2017年8月アーカイブ

 被爆72周年原水爆禁止世界大会・長崎大会まとめ

被爆72周年原水爆禁止世界大会実行委員会
原水爆禁止日本国民会議
                                                                事務局長   藤本泰成
 被爆72周年原水爆禁止世界大会は、福島大会から始まって、広島大会へ、」そして今日の長崎大会の閉会集会で、幕を閉じます。本大会の運営に携わっていただいた、実行委員会の皆さま、そして遠いところを海外から来ていただいたゲストの皆さま、各分科会でご発言いただきました講師の皆さま、そして全国からご参加いただきました皆さんに、心から感謝を申し上げます。
 大会中、様々な議論がありました。全てに言及はできませんが、若干の時間をいただき、私なりにまとめたいと思います。
 福島第一原発の過酷事故から、6年が経ちました。今、原水禁大会では、多くの方から事故原発の現状に触れていただきました。指摘されていたのは、東電の経営陣は遅くとも2008年には津波によるメルトダウンを予想していたが対策を取らなかったと言うことです。
 2016年2月には、勝俣恒久元会長他3人の経営陣が、業務上過失致死傷罪で強制起訴されていますが、第1回の公判が2017年6月30日に開かれました。先立つ3月17日には、前橋地裁において、「東電は巨大津波を予見しており、事故は防ぐことができた」「国は安全規制を怠った」として、東電・国に賠償を命じる判決を下しています。
 事故の責任を明確にしていくことは、日本の将来に重大な意味を持つでしょう。福島では、支援の打ち切りが相次いでいますが、目に見えない放射性物質が復興を妨害し、遅々として進まない現状が報告されています。国の責任による明確な支援を要請したいと思います。
 第1原発の廃炉・事故の処理には、膨大な時間と今後の技術開発が必要なことが、これも様々な方から発言がありました。原子力資料情報室の伴英幸さんからは、地下水や汚染水対策も計画通りにはいかず、貯蔵される汚染水は100万トン、行き場のない放射性廃棄物も含めて、今後の見通しが立たない状況が報告されています。
 2017年3月31日をもって、帰還困難区域を除く地域の避難指示が解除されています。解除の根拠は、年間被ばく量が20mSv 以下と言うことですが、この数値は暫定基準で有り、過酷事故の実態に合わせて基準を緩和したものに過ぎません。現在でも、福島事故で避難指示が出された地域以外の一般公衆の年間被ばく量が1mSvであることを考えると、その意味が分かります。
 伴さんは、福島県の実施している健康調査によると、子どもの甲状腺ガンの確定者が145人に達していることを報告しながら、その他の疾病に関しても統計学的な調査も実施すべきとしました。一般公衆被ばく基準の20倍の放射線量が、身体に影響が無いと言うことを、信用するわけにはいきません。
 
 原子力市民委員会委員で元原子炉格納容器設計技師の後藤政志さんからは、原子力産業の行方と原発の安全性に関して報告がありました。
 米国のスキャナ電力は、7月31日にV.C.サマー原発2・3号機の建設断念を発表しました。東芝傘下のウェスティングハウス社が受注していたものですが、後藤さんは、米国の安全規制の強化が工期の延長とコストの上昇を生み、いまや原子力発電所がコスト競争に勝利することはないだろうと発言しています。
 東芝が建設した、改良沸騰水型の台湾龍門原発1・2号機は、建設されるも、一度も運転をすることなく廃炉になりました。背景には地震と安全性の問題があります。脱原発を決めた台湾からシュウ・グァンロン台湾大学教授に来ていただきました。韓国脱核情報研究所所長のキム・ポンニョさんからも、脱原発を志向するムン・ジェイン大統領の下、脱原発への議論が進んでいることが報告されました。世界が脱原発に向かっていることは確実です。
 後藤政志さんは、「不確かな対策をいくら多層防護にしても安全ではない。多重防護は、事故に至る確率を下げていくだけである」「だから、規制委員会の田中委員長は、決して安全とは言わない」と述べています。原発の安全性には100%はあり得ない。であれば、そのリスクを許容できるのか、できないのか、できないならば結論は明らかなのです。後藤さんは、再生可能エネルギーが急速に普及している海外の状況と、原子力産業の崩壊を見れば、もはや原発は核兵器と共に凍結されるべきものであり、実際それが十分に可能であると結んでいます。
 本大会開催の約一月前に、国連では「核兵器禁止条約」が締結されました。何度もその評価には言及されているのでここでは控えます。日本政府は、しかし、条約に反対し批准する姿勢を示していません。ピースデポ代表の田巻一彦さんは、2016年の国連総会に日本が提出した「核軍縮決議」にある、「関係する加盟国が、核兵器の役割や重要性の一層の低減のために、軍事・安全保障上の概念、ドクトリン、政策を継続的に見直していくことを求める」の一文をあげて、日本自らが「政策を継続的に見直して」ゆかねばならないが、しかし、その様子は見られないと指摘しています。
 核兵器の非人道性を普遍的な見地として、禁止条約の前文では「核兵器の使用による被害者ならびに核兵器の実験によって影響を受けた人々に引き起こされる受け入れがたい苦痛と危害に留意」との文言が書き入れられました。日本が今、行うべきは、米国の傘の下から脱却し、戦争被爆国としての明確な外交姿勢を確立することではないでしょうか。市民社会が反対する原発の再稼働をすすめ、再処理によって得るプルトニウムを利用する核燃料サイクル政策に、あたかも核兵器保有政策の担保のようにしがみつく姿勢は、被爆者の思いを踏みにじるものです。今こそ、日本政府が核政策の見直しに着手することを強く要求するものです。
 前田哲男さんの報告に、「このままでは『日本は本当に戦争をする国』になってしまう」という、今の日本社会、日本の政治に対する警報とも言える主張があります。自衛隊に対する世論調査の分析から、民意のありかは「はたらく自衛隊」のイメージ、9条改憲を望んではいないとの分析です。安倍首相のめざす「憲法改悪」に対抗するには、民意に沿った対抗構想の提示こそ、私たちに求められていると、まとめられています。

 安倍政権は、特定秘密保護法、戦争法、共謀罪、矢継ぎ早に、憲法違反と言える法整備を、数の力を持って強引に進めてきました。彼の言う、戦後レジームからの脱却は、憲法の規定する、主権在民、平和主義、基本的人権の保障という、戦後社会の根幹に関わる理念への挑戦というものです。前田さんは「『秘密保護法』と『共謀罪』の結合がもたらす、物言えぬ社会が到来する」と指摘しています。私たちは、決して負けるわけには行きません。原水禁運動は、60年以上にわたって「核兵器廃絶」「脱原発」を、運動の両輪としてとりくんできました。そこには、被爆の実相がありました。一人ひとりの命への強いこだわりがありました。私たちは、権力の圧力に、臆してはなりません。
 今年いただいた年賀状に、非暴力を貫き、米国での黒人の公民権運動を指導したキング牧師の言葉がありました。
 「この変革の時代において、最も悲劇的であったのは、悪人たちの辛辣な言葉や暴力ではなく、 善人たちの恐ろしいまでの沈黙と無関心であった」
 私たちは、沈黙の仲間であってはなりません。私たちは、声を上げ続けなくてはなりません。そして、私たちは、原水禁運動の、大きな、大きな輪を、広げていこうではありませんか。大きな、大きな声に、していこうではありませんか。 
 I have a dream !
 私たちには、夢があります。核も戦争もない平和な21世紀を作りましょう。
 
以 上
 

被爆72周年原水爆禁止世界大会・大会宣言

 被爆72周年原水爆禁止世界大会・大会宣言

 人類の頭上に初めて原爆が投下されて72年がたちました。未曽有の惨禍によって、被爆者は、今日まで、差別や貧困にさらされ、様々な健康被害と闘い、苦しい生活を強いられてきました。しかし、被爆者は、原爆後障害の不安に怯えながらも、辛い身体にむち打って、核兵器の被害の実相とその非人道性を訴え、核廃絶を求めて声をあげ続けてきました。今年7月7日、国連総会で「核兵器禁止条約」が採択され、被爆者の願いが実を結びました。条約は、前文で被爆者や核実験被害者の「受け入れがたい苦痛と被害」に触れながら、核兵器が国際人道・人権法の原則と規則に反するとして、その製造や使用のみならず威嚇の行為なども法的に禁止する画期的なもので、核保有国の論理を許さないものとしています。
 しかし、唯一の戦争被爆国である日本政府は、本来ならば核兵器廃絶に向けて積極的にリーダーシップを発揮する立場にあるにもかかわらず、この条約の交渉に参加せず、いまも条約の批准・発効に反対し続けています。8月6日、広島の平和祈念式典で、安倍首相は「唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力」を口にしながら、核兵器禁止条約には一言も触れませんでした。安倍首相が言いう平和は、政治的ポーズに過ぎません。日本政府(安倍政権)の姿勢は、核兵器廃絶を求めている世界の多くの国々、とりわけ被爆者を失望させるものです。私たちは、日本政府が「核兵器禁止条約」を直ちに批准し、核兵器保有国に対して、戦争被爆国としての言葉で参加を促していくことを強く求めます。
 安倍首相は、広島の平和祈念式典で、「被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策の充実を行ってまいりました。今後とも、被爆者の方々に寄り添いながら援護施策を着実に推進してまいります」と述べました。しかし、被爆者への国家補償や原爆症の認定、在朝被爆者をはじめとする在外被爆者、被爆体験者、被爆二世・三世の問題などで様々な課題が残されています。原水禁は、国家補償に基づく被爆者援護法の制定を長きにわたりとりくみ、「原爆被爆者援護法」を勝ち取りました。しかし、国家補償は未だ明記されず、政府は、被爆者の具体的要求には何ら答えず、ただ裁判で敗訴したことのみ改善するという消極的姿勢に終始しています。被爆者が高齢化する中にあって、安倍首相は、自らの言葉を、自らが具現化しなくてはなりません。時間との闘いの中で、早期の解決に向けた運動の強化が求められています。
 世界各国は、2011年3月11日の東日本大震災・福島原発事故を契機に、脱原発に舵を切りました。ドイツ・イタリア・スイスなどが脱原発を選択しました。アジアにおいても台湾が脱原発を決定し、韓国でも脱原発をめざす政権が誕生しています。原子力産業は、米原子炉メーカーウェスティングハウスを買収した東芝の破たんに見るように、原発建設など原子力産業の推進が企業の経営破綻をまねく状況が現出しています。一方で福島原発事故の処理費用は、現時点でさえ約22兆円と試算され、原発推進が市場経済の論理にそぐわないものとなっています。
 しかし、安倍政権は、除染が終了し、年間被ばく量20mSvを下回ったとして、避難指示の解除を進め、住民に帰還を強要しています。20mSv/yは、一般公衆の被ばく限度の20倍であり、さらなる被ばくを押しつけながら、原発推進のためにフクシマをなかったものにしようとする姿勢は許せません。安倍政権は、脱原発を求める民意を無視し、福島原発事故被害者を切り捨て、原子力推進政策に邁進し、原発再稼働、核燃料サイクル計画・プルトニウム利用路線の推進、原発輸出などを推し進めています。事故の原因の調査も、責任の所在も曖昧にしたまま、原発推進に舵を切ることを許してはなりません。国策として原発を推進し、津波の想定を見直すことなく、事故を引き起こした東電・国の責任をきびしく追及していかなくてはなりません。
 安倍政権は、安全保障関連法(戦争法)や共謀罪を新設し、憲法改「正」に踏み出そうとしています。沖縄・辺野古や高江では、新基地建設を強行しています。日本中の空をわが物顔に飛ぶオスプレイは、各地で事故が頻発し市民社会に大きな不安を与えています。戦後レジームからの脱却という安倍首相の主張は、憲法の規定する国民主権、平和主義、基本的人権の保障という戦後一貫して私たちが守ろうとしてきた日本社会のあり方を、根本から変えようとするものです。決して許してはなりません。
 脱原発を決定させましょう。核燃料サイクル計画を放棄させましょう。米国の傘の下にあって、核武装を担保しておこうとする日本の核政策を根本から変えましょう。核兵器禁止条約の批准を求めましょう。国の責任を明らかにして、フクシマの支援を確実にしましょう。戦争法・共謀罪廃止、憲法改悪阻止、「命の尊厳」を基本に、地域から大きな声を上げていきましょう。
 ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキ、ノーモア フクシマ、ノーモア ヒバクシャ、ノーモア ウォー
 
