2018年8月アーカイブ

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  7月28日に福島から始まった「被爆73周年原水爆禁止世界大会」は、8月9日の長崎大会で閉会しました。
 長崎県立総合体育館で開かれた閉会総会には全国から1800人が参加、長崎大会実行委員会の松田圭治委員長(長崎原水禁会長・下顔写真左)は「73年前の今日、長崎市上空で原爆が投下され、多くの人が犠牲になった。それにも関わらず、安倍政権は各地の原発を再稼働させるとともに、沖縄・辺野古への新基地建設、南西諸島への自衛隊配備、佐世保への水陸機動団配備、佐賀空港へのオスプレイ配備など、九州各地で日米軍事一体化を進めている。核も戦争もない平和な社会をめざし奮起しよう」と呼びかけました。

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 原水禁・非核平和行進のタスキが長崎から沖縄に返還された後、沖縄からのアピールを沖縄平和運動センターの岸本喬事務局次長が行い「昨日、翁長雄志沖縄県知事が急逝された。しかし、すでに7月27日に、辺野古新基地建設の埋め立て承認の撤回を表明している。まさにこの間、翁長知事は国と闘い続け、安倍政権に殺されたと言っても過言ではない。知事の遺志を引き継ぎ、辺野古工事を止める」と決意を表明した。
 また、原発再稼働反対のアピールを佐賀県原水禁の宮島正明事務局長(上顔写真中)が行い「玄海原発は、周辺自治体の多くが反対する中、2つが再稼働を強行された。九州電力の社長は自らの利益のために原発の必要性を強弁している。こうした傲慢な姿勢を許さず、すべての原発を廃炉にするまで闘おう」と訴えました。

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 高校生のアピールは、第21代高校生平和大使に選ばれた全国の代表20人全員と、核兵器の廃絶と平和な社会をめざす「高校生1万人署名活動」実行委員会から約150人が登壇。若い世代が被爆の実相を継承していく決意を力強く語りました(上写真)。
 長崎大会への海外ゲストが紹介され、代表して、米国最大の平和団体ピースアクションのハッサン・エル・ティヤブさん(上顔写真右)が「米国によって長崎に原爆が投下されたことをお詫びしたい。しかし、アメリカではいまだに原爆使用が正当化されている。これをただし、アメリカでも核兵器廃絶の運動を広げていく」と述べ、自作の歌をギター演奏とともに披露した。
 大会のまとめを、藤本泰成・大会事務局長(原水禁事務局長)が行い、最後に「世界の人々と連帯し、『核と人類は共存できない』『核絶対否定』の運動をさらに発展させよう」と大会宣言を全員で確認して、閉会総会を終えました。
 大会のまとめはこちら
 大会宣言はこちら

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 その後、参加者は爆心地公園まで非核平和行進を行い、核兵器禁止、ヒバクシャの擁護と権利拡大、脱原発と再生可能エネルギーを訴えました(上写真)。
 爆心地公園では、原爆中心碑に、川野浩一・大会実行委員長や海外ゲストが献花を行い、原爆投下時間の11時2分に全員で黙とうを行い、今年の大会の全日程を終了しました(下写真は黙とう)。
 

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被爆73周年原水爆禁止世界大会・大会宣言

   1945年8月6日広島に、9日長崎に、米軍機によって投下された2発の原爆は、一瞬にして二つの都市を壊滅させ、その年の暮れまでに21万4千人余の命を奪いました。原爆投下後の地獄を生き抜いた人々も、原爆後障害や差別と偏見、経済的貧困など、筆舌に尽くしがたい苦難の道を歩んできました。
 また、2011年3月11日に発生した東日本大震災は、多くの人々の命を奪いました。さらに東京電力福島第一原発の事故により、大地は放射性物質で汚染され、多くの原発被災者を生み出しました。事故から7年以上経った今でも、被災者は放射能による健康不安に怯え、5万人近くの人々は、苦しい避難生活を余儀なくされています。様々な形で人権が侵害されています。
 ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマ。核の軍事利用と商業利用によって引き起こされた、二つの「核」の惨禍の被害と脅威は、チェルノブイリやスリーマイル島、そしてオーストラリア、ビキニ環礁なども含め、様々な場所で明確に存在しています。原水禁は、ヒロシマ・ナガサキの被爆者救済・支援の運動を展開し、国の責任を追及してきました。そのことの成果を共有し、チェルノブイリなど世界の人々の闘いとも連帯し、一刻も早い核時代からの脱却をめざします。
 1万5千発とも言われる核兵器は、いつでも発射できる状態にあり、偶発的な核戦争や核爆発も懸念されています。戦争被爆国であるにもかかわらず、安倍政権は、核兵器廃絶に後ろ向きで、「核兵器禁止条約」に反対し、米・トランプ政権の核戦力の強化をめざす新たな核政策を、積極的に支持しています。私たちは、日本政府に対して、被爆者の思いに寄り添い、早期に核兵器禁止条約を批准することを求めます。      
 これまで緊張関係が続いていた東北アジアでは、朝鮮半島をめぐって南北首脳会談・米朝首脳会談が行われ、対話と協調を基本に、平和と非核化に向けた一歩を踏み出しました。私たちが求めて来た「東北アジアの非核兵器地帯」の実現に向けてのとりくみを開始し、そして非核三原則の法制化と「潜在的核保有」と批判されるプルトニウム利用政策の放棄を実現します。
 一方、安倍政権は、国会における多数を背景に強引な政治を行っています。安倍政権の横暴は、集団的自衛権の行使を容認した安保関連法の制定や共謀罪の新設、沖縄の辺野古への新基地建設の強行などの様々な分野にわたり、平和や民主主義を破壊し、力の外交を基本に東北アジアの緊張を高めています。
 安倍政権は、歴史修正主義をもって、戦後日本社会が選択した平和主義を破壊し、戦争をする国に変えようと憲法改「正」にまで踏み込もうとしています。このような動きを、私たちは決して許しません。
 弱者を切り捨て、いのちや平和、人権を蔑ろにする安倍政権は、脱原発の世論が高まっているにもかかわらず、福島第一原発の事故の責任も取らず反省もなく、その被害も過小に評価し、被害者への支援も切り捨て、一方で次々と原発の再稼働をすすめています。脱原発社会を求める闘いを強化し、国の責任を明確にして福島事故被害者への補償と支援を勝ち取ります。
 私たちは、今大会を通じ、「核」と向き合い、その廃絶にむけた確信と展望を確認しました。核兵器廃絶を求め、核被害への補償と支援を求め、平和を求める世界の人々と連帯し、「核と人類は共存できない」「核絶対否定」の原水禁運動をさらに発展させていきます。「核も戦争もない平和な社会」をつくるため、地域や職場において、それぞれの立場から運動を進めていきましょう。

ノーモア ヒロシマ ノーモア ナガサキ ノーモア フクシマ 

                                                                       ノーモア ヒバクシャ ノーモア ウォー
                          
2018年8月9日
                                                                       被爆73周年原水爆禁止世界大会

