「なくそう原発3・11高知集会」に1100名が集まる(高知県平和運動センター)
2012年03月11日
※「高知県平和運動センター情報」から
集会当日は、県平和運動センターなど関係者と県職労数名は、午前11時に会場の準備のため丸の内緑地公園に集合し、舞台の組み立てや横断幕を設営、また、県平和運動センターは、日教組高知に机を借りて、会場入口で、「全国1000万人署名」を呼びかけました。高知県でさまざまな集会では、ここ数年参加者は多くても150名~200名までであり、集会規模1000名を目標に取組んだものの実行委員会として不安は拭えません。しかし、集会開会の午後2時、集会参加者が続々と詰め掛けます。
集会では、司会にグリーン市民ネットワーク(市民団体)代表の一人である下京さんと県平和運動センター山崎議長の二名で進めました。
それぞれの立場からの報告と提起
横浜から自主避難の島津佐知子さん
「夫と5歳の息子と3歳の娘と一緒に自主避難をしてきました。時々なんで高知にいるんだろうとか、これが長い夢だったらいいのにな~と思うことがあります」震災翌日に、最低限のものを車に積み込み横浜を離れ約一ヶ月保に駆けずり回りました。さらにはガソリンも不足し一時間も並ばなければいけない状態、メルトダウンなど聞きなれない言葉が飛び交い不安を抱えた母親と子供で新幹線は満席だったそうです。
一旦は横浜に帰宅し、これからどうしたらいいか家族で毎日話し合いをした。保育園はお友達に理由を話さないまま、そっと退園をしました。いったいここは何ミリシーベルトあるのか真実が判らず目に見えない放射能に怯えました。
子供たちは外で遊びたい年頃なのに、外遊びを制限し、マスクをしなければとか、とにかく雨に濡れてはいけないとか、水溜りに近づかないでとか、私も夫もノイローゼ気味でした。子供がたんぽぽを摘もうとする手を止める自分が嫌でした。今まで築いてきたもの、夫の仕事も残していかなければいけない。最終的に引越しを決めた理由は、まだ、原発が収束せず今後まだ悪化の恐れがあるということ横浜では西の食材が手に入らないということ何より子供たちにほんの少しでも被爆させたくないという思いがあったからです。
一番辛かったのは、今まで仲の良かった友達から「自分だけそうやって非難するからパニックが起こるんだよ」と責められたことです。
なんで横浜からと思われると思いますが、自宅付近ではストロンチュームが検出され、秋になってやっと通う保育園が除染されました。他の人にどう思われようと親戚や友人などと疎遠になったとしても子供たちを守りたかったからです。こちらの来て本当に良かったと思うことは、子供たちを外で思いっきり遊ばせることがでたことです。雨の中走り回ったり、豊かな自然の中で海に入ったり川に入ったりして夏を満喫できたことです。それと裏腹に自分の判断は正しかったのか、当時先の見えない状態が不安でした。離れた家族のこともしんぱいでした。そんな時、疎開ママの会に誘っていただき同じ心境のママ達と出合った事で前向きになりました。現在、虹色くじらの会は52名が活動をしています。10月から外部被爆より内部被爆に意識が変わっていきました。
内部被爆は94パーセントが食べ物から体内に取り込まれます。子供たちは新陳代謝が活発なので大人の5倍も被爆するといわれています。国の定める暫定基準値は国際的に見てもあまりにも緩く子供たちにとって安全といえません。汚染された食材は西日本だけでなく全国に流出しています。そこで、毎日食べる学校給食をより安全・安心なものにしてもらうため香美市長に要望書を提出しました。先月29日におこなわれた県議会では坂本茂雄議員が給食問題について問題提起してくれました。それに対し、教育長からは高知県は日本一の地産地消を目指します。24年度は県内で2ヶ所、週に一回放射線量を測定を行うという心強いお言葉をいただきました。この問題はすでに東北関東だけでなく全国に広がっています。
札幌市や福岡市では去年12月から測定し、ホームページでは結果を公開しています。香美市からの返答はまだ頂いていませんが、罪のない子供たちも未来を社会全体で守ってほしいと切に願います。何十年もかかって統計的に受傷されたときには、もう遅いのです。レベル7という世界最大の原発事故が起こり私たちに何が出来るのか、もう二度と同じ涙を流さないためにみなさんと一緒に考えたいと思います。
最後になりますが、私の実家は千葉県我孫子市という場所で、茨城県との県境いです。庭の土壌のセシウムは私の想像を超えたものでした。信じたくないのですが確実にホットスポットです。チェルノブイリにあてはめると計画的管理区域と同じレベルで18歳以下は立ち入り禁止区域になります。飲食も禁止です。それなのに、日本では、まだ400万人もの人が普通に暮らしています。私の友人や家族も大勢います。この先どうなってしまうのでしょうか。これからは短期間でも高知に非難できるようにシェアハウスの体制を整え不安を抱えた家族を受け入れたいと思います。私にできる限りのことをやりたいと思います。ありがとうございました。
伊方原発差止め請求訴訟団
谷脇和仁弁護士からの提起
第一次原告300名の訴訟は、昨年12月8日の提訴の後も、「原告の追加募集を」との声に応えるべく協議第2次提訴は、12月8日に提訴したものと併合され、より大きな訴訟となる見通しのもと、新たに200名を超える原告を確保し、すでに提訴した原告300名と合わせて500名の原告をめざすものです。私達は、募集期間を1月16日から3月21日まで都市、原告の「追加募集」と位置づけて取り組んでいます。第二次原告募集と「止める会」への参加を提起しました。
「脱原発四万十行動」の山本裕子さんの報告