 2017年8月9日
 被爆72周年原水爆禁止世界大会

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  長崎に原爆が投下された8月9日、被爆72周年原水爆禁止世界大会の最終日を迎え、長崎大会の閉会総会が、長崎県立体育館で開かれました。全国から1600人が参加し、核兵器禁止条約の批准など、当面する課題を確認し、運動を広げていくことを誓いあいました。
 長崎実行委員会を代表し、松田圭治・実行委員長(長崎原水禁議長)があいさつに立ち「国連の核兵器禁止条約採択の原動力は被爆者の思いだった。それにもかかわらず、日本政府がこれに反対することは、唯一の戦争被爆国として許されない」とし、憲法改悪や沖縄への新基地建設、原発政策を進める安倍政権を厳しく批判しました。
 九州各県をつないで毎年行われている「非核平和行進」のタスキが長崎から沖縄に返還された後、タスキを受け取った沖縄平和運動センターの山城博治議長が登壇。沖縄県内の基地建設反対運動の中心を担っていたところ、昨年から5か月余にわたり逮捕・不当勾留されたにも関わらず「沖縄県民は翁長雄志知事を先頭に辺野古に新基地を作らせない闘いを続けている。事態が厳しければ厳しいほど団結していくことが大切だ」とし、自ら作詞した「今こそ立ち上がろう」を熱唱して、会場を沸かせました。
 また、佐賀県唐津市にある玄海原発の再稼働に反対するアピールを、佐賀県原水禁の柳瀬映二事務局長が行い、「県知事は県民の意見を聞くポーズをとっているが、理解は得られていない。避難計画は被ばく計画でしかない。再稼働を絶対に阻止する」と力強く述べました。

 高校生のアピールとして、第20代高校生平和大使と高校生1万人署名活動実行委員会のメンバーなど100人余りが並び、若者として核廃絶を訴えていく決意を語りました(写真上)。
 原水禁世界大会に参加した海外ゲストを代表し、米国ピース・アクション政治政策担当のポール・マーティンさんは「世界の状況は昨年よりも悪くなっている。アメリカと日本では自らの利益だけを考える指導者がいる。ともに連帯し軍国化を進めることを阻止しよう」と呼びかけました。
 大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長が行った後、脱原発、核燃料サイクル計画などの日本の核政策を根本から変えることや、核兵器禁止条約の批准、国の責任によるフクシマの支援、戦争法・共謀罪廃止、憲法改悪阻止など、「命の尊厳」を基本に、地域から声を上げていこうとの大会宣言を採択しました。
 事務局長の「大会のまとめ」はこちら
 「大会宣言」はこちら
 
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 集会後、爆心地公園までの非核平和行進(写真上)を行い、核廃絶などをアピール。爆心地公園では原爆中心碑に川野浩一・大会実行委員長などが献花を行った後、原爆投下時間(11時2分)のサイレンを合図に全員で黙とう(写真下)を行い、大会の全日程を終えました。
 
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 8月8日、原水爆禁止世界大会・長崎大会の2日目は。いくつかの課題に分かれての分科会や、関係団体の自主企画の「ひろば」、フィールドワークなどが行われました。
 「平和と核軍縮」の分科会では、共謀罪などの憲法問題や沖縄での新基地建設問題での討議と、7月7日に国連で採択された核兵器禁止条約と東北アジア非核兵器地帯化構想について考えました(写真上)。
 「脱原子力」の課題では、福島原発事故の現状と再稼働問題を考える分科会のほか、プルトニウム利用路線の破たんと自然エネルギーの展望を検討しました(写真下)。

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 「ヒバクシャ」については3つの課題に分かれ、世界各地での核実験やウラン採掘などでの核被害の実態と補償、韓国やメキシコなど在外被爆者を招いて在外被爆者の置かれている現状と課題、さらに、被爆二世・三世問題では現在取り組まれている集団訴訟の意義や展望を考えました(写真上)。
 さらに、「見て・聞いて・学ぼうナガサキ」では、映像や被爆者の証言を通して被爆地・ナガサキの実相に触れました。このほか、被爆者との交流や、映画の上映などの「ひろば」、長崎市内の被爆遺構めぐり(写真下)や、佐世保の基地めぐりのフィールドワークも開かれました。
 さらに、小学生向けの「子ども平和のひろば」、高校生が企画・運営した「ピース・ブリッジinながさき」(写真下)など多彩な内容の催しが行われました。
 8月9日は長崎大会の閉会総会が開かれ、大会宣言を採択した後、爆心地までの非核平和行進を行い、原爆投下時間(11時2分)に黙とうを行い大会の全日程を終えます。

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長崎大会 第1分科会「平和と核軍縮1-核も戦争もない世界を!~憲法・沖縄から考える」
 
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講師:前田哲男(ジャーナリスト・軍事評論家)
海外ゲスト:ポール・マーチン(米国・ピースアクション)
参加者 220名
 
 はじめに、軍事評論家の前田哲男さんより「安倍政権の危険な本質」と題して講演を受けた。まずオスプレイ墜落と安倍首相の防衛計画大綱の直近情勢に触れたうえで、小野寺大臣の提言について解説があり、北朝鮮のミサイル対策・敵基地反撃能力を保有すべくということは、専守防衛という言葉は形骸化しているとの説明があった。このなかでは、政府の弾道ミサイルに関するホームページを引用し、長崎の地での経験や新型爆弾投下後の国民反応に触れ、ナンセンスなPRしかおこなっていないと痛烈に批判をされた。
 また戦争法にも触れ、安倍首相のPRは在留邦人の救助という“うわべの理由”で国民を欺いて説明し、現実は「原子力空母艦隊防護」などに従事しているとの現状に警鐘を鳴らした。
 最後に、「このような日本にすることもできる」と題して、自衛隊・防衛問題に関する世論調査を分析し、国民が期待しているのは「はたらく自衛隊」であり、「9条改憲」は望んでいないという指摘があった。
 
 次に、ポール・マーチンさんより米国を中心とした世界情勢について講義をうけた。冒頭、米国の多くの人たちの想いを代弁し、広島・長崎への原爆投下について謝罪を述べられた。その後、トランプ大統領の姿勢に触れ、軍事中心・利益追求の政治であるという点や、偏った予算の執行・配分に触れ、失望が大きいと述べられた。トランプ大統領の短気な性格では、核のボタンを押す権利を持つべきではなく、また軍事費の増大は議会の同調も相まって危機的であると警鐘を鳴らし、利益を人権よりも優先するトランプ主義を批判した。
 世界各地の情勢にも触れ、特に北朝鮮については緊張をさらに深めている状況であり、韓国へのTHAAD)配置は、北だけではなく中国・ロシアにも脅威であるということを述べられた。
 最後に、安倍首相はトランプ大統領にプレッシャーをかけられないが、私たちが安倍首相にプレッシャーをかけ続けけることの重要性について述べ、先人の“草の根運動”に学び、プライド・目的・力を持ってたたかっていこうという言葉で結ばれた。
 その後、会場からの質疑と長崎・沖縄からの活動報告を受けた。
長崎大会 第2分科会「平和と核軍縮2―核兵器禁止条約と東北アジア非核地帯化~展望と課題」
 
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 講 師:田巻一彦(ピースデポ代表) 
 参加者 70名
 
 ピースデポ代表の田巻さんから次のような報告があった
 7月7日についに、歴史上初めての「核兵器禁止条約」ができた。しかし、日本、アメリカ等の最も参加しなければならない国々が参加していない。また、北東アジアの状況も核兵器禁止条約の精神に反するような実態が続いており、私たち市民が具体的な要求を日本や核兵器を持つ国々に訴えていかなければならない。
 これらのことをふまえたうえで、以下の5点が提起された。
  ①核兵器の現状
  ②核兵器禁止条約
  ③北東アジアの危機と脅威
  ④米朝交渉を求める声(米、韓、北朝鮮)
  ⑤朝鮮半島非核化と「核兵器禁止条約」
 
 田巻さんの報告を受けて質疑が行われ、香川、東京、長崎、静岡の参加者から質問が出された。また、討論においては、長崎、静岡、熊本の参加者から意見が出された。また、「日本の報道では北朝鮮は怖い国と認識しがちであるが、日本の報道が偏っていると感じた」との感想も出された。
 田巻さんからは「北東アジアで北朝鮮の核を脅威と思っているのは韓国、日本、アメリカなどだ。しかし、北朝鮮が脅威と思っているのはアメリカのみ。したがって、私たちはアメリカに言わなければならないし、日本政府にも言わなければならない」との発言があった。
 
 最後に運営委員が、「北朝鮮の脅威の話題は避けては通れない。参議院選挙でも10代、20代の投票行動においても北朝鮮は怖い国との印象が強い。トランプ大統領になり、さらに北朝鮮は悪との意識が煽られている。北朝鮮の核兵器開発は今に始まったことでなく、冷戦構造の崩壊から始まっている。一方、私たちの政府の「国民保護ポータルサイト」は、広島原爆投下の時の対応と共通しており、現実離れしている。核兵器を一発落とされたら、それで終わり。その流れが核兵器禁止条約につながってきた。単なる脅威論でなく、朝鮮戦争の終戦協定を結び、北朝鮮の体制の保障などを日本がアメリカに求めていくことが必要だ。また、原発問題が日本の安全保障にすり替えられている。反原発の運動が大切であることも同時に確認された」とまとめを行った。

 長崎大会 第3分科会「脱原子力1~福島原発事故の現状と再稼働問題を考える~」

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講師:伴英幸(原子力委資料情報室共同代表)
   後藤政志(元原子力プラント設計技師)         
海外ゲスト:キム・ポンニョ(韓国・脱核情報研究所所長)
参加者:120名
 
 原子力資料情報室共同代表の伴さんからは、福島原発事故によって受けた健康被害、放射能数値20シーベルトの健康影響を及ぼしかねない危険が潜む地域へ住民を帰すといった避難解除の問題について提起があった。
 元原子力プラント設計技師の後藤さんからは、安全の定義とは、リスクを許容できるかどうかどうかであり、許容できれば安全であり、許容の判断は個々であるということ。技術の進歩は、失敗を繰り返すことで進化を遂げていくものであるが、原子力の技術においては、失敗は許されるものではない。失敗の許されない技術は、存在しないとの興味深い提起が行われた。
 また、参加者からは、運転から40年を経過した原子炉が原子力規制委員会の審査に合格すれば60年の稼働が可能となったことをどのように受け止めればよいのか、廃炉に要する具体的な費用は、といった原発に対する意見が出された。
 
 海外ゲストである韓国・脱核情報研究所所長のキムさんからは、韓国における脱核、原子力からのエネルギーシフトの現状報告が行われた。韓国国内で大統領が脱核宣言を行ったことにより推進派と反対派の対立が激しくなっている現状や、推進派からは、集団的に大統領批判が繰り広げられる中、脱原発の取り組みを進めていきたいとの決意が語られた。
 最後に、各地域からの取り組み報告として、福島、佐賀、鹿児島からそれぞれ原発再稼働反対に向けた活動報告を受けて終了した。

 長崎大会第4分科会「脱原子力2 プルトニウム利用とエネルギー政策の転換を求めて」

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講師:藤井石根(明治大学名誉教授)
   西尾漠(原子力資料情報室共同代表)
海外ゲスト:シュウ・グァンロン(台湾・台湾大学教授) 
参加者 86人

 2人の講師から、もんじゅの廃炉、六ヶ所再処理工場の大幅な遅れなど、プルトニウム利用路線の破綻は安倍政権が進める原子力政策そのものの破綻である。未来のない原子力に代わり、今後のエネルギー政策の展開を考える提言があった。また、海外ゲストから脱原発に向けた台湾の報告があった。これらの提言、報告を受けて、次のような質疑が行われた。
【質疑】 アジアで最初の脱原発をかかげた台湾であるが、代替エネルギーの関係で石炭が使われると環境と対立するのではないか。また、台湾では、放射性廃棄物の捨てる場所についてはどうするのか?
【応答】 高レベルの放射線廃棄物はかなり多くあるが、処理できるところは少ない。捨てる場所がないということを政府にもっと市民が訴えていかなければならない。
【質疑】日米原子力協定が2018年に見直されるだろうか?
【応答】政府は延長を考えているのではないか。再処理のことも考えていくべきとアメリカや国内外にも訴えていきたい。また、日米原子力協定改定に伴い、再処理を認めさせない方向にもっていきたい。
【質疑】3.11以降、原発のほとんどが止まっているが、二酸化炭素の量が増えている。
【応答】世界のトレンドは脱原発だ。3.11以降原発が止まり、火力発電にシフトしたが、政府は経済性を重視したのでCO?が増加した。電力の買い取り制度を導入し、太陽光発電の設置が多くなったが、大企業によって森林伐採など環境を破壊することになっていることもある。環境を破壊せずに自然エネルギーを拡大できるようにしなければならない。
【質疑】廃炉作業で労災事故も増えていて相談も多いようだがどうか?
【応答】労災として認められても、因果関係を認めたわけではない。被災者との協力体制をしっかりととっていきたい。

