2014年3月アーカイブ

2014年3月31日

 
武器輸出を解禁する新たな「防衛装備移転三原則」閣議決定への抗議声明
 
 
 
フォーラム平和・人権・環境
(平和フォーラム)
原水爆禁止日本国民会議 
(原水禁)
共同代表 福山 真劫
川野 浩一
 
 
 安倍内閣は、これまで武器や関連技術の輸出を禁じてきた武器輸出三原則を廃止し、新たに「防衛装備移転三原則」を、4月1日の閣議で決定するとしている。武器輸出三原則は、1967年の佐藤栄作首相の国会答弁に端を発するが、それは、外国為替法、外国貿易法、輸出貿易管理令などによる当時の武器輸出の統制を追認したものである。1976年には、三木武夫首相が憲法の平和主義に基づき事実上全ての武器と関連技術の輸出を禁じるとした。以来、武器輸出三原則は、平和国家として世界の信頼をつくりあげる上で、非核三原則とともに大きな役割を果たしてきた。しかし、1983年に対米武器技術供与へ踏み込んで以来、多くの例外を積み上げてきたことも事実である。そのような事実を反省することなく、例外によりつくられた現実に合わせるために新たな原則を設定し、武器輸出三原則の理想を放棄することは、平和フォーラム・原水禁として容認できるものではない。
 
 与党の説明では、平和と安全の維持を妨げる場合や日本の安全保障に役立つなど積極的な意味のない場合は移転しないとしている。しかし、国際紛争において政府軍や反政府軍への武器の供与がどれほど紛争を深刻化し当事国の国民に深い傷を与えているかを考えるならば、武器や武器のための技術の他国への移転が平和に役立つことは決してあり得ない。また、きびしい監視を行い情報公開を徹底するとして、経済産業省が国家安全保障会議に報告を行い国民に公表するとしているが、特定秘密保護法の議論などから言えば、信頼に足らず国民の納得を得るものになるとは思えない。
 
 日本の防衛関係費の伸び率は、GDPの落ち込みに伴い1996年以降マイナスとなっている。2003年以降は装備品の維持費が購入費を上回ることとなり、防衛装備品の新規調達は抑制傾向になっている。2003年以降防衛産業からの撤退する企業は、戦闘車両関係企業で22社、戦闘機関連企業で16社となっている。今回の武器輸出三原則の見直しは、防衛産業の弱体化とそのことによる日本の軍事技術水準の後退への懸念と、進展する武器システムの国際共同開発への参入を促したいという考えに他ならない。防衛産業の後退は歓迎こそすれ懸念することではないし、そのことで日本の安全保障が後退することはない。
 
 私たちは、専守防衛に徹し格別の軍備を持つことなく、戦後社会において平和外交の力によって日本の安全を保障することを誓ったのではないか。また、日本はこれまで多くの技術を平和産業の中で生み出してきた。技術立国日本の誇りは、憲法の平和主義とともにあった。そのことは、侵略戦争と植民地支配を推し進めアジア諸国民に多大な被害を与えた日本の違えることのできない理念である。日本が共同開発した武器が戦場で使われ、誰であれそれによって命を失うことを日本の市民社会は決して認めないであろう。人間の命を奪うことが目的である武器を持って自らの糊口を凌ぐことを日本社会は良しとしない。与党が説明するように紛争当事国には渡らないと言うことが可能であると誰が約束できるのか。現在紛争当事国ではなくても将来そうなる可能性を誰も否定できない。
 
 平和フォーラム・原水禁は、「武力で平和はつくれない」と考え、平和を求めてとりくんできた。人間の命を奪う武器輸出を、決して認めることはできない。安倍内閣が、平和憲法を持つ国の矜恃として、武器輸出への道を開かないこと、新たな「防衛装備移転三原則」の閣議決定を断念し、平和憲法の下での国際貢献に邁進することを強く要請する。

すでにほころび始めた再処理施設の使用計画
 
絵にかいた餅の「使用計画」
 日本原燃は1月31日に、六ヶ所再処理工場の「再処理施設の使用計画」を原子力規制委員会に提出しました。2014~16年度の3年間でMOX(プルトニウム・ウラン混合酸化物)燃料用のプルトニウム製品16262kgとウラン製品843kgを作り出そうとしています。(表を参照)。
 今年10月には再処理工場を完成させ、運転を開始すると日本原燃の社長は明言してきました。それに合わせて、今年下期には製品が製造されるように計画されています。製品はMOX燃料加工工場に出荷される予定ですが、3年間の払出量はゼロになっています。
 現在、六ヶ所再処理工場の近くにMOX加工工場が建設されていますが、それが完成しなければ、「払出し」することもできません。MOX工場は、2016年に竣工する予定になっていますが、現時点で工事の進捗率は7.4%とほとんど進んでいません。使用計画がいかに絵にかいた餅であるかを示しています。

