2013年8月アーカイブ

福島原発事故の収束に全力をあげろ!
破たんした核燃料サイクルや再稼働にしがみついている場合ではない

 
もう東電の対応だけではムリな福島原発事故
 2011年3月11日の東京電力・福島第一原発事故から2年半近くたった今でも、事故の収束の展望が立たない中で、国際評価尺度でさえレベル3となる汚染水貯蔵タンクから高濃度の汚染水が約300トンも海に流出した事故が発生しました。さらに最初に確認されたタンクの地点とは反対側からも高い放射線量が計測されるなど、東電側も言うように「汚染が拡大している可能性が高い」という状況にまできています。その上、汚染水の問題では、絶えず山側から流れて来る地下水が汚染され、海に流出している問題も未解決なままです。
 事故の「収束宣言」をしても、いまだ被害が深刻化しているのが現状で、様々なトラブルに対して東電の対応は後手に回っています。誰の目にも、東電にまかせておいては、もうどうにもならない事態になっていることは明らかで、マスコミの論調でも政府がもっと前面に出ることが必要というものになっています。
 その肝心の安倍政権は、この事態に有効な手立てを示すことなく、ただ闇雲に原発の再稼働に前のめりになり、実現の可能性のない核燃料サイクル路線を維持しようとやっきになっています。
 一方、同じ政権与党の中でも現在の原子力推進政策に疑問を投げかけている議員や元議員もいます。小泉純一郎元首相は「原発ゼロ」は首相の決断さえあればできると言い放ち、「そもそも(使用済み核燃料の)捨て場所がない。原発はゼロしかない」と述べています。自民党の河野太郎衆議院議員は、再処理工場の建設に反対の立場を以前から明確にしています。
 現実をしっかり見れば、原子力政策の行き詰まりは明らかで、与党が完全に原子力積極推進かといえば、そうでもないことは様々な場面で出てきています。現在、各種世論調査でも脱原発を望む声はいまだ60~70%とあり、原発積極推進の政権と世論との間にねじれがあります。
 福島原発事故は、今後も様々なトラブルに見舞われるでしょう。タンク一つとっても耐用年数が5年といわれる急造施設ですが、その5年後はどのように対応していくかという方針さえ出されていません。泥縄的に進められる対応ではもう追いつかない状況にきています。福島原発事故は、国内にとどまらず国際的にも大きな問題となっています。放射能の海洋流失は国際問題ともなっており、今後も長く事故の問題は尾を引いていきます。
 いま福島原発事故の収束が最優先されるべきで、原発の再稼働や六ヶ所再処理工場の建設などの破たんしている核燃料サイクル路線を進めることではなく、人・モノ・金、そして知恵など、あらゆる資源を政府や電力会社全体で、全力を上げて投入し、事態の収拾にかかるべきです。このことは日本の将来に関わる重要なことです。自公政権は、特にこれまで原子力政策を大々的に進め、今回の事故にも大きな責任があり、その後始末にも重い責任があるはずです。

存在問われる六ヶ所再処理工場
 東電まかせでは追いつけない福島原発事故の収束作業は、当然、東電そのものあり方も問われています。東電をめぐる経営状況が悪化している中で、原発再稼働への展望はまったく見えないにもかかわらず、未だ原発推進を放棄していないことは問題です。それは六ヶ所再処理工場にも波及しています。地元も廃炉を求めている福島第二原発への対応が問われて、さらに新潟県の泉田裕彦知事も再稼働に否定的な、柏崎刈羽原発も同じです。
 六ヶ所再処理工場は民間施設として建設されています。その再処理工場の費用の約4割とも言われる資金は東電が負担していると言われています。今後、東電の経営が厳しくなれば、これまでと同じように資金を出せるのか疑問です。大きなトラブルでも起きれば、そこへの臨時の資金投入などさらに困難になるのではないでしょうか。
 六ヶ所再処理工場は、7月31日に「工場の竣工(完成)を延ばさざるを得ない」と発表しました。今年10月に完成予定としていましたが、これで延期は20回目となります。今年12月に、原子力規制委員会が新規制基準を策定し、再処理工場の適合を確認し、その後、国により使用前検査が行われることになっています。そのため、さらに1年近くは延びることになりそうですが、いまだ完工時期さえ明確にならない状況にあります。
 延期を繰り返す間、原子力をめぐる状況は大きく変化しました。3.11以降は特に核燃料サイクルをめぐる状況が一段と混迷を深めています。再処理で取り出されるプルトニウムの使い道は、高速増殖炉開発が頓挫している中で、MOX(プルトニウム・ウラン混合酸化物)燃料として各原発でのプルサーマル計画として使う予定になっています。さらに青森県大間町に建設予定のフルMOXの大間原発での使用に大きな期待がかかっていました。
 しかし各原発でのプルサーマル計画は、これまでの計画では、2015年までに16~18基の原発で実施することになっていますが、いまや原発の再稼働そのものや、たとえ再稼働しても原発でプルサーマルを進めるかどうかも明らかでありません。数基の原発で実施しても、それで六ヶ所再処理工場がまともに動くことはできません。さらに「期待」の大間原発は、規制委員会の田中俊一委員長からもフルMOXは世界に前例がないとして、3分の1のMOX利用となるようで、ここでのプルトニウム利用も限定的となります。そもそも大間原発がスムーズに建設されるどうかもまだこれからです。再処理の存在意義が問われています。
 核燃料サイクル路線はますます混迷を深めています。安倍政権が12月に発表しようとする新たな原子力政策で、いくら計画を文章化しても現実がそれを次々壊して行くはずです。原子力政策の破たんは明らかであり、まさに小泉元首相の言う「決断」が求められています。しかし、現在の再稼働への前のめりの姿勢では、とてもムリな注文か……。

原水禁世界大会長崎大会まとめ


 

被爆68周年原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本 泰成



 ご紹介いただきました、藤本です。若干のお時間をお借りしたいと思います。

 昨日付の長崎新聞は、論説で「福島事故2年5ヵ月」と題し、事故で避難した方々の集団訴訟や浪江町の被災者の集団訴訟を取り上げて、被災者の側に寄り添った主張を述べています。
 「放射能は住民の地域の現在を破壊し、将来を不確かにした」「そこで暮らすことは、健康被害の予感と恐怖と共に生きることを意味する」「人の心の不安はコントロールできないし、それより膨大な損失が生じる」「そんなものは被害でないというなら、核被害を理解できていないということだ」
  まさに、原発事故は、地域社会そのものを破壊し、家族と人間のつながりとを破壊しました。私たちは、フクシマの被害から新しい社会を創造しなくてはなりません。

 「脱原発」私たちが福島原発事故の前から主張してきた「再生可能な、平和な社会」に、市民の心は確実に向かっています。フクシマに向かい合うときに、福島県民の総意である「脱原発」への道筋は、決して避けて通るわけにはいきません。第2分科会での、明治大学名誉教授、藤井石根原水禁顧問の「不幸な事故で、放射能による環境汚染を、さらに世界に拡大させてしまったら、どう責任がとれるのか」「もし、そうした選択をするなら、日本という国の品格など有ったものではない」との言葉は、「脱原発」社会の実現が将来の日本のなくてはならないことを教えます。ドイツからのゲスト緑の党のイエンス・ケンツィアさんが示したドイツの取り組み、再生可能エネルギー比率が原発を超えて、その方向性が多くの雇用を生んでいること、確信を持った言葉に私たちは学ぶべきです。

 冒頭述べた長崎新聞の論説は、最後に「いったん事故が起きてしまえば十分な補償と原状回復がほとんど不可能であることを福島は教えている」「事故の収束対策や除染費用だけでなく、被災者の過酷な負担も全て原発という事業の『コスト』に含まれるはずであり、事業者や国が償わないのなら、そのコストは被災者に転嫁されてしまう」「ここの住民の実情に誠実に向き合い、有形無形の損害を償い続ける以外に道はない」と断言しています。

 私たちは、第1分科会で福島原発事故の現状が、極めて深刻なものであることを学び、
法律による「放射線管理区域」に相当する放射能汚染地域が、福島県外にも広範囲に広がり、現在400万人が居住している実態を学びました。福島から多数駆けつけていただいた方々から、単に放射能の問題だけでなく、人間の営み全てに関わる複合的な被害について学びました。福島原発事故とその被害は、現在進行形として存在します。
 「原子力は、エネルギーとしては最も高くつきます。その代償は、ユーロや円といった通貨だけではなく、人の苦痛と悲しみとで払うこととなります」と述べた、イエンス・ケンツィアさんの言葉を、かみしめなくてはなりません。
 68年前の原爆投下も、2年5ヵ月前の原発事故も、形こそ違いますが、国の政策の中で引き起こされたものに違い有りません。ヒロシマ・ナガサキの長い闘いの経験に学び、しかし異なる実相を抱えるフクシマでの闘いに、私たちは大きな一歩を踏み出すこと、そのための議論を、これからも真剣に重ねていこうではありませんか。

「そこで暮らすことは、健康被害の予感と恐怖と共に生きることを意味する」ヒロシマ・ナガサキのヒバクシャは、生涯にわたって苦しんできました。放射能による被害は、世代を超えて続きます。ヒロシマ・ナガサキにおける被爆2世・3世の課題は、フクシマにおけるこれからにつながっています。

 私たちは、国の責任を明確にし、国によるしっかりとした補償を確立させなくてはなりません。私たちは、ヒバクシャの皆さんの長い闘いを無駄にしてはならないのです。

 今回の原水禁世界大会を前にして、原水禁は世界の反核団体に呼びかけ、青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場の運転開始に反対する書簡を、各国の日本大使館宛に送るキャンペーンを展開しました。現在、国際平和ビューロー(IPB)や、海外ゲストとして米国から来日いただいたピーター・デッキーさんの所属するピースアクションなど9カ国18団体から送付してもらっています。
 日本は、NPT加盟国の中の、核兵器を持たない国で唯一「使用済み核燃料の再処理」を行い、約44トン、長崎型原爆にして5,500発分ものプルトニウムを所有しています。核実験を行う朝鮮民主主義人民共和国とプルトニウムを持ち実質的な核保有国と言っても良い日本の間にあって、韓国は韓米原子力協定の交渉に於いて、再処理の実施を強く要求しています。韓国からのゲスト、イム・ピルスさんは、日本のプルトニウム、北朝鮮の核実験、このことは、韓国の核保有要求の声を大きくすると指摘しています。東北アジアの非核化のためには、日本が核兵器を持たないことを再度確認することが重要であるとの、パウエル元国務大臣の指摘には、日本が再処理を行わない、プルトニウムを作らないと言うことをしっかりと表明することが一番の答えだと考えます。

 原水禁世界大会を通じて、多くの議論をいただきました。時間の関係でご紹介できませんことをご了解下さい。

皆さんよく知っている曲に、ジョン・レノンの「Imagine」があります。
                                                                              
想像してごらん 何も持たないって     │ Imagine no possessions              │
あなたなら出来ると思うよ             │ I wonder if you can                 │
欲張ったり飢えることも無い           │ No need for greed or hunger         │
人はみんな兄弟なんだって             │ A brotherhood of man                │
想像してごらん みんなが             │ Imagine all the people              │
世界を分かち合うんだって...          │ Sharing all the world               │
                                     │                                     │

みなさん共に新しい社会を創造しましょう。

そのために闘いましょう。
 

  長崎閉会総会.JPG 

7月28日の福島大会を皮切りに開催されてきた「被爆68周年原水爆禁止世界大会」は、8月9日、長崎大会の閉会総会で大会宣言を採択して終了しました。
 全国から2000人が参加し、主催者あいさつで川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)は、「衆院・参院選挙で自民党の勝利を許し、原発再稼働、憲法改悪などが迫ってきている。アジア諸国からは日本の核武装が懸念されている。大会で東北アジアの非核地帯化が重要なことが確認された。68年前の原爆で長崎では15万人が亡くなった。被爆者は高齢化している。被爆者の思いを次世代に受け継ぐことが大切になっている」と訴えました。
 九州各県を回った原水禁・非核平和行進のタスキが、被爆地の長崎から、来年の5.15平和行進を行う沖縄に引き継がれた後、沖縄の訴えを山城博治・沖縄平和運動センター事務局長が行い「沖縄では全市町村の反対を押し切ってオスプレイの強行配備が行われ、辺野古の新基地建設、高江のヘリパット建設が続いている。この暴挙を許してはならない。11月に沖縄で護憲大会が開かれる。またそこで議論と行動をおこそう」と訴えました。
 鹿児島の川内原発の再稼働反対の報告を、川内原発増設反対共闘会議の荒川譲議長(鹿児島県護憲平和フォーラム代表)が行い、「九州電力は先月、原発の再稼働を申請したが、内容は不備だらけだ。しかし、県知事や薩摩川内市長はこれを受け入れようとしている。経済界の圧力があるからだ。目先の経済よりも命が大切だ。全国に仲間と闘う」と強い決意を述べました。 
 高校生のアピールでは、今年で16回目になる国連への平和大使に選ばれた12都道県の20人が抱負を語りました。被災地の福島や岩手からも選出され、原発問題や復旧・復興についても、ジュネーブの国連欧州本部で伝える事にしています。また、高校生1万人署名活動実行委員会も全国に拡がり、「13年目の今年、累計で署名が100万人を越えることが出来た。これからも広げていきたい」と思いをアピールしました。
 海外ゲストを代表して、アメリカのピースアクションのピーター・デッキーさんが「アメリカを代表する平和団体として、毎年、この大会に参加している。アメリカは核兵器を永遠に持ち続けようとしている。この軍国主義中毒と闘い、公正で平和な未来を作るグローバルな運動をともに進めよう」と呼びかけました。
 大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長が行い「福島の地域社会を原発は破壊した。原爆も原発も国策で引き起こされたものであり、その課題は繋がっている。ジョン・レノンの『イマジン』のように、想像力を持って、新しい社会を作り出していこう」と強調しました。
 最後に大会宣言が提案され、「人類は生きねばなりません。ノーモア ヒロシマ!ノーモア ナガサキ!ノーモア フクシマ!ノーモア ヒバクシャ!ノーモア ウォー!」と確認されました。閉会あいさつで小西清一・大会副実行委員長が「福島、広島、長崎の大会を通じて1万人以上の参加があった。人々の安全を脅かそうとしている安倍政権の暴挙を食い止め、また1年間しっかり運動を積み重ねよう」と呼びかけて終了しました。

長崎平和行進.JPG 

閉会後、参加者は爆心地公園までの非核平和行進を行い、「核も戦争もない平和な21世紀に!」などとアピールしました。爆心地公園では、川野実行委員長が代表して、中心碑に献花を行った後、原爆投下時刻の11時2分に全員で黙とうを行い、全日程を終えました。 

「大会宣言」はこちら 

被爆68周年原水爆禁止世界大会 大会宣言

被爆68周年原水爆禁止世界大会 大会宣言

 嘆き・悲しみ・苦しむ人々、呆然と空間を漂う瞳、なすすべもない怒り、そこには、キノコ雲も、原爆ドームも、廃墟と化した町並みも、何もない。ただ、さまよい、傷つき、亡くなっていく人らしき人の群れ。丸木位里・俊さんの「原爆の図」です。
 非人道的兵器・原子爆弾による惨劇は、言葉で表すことができないほど人間の尊厳を奪い尽くした世界なのです。ヒバクシャは、生涯にわたって肉体的に、精神的に、社会的に塗炭の苦しみを強いられています。そして、その苦悩と不安は、次世代へとつながっています。
 「ピカも、人が落とさにゃ、落ちん」という、位里さんの母親の言葉。人間の尊厳の基本にある「命」、そして人間の手で奪われる「命」。人間が繰り返してきた愚行。私たちは、ヒロシマ・ナガサキの実相を伝え、その風化を決して許してはなりません。「一人ひとりの『命』に寄り添う社会」を求め続けてきた私たちは、すべてのヒバクシャの願いと想いを受け止めて、新しい世界の創造に邁進します。 
 2011年3月11日、東京電力・福島第一原発事故は、15万人とも言われる多くの人々の故郷を奪い、避難生活を強いています。2年5ヶ月を経過してもなお、放射能がこれまでの生活を拒み、明日の展望を見いだせずにいます。事故は、過去のものではありません。現在も進行中であり、新たな不安を生み出しています。原発事故は、健康を奪い、生活を奪い、地域の文化と歴史を奪い、家族と多くの人のつながりを奪いました。また事故の収束に携わる労働者の被曝も深刻です。私たちは、原発事故被災者と被曝労働者の健康と命と生活を守るよう、政府に強く求めます。
 ヒロシマ・ナガサキの実相とフクシマの実相は、多くの部分で重なり、多くの部分で異なるものです。しかし、それは「命」の尊厳を奪う人間の愚かな行為の結果であり、国策がもたらしたということで根本でつながるものです。国の責任を明らかにし、国の手による補償を確固としたものにする努力を続けます。
  安倍政権は、今、数の力でもって、集団的自衛権の行使を容認し、憲法を全面的に改悪し、国民の権利を奪い戦争への道を歩もうとしています。第二次大戦後の覇権を握ろうとして原爆を投下した米国に追随して、再び戦争国家の道を歩もうとしているのです。戦争のための米軍基地が集中する沖縄で、今大会期間中の8月5日に軍用ヘリコプターの墜落事故が起こりました。沖縄での「命」の軽視は、米国が、日本が、戦争国家であることを象徴するものです。私たちは「戦争国家」を絶対に許しません。
 安心して暮らせる福島を取り戻し、子どもたちに核のない未来を贈りましょう。再稼働を許さず、再処理を止め、脱原発社会をめざしましょう。持続可能なエネルギー社会をつくりましょう。平和憲法を守りましょう。非核三原則の法制化と東北アジア非核地帯の実現をめざしましょう。オスプレイの配備撤回、米軍基地の撤去を実現しましょう。核兵器禁止条約をつくりましょう。すべてのヒバクシャの権利を拡大しましょう。

 「人類は生きねばなりません」

 ノーモア ヒロシマ! ノーモア ナガサキ! ノーモア フクシマ! ノーモア ヒバクシャ!ノーモア ウォー!