 
 最後に、エネルギー基本計画の見直しについては、原発に頼らない、CO?もださない、再生可能エネルギーの拡大を考えていくべきである。原発をベースロードと考えている政府に対し、意見を出していく必要がある。プルトニウムは原発をやめれば出なくなるのであり、廃棄物の再処理も必要なくなる。自然エネルギーへのシフトへ向け、地域でネットワークの構築をすることも大切であるとまとめ、分科会を終えた。 
長崎大会 第5分科会「ヒバクシャ1 核被害・ヒバクと補償問題を考える」
 
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講師:豊﨑博光(フォトジャーナリスト)
参加者 21名
 
 講師の豊﨑さんから「世界の核被害者―核被害の現状と未来」と題して、被害補償という観点で、世界のヒバクシャがどう扱われているか、その実情を解説していただいた。
 アメリカの核実験の被害を受けたマーシャル諸島では、2017年3月に「核の負の遺産会議」を開き、「ヒバクシャは十分な補償を得る権利(Justice)があるとして取り組みを始めた。また、「核兵器禁止条約」の前文では「核兵器の非人道性」に触れ、「核兵器の壊滅的な結果が国境を越え、人類の生存や環境、将来世代の健康に重大な被害を与え、妊婦と女性への不均衡な影響を認識し、核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)及び核実験の被害者の苦痛に留意する」としている。
 被ばく兵士への補償については、アメリカの被ばく兵士(被ばく退役軍人)には、原爆投下後の広島・長崎に進駐した兵士と大気圏内核実験に参加した兵士に対し、27の疾病に平均75000ドル支払われる。
 旧ソ連の被ばく兵士(原爆投下実験に参加した兵士)には補償法がない。実態も分か っていない。生存している被ばく兵士は10パーセント程度といわれる。
 核実験の被ばく者への補償では、ネバダ核実験の風下の被爆者には「放射線被ばく者補償法」でがん発病者に5万ドル、マーシャル諸島の核実験被ばく者にはアメリカとマーシャル諸島政府の間の条約で「核賠償裁定委員会」がつくられた。金銭的補償、医療保障では不十分。離島を余儀なくされた人々(被ばく難民)の補償に資産の損害、土地への損害賠償も計上されたが、一部しか支払われていない。
 旧ソ連のセミパラチンスクの核実験による被ばく者のうち、カザフスタン内の被ばく 者には特別な社会保障制度を適用しているが、ロシアのアルタイ地域やモンゴル内の  被ばく者は対象外となっている。
 ウラン採掘、精錬労働者への補償法があるのはアメリカだけだ。
 原爆被ばく者への補償では、「被爆者健康手帳」を持つ者を対象とし、他を「認定被爆者」「被爆体験者」として差別的扱いがある。
 原発事故による被ばく者への補償は、裁判で、被害者に因果関係の立証を求められている。
 これら以外の日本の被ばく者である、第五福竜丸乗組員やウラン採掘労働者、原発労働者は「被ばく者」としてではなく「労災」対象者とされている。
 参加者からは、マーシャル諸島の被ばく者の補償および低線量被ばく者の補償について質問が出された。
長崎大会 第6分科会「ヒバクシャ2─在外被爆者と戦争責任を考える」
 
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講師:在間秀和(弁護士)
海外ゲスト:カク・キフン(韓国・元韓国原爆被害者協会会長)
      チョン・テホン(韓国・韓国原爆被害者協会釜山支部)
      山下泰昭(メキシコ・在外被爆者)
 参加者 16人
 
 弁護士の在間さんは、①旧植民地出身者、②被爆後日本国外に移住した被爆者、③戦争捕虜、④その他という在外被爆者の定義を示し、その上で、在外被爆者による闘いの経緯として、原爆2法(原爆医療法、原爆特別訴訟法)と1994年に制定された被爆者援護法が、国籍条項が定められていないにも関わらず国外に在住する被爆者に適用されておらず、裁判闘争を重ねて被爆者手帳の国外での取得、援護法の在外被爆者への適用を勝ち取ってきた歴史が紹介され、そのなかで日本政府が一貫して被爆者への責任を果たすことを回避し続けてきた姿勢について指摘がありました。
 
 韓国原爆被害者協会の元会長であるカク・キフンさんは、日本軍に招集された後、広島で被爆した際の体験、日本による朝鮮半島の植民地支配の問題点などを紹介しながら、「日本政府が外国にいる被爆者を援護しないのはおかしい。被爆者はどこにいても被爆者だ」と述べました。
 また、韓国原爆被害者協会釜山支部のチョン・テホンさんは、14歳のときに長崎で被爆し、被爆者が病気で亡くなっても当時はそれが原爆症であることは分からなかったことなど、戦後の苦労についてお話がありました。
 
 現在、メキシコに在住している山下泰昭さんは、6歳のときに長崎で被爆しました。その後、長崎の原爆病院で勤める中で、「被爆者とは結婚しない」という差別に直面し、メキシコオリンピックで仕事をしたことを契機にメキシコに移住しました。移住後も深刻な貧血に悩まされる日々が続きましたが、1995年のフランスによる南太平洋での核実験の際に、大学生に被爆体験を語ったことをきっかけに証言活動を開始しました。一時期はサンフランシスコの被爆者団体に所属していたものの、現在はメキシコで被爆者に関連する情報が得られず孤立した状態にあると報告しました。
 
 参加者からの政府の政策の問題点についての質問に対し、在間弁護士は、「被爆者援護と福島の原発事故の問題で共通するのは、政府が放射線による被害をできるだけ小さく見積もろうとしていることだ」と指摘しました。
 原爆による被害を国際的な視野でとらえ直し、「被爆者はどこにいても被爆者である」というカク・キフンさんの言葉を出発点にこれからの運動を進めることを確認しました。
長崎大会 第7分科会「ヒバクシャ3―被爆二世・三世問題を考える」
 
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講師:中鋪美香(弁護士) 
   振津かつみ(医師)
報告:崎山昇(全国被爆二世協会長)
   平野克博(全国被爆二世協事務局長)
参加者 73名
 
 崎山さんより「国連人権委員会に対する取り組み」に関して報告を受けた。崎山会長は、国連の人権理事会に被爆二世・三世の課題を取り上げさせるためジュネーブに訪問団を派遣した経過について報告するとともに、現在、11月の第28会期に向けて行なっているロビー活動について紹介した。
 
 中鋪弁護士から「被爆二世集団訴訟の意義と展望」と題して報告を受けた。今年の2月に広島と長崎それぞれで訴訟に踏み切っており、被爆者援護法が被爆二世を対象にしていないことは、その生命・健康を脅かすものであり、憲法13条に違反していること、また、国の立法不作為が認められることなど、訴訟の内容について報告された。
 
 また、振津さんからは「放射線の継世代(遺伝的)影響」について、専門家の立場から報告された。遺伝的影響とは正確には継世代的影響のことであり、体細胞の損傷ではなく、生殖細胞の損傷が問題であること、また、マウス実験では「がんなどの疾患になりやすい体質」が伝わることが立証されているが、人での証明は未だにできていないことを述べた上で、「国は健康リスクがないと証明できなければ、人においてもリスクがあると考え、適切な対策をすべき」と述べた。
 
 最後に、平野・全国被爆二世協事務局長より、全国被爆二世協のこれまでの活動について報告があった。放影研の「被爆二世健康調査」に対する取り組みや、国会対策の取り組みなどが報告されるとともに、今後の国連人権委員会や裁判闘争、フクシマとの連帯についても提起され、組織強化に繋げていく取り組みの方向性が示された。
 
 裁判の見通しに関する質問などが出され、裁判自体は長期間かかるものであり、それを通じた幅広い運動展開が必要であること、また、勝訴のためには世論形成が重要であり、裁判傍聴など様々な取り組みを通じて広く問題を訴えていく必要性が確認された。また、被爆二世に対する差別の質問や、静岡や東京では被爆二世のがん検診が行われており、自治体での取り組みも重要だという意見もあり、活発な意見交換がなされた。
 最後に、裁判闘争の支援の必要性を確認し、今後も職域での取り組みと地域での取り組みをつなげていくことが重要であるとのまとめを受けて終了した。
長崎大会 第8分科会「見て・聞いて・学ぼう“ナガサキ”」
 
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証言と講演:山川剛(長崎県被爆教職員の会)
      西岡由香(漫画家)
参加者 140名
 最初に、原水禁国民会議制作のDVD「君たちはゲンバクを見たか」が上映されました。広島・長崎の原爆投下による悲惨な実態が映像を通して感じることができました。
 続いて、被爆体験講話として山川剛さん(県被爆教職員の会)の講演に入りました。山川さんからは教職員出身ということから、戦時中における学校教育が果たした役割や政府の広報が果たす役割として、「ぜいたくはしません」「パーマネントはだめ」「学校校庭での竹やり訓練」などを通して、世論を戦争へと誘導して行く実態が報告されました。
 また、長崎市への原爆投下による悲惨な実態や、自ら経験した原爆被害の肉体的・精神的な恐怖から「二度とヒバクシャを作らない」ために核兵器廃絶を強く訴えられました。
 会場からは、核兵器禁止条約が国連にて採択されたが実効性はどうかなどの質問が出され、山川さんからは「核兵器廃絶元年として実効性を高めて行くために、市民の努力が重要となっていく」との見解が述べられました。
 次に、西岡由香さんの講演に入りました。西岡さんは漫画で平和活動を展開する原動力は、被爆体験者の話を聞くことにより自分の心に被爆を感じたこと。そうした中で原爆は絶対だめと強く感じるようになった。その運動を漫画や紙芝居を通じて取り組むようになった。運動は色々な方法があると述べられました。また、「今日の聞き手は明日の語り手」として運動の輪を広げていきたい。憲法9条改憲の動きがある中で平和を守るためにがんばって生きたいと決意が述べられました。
 最後に、原水禁運動が取り組むべき課題として、安倍政権がこの間強行してきた「特定秘密保護法」「自衛隊の集団的自衛権行使(戦争法)」「テロ等準備罪(共謀罪)の強行」「原発再稼動」などと対峙する闘いと、核兵器禁止条約への日本政府の参加を求める闘いに全国の仲間と連帯して行くことを確認しました。