  被爆73周年原水禁世界大会・長崎大会 まとめ

原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本泰成
 
 7月28日、福島大会で始まった原水禁世界大会は、広島大会に続いて本日の長崎大会閉会総会と非核平和行進で幕を閉じます。記録的な猛暑の中で、開会総会から、分科会、閉会総会と、足を運んで様々議論いただいたことに、心から感謝を申し上げます。
 また、大会を通じて開催にご尽力いただきました大会実行委員会の皆さま、そして中央団体、各県運動組織の皆さまに、心から感謝を申し上げます。若干の時間を頂戴して、集会のまとめをさせていただきます。
 
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 東京電力が、福島第二原発の廃炉を決定しました。しかし、本集会での様々な報告を聞いていると、事故を起こした福島第一原発サイト内においても、そしてサイトの外の世界においても、事故そのものと、事故の被害を含めた社会的影響は、全く終わっていないことが分かります。開会総会での福島県平和フォーラム事務局長湯野川守さんの報告や福島告訴団団長の武藤類子さんの報告から、福島第一原発の「事故の収束」と言うにはほど遠い実態が分かります。あふれ出る放射能汚染水、行方が分からない溶融燃料、拡散し続ける放射性物質、原子力資料情報室の澤井正子さんが言うように「原子力緊急事態発令中」という状態が、2011年3月11日以来続いているのです。

 2200万個とも言う、黒いグロテスクなフレコンバックの山と暮らす毎日、公園、校庭、家の庭、仮置き場には、放射性物質を含んだゴミが埋められています。中間貯蔵施設には、その数%しか運ばれていないと言います。支援の打ち切りと帰還の強制は、一体となって行われています。自主避難だと言われ、住宅の無償提供も打ち切られた区域外の避難者の生活は困窮しています。全体で15%少しと言われる帰還した人々も、孤立化しているのが現状です。
 福島では、設置されてきた3000台の放射能を測定するモニタリングポストも、2400台が撤去されると言います。目に見えない放射能、モニタリングポストは、風評被害を広げるのでしょうか、復興の妨げなのでしょうか。12市町村から継続配置を求められています。新聞社のアンケートでも、約半数が設置継続に賛成、反対は4分の1に過ぎません。
被害者の側にたった施策の充実を、補償と支援を勝ち取らなくてはなりません(上写真は第4分科会「脱原子力2ーフクシマの現状と課題」)

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 チェルノブイリ原発事故被害者のジャンナ・フィロメンコさんの報告から、核被害の共通点が浮かんできます。事故を知らされずに暮らしていた。一時避難のつもりで身の回りの者だけもって家を出たが、永遠に帰れなくなった。移住した子どもたちが「チェルノブイリのハリネズミ」などと呼ばれ差別に苦しむ。子どもたちが、がんや心臓疾患などの健康被害に苦しめられる。
 フクシマと同じ被害の実態が明らかになっています。原水禁は、世界中の核被害者と連帯してきました。米国やオーストラリアで、少数民族の居住地で、乱暴なウラン採掘が行われ、放射性物質による被害が広がっている実態があります。日本の原発も、経済発展から取り残される地域に「飴と鞭」の政策で押しつけられるきました。チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西の振津かつみさんの報告にある、核利用が社会的抑圧、差別、搾取の構造の上に立つという指摘と、核の開発と利用は、核の被害なしにあり得ないと言う指摘、私たちはもう一度しっかりと胸に刻まなくてはなりません。世界の被爆者と連帯し、その運動を学び合い、様々な視点からとりくみをつくり出そうではありませんか。
 原水禁運動の原点は、被爆の実相です。そのことを起点に、国家補償に基づいて「被爆者援護法」を求めて来たヒロシマ・ナガサキの被爆者の、長きにわたるとりくみを、現在のフクシマに活かさなくてはなりません。チェルノブイリのとりくみと被害者救済のためのチェルノブイリ法に学び、私たちの運動をつくりあげていいきましょう。(上写真は第5分科会「ヒバクシャ1-核被害とヒバクシャ問題を考える」)

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 第5次のエネルギー基本計画が出ました。全くでたらめの計画です。「電力自由化で競争が増していく中で、コストが膨張する原子力発電は、民間ビジネスとしては無理だろう」原子力資料情報室の西尾爆さんの報告で、廃炉の時代を迎えた現状と政策転換の重要性が示されました。2030年代に原発の電力が22~24%は、あり得ない数字なのです。長崎大会の運営委員会の席上で、「自然エネルギーへの転換のために消費者の選択が大切」との意見をいただきました。自然エネルギー発電の割合の多寡を見極め、新電力・地域電力の選択を私たちの側から求めていくことが、「脱原発社会」の実現に重要です。ドイツからのゲスト、緑の党のべーベル・ヘーンさんの、脱原発を選択したドイツからの報告はきわめて重要です。ドイツは段階的に原発を廃止し、2022年12月には全てが閉鎖される予定だということです。ドイツの自然エネルギー比率は、2017年現在で38.5%にまで延びています。脱原発の選択が、自然エネルギーの進捗を後押ししていることが分かります。「フクシマがドイツを変えた」と述べられました。私たちは、ドイツのとりくみに学びながらも「ドイツが日本を変えた」と言われるのは恥ではないでしょうか。私たちは、自らの手でエネルギー転換を図らなくてはなりません。(上写真は第3分科会「脱原子力1ー原子力政策の転換に向けた課題と展望」)
 
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 核兵器禁止条約そしてトランプ政権の「核態勢の見直し」への日本政府の姿勢も、大会全体を通じて議論されました。被爆者の思いを踏みにじり、核兵器廃絶へ後ろ向きの姿勢が明らかになっています。米国の核抑止力に頼りながら、自らもプルトニウムを保有し「潜在的核兵器保有国」であろうとする日本は、戦争被爆国としての核兵器廃絶へのリーダーシップを取ることができません。核兵器禁止条約への批准を政府に求めていく運動が大切です。
 憂慮する科学者同盟のグレゴリー・カラキーさんは、米国の資料から、核戦力の充実と拡大抑止、日本への核兵器の再配備さえ求める姿勢を明らかにしました。日本政府は、朝鮮半島の非核化をめぐる南北首脳会談、米朝首脳会談にたいして、全くコミットすることができずにいます。今こそ、私たちが求めて来た「東北アジア非核地帯構想」を実現しなくてはなりません。朝鮮戦争の終結、国交正常化を経て、「東北アジア非核地帯条約」締結への道を歩もうではありませんか。日本政府に、朝鮮民主主義人民共和国との早期の国交正常化を求めていきます。(上写真は第1分科会「平和と核軍縮1ー核も戦争もない世界を!憲法・沖縄・安保政策から考える」)
 