使い道のないウランとプルトニウム
 取り出されるウラン製品は、放射線量が高く扱いづらいといわれます。
 プルトニウム製品は、現状ではMOX燃料として使用されることが期待されていますが、まず海外から持ってきたMOX燃料を先に使うとされており、六ヶ所再処理工場のMOX燃料の出番はずっと先になってしまいます。
 電気事業連合会は、2015年以降に16基~18基の原発でプルサーマルを実施するとしていますが、廃炉や老朽化する原発が増えれば、16基もの原発が実施できるか疑問です。さらに現在ウラン価格は、国際的に下落傾向にあり、わざわざ高いMOX燃料を使う経済合理性そのものがあるのか、原発推進派からはまともな説明はなされていません。核燃料サイクルの失敗を隠ぺいするのではなく、再処理路線からの撤退が急務となっています。

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アメリカで核燃料サイクル施設の衰退が始まった
 
米・大手ウラン濃縮会社の破産
 今月5日、ロイター電によると「ウラン濃縮会社の米ユーセック(USEC)が、連邦破産法11条の適用を申請した。原子力発電所への濃縮ウラン販売価格落ち込みや主要プロジェクト向け融資取り付けの遅れなどが響き、同社は資金繰り難に陥っていた。」と報じました。
 同社は世界4大濃縮プラント会社の一つで、米・オハイオ州で米国遠心分離プラント(ACP)を建設していました。2011年の福島原発事故以降、主要な販売先である日本の全原発の停止とドイツの8基の原発の閉鎖が引き金となり、核燃料の過剰供給による価格低下(3割以上低下)とACP建設のコストの高騰などにより資金繰りの悪化を招き、破産しました。この会社には、東芝をはじめバブコック&ウィルコックス社などが出資していました。
 同社は、エネルギー省(ODE)から受けているACP用の遠心分離機の研究開発などは継続するとしていますが、今後再建がうまくいくかどうかは、日本の原発次第かもしれません。しかし日本の原発の先行きが不透明な中では、同社の再建は多難なものとなるでしょう。なお、日本の濃縮ウランの輸入量約700トンのうち、約500トン(2010年)をユーセックから調達していました。

MOX燃料工場建設も凍結
 米エネルギー省(ODE)が3月4日に発表した2015年度(2014年10月~2015年9月)の予算要求の中で、サウスカロライナ州サバンナリバーに建設しているMOX燃料加工工場(MFFF)を凍結するための予算しか要求しなかったことが明らかになりました。このMFFFは現在6割ほど建設が進んでいると言われ、国家安全保障局(NNSA)が兵器級プルトニウム(プルトニウム239が93%以上)の余剰分を民生用原発で使うMOX燃料に転換するための工場として計画されたものです。当初の建設予算18億ドルが現在では3倍以上に膨れ上がり(六ヶ所再処理工場みたい)、「財政的危険性の高い政策プログラム」として指摘され、今回の凍結にいたりました。関係者の間では、「建設休止は計画の終了に等しいとの見方が広がっている」(日本原産業新聞)と報じられています。
 原子力先進国アメリカの中でも徐々に原子力産業の衰退が進んでいいます。それに福島原発事故が大きな影響を与えていることがわかります。一方で、そのおひざ元である日本では、斜陽産業となる原子力をいまだ積極的に活用しようとやっきになっている安倍政権の暴走はいまだとどまりません。原子力が経済的に見合わないことは、上記の二つの事例からもわかるはずです。
 

3月15日に東京・日比谷野外音楽堂で開かれた「フクシマを忘れない!さようなら原発3.15脱原発集会」とデモ行進の様子をビデオにまとめました。(9分50秒)

 2011年3月の東日本大震災・福島原発事故から3年。いまだに14万人以上の方々が困難な避難生活を強いられています。そして、震災による直接死を上回る震災関連死を生み出しています。その一方で、安倍政権は、原発再稼働、原発輸出を企て、原発推進の旗を振り続けています。脱原発世論を無視する安倍政権を許さず、ふたたび脱原発の声を、行動を広げていこうと、3月15日に東京・日比谷野外音楽堂に市民など5500人が集まり「フクシマを忘れない!さようなら原発3.15脱原発集会」が開かれました。