 被爆72周年原水禁世界大会・長崎大会基調提案

被爆72周年原水爆禁止世界大会実行委員会
原水爆禁止日本国民会議
事務局長   藤本泰成
 
 被爆72周年、原水禁世界大会長崎大会、開会総会に多くのみなさまに参加いただきました、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。台風を心配しましたが、長崎では杞憂に終わりました。ただ、今後列島を横断するのではないかと危惧されます。被害が拡大しないことを願っています。
 それでは、若干の時間をいただいまして、大会の基調を提案申し上げます。詳しくは、後ほどお手元のピンクの冊子「基調」に目を通して下さい。
  敗戦と被爆から72年が経過して、2017年7月7日、国連総会において「核兵器禁止条約」が、採択されました。核兵器の製造や使用などを法的に規制する画期的な条約であり、その前文では、被爆者や核実験被害者の「受け入れがたい苦痛と被害」に触れています。多くの被爆者が、高齢にもかかわらず、世界に足を運び、訴えてきた結果として、加えて原水禁運動の結果として、心から歓迎するものです。
 米国オバマ前大統領は、「核なき世界」をめざすとした「プラハ演説」をスタートに、核セキュリティーサミットの開催や被爆地広島訪問、先制不使用宣言の検討など、在任8年間、努力を重ねました。しかし、一方で米国内では、核兵器の近代化のための巨額投資が続きました。オバマ大統領がプラハ演説で、「『核なき世界』という目標は、私の存命中には実現しないかもしれない」と述べています。米国社会に染みついた核兵器への幻想を思い起こします。
 トランプ新大統領も、核の近代化に積極的であり、「核兵器保有が存在するなら、米国はその頂点に立つ」とまで言い切っています。米国のかたくなな姿勢は、核兵器廃絶の大きな障害となっています。
 昨日、広島の平和祈念式典で、安倍首相は「唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を、絶え間なく積み上げていくこと。それが、今を生きる私たちの責任です」と述べましたが、核兵器禁止条約には一言も触れませんでした。それが、日本政府の姿勢なのです。
 日本政府は、「核兵器禁止条約」の検討会議に参加せず、総会では反対を表明しています。安倍首相は、常に平和を口にしますが、しかし、それは政治的ポーズに過ぎません。このような態度は、被爆者の思いを踏みにじるもので、許すことはできません。
  自民党政権は、1957年5月7日の参議院予算委員会で岸信介首相(当時)が「憲法は、核兵器保有を否定していない」と発言したり、また、2016年4月1日には、安倍政権が「必要最小限度の核兵器は合憲」の閣議決定をするなど、核兵器保有を否定しないできました。
 日本政府は、福島原発事故以降も、エネルギー基本計画の中心に、「原発推進」と再処理したプルトニウムを高速増殖炉で利用する「核燃料サイクル計画」を位置づけています。
 高速増殖炉もんじゅは、発電を本格化することなく廃炉に追い込まれました。完工延期が続く青森県六ヶ所村の再処理工場建設計画とともに、計画全体の見直しが迫られています。しかし、日本政府は、フランスの高速炉計画に参画するとして、プルトニウム利用の延命を図っています。
 元米国の国務次官補を経験し、クリントン政権で北朝鮮の核問題を担当したジョージタウン大学のロバート・ガルーチ教授は、「六ヶ所再処理工場は2割程度の稼働率であっても、年間1.5トンものプルトニウムが生産される。有能な科学者であれば、年間300個の原子爆弾を作れるほどの量になる」と指摘し、再処理工場は、米国の傘の下から脱した場合のリスクヘッジであり、いざとなれば核武装できることを担保するものだとの見方を示しています。この懸念は米国の安全保障関係者に共有されているとも指摘しています。
 原子力の平和利用・核燃料サイクル計画が、日本の「核抑止力」そのものであることは重大な問題です。「脱原発」を確定すること、そのことは「核燃料サイクル計画」の存在理由を排除することです。唯一の戦争被爆国と主張するなら、核兵器廃絶を主張するなら、プルトニウムを放棄して、本当に核を持たない国として、核兵器廃絶に向けて核保有国への働きかけを行っていくべきです。
 日本こそが、米国の核の傘を脱して、平和外交による安全保障の道を追求しなくてはなりません。そのためにも、今後予定される、日米原子力協力協定の改定作業においては、再処理の放棄を検討し、最終的に原発に、核エネルギーに依存しない日本を、構想しなくてはなりません。
 福島第一原発は、未だ高線量の中で収束に向けた努力が行われていますが、溶融した燃料の状況さえ確定できずにいます。一方で、事故処理費用は、当初見込みの倍、21.5兆円にも上ることが明らかになっています。それも現段階での試算でしかありません。
 このような中で、除染作業を進めてきた政府は、年間被ばく量20mSvを下回ったとして、多くの地域で帰還を実質的に強要しています。
 被害者・避難者は、時間の経過の中で、様々多様で多岐にわたる問題を抱え、帰還はすすみません。年間被ばく量20mSvは、事故前の基準の20倍であり、山間部や原野は除染できていません。目に見えない放射性物質は、健康への大きな不安となっています。
 福島県は、自主避難者への住宅無償提供を打ち切りました。2万6千人以上と言われる自主避難者は、故郷と避難先の二重の生活によって困窮を極めたり、生業を奪われたり、故郷の住宅の荒廃によって帰還できないなど、様々な困難を抱えています。
  2017年4月4日の記者会見で、今村雅弘復興大臣は「福島原発事故の避難者が復帰を拒否するのは自己責任」「裁判でも何でもやればいいじゃないか」との暴言を吐いています。自らの立場も考えず、福島の事故後の実態も理解せず、避難者の思いを暴言をもって拒否する態度は、責任ある立場の発言とは考えられません。
 この発言の背景には、フクシマを終わりにしよう、無かったものにしよう、そして、「文句言わずに、早く帰還しろ」との、フクシマを切り捨てようとする政府の姿勢があることは確実です。
 2017年3月17日、前橋地裁の原道子裁判長は、福島原発事故で福島県から群馬県に避難した住民など137人が国と東電を相手に損害賠償を求めた訴訟において、「東電は巨大津波実を予見しており、事故は防ぐことができた」として、東電と安全規制を怠った国の賠償責任を認める判決を行いました。
 
  原発事故以降、私たちが主張してきた「ひとり一人に寄り添う政治と社会」を具現化する、新たな国による支援を求めます。私たち原水禁は、そのような福島の実態に則した、ひとり一人の、人間としての復興を求めて運動を続けます。
 「この世界の片隅に」という、戦時下のヒロシマを描いたアニメーション映画が、異例のヒットを記録しました。主人公スズの何気ない日常を描きながら、戦争に翻弄されていく人々の哀感に満ちています。
 片渕須直監督は「当時の『普通の生活』を噛みしめて描いた」と述べています。戦時下であっても、一人ひとりの日常は、片渕監督が「原爆を描いているが、半分はコメディー」と言っているように、笑いあり、涙あり、そしてたまにケンカもあります。日常は、日常として続いていきます。
 しかし、そのような日常にも、戦争はしっかりと根を張っていきます。そして、少しずつ、少しずつ、人々の生活を侵食していくのだと思います。
  突然と、突然と、その日常をやぶる原爆、日々の何気ない幸せをも奪い去る原爆、戦争は、その人の何気ない日常を、奪い取っていきます。
 贅沢をすることもなく、ただただ、日々を精一杯生きて行く、誰を貶めることなく、誰を恨むことなく、しかし、誰からも愛されながら、「この世界の片隅で」しっかりと生きて行く、そのような普通の生活すら、認めようとしないのが戦争なのではないでしょうか。
 名も無きひとりの人間として、多くの名も無い人々の尊厳のために、私たちは、戦争に、原爆に、反対していかなくてはなりません
 原水禁運動は、戦争が寸断する「命の尊厳」を、呼び起こす運動であったはずです。そしてこれからもそうであるべきだとおもいます。
 平和に向けて、今日から3日間、真摯な討論をお願いして、長崎大会での基調提起といたします。
 
以  上
 

 

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 8月7日、長崎市の「長崎ブリックホール」で「被爆72周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の開会総会が開かれました。台風の影響で一部の県は開会に間に合わなかったものの、全国から1100人が参加しました。
 オープニングは、現役の医者による音楽ユニット「インスハート」が登場。医療で身体を治すだけでなく、音楽を通して心まで癒したいとの思いで活動を続けており、ステージでは原爆で子どもを亡くした母の思いをうたった「おばあちゃんののこしもの」を熱唱。参加者の感動を呼びました。
 続いて、7月に長崎県内を一周した「第33回反核平和の火リレー」の参加者が登壇し、これからも活動を続ける決意を語りました。
 黙とうに続いて、主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(原水禁代表)は、自らが体験した長崎での被爆について「あの地獄のような光景が目に焼き付いている。原爆は、人間が人間として生きることも死ぬこともできなくするものだ」とその悲惨さを語り、「7月7日に国連で可決された核兵器禁止条約に日本は反対しているが、被爆者を、そして国民を見捨てる行為だ」と安倍政権を厳しく糾弾。「東北アジアの非核地帯化など、核なき世界の先頭に立とう」と呼びかけました。
 大会への海外ゲストを代表し、台湾大学教授で、台湾環境連合で脱原発運動を進めている徐光蓉(シュウ・グァンロン)さんが「核兵器と原発の根本は同じものであり、どちらも絶対悪だ。これ以上、放射性物質が地球上に溜まれば環境や子孫に悪影響を与える」として、2025年に原発ゼロをめざす台湾の動きを報告しました。

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 大会基調の提案を藤本泰成・大会事務局長が行い、核兵器廃絶、脱原発、ヒバクシャの援護と権利拡大への取り組みを提起し、「名もない人々の日常が持つ豊かさを守るために、命の尊厳を大事にする運動を続けていこう」と訴えました。基調提起はこちら
 福島原発事故について、福島県平和フォーラムの村上伸一郎副代表が報告し、3月から一部地域を除いて、帰還が強制され、仮設住宅からの立ち退き、住宅支援の打ち切りなどの政府の対応を批判し、「国や県は責任をもって生活再建を支援するべきだ」と語りました。
 

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「長崎からのメッセージ」として、田上富久・長崎市長が登壇し、日本非核宣言自治体協議会の会長として「核兵器禁止条約ができた源流に被爆者の声があり、それが集まって国連で大きな流れとなった」と述べ、「条約を社会の規範とするために市民が声をあげ続けていくことが必要」と強調しました(写真上左)。
 さらに、核兵器禁止条約」の国連での討議を傍聴した川副忠子さんが、戦争に突入する前からの日本の動きや、原爆投下、敗戦後の平和を求める運動や被爆者の活動などについて、写真等を用いて説明しました。
 また、原爆の被害者が当時の旧長崎市内に限られ、近隣の自治体に住む人たちが被爆者認定されなかった問題について、「被爆体験者訴訟原告団」の岩永千代子さんと松尾榮千子さんが証言。被爆直後の爆風の中を逃げ回り、その後、友達を白血病で亡くし、自らもがんと闘っていることを語り、訴訟を通じ、国や県、市が一刻も早く認定するよう求めていくと述べました(写真上右)。
 メッセージの最後は高校生からで、20年前から続けられている「高校生平和大使」の活動について、昨年の第19代大使から活動報告を受けた後、今年の20代大使に選ばれた15都道府県の22人が一人一人抱負を述べました(写真下)。また、2001年から長崎で始まった「高校生1万人署名運動」も全国に拡大し、これまでに140万人以上の署名を国連に届けたことが報告され、全員で活動のテーマソングを歌って運動の継続を誓っていました。

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 最後に「原爆を許すまじ」を斉唱し、開会総会を終了しました。8日には長崎市内を中心に分科会やひろば、フィールドワークなどが行われ、9日に閉会総会と非核平和行進を行なわれます。
 

 

 1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆弾は、強烈な「熱線」、「爆風」、「放射線」のもと、その年の内に14万人もの生命を奪い去りました。あの日から72年、被爆者の高齢化は進み、限られた時間の中で、援護対策の充実と国家の責任を求めることが急務となっています。さらに、親世代の原爆被爆による放射線の遺伝的影響を否定できない、被爆二世・三世の援護を求める運動も重要です。

 7月7日、国連本部で「核兵器禁止条約」が採択されました。私たちが願う「核兵器廃絶」へ向けての歴史的瞬間でした。この条約の前文において「核兵器の使用による被害者(ヒバクシャ)に引き起こされる受け入れがたい苦痛と危害に留意する」や「核兵器に関わる活動で先住民に対する不釣り合いに大きな影響を認識」と、私たちが訴え続けてきた「核廃絶なくして被爆者(ヒバクシャ)の救済なし」や「核絶対否定」の理念が込められており、原水禁運動が国際的に認められた証でもあります。これからは、日本政府に、唯一の戦争被爆国として、全世界の条約批准へ向け、核兵器保有国とその同盟国をリードしていく責任を認識させなければなりません。

 東日本大震災による福島第一原発の事故から6年が経過していますが、いまだ約8万人近い福島県民が避難生活を余儀なくされています。しかし、安倍政権が進める原子力政策では、福島原発事故の反省もなく、12基の原発再稼働が認可され、その内、5基が私たちの強い反対にも関わらず再稼働を強行しました。それどころか、原発の新・増設の可能性すら追求し始めています。フクシマを決して忘れてはなりません。福島県民と周辺県で放射能汚染を強いられた人々の健康不安、特に子どもの健康にしっかり向き合うよう、「被爆者援護法」に準じた法整備を国に求めるとともに、原発の再稼働や新・増設を許さず、全ての原発の廃炉、再生可能エネルギーへの転換を求めます。

 安倍政権は、安全保障関連法制(戦争法)や組織犯罪対処法改正(共謀罪)を、市民の多数の反対を押し切って、国会での数の力により強行採決させてきました。さらに、2020年までには憲法を改「正」する構えを見せています。戦争により何が起こったのか思い起こすとともに、被爆地ヒロシマを体験した私たちは、9条を守り憲法を守り一切の戦争を否定し、二度と悲劇が繰り返されないよう訴え行動していきましょう。

 これまで私たちは原水禁を結成し、52年にわたり一貫して「核と人類は共存できない」、「核絶対否定」を訴え続け、核のない社会・世界をめざして取り組んできました。現在、暴走し続ける安倍政権の戦争への道、原発再稼働への道に対抗していくことが喫緊の課題であり、未来ある子どもたちに「核も戦争もない平和な社会」を届ける取り組みを全力で進めます。

○核兵器禁止条約で核兵器廃絶を実現しよう!
○フクシマを繰り返すことなく、全ての原発の再稼働や新・増設に反対し脱原発社会をめざそう!
○原発事故の被災者と被曝労働者の健康と命と生活の保障を政府に強く求めよう!
○非核三原則の法制化を実現しよう!
○憲法改「正」を許さず、戦争法や共謀罪の廃止をめざそう!
○ヒバクシャ援護施策の強化ですべてのヒバクシャ支援を実現しよう!
○被爆二世・三世の援護を実現しよう!
○すべての核兵器をなくし、核と戦争のない21世紀をつくろう!

 ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノー モア フクシマ、ノー モア ヒバクシャ

                        2017年8月6日
                        被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会
 

 被爆72周年原水爆禁止世界大会広島大会まとめ

 
被爆72周年原水爆禁止世界大会実行委員会
原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成
 

 核禁止条約に対する日本政府の態度が問題になっています。第2分科会の湯浅一郎ピースデポ副代表は、オバマ政権の8年間を総括しながら、「核なき世界」をめざす米国では、核兵器への巨額投資が続き、核戦力の近代化が続いた、今後10年間で核の近代化に800億ドル、運搬手段の近代化に1000億ドル、全体で1800億ドル、約18兆円が支出されることになったと指摘しています。オバマ大統領がプラハ演説で述べた「この目標は、私の存命中には実現しないかもしれない」と言う言葉は、米国社会に染みついた核依存態勢を象徴し、このことを変えるのは至難の業との思いの表れでは無いでしょうか。
 
 第1分科会で発表した、米国の平和NGOピースアクションのポール・マーチン代表は、米国で様々な問題を起こしているトランプ新大統領が、守っている唯一の公約は、軍事中心主義と軍事費の増額であると述べました。貧困層対策のプログラムの予算を削減し、軍事費を大幅に増額している事実を指摘しています。トランプ政権は、核の近代化政策においても、オバマ政権の方向性を支持しています。ただし一方で、イランとの間の核開発放棄の合意と北朝鮮の金正恩政権との対話の姿勢は保ち続けるとしています。
 
 北朝鮮は、核実験を繰り返し、ICBM・大陸間弾道弾の実験に成功し、米国内の全てを射程に入れたと主張しています。米国の核兵器とは規模も違いますが、核のにらみ合いとも言える状況が続いています。北朝鮮を対象とした、米韓軍事演習は規模を拡大し、日本を含む日・米・韓の軍事同盟強化はこれまで以上に進んでいます。米艦防護や後方支援など米国との軍事同盟を強化するために、安全保障関連法が成立しました。
 
 第1分科会で、軍事評論家の前田哲男さんが、43の民放70の新聞を使い、3億円以上をかけたと言われる「弾道ミサイル落下時の行動について」という政府公報を紹介しています。「できる限り頑丈な建物や地下街などに避難する」「物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭を守る」「窓から離れるか、窓の内部屋に移動する」と書かれていますが、前田さんは、原爆投下の直後に大本営の「防空総本部」が出した新型爆弾に対する「対策心得」に書かれている「待避壕はきわめて有効、頑丈なところに隠れること」「普通の軍服や防空ずきんおよび手袋でやけどから保護できる」「伏せるか 物陰に隠れる」と比較し、全く変わらないとして、政治が言う安全保障のキャンペーンが、いかにむなしく、いかに危険かと述べています。
 
 小野寺五典防衛大臣は、自民党の「弾道ミサイル防衛に関する検討チーム」の座長を務め、「敵基地反撃能力」が必要として、2017年3月30日に「弾道ミサイル防衛の迅速かつ抜本的な強化に関する提言」を総理に提出しています。安部首相は、すでに日本の自衛隊の役割を「抑止力」から「対処力」へと変貌させようとして、安全保障の議論を進めています。前田さんは、高高度ミサイル防衛システム(サード)や巡航ミサイルトマホークの導入などを通じた「敵基地反撃(攻撃)能力」の確保に議論が進み、安全保障政策は「憲法解釈上の議論」のレベルではなく、実際的な「防衛上の政策論」まで進んでいると警鐘をならしています。
 
 「日本が『核の傘』依存をやめること」これが、東北アジアの冷戦構造と安全保障のジレンマを解消することにつながっていく。東北アジアの非核化の問題を、第2分科会で議論していただきました。第3分科会では、核兵器の材料であるプルトニウムを創りだす核燃料サイクルの議論がありました。原子力資料情報室の伴さんからは、「再処理は崖っぷち」との報告がありました。サイクルの一翼を担う高速増殖炉もんじゅは、廃炉になっています。計画通りの実施が困難となった今こそ、核燃料サイクル計画からの脱却を実現しなくてはなりません。そのことこそが、東北アジアの平和のために、東北アジアの非核化そして共通の安全保障の道へつながっていくのです。原水禁運動が、この間主張してきた東北アジア非核地帯構想とその実現のための、日本を、プルトニウム利用政策から脱却させるためにがんばらねばなりません。
 
 事故を起こした福島第一原発は、6年を経過してもなお、事故処理の作業が全く進んでいません。政府は、除染によって避難指示区域の解除を進め、帰還を強要するかのように、これまでの支援の打ち切りを進めています。ヒロシマ・ナガサキの被爆者がそうであったように、フクシマのヒバクシャの生活再建にも、支援の手を自ら伸ばすことはありません。これまでの原水禁運動の経験に学び、福島県民と周辺県で放射能汚染を強いられた人々の健康不安、特に子どもの健康にしっかりと向き合い、生活再建・生業再建を目途に、「被爆者援護法」に準じた法整備を、国に求めていかなくてはなりません。
 
 このような中で、「脱原発」は確実に市民社会に根付いています。市民社会の声が、原発推進に戻ることはあり得ません。第4分科会では、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長が、「世界は再生可能エネルギー時代を迎えつつある」として、再生可能エネルギーが指数・関数的に増加していることを明らかにしました。原発384GW、風力490GW、太陽光300GW、原発は漸減しているが太陽光発電は昨年1年で76GW増加していることを考えると、太陽光発電が原子力を上回るのは時間の問題です。当初、1Wあたり1万円もしていた、太陽光の発電コストは、今や1Wあたり40円となっています。地域分散型の再生可能エネルギーが、新たな地域再生の大きな力になり、日本のエネルギーを支えることを、私たちは、私たちの選択として実現しなくてはなりません。エネルギー・デモクラシーの時代を、私たち自身で切り拓かなくてはなりません。
 
 今年の国際会議は、「なぜ日本で脱原発は進まないのか」と言うテーマで、開催をしました。2025年までに脱原発を決めた「台湾」から、また、ムン・ジェイン新大統領が脱原発を志向し国民的議論に入ろうとする韓国からゲストをお招きしました。
 原水禁運動は、1955年のその発足から、核兵器問題と原発問題に、運動の両輪としてとりくんできました。様々な確執があったにせよ、私たちは、「核絶対否定」「核と人類は共存できない」ことを基本に運動を進めてきました。自民党政権は、1957年5月7日の参議院予算委員会で岸信介首相(当時)が「憲法は、核兵器保有を否定していない」と発言したり、また、2016年4月1日には、安倍政権が「必要最小限度の核兵器は合憲」の閣議決定をするなど、核兵器保有を否定しないできました。
 
 日本は、エネルギー基本計画に、使用済み核燃料を再処理し、プルトニウムを利用する核燃料サイクル計画を位置づけています。結果として47トンものプルトニウムを所持しています。日本は、常に瞬時に核兵器保有国に変貌できることを、再処理で担保しています。原水禁は、商業利用の名を利用した核政策としてのプルトニウム利用に反対してきました。脱原発が確定すると、結果として核燃料サイクル計画、再処理がその意味を失います。それは、日本が真の意味で核政策を転換するために、大きな意味を持ちます。核兵器禁止条約が採択された今、日本の条約批准が求められていますが、そのためには日本の核政策の転換を図らなくてはなりません。原水禁は、脱原発の視点から、日本の核政策の転換を考えようとしました。そして、フクシマを二度と繰り返さないことの、人権としての当然のとりくみとして、脱原発を考えました。
 
 パネラーのひとり、吉岡斉九州大学教授は、「日本の原発は動いていない。稼働可能な原発の内、現在稼働中は、5基、2017年中に稼働するとしている玄海原発を入れて7基である。2020年においても稼働できるのは15基から20基程度ではないか」とし、脱原発の実現に向けては、地方自治体からも、新潟の米山知事、静岡の川田知事など、再稼働を許さない動きが出てきている。今後、重要になるのは政治家の姿勢であると指摘しました。旧民主党政権が、「2030年代、原発ゼロ」の方向性を示したことも大きな動きだったとして、国会における多数派形成は、最重要課題としています。
 
 シュウ・グァンロン台湾大学教授は、台湾の脱原発が法律に規定されていることを報告されましたが、しかし、政治家を動かすには運動の力も重要であると指摘しています。イ・ユジン韓国緑の党脱核特別委員会委員長は、「これまで、韓国には原発推進の関係法律は存在するが、原発を止める方向での法律は存在していない。このことは重要な課題だ。現在野党が多数派を形成しており、野党の議員の理解を求めることも重要である」としました。
 オーストリアは、脱原発と核兵器不保持が、憲法に規定されていると聞きました。政権が変わっても重要な政策が変更されないようにすることが目的とされています。
 原水禁運動のとりくみを通じて、脱原発の方向を確固たるものにするために、私たちのとりくみの方向は明らかになっています。
 

 少し話を変えたいと思います。私は、北海道の本当の田舎町で育ちました。昼は蝉の声が、夜は蛙の声で眠れないことがあるほどの、自然の中で育ちました。夏は野山を走り回り、冬は雪の中を転げ回りました。
 
 北海道の冬の夜は、冷えます。深々と音もなく雪は、静かに降り積もります。子どもの頃、覚えた詩が頭に浮かびます。三好達治のたった2行の有名な詩です。
 
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
 
 詰めたい布団に入って、最初はじっと我慢しながら、ちょっとした不安の中で眠ってしまう。朝起きた後の、朝日の中の雪のキラキした輝きが、今でも目に浮かびます。
 自然の中で、泥だらけになって、雪まみれになって、育ってゆく。日本の故郷の子どもたちの姿です。
 
 福島第一原発の事故以降、フクシマの野山はどうでしょうか。フクシマの雪の中を、転げ回ることができるのでしょうか。
 
 フランスの文学賞を受賞した、福島市在住の詩人、和合亮一さんの詩をツイッター上で読ませていただきました。
 
「石の礫」と言う作品ですが、長文ですので、その中の「悲しみ」と題された部分を、抜粋させていただきながら、一部を紹介します。
 

  三月十一日 悲しい 揺れ 巨大な 揺れ あれから
  私の町の駅はまだ目覚めない。囲われて、閉じられて、消されている。
 
  あなたにとって、懐かしい街がありますか。私には懐かしい街があります。
  その街はなくなってしまいました。
 
  あなたは地図を見ていますか。私は地図を見ています。その地図は正しいですか。私の地図は、昔の地図です。なぜなら今は、人影がない。…。
 
  放射能が降っています。静かな夜です。
 
  ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか。
 
  ものみな全ての事象における意味などは、それらの事後に生ずるものなのでしょう。ならば「事後」そのものの意味とは、何か。そこに意味あるものは。
 
  この震災は何を私たちに教えたいのか。教えたいものなぞ無いなら、なおさら何を信じればいいのか。
 
  放射能が降っています。静かな静かな夜です。
 

 私は、自然の中で、のびのびと育ってきたことが、私にとってかけがえのない素晴らしい贈り物であったように思います。
 
 放射能が降っている。静かな静かな夜です。皆さん想像してみて下さい。
 
 雪は見えます、が、放射能は見えません。雪の中を子どもたちは転げ回ります、が、放射能の中を転げ回ることはできません。雪を口にする子どもたちがいます、が、放射能を食べることはできません。
 
 私たちが、子どもたちに残し、受け継いでいくはずの自然を、放射能は奪い取っていったのです。
 
 基調提起で申し上げました、憲法には、健康で文化的な生活を営む権利、人間らしい生活を営む権利が、しっかりと決められています。フクシマは、憲法違反です。
 
 放射能が降っています。静かな静かな夜です。
 
 そんなところに、人間らしい生活があるはずはありません
 

 この詩は最後を、こう結んでいます。
 
  2時46分に止まってしまった私の時計に、時間を与えようと思う。明けない夜は無い。
 
 さあ、私たちは、明日のために何をしますか。昨日、今日の議論から、私たちは何をしますか。
私たちの生活の場から、答を出そうではありませんか。
 それは難しくありません。
 