 今年、2月6日、98歳で俳人の金子兜太さんが亡くなりました。金子さんは、2015年から東京新聞の「平和の俳句」の選者を務めました。2015年1月1日、最初の句は、
  「平和とは 一日の飯 初日の出」
 愛知県の18歳、浅井さんの句で、金子さんの評は、「浅井君は、毎日ご飯に感謝し、その毎日の平和を守る覚悟だ」と言うものでした。
 金子兜太さんは、海軍主計中尉とおしてトラック島に赴任し、餓死者が相次ぐ中、捕虜生活も経験しながら奇跡的に生還しました。その金子さんが1961年に長崎で詠んだ句があります。
  「彎曲し 火傷し 爆心地のマラソン」
 金子さんは、爆心地への坂道を上るランナーを見て、「人間の身体がぐにゃりと曲がり、焼けて崩れていく映像」が、自身の目に浮かんだと述べています。原爆の悲劇を、14の文字の中に、はっきりと映し出しています。
 2015年、戦争法反対の運動の盛り上がりの中で、金子兜太さんは「アベ政治を許さない」とのメッセージを揮毫しました。「集団的自衛権の名の下で、日本が戦争に巻き込まれる危険性が高まっています。海外派兵されれば、自衛隊に戦死者が出るでしょう。政治家はもちろん、自衛隊の幹部たちはどのように考えているのでしょうか。かつての敗軍の指揮官の一人として、それを問いたい」と述べています。「アベ政治を許さない」の中に、戦前と戦後を生き抜いた金子兜太さんの、確固たる信念が見えます。決して、私たちは戦争という愚行を繰り返してはなりません。どのような理由があろうとも繰り返してはなりません。それは、8月6日の広島が、8月9日の長崎が、私たちに教えています。
 被爆73周年原水禁世界大会の終わりにあたって、みなさんとともに確認したいと思います。

 

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 8月7日、長崎市ブリックホールで「被爆73周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の開会総会が開かれました。長崎県内や九州各県をはじめ、全国から1700人が参加しました。
 オープニングは、毎年、8月9日の長崎市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で合唱を行う純心女子高校音楽部の皆さんが、式典でも歌う「千羽鶴」などの歌声を聞かせてくれました。
 原爆をはじめ多くの核被害の犠牲者への黙とうに続いて、主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(顔写真左)は、73年前の原爆被害の悲惨な実情を語り、「昨年、国連で採択された核兵器禁止条約に日本は反対した。私は昨年、安倍晋三総理に会った時に『あなたはどこの総理か』と問いただした。しかし、その後も世界の緊張緩和に後ろ向きの一方で、原発は推進している」と厳しく指摘。「こんな政治は信用できない。いまこそ反撃のチャンスだ。自信と確信を持って行動しよう」と訴えました。
 アメリカ、中国、韓国など多くの海外ゲストを代表し、ドイツ・緑の党のべーベル・ヘーンさん(前ドイツ連邦議会議員・顔写真中)が「広島・長崎への原爆投下で核は人類の脅威になった。そして原発も核と同じ破壊をもたらすものだ。福島原発事故を教訓に、ドイツは2022年に原発を全廃する。日本も原発に代わり再生可能エネルギーを拡大するべきだ」と呼びかけました。
 これに応えて、福島原発事故の実態について、福島県平和フォーラムの湯野川守事務局長(顔写真右)は「汚染土壌の処理などにめどが立たない中、放射線測定のモニタリングポストの撤去、県民健康調査の縮小、住民の帰還の強制などが進んでいる。しかし、今年6月に福島第2原発の廃炉方針が出されるなど、運動の成果も現れている。事故を風化させずに運動を続ける」と決意を述べました。
 また、大会の基調を藤本泰成・大会事務局長が行いました。基調提起はこちら

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 開会総会の後半は長崎からのメッセージとして、まず、田上富久・長崎市長(顔写真右)が「被爆から73年が経っても世界には何万発の核兵器がある。私たちの運動の原点は、核兵器の無い世界をめざすことであり、そのために、73年前に何がおきたのかを伝え続けることだ」と呼びかけました。
 続いて、被爆当時の行政区の違いで被爆者と認定されなかった「被爆体験者」の認定を求める訴訟の原告団から、第二全国被爆体験者協議会会長・第二次原告団長の岩永千代子さん(上写真左)、多長被爆体験者協議会会長・第二陣原告団長の山内武さん(上写真中)、第二陣原告の矢野ユミ子さん(上写真右)が、政府や長崎市が認定を認めようとしないことを厳しく批判。昨年12月に第一次訴訟は最高裁で敗訴になりましたが、今年の12月の新たな判決に向けての決意が語られました。
 特に、矢野さんは被爆当時の状況を語り、「原爆による放射線の恐ろしさを知らされずに、黒い灰を被った梅干しを食べ続けていた。兄弟は死に、自分の生まれた子どもも5ヶ月で亡くなった。自分も甲状腺がんに罹った。こんな苦しい悲しい思いをする者を救済してほしい」と訴えました。

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 続いて、長崎の高校生を中心に全国の代表者による高校生平和大使の活動が紹介されました。昨年の第20代の平和大使からは、スイスや韓国、ノルウェーでの活動が報告され、特に今年のノーベル平和賞の候補に推薦されたことにひときわ大きな拍手が送られました。
 また、今年の第21代に選ばれた20人の代表からは、8月下旬にジュネーブの国連欧州本部を訪れて訴えるなど、それぞれの活動への決意が表明されました。さらに、核兵器の廃絶と平和な世界の実現をめざす「高校生1万人署名活動」実行委員会も含めて、総勢100人を超える若者が壇上を埋めました(上写真)。
 開会総会は最後に「原爆を許すまじ」を合唱して閉会。大会は8日に分科会やひろば、フィールドワークなどで論議や学習を深め、9日の閉会総会でまとめを行うことになっています。
 