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  コントグループ「真相の噂」による小泉純一郎元首相をパロディ化したコントや岡大介さんのカンカラ三線演奏のオープニングに続いて、最初に、ハイロアクション福島の武藤類子さんが福島からの報告として「原発が収束しない不安の中、人々はものも言わなくなっている。この福島を置き去りにすれば人権侵害はどこでも起きる。怒りの火薬を湿らせてはならない」と訴えました。
  呼びかけ人からのアピールとして、作家の大江健三郎さんは「安倍首相は鹿児島の川内原発の再稼働をしようとしている。その責任をどうとるのだろうか。私たちは人間らしい人生を全うするために責任を持って生きなければならない」と脱原発を呼び掛けました。また、澤地久枝さん(作家)も「3年間、福島を見殺しにしてきた。福島を救えないで、東京オリンピックを開くことは出来ない。原発を止める国際的な声明を出す時だ」と述べました。
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  賛同アピールとして、日本人初の宇宙飛行士となり、現在は京都に住む秋山豊寛さんは「TBS退社後、福島原発から32キロの所でシイタケ栽培をやっていたが、全てが汚染された。事故の責任を誰が取ったのか。再稼働を絶対に許してはならない。この声をつなげて行動に押し上げていこう」と語気を強めました。
  福島原発の収束作業に携わる労働者の被ばく問題を追及している「被ばく労働を考えるネットワーク」のなすびさんは、「汚染水漏れ事故の現場では12時間の労働を強制されている。こうした被ばくを前提として、犠牲を強いる労働のあり方を問わなければならない。収束を急げではなく、労働者の安全を第一に慎重に進めるべきだ」と訴えました。
  原発再稼働問題では「原子力発電に反対する福井県民会議」幹事の松下照幸さんが「原発がある地域の住民の本音は脱原発だが、地域経済のこともあり、揺れている。全国の人と繋がって、再稼働を止めていきたい」と呼び掛けました。
 3月8日に郡山市などで開かた「原発のない福島を!県民大集会」後、福島から関東・東海の各県を結んだ「フクシマ連帯キャラバン行動」が行われ、集会の最中に到着したキャラバン隊が登壇すると、一段と大きな声援が上がり、代表者が報告を行いました。
  最後に呼びかけ人の鎌田慧さんが「この間、5人の首相が原発を止めようと言っている。これは私たちの運動の成果だ。3月下旬に川内原発再稼働の動きがある。その時は国会前で大行動をしよう」と呼び掛けて集会を終えました。
その後、参加者は東京電力本店前を通り、銀座・東京駅までのデモ行進を行い、「原発をなくせ!」「再稼働を許すな!」などと力強くアピールをしました。
 