2013年8月9日

被爆68周年原水爆禁止世界大会
 

8月9日に開かれた「被爆68周年原水禁世界大会・長崎大会」の3日目の閉会総会で「大会宣言」が採択され、非核平和行進が行われました。原爆中心碑を囲んで、原爆投下時刻に黙とうを行い、原水禁世界大会の全日程を終えました。その模様をビデオにまとめました。(9分)

8月8日に長崎市内で開かれた「被爆68周年原水禁世界大会・長崎大会」の2日目の分科会やフィールドワークなどの様子をビデオにまとめました(7分22秒)。

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 分科会冒頭、次世代への継承と被爆者の証言を中心に編集された「君たちはゲンバクを見たか」のビデオを見た。
 
山川剛さん(被爆教職員の会)の被爆体験講話
 分科会に参加した若い人たちに何かを伝えなければと思う。
 私たちの被爆体験は、単に悲しい話なのか?それとも昔話なのか?
 もし違うとするなら何が違うのかを考えてもらいたい。

○ 戦時中の東京銀座の写真。日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!のスローガンが写っている。
 戦争前に、ぜいたくの例示を政府が詳細に国民に示した。それに反すると「お前、それでも日本人か」「非国民」と批判された。世の中は息苦しくなる。思ったことを言うと死ぬかもしれない。一番悪い人間は、戦争に反対する人間。

○ 母親による竹槍訓練の写真。当時は女学生も同じ竹槍訓練をしていた。
 戦争になったら、学校は人の殺し方を教えていた。女学生を指導している教師は、敵に見立てたわら束を使いをこうやって殺すのだと指導していた。

○ 鬼畜米英と書かれた写真。
 国民学校の黒板の上に張られていた。学校では、見た目は人間だが中身は鬼であると教えられた。こいつらに捕まったら殺されると教えられた。

○ 米兵が写した女性が投身自殺をしている写真。
 敵に捕まらないために60メートルの断崖から飛び降りるしかなかった。敵に捕まるなと教えられた結果である。そして「お前達の命は鳥の羽より軽い」だから「お国のために命を捧げれ」と教えられた。

○ 山川さんが国民学校一年生の時に「ノボルアサ日」「ヒノマル」「ツヨイカラダ」「クニヲマモレ」と書いた習字の写真。
小学校で話をするとき、戦争は命がけだが、平和を守るにはもっと命がけだと話している。

○ 1945年の長崎市地図。
 長崎は東と西の山に挟まれた谷間が被爆地である。広島より長崎の原爆の方が強力であるが、被爆者は広島の方が2倍である。それは地形が関係している。
 私は爆心地から4km離れた場所で被爆した。グラバー園の近くで、何も遮る場所がなかった。8月9日、朝ご飯を食べて外に遊びに出ていた。波止場で遊んでいたら、急に空襲警報がなったので町の横穴式の防空壕に避難した。空襲で一番怖かったのは機銃掃射だった。夏でも怖くて体が震えた。小さな子どもだったが今日死ぬかもしれないと真剣に思っていた。以外に早く警戒警報となったので、防空壕の入り口から少し離れたところで遊び始めた。その後、警報はならなかったが鐘がなって「敵機!」と叫ぶ警防団の声が聞こえた。B29が近づいてきていた。手に持った泥まんじゅうを下に置いた瞬間に、原爆が落とされた。あまりの光に周りの風景が一瞬見えなくなった。何が起ったのかを考える間もなく防空壕に飛び込んだ。左に熱線を感じていた。幸い爆風を受けなかった。

○ 軍隊の建物のコールタールの板壁に写っている梯子と人の陰の写真。梯子と人は熱線の直撃を受けている。
○ 原爆投下数日後の国道206号線の写真。平和公園から南向かいに写している。田舎の家に避難する途中で撮影。
○ 8月7日の上空から写した長崎の写真。上下に浦上川が流れている。
○ 原爆投下後に上空から写した長崎の写真。風景が完全に変わっている。

 私たちは被爆者と呼ばれている。私たちの願いは、二度と被爆者をつくらないことにつきる。それは核兵器ゼロという願い。今1万7千発の核兵器がある。仮にそれが1発になったとした時、「1発ならいいか」を問いたい。広島も長崎も1発の原爆で被爆者を出した。1発ではなくゼロではなければならない。
 広島、長崎に原発が投下された時、日本は戦争中であった。日本は、68年間戦争をしていない。日本は世界ではじめて、国に対して戦争をさせないという憲法を持っている。しかしコスタリカは、160年戦争をしていない。スイスは間もなく200年。スウェーデンは最長で200年。なぜそんなに戦争をしていないのか?何か平和の秘密があるはずである。是非みなさんに平和の秘密に迫ってほしい。世界で20カ国以上が軍隊を持っていないこともわかっている。戦争は必然ではない。戦争は絶対にしなくてはいけないものではない。
軍隊がなければ平和を守れない。軍事力で平和が守れるなら世界はすでに平和になっている。「そんなことができるはずがない」との思いが、すべてを無にする。「私たちは微力だけど、無力じゃない」との高校生平和大使の言葉に希望を託したい。

西岡由香さん(漫画家)の講話
 3・11を経験して原爆を漫画で描いていたが、原発を描いてこなかったことを後悔した。今日は、原発を題材にした漫画を元に話をしたい。

○ 福島第一原発事故の写真
1ミリシーベルト/年を超える土地が国土の3%になっている。
福島では「レントゲン室に避難しようか」という冗談が言われている。
福島駅前ですらレントゲン室よりも放射線量が高い。

○ 福島第1原発均衡の野球場の写真。除染でたまった汚染土の袋が大量に写っている(2013.3.11)。
今、汚染水が問題になっている。なぜ、海に漏れているのかは不明である。ようやく国も対策を取り始めたが、行き詰まっている。
2年前に刑事告訴をした。やっと福島高裁が受理をした。

○ 2年前の飯舘村の写真
112マイクロシーベルトであった。生き物の本能が、ここが危険であると発していた。ここに子どもを置くことは犯罪行為ではないだろうか?
原発の安全性は、技術面と制度面がある。技術面の対策をしても制度面が不十分であれば同じ事故を繰り返すであろう。再稼働には賛成できない。原爆と原発はつながっている。材料が同じである。

 続いて「原子や放射線」「なぜ人体に悪影響を与えるのか」「子どもの方が影響が大きい」「人体へ影響を与える放射線量のしきい値はない」「自然放射線に人工放射線が加わることの害について」「放射線の影響を受けやすい臓器について」などをスライドや風船を使って原発の問題について平易に解説していただいた。

○ 再生可能エネルギーの活用が脱原発への希望となる。
 風力発電、太陽光発電、地熱発電、バイオマス発電、小水力発電、波力発電、潮汐発電などが再生可能エネルギー。日本は自然エネルギーの宝庫である。自分たちの住む地域を安心・安全な場所にしよう!という考えに転換したい。例えば山王自治会(兵庫県丹波市)では自治会発電が始まった。小田原市役所(神奈川県)の太陽光パネルの設置と小水力発電への準備をすすめている。梼原町(高知県)では、風力発電とペレットの生産しバイオマス燃料で福祉施設の電気を賄っている。また小水力発電の電気は中学校と街灯で使用している。
 私たちは、自分たちの生活の向こうで被曝者を出さない暮らしをすべきである。自分たちの生活や地域に何かが無いと言うマイナスの思考を止めたい。仲間づくりは平和をつくること、次世代へたすきをつなぐことである。

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 はじめに、全国被爆二世協の前会長と事務局長から「被爆二世運動の現状について」報告があり、「毎年原爆ドーム前で署名活動を行っているが、今年は集まる人が少なくなっており、私たちの訴えと反する活動も強くなってきている。また、被爆者の高齢化と相まって、改めて2世・3世の活動強化が求められているのではないか」という事が言われました。

 次に、二世協活動の課題として、1つ目に『被爆体験をどう継承していくのか』、2つ目に『被爆二世自身の健康不安とどう向き合っていくのか』、3つ目には『被爆二世に対する差別と偏見にどう向き合っていくのか』という様に、具体的に3つの課題があるという事を、実際に体験された方の手記を踏まえながら説明されました。そうした中から、「国に対してきちんと健康不安に対する補償をさせる事によって、被爆二世は『第5の被爆者である』という事を認めさせていくことが大切」という事が述べられました。

 また、これまでの被爆2世運動の歴史について、被爆20年が経過して若年性白血病が多発したり、結婚や就職などの差別が具体的に出されてくる中で二世運動が高まってきたことが出され、これまで国などへ交渉を重ねた結果『わずかな健康診断が行われている』ものの、依然として何の援護施策も行われていない事から、引き続き国に対して交渉を強めていくと同時に、2世の組織化を強める中から『核の問題』を社会的に広げていかなければならない事も主張されました。さらに、被爆二世の組織化がなかなか進まない現状の中で「どう運動を広げていくのか」といった課題も提起されました。また、今後福島においても同様に「被曝二世」が出てくる事が予想され、共闘の取組みの必要性も出されました。

 参加者からの討論では、被爆者の方からは「二世・三世を『ヒバクシャ』と言っていいのか迷いがある」という事や「被爆者と二世との間で共闘する取組みが必要ではないか」という意見が出され、二世の方からは「実際に体験していない事を話すのはおこがましい思いがある」という思いが出されながらも「被爆した親を真近でずっと見て来ており、2世でなければ分からない事もある。そうした事も含め2世として体験してきた事を話して行きたい」という思いも出されました。また運動継承の問題について「既に身内には被爆四世が生まれており、原爆が落とされた事実も把握していない現状がある。そうした中で、孫に対して直接手紙を書くなど、まずは自分の子や孫にきちんと事実を広めていく事が必要では」ということも出されました。また、福島で起きている問題について、「まずは原発労働者や子どもの被曝問題について、きちんと援護策を求めていく取組みを福島の方と一緒に取り組んでいきたい」という事も出されました。

 最後に、「被爆二世・三世が社会的にどういう立場にあるのかを明らかにしていきながら、福島の被曝問題と合わせて取組んでいく必要がある。そこから戦争のない社会をめざして闘っていこう」と全体で意思統一し終了しました。

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高實康稔さんのお話
 日本の植民地支配が根源となって朝鮮が南北に分断されたこと、満州国についての説明、当時朝鮮国は日本の領内であったことから、「移住」という言葉で誤魔化して強制連行を行ってきたこと、また、朝鮮人以外の被爆した外国人として中国人などがいたことなどを時系列に沿いながら説明されました。現在、長崎平和記念公園がある場所に、当時は浦上刑務支所があり、そこに収容されていた中国人32人、朝鮮人13人は全員原爆の犠牲になり、どれほど多くの在外被爆者がいたかということが語られ、その後、在外被爆者援護法とその変遷、そして戦傷病者戦没者援護法の話がありました。

カク・キフン(郭貴勲)さんのお話
 郭さん自身が21歳のときに、朝鮮で大日本帝国に徴兵され、貨物列車にゆられて釜山へ行き、そこから船で広島に渡って被爆したこと。またそこで日本軍として従軍したときの様子などをお話しいただき、その後、106名の仲間の中で唯一生き残った郭さんが、韓国に帰り、国内でも差別され、同じように差別された韓国人被爆者たちも続々と死んでいく中で、日本政府と裁判で在外被爆者を認めさせる闘いを続けてきたことなどをお話されました。
 韓国を出発して、日本で裁判をして、韓国に帰るときのことを「朝は被爆者じゃ無い。昼は被爆者。夜は被爆者じゃ無い。こんなことがあり得るのか。被爆者はどこにいても被爆者だ」という言葉がとても印象的でした。

チョン・テホン(鄭泰弘)さんのお話
 長崎で被爆した当時、中学生だった鄭さんは長崎で在日朝鮮人家族として生活を送っていて、原爆投下当日の様子を自分の生活状態も含めて非常に詳しく話してくださいました。
 鄭さんは、日本で育ったので、終戦後に釜山に「帰国」したものの、ハングルがわからずしかも中学生からハングルを覚えるのは非常に大変でお金もかかったと話されていました。鄭さんも郭さんも非常に流ちょうな日本語でお話しくださいました。聞いている側は、聞き取りやすかったのですが、両先生の日本語が流ちょうだという事実そのものは、日本軍が朝鮮の人たちに母国語を捨てさせ、日本語教育を強要した何よりの証拠であると感じました。
 3名の先生からの様々なお話しを受けて、それぞれがその話を、職場や家庭などに持ち帰り、そこで議論とまで行かずとも話を広げてもらえたら良いのではということで、実行委員からのまとめとさせていただきました。

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長崎第5分科会
ヒバクシャ1―学習編―世界の核被害と内部ヒバクを考える

 「世界の核被害と内部被曝を考える」をテーマに、ウラン採掘に携わる人たちの現状と福島の報告から、福島の子どもたちの現状に学び、改めて「核と人類は共存できない」を確認した。

 豊崎博光さん、レオナ・モルガンさんからウラン採掘の現状、福島からの報告では阿部昭比古さんから、福島の子どもたちの健康の現状と子どもたちを守っていく活動の必要性、川野浩一大会実行委員長の報告を受けた。
 核兵器を製造するためのウラン採掘の段階から、多くのヒバクシャを出す。そして核兵器の使用、原発の事故で多くのヒバクシャを出す。そのような核は人類と共存することはできない。生み出されるヒバクシャに対して、私たちはどうすればいいか。そのためには、まずしっかりと核、ヒバクに対して理解を深めることが重要である。