原水爆禁止世界大会・長崎大会 基調提案

 原水爆禁止世界大会・長崎大会 基調提案

原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本泰成
 
 さる7月4日、名古屋高裁金沢支部、内藤正之裁判長は、2014年5月に、福井地裁樋口英明裁判長の「大飯原発の運転差し止めを命じた判決」を取り消し、「大飯原発の危険性は社会通念上無視できる程度にまで管理・統制されている」として、住民側逆転敗訴の判決を言い渡しました。
 朝日新聞のインタビューに応じた、大飯原発の運転差し止めを命じた元福井地裁裁判長樋口英明さんは、「今回の判決の内容を見ると『新規制基準に従っているから心配ない』というもので、全く中身がない。不安は募るばかり」とし、日本の原発の現状を「小さな船で太平洋にこぎ出しているようなもの、運が良ければ助かるかもしれない。一国を賭け事の対象にするようなことは許されるはずもない」と答えています。
 「基準値振動などと言う将来の地震規模の予測は仮説に過ぎない。それを原発の耐震性の決定に用いることは許されない」そして「地震の問題は、高校時代に習った知識でも十分理解できる。必要なのは良識と理性」と言いきっています。
 控訴審判決が用いた「社会通念」という言葉は、「社会一般で受け容れられている常識または見解。良識。」と辞書にあります。良識を持ってして、なぜ原発の危険性が理解できないのか、不思議でなりません。市民社会の大半が「原発は危険」「原発はない方がが良い」と考えている現状にあって、福島原発事故前の「安全神話」を再びまき散らかそうとする控訴審判決は、きわめて犯罪的と言えます。
 今年6月14日には、福島第二原発4基の廃炉に向けた検討に入ることを、東京電力が表明しています。福島第二原発の廃炉決定で、既に廃炉が決定している福島第一原発と合わせ、福島県民が熱望してきた「原発のない福島」が実現したこととなります。さようなら原発1000万人アクションを組織して「脱原発社会」を求めて来た、私たちは、「全基廃炉」の決断を、歓迎したいと思います。
 しかし、福島の現状は楽観できるものではありません。溶融した核燃料の取り出しには技術確立のめどもたたず、放射性物質トリチウムを含む汚染水は貯まり続けタンクは設置する場所も少なくなってきています。事故収束への費用の見積もりは現時点で約22兆円、今後の増大も予想されます。事故は、きわめて危険な状態で継続しているのです。
 避難指示が解除されても、雇用や教育、病院や様々なインフラの不足、年間被ばく量20mSvと言う高線量、それ以上に除染されていない野山、様々な要因から帰還した住民は全体の15%程度となっています。子どもの健康調査では、199人が甲状腺がんまたはがんの疑いとされ、163人が手術を受けています。健康不安も大きくなっています。
 帰還を強要するかのように、補償の打ち切りが図られました。日常生活の全てを奪われた住民は、十分な補償と支援を求めて全国で裁判に訴えています。その背景には、「裁判外紛争解決手続」に応じない東電の姿勢と帰還を強要し事故の社会的収束を図ろうとする国の姿勢があります。
 昨年7月7日、国連加盟国193カ国中122カ国の賛成をもって、核兵器禁止条約が採択されました。広島、長崎の被爆者の、自らにむち打ち、訴え続けてきたことが、「核兵器のいかなる使用も人道の諸原則および公共の良心に反する」とした、核兵器禁止条約の採択に結実したものと考えます。
 条約には7月末までに14カ国が批准していますが、しかし、日本政府は、条約に反対しています。安倍首相は、8月6日、広島において「条約に反対する核保有国と非核保有国の橋渡し役を果たす」と述べていますが、しかし、具体的策には全く触れませんでした。日本政府の態度は、被爆者の思いを踏みにじるものです。
 6月12日、米国と朝鮮民主義人民共和国との、歴史的首脳会談が開催されました。朝鮮半島の非核化への両国の責務が確認され、新たな歴史が動き出しました。原水禁運動が主張してきた「東北アジア非核地帯」が現実的なものとして考えられる状況です。朝鮮半島の非核化への道のりは容易ではないと思いますが、粘り強く平和への話し合いを積み上げることが重要です。
 米国の朝鮮政策に迎合し、「制裁の強化」のみ主張してきた日本政府は、朝鮮半島の大きな動きに対応することができていません。あれだけ宣伝してきた朝鮮のミサイルの脅威と防災訓練は取りやめ、全く口をつぐむ状況となっています。
 また、トランプ政権の、核兵器の新たな開発と更新、使用条件を緩和しようとする「核態勢の見直し」に大きな賛辞を贈り、核兵器廃絶に全く反する行動を取っています。高速増殖炉実験炉もんじゅの廃炉で、破綻した核燃料サイクル計画に拘泥し、プルトニウム保有を継続することで「潜在的核兵器保有」の政策を継続しようとしています。
 本土返還にあたって、非核三原則に反する核持ち込み容認の密約もあった沖縄県では、辺野古新吉建設をめぐってきわめて緊迫した場面に至っています。今日の報道では、8月17日に予定される埋立のための土砂搬入をもくろみ、埋立承認撤回の聴聞を引き延ばそうとしている沖縄防衛局に対して、県側が拒否の回答をしたとされています。第2次大戦後、沖縄の米軍基地が、沖縄県民の命をまもったことがあったでしょうか。沖縄県民の「本土並み返還」という思いは、「基地なき沖縄」の思いは、踏みにじられてきました。米兵による凶悪犯罪、戦闘機などの墜落事故、沖縄県民の命は、米軍基地によって常に危険にさらされてきました。
 戦争によって、原爆によって、原発によって、そして基地の存在によって、私たちの命は踏みにじられてきたのです。
 皆さんご存じでしょうか。沖縄の慰霊の日に読まれた、浦添市港川中学校3年生の相良倫子さんの詩を、少し紹介させていただきます。
 私は生きている。/マントルの熱を伝える大地を踏みしめ/心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け/草の匂いを鼻孔に感じ/遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて/私は今、生きている。
 戦争を知らない14歳の「私は今、生きている」と言う言葉と、8月6日の広島にさまよった故森滝市郎原水禁議長の「人類は生きねばなりません」と言う言葉。
  戦後73年を経てつながる言葉。私はこの繋がりに、「核も戦争もない21世紀」の実現を想像しています。
 幼子の泣き声/燃え尽くされた民家、火薬の匂い/着弾に揺れる大地、血に染まった海/魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々/阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶/みんな、生きていたのだ/私と何も変わらない/懸命に生きる命だったのだ/
 戦争を知らない14歳の、たくましい想像力に、心から敬意を表わすとともに、私たちの世代の責任に、心痛めなくてはなりません。
 この長崎大会の3日間を、皆さんどうか「生きている」自分を感じながら、「いのち」から多くのことを想像し、考えていきましょう。
 3日間、皆さまには真摯な議論をお願いして、基調の提案とさせていただきます。
 

  被爆73周年原水禁世界大会・広島大会のまとめ

 
原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本泰成
 
 暑い暑い広島大会に、最後まで参加いただきありがとうございました。3日間の日程を終えようとしています。本当に様々な議論がありました。少しお時間をいただき、私なりのまとめをさせていただきます。
 2018年になって、私たち原水禁運動をめぐる情勢は、大きく動いています。それは、朝鮮半島と福島において顕著であると言わざる得ません。被爆73周年原水禁世界大会は、その事を根幹にすえて、様々な議論が続けられたと思います。
  朝鮮半島の非核化に向けた米朝首脳会談の開催、そして東電による福島第二原発の廃炉決定、2つの事実は、私たちが求めて来た「東北アジア非核地帯」と「脱原発社会」へ向けた、大きな一歩であることは間違いありません。しかし、現状がきわめて混迷していることも事実です。分科会の議論がその混迷を様々捉えていました。そして、そのことは、私たちが考える以上に深刻であると言えます。
 
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 第5分科会(写真上)では、全ての原発の廃炉が決定した福島の現状と課題が議論されました。「終わりの見えない福島第一原発」と題した、原子力資料情報室の澤井正子さん(上顔写真左)の報告は、衝撃です。すでにメディアが取り上げることも少なくなったF1の現状は、まさに「原子力緊急事態発令中」と言えます。溶融した燃料デブリの回収は30年から40年かかる、1台数億円とも言われる調査ロボットは、高放射線量の中で、迷子になり、動かなくなり、捨てられる。澤井さんは「調査さえうまくいかないのに」と現状へ懸念の声あげています。凍土壁設置で騒がれた汚染水対策も十分ではなく、1日100トンとも150トンとも言われる地下水が流入し、増え続けるトリチウム汚染水のタンクは、もうすぐサイト内では設置できないような状況になります。海洋放出という話しもささやかれていますが、澤井さんの、「トリチウムは、体内の細胞の中に長く止まり、長期被爆の怖れもある」との指摘を聞くと、現状の深刻さに震える思いがします。
 福島から参加した、福島原発告訴団団長の武藤類子さん(上顔写真右)は、除染で出た放射性廃棄物のフレコンバック2200万個と、共に暮らす福島の現状を報告されました。問題が山積し余りに多岐にわたるために、適切な対処ができず、「連鎖的に人権が侵害されていくように感じる」と表現されています。告訴団は、東電幹部の刑事責任を追及する裁判も行っています。責任の所在が全く明らかにされてこなかった原発事故。事故の原因と責任を明らかにすることが、フクシマを繰り返さない事への、「脱原発社会」への一歩につながると思います。
 