 最後に、実行委員会の皆さん、参加いただいた講師の皆さん、海外ゲストの皆さん、そして全国からの参加者の皆さんに、心から感謝を申し上げて、まとめといたします。
 
以  上

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  1945年8月6日午前8時15分、広島に原子爆弾が投下され、一瞬にして多くの命が奪われてから72年。「被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会」は「まとめ集会」を県立総合体育館で開き、700人が参加しました。
 主催者挨拶に立った川野浩一・大会実行委員長は、8月6日の「あの日」を振り返り、「多くの子ども達も犠牲になった。三たび繰り返さないと誓ったはずが、いまだ達成されていない。安倍晋三首相は広島平和式典で、国連で採択された核兵器禁止条約について何も触れなかった」と厳しく批判しながら、「安倍政権の支持率は激減している。いまこそ政治の流れを変えるチャンスだ。原点に立ち返って行動しよう」と呼びかけました。
 中・高校生が中心になって企画・運営された「メッセージfromヒロシマ2017」の報告では、参加した子ども達の平和への思いを集めたボードが披露され、採択された「平和アピール」が紹介されました(写真上)。

 海外代表からのアピールは、韓国・環境省中央環境政策委員のイ・ユジンさんが行い「アジアでは、台湾が2025年までに原発をゼロにし、韓国でも文大統領の下で脱原発の機運が高まっている。民主国家では原発は選択されない。勝利の日まで闘おう」と訴えました。

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 特別報告として、「高レベル放射性廃棄物処分問題と適地マップの公表について」を北海道平和運動フォーラムの長田秀樹代表が報告。原発から出される「核のゴミ」と呼ばれる高レベル放射性廃棄物を地下に埋めるため、政府が7月28日に示した処分地の「科学的適正マップ」を厳しく批判し、「該当する自治体において処分場拒否の議会意見書採択の運動を展開しよう」と呼びかけました。
 広島大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長が行い、5日の分科会や国際会議などでの論議の中から、「核兵器禁止条約」の早期発効に向けて日本がアメリカの「核の傘」からの脱却が必要なことや、核燃料サイクルシステムの破綻、東北アジア非核地帯化構想の推進、福島原発事故の避難者へ「被爆者援護法」に準じた法整備、再生エネルギーの拡大、脱原発の視点からの日本の核政策の転換などを提起し「明日の世界のために何が出来るか一人一人が考えよう」と強調しました。
 最後に「暴走し続ける安倍政権の戦争への道、原発再稼働への道に対抗していくことが喫緊の課題であり、未来ある子どもたちに『核も戦争もない平和な社会』を届ける取り組みを全力で進めます」とする「ヒロシマアピール」を採択。「核兵器禁止条約は被爆者の思いが原動力となって成立した。その思いを私たちの行動に重ねていこう」と、佐古正明・大会副実行委員長(広島原水禁代表委員)の閉会挨拶で終了しました(写真下は、最後に「原爆を許すまじ」を合唱する参加者)。
 原水禁世界大会は8月7日から9日までの長崎大会に引き継がれます。
 「ヒロシマアピール」はこちら


原爆許すまじ.JPG

平和と核軍縮.JPG脱原発2.JPG

  8月5日、被爆72周年原水禁世界大会・広島大会の2日目は、午前中に7つの課題別に分かれての分科会が開かれました。「平和と核軍縮」の分科会は、安倍政権の戦争をする国作りに対して、憲法を元に平和構築をどう図るかと、国連の核兵器禁止条約採択を受けての東北アジア非核地帯化の課題をさぐる分科会が開かれました(写真上)。
 「脱原子力」の課題では、核燃料サイクルと高レベル放射性廃棄物の処分をめぐる課題や、福島原発事故を受けての再生可能エネルギーなど脱原発をどう進めるかを討議しました。(写真下)。
 
見て聞いてヒロシマ.JPGヒバクシャ.JPG
 さらに「ヒバクシャを生まない世界に」として、世界の核被害者の現状と連帯あり方を検討した他、韓国やメキシコの在外被爆者を招いて補償問題や戦争責任を考えました(写真下)。
 さらに、原爆問題の入門を学ぶ分科会も開かれました(写真上)。これら分科会の内容は後日、原水禁国民会議のホームページで報告されます。
 
国際会議.JPG話芸.JPG
 午後からは「なぜ日本で脱原発が進まないのか」をテーマに、国際会議も開かれ、ともに政権が脱原発の方向性を明らかにした韓国と台湾のゲストから、政策転換に至った経過や今後の課題について報告を受けるとともに、日本での脱原発運動をどう進めるか、研究者や市民団体代表を含めて論議を行いました(写真上)。
 また、様々なグループが企画した「ひろば」や「つどい」が開かれた他、落語や講談で平和や核問題を学ぶ「話芸のひろば」(写真下)や、映画の上映会も行われました。さらに、子どもや若者にも平和の問題を知ってもらおうと、今年も「子どものひろば」や、高校生が企画した「メッセージfromヒロシマ」も行われました。また、フィールドワークは、一部台風の影響で中止せざるをえない催しもありましたが、様々な現場を視察しました。
 広島大会は6日に「まとめ集会」を行い、7日からの長崎大会に引き継がれます。

広島大会 第1分科会「平和と核軍縮1─憲法・沖縄~いまこそ武力にたよらない平和構築へ」

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 講師:前田哲男(ジャーナリスト・軍事評論家)
 海外ゲスト:ポール・マーチン(米国・ピースアクション)

 最初に、米国ピースアクションのポール・マーチンさんより、主にトランプ米政権の政治姿勢について報告があり、日・米関係の今後について問題提起された。
 トランプ政権の特徴として、政策的なスキルの不足と内部抗争が挙げられ、唯一守られている公約が軍事中心主義の強化であり、それは経済的な利益主義と結びついている。シリアへの軍事行動やイスラム教徒への差別がオバマ政権との決定的な違いを示しているとの見解も示され、選挙の重要性も指摘された。
 次に、軍事評論家・前田哲男さんから、『弾道ミサイル落下時の行動について』とする政府の時代錯誤の広報や自衛隊による稚拙な防衛訓練の問題点が提起され、小野寺新防衛大臣を中心とする勢力の敵基地先制攻撃論やミサイル防衛体制の強化への批判が展開された。
 また、自衛隊・防衛問題に関する世論調査の分析からは、「自衛隊と民意」についての傾向が鮮明であり、災害派遣を中心にした国民生活に密接する「働く自衛隊」が求められており、これを「9条改憲」の対抗軸とすることを提起された。
 各地の報告では、沖縄から、辺野古、高江の新基地建設強行を巡る安倍政権の強圧姿勢とこれに対峙する現地の運動の現状(決して屈しないエネルギーについて、神奈川からは、空母艦載機の厚木から岩国基地への移設と横須賀基地の空母戦闘団の強化(世界最強のBMD防衛拠点化について、山口からは、厚木からの戦闘機移設を含む、巨大軍事基地(常駐機168機におよぶ建設に向かう現状について報告された。
 質疑・討論では、トマホーク・ミサイルの購入が検討されるなど先制攻撃を受け入れる姿勢について、米空母カールビンソンの日本海への展開を容認する米国依存体質への疑問など、憲法上の疑義と朝鮮半島情勢への対応策が問われた。また「拉致問題の解決」が重要ではとの意見も出された。
 前田さんからは米・朝協議の促進、そして平和条約の実現こそが劇的な変化、根本的な解決につながる、「拉致問題」も日・朝関係改善の方向性の中で捉えようとの指摘がされた。
広島大会 第2分科会「平和と核軍縮2-核兵器禁止条約と東北アジア非核地帯化の展望と課題」
 
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講師:秋葉忠利(元広島市長)、
   湯浅一郎(ピースデポ副代表) 
海外ゲスト:リュ・ギョンワン(韓国・コリア国際平和フォーラム実行委員長)
参加者:79人
 
 秋葉さんは「核兵器禁止条約」について次のように述べた。
 核兵器禁止条約の成立は、被爆者を中心とした国際的な反核運動の成果であり画期的なものであるが、この条約成立で核兵器廃絶の道筋ができたわけではない。 1986年のレイキャビック会談で合意された核兵器の削減が実現しなかったのは、軍産複合体や官僚組織、テクノクラート的聖職者の存在があった。オバマ大統領のプラハ演説以降、結果としてアメリカでは核兵器を維持する予算は増えてきた。
 それに対抗するために「世論」と核兵器禁止条約がある。NPT条約で謳われた軍縮会議が40年間も開かれないのは、議題そのものを設定する段階で「拒否権」が発動されているためだ。その「拒否権」に対抗する多数派の力で、核兵器禁止条約は作られた。国連の限界があっても、多数決が使える国連のメカニズムを積極的に活用し、市民運動と「志を同じくする国々」と連携し、核保有国や戦争の好きな国々の中の核廃絶派・戦争反対派との連携を密に行動することで、「拒否権」を超える世界の動きを創っている。核兵器禁止条約成立により、核兵器廃絶は「道徳」から「法律」となった。
 6カ国協議が9年間開催できない状態になり、その間に北朝鮮は自分たちの国がイラクのように一方的に潰されることがないように、経済は大変な状況ではあるが相当なエネルギーと予算の大部分を核兵器とミサイル発射技術へ投入してきた。7月21日の停戦協定の日を意識して、次の日の28日の夜にアメリカまで届くと考えられるようなICBMの発射実験をして見せるところまで来ている。
 
 次にリュさんから、米国の対北敵対政策がこれ以上維持するのが難しく、破綻する一歩手前にまで来ていること。停戦状態を解消し恒久的なコリア平和体制を構築するための米朝および南北交渉が直ちに始められなければならないこと。関係国がこれからどのように行動するかが、朝鮮半島情勢を左右する要因になることが報告、提起された。
 
 さらに湯浅さんは、核弾頭の数は、米ソ冷戦をやめ、相互に冷戦時代とは全く異なる関係性をつくってきた歴史のなかで、1万4千発まで減らすことができている。軍事力による安全保障ジレンマの愚かさと、そこから逃れていく筋道を外交的に作っていけば、軍事力の強化をむしろしなくて済んでいる現実が示されている。
 このことを東北アジアに適用するために「北東アジア非核兵器地帯」を具体化していくことが求められているおり、米国の核の傘に安全保障を依存する日本の政治姿勢を変えねばならない。核兵器禁止条約という国際的な規範を活かし、市民社会がこれを変えていく力を持つことが求められていると訴えた。
広島大会 第3分科会「脱原子力1-核燃料サイクルと高レベル放射性廃棄物」
 
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講師:伴英幸(原子力資料情報室共同代表)
   末田一秀(はんげんぱつ新聞編集委員)
海外ゲスト:イ・ユジン(韓国・環境省中央環境政策委員)
参加者数 161人 
 
伴さんから「高レベル放射性廃棄物」と題して講演があった。
 1950年代から始まる高速増殖炉による「夢の核燃料サイクル」は、計画の見直し、先送りの歴史であったこと、さらには欧米の原発先進国での高速増殖炉実用化からの撤退など、核燃料サイクルがまさに「夢物語」であることをわかりやすく説明された。
 また、2016年の「もんじゅ」廃止決定は、政策の大転換であり、六ヶ所村の再処理施設意義は失われている。政府は六ヶ所の延命を図るろうとしているが、事業破たんは明白で、大事故が起こる前に再処理施設を中止に追い込こもうと訴えられた。
 
 末田さんは「高レベル放射性廃棄物の問題」と題して講演。高レベル放射性廃棄物の説明の後、地層処分は放射能が漏れ出すことが前提の施設であること、ガラス固化体に不良品が発生することは避けらないなどの危険性が指摘された。
 そして、処分場には、再処理時に発生するTRU廃棄物の処分施設も併設されるが、含まれるヨウ素は水に溶けやすく岩盤に吸着されないため、処分から10年程度で地表に放射能が漏れだす危険性があると指摘された。
 7月28日に公表された「適地マップ」を示し、今まで処分場に縁のなかった地域も対象となっていることや、あらたに沿岸の海底も対象となっていることなどに触れ「地域での学習会」などの取組み強化を訴えられた。
 
 イ・ユジンさんより「韓国での脱核とエネルギーシフト」と題した講演があった。韓国では脱原発の運動が爆発的に盛り上がっている。現在24基の原発が稼働し、5基が建設中であるが、そのうち2基の原発については市民が参加して建設の是非を論議する画期的な状況が生まれている。
 ムン・ジェイン政権のエネルギーシフト政策として「脱核」が示されているが、韓国でも原発関連産業を中心とした原発村は大きな力を持っており、市民が参加できるエネルギーの民主化が課題である。
 韓国、日本、中国は、お互いに影響を及ぼしており、緊密に情報を共有し、脱原発に向けたロードマップを市民レベルで確立するエネルギー民主主義の運動を韓日相互で発展させようとの提案もなされた。
 