 質疑では、世界のウラン採掘の現状、ヒバクシャへの差別、世界で共闘した取り組みについての質問があった。

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長崎第4分科会「平和と核軍縮2」
問題提起の骨子
塚田晋一郎さん(ピースデポ事務局長代行)
1.核弾頭の推移について世界の状況
2.非核兵器地帯の進行
3.北東アジアの非核化にむけて
4.オスプレイ配備と沖縄米軍基地の現状

ピーター・デッキーさん(米・ピースアクション)
米国の核戦略の分析
1.弾道ミサイル防衛
2.核拡散防止(相手の核を破壊)
  米国にとって核戦略は必要であり続ける。運動は抑止力よりは核兵器の恐怖と不道徳性で廃絶を求めている。

沖縄、長崎、神奈川、各地の報告
(沖縄)
米軍ヘリの墜落(8/3)事故、米軍基地内とはいえ、きわめて危険。日米政府が世界中で最も危険と認めた普天間へのオスプレイ配備。41自治体すべての反対を押し切っての配備。8/3に追加配備が始まった直後に事故。
(長崎)
佐世保の原潜入港、核空母入港反対の闘い。エンタープライズ闘争以来の伝統があるが、今日的には停滞気味。東日本大震災時のロナルドレーガンの「おともだち作戦」以来、反戦・反基地運動へ避難が高まっている。
(神奈川)
 「おともだち作戦」の本質(米軍の都合のみ)
横須賀基地への米空母配備、母港化40年の状況
原子力空母原子炉の危険性。艦載機爆音問題
オスプレイ低空飛行訓練の法的根拠=日本政府の新見解の問題点。海上自衛隊ヘリ空母3番艦と集団的自衛権の関連。

会場からの発言
・集団的自衛権問題と文民統制解除の動きに警戒を。
・佐世保の米軍・自衛隊と長崎空港の使用について、市民県民に情報を。
・麻生発言への野党の抗議を拒否した政府の姿勢は批判を。
・ピーター・デッキーさんへの質問…日本の市民運動へのアドバイスとピースアクションの現状。
・原水禁・平和フォーラムと市民の連携、広がりについて。
 

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長崎第3分科会
平和と核軍縮1―学習編―核拡散と日本の原子力政策~プルトニウム利用と原発輸出

 昨日の記者会見で藤本泰成大会事務局長は、長崎の原爆がプルトニウム型であったため、六ヶ所村の再処理工場に反対するのだと表明したが、世界の常識では日本は核を所持しているという認識である。また、自民党の石破茂幹事長は以前、抑止力であると述べている。韓国も日本と北朝鮮との軍事的関係から、核燃料の再処理をさせろと主張している。
 このように、非常に危険なプルトニウムの再利用は世界中からなくさなければならない。米国の9.11テロ(2001年)でプルトニウムが使われていたら。また、3.11の福島第一原発事故で使用済み核燃料プールの水がなくなっていればと思うと、絶対に認めることはできない。
 六ヶ所村の再処理工場は、テロ(核とセキュリティー)問題、核拡散、核軍縮の観点からも核兵器問題としてとらえる必要がある。高速増殖炉もんじゅは、現状では稼働は困難であるが、完全に廃炉にしなければならない。

 参加者から、非核三原則を法制化する必要があるのでは。国は使用済み核燃料をどうしようと思っているのか。最終処分はどうすればよいのか等、切実な意見が出された。
 六ヶ所村の今村修さんは30年前の4月9日が受け入れを決めた「屈辱の日」であると述べ、「政府は来年の六ヶ所再処理工場の運転再開に向け必死である。これまで反対運動もことごとく金をばらまかれ、つぶされてきた。もし本格稼働すれば、原発1基が1年間で出す放射能を1日で生み出すことになるということ。いま、むつ市に新たな再処理施設が建設中であるが、これらに要した費用は18兆円にもなり、すべて電気料金に上乗せされている。北海道の大間原発では、プルトニウムを使用した核燃料サイクルを追求してやまない状況がある」と発言した。
 韓国の社会進歩連帯から、イム・ピルスさんは韓米原子力協定について述べ、原発の輸出を世界中の20%(北アフリカ、中東、インドネシア、タイ)のシェアを主張し、その数も80基におよぶ。また、核開発にも躍起となっているが、アメリカは朝鮮半島の関係が改善されない限り、認めることはない。極右勢力は核武装をもくろんでおり、重要なことは原発輸出に反対し、核燃料の再処理に反対する運動だと主張した。

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講師:藤井石根さん(明治大学名誉教授)
 自然エネルギ-を中心に、冒頭、「原子炉は一端を火を着けたら消えない。冷やし続けなければならない。それに気づいた今だからやめるべき」と述べられた。

 2010年の世界の原発で発電量は3億7,500万KWで、自然エネルギ-開発の時間は立っていないが現在3億8,100万KWで原発と同じぐらいの容量を持っている。それ以降、2005年で55カ国~2010年で100カ国以上に増えている。開発費も300億ドルから1500億ドルと5倍になっている。特に中国など進めているが、ヨ-ロッパではドイツが脱原発、東南アジア・アフリカでも自然エネルギ-へ関心を向けている。ケニアの地熱発電4ギガW、(原発1基相当=1ギガW)、インド太陽光発電で20ギガWなど世界のこの流れに進む方向になっている。

 「自然エネルギ-は不安定」と否定されるが、広範囲による融通をし合えば平均化により解消できる。蓄電池の開発などで融通、あるいはパワ-の問題も解消できる。
 これを増やしていくため、国や自治体で①利用の将来目標値を示す②都市開発計画の自然エネルギ-の活用③自然エネルギ-利用の義務付け④税制上の控除や免除⑤公共交通機関など環境にやさしい点力の活用⑥電力会社を対象に画期的な政策導入⑦利用促進に寄与した情報提供・支援⑧補助金・助成金の充実をするべき。

 屋根の上の太陽光発電でNEの優位性として1年間で1件が1000KW/h で25,000円程度を売ることができ、国内で10億KW/hで250億円となる。これを続けることができれば産業を起こせる。環境問題もなく放射能もない。資源の枯渇もなくなる。現在23兆円ほど化石燃料を買っているがこれもなくなる。
最後に、自宅には7年ほど前から太陽光電池を設置し、月々の日数で売り買いは買った電力が2215KW/h、売った電力が3324KW/hで、東京電力に供給している。これを皆さんでやれば原発を使う必要もなくなるのではないだろうか。

講師:西尾漠さん(原子力資料情報室共同代表)
 来月で国内の原発はまたゼロになる。そこで再稼働となるが、12基が申請され審査も始まっている。その中には申請をしていないものもあり、30年を超えた原発では、審査をクリア-しても運転終了までの時間があまりない。基準に合わせるためには莫大な資金かかる。それを取り返せないから簡単に申請できない。しかし、政権交代で規制委員会に圧力もかかる中、最低限40年までという期限を守らせていくことが必要になっている。

 これから再稼働するものは、40年を過ぎたものでもさらに動かしたいとされるもので、世界一厳しい基準が逆に「伸ばさなければ電力会社がやっていけない」構図になっている。40年を超えて動かせるのかという事では40年以上稼働している原発は世界的に見ても実績はない。また新基準は第2、第3の福島が起こりうることを前提とした新しい規制にもなっている。重大事故が起こりうることとして、それが起きても拡大しないようになっている。防災計画にしても、今までは5Km、8Kmとなっていたものが30Kmまで広げている。そういう考え方でいいのかという事も一つある。しかし、現実問題として、今、再稼働しようとしている原発があり基準についての指摘はしながらも、最低限「今の基準を緩めることはさせない」それをきちんと守らせることが必要。
 核セキリュティ対策など管理していく事も検討されている。プルサ-マル、原発を動かせば使用済燃料がたまってくる。六ヶ所再処理が動けば可能かもしれないが破綻している。こういう事を追求しながら、止め続けることが必要。

 原発が止まっても停電にはならなかった。ここについて矛盾もでている。原発は止まってしまってもすぐに稼働できない。火力ならすぐに運転再開できる。現在、進める側と止める側ではっきりと分かれてきている中で再稼働を止め続け世論を高め、政策をきちんとしていくべきだ。

海外ゲスト:イ・サンホンさん
 福島に調査に入った時、皆、普通に生活していて、花見もしていた。しかし、実際測定すると国際的な許容基準の30倍だった。子供を保護する何らかの装備も与えていない。自分の知る先進国日本の姿ではなく調査を終え韓国に帰ることができず東京で抗議集会に参加してきた。それが反原発の原動力にもなっている。

 韓国の電力消費量は1991年8.9%、2010年で37.8%になった。電力消費量は急ピッチで増えた。その背景には原発があり原発は1991年の9基から2010年で23基に増えている。原発費用は国民の税金で賄われており電力も安いため国民たちが煽ってしまっていたとも言える。2030年には40基となる計画にもなっている。このままでは36基が日本海に接することになり、韓国の原発で問題が起きたら、日本の人はどこに逃げるのか。是非、日本の中から脱原発を実現し韓国にも要求をしてほしい。

 自分の住んでいる慶州は日本の奈良と姉妹都市であり、白維として都だった。現在26万人が住んでいて、古墳など世界文化遺産に指定されている。そこが現在韓国の原発の中心都市になっている。
30Km圏内では109万人が住んでいる。韓国の産業の中心が原発の両側にある。もし、福島の事故がここで起きたら109万人が避難することになる。

 設計図面は30年だった。政府は延長の方向だが世論を見ている状況で、IAEAは信用していないが、そのIAEAでさえ多くの指摘をしていった。10年周期のPSR検査項目も3項目削除された。さらにIAEAからの地震に関する指摘を受けているにも関わらず韓国政府は「停電事故はあり得ない」といっている。一方では韓国でも過去の地震によって大きな災害が起きた事例もあるし、地震から守るための韓国でもグレンィエという建設工法を行ってきている。また地下水への漏洩も検出されている。

海外ゲスト:イェンス・ケンツィアさん(ドイツ緑の党)
 ドイツでは福島事故を受け、原発事故を契機に段階的に原子力から再生可能なエネルギ-を使うという事をすでに決定している。

 ドイツにも原子力ロビ-はあった。ドイツで初めて商業的に原子力発電所が作られたのは50年前だった。70年代にはデモも行われた。長い間、反核運動を続けてきた経緯がある。勝利する時もあり負ける時もあった。原発をシャットダウンする最初の契機になったのは緑の党が与党となっていた2002年の「原子力発電所段階的廃止法」だった。しかし、2010年政権が交代し、保守党が「廃止法」を覆す行動にでてきた。そうした中で2012年に全ての党が「原発をなくそう」と動いた。国民の80%も参道する状況でもあった。

 具体的には2011年には8基を廃炉に、それから毎年1基ずつ、2021年に3基、2022年に3基ということですべての原発をなくしていくというものである。その間、原発ロビ-に対して様々な取り組みも行ってきた。デモ行進をはじめ、東京をはじめとした様々な国々でも同じような行動が行われうれしく思う。

 ポイントとしてしっかりと焦点を絞った形でのデモ行進も行っている。燃料を運ばせないため、鉄道・道路を取り囲みふさぐ形でも行った。完全な合法的な行動ではなかったが大きな影響を与えた。そうしたことをマスコミも取り上げ、メディアの注目により、動いたか、止まったかが注目を呼ぶようにもなった。

 また、緑の党は一貫して反核を訴えていた。そこに反核の市民が投票できる党にもなっていた。くわえて消費者にも訴えた。「段階的廃止をやるなら自分たちでやろう」という事を呼びかけるものでもあった。抗議なども重要なことだが、たんに反対するのではなく、代替え策として何が必要なのかを提示してきた。「代替物を示すことが重要」だということでもある。

 こうしたドイツでの取り組みが、そのまま日本で成功するかはわからないが、ドイツの場合、移行については準備期間が長くあった。1つ1つを10年かけてできるという事もあった。

各地からの報告

荒川譲さん(鹿児島県護憲平和フォ-ラム)
 伊方原発について電力が足りないといわれていたが実際は足りている。しかし、その後も巨額の赤字(3000億円)を理由に再稼働キャンペ-ンを行っている。全土で再稼働、伊方・川内原発が早いともいわれており、新基準では断層・火山について「問題なし」とされている。
 そういう中で、地元経済が重視をされ、自治体が大きな壁になってきている。これをどう突破するのかが課題であり、県民や市民から管型肩を発言してもらうことが必要だとおもう。
自分も自宅に太陽光発電を設置した。初期投資は210万円かかったが、支払った額より受け取った金額の方が多い。以前、諸先輩から「環境問題で運動する人はそれなりの自己負担が必要」と言われた事が思い出された。

山口さん(佐賀県原水禁)
 (玄海原発について)、冷却水漏れなど4基のトラブルが多発している。そんな中、使用済み核燃料の量を質問すると74%まできていた。六ヶ所村・もんじゅが動かなければ地元に据え置かなければならなくなる。この対策として3号機の貯蔵用プ-ルを改造して同じスペ-スでも倍近く貯蔵できるものが計画されたが危険な状態になるとしか考えられない。
 また、佐賀では「やらせメ-ル」問題があったが、知事の「企業として積極的に発言すべき」との発言が発端であるものの参考人招致での質問は否定され、知事の減給でうやむやにされようとしている。3.4号機の再稼働の申請をめぐり安全対策とともに特別委員会などで追及していく。
  また、九州電力などに対しても抗議行動など行ってきているが「気持ちは十分わかると」返答がされる。福島県民の本当に気持ちがわかるのであればン性について撤回をすべき。3・11の事故の現状を忘れずに、今の政権が再稼働や輸出する姿勢がある中で福島県民に寄り添う運動を強め、県議会を含め取り組みを強めていきたい。

 愛媛県議会・石川県議会議員からも伊方原発について、閉鎖性水域という事から、南海トラフなど福島原発と同様、それ以上の事故が起きれば、瀬戸内海全域に被害がおよぶことから、愛媛だけでなく大分県との共同行動を行うため共闘会議をほっそくしてきた。そこを基軸に要請書の提出や様々な行動を続けてきた。その中で、大分だけでなく山口県からの支持も得るようになり、愛媛・大分・山口の共闘会議へ発展してきている。訴訟関係ではすでに650名で3次を準備している。圏内集会をはじめ四国電力への要請行動など諸行動を計画している。
 1979年の説明では事故の確率は1/100万と言われていた。それが32年間で5基の炉心が損傷するような事故が起きている。再稼働は論理的にどう考えても納得いくものではない。各地域から運動を積み上げよう。
との報告を受けた。

【質問・意見・まとめ】
 時間的には余裕のない中でも2名から質問・意見を受け、1つには、化石燃料に対する対策の必要性も同時に進めていくべきとの意見。そしてドイツでの非暴力直訴行動について日本も学ぶべきとの意見。さらに原水禁として労働者被曝の問題を中心にすえるべきなどの意見が出された。
 最後に、牟田実運営委員より、まとめとして現在12基が再稼働の申請を行っている中で藤井さんからも「今後どうしていくのか」を含め世界的な自然エネルギ-への転換政策が離されていた。また、西尾さんからは、再稼働申請について古いものは申請できない電力会社の実情などにも触れられた。海外ゲストのイ・サンホンさんからは日本海に接する原発を含め韓国における原発事情が報告されていた。そしてドイツにおける反対運動を通じた自然エネルギ-への転換政策など出され。それは日本でも実現は可能ではないかという事が言われていたと思う。ここで学んだ事をぜひとも職場や地域に持ち帰り、各地から運動を追求していこうとしてまとめられ、第2分科会を終了した。

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長崎第1分科会
脱原子力1―学習・交流・討論編―フクシマを忘れない~被災者支援と連帯の課題

講師 山口幸夫さん
 フクシマを忘れないために、4点の提起があった。①いまだ事故の検証がなされていない東京電力・福島第一原発事故、4つの事故調査報告書があるが、本当の事故原因はわからない②収束とは程遠い福島原発。汚染水処理のめどが立たず、再稼働、原発輸出できる状態ではない③被災地と被災者の深刻な問題。除染に展望がない。不十分な健康調査。被曝の全容調査が不可欠④規制する側が規則の虜になっている。フクシマを引き起こした構造的な問題。「原子力ムラ」を解体できるかは、住民、市民の運動しかない。