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 第6分科会では、チェルノブイリの被害者であるジャンナ・フィロメンコさん(上顔写真左)をお呼びして、核被害の世界連帯での議論が行われました。医師でチェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西の振津かつみさん(上顔写真右)の報告にある、核利用が社会的抑圧、差別、搾取の構造の上に立つという指摘と、核の開発と利用は、核の被害なしにあり得ないと言う指摘、私たちはもう一度しっかりと胸に刻まなくてはなりません。そうした上で、子どもたちの甲状腺がんに象徴される健康被害に対して、国家賠償に基づいて「被爆者援護法」を求めて来たヒロシマ・ナガサキの原水禁運動の成果を、現在のフクシマに活かし、チェルノブイリと連帯し、そしてチェルノブイリ法に学び、私たちの運動をつくりあげていかなくてはならないと思います。
 
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 第1分科会(上写真)では、辺野古新基地建設の土砂搬入を目前にする沖縄をテーマに議論が展開されました。憂慮する科学者同盟のグレゴリー・カラキーさんは、開会総会の挨拶で「米国の核兵器をアジアに、さらには日本国内に持ち込ませたいと密かに言っている人がいる」と述べ、加えて核抑止力に言及し「核の傘は、放射性降下物、有毒な放射線、核の冬の大飢饉から私たちを守ることはできない」と述べました。第一分科会では、グレゴリーさんから、「日本政府は、新しい小型の核兵器を作るというトランプ政権の決定に拍手を送りました。日本の外務省の一部の高官は、米国の新しい核兵器を沖縄の米軍基地に配備することを歓迎すると発言しまた」との事実が指摘されています。沖縄返還時点での密約問題は、現在においても日本政府の重要な課題であることが分かります。非核三原則を遵守することが強く求められます。
 朝鮮半島を、東北アジアを目の前に、米国の東アジア戦略の要としての沖縄では、米軍基地の存在が、様々な問題を引き起こしています。沖縄平和運動センターの岸本さんから、第1分科会で、そしてこの閉会集会で、辺野古新吉建設の現状に関しての報告がありました。翁長雄志沖縄県知事は、公有水面の埋立承認の撤回に向けて動き出しました。辺野古建設撤回に向けて、県知事選挙へ向けて、翁長知事の強い思いを感じます。沖縄防衛局は、聴聞日の延期を申し出て、埋立の既成事実をつくろうとしています。8月17日にも予定される、土砂搬入を決して許してはなりません。
 
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 国際シンポジウム(上写真)では、東北アジア非核地帯構想を中心に、朝鮮半島の非核化に関して日米の視点から議論されました。ピースアクションのハッサン・エル・ティヤブさん(上顔写真左)から、朝鮮半島の非核化を要求する米国トランプ政権の、新たな「核態勢の見直し」の中での核戦力の強化の実態が報告され、しかし、社会インフラの劣化の中で、核の近代化への1.7兆ドルもの財政支出に、大きな批判が上がっていることが紹介されました。
 「核態勢の見直し」は、核兵器廃絶と朝鮮半島の非核化の要求に矛盾するものとして見過ごすことができません。しかし、一方で米国の拡大抑止の強化を要求する日本政府の姿勢が、例えばオバマ政権の核廃絶への歩みを進めようとする姿勢に大きな障害になっていることが、グレゴリー・カラキーさん(上顔写真中)から指摘されています。核抑止に依存する日本政府の姿勢を、正していくことが重要な課題です。
 ピース・デポの湯浅一郎さん(上顔写真右)からは、朝鮮半島情勢を踏まえ「東北アジア非核地帯条約」へのとりくみを開始すべきとの提案がありました。同席した広島原水禁代表委員の元広島市長、平和市長会議のリーダーだった秋葉忠利さんから、世界の非核地帯条約は、例えばアフリカでは半世紀をかけて成立した。時間がかかることを踏まえたとりくみが大切であり、それを後押しするのは市民社会の粘り強いそしてしっかりとした意思であるとの指摘がありました。様々なアプローチから、時間をかけたとりくみが必要であると思います。
 ある方からのメールで、2015年に刊行された「被爆者はなぜ待てないか」という本に出会いました。著者は、関東学院大学で教える奥田博子さん。福島原発事故後に書かれた本書では、「戦争被爆国日本において、なぜ再びヒバクシャ出たのか」という問いに対して、ビキニ核実験での被爆の後に、東西冷戦の中にあった日本は、「米国の核の傘に依存した平和」と「米国の原子力産業に依存した繁栄を享受する道」を進んできた。「原爆」が「平和」に書き換えられ、潜在的核抑止力を担保するために、「原子力の平和利用」が高々と掲げられ、市民社会が取り込まれてきたと述べて、福島第一原発の事故が、戦後の日本社会が原爆体験や被爆の記憶にきちんと向き合ってこなかった事にこそ、その要因があるのではないかと指摘しています。
 全ての国の全ての核に、そして平和利用にも「核と人類は共存できない」として反対してきた私たち原水禁運動は、核兵器と核の平和利用・原発を、ヒバクシャの視点からもう一度結び直して、運動の展開を図る必要があります。
 マーチン・ルーサー・キング牧師の「黒人はなぜ待てないのか」から引用されたであろう本書の「被爆者はなぜ待てないのか」とのテーマは、被爆73周年を迎えた今日、私たちの運動に重くのしかかってくる言葉ではないでしょうか。ヒバクシャの思いを、実現しなくてはなりません。
   
 福島原発事故以降、21基の原発が廃炉になりました。再稼働も9基にとどまっています。原発の新規増設・リプレースも困難です。「脱原発社会」を求める声は、国中に充満しています。
 朝鮮半島では、非核化への動きが進み出しました。核兵器禁止条約も採択されています。今こそ、ヒバクシャの思いを実現する、格好の条件が生まれつつあります。
 三日間の様々な声を、それぞれの生活の場に持ち帰り、新しい時代を求めて動き出そうではありません。
 最後に、本大会の開催にご尽力いただいた広島県実行委員会の皆さまと、各中央団体・各県運動組織の皆さまに、心から感謝を申し上げて本大会のまとめと致します。
(下写真は第8分科会「見て、聞いて、学ぼうヒロシマ」)
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 1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆弾は、強烈な熱線、爆風、放射線によって、その年の内に14万人もの生命を奪い去りました。あの日から73年、被爆者の願いである核兵器廃絶への道のりは、困難を極めてきました。しかし、昨年7月7日、国連において122カ国の賛成をもって核兵器禁止条約が採択されました。核兵器を非人道的として、その製造から使用までを禁止する画期的条約の早期発効を求めていかなくてはなりません。戦争被爆国である日本政府は、核兵器禁止条約に反対し続け、さらにアメリカのトランプ政権の、核戦力強化にむけた「核態勢の見直し(NPR)」などの核政策に積極的な支持を打ち出すことで、「戦争できる国」への動きを強めています。
 被爆者の高齢化は進み、時間は限られています。被爆者の思いである核兵器廃絶に向けて、一層の努力を重ねていかなくてはなりません。一方で、高齢化する被爆者への援護対策の充実と国家の責任を求めることが急務となっています。さらに、親世代の原爆被爆による放射線の遺伝的影響を否定できない、被爆二世・三世の援護を求める運動も重要です。