昨年の福島原発事故後、早速5月の第二土曜日に脱原発市民デモをはじめました。何と50人もの人が集まってくれて、四万十市始まって以来のことだと言われ、つい、調子に乗って毎月やることになりました。6月・7月は雨に降られ半分になり、8月・9月は猛暑のため、またその半分になり、10月にはとうとう7人までに減り、とてもくどくを噛締めたデモでした。
ここで凹まないのが高知の西の端に住む私たちの、良~とこです。落ち込んでも立ち直りが早い。11月・12月にはどこからか、また人が集まり、乳母車や車椅子もまた戻ってきてくれ、元気な子供のシュプレヒコールに癒されました。昨年5月から12月まで色んな人達が入れ替わり立ち代り参加してくれましたが、そんなデモの中で東北や関東からの避難母子を四万十市で支援している「なごみネットワーク」とも繋がることができ、以後協力し合ってます。
ことし、1月には映画チェルノブイリハートと講演の集いを「なごみネット」と「四万十行動」で共催し実現できました。350名あまりの観客を集め、遠くは愛媛県からも、また高知市からもきていただき有難うございました。たくさんの方からの協力、おかげで今日のバスも四万十市から出すことができました。有難うございます。そして2月、今年は大変寒くて、しばしの冬眠をきめ込みました。それでも1月の集いの成功で、またまた調子に乗ってしまって冬眠中にサロン日曜日を立ち上げることにしました。
サロン金曜日ではありません。サロン日曜日です。金曜ではありません。・会場から笑い日曜日の午後、お茶とおしゃべりの会です。原発、放射能、に限らず孤立した人達がみんな繋がれるような地道な活動にしたいと思っています。サロン日曜日は開かれた場所です。どなたでも、もし第4日曜日、四万十市を訪れることがあれば一杯のお茶とおしゃべりを楽しみにお立ち寄りください。そしていよいよ今日、私たちは冬眠から目覚めました、こうして高知市で皆さんとのつながりを実感でき勇気百倍です。
先月グリーンピースが伊方の原発から200個の風船を飛ばしました。なんと四万十市には3時間後には確認されているのです。風向き次第では九州や本州でも他人事ではありません。とにかく津波、津波と宣伝されていますが、伊方原発は中央構造腺上にあり地面が動けば、津波を待つまでもありません。先日、新しい燃料棒が3号機に搬入されました。あくまでも再稼動あり気です。しかし、私たちは再稼動を許さず廃炉を求めます。
元東京電力技術者の木村利雄さんの報告
原発の安全性が十分でないことを指摘すると、原子力計画部でやっていた上司が「やあ、その通りだよ、木村、お前は鋭いな~と、だけれども安全審査をやっている裏方の中では津波を想定事故、シビア アクシデントに盛り込むのはタブーなんだ」と。何故ならばタービン建屋地下一階に非常用電源を置いているということ、それさえが、もう原発を作り変える、しかも安全審査を最初からやりなおす、安全指針も書き直す、非常な労力とお金を要することからタブーなんだと。
そこまでは言及しなかったけど、彼のタブーだという言葉の裏には、それがあった僕たちはサラリーマンなので巨大な組織の中で動いている蟻んこと一緒なんで何か言っても経営者は動かない。ということで僕の言ったことは何処へも伝わらなかったのですが、いまとなって見ると、僕が瞬間的に思ったことが正しかったんだなと思うし、所詮東京電力世界の科学技術の推移を集めた発電所ってもんはそんなもんなんだと、僕はそのとき非常にガッカリしました。
僕自身は電気エネルギーという社会の根幹のエネルギーを作っているという一員としての誇りもありましたし、そのために原発を安全に動かすために鋭意努力してきた人間として、まあもう大したことないなって思いましたね。それともう一つ僕はずっと燃料に携わってきたもんで、日々刻々とできる高レベル廃棄物の処分方法が、会社入って17年たっても、いまも、まったく決まってない。この葛藤を担ぐのに嫌気がさして辞めました。
だけども誰かを責めることばっかりでもしょうがないんで、じゃあ僕たち今から何をやろうかと思ったとき、自然エネルギーをどんどん活用していこうと、でも、巨大な風車を作るのは僕はちょっと考え物だな、人に優しい環境にやさしい地域に合ったものをみんなで見つけていく。
もう一つ、電気ポットを一世帯が使っていて700Wだと何キロワットになるか計算したら700万キロワット。一時間使ったとして、そうすると110万キロワットの原発が6基いらなくなってしまいます。すごいことじゃないですか。自家発電しなくても明日から一日に使う電気の三分の一を減らす、脱原発、三分の一の脱電力、それが明日から僕たちができること、それを伝えに土佐清水から今日ここに来ました。みんなができることは色々あると思うけれども、一つ一つそれを整理しながら知性を高め子供たちを守るという命題の元しっかりと二本の足で立ってこれからも歩いていきたいなと思いますので、みなさん頑張りましょう。有難うございます
4名の報告と提起が終ったが、タイムキーパー(城下さん)の敏腕で震災が起きた午後2時46分黙祷に時間を余したため、高知県平和委員会の和田さんがパレードの指揮説明をおこない、閉会とまとめのあいさつを高知県平和運動センターの山崎秀一議長がおこないました。山崎議長は「原発の三つの神話は崩壊した、その一つは安全神話、二つ目は、電力が不足する。三つ目は、原発の電気は安いことを取り上げ、伊方原発の再稼動を許さず、廃炉に向けがんばろう」と締めくくり、山崎議長の黙祷の合図で、2時46分参加者一同で被災地でお亡くなりになった方達に一分間の黙祷を捧げて、パレードに出発した。
パレードの先頭には鳴物や替え歌、さまざまな衣装やプラカード、シュプレヒコールなど、にぎやかな隊列と静かに整然とパレードなどさまざまです。
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