講師 振津かつみさん
 福島原発事故から2年5ヵ月。大量の放射能が放出され、多くの住民が被曝させられた。福島事故被災地で、問題は多岐にわたる。放射線被曝の健康調査に「しきい値」はない。低レベルでもリスクはある。広島、長崎の被爆者の長年にわたる苦しみと犠牲の下に得られた、被爆健康被害の調査結果が示している放射線被曝の健康リスクのデータをフクシマでも活かすことが重要である。
 福島の被災者―被曝労働者の連帯と支援の運動を脱原発と結んで、全国から巻き起こそう。

各地報告―國分俊樹さん(福島)
 福島は物理的、意識的にもバラバラになった。まとまらないし、まとまれない。現段階での支援は難しいが、なんとかしたいという一念で今日ここに来た。この間、ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリ等の核放射能被害が、フクシマにはまったく活かされていない。要因は2つ。1つは原発推進派による安全キャンペーン、もう一つは福島の人たちが「被爆者」と同列に置かれたくない。ヒバクシャと言われることを嫌がっている。まさに、国や東京電力の利害と一致する。福島の東半分に本当の復興があるのか。核や放射線のことを訴えると「気にしすぎ」「不安をあおる」と冷たい視線にさらされる。脱原発のTシャツすら着られる雰囲気ではない。今後の被害や差別のことを考えると復興は見えないが、人権擁護や名誉回復で本当の復興ができる。フクシマに国民的運動で支援を。ヒロシマ、ナガサキレベルの健康支援をお願いしたい。

質疑討論
1.福島第一原発を視察したが、汚染タンクが錆びていた。現地を見たが、除染廃棄物が山積みされていた。どう処理するのか。今後、個人除染になると聞いたが、どのようにしようとしているのか。

2.南相馬の学校へ行った。4校合同の仮校舎で、子どもたちが戻ってこない。子どもの学習環境、健康、学習権の保障など、子どもの人権が大事。

3.福島の現地報告にショックがあり、残念だ。日本の社会には、生活が苦しい人が、少しでも自分よりマシな人の足を引っ張る、妬む意識がある。みんなで考えていく必要があるだろう。

4.福島だけの問題ではなく、東北ブロックで考える必要がある。「地震、津波」の被災者と「原発、放射能汚染」の被災者の感情がすれ違ったり、対立したりする傾向がある。復興予算は3兆円あるが、復旧、復興が進まない。以前より格差が拡大している。複合災害は本当に難しい。被曝の健康不安は一生つきまとう。そういう悩みや不安にどう寄り添っていくかが大事。

5.1年前から県庁前で座り込みを続けている。福島の支援は自分に出来ることをやり続けるのが大事。この分科会で「連帯」ということの大切さはわかったが、現地報告を聞いて、支援は難しいと思った。しかし、教員をやっていて学校で平和劇を行った。福島や日本全体のこと、将来のことを解決できる人づくりをしていきたい。

6.フクシマは事故ではなく事件。現地報告は心に響いた。活断層の上にある原発の図をみて、自分たちに関わっていることだと実感した。

山口さん
命の尊厳に関わることを人任せにしていてはいけない。原子爆弾、戦争はいけないという教育を引き継ぐことが重要である。

振津さん
 国の責任を問う全国運動を、放射能被害に関する正しい知識を。

國分さん
 福島はバラバラだが、県民集会を開催することができた。しかし、高齢者が多い。若い世代が次世代を担えるよう、人材を育てることが大事。

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 8月8日、「被爆68周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の2日目は、8つの分科会をはじめ、様々なひろば、フィールドワークなど多彩な催しが行われました。
 第1分科会は「フクシマを忘れない~被災者支援と連帯の課題」として、福島原発事故問題を取り上げました。福島からの報告や、「被災者支援法」の実施などを討議しました(写真左)。第2分科会は「再稼働問題と脱原発に向けたエネルギー政策の展開」をテーマに、韓国やドイツのゲストからの報告も含め、原発に頼らないエネルギー政策を考えました(写真右)。
 第3分科会は「核拡散と日本の原子力政策」で、破綻している核燃料サイクル、溜まり続けるプルトニウムの脅威や原発輸出問題を中心に、韓国からの報告も交えて討議しました。第4分科会は、「東北アジアの非核地帯化と日本の安全保障政策」について、事故を起こしたばかりの沖縄の米軍基地問題やオスプレイ配備、多国間の地域安全保障などの課題を、アメリカの平和運動家の報告も含めて討論しました。
 第5分科会は「世界の核被害と内部ヒバクを考える」をテーマに、原子力の出発点にあたるウラン採掘現場の核被害をアメリカから報告してもらい、さらに世界に拡がる核被害を学びました。第6分科会の「強制連行と被爆を考える」では、戦時中に強制連行され被爆した韓国の在外被爆者の訴えや被爆体験者の課題などを考えました。
 第7分科会は「被爆二世・三世問題を考える」をテーマに、被爆体験を継承するためにも被爆二世・三世の運動強化が欠かせないと、その課題を探りました。「見て、聞いて、学ぼうナガサキ入門編」とした第8分科会には多くの若い人が参加し、映像や被爆者の証言を通して被爆地・ナガサキの実相にふれるとともに、原発問題も考えました。

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 このほか、若者・子ども関連行事として、、高校生や大学生などの実行委員会が企画した「ピースブリッジ2013inながさき」では、東日本大震災の被災地からの報告や各地での署名活動などの報告、韓国・フィリピンの高校生からのスピーチなどが行われました(写真左)。「子ども平和のひろば」では、被爆体験の話を聞き、原爆資料館の見学や原爆中心碑での献花をしました(写真右)。
 フィールドワークでは長崎市内にある被爆遺構を5つのコースに分かれてめぐりました。また、佐世保基地めぐり、軍艦島の上陸ピースクルーズも行われました。このほか、被爆者との交流や映画上映会など、1日中、様々な催しが展開されました。
 9日は、閉会総会や非核平和行進を行い、今年の大会を締めくくります。
 

原水禁世界大会長崎大会 基調提起

被爆68周年原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本 泰成

 「コリン・パウエル」。この名前を覚えているでしょうか。湾岸戦争の統合参謀本部長、実質の戦争指揮責任者で、ブッシュ政権の国務長官でした。ブッシュ政権は、北朝鮮・イラン・イラクを「悪の枢軸」ならず者国家と非難し、2003年に大量破壊兵器所持を理由にイラク戦争に突入しました。北朝鮮やイランは、米国との対抗上「核保有」を選択しました。パウエル元国務長官は、その要職を退いた後、自由な立場からオバマ大統領を支持し、発言を続けています。彼は、核廃絶へ向かう道は「日本が核兵器を持たない意志を再確認することだ」と発言しています。私たちが主張してきた「東北アジアの非核化」の道は、まさにそこから始まるに違いありません。彼は、理想主義者でもなく、私たちとは核に対する考え方・立場も異なります。しかし、彼の発言は重要な意味を持っています。

 米オバマ政権は、ロシアとの間で戦略核の30%を削減するとする新戦略核兵器削減条約を締結・批准しました。また、今年6月にはさらなる削減を提案しています。しかし、一方で、兵器開発を促進し、臨界前核実験を繰り返し、軍事大国としてのプレゼンスを変えようとはしていません。その米国の姿勢は、世界に紛争の火種をまき、核の拡散を呼び込んでいます。米国が、軍事大国であるが故に、軍事力に頼ることなく、「対話」と「協調」の新たな時代に踏み込んで欲しいと思います。 

 日本は、NPT加盟の核兵器を持たない国で、唯一使用済み核燃料の再処理を行い、約44トンものプルトニウムを貯め込んでいます。長崎型の原爆に換算すると5,500発分にもなるプルトニウムは、周辺諸国の脅威であるとの指摘もあります。
 核実験を繰り返す朝鮮民主主義人民共和国とプルトニウムを大量に抱える日本の間にあって、韓国は、2013年に期限切れになる韓米原子力協定の交渉において、再処理を許可するよう米国に強く迫っています。
 米オバマ大統領は、2012年の核セキュリティーサミットにおいて「これ以上分離プルトニウムを増やすべきではない」と主張しました。テロリストの手に、原爆の原料であるプルトニウムがわたることに、9.11同時多発テロ以降の米国は恐怖を感じていると思います。
 日本においては、原発の多くが稼働停止の状態にあり、新規の原発建設が事実上不可能な状態にあります。また、高速増殖炉もんじゅや六ヶ所再処理工場の計画がこれも事実上破綻しつつあります。用途の不明確なプルトニウムを分離することは許されません。私たちが主張してきた「東北アジア非核化」の実現のためにも、核燃料サイクル計画からの離脱が求められています。「再処理をやめて、核燃料サイクル計画を放棄すること」このことが、日本は核兵器を持つ意志がないことを、世界に示すことなのです。

 日本は、昨年10月22日に国連総会第一委員会において発表された、非核保有国30カ国以上が賛同した「核兵器を非合法化する努力の強化」を求める共同声明に賛同せず、国内外から厳しい批判を受けました。米国の核の下、その抑止を絶対とする日本政府の姿勢は、しかし、実体的意味を持たないことは明らかです。止むことのない局地的な戦争は、核の抑止の外にあると考えなくてはなりません。被爆国でありながら、核兵器廃絶を主張しながら、なお、核兵器の存在を利用しようとする日本政府の主張に、誰が耳を傾けるでしょうか。

 私たちは、「核と人類は共存できない」と主張し、脱原発の社会をめざして運動を続けてきました。しかし、2011年3月11日の福島第一原発の事故を防ぐことは出来ませんでした。原水禁運動に関わってきた多くの人々の心に、忸怩たる重いが、「何で私たちの声が届かないのだろうか」という無念の思いが広がったのではないでしょうか。
 福島第一原発では、懸命の作業が継続されています。しかし、高濃度の放射線の存在が溶解した燃料の取り出しを阻み、冷却し続けなくてはならない状況は、今後何十年と続くでしょう。放出される放射性物資を含む汚染水は、毎日400トン、現在42万トンも貯まっています。地下水は汚染され一部は海洋に流出することとなっています。1万3000人を超える労働者が、白血病の労災基準である年間5ミリシーベルトを超えたとの報告もあり、人的にも、技術的にも行き詰まる事故収束作業の実態が浮かびます。原発事故は、崩壊に向かい、それは日本社会の崩壊も予感させるものです。

 「フクシマ」抜きの脱原発はあり得ないと、私たちは主張します。いまだ15万人が避難をし「命」に関わるほどのきびしい状況に置かれているのです。しかし、政府は、国会で全会一致で成立した「福島原発事故子ども被災者支援法」の基本計画さえ作ろうとはしていません。除染作業も当初計画の年間被曝量1ミリシーベルト以下を達成できずに、「除染作業が目標値に届かなくても、新しい線量計を渡すので、被曝線量を自己管理して生活しろ」と強要しようとしています。再除染は行わないとする政府の姿勢は、広島・長崎の被爆者を切り捨てようとしてきた姿勢と同様です。
 「国は、原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護すべき責任 並びに これまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っていることに鑑み」と、「福島原発事故子ども被災者支援法」には明確に記載されています。支援法の施策の実現を求めるフクシマの人々を、「左翼のクソども」と罵倒した官僚の言葉は、実はこれまでの、これからの政府の姿勢を端的に表しているのです。
 
 安倍首相は、経済再生のためにと称して「原発輸出」のトップセールスを世界に向けて展開しました。「フクシマ」の被災者を置き去りにしながら「過酷事故を起こした日本の原発は、それ故に世界で一番安全だ」とする厚顔無恥、この言葉は「俗悪な官僚」を非難した言葉と伝えられます。昨夏の国民的議論の中で生まれた民主党政府の「脱原発方針」をゼロベースから見直すとしながら、全くそのことを放置したままに「再稼働」を実現しようとする姿勢にも当てはまる言葉だと思います。

 「2011年6月10日 1時30分 大変お世話になりました。私の限度を超えました。ごめんなさい。原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けずに頑張って下さい。仕事をする気力を無くしました」。

 南相馬市の酪農家が残した言葉です。本大会の前に開催されました「原水禁フクシマ大会」の翌日、私は飯舘村、南相馬市へのフィールドワークに参加しました。やませ吹く冷涼な大地に立ち向かい、幾多の冷害を乗り越えた「日本一美しい村」飯舘は、今や、茫漠とした痩地の広がる、放射性物質に汚染された土地だけが残されました。この村に人の営みが戻るのは、何時のことになるのでしょうか。

 明日からの分科会において、多くの議論を積み上げていただきたいと思います。私たちは決してあきらめません。私たちは、「命」の尊厳を基本にした、再生可能で平和な社会の実現をめざして、着実に歩んでいきましょう。

 今年の、原水禁広島大会・長崎大会は、意見の相違から「連合・核禁会議」のみなさんとは共同開催が出来ませんでした。労働運動と市民運動を結んでの社会変革をめざす私たちは、極めて残念に思います。
 しかし、私たちは意見の相違を非難することなく、私たちがめざす目的のために「脱原発」「核兵器廃絶」「ヒバクシャ支援」の運動の拡大を図らなくてはなりません。
 三団体は「意見が異なることを理解し合いながら、しかし、被爆国日本の国民的願いである核兵器廃絶とヒバクシャ支援に三団体で積極的にとりくんでいくこと」を確認しています。2015年のNPT再検討会議に向けては、意見の相違を乗り越えて全国的な運動の展開を図らなくてはなりません。

 連合は、自らのエネルギー政策を見直し「原発に依存しない社会をめざす」としました。その意思を具体的運動につなげていくことを期待し、原水禁世界大会長崎大会での基調提起とさせていただきます。
 

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 被爆68周年原水爆禁止世界大会は、広島から長崎に移り、8月7日に開会総会が開かれ、1600人が参加しました。長崎県内を回る「反核平和の火リレー」によるオープニング、被爆者など核の犠牲者への黙とうを捧げた後、川原重信・長崎実行委員長が開会あいさつを行いました。
 主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長は「長崎を最後の被爆地にとの願いもむなしく、福島原発事故が起きてしまった。そして、68年経っても様々な問題が解決していない。全ての核の廃絶しか私たちの未来はない」と述べるとともに、長崎の高校生を中心とした反核・平和の活動を紹介し、「私たちにはまだ希望が残されている。3日間の大会を通して、そのことを確認しよう」と呼びかけました。
 連合を代表し連帯あいさつを行った高橋睦子・連合副事務局長も「核廃絶と国家補償を求めて、2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて運動をともに進めよう」と訴えました。また、来賓の長崎市長の田上富久さんは「核兵器の非人道性を指摘する多くの国の決議に日本が賛成しなかったことは遺憾だ。各地域から非核宣言を具体化する活動をすすめよう」と強調しました。
 大会基調の提案を藤本泰成・大会事務局長が行い、「破綻した原子力政策、エネルギー政策の転換を」など、核兵器の廃絶、原発再稼働の阻止、被爆者の多くの問題解決に向けての討論を進めようと呼びかけました。