集会宣言/原発のない福島を!県民大集会

集会宣言

 福島原発事故から3年が経過しました。この3年の月日は、福島県民のこうむった深い深い傷を、癒してくれたでしょうか。
 事故の現場では、高濃度の放射能汚染水の漏洩が止まらず、汚染は地下に、そして一部は海へと、どんどん広がっています。事故はまさに現在も進行中なのです。この国家的非常事態は、東京電力任せではとうてい打開できません。政府が前面に出て、国の総力を挙げて対処することを求めます。
 いま、避難している人の数はなお14万人にのぼり、県外避難者が5万人います。自主避難している住民も4万人以上。物質的・精神的に追い詰められている人が多くなっています。災害関連死は1,600人以上になり、ついに津波の死亡者数を上回りました。原発事故は、ここ福島では津波を超える犠牲を生んでおり、しかもそれは今もなお増え続けているのです。この現実から目を背けて、福島の復興を語ることはできません。
 国は、双葉郡の一部を買収して国有地とし、除染廃棄物の中間貯蔵施設を造ろうとしています。最終処分場は県外に作ると政府は言っていますが、結局、そこが最終処分場になってしまうのではないかと、県民が不安を抱くのは当然と言わなければなりません。「ふるさとがどんどん遠くなっていく」思いを抱いている住民が、どれほど多いことでしょう。
 国も自治体も放射性物質の除染をしていますが、まったく予定通りには進んでいません。仮置き場が造れないまま、あちこちにバッグが積み上げられ、都市部では自宅の庭に埋めるしかないところもあります。山林の除染は計画すら立っていません。
 そして言うまでもなく、放射線被曝への不安は消え去りません。被曝の影響に関する見方の違いがもたらす、被害者同士のやりきれない対立や摩擦もなくなりません。農産物の売れ行きも完全には回復せず、漁業も本格操業できない状態が依然として続いています。
 これほど大規模に、しかも長期にわたって人々を苦しめ、地域社会を破壊する産業公害が、この国にかつてあったでしょうか。避難している人もしていない人も、故郷に戻りたい人も戻れない人も、すべての被災者が生活と生業を再建できるまで、国と東京電力が等しく支援することを私たちは求めます。
 政府は、国会が制定した「子ども・被災者生活支援法」の実施を先延ばしにする一方、避難基準をそのまま帰還基準にしようとする構えです。また東京電力は、被災者からの賠償請求に関して示された、紛争解決委員会の和解案すら拒否する挙に出ています。政府も東京電力も、被害者である住民の利益を考えるより、自らの損害を小さくすることに腐心するばかりで、当事者責任を果たそうとする姿勢があまりにも乏しいと言わねばなりません。東京電力を破綻処理し、経営陣や株主、メガバンクなどに当然の責任を取らせるべきだという声は、マスコミからも上がっています。
 責任の処理をおろそかにする一方で、政府は、いま全国で止まっている原発の再稼動への突破口を開こうとしています。東京電力は柏崎・刈羽原発の再稼動を含んだ事業計画を提出し、これが認められなければ電気料金を値上げすると、おどしをかけています。そして政府も東電も、福島第二原発の廃炉については言を左右にして、あくまでも明言することを拒否しています。いったいかれらは福島の悲惨な現実をどこまで真剣に受け止めているのでしょうか。
 一方福島県では、「県内原発の全基廃炉を!」の声がますます広く、高く上がっています。県議会や県知事ばかりでなく、立地4町を含めほとんどすべての市町村議会がその声を上げています。これはもう「県民の総意」と言ってよく、政府も東電も即座にこれを受け入れて第二原発の廃炉を決断し、原発依存からの脱却を目指す県民の息長い事業に、当事者として協力する義務があります。
「原発のない福島」を願う私たちの、この3年間の努力と苦労は、少なからぬ成果を挙げていますが、まだ目の前には厚い壁が立ちはだかっています。何より「忘却」という、あなどりがたい敵がいます。世界史に刻まれるこの大事故の犠牲を決して無駄にしないために、県民の意思を総結集し、全国、世界の人々とも手を携えて、さらなる一歩を踏み出しましょう。
 

      140301_01.jpg 3月1日、静岡市の常磐公園で「被災60周年 3.1ビキニ・デー全国集会」が開かれ、地元や全国の代表者など300人が参加しました。これは、1954年3月1日にアメリカが太平洋・ビキニ環礁で水爆実験を行い、焼津市のマグロ漁船「第5福竜丸」などが被ばく。無線長の久保山愛吉さんが半年後に死亡するなど、大きな問題となりました。
 原水爆禁止日本国民会議(平和フォーラム)は、原水禁静岡県会議、東海ブロック原水禁連絡会議とともに、毎年3月1日に静岡で全国集会を開き、核実験や核兵器、原発に反対し、全ての核開発を止めるように訴えています。今年は60周年の節目の年に当たることから、例年以上の取り組みとし、屋外集会とデモ行進を行いました。
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 主催者の川野浩一原水禁国民会議議長は、「ビキニ・デーは原水禁運動の出発点だ。そして、3年前には福島原発事故を経験した。この悲惨な事実を風化させてはならない。核廃絶と平和を守るために立ち上がろう」と力強く訴えました。また、地元の静岡県平和・国民運動センターの渡邉敏明議長も「核がなくなるまで運動を続けよう」と決意を表明。
 ビキニの被災者のその後を継続して取材しているフォト・ジャーナリストの島田興生さんが『ビキニからフクシマへ 核被害の現実』と題して、「実験場の周辺に住んでいた人達の被害の実態や歴史を、福島原発事故の被災への教訓としなければならない。様々な交流や支援が必要だ」と提起しました。また、福島県平和フォーラム幹事の山内さんも「3月8日に、『原発のない福島を!県民大集会』を県内3カ所で開く。全国からの参加で、原発のない社会をめざそう」と呼びかけました。
 毎年夏に、国連欧州本部に核廃絶の署名を届けて訴えている高校生平和大使に静岡県内から昨年選ばれた渥美真央さんなどが「若い人にも活動が拡がっている。私たちが大人になるころには核のない世界にしたい」と力強く語りました。さらに、静岡県知事、焼津市長などからのメッセージが紹介され、最後に、「あらゆる国の、あらゆる核実験・核兵器そして原発に反対し、ヒバクシャを生み出す全ての核開発を止めていくことを決意する」との集会アピールを採択しました。
 集会後、参加者は市内をデモ行進し、「新たなヒバクシャをつくるな!」「浜岡原発の再稼働反対!」「平和をつくろう!」などとシュプレヒコールを行いました。