 6月12日、シンガポールにおいて、史上初の米朝首脳会談が行われました。会談後、両首脳は共同声明に署名し、朝鮮民主主義人民共和国の安全保障の確約と、朝鮮半島の完全な非核化への責務を再確認し、「両国の平和と繁栄を希求する意思に基づく新たな米朝関係の構築」など4項目を確認しました。
 この間、日本政府は米国の政策に追随し、日朝関係の改善はないがしろに、制裁強化による「力」の外交を進めてきました。東北アジアの平和と安定に向けた日本独自の外交は、全く姿を見せることなく今日に至っています。
 米朝首脳会談、南北首脳会談などにおいて切り開かれた新たな状況に、日本をはじめ、米国や韓国がどのように対処していくのか、重要な局面に入っています。私たちが求め続けてきた東北アジア非核地帯構想の必要性について、改めて確認し、東北アジアの平和と非核化に向けた取り組みに邁進しなければなりません。日本政府に対し、核兵器禁止条約を直ちに批准するよう強く求めます。
  
 沖縄県名護市辺野古への新基地建設工事に関して、翁長沖縄県知事は、前知事が承認した埋め立て承認を撤回すると表明しました。翁長知事は「辺野古新基地建設は沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりでなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行している」と安倍政権を批判しています。
 自ら、安全保障環境の悪化を進め、社会と誠実に向き合うことのない安倍政権を許さず、辺野古新基地建設を国が断念するまで、沖縄県民の総意とともに前進していく決意を固め、粘り強くたたかいを継続しなければなりません。
 
 東日本大震災による福島第一原発の事故から7年以上が経過するなかで、5万人近い被災者が今も苦しい避難生活を余儀なくされ、避難指示解除と帰還の強制、補償の打ち切りなど、被災者をさらに苦しい状況に追い詰めています。しかし、安倍政権が進める原子力政策では、私たちの強い反対にもかかわらず、これまで9基の原発再稼働が強行されています。
 私たちは、フクシマを決して忘れてはなりません。福島県民と周辺県で放射能汚染を強いられた人々の健康不安、特に子どもの健康にしっかり向き合うよう、「被爆者援護法」に準じた法整備を国に求めるとともに、原発再稼働や新・増設を許さず、全ての原発の廃炉、再生可能エネルギーへの転換を求めます。
 
 安倍政権の下で、集団的自衛権行使容認が強行され、戦争法(安全保障関連法)が成立しました。日本国憲法の平和主義は、戦後最大の危機に瀕しています。戦争により何が起こったのか思い起こすとともに、ヒロシマ・ナガサキの被爆を体験した私たちは、9条を守り、憲法を守り、一切の戦争を否定し、二度と悲劇が繰り返されないよう訴え、行動していきましょう。
 
 これまで、私たちは原水禁を結成し、53年にわたり一貫して「核と人類は共存できない」、「核絶対否定」を訴え続け、核のない社会・世界をめざして取り組んできました。現在、暴走し続ける安倍政権の戦争への道、原発再稼働への道に対抗していくことが喫緊の課題です。未来ある子どもたちに「核も戦争もない平和な社会」を届ける取り組みを全力で進めていきましょう。
○子どもたちに核のない未来を!
○原発事故被害者の切り捨ては許さない!安心して暮らせる福島を取り戻そう!
○許すな!再稼働 止めよう!核燃料サイクル めざそう!脱原発社会
○STOP!原子力推進政策 増やそう!持続可能なエネルギー
○辺野古に基地をつくらせるな!めざそう基地のない日本
○非核三原則の法制化を!東北アジアに平和と非核地帯を!
○核兵器禁止条約を批准し、早期発効を!
○再びヒバクシャをつくるな!全てのヒバクシャの権利拡大を!
○憲法改悪反対!安倍政権の暴走を許さない!平和と人権を守ろう!
ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキ、ノーモア フクシマ、ノーモア ヒバクシャ
                             
2018年8月6日

                        被爆73周年原水爆禁止世界大会・広島大会

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  8月4日から広島市内で開かれていた「被爆73周年原水爆禁止世界大会・広島大会」は、6日、県立総合体育館武道場で「まとめ集会」が開かれ、540人が参加しました。

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 原爆犠牲者と先の豪雨で亡くなられた方々に対して黙とうを捧げた後、主催者あいさつに立った広島原水禁代表委員の金子哲夫さん(顔写真左)は「73年前の今日、広島市上空に原子爆弾が投下され、その年のうちに14万人が亡くなられた。戦争を進める安倍晋三首相は、その犠牲者の碑の前に立つ資格はない」と厳しく指摘し、「原爆の犠牲者は日本人だけでない。特に北朝鮮の方々はこれまで何の補償も受けずに亡くなっている」と、7月に訪朝して調査を行ったことを報告。「全ての被爆者に補償と援護を求める原水禁大会の原点を再確認しよう」と訴えました。
 高校生などが中心に企画し、子ども達に参加を呼びかけた「メッセージfromヒロシマ」の報告が6人の実行委員から行われ、「被爆者の証言などを真剣に聞いて、討論を行い、その思いをメッセージにまとめた」ことなどが報告されました(写真下)。

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 続いて、海外ゲストを代表し、中国宇社会科学院世界経済と政治研究所のチェン・ツエさん(顔写真中)があいさつし、「中国では、人類は運命共同体だという理念のもとに、平和と持続可能な安全保障を求めている。ともにアジア太平洋の安全保障を作っていこう」と強調しました。
 辺野古新基地建設問題で緊迫する沖縄から、沖縄平和運動センターの岸本喬事務局次長(顔写真右)が報告。「県民の民意を無視して安倍政権と米軍は基地建設を強行しようとしている。しかし、翁長知事は埋め立て許可を撤回した。8月17日から土砂投入が行われようとしているが、負けられない」として、全国からのさらなる支援を呼びかけました。
 広島大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長が行い、「被爆者の視点から、再度、核問題や脱原発運動を見直し、拡大しよう」と述べました。大会のまとめはこちら
 最後に、「未来ある子どもたちに『核も戦争もない平和な社会』を届ける取り組みを全力で進めましょう」とする「ヒロシマ・アピール」を確認し、まとめ集会を終わりました。8月7日からは長崎大会が開かれ、さらに討議と学習、交流を深めることにしています。

「ヒロシマ・アピール」はこちら
 
 

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 「核も戦争もない平和な21世紀に!」-被爆73周年原水爆禁止世界大会の広島大会が8月4日から3日間の日程で、広島市内で始まりました。今年は、広島や岡山などで集中豪雨による災害が発生し、復旧作業の最中にも関わらず、大会には全国から2200人が参加しました。
 最初に全国各地を回った「非核平和行進」の最後として「折り鶴平和行進」が行われました。炎天下のなか、平和公園原爆資料館前に集まった参加者は、横断幕やのぼり旗を手に、「核兵器禁止条約を批准せよ!」「原発再稼働を許さない!」「全てのヒバクシャの権利拡大を!」などとシュプレヒコールを繰り返しながら、広島大会の会場まで行進をしました(上写真)。