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 特別ゲストとして、来日しているアメリカの著名な映画監督のオリバー・ストーンさん(上左写真左)と、アメリカン大学歴史学教授のピーター・カズミックさん(同右端)が参加。二人はアメリカによる日本への原爆投下について「すでにソ連の参戦が決まった段階で日本は降伏することがわかっていたので、原爆を使う必要は無かった。それでも使ったのはソ連への対抗のためだ」と述べました。「アメリカは核兵器の廃絶はできるのか」という質問に、オリバー・ストーンさんは「アメリカは冷戦終了後も核兵器を増大し続けてきた。それをただしていける国はどこにもない」と、悲観的な見方をしました。これに対しピーター・カズミックさんは「私は市民の力に希望を持っている。それには核や戦争にもっと怒る必要がある。特に日本人は今の反動的な政治にもっと怒るべきだ」と訴えかけました。
 18歳の時に爆心地からわずか1.8キロの地点で被爆し、奇跡的に一命を取り留めた築城昭平さんが、その時の凄惨な状況の証言に立ち、「明後日の長崎原爆の平和祈念式典でも証言するが、その時には、核の非人道性決議に署名しなかった事に抗議したい。また、福島原発事故から、原発の再稼働や原発輸出は許せないと言いたい」と決意を語りました。
 福島原発事故の状況について、渡部英明・福島県平和フォーラム事務局長が「事故から2年半が経過するが、事態は何も変わっていない。除染も中間貯蔵も進んでいない。40万トンを超える汚染水が溜まって、一部は海に流出している。原発は原爆と同様に、人道に反するものであり、世界から無くさなければならない」と指摘しました。
 平和へのメッセージの最後に、若い力として、高校生国連平和大使と高校生1万人署名活動実行委員会の70人が登壇(上右写真)し、第16代大使に選ばれた12都道県の20人全員が抱負を語りました。また、署名運動も13年間で累計で100万人を越え、本年度分は8月20日に欧州国連本部を訪ねる高校生平和大使から届けられることになっています。

 集会は最後に、長崎実行委員会のみなさんのリードで「原爆を許すまじ」を合唱し、長崎大会の開会を宣しました(写真上)。大会は8日に分科会などでの討議・学習やフィールドワークなどが行われ、9日に閉会総会と非核平和行進を行います。

 

8月7日に長崎市内で開かれた「被爆68周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の第1日目の開会総会の様子をビデオにまとめました。(9分45秒)

原水禁世界大会広島大会まとめ



被爆68周年原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本 泰成



 ご紹介いただきました、藤本です。若干のお時間をお借りしたいと思います。
今、広島大会が始まろうとしていた8月4日の12時半、宮城県石巻市を中心に、震度5強を記録する地震が発生しました。「ぐらぐら揺れたから、ご飯半分で飛び出した」「おっかないもんだね。いつまで地震が続くのか」 
 あれから2年余を過ぎているのに、まだ余震なのかと思いますが、しかし、地球と人間の一生を比べると、あの東日本大震災からほんの何秒かが過ぎただけなのかもしれません 数人が怪我をされたと聞きましたが、それだけで済んだのが幸いでした。

 2005年3月に、中央防災会議がだした報告書があります。1896年に起こった明治三陸沖地震に関するものです。その冒頭にこう記載されています。「三陸地方は津波の常習地帯として知られている。明治時代以降、三陸地方を襲った大津波は、明治と昭和の三陸沖地震、チリ地震の3例であるが、その以前にも、現在知られている資料から判断すると、平均で46年に一度の津波が発生している。」
 ある研究者の報告によれば、1611年の慶長地震による津波は明治三陸沖地震の津波より少なくとも6m高い、40mはるかにこすものとされています。
 この報告書は、古文書「三大実録」に記載された869年の貞観地震に触れ「最近になって貞観津波による堆積物が仙台平野の沿岸部で発見され、記述の妥当性を示している」とされています。
 このことは、2009年の経産省の審議会でも問題となり、岡村伸行産業技術総合研究所活断層・地震研究センター所長が「869年に宮城県沖で発生したM8以上と見られる『貞観地震』では、福島原発から7km北の浪江町で、現在の海岸線より1.5kmまで浸水の痕跡がある」として、福島第一原発の防災計画の見直しを迫りました。しかし、経産省や東京電力はこれを無視しました。
 
 地震の話が長くなりました。つまりは、コストやもうけを考え、そのことに拘泥することで、原発事故に思いが及ばなかった想像力が働かなかった、いや、そのことをあえて避けたと言うことなのです。

 開会総会で、ドイツ緑の党のイェンス・ケンツィアさんが、「原子力は、エネルギーとしては最も高くつきます。その代償は、ユーロや円といった通貨だけではなく、人の苦痛と悲しみとで払うこととなります」と述べました。想像力を働かせた結果として、この言葉は、重要な重みを持ってきます。その想像力から、ドイツは、原子力の代替として再生可能エネルギーを選択し、大きな雇用を生んでいることを報告されました。
 これは想像力から生まれる、社会を作り上げる構想力の結果なのです。今、日本社会に欠けているのは、「想像力」と「構想力」ではないかと感じました。

 第1分科会は、福島事故の現状と課題について、第2分科会は再稼働問題と今後のエネルギー政策について、それぞれ討議されました。原子力資料情報室の伴さんから報告された福島原発の危険な状況は、今後の原子力政策を考える上においても衝撃的です。
 廃炉への40年以上の闘い、どうしようもなくなってきた汚染水の問題、被曝労働の問題、原発がいかに人間の技術を超えたところにあるのかを教えます。
 8月5日の朝日新聞は、白血病の労災基準である年間5ミリシーベルトを超えた労働者が累積で1万3000人を超え、年間25ミリ・50ミリシーベルトを超えた人も800人以上いると報道しています。技術的にも、人的にも事故収束作業が行き詰まるのではないかと、そして、その時に何が起こるのかを想像すると戦慄が走ります。
 「ノーモア・フクシマ」この言葉の意味するものが何かを、私たちの議論は明確にしています。
 法律による「放射線管理区域」に相当する放射能汚染地域は、福島県外にも広範囲に広がり、現在400万人が居住すると、チェルノブイリ・ヒバクシャ救済関西の振津さんから報告されました。チェルノブイリ事故の600万人に並ぶ数字だそうです。「一般公衆の年間被曝限度1ミリシーベルト」という数字は、法律で決められています。しかし、そのことが一顧だにされない現実、日本は法治国家であったはずです。「放射線被曝の健康影響にはしきい値がない」ということと「直ちに影響はない」とする政府の主張、何をしなくてはならないかは明らかです。ヒロシマ・ナガサキの運動の経験を、フクシマにどう生かしていくか、「福島原発事故子ども被災者支援法」に明確に記載されているように、国の責任と国の補償、このことの実現を勝ち取って行かなくてはなりません。
 
 福岡県教組の角田さんからの現地報告では、避難による生徒の減少や避難箇所からの臨時校舎のへの登校など、現在置かれている子どもたちの状況を知りました。落ち着いて学ぶ環境をどう確保するかという問題は、しかし、一度しかない学びの時間、取り返すことの出来ない時間の中で苦悩する教育現場の姿が浮かんできます。
 フクシマの被害は、放射能汚染にとどまりません。除染、食品汚染、家族、地域社会の崩壊、生産者の苦悩、そして子どもたちの教育、国家補償は多岐にわたって総合的に行われなくてはなりません。

 時代は確実に「脱原発に向かっています」フクシマに向かい合うときに、県民の総意である脱原発への道筋は避けてはならないものです。第2分科会の議論は、その意味で重要です。ドイツの取り組みに学び、新しい社会の創造に向かう道のりには、希望の光が差していることを、その技術的可能性を原水禁顧問の藤井石根さんが示されました。「一人ひとりが問われている、私たちの手でエネルギー政策を動かそう」との主張は、原水禁運動の中でしっかりと作り上げたいと考えます。

 第3科会、第4分科会では、「東北アジアの非核化」という、私たちの従来からの構想について議論を重ねました。米国の核、または強大な軍事力が、北朝鮮の核開発を招いたのではないか、そのことを脅威としたてあげ、自ら「安全保障のジレンマ」に飛び込んでいく韓米日の姿が浮かんでいます。非核地帯構想の実現と朝鮮戦争の停戦協定を平和協定へという、日韓の平和運動を結んだ取り組みの中で、ピースデポ代表の湯浅さんから具体的提起がありました。また、核情報主宰の田窪さんからは、日本の再処理は、核拡散・核兵器の課題であり、そのことを踏まえた運動が必要となっている、日本のプルトニウム利用政策の放棄が、東北アジアの非核地帯の実現の大きな力になると指摘されました。加えて、韓国からのゲスト、イム・ピルスさんは、日本のプルトニウム、北朝鮮の核実験、このことは、韓国の核保有要求の声を大きくするとしてきされました。
 議論は、東北アジアの平和に何が必要なのかを具体的に示しているものです。

 昨日、ヒバクシャの坪井直さんの話を伺う機会がありました。原爆投下の当日、御幸橋西詰で、午前11時過ぎに撮影された写真に坪井さんは写っています。写したのは中国新聞の松茂美人さん。原爆投下の当日、人の写った写真は、彼のとった5枚しかないそうです。
 坪井さんは、その御幸橋西詰めで軍の小型トラックに乗せられます。若い男だけ、戦争に使える若い男だけが乗れたそうです。車の横にしがみついて軍によっておろされた小さな女の子の顔を、坪井さんは忘れないと言います。「それが戦争じゃけん、人間は道具じゃけん」と話す坪井さんの言葉、私たちは想像しましょう。戦争を、原爆を、その本質が何かを、

 私たちはそこから想像しましょう。そして、「命」を基本に、新しい社会を構想していきましょう。今、ここでしか生きることの出来ない私たちですが、学ぶ力があり、そこから想像する力があります。そして、新しい社会を構想する力があります。
  学ぶことのない、想像することのない、そして何よりも、人の命に寄り添うことのない政治家に、日本の将来を任せるわけにはいきません。

8月6日の「広島原爆の日」に開かれた「被爆68周年原水爆禁止世界大会・広島大会」の3日目(最終日)のまとめ集会の様子をビデオにしました(8分35秒)。

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アメリカによる原爆投下から68年目の8月6日、原水爆禁止世界大会・広島大会は、まとめ集会を行い、3日間の大会を終えて、長崎大会に引き継がれることになりました。
 午前8時から平和記念公園で開かれた「平和記念式典」に続いて、9時半から中国新聞社ホールで開催された「まとめ集会」には700人が参加。原爆犠牲者への黙とうに続いて、主催者あいさつに立った川野浩一大会実行委員長は、「4日の開会総会から内容の濃い大会になった。討議の中で、東北アジアの非核地帯化の早期実現などの課題が明確になった。核廃絶の実現まで、被爆体験の継承が大切だ。長崎に論議をつなげよう」と呼びかけました。
 若者や高校生が中心となって企画・運営した「メッセージfromヒロシマ2013」の報告が7人の高校生で行われ、全国各地の子ども達の思いの発表や「平和のメッセージ」を全世界に届けたことの報告がありました。また、高校生平和大使や1万人署名運動の紹介があり、4日の開会総会時に45万円を超えるカンパが集まったことも報告されました。

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 続いて、特別ゲストとして、このたび来日されたアメリカの映画監督のオリバー・ストーンさん(写真左 「プラトーン」「JFK」など)と、歴史学者のピーター・カズミックさん(写真右)がスピーチをしました。ピーター・カズミックさんは「これまでアメリカではウソの歴史が語られてきた。68年前に、ソ連の参戦ですでに日本は降伏を決めており、原爆投下の必要はなかった。そのアメリカに日本は同盟関係を強め、帝国主義に荷担してきた。そして憲法9条の改悪はアメリカの戦争政策拡大に繋がる。これに歯止めをかけなくてはならない」と歴史の直視を訴えました。
 オリバー・ストーンさんは、「アメリカは核というパンドラの箱を開けてしまった。その混迷の中で、原水禁運動は希望の星だ」と述べた後、「アメリカは全ての武器を手にしようとしておりこの病気を治すのは大変だ。核拡散の動きが拡がる中、日本はその悲惨さを体験した国として対処すべきだ。しかし、アメリカはアジア各国の武装化を進めている。先日、韓国の済州島に行ったが、そこに巨大な米軍基地が作られている。日本は平和の仲介者にならなければならない」と訴えました。
 
 特別報告として、愛媛県の伊方原発の再稼働阻止に向けたとりくみを、原水禁愛媛の中村嘉孝副会長が報告し、「四国電力は伊方原発の再稼働を申請し、政府もこれを認めようとしている。その立地から、愛媛だけでなく、大分、山口も被害が大きいことから3県の共闘会議も作った。原発差し止めの訴訟を、地元の伊方町を含め県内全市町村の住民622名で起こしている。12月に大規模集会も予定している。地域を越えて再稼働阻止を勝ち取ろう」と強調しました。
 沖縄の基地問題とオスプレイ配備問題の報告を沖縄平和センターの岸本喬さんが行い、「沖縄戦で軍隊は住民を守らないことが明確になった。そして米軍は軍事基地として土地を奪って、沖縄を長年にわたって統治してきた。さらに、全市町村の反対を押し切って、昨年、オスプレイの強行配備を行い、また、先日も追加配備を行った。しかし、昨日(5日)、米軍のヘリが墜落する事件も起きている。日本政府による構造的な沖縄差別が続いている。オスプレイがミスプレイになるまで闘う」と決意を語りました。

 広島大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長が行い、「ドイツは原発に変わる代替エネルギーを決めた。日本にはその想像力と構想力が不足している。東北アジアの非核化、ヒバクシャ支援など、構想力を持って運動を進めよう」など、大会の成果と課題を述べました。最後にヒロシマ・アピールとして「『核絶対否定・核と人類は共存できない』ことを強く訴え、核も戦争もない平和な21世紀を子ども達に贈ろう」と確認しました。大会の締めくくりに「原爆を許すまじ」を合唱し、片山春子・広島県原水禁代表委員のあいさつで広島大会の幕を閉じました。7日から9日まで長崎大会が開かれます。

ヒロシマ・アピールはこちら

子ども関連企画2013

『子どものひろば』

日時
2013年8月8日(木)9:30~12:30

会場
長崎県教育文化会館4F401会議室(定員70人)
長崎市筑後町2-1/TEL095-822-5195

コース
(電車移動)⇒原爆資料館⇒爆心地公園「原爆中心碑」

内容
平和の歌や被爆体験の証言、原爆資料館や被爆遺構の見学を通して被爆の実相や核の恐ろしさを肌で感じてもらう原水禁版「平和教育」。

日程
9:30~10:00 歌と交流・ビデオ上映「ナガサキのこうま」
10:00~10:45 被爆体験の講話(城臺美弥子)
10:50~11:00 徒歩で移動(教育文化会館→長崎駅前・電停へ)
11:00~11:15 貸切電車で移動(長崎駅前→浜口町)
11:15~11:25 徒歩で移動(浜口町電停→原爆資料館へ)
11:25~12:05 原爆資料館の見学・説明
12:05~12:30 原爆中心碑前で、献花、黙とう、感想発表

運営・進行・会場=長崎県教組

『ピース・ブリッジ2013inながさき』

日時 2013年8月8日(木)9:30~12:30

会場
長崎県勤労福祉会館2F講堂(定員200人)
長崎市桜町9-6/TEL095-821-1456

主催
ピース・ブリッジ実行委員会/高校生1万人署名活動実行委員会

内容
高校生や大学生などでつくる実行委員会が企画し、長崎から「平和の架け橋」を世界につなぐ「ピース・ブリッジ」第10弾

日程
9:30~ 9:35 主催者メッセージ
9:35~11:20 東日本大震災・被災地からの報告(岩手、福島)
10:00~10:30 東日本大震災・被災地からの報告(岩手県、福島県)
活動報告(北海道、神奈川、静岡、東京、広島、福岡、熊本、大分、佐賀、長崎(佐世保、五島))
11:20~12:10 フィリピン・韓国よりのメッセージ
12:10~12:20 みんなで歌おう平和の歌
12:20~12:30 平和宣言