 講演の後、一括して質疑が行われ、佐賀、奈良、大阪などから発言があった。最後に北海道、青森、福井、福島より各地の活動報告があった。

 広島大会 第4分科会「脱原子力―福島原発事故と脱原発」

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講師:西尾獏(原子力資料情報室共同代表)
   飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)
海外ゲスト:シュウ・グァンロン(台湾大学教授)
特別報告:長谷川健一(原発被害糾弾飯館村民救済申立団団長)
参加者 106名
 
 はじめに台湾の報告、続いて福島からの特別報告、そして福島原発の現状を西尾獏さんから、最新のエネルギー情勢を飯田哲也さんから報告を頂く順で進められました。
 
 シュウ・グァンロンさんは台湾で何が起きたか、その状況と不確実性、そして今後の課題と未来について語られました。2016年の総統選で民進党が勝利し、2025年までに全原発廃炉を表明、選挙後、2025年までに運転停止に後退しました。
 現状は、発電能力は約50GW、ピーク時の需要は36GWで、原発の占める割合は、1985年の48%から2016年は12%になっています。ただし、再生可能エネルギーは2GWと低調。従って、台湾電力は、今もって電力不足が生じると宣伝し、継続を狙っています。一方で再生可能エネルギー開発が遅れており、脱原発=石炭火力となり、反原発と反公害が対立する関係が生じかねない危険性があると指摘し、情報開示の必要性を強調しました。
 
 つづいて長谷川健一さんからは福島の現状が話されました。原発周辺自治体で最も情報が遅れ、不必要な被ばくを受け、その上、一家8人が一緒に暮らしていた家を放棄し、家族がバラバラにされ、それは今や回復の見込みがない状況に置かれていることが話されました。自分は戻りたいが、子や孫に被ばくさせたくない気持ちから一緒に帰ろうとは言えない、と苦しい気持ちを話してくれました。汚染水の行方、フレコンバックの処理、すべてが高齢者の街、このようなところに全天候型のテニスコートがいるのか、と行政に強い不信を持っていました。
 
 西尾獏さんは、チェルノブイリはある意味終わっているが、福島はどうなったら事故は終わったといえるのか、今も事故を起こしている最中であり、終わったといえない、何故なら現在どうなっているかわからないからである、とショッキングな話を冒頭からされました。 
 そしてそもそもどうやって事故が起きたのかもわかっていない、中に入ることもできない状況であり、世界初の1号機から4号機まで同時におきた事故、世界初の自然災害によるシビアアクシデントである、と強調されました。安全神話が生んだ想定外であり、今後、賠償問題を含めて解決不能な問題ばかりが残されている。そのような中で再稼働は異常であるし、その上もとに戻そうと原子力村は動いている、と指摘されました。しかし、原発は定期点検ごとに今後も止まるし、現在5基しか動いていないことを市民にもっと伝えていこう、と提起されました。
 
 飯田哲也さんは、驚くほどの勢いで再生可能エネルギー開発が進み、原子力の時代は、完全に後退時期に入ったと多くの資料を提示しながら解説されました。コスト低減も著しく、世界中で自然エネルギー価格の低下が起きていること、大型火力から小電力地域エネルギー政策への転換が進んでいると紹介されました。ドイツの巨大電力会社も「自然エネルギー分野への参入が遅れた、いや、遅すぎたのかもしれない」との発言を紹介し日本は世界に立ち遅れている、と知らされました。
広島大会 第5分科会「ヒバクシャ1─世界の核被害者の現状と連帯を考える」
 
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講師:豊﨑博光(フォトジャーナリスト)
   振津かつみ(医師)
参加者 60人
 
 2本の講演を受けて意見交換することで進められた。1つ目の講演として、『世界の各被害者2017-被害者の現状と未来』として、豊崎博光さんより提起を受けた。冒頭、豊崎さんは、「核兵器禁止条約は24項目からなり、核使用により被害を受けたヒバクシャを軸とした被害者側に寄り添った条例である」といったことに触れ、核実験による被害の状況や、原爆被害の問題について講演された。
 核実験による被害は、甚大なものがあるが、補償がされていない現状である。また、核実験による人権侵害として、地元を避難することや自給自足の生活を余儀なくされてしまうこと、生活サイクルの乱れなどに現れ、こうした人たちが多く存在している現状である。また、原発稼働により、世界的にも多くの被害者を出していることを指摘。
 原爆被害者の状況としても、地域に限定されており、全体が補償の対象になっていない現状がある。また、この補償は保証でなく「援護法」であり、政府の財源がなくなれば打ち切りとなるものであることも強調された。この他に、原発労働者の課題等に触れられた。
 
 2本目は、『世界の核被害者の人権と保障を求める運動との連帯』として、振津かつみさんからの講演を受けた。
 核開発と利用は、被害者なしに成り立たないとし、核は軍事平和利用を問わず、ウラン採掘から核廃棄物に至るまで、あらゆる過程で核被害者を生み出している。フクシマやチェルノブイリの原発事故やウラン開発など、汚染により居住地が剥奪され、生活が奪われる。また、健康障害も長期に及び、二世や三世にも影響を及ぼす。そんな中、被害者の権利と保障問題については確立されていないと語られた。
 
 その後、参加者からの質問や意見を聞き、3人の方が発言された。最後にまとめとして、被爆者は、原爆被害だけでなく原発や開発にあたる多くの人にも多大な影響を与える。しかし、現状は不十分な補償しかない。核兵器禁止条約が提案され、今後いかに実行するかが課題である。ぜひ日本政府による条約批准を促し、核保有国が批准する運動を進める必要がある。
 また、被害者援護の運動と連帯し、補償問題を解決できるよう取り組みを強化せねばならない。安倍政権の戦争への道、原発再稼働に対抗し、平和と民主主義、基本的人権の尊重、憲法を守る取り組みを進めるため、各地域・職場で取り組みを進めていただきたい。とし、分科会を終えた。
広島大会 第6分科会「ヒバクシャ2-在外被爆者と戦争責任」
 
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講師:平野伸人(韓国の原爆被害者を支援する市民の会)
海外ゲスト:カク・キフン(韓国・元韓国原爆被害者協会会長)
      山下泰昭(メキシコ・在外被爆者)
参加者 36名
 
 海外ゲスト2名と韓国の原爆被害者を支援する市民の会から平野伸人さんを講師として招き、ヒロシマ・ナガサキの原爆被害者や在外被爆者の現状と、いまだに残る課題について討論を行いました。初参加の方が多数おられましたが、皆さん熱心に聞き入り、積極的に発言できる雰囲気の中で有意義な分科会となりました。
 初めに、韓国原爆被害者協会の元会長であるカク・キフンさんから、1910年の韓国併合から強制徴用されたこと、また被爆してから被爆後遺症の支援にいたるまでの辛い経験をスピーチいただきました。
 次に、長崎県出身であり、被爆したことを契機にメキシコへ移住された山下泰昭さんから後遺症に苦しめられた過去を語っていただきました。
 次に、平野さんから被爆者の残された課題として、「原爆症認定問題」「被爆体験者・黒い雨地域等の被爆地是正の問題」「被爆二世・三世問題」「在外被爆者問題」の4つの課題が残されていると提起されました。また、政府は戦争責任として認識しておらず、社会保障としての対応をしており、あらためて二度とヒバクシャをつくらない、二度と戦争をしないことを確認しました。
 
 会場からは、二世・三世についての社会的差別・偏見についての質問や、原爆症・被爆者健康手帳の認定についての質問など活発な討論が行われました。差別・偏見は特には感じなかったとしながらも、援助があるかないかの観点から、被爆者にはなりたがるが、二世にはなりたがらないとした回答が印象的でした。
 カク・キフンさんは韓国に帰ってからの差別はないと回答しましたが、植民地支配に組み込まれてしまった立場もあり、デリケートな問題として今後の課題でもあるとしました。原爆症等の認定問題に関しては、これまでの取り組みの成果により認定基準が見直されたものの、被爆者の思いとは大きな差があり、現在でも100件以上の裁判が続けられています。
 最後に、これらが今後も引き続いての課題であることを確認し、閉会となりました。
広島大会 第7分科会 「見て、聞いて、学ぼうヒロシマ」 
 
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講  師:金子哲夫(広島県原水禁代表委員)
被爆証言: 平野貞男(広島県被団協・被爆を語り継ぐ会)
参加人数  250人
 
 はじめに30分ほど「君たちはゲンバクを見たか」のビデオを鑑賞。その後、被爆当時13歳の軍国少年だったという平野さんから、生々しい被爆体験の報告を受け、非人間的な原爆被害の悲惨さ、当日の惨状などを聞きました。また、安倍政権の下で「一億総活躍社会」などという言葉を聞くと、戦時中に耳にした「一億火の玉になって」を思い出し、とても嫌な思いがよみがえるとも語られました。
 
 次に、広島県原水禁代表委員の金子さんから「核と人類は共存できない―原水禁運動の歴史 反核の父・森瀧市郎先生に学ぶ」と題しての講演で、原水禁運動の理念と歴史の解説を受けました。
 今年7月7日、国連で「核兵器禁止条約」が採択されましたが、その前文では「核兵器の使用による被害者(ヒバクシャ)ならびに核兵器の実験によって影響を受けた人々に引き起こされる受け入れ難い苦しみと危害に留意する」とあります。この間、被爆者が様々な場で訴えてきた被爆の実相が国連の場でもしっかりと受け止められている成果と指摘。
 反核の父といわれる森瀧さんも「核の平和利用にバラ色の未来を望んだ」(1955年第1回原水禁世界大会宣言)時代があったものの、1975年の世界大会基調提案では「核は軍事利用であれ、平和利用であれ、地球上の人類の生存を否定するものであると断ぜざるを得ない・・・結局核と人類は共存できない・・・『核絶対否定』の道しか残されていない」と明確に示されていました。
 また、原水禁国民会議が原発問題に取り組んだ経緯、ウランの採掘現場等での被ばくの問題や、再び核被害者を作らせてはならないという強い決意がどのような背景のもとに生まれたのかを説明。そして、被爆者救援運動と国家補償を求め続けることの考え方、座り込み行動を貫く「非暴力」の姿勢などについて話されました。
 
 質疑では、戦争への道を進むことのないよう、これから選挙権を持つ高校生たちにどのように教えるべきかなどの質問がありました。安倍総理は国民の財産・命を守るためにというが、シリアなどの内戦で犠牲者の9割はただの市民であることを見れば、戦争になれば市民がより多く犠牲になるという実態を知ること、「被爆者にはなれないが近づくことはできる、そのためにどう努力するかを考え、行動するべきではないか、信念を曲げず言い続けることが大事」と回答されました。
被爆72周年原水爆禁止世界大会広島大会基調提案
 
被爆72周年原水爆禁止世界大会実行委員会
原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成
 
 皆さん、被爆72周年、原水禁世界大会広島大会、開会総会に参加いただきましたこと、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。若干の時間をいただいまして、大会の基調を提案申し上げます。詳しくは、お手元の基調に目を通して下さい。
 
  敗戦と被爆から72年が経過して、2017年7月7日、国連総会において「核兵器禁止条約」が、国連加盟国193カ国中、122カ国の賛成をもって採択されました。核兵器の製造や使用などを法的に規制する画期的な条約であり、前文では被爆者や核実験被害者の「受け入れがたい苦痛と被害」に触れています。多くの被爆者が、痛む身体に鞭を振るい、慣れない国際的な場に立って、怒りに震えながら声を上げ続けた結果として、私たちは心から歓迎するものです。
 
 しかし、この条約を検討する会議の場からも日本政府は出席を拒み、核兵器保有国米国におもねるように、「漸進的アプローチ」を主張し、この条約があたかも世界に対立を持ち込み、安全保障体制を覆すかのような、否定的態度に終始しました。
 日米安全保障条約の下、米国の核の傘に依存し、核兵器の抑止力の幻想にしがみつく、旧態依然とした日本政府の態度は、被爆者の訴えとは相容れず、原水禁運動に関わってきた人々を失望させるものです。
 
 「父は爆死、姉兄はそれぞれの職場で、他の家族は自宅で被爆した。姉は爆心地近くの兵器工場で被爆。その時のことを聞いても「忘れた」と言って死ぬまで話してくれなかった。2人の娘を産む育てたが、長女は13歳で白血病でなくなった。次女も50代でガンで亡くなった」、朝日新聞の投稿欄の一文です。この、福岡県に住む70代の被爆者は、「我が国が、被爆国で有りながらこの条約に加盟していないことが残念でならない」「加盟国が一カ国でも増えることを、私たち被爆者は望んでいる」と訴えています。
 