核兵器廃絶と脱原発社会をめざす 開会総会で確認

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 広島県立総合体育館を会場に開かれた開会総会は、原爆被災者と先の豪雨で犠牲になった方々への黙とうから始まり、主催者あいさつは川野浩一・大会実行委員長に代わり、佐古正明副実行委員長(顔写真左)が「戦争の出来る国をめざす安倍政権は、モリ・カケ問題に見られる国家権力の私物化、原発再稼働推進など暴走を続け、核兵器禁止条約に反対している。しかし、先の南北首脳会談や米朝首脳会談に見るように、世界平和は武力ではなく対話で生まれる。大会でしっかり論議し、安倍政権と対決しよう」と呼びかけました。
 来賓として、松井一寛広島市長代理の政氏昭夫市民局長のあいさつや、湯崎英彦県知事のメッセージを受けた後、海外ゲストを代表し、米国の「憂慮する科学者同盟」のグレゴリー・カラキーさん(顔写真中)があいさつ。日本政府が、アメリカの「核の先制使用」の見直しに抵抗し、核に依存する姿勢を強めていることを指摘し「核の傘では守ることは出来ない。そうした呪縛から解放され、世界の人々と核廃絶を求める時だ」と訴えました。
 続いて、被爆者の訴えが行われ、13歳の時に爆心地から800メートルの地点で被爆し、その後、証言活動を続けている広島県被爆者団体協議会の桑原千代子さん(顔写真右)が、8月6日の壮絶な出来事を克明に語りました。その上で「どんなことがあっても戦争や核はあってはならない。多くの犠牲の上にある今の平和を大切にしたい。そのため、証言活動を続けていく」と力強く語りました。
 また、若者もそうした活動を引き継いでいこうと、今年も高校生平和大使が全国から選ばれましたが、大会では広島から選出された下久保理子さんら3人が登壇し、「8月下旬からの国連欧州本部の訪問などを通じて若者ができることを精一杯やって、核兵器廃絶を訴えたい」と決意を述べました。
 2011年3月の福島第1原発事故からの現状報告を、福島県平和フォーラムの角田政志代表が行い、「東京電力は今年6月にようやく福島第2原発の廃炉方針を表明した。これは運動の成果だが、事故の終わりは見えない。被災者の生活再建の責任を国や東電に求め、事故を風化させずに、全国の原発再稼働を阻止しよう」と呼びかけました。
 大会の基調を、藤本泰成・大会事務局長が行い、核兵器廃絶や朝鮮半島情勢の変化、脱原発とエネルギー政策転換、ヒバクシャ・核被害者への援護と連帯などの情勢と課題を提起し「安倍政権の命をないがしろにする核政策の暴走を止めよう」と強調しました。
 基調提起の全文はこちら
 最後に、参加者全員で「原爆を許すまじ」を合唱し、閉会あいさつを秋葉忠利・広島実行委員長が行い終了しました。2日目の8月5日は、各所で分科会やひろば、フィールドワークなどで学習と論議を深め、6日に広島大会のまとめ集会が行なわれます。
 