運営・進行・会場=ピース・ブリッジ実行委員会

ヒロシマ・アピール

 「核と人類は共存できない」
 世界最初の原子爆弾が炸裂したあの日から68年目のこの夏、私たちはここ広島の地に集まり、核廃絶・脱原発の流れを大きく前進させるための誓いを新たにしました。
 原民喜が、原爆小景の中で「日ノ暮レチカク 眼ノ細イ ニンゲンノカホ ズラリト河岸ニ ウヅクマリ 細イ細イ イキヲツキ ソノスグ足モトノ水ニハ コドモノ死ンダ頭ガノゾキ カハリハテタ スガタノ細イ眼ニ 翳ツテユク 陽ノイロ シヅカニ オソロシク トリツクスベモナク」と表した惨状を繰り返させてはなりません。
 世界では、「核なき世界」を求めるといいながら、米オバマ政権は臨界前の新型核実験を繰り返しています。また、朝鮮民主主義人民共和国の核実験、イランの核疑惑など、核拡散の動きが広がっています。人類は未だ世界に存在する約17000発を超える核兵器による核脅威にさらされ続けられている事実を忘れてはなりません。2015年には被爆70年目をむかえ、NPT(核不拡散防止条約)再検討会議が開催されます。2010年に確認された「核なき世界の追求」と行動計画のさらなる具体化を求めヒロシマから声を大きく、取り組みを進めていかなければなりません。
 東日本大震災による福島第一原発の事故は広島原爆の168個分の放射線を撒き散らし、原発事故の恐ろしさを私たちに見せつけました。「薄氷の安定」であることを露呈するとともに、汚染水の問題や除染作業、廃炉に向けた工程など全く見通しはたっておらず、結局原発事故の原因究明もままならないまま、政府は早々と「収束宣言」を発表しました。原発推進派は原発の再稼働なしには経済発展はないとして再稼働にむけて進んでいます。私たちは核の平和利用というまやかしに騙されることなく全ての原発の廃炉を求めます。さらに、ヒロシマの経験を活かしフクシマに支援・連帯をしていくことが私たちに求められています。
 
 あの暑い68年前の夏、広島・長崎の原爆投下を経験してきた私たちは、一昨年にはフクシマでの原発事故を経験しました。核時代に生きて来た私たちに、ヒロシマは、人類が生き残るために核兵器を廃絶するしかないことを教えています。フクシマは全世界から原発をなくすことが必要なことを教えています。「核絶対否定・核と人類は共存できない」ことを強く訴え、核も戦争もない平和な21世紀を子どもたちに贈るとりくみを全力で進めます。
 
○すべての核兵器をなくし、核と戦争のない21世紀をつくろう!
○2015年NPT(核拡散防止条約)再検討会議における具体的行動計画の策定をめざそう!
○核兵器禁止条約を実現しよう!
○北東アジアの非核兵器地帯条約を実現しよう!
○全ての原発の廃炉をめざそう!
○原発の輸出を止めよう!
○原発事故の被災者と被曝労働者の健康と命と生活の保障を政府に強く求めよう!
○国是とした非核三原則を守ろう!
○被爆者援護施策の強化ですべての被爆者支援を実現しよう!
  ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノーモア フクシマ、ノー モア ヒバクシャ

2013年8月6日

被爆68周年原水爆禁止世界大会・広島大会
 

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被爆68周年 原水爆禁止世界大会 ひろば
ヒバクを許さない集い Part14 報告
―フクシマとヒロシマ・ナガサキ・JCOを結び 国の責任による福島事故被災者への健康手帳交付を求める運動を全国に広めよう

 ヒバクを許さない集い Part14は、「フクシマとヒロシマ・ナガサキ・JCOを結び 国の責任による福島事故被災者への健康手帳交付を求める運動を全国に広めよう」をテーマに、約80名の参加で開催しました。
 主催者あいさつに続いて、ヒバク反対キャンペーンの寺西清さんから、これまで、原水禁や原子力資料情報室、全国の市民団体で取り組んだ、政府行動などの報告が行われました。
 続いて、福島県浪江町住民の大倉満さんが「福島の現状と課題-浪江町から」と題して報告。事故直後からこれまでも続いている、政府や東京電力の住民無視の対応、ヒバクから生じている差別や偏見、そして住民間に生じている亀裂について話されました。また浪江町が独自に発行している「健康管理手帳」についても報告され、将来に亘って抱え続けなければならない、健康不安や心配、生活保障のために、健康管理手帳の交付を求める運動の必要性を訴えました。
 次に、広島県原水禁常任理事の金子哲夫さんが「原爆被爆者運動を被災者救済にどう活かすか」と題して報告。自らが、原爆被爆者援護法の制定運動に長く関わっている中で感じた経験を話しました。放射線障害は、「悪性腫瘍」だけではなく、免疫力の低下から生じると思われる様々な病気が有ることを報告。長期間にわたって健康への影響を危惧しなければならないことを話しました。そして、なんとしても「被災者としての証明」を得ることが、健康手帳交付を求める運動の出発点になると強調しました。
 この度の集いは、パネルディスカッション形式で行うこととし、参加者から被災者差別の問題や原爆被爆者援護法制定運動について、二人の報告者に質問がされている最中に、浪江町長の馬場有さんと、健康保険課長の紺野則夫さんに駆けつけていただき、二人からの話を聞くことになりました。
 馬場有町長は、政府や東京電力の原発事故情報隠し、ごまかしなどを話された後、浪江町住民約2万1千人の内、1万6千人が避難生活をしている状況、原発事故関連死が浪江町民だけでも、285人となっていること、子どもたちは全国699校の小中学校に分かれて学校生活を行っている現状を話され、「いつまで流浪の旅が続くか分からない」と、結ばれました。
 紺野課長は、健康管理手帳発行についての実務的な仕事に関わった立場から、手帳の中味に心掛けたこと、健康管理手帳を拡大していく必要性を報告。
 ディスカッションの後、「国は、国策で原発を推進し重大事故を招いた責任、そして多くの人々を被ばくさせた責任を認め、国の責任で福島県民、及び年1ミリシーベルト以上の追加被ばくをさせられた地域の被災者には法的根拠のある『健康手帳』を交付し健康保障・生活保障を行うべきである。そのために、一大国民運動を巻き起こしていこう」という趣旨のアピールを確認しあい、様々な課題や困難な問題も予想されるが、原子爆弾被爆国の市民としての責務として、この運動を進めていくことを参加者全員で確認しあいました。
 

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 8月5日の「被爆68周年原水爆禁止世界大会・広島大会」の2日目は、分科会や国際会議などの学習・討論、フィールドワーク、子どもたちの催しなど、広島市内を中心に多彩に展開されました。
 第1分科会は「福島原発事故の現状と課題」として、福島からの報告を受け、脱原発社会の実現に何が必要かを討議しました。第2分科会は「再稼働問題と脱原発に向けたエネルギー政策」をテーマに、韓国やドイツのゲストからの報告も含め、原発に頼らないエネルギー政策を考えました。
 第3分科会は「核拡散と日本の原子力政策」で、特にプルトニウム利用と原発輸出問題を中心に、韓国からの報告も交えて討議しました。第4分科会は、「アメリカの核戦略と東北アジアの非核化」について、沖縄へのオスプレイ配備など米軍基地問題や多国間の地域安全保障などの課題を、アメリカや韓国の平和運動団体の報告も含めて討論しました。
 第5分科会は「世界のヒバクシャの現状と連帯のために」をテーマに、原子力の出発点にあたるウラン採掘現場の核被害をアメリカから報告してもらい、さらに世界の核被害者の現状を学びました。第6分科会の「ヒロシマからフクシマへヒバクシャの課題」では、韓国の在外被爆者の訴えや被爆体験者の問題と解決に向けた取り組みと、フクシマの課題を結んで考えました。
 「見て、聞いて、学ぼうヒロシマ」をテーマとした第7分科会には多くの若い人が参加し、被爆者の証言を通してヒロシマの実相にふれ、被爆体験の継承を考えました。このほか、山口県上関原発、被爆二世・三世問題などの討論の広場や、フィールドワークが行われました。

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「破綻する原子力サイクル」をテーマとした国際会議は、福島原発事故にもかかわらず再稼働や原発輸出を進める日本の原子力政策、核燃料サイクルにおける被ばくと核拡散の問題、脱原発を選択した国の現状も含めて、各国の専門家、活動家が一堂に会して討論をしました。
 福島から原発事故後の状況が報告され、さらに破綻する核燃料サイクルや日本の原子力政策の問題が指摘されました。アメリカからは、ウラン採掘での核被害について、先住民の闘いと現状が報告されました。韓国からは、日本以上に拡大する原発政策や再処理の問題が語られました。ドイツからは脱原発の政策と今後の廃棄物問題が報告されました。最後に「この負の遺産と私たちがどう向き合っていくかが問われている。今後も各国と連携し、情報を共有し、運動を進めよう」と確認されました。

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一方、若者や高校生が企画運営するメッセージfromヒロシマは、全国や海外から参加の子ども達が一緒に遊びながら、平和を考えようと行われました。最後にみんなでまとめた「平和のメッセージ」を全世界にインターネットで発信しました。
 原水禁世界大会・広島大会は、6日にまとめ集会を行い、長崎大会に引き継ぎます。

 

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 第7分科会では、被爆者の大隈勝登さんがご自身の被爆当時の体験と、戦後の歩みを語りました。

 小学校2年生だった大隅さんは爆心地から2.3キロメートルのところおり、「原爆が投下されたとき、自分に「焼夷爆弾」が落ちたと感じた」「家の前も逃げる人たちがたくさんいて、自分も母親や弟たちと山に逃げた」「死体はおばけのようになり、男か女かも分からん」「たくさんの死体が川を流れ、死体がモノのように土手に並べられて焼かれる光景やくさくてたまらない匂いに、子どもながらに恐ろしいと感じた」と当時の体験を語りました。また、被爆者が結婚などの際に受けた差別についても言及がありました。

 講演を受けて「被爆体験を証言するようになったきっかけ」「平和学習の切り口」「被爆後の子ども時代の苦労」など、教組の参加者から活発に質問が出されました。大隅さんは小学校4年から6年にかけて先生の影響がずっとあったことを挙げながら、教育の重要性について語りました。そして、その先生の言葉どおり、「一生現役」で現在も事業を続けていること、124歳まで生きるのが目標と話していました。

 北海道の参加者から「被爆者手帳をとらない被爆者の気持ち」について質問がありました。これに対して、司会を務めた被爆2世の角田さんは原爆でやけどを負った母親の被爆体験を紹介しながら、被爆者にも原爆で負った傷の程度や地域によって様々な思いがあることが出され、平均年齢が78歳を超えた被爆者の思いを引き継ぐ重要性が提起されました。同じく被爆2世でもある政平さんは「被爆者が一番恐れたのは自分への差別ではなく、子どもが差別されること。被爆者手帳を取らない人も少なくない。国が起こした戦争の責任は国に取らせることが重要であるのと同様に、被爆者に対する差別と偏見をただすことも国の責任。そして、福島の人々の思いをどこまで共有できるかが喫緊の課題」と分科会を締めくくりました。
 

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平野伸人さんのお話
 最初に、平野伸人さんご自身の福島での活動記録や、広島での被爆者である平野さんのお母様の体験談などを、スライドで、説明されました。
 また、東日本大震災の同じ被災地でもある岩手と福島にどのような違いがあるかも説明されました。岩手では今現在は復興も進んできていますが、福島の南相馬はほとんど進んでおらず、町に人影も無く雑然としていて、津波被害とは別の原発事故による放射能汚染被害の厳しさを説明されました。 
 そして、広島での原爆投下から今日に至るまで、ヒバクシャがどのような待遇で生きてきたのか、そしてヒバクシャを取り巻く環境がどのように変化していったのかを事細かに説明されました。その中でも、特にしっかりと説明してくださったのが、被爆者援護法についてでした。
 また、原爆症の問題、医療費の問題など実社会における弊害を具体的に説明してくださいました。実際に被爆しているにもかかわらず、原爆症の認定基準外であるために被爆者として認められず、裁判にて勝訴し、ようやく被爆者として認められるなど被爆者を巡る今日までの環境、行政、情勢の変化について、レジュメを使いながら説明していただきました。

郭貴勲さんのお話
 郭貴勲さんからは、実体験を交えながらのお話をいただきました。強制徴用で日本に連れてこられ、日本軍として被爆し韓国に帰っても家は無く、被爆者として差別を受け、韓国政府からも無視され、日本政府とも被爆をめぐる裁判で闘い続け、勝利し、現在は、韓国政府に対しても裁判闘争をしているなどのお話をしていただきました。
 この第6分科会は、交流・討論というかたちを取っていましたが、参加者からは、討論というよりは、参加した感想が何名かの方から挙がりました。最後に運営委員の方がまとめを行いましたが、「明日のために、なにをかせんといかん」という言葉が印象的でした。

広島第5分科会.JPG

豊崎博光さんの講演
 ウラン鉱石は天然のもの。有害な放射性物質を含んでいる。採掘した時から被曝者は生まれる。精錬する過程でも被曝する。ウラン235はウラン鉱石に0.7%しか含まれていない。その他のものは捨ててしまう。その後4%ぐらいまでに濃縮してペレットを作成する。90%以上の高濃縮にしたものが原爆になる。
 労働者だけでなく、作業服に付着したウランにより家族まで被曝している。
 1940年代からナバホで採掘され始めた。核分裂が発見される前は、ウランは、糖尿病の薬として飲まれたり、夜光塗料として使用されていたりした。
ナバホで採掘されたウランがヒロシマ・ナガサキの原爆に使用された。その他、カナダ、アフリカ産のウランが使用されていた。その後、アメリカは軽水炉型原発にウランを使用するようになった。アメリカは原発を平和利用の名のもとに日本など提供を始めた。日本の原発用のウランは、カナダ、オーストラリアから主に輸入している。オーストラリアではアポリジなど先住民族の被曝と言う犠牲の上に成り立っている。今、日本はカザフスタンとモンゴルからの輸入に切り替えようとしている。日本はいずれ輸入先の採掘場所に核のゴミを捨てようとしている。過去にもアメリカのユタ州で廃棄したことがある。
 マーシャル諸島でアメリカは67回の原爆実験をした。そのためアメリカの基金により個人の健康被害補償(36の保障対象)、島における資産の損害に対する保障がある。
 アメリカでは、ウラン採掘、運搬、精錬に携わる労働者の内、月間20ミリシーベルトを浴び健康被害が発生した者に対して10万ドルの保障がなされている。さらにアメリカでは核実験の被爆者、被曝労働者の家族などへも保障の対象を広げようとしている。
 一方、日本では認定被爆者、それ以外のヒバクシャは被爆体験者として限定しようとする。昨年、国連の人権委員会の特別報告者が日本の福島に来た。そこでの聞き取りにより今年5月に報告書が作成された。国家の無策などが人権侵害であると指摘された。本来なら福島の被害者に対して国が一人ひとり話を聞くことが当然である。私たちが知らない、隠された被爆者は沢山いる。被爆者を生み出した時代に生きている私たちは、そこから学び取らなければならない。

<質問>
○ アメリカの補償法について詳しく知りたい(大阪)。
● アメリカの補償法改正案はこの4月に議員立法で提出されたが、審議はされていない。被爆者をひろくとらえようとするものである。アメリカが行ってきた核開発自体を見直そうと言う流れである。
○ 今こそ福島から学ばなければならない。ヒロシマ・ナガサキの被爆者に学び、フクシマの被爆者にたいしても「健康被曝手帳」を作らせるべきと考える。
● 医療用の被曝は自らの選択である。福島の被曝は、被曝させられている。被曝は続いている。だから累積被曝量という概念が生まれている。その意識を運動の中でどのように生かして行くのかが問われている。一人ひとりが意識をして行くことで、運動を押し上げていくべきである。

