終的に原発に、核エネルギーに依存しない日本を、構想しなくてはなりません。
 福島第一原発は、未だ高線量の中で収束に向けた努力が行われていますが、溶融した燃料の状況さえ確定できずにいます。一方で、事故処理費用は、当初見込みの倍、21.5兆円にも上ることが明らかになっています。それも現段階での試算でしかありません。
 このような中で、除染作業を進めてきた政府は、年間被ばく量20mSvを下回ったとして、多くの地域で帰還を実質的に強要しています。
 被害者・避難者は、時間の経過の中で、様々多様で多岐にわたる問題を抱え、帰還はすすみません。年間被ばく量20mSvは、事故前の基準の20倍であり、山間部や原野は除染できていません。目に見えない放射性物質は、健康への大きな不安となっています。
 福島県は、自主避難者への住宅無償提供を打ち切りました。2万6千人以上と言われる自主避難者は、故郷と避難先の二重の生活によって困窮を極めたり、生業を奪われたり、故郷の住宅の荒廃によって帰還できないなど、様々な困難を抱えています。
  2017年4月4日の記者会見で、今村雅弘復興大臣は「福島原発事故の避難者が復帰を拒否するのは自己責任」「裁判でも何でもやればいいじゃないか」との暴言を吐いています。自らの立場も考えず、福島の事故後の実態も理解せず、避難者の思いを暴言をもって拒否する態度は、責任ある立場の発言とは考えられません。
 この発言の背景には、フクシマを終わりにしよう、無かったものにしよう、そして、「文句言わずに、早く帰還しろ」との、フクシマを切り捨てようとする政府の姿勢があることは確実です。
 2017年3月17日、前橋地裁の原道子裁判長は、福島原発事故で福島県から群馬県に避難した住民など137人が国と東電を相手に損害賠償を求めた訴訟において、「東電は巨大津波実を予見しており、事故は防ぐことができた」として、東電と安全規制を怠った国の賠償責任を認める判決を行いました。
 
  原発事故以降、私たちが主張してきた「ひとり一人に寄り添う政治と社会」を具現化する、新たな国による支援を求めます。私たち原水禁は、そのような福島の実態に則した、ひとり一人の、人間としての復興を求めて運動を続けます。
 「この世界の片隅に」という、戦時下のヒロシマを描いたアニメーション映画が、異例のヒットを記録しました。主人公スズの何気ない日常を描きながら、戦争に翻弄されていく人々の哀感に満ちています。
 片渕須直監督は「当時の『普通の生活』を噛みしめて描いた」と述べています。戦時下であっても、一人ひとりの日常は、片渕監督が「原爆を描いているが、半分はコメディー」と言っているように、笑いあり、涙あり、そしてたまにケンカもあります。日常は、日常として続いていきます。
 しかし、そのような日常にも、戦争はしっかりと根を張っていきます。そして、少しずつ、少しずつ、人々の生活を侵食していくのだと思います。
  突然と、突然と、その日常をやぶる原爆、日々の何気ない幸せをも奪い去る原爆、戦争は、その人の何気ない日常を、奪い取っていきます。
 贅沢をすることもなく、ただただ、日々を精一杯生きて行く、誰を貶めることなく、誰を恨むことなく、しかし、誰からも愛されながら、「この世界の片隅で」しっかりと生きて行く、そのような普通の生活すら、認めようとしないのが戦争なのではないでしょうか。
 名も無きひとりの人間として、多くの名も無い人々の尊厳のために、私たちは、戦争に、原爆に、反対していかなくてはなりません
 原水禁運動は、戦争が寸断する「命の尊厳」を、呼び起こす運動であったはずです。そしてこれからもそうであるべきだとおもいます。
 平和に向けて、今日から3日間、真摯な討論をお願いして、長崎大会での基調提起といたします。
 
以  上
 

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