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核兵器開発、ICBMの打ち上げ実験などを通じて、日本政府は、平和への、安全保障への脅威をあおり、核兵器が抑止力であるとする議論がまかり通っています。しかし、第2次大戦後、核兵器保有国同士は別として、核兵器が絶え間ない戦争や紛争の抑止力として効果を上げた実態を、私は知りません。核保有国の核は、イスラエル、インド、パキスタン、そして北朝鮮へと、拡大を続けてきました。「米国の核兵器が、北朝鮮の核兵器を作りあげた」というならば、大きな批判を受けるでしょうか。賛同される方も多いと思います。
 
 原水禁運動は、多くの皆さんと「東北アジア非核地帯」を構想し、そのために日本のプルトニウム利用政策、これは商業利用としての核燃料サイクル計画として行われていますが、その放棄を主張してきました。計画の一部、高速増殖炉もんじゅは、発電を本格化することなく廃炉に追い込まれました。青森県六ヶ所村の再処理工場建設計画と共に、計画全体の見直しが迫られています。しかし、日本政府は、フランスの高速炉計画に参画するとして、プルトニウム利用の延命を図っています。
 元米国の国務次官補を経験し、クリントン政権で北朝鮮の核問題を担当したロバート・ガルーチジョージタウン大学教授は、「六ヶ所再処理工場は2割程度の稼働率であっても、年間1.5トンものプルトニウムが生産される。有能な科学者であれば、年間300個の原子爆弾を作れるほどの量になる」と指摘し、再処理工場は、米国の傘の下から脱した場合のリスクヘッジであり、いざとなれば核武装できることを担保するものだとの見方を示しています。この懸念は米国の安全保障関係者に共有されているとも指摘しています。
 原子力の平和利用・核燃料サイクル計画が、日本の「核抑止力」そのものであることは重要な課題です。脱原発を確定することが、核抑止力幻想から抜け出す道であることを、私たちはしっかりと見極めなくてはなりません。
 
 平和学の重鎮、ノルウェーの社会学者ヨハン・ガルトゥング博士の主張する「積極的平和」が、どこから始まるかを、考えなくてはなりません。
 
 「核兵器禁止条約」は、9月20日以降に批准が始まり、50カ国の批准によって発効します。核兵器は非人道的として、長きにわたって積み上げてきた議論をここで終わらせてはなりません。日本政府が批准に向かうよう、核兵器保有国が批准に向かうよう、私たち自身の運動の強化が求められています。
 
 東日本大震災・福島第一原発事故から、6年以上が経過しました。降り積もった、目に見えない大量の放射性物質は、被災者の生活再建の大きな妨げになっています。6月30日には、やっと原発事故の刑事責任を問う裁判の第1回公判が、東京地裁で開始されました。東電経営者の責任を明確にしていかなくてはなりません。
 
 福島第一原発は、未だ高線量の中で収束に向けた努力が行われていますが、溶融した燃料の状況さえ確定できず、2040年代の取り出し完了を予定していますが明確ではありません。一方で、事故処理費用は、当初見込みの倍、21.5兆円にも上ることが明らかになっています。しかし、この中にはデブリの処理などが含まれず、今後の推移によっては更なる増大が見込まれます。
 その多くを電力消費者に転嫁して回収しようとしており、過去分の徴収や、新電力にも負担を強いるなど、きわめて問題の多いものとなっています。「原発の電気は安い」との主張は今や「デタラメ」以外の何ものでもありません。
 
 このような中で、除染によって年間被ばく量20mSvを下回ったとして、多くの地域で帰還が強要されています。被害者・避難者は、時間の経過の中で様々多用で多岐にわたる問題を抱え、元住民の帰還はすすみません。年間被ばく量20mSvは、事故前の基準の20倍で有り、山間部や原野は除染できていません。目に見えない放射性物質は、健康への大きな不安となっています。
 福島県は、自主避難者の住宅無償提供を打ち切りました。2万6千人以上と言われる自主避難者は、2重生活によって困窮を極めている方や故郷の住宅の荒廃によって帰還できない方など、様々な困難を抱えています。
 
  2017年4月4日の記者会見で、今村雅弘復興大臣が「福島原発事故の避難者が復帰を拒否するのは自己責任」「裁判でも何でもやればいいじゃないか」との暴言を吐いています。自らの立場も考えず、福島の事故後の実態も理解せず、避難者の思いを暴言をもって拒否する態度は、責任ある立場の発言とは考えられません。
 
 この発言の背景には、フクシマを終わりにしよう、無かったものにしよう、そして、「四の五の言わずに早く帰還しろ」との、フクシマを切り捨てようとする政府の姿勢があることは確実です。
 
 横浜市で、全国で、福島県から避難してきた生徒へのいじめが問題化しました。横浜で被害にあった生徒の「しんさいでいっぱい死んだからつらいけど ぼくは生きることにきめた」との言葉は、胸に刺さります。
 日本政府が、支援をあたりまえのものとして考えていないことが、日本社会のゆがみとなって、フクシマに対する言われない差別がおこっています。
 
 2017年3月17日、前橋地裁の原道子裁判長は、福島原発事故で福島県から群馬県に避難した住民など137人が国と東電を相手に損害賠償を求めた訴訟において、「東電は巨大津波実を予見しており、事故は防ぐことができた」として、東電と安全規制を怠った国の賠償責任を認める判決を行いました。
 
  復興庁の発表では今年6月30日現在で、避難者は9万3001人、震災関連死は、10都府県で3591人、そのうち原発事故があった福島県は2147人で関連死全体の6割にも達します。この数字を見ても、福島第一原発事故が何であるのかが分かります。帰還の問題、生活の再建や生業の債権問題、甲状腺ガンなどの子どもの健康問題、教育の問題、様々な課題が残されています。
 
 原発事故があり、被爆した事実があること、被害住民に何ら責任が無いこと、そしてそれぞれの立場の違いが大きいことなどを、しっかりと見つめ、それぞれへのきめ細かな支援が求められています。現行制度で対応が困難な部分は、きちんとしたフクシマへの支援・補償の制度設計を行うべきです。
  原発事故以降、私たちが主張してきた「ひとり一人に寄り添う政治と社会」を具現化する、新たな国による支援を求めます。私たち原水禁は、そのような福島の実態に則した、ひとり一人の人間としての復興を求めて運動を続けます。
 
 7月31日、米国の電力会社、スキャナ電力は、東芝傘下の原子炉メーカー「ウェスティング・ハウス」の破綻に伴い、採算がとれないとの判断からサウスカロライナ州のVCサマー原発2・3号機の建設を断念すると発表しました。
 東芝のスキャナ社への債務保証は2432億円に達しています。原子炉メーカー「ウェスティング・ハウス社」の経営悪化に伴う、親会社東芝の経営破綻は、原子力エネルギーそのものが、市場経済で存続できなくなっていることを明らかにしています。
 
 経産省は、「エネルギー基本計画」の見直し作業に着手すると発表しています。2014年に決定した2030年以降、原発への依存目標20~22%は、維持していくとしています。原子炉規制法に従い原発稼働期間40年とすると、目標達成は困難で一部原発は60年への延長を考えなくてはなりません。安全対策への費用の高騰は続いており、福島原発事故の処理も目処が立ちません。全国の6~7割が適地とされた最終処分場問題も解決を見ていません。困難を先送りした再稼働と、原発ありきの姿勢はきわめて問題です。
 2015年円ルギー基本計画へのパブコメは、9割が原発依存の引き下げや脱原発であったことを、政府はもう一度見つめ直すべきです。
 
 2014年5月、大飯原発運転差し止め訴訟の判決で、福井地裁の樋口英明裁判長は、「人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題を並べて論じるべきではない」「豊かな国土とそこに国民が生活していることが国富であり、これを取り戻せなくなることが国富の喪失だ」と述べ、「原発は、憲法上は人格権の中核部分よりは劣位にある」との判断を下しました。憲法の中に原発がどのように位置付くのか、フクシマにおける「今」を考えると、きわめて重要です。
 
 安部首相は、憲法を変えるとして、今もなおその主張を放棄していません。これまでの自民党の方針を放り投げて、平和主義9条の1項2項をそのままに3項に自衛隊を位置づけるとか、正にご都合改憲としか言いようのない主張を繰り返しています。しかし、そこには、全く主権者の姿は見えてきません。
 
 7月23日の朝日新聞は、憲法70年と題した社説で、「原発と人権」を問い直すとの主張を掲げました。南相馬の小高区出身の鈴木安蔵、静岡大学名誉教授が、多くの仲間と主に戦後すぐに作成した「憲法草案要綱」に「国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す」とあることを上げて、南相馬市が、全戸に憲法前文の冊子を配布したことを紹介しています。
 
 何気ない日々、普通の人間の、普通の生活が、原発事故で失われる。憲法25条の生存権、22条の居住、職業選択の自由、29条の財産権、26条の教育権、様々な権利を原発が奪いました。
 
 原水禁運動は、早くから「脱原発」を掲げ、「核と人類は共存できない」ことを主張してきました。原発が憲法違反の存在であることを、フクシマがそのことを証明していることを、明らかにしていきましょう。そして、「脱原発」から、「脱プルトニウム」そして「脱核兵器」へと、人間の命を繋いでいきましょう。
 
 最後にはっきり申し上げます。原発を容認し、原発によるエネルギー政策を主張することは、憲法違反であると。
 本日より、3日間の真摯な討議をお願いして、基調の提案にかえさせていただきます。
 
以  上

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8月4日から広島市内で、被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会が始まりました。大会に向けて毎年、全国で「非核平和行進」が取り組まれ、この行進が広島の平和公園資料館前に到着。各都道府県・団体も合流し、「折鶴平和行進」が行われました。参加者は横断幕やのぼり、プラカードを手に、「核廃絶を実現しよう!」「原発震災を許さない!」「すべてのヒバクシャの支援を!」などとシュプレヒコールを繰り返しながら、炎天下の繁華街でアピールしました。参加者の中には親子連れも目立ち、元気よく県立総合体育館まで行進しました(上写真は海外ゲストを先頭に平和公園を出発する参加者)。
 
広島大会総会.JPG
 
 県立総合体育館大アリーナで開かれた開会総会には2700人が参加。原爆の犠牲者などに黙祷を行った後、主催者を代表し、川野浩一大会実行委員長(原水禁国民会議議長)は、「安倍政権の暴走に国民が不信を強めている。いまこそ私たちの運動が重要だ」とした後、「核兵器禁止条約が国連で採択されたことの意義は大きい。しかし、日本は採決に加わらず、被爆者は国に見捨てられた思いだ。いまこそ米国の核の傘から脱却すべきだ」と強調。さらに、高齢化する被爆者の援護の重要性や、再稼働を進める原発政策も厳しく批判し「全ての闘いに取り組むことが人類の生き延びる道だ」と呼びかけました。
 広島市長、広島県知事(ともに代理)の来賓挨拶に続き、海外ゲストを代表し、アメリカ・ピースアクションのポール・マーチンさんが「米国人として、原爆を投下したこと、また、トランプを大統領に選出したことを謝罪したい。しかし、この間、私たちはともに闘い、核兵器削減や禁止条約などの成果を上げてきた。よりよい社会を作るために草の根の運動が一層大切になっている」と訴えました。
 被爆者の訴えを広島県被団協の白石多美子さんが行いました。白石さんは6歳の時に爆心地から4キロ離れた宇品で被爆。幸いにも大きな怪我はなかったものの、爆心地に近い所で祖母を探しながら見た光景や臭いは忘れられないと切々と述べました。最後に「人間はもちろん、生きているものは全て平和こそが最大の望みだ。武器ではなく、言葉や優しさを持って平和を守っていこう」と参加者に呼びかけました。
 これに応えるかのように、今年の第20代高校生平和大使に選ばれた広島県内の3人の女子高生が立ち、「原爆の悲惨さを風化させず、多くの被爆者の思いを受け継いで、国連の場に届けたい」と決意を述べました。高校生平和大使は、8月半ばにスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪ね、署名を手渡すとともに、各国代表に訴えることにしています。
 また、福島からの報告を角田政志・福島県平和フォーラム代表が行い、事故が収束していない中で、被災者への帰還が強制されている実態などが話されました。
 大会基調の提案を藤本泰成大会事務局長が行い、最後に全員で「原爆許すまじ」を合唱。閉会挨拶で広島実行委員の秋葉忠利さん(元広島市長)は「核廃絶に向けて着実な歩みが始まった歴史的な年の大会になった。禁止条約が発効すれば、核兵器は法律違反になる。日本も批准をさせて、核廃絶を実現しよう」と強調して幕を閉じました。
 5日は広島市内で分科会やひろば、子どものひろば、フィールドワークなど多彩な取り組みが行われ、6日に広島大会のまとめ集会が行われます。

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