レオナ・モルガンさんの講演
 まず話に入る前にお祈りを捧げた。
 祈りを捧げることが先住民として重要なことである。この儀式によってみなさんをお守りすること、精霊(スピリット)の許可を受けることでみなさんと話をシュアしていきたい。
 植民地政策について、1890年からアメリカ政府により始められた寄宿舎政策は、今も続いている。先住民の言語の使用が禁止され制服を着ることを強いられた。母の世代までは寄宿舎に言っていたが、私の世代は先住民言語すら話せなくなっている。しかし、自分たちの言語や文化を学ぼうと言う運動が始まっている。ナバホ先住民の居住地にウラン鉱山が点在している。さらに沢山の核実験施設が集中している。子ども達が汚染された場所で遊んでいて、家族全員が脳腫瘍で死んだ話を聞いている。あまりにも無防備に暮らしていた。先住民言語には、被曝、被曝者と言う適切な言語がなかった。アメリカ政府はウラン採掘が始まり60年経ってから2007年から除染を行われるようになった。
 2005年にナバホ居住地に置けるウラン採掘・精錬を禁止するという先住民特法が成立した。しかし、ナバホ居住地政府のトップは産業界の影響を受け、ウラン採掘を続けようとしている。
 1979年にはチャーチロックにおいてダムが決壊し、ウラン採掘所などを飲み込み膨大な汚染水が広範囲に広がった事故があった。
 テーラ山は聖なる山として崇めている。テーラ山には多くのウラン採掘跡がある。さらに6つのプロジェクトがすすんでいる。その一つには住友商事がかかわっている。私たちは、この山には聖なる精霊が住んでいると考えており、この山が破壊されることは精神的・体力的にも影響が大きい。
 私たちは、連邦政府、州政府、ナバホ居住地政府と闘っている。そして先住民だけでなく非先住民とも連携して闘っている。私たちは、ウランだけでなく金などの鉱山開発に対して反対の活動をしている草の根の運動体でとりくみを続けている。

五十嵐和典さんの各地報告
 福島は広い土地である。北から南に3つに分けている。浜通りが大きな被害を受けた。私は会津にすんでおり原発から120km離れている。福島の中でもどこに住んでいるかで、受け止め方が違っている。
 今、汚染水の漏洩がマスコミで報道されている。また、福島民友では各地の放射線量を掲載している。さらに、NHKの天気予報には県内の放射線量予報が放映されている。福島では毎日そのような情報にさらされている。
 事故を起こした原発の中は誰もわからない。いつ収束するかの目処がたたない。チェルノブイリは石棺で覆っているが、それも劣化しているから巨大なシェルターで覆ってしまおうとしている。チェルノブイリですら内部は手つかずとなっている。本当に東電は処理が出来るのか。
 県民調査で甲状腺がんの調査が行われている。しかし、18歳以下の県民全ての調査が終了していない。調査で甲状腺がんが発見されているが県は原発との関連を否定している。
 福島の多くが山林であり、除染作業は手付かずになっている。そのため除染した場所もすぐに元に値に戻っている。除染の方法の農地や宅地の別なく一律の手法に行っているため農地が使い物にならなくなっている。
 助け合いなど美談を流布して高い放射線地への帰還を促している。それでも帰らないと自主避難とされ援助が切られる状況にある。住民同士で放射能について話を出来ない状況になっている。避難している人、避難していない人での分断が行われている。
 今、だれも事故の責任をとっていない。そのため33人を刑事告発した。しかし、強制捜査は行われていない。そして東京で1000人規模の集会等を行っていてもマスコミは扱わない。
 事故の風化ではない。まるで事故が無かったかのような扱いである。
 柳田邦男の本に「起こりうる可能性があるものは、どんなに確率が低くても必ず起こる」とある。地震列島である日本の原発を全て廃炉にするまで頑張りましょう。

 

広島第4分科会.JPG

1. 湯浅一郎ピースデポ代表の講演について
(1) 朝鮮半島における核兵器問題の背景には、朝鮮戦争の停戦協定から60周年を迎えたが、未だ朝鮮戦争は終結してない現状がある。
 北朝鮮としては、アメリカ政府によって、イラクのフセイン政権が一方的に戦争を仕掛けられた結果、その政権が崩壊した現実を目の当たりにし、アメリカから一方的に攻撃されない保証が得られるまでは核兵器を廃絶する意志はない。

(2) 最近の朝鮮半島情勢では、2010.3.26に韓国哨戒艦「チョナン」沈没事件、2010.11.23にヨンピョンド砲撃事件が発生している。
 こうした朝鮮半島の緊迫した状況があるにもかかわらず、アメリカ軍と韓国軍は、大規模な米韓合同軍事演習を行い、日本の自衛隊からも幹部がオブで参加していた。
 参加しているアメリカ軍は横須賀の空母戦闘団である。このことは、朝鮮半島をめぐる軍事的緊張状態には、アメリカ軍と自衛隊の存在によるところが大きい。

(3)2009年4月、アメリカのオバマ政権はチェコのプラハで、「核兵器を使用した唯一の核保有国として、アメリカには行動する道義的責任がある。アメリカは核兵器のない世界の平和と安全を追求することを誓約したい。」と演説し、ノーベル平和賞を受賞したが、未だに核兵器に巨額投資しており、核兵器の依存を続けている矛盾がある。

2. ピーターデッキーさんの講演について
(1) アメリカの核戦略、あらゆる軍事計画の基本原則は、抑止力の概念である。しかし、冷戦が崩壊した現在においては、何からの抑止で核兵器の保有が正当化されるのか大きな疑問を世界に与えている。

(2) アメリカこそ核兵器の廃絶に向けたイニシアチブを握るよう世界から求められている。

3. チョン・ヒョンユンさんの講演について
(1)核兵器を保有する国々の間では、常にお互いの国に対する不信感が蔓延しており、それをどう払拭するかが核兵器の削減と軍縮の鍵となる。

4.各地報告
(1)岩国基地の現状報告でオスプレイ12機の追加配備について
(2)横須賀基地の軍民交流について
(3) オスプレイの追加配備についてと、アメリカ軍の軍事ヘリ墜落について

5.分科会の概要
 講演が中心となり、討論の時間がほとんど取れなかった。ピーターデッキーさんへの質問が2つありました。
 

広島第3分科会.JPG

 日本のプルトニウム利用と原子力政策について、現状と諸外国と私たち日本人の受け止め方に大きな差がある実態を学び、核燃料の再処理は核兵器問題であることを認識し、今後の運動の広がりにつなげていこうとして、以下のような基調が提起された。

  政府は、高速増殖炉もんじゅの計画が事実上とん挫する中で、六ヶ所再処理工場の稼働をめざしている。現在、日本には長崎型原子爆弾5500発以上を作ることができる量のプルトニウムがある。仮に再処理工場が稼働すればさらに毎年8トンずつ増えていく。諸外国からはすでに、核保有国としてとらえられている。再処理は高レベル核廃棄物が少なくなって非常にいいだと言われるが、結果として核廃棄物は無くならないのであり、正しい情報を発信するべきだ。
  「核セキュリティサミット」においてオバマ米大統領は、核をテロリストの手に渡さないため、これ以上プルトニウム作ってはならないと発言した。日本が、原発を無くしていこうという意思を表示しているにも関わらず不必要なプルトニウム作っていることを、アメリカは公然と批判している。
  東アジアの中でも、北朝鮮は核実験、日本はプルトニウムを生産している中で、間にいる韓国は核を保有し抑止力を高めたいとしており、極右的な意見が強まることも懸念されている。日本、韓国の仲間がプルトニウム、原発を無くす運動を高めることが今、喫緊の課題だ。また、原子力発電所の輸出は、核拡散からみれば憂慮すべきことであり、その意味でも濃縮、再処理だけでなく原発そのものを無くす運動を大きく展開する必要がある。

【青森県原水禁の報告】
 県民にはまったく理解ない中で決められた核燃料施設受け入れは、巨額の公費をつぎ込む中で、自治体へ多額の原子力マネーが入り込み、住民には現実が示されず、むしろ原発再稼働を促進する動きがあり警戒している。六ヶ所はあらたな局面を迎えている、多くの疑問を持っている人たちの声をどう集めてかつての反対運動に結びつけるかが問題。

【参加者から】
 「核と原発結びつけてやってきたのが原水禁運動だ。単独になっても、再稼働反対運動と再処理稼働反対を結び付けて運動を引っ張ってほしい。」「原発輸出を批判することも、もっと前面に出してほしい。」「原水禁だけではだめだと思う。もっと多くの仲間と、なぜ一緒になれないのか、一緒になれば大きな力になる。そのうえで運動を展開すべきだ。」「プルトニウム保有について諸外国では重大な問題として見られているのに、日本ではなぜ問題にならないのか。」などの質問意見が出された。
 
 最後に、六ヶ所再処理工場は核兵器の問題であると強く認識して運動を展開しよう、この夏の課題として「ノーモア・ヒロシマ、ノー・モア・ナガサキ、ノーモア・プルトニウム」で運動を広げていこうの意識を確認した。
 

メッセージfromヒロシマ2013写真報告

本番間近!リラックスして、開始を待っています。

こちらも、楽しそうに開演までの時間を楽しんでいるようです。

オープニングは「朝鮮舞踊」でスタート。本当にきれいです!

「翼をください」を日本語、朝鮮語の両方で披露してくれました。

実行委員によるあいさつ。ステージいっぱいに登場です!

総合司会の二人は、着ぐるみを着て再登場!ガッツが溢れています!

「平和のメッセージを届けよう」のコーナーは、フィールドワーククイズをしました。

花形シートに思いを書きこんでいきました。

一枚書き終わると、二枚目と書き進んでいきます。

真剣に書き込んでおります!

こちらも真剣!思いをぶち込んでおります!

こちらは、みんなが書きこむ前に説明してもらっている場面です。

ダンスの練習中!「JOY!JOY!」と声を上げながら、拳を掲げます!

輪になって向かい合うだけで、仲良くなっちゃいます。

実行委員がダンスの指導をしてくれました。

海外ゲストのあいさつ。イ・スヨンさん。

海外ゲストのさいさつ。イ・スンヒョンさん。

海外ゲストのあいさつ。パク・サングンさん。

海外ゲストのあいさつ。マリア・リテシア・コルムナさん。

「平和のメッセージ」を全世界に届けます

子どもたちの思いを込めた花形シートは、折り鶴の形になりました!

実行委員全員で記念写真です!毎年、本当に仲良しになります!

全国からの参加者も、記念写真は折り鶴の前がベストポジションです。

実行委員の仲良し度合いを表す一枚(笑)

メッセージfromヒロシマ2013報告

12:50 オープニング
 広島朝鮮初中高級学校の皆さんの朝鮮舞踊

13:04 第(1)セクション 全国のお友だちと仲良くなろう
 実行委員の紹介  踊りと歌を覚えよう!「Joy!!」レッスン  広島で何を学びましたか?

13:21 第(2)セクション 考えよう、表現しよう、平和の思い
 平和のメッセージを書こう!表現しよう!

13:50 第(3)セクション 世界のお友だちと平和を語ろう
 全国のお友だちからの一言メッセージ
 海外のお友だちより(フィリピン、 韓国のお友だちからのメッセージ)

14:14 第(4)セクション 広島を学んで、そしてお友だちをつくろう
 「ヒロシマとフクシマをつなぐⅠ─高校生の復興支援ボランティア活動─」
 「ヒロシマとフクシマをつなぐⅡ─仮設住宅で行う絵本の読み聞かせ活動─」
 「外国の人から見た広島」
 全国のお友だちと「Joy!!」を歌って踊ろう!

14:35 エンディング 平和はみんなの心から ―2013夏休み―
 みんなで書いた平和のメッセージが 「???」になって、登場しちゃいます!
 世界への平和メッセージを発信!

「メッセージfromヒロシマ2013」

 メッセージfromヒロシマは、広島朝鮮初中高級学校舞踊部の「朝鮮舞踊」からスタートしました。鮮やかな衣装に、会場中が魅了されます!なんと今年は、高級部の舞踊だけでなく、中級部の学生さんも参加して、歌の披露をしてくれました。
 素敵なオープニングでスタートした子どものひろば「メッセージfromヒロシマ2013」ですが、ここでまず、総合司会を務めてくれた加古川くんと田中さんが登場!続けて、司会の石原さん、末國さん、宮國さんも登場です。

「全国のお友だちと仲良くなろう」

第1セクションは、実行委員の紹介から始まります。今年も実行委員は地元広島のみならず、三重、東京からも参加してくれました。実行委員を代表して、広島県の荒井君、三重県の佐々貴さんがメッセージをくれました。他の実行委員は、フルネームでのあいさつの子、遊び心を入れてあだ名で挨拶をする子など、バラエティーに富んでいました。そして、パソコン操作、ビデオ撮影、写真撮影担当なども、実行委員がすべて担当しているということもあり、スポットライトを浴びる形で紹介されました。前方にある巨大スクリーンに映しながらの紹介は、なかなか本格的なものなんです!ステージ上で自己紹介した実行委員たちも、子どもたちの近くに戻ったあたりで、司会者から「踊って緊張をほぐしましょう」との声が。まだ何を踊るのか、一体何をするのかすらもわからない子どもたちは、ドキドキしながらも立ち上がります。「えーっ!やだーっ!」なんて言いつつも、しっかり立ち上がって、ダンスの練習に参加してくれました。いやはや、みんな可愛い。今年のダンス曲はSMAPの「JOY!!」でした。司会を担当してくれた石原さんが、振り付けを考えてくれたものですが、力強く拳を上げる動きなど、みんな楽しみながら練習していました。

「考えよう、表現しよう平和の思い」

続く第2セクションは、花形シートに自分の平和への思いを書いて表現しよう、というコーナーです。当然、参加している子どもたちの志は高いのですが、やはりいきなりメッセージを書けと言われても戸惑ってしまうはず。そこで、まずは午前中に行ったフィールドワークの復習をクイズ形式で行いました。被爆樹木や原爆ドームなど、平和に関する様々な画像に関する問題を出し、答えがわかる子には、マイクを通して回答を発表してもらいました。そして、ひとしきり盛り上がった後は、平和のメッセージを書く時間です。花形のシートに書き込むのですが、少し加工してあるシートを使っているので、書く際に工夫が必要です。そこで、書き方などの説明をしてくれたのが、東京から実行委員として参加してくれた白子さんです。その後、子どもたちは、ペンとシートが配られると、一気に集中モードへ突入。我先にと思いを書きこみ、実行委員のもとへ持っていき、花形シートを所定の場所に張り込んでいきます。何やら張り込む先の大きなシートには不思議な模様があり、貼り込む場所も決まっています。ここがミソなんです!エンディングにおいて、このシートたちは形を変えて出てきますが、この時点では子どもたちはまだそのことを知りません。途中、会場内を司会者がビデオカメラと一緒に移動し、子どもたちにインタビューしていきました。「どこから来ましたか?」「何を書きましたか?」など、終始楽しそうなやり取りが続きました。そんなこんなで制作時間の20分はあっという間に過ぎていきました。

「全国・世界のお友だちと平和を語ろう」

第3セクションは、参加者同士が「ようこそ」の気持ちを伝えるコーナーです。今年は、25都道府県のお友だちが参加してくれました。全国各地のみならず、韓国、フィリピンからもゲストが参加してくれました。
メッセージを発表してくれた参加者の名前は、イニシャルにさせていただきます。

北海道(K・R)
 北海道富良野市のK・Rです。68年前に原爆が落とされ、多くの人達の尊い命が奪われ、いまも後遺症に苦しんでいる人がいます。人と人が殺しあう戦争はもういりません。多くの人の命を奪う原爆はもういりません。わたしたちがこれからも平和で楽しく生きるためにも、原爆のない世界にしましょう。

北海道(N・Y)
 北海道から来ましたN・Yです。核兵器はたくさんの人を殺したり苦しめたりもする最悪な兵器です。だから僕は核兵器はこの世で一番いらないものだと思います。核のない本当の平和の大切さを、帰ったら北海道の友達に伝えたいです。

山形(T・S)、(Y・M)
 戦争はわたしたちの未来を奪います。世界の未来を奪います。核兵器の悲劇が二度と繰り返されないように、わたしたちは原爆の被害を理解し、その恐ろしさを全世界に伝えていかなければなりません。広島を考え、核兵器を拒否するのです。わたしたちは平和というものが当たり前に存在していける世界をつくることを誓います。