原水爆禁止世界大会・広島大会 基調提案

原水爆禁止世界大会・広島大会 基調提案

原水爆禁止世界大会実行委員会
(原水爆禁止日本国民会議)
事務局長 藤本泰成
 
 1945年8月6日、広島は、いつもと変わらない朝を迎えていました。学生や女性たち、多くの人々が、建物疎開など国の命令による動員によって、市内中心部をめざしていました。8時15分、原子爆弾は、一瞬にしてその日常を破壊しました。強烈な熱線と爆風、そして放射線が人々を襲いました。その日の内に5万3644人が死亡したといわれ、翌日からその年の内に14万人が亡くなりました。被爆した人々は、55万人を超えています。
  私たちは、この阿鼻叫喚とも言える地獄を、決して忘れてはなりません。
 昨年7月7日、国連加盟国193カ国中122カ国の賛成をもって、核兵器禁止条約が採択されました。広島の、長崎の被爆者が、思い出したくない、語りたくない記憶を絞り出して、自らの体験を、そして人生を語り、8月6日の地獄を、核兵器の非人道性を、訴え続けてきたことが、「核兵器のいかなる使用も人道の諸原則および公共の良心に反する」とした核兵器禁止条約の採択に結実したものと思います。
 しかし、日本政府は、条約に反対し、交渉会議にも参加しませんでした。米国の核抑止力によって自国の安全を保障しようとする日本政府は、条約に強く反対した米国の意向の下に、条約は「核保有国と比較保有国の亀裂を生む」と主張しました。唯一の戦争被爆国を標榜してきた日本政府のこの主張を、いったい誰が理解するというのでしょうか。
 全国110を超える地方議会においても、核兵器禁止要約への署名や批准を求める意見書が可決されています。日本政府が、唯一の戦争被爆国として国際社会で振る舞い、核兵器廃絶を求めるのであれば、条約の署名・批准は必然です。8月6日の地獄の中で、多くの命がどのように失われていったのか、日本のリーダーたらんとするならば、そのことに思いをはせること、そして被爆者の思いに寄り添うことがなくてはならないのだと思います。
 6月12日、歴史上初めて米国と朝鮮民主義人民共和国との首脳会談が開催されました。朝鮮半島の非核化への両国の責務が確認され、新たな歴史が動き出しました。朝鮮半島の非核化への道のりは容易ではないと思いますが、粘り強く平和への話し合いを積み上げることが重要です。
 米国の朝鮮政策に迎合し、「制裁の強化」のみ主張してきた日本政府は、米国の豹変の中にあって全く蚊帳の外に置かれています。安倍首相は、自らの議員生活において、朝鮮半島の植民地支配を肯定し、日本軍慰安婦問題を否定してきました。そのような政治的スタンスをもって、拉致問題では、最重要で最優先課題であり拉致被害者の全員の生還を求めるとして、話し合いのきっかけすらつかめないできました。
 国内にあっては、朝鮮高校を授業料無償化措置から排除し、6月28日には、朝鮮への修学旅行から帰国した神戸朝鮮高級学校の生徒たちのお土産などを、関西国際空港の税関において没収するとう事件も起こしています。安倍政権が持つ、東アジア諸国に対する差別性は明らかです。自民党議員の中には、税関の行為を擁護する発言を行っている者もいます。
 加えて、これまで朝鮮の核兵器の脅威をことさらに喧伝し、核実験やミサイル発射を非難してきたにもかかわらず、自ら核兵器禁止条約に後ろ向きの姿勢を示し、高速増殖炉実験炉もんじゅの廃炉で破綻が明らかになったプルトニウム利用政策を継続し、潜在的核保有の立場を堅持しようとしています。他国の核保有を否定し非難しながら、自国は核保有国としての機能を維持しようとする矛盾は、戦争被爆国の市民として許しがたいものがあります。
 私たちは、早急に朝鮮との国交正常化へ向けての日朝の話し合いを開始すべきであると考えます。そのためには、拉致問題に拘泥することなく話し合いを優先し、国交正常化後の議論に委ねるべきであり、朝鮮や韓国からも非難されるような在日同胞への差別的扱いを改めるべきです。加えて、東北アジアの非核地帯構築のために、潜在的核保有として他国から非難されるプルトニウム利用計画を廃棄すべきです。
 今年3月に発表された、米トランプ政権による「核態勢の見直し(NPR)」は、「小型核兵器の開発や水上艦搭載の核巡航ミサイルの新たな開発」などを明記し、通常兵器による攻撃に対しても核使用を想定するなど、「核なき世界」をめざしたオバマ政権から、大きく後退するものとなっています。朝鮮に核兵器廃絶を迫る米国とその核戦力強化のNPRを積極的に評価する日本が、朝鮮半島の非核化に物言うことができるのでしょうか。世界最大の核保有国である米国とその抑止力の中にいる日本は、そのことを真剣に考えるべきだと考えます。
 去る6月14日、東京電力の小早川社長は、内堀福島県知事と面会し、福島県楢葉町と富岡町にまたがる福島第二原発について、「廃炉に向けて検討に入りたい」と述べました。
正式な決定は今後になると思いますが、東電幹部は後戻りすることはないと述べています。第二原発4基の廃炉決定は、既に廃炉が決定している福島第一原発6基と合わせ、事故以来福島県民が熱望してきた「原発のない福島」が実現したこととなります。遅きに失したとの声もありますが、「脱原発」を求めて来た私たちは、「全基廃炉」の決断を歓迎したいと思います。
 福第一島原発では、未だに1日140~150トンもの放射能汚染水が貯まり続け、溶融した燃料の存在も不確定なままです。格納容器内では毎時80Svとも言われる高線量の放射能が事故の収束を阻んでいます。また、事故収束と廃炉の完了を2041年から2051年と試算し、かかる費用の見積もりは、現時点において約22兆円としていますが、今後の状況いかんでは更なる長期化と費用増大も考えられます。
 東日本大震災、福島原発事故から1年を経過した2012年3月11日、福島県郡山市「開成山野球場」で、初めての「原発いらない!3.11福島県民大集会」が開かれました。県内・県外から1万6000人が参加し、「安心して暮らせる福島をとりもどそう」と「脱原発」への誓いを新たにしました。
 あの日、さようなら原発1000万人アクションの呼びかけ人、ノーベル賞作家の大江健三郎さんは、放射線量の高かったグラウンドの、中央に設けられたステージに立って、「原発事故を絶対に起こさない方法は、原発をなくすこと。私は、政府が原発の全廃を宣言し、子ども達が歓喜する姿を想像している。それは必ず出来る」と訴えました。
 あれから7回の集会を重ねて、まさに今、福島では原発が全廃されました。大江さんが想像したように、福島は、子どもたちの歓喜の声で包まれているのでしょうか。
そうではありません!
 福島県では、原発事故に由来する様々な課題が、県民の生活を覆っています。私は思い起こします。事故直後の「今後の原発政策の行方は、いかに早期に避難者が福島に戻れるかにかかっている」と言う言葉を。誰がとも、どこでとも、もう答えられませんが、はっきりと記憶に残っているこの言葉は、今、政府が、事故前の規準の20倍の年間被爆限度20mSvを強要し、全ての補償を止めてしまうことで帰還を強要する政策と、明確に結びつきます。
 事故に伴う避難指示が、帰還困難区域を除いて全域で解除されて1年が過ぎました。しかし、故郷に帰還した住民の割合は、全体で15%と少しに止まっています。対象人口が最多の浪江町では3%超、富岡町も5%未満です。
 働く場所もない、生活に必要なインフラの整備もままならない、除染したとはいっても住宅の周辺だけ、野原や山々は手つかずのまま放置されています。子どもたちの健康への影響はないのだろうか。20mSv/yは本当に安全なのか、安全ならなぜ以前は1mSv/yだったのか。納得いく説明はありません。若い世代ほど、故郷に帰還できない状況があります。
 全国で、原発事故被災者が賠償を求める裁判を行っています。東電は「裁判外紛争解決手続(ADR)」の和解案は尊重すると表明していましたが、浪江町や飯舘村の住民が集団で起こした訴えに対する和解案には、拒否解答を繰り返し、結局手続が打ち切られています。損害賠償に対する国や東電の後ろ向きの姿勢が、全国各地の裁判につながっています。そして、そこでは広島・長崎の被爆者が苦しんできたように、事故と被爆と、損害の因果関係の立証を、被災者に求められることとなります。
 原発の安全・安心を繰り返し強調してきた国や東電に対して、なぜ、何の責任もない被災者の側が苦しまなくてはならないのでしょうか。
 2006年12月22日の安倍晋三首相の国会答弁があります。「(日本の原発で全電源喪失という)事態が発生するとは考えられない」「(原発が爆発したりメルトダウンする深刻事故は想定していない。)原子炉の冷却ができない事態が生じないように安全の確保に万全を期しているところである」
 考えられないことが起きるのが原発なのです。皆さんそう思いませんか。
 安倍首相は、福島原発事故以降は、事故の反省から「日本の原発は世界一安全」として、世界への原発セールスを始めましたが、全く成果を上げていません。ウェスティングハウスを買収した東芝、旧アレバと合弁企業を興し新設計の原発「アトメア1」を開発した三菱、イギリスの原発メーカー「ホライズン・ニュークリア・パワー」を買収した日立、世界が原発から撤退しようとする中、日本を代表する企業は、原発建設のコストの上昇に直面し、きわめて困難な状況に陥っています。
 原発の時代は、その危険性故に、終わりを告げようとしています。
 
 さる7月4日、名古屋高裁金沢支部、内藤正之裁判長は、大飯原発の運転差し止めを命じた2014年年5月の福井地裁判決を取り消し、「大飯原発の危険性は社会通念上無視できる程度にまで管理・統制されている」として、住民側逆転敗訴の判決を言い渡しました。私は納得できないので「社会通念」と言う言葉を広辞苑で調べました。広辞苑には「社会一般で受け容れられている常識または見解。良識。」と記載されています。この裁判長の考える「社会通念」には、私たちの常識や良識は入っていないのでしょうか。
 日本の市民社会の7割以上が「脱原発を」支持しています。判決のいう管理・統制の基盤となっている「新規制基準」に関しては、その適合を審査する原子力規制庁自身が「新規制基準をクリアしても原発が絶対安全とは言えない」と繰り返し述べてきました。いったい何を根拠に、内藤裁判長は、過酷事故を起こした原発を「社会通念上無視できる程度にまで管理・統制されている」と言いきることができるのでしょうか。
 この判決は、私は「犯罪」だと思います。人間の命の問題を、ここまで浅薄に切り捨てることが、どうしてできるのでしょうか。
 原水禁運動は、「核と人類は共存できない」として、全ての国の核、そして核の平和利用も否定し、反対してきました。私たちの運動が正しかったことを、この時代が証明しています。
 「人間は生きねばならない」という、故森滝市郎原水禁議長の言葉は、人間の命の尊厳の根幹を捉えています。核兵器に、原発に、私たちが反対してきた「哲学」がそこにあります。私たちは、この混迷する社会にあって、「いのち」から引き出される「哲学」を、しっかりと捉えなくてはなりません。
 正しい道を、胸を張って進もうではありませんか。核兵器廃絶と脱原発社会をめざして、核も戦争もない平和な21世紀を!、胸を張って進もうではありませんか。
 ご静聴、ありがとうございました。

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