 また、夕方からは焼津市の「弘徳院」において、ビキニの被ばくによって亡くなられた久保山愛吉さんの墓前祭が開かれ、関係者が核廃絶を久保山さんの墓前で誓い、献花を行いました。
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140301_04.jpg ビキニ・デー全国集会のアピールはこちら

被災60周年3・1ビキニ・デー アピール

被災60周年3・1ビキニ・デー アピール

 1954年3月1日、静岡県焼津港所属の第五福竜丸が被曝したビキニ環礁での核実験から60年。あの衝撃的な事件は、私たちにとってけっして過去の出来事ではありません。核被害の歴史はヒロシマ・ナガサキに始まって2011年3月11日の東京電力福島第一原発の大事故へと続き、いまも事故の収束の見通しさえ立たない中で、汚染水の問題、被曝労働の問題、住民の被曝と健康問題など被害が深刻化しています。
 私たちは、これまで「核と人類は共存できない」として反核・平和、脱原発、ヒバクシャ連帯を訴えてきました。核の「軍事利用」はもとより「商業利用」についても問題とし、原子力施設の建設・運転に強く反対してきました。しかし、福島第一原発では、私たちの力及ばず、事故が引き起こされる痛恨の極みとなりました。これ以上の核被害を繰り返させないためにも核兵器廃絶、脱原発の運動の強化が求められています。
 一方で核兵器や原発に固執する勢力は、いまだ大きな力を持っています。核兵器保有は、米ロ英仏中の5ヵ国の他、インドやパキスタン、イスラエル、朝鮮民主主人民共和国などへと拡がり、いまだその廃絶への道のりには厳しいものがあります。1万7千発を超える核兵器の存在は、人類の存亡に関わる問題で、廃絶は喫緊の課題であり、廃絶へむけて全力をあげなけらばなりません。
 また、福島原発事故の惨状を見れば、脱原発は当然のことです。しかし安倍政権は、原発再稼働に向けてエネルギー基本計画を策定しようとしています。地元浜岡原発を含め、今後再稼働が大きな焦点となってきます。さらに基本計画ではもんじゅ開発や六ヶ所再処理工場の建設など核燃料サイクルの推進を謳っていますが、度重なるトラブルなどで核燃料サイクル政策はすでに破綻しており実現性がありません。しかし原子力産業の生き残りをかけた原発の再稼働や核燃料サイクル政策の強引な推進は明らかで、それに対抗する私たちの運動の真価が問われています。
 第五福竜丸の母港であったこの地静岡では、東海地震の想定震源域の真ん中に浜岡原発が存在し、巨大地震による災害と放射能災害が同時に起こる原発震災が指摘され、第五福竜丸に続き再びヒバクシャを生み出す危険性があります。そのためにも浜岡原発の廃炉を強く求めていくことが必要です。
 私たちは、ヒロシマ・ナガサキそしてビキニを契機に原水爆の禁止を訴えて運動を進めてきました。その中には、「ヒバクシャを再びつくらない」という強い願いがありました。残念ながらビキニ事件以降も、相次ぐ核実験や原子力の「平和利用」という美名の下で、多くのヒバクシャが生み出されてきました。私たちは あらためて核の歴史に終止符打つとともに、ヒバクの歴史にも終止符を打たねばなりません。ビキニのヒバクシャをはじめ世界中のあらゆるヒバクシャや平和を求める人々と連帯し、あらゆる国の、あらゆる核実験・核兵器そして原発に反対し、ヒバクシャを生み出す全ての核開発を止めていくことを決意するものです。

2014年3月1日
被災60周年3・1ビキニ・デー全国集会参加者一同
 

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