神奈川(N・C)
 全国からお集まりの皆さん、こんにちは。神奈川県親子代表団のN・Cです。これから神奈川県親子代表団を代表してアピールします。わたしは神奈川県の厚木基地のすぐそばから来ました。原爆のことは学校の授業やテレビのニュースなどで知りました。原爆が落とされて今年で68年目になりますが、いまでも放射能の影響で病気になり多くの人達が苦しんでいます。地震で起きた福島の原子力発電所の事故で、海や大地、そして学校のグラウンドも放射能で汚染されたと、学校の先生から教えてもらいました。わたしたちの住む神奈川県の横須賀基地にも、原子力で動く空母があるので本当に怖いです。お父さんやお母さんも本当に心配しています。福島の原発事故を1日でも早く解決してください。原子力をなくして、安全な世の中にしてください。広島で勉強した原爆、戦争、原発のことを、神奈川県に帰って多くの友達にこの体験を教えていきたいと思います。神奈川県私鉄労働組合、相模鉄道労働組合、4年生N・C。

神奈川生活クラブ生協(H・S)
 神奈川県から来ましたH・Sです。わたしは昔からお母さんに戦争について聞かされてきました。だから戦争はしちゃいけないことだということも知っています。お母さんが言うには、関東の人のほうが関西の人より戦争について知らないそうです。だからわたしはこのツアーで戦争についてよく知り、学校のみんなにそれを伝えていきたいです。

神奈川生活クラブ生協(K・N)
 神奈川県から来ましたK・Nです。わたしのお父さんが8月6日の原爆が落ちてしまった日に生まれてしまったということで、そのことを思ってわたしはなぜ戦争が生まれてしまったのか、戦争とはどういうものだったのか、これから学びたいと思います。

東京三多摩(K・M)
 三多摩から来ましたK・Nです。これまでに原爆資料館で、原爆がもたらしたあの日の恐ろしい出来事について勉強してきました。わたしは原爆が同じ人間同士がしたこととは思えませんでした。どうしてあんな悲惨な事が出来たのかと感じました。わたしたちはこの出来事をきっと忘れず、伝え続け、平和について考えていくべきだと思います。わたしはこの広島で学んだことを身近な人に話していくなどしていきたいと思います。

埼玉(K・M)
 人間の歴史には、常に戦争がくり返されてきました。武器の発展が原子爆弾を作り出し、一瞬にしてたくさんの命を奪い、苦しみました。いまも世界のどこかで戦争が起きています。そして色々な国が核兵器という恐ろしい武器を持っています。これからを生きるわたしたちは戦争のない世界を目指していかなくてはなりません。そして二度と原爆の悲劇を繰り返さないために、一人ひとりが出来ることをこれからもみんなで考えて行動していきましょう。埼玉こども代表団、K・M。

群馬(A・N)
 世界から核兵器をなくすために、広島に原爆が投下されてから68年が経ちました。原爆は平和な広島の街を、人の命を、そしてなにより人の心を破壊しました。いまでもその傷は、原爆を体験した人の心から消えることはありません。世界で核兵器を二度と使わないという非核宣言をしている国は、日本だけです。わたしたちはその唯一の国として、広島の悲劇を二度と繰り返さないように世界に核兵器の恐ろしさを訴えかけていく義務があると思います。いまなお世界からは戦争の火が消えません。しかし、武力でなくても問題は解決できると思います。世界から核兵器、そして戦争がなくなるよう呼びかけていきましょう。広島に学ぶ群馬こども代表団、A・N。

長野(K・K)
 長野県から来ました、K・Kです。これから広島と世界に向けてメッセージを送りたいと思います。8月6日の朝8時15分、すべてが壊れた。僕らの未来も壊れた。僕らの未来を壊した戦争や核はいらない。望むのは平和だけだと、僕は思います。

三重(M・A)
 わたしたち三重こども代表団は、戦争と核兵器の恐ろしさを学びました。想像以上に核兵器の恐ろしさを知り、いまなお苦しんでいると聞きました。広島に落とされる二日前、三重県も原爆投下の練習場所として使用されました。戦争はどの場所でもあってはならないと思います。三重県に戻ったら、日本だけでなく世界が平和になれるよう一人でも多くの人に何が出来るかを考え伝えていきたいです。三重県菰野町立菰野中学校、M・A。

香川(I・M)
 香川県から来ました、I・Mです。今回、広島に初めてきました。68年前にひとつの原子爆弾でたくさんの人々が亡くなったことを、わたしは知りませんでした。今日色々な話を聞いて、原子爆弾など核兵器のない平和な日本にしていきたいです。ありがとうございます。

長崎(U・A)
 みなさんこんにちは。長崎県から来ました、高校生1万人署名活動のU・Aといいます。わたしたち高校生1万に署名活動は、核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目指して活動しています。長崎では毎週日曜日に核兵器の廃絶と平和な世界の実現を求める署名活動を行っています。1年間で集めた署名を持って次に派遣する平和大使がジュネーブの国連本部を訪問します。今日終わってから玄関のところで署名活動を行っているので、もしよろしければご協力お願いします。今日は1日平和についてみんなでいろいろ考えることができればいいなと思っています。ありがとうございます。

広島平和大使(K・C)
 さきほどご紹介いただきました、わたしは第16代高校生平和大使のK・Cです。わたしは広島から選出されました。わたしたち高校生平和大使はさまざまな団体の方々に支えられて今年で16年目を迎えます。主な活動としては高校生1万人署名活動と、そしてその署名を国連に持っていくこと、そして国連で核兵器廃絶のスピーチをすることです。わたしたちの手で核兵器がなくせるように、みなさんでがんばっていきましょう。そして最後にわたしたち高校生平和大使と高校生1万人署名活動はみなさんの温かいカンパによって支えられていますので、どうぞ後でカンパのご協力お願いします。ありがとうございました。

広島(T・K)、(H・Y)、(I・M)
 戦争がなかったら平和なのか、僕たちは話しあいました。平和って自分たちにとってどんなことなのか、考えました。ご飯が食べられること、みんなと学校で勉強できること、いじめがないこと、自分の意見が言えること、好きな本が読めること、生まれた国や場所で差別されないこと、家族と一緒に住めること。わたしたちが平和だと感じることは、憲法で守られていることも、少しだけど勉強しました。そして国は憲法を守るように努力しないといけないのです。でもいまその憲法を変えてしまおうとしています。できないから憲法を変えてしまうというのはおかしいと思います。憲法9条は、日本は戦争しないことを約束しています。守れないから変えてもいいのですか。戦争しないために、なくすために、みんなでなにが出来るか考えていきたいです。そしてみんなが平和だと思える世界を自分たちで作っていきたいです。

続いて、海外ゲストからのメッセージ発表です。まず韓国の高校生のイ・スヨンくん、続くイ・スンヒョンさん。そして、パク・サングンくんとメッセージを発表してくれたのですが、驚いたことに三人とも、きれいな日本語で挨拶をしてくれました。本当に流暢でびっくりです。そして、フィリピンからのゲストであるマリア・リテシア・コルムナさんは、日本の高校生との交流が盛んなことを伝えるとともに、周りの支援に感謝し、自分の出来ることをしっかりやり、そのことで平和に貢献できるように頑張ると信念を表明してくれました。  会場の参加者もそれぞれに印象に残る言葉があったはずです。自国のみならず、世界を平和にしたいという思いは、国が違っても、暮らしが違っても、同じものなのだと感じられる時間でした。

「ヒロシマを学ぼう、そして伝えよう」

 終盤戦に入ってまいりました。第4セクションは、広島の実行委員による活動報告の時間です。今年もクオリティーの高いものばかり。トップバッターは、西さん、日上くん、神尾さんの三人による、絵本「ふくしまからきた子」の読み聞かせです。主人公の小学生の男の子が、福島原発事故から避難するために引っ越してきた同級生と交流する中で、放射能のこと、原発事故のことを考えていくという物語です。ニュースで知っていても、周りから聞かされていても、自分から興味を持つのと受け身とでは全然違うはずです。絵本の読み聞かせということもあり、多くの子供たちの心に入ってきたのではないでしょうか。発表二番手は、「高校生による復興支援ボランティア活動」です。広島の高校生、中学生で結成したボランティアグループが福島で行った「お好み焼き交流会」や「読み聞かせ活動」など、参加者が自主的に運営する様々な復興支援活動を通して、社会貢献の大切さを実感したという報告でした。最後に、大垰さん、吉岡さんによる報告発表「外国の人から見た広島」です。「広島に住んでいる外国人さんたちは原爆のことをどう思っているのか」という視点から、学校にいる外国人の先生に質問したことをまとめるという形式のものです。「初めて原爆ドームを見たときの印象」や「広島についてどう思うか」など、国際平和都市広島ならではの企画でした。どの発表も良く考えられたものとなっていて、参加してくれた子どもたちもより興味を持ったのではないでしょうか。
 しかし、早朝からのフィールドワークで参加者の集中力もそろそろ切れてしまうのではというところで、一度練習した「JOY」を再度踊りました。さすが、子どもたちは天才です!すでにマスターし、完璧に踊れていました!

「平和はみんなの心から」

 ついに、「メッセージfromヒロシマ2013」もエンディングを迎えます。実行委員を中心にみんなで考えた「平和のメッセージ」を三重県実行委員の西脇さん、広島県実行委員の神尾さん、藤澤さん、水谷さんが発表してくれました。この平和のメッセージは、原水禁広島大会のまとめ集会でも発表しているのですが、毎年本当に素直な気持ちが表現されていて、とても評判の良いものです。もちろん今年も、みんなの平和に対する熱い気持ちが入っていて、心が熱くなるものでした。この「平和のメッセージ」ですが、英訳して、核兵器を所有する国に向けて、メールで送っているんです。そして、その様子は、会場で画像を工夫することによって表現しています。世界中にメッセージが駆け巡っている様子は圧巻です!続いて、子どもたちは後ろを向くように指示されます。全員が後ろを向いて座りなおし、司会者の合図でカウントダウンを始めます。「ゼロ!」と大きな声が響き渡り、子どもたちが前を向くと、そこには鮮やかなモニュメントが!第二セクションで子どもたちがメッセージを書き込んだ花形シートが、大きな折り鶴の形になって登場しました。一人ひとりの思いが集まると、大きな力になることを表しているかのようなモニュメントへと形を変えたのです。子どもたちのみならず、会場後方にいる付き添いの方々も魅了されたのではないでしょうか。そこに、「終わりの時間が近づいてきました」という司会者の言葉が響きます。「最後にもう一度会場のみんなで盛り上がりましょう」という声とともに、子どもたちは立ち上がり、音楽がかかり、自然と曲に合わせて踊り始めます。「JOY!JOY!」と力強く歌う声も響きました!ここまで来ると、最初に緊張して固まっていた子も、恥ずかしがっていた子も、みんな混ざり合って楽しんでしまうものです。
 あっという間に二時間のイベントも終わりを迎えました。参加者の平和への思いを形にするイベント、それこそが「メッセージfromヒロシマ」なのです。「平和な社会は自分たちでつくる」という司会者の締めの言葉がすべてを表しています。是非、このレポートをご覧の方、実行委員として、参加者として、「メッセージfromヒロシマ2014」にご参加ください!お待ちしています!

メッセージ from ヒロシマ 2013

 広島に来たり、平和行進に参加するたびに、ほんとうにたくさんの世界中の人たちが、核兵器や戦争に反対しているんだなと思います。それなのに、どうして戦争はなくならないのでしょう。

 私たちは原爆資料館で見て学んだことを忘れることができません。服の模様が肌に焼きついた女性の写真や、皮膚が垂れ下がった被爆者の人形、家の下敷きになって動けない人たちの様子など、それがたった一つの爆弾によって引き起こされたということに驚きました。68年前広島と長崎に落とされた、たった二発の原子爆弾は、一瞬にして数十万人の大人や子どもの命を奪い、今なお苦しめ続けています。

 沖縄では毎年6月になると社会科の授業で沖縄戦について学びます。「国内唯一の地上戦」で、戦闘は約5カ月間も続き、住民の多くが巻き込まれ、20万人以上の命が奪われました。戦争の被害は広島、長崎、沖縄だけではありません。東京、名古屋、大阪をはじめ、日本各地でも空襲によってたくさんの命が犠牲となりました。また、日本は戦争によって大きな被害を受けただけではなく、日本はアジアの国々に大きな被害を与えたことも、同時に学ばなければなりません。
 世界が平和になるということは、戦争が無くなることだけではなく、みんなが平等に生活できることだと思います。いじめや差別も無くなることだと思います。

 2011年3月11日、東日本大震災によって日本はたいへんな被害を受けました。私たちは福島の復興支援ボランティア活動に参加しましたが、震災当時の話は、まるで原爆が落とされた広島の話を聞いているようでしたし、2年が経った今も、テレビで観た当時の光景と何も変わっていませんでした。
 自然災害だけではなく、原子力発電所の放射能被害があったということは納得できません。広島・長崎・チェルノブイリなど、多くの所で原子力の危険性について訴えているにもかかわらず、このような事故が起きたことは、学ばない人が多くいるからだと思います。私たちは福島に行って、放射能の恐ろしさとみんなで協力することの大切さを学びました。今回この事故で多くの人が心に刻まなくてはなりません。

 今も世界のどこかで戦争が起きており、何の罪もない子どもたちが殺されています。子どもたちには明るい未来があり、そんな尊い命を奪う戦争など決して良いはずがありません。戦争から生まれるものは、悲しみ・憎しみなどでしかありません。戦争はただの愚かな行為です。子どもたちの明るい未来のために戦争を無くしていきましょう!

 どうして戦争が起きるのか、平和な世界をつくるためにはどうしたらいいのか。被爆者の体験した苦しみや悲しみ、戦争や核兵器の悲惨さを学び伝えていきましょう。  自分にできることから行動していくことで、少しずつでも戦争や核兵器を減らしていくことができるはずです。戦争を知る努力をしましょう。いじめや差別をなくしましょう。みんなが笑顔でくらせる社会をつくりましょう。
「もう戦争はいらない! 核兵器もいらない!」

2013年8月5日 子どものひろば「メッセージ from ヒロシマ 2013」参加者一同

このメッセージは英語に訳して、核兵器を持つ国へとメールで送信しています。

2013年8月5日

子どものひろば「メッセージ from ヒロシマ 2013」参加者一同

このメッセージは英語に訳して、核兵器を持つ国へとメールで送信しています。

子ども海外ゲスト コメント&プロフィール

◎李承鉉(イ・スンヒョン/韓国・蔚嶽(ウルサン) ナムチャン高校1年) こんにちは。私は蔚山(ウルサン)ナムチヤン高校1年のイ・スンヒョンです。亡くなった祖父(李康寧)が長崎の三菱軍需工場で働いている時に、原爆の被害にあいました。祖父は「被爆者はどこにいても被爆者だ」と訴えながら、在外被爆者の補償のために努力しました。私もその意思を受け継いで、戦争と核兵器のない平和な世界になるよう、努力していきたいと思います。

◎李修蓮(イ・スヨン/韓国・忠淸南道 江景(ガンギョン)高校3年) 私の母は日本人で、父は韓国人です。私は4人兄弟(一男三女)の三番目に生まれました。
日本と韓国は距離は近いのですが、心の距離は遠いかもしれません。私はその距離を縮めたいです。そのための第一歩として『高校生一万人署名活動』を実現してみたいです。私の夢は広告デザイナーで、言葉は通じなくても理解できる、奇抜で世界に通用するような広告をつくって、世界の人々が差別と偏見を捨てられるようにしたいです。温かい目で見られる広告を作りたいです。そんな広告を作るために、各々の国の文化を理解することが重要だと思います。この活動で日本の文化を学んで平和を広めたいです。

◎朴尚根(パク・サングン/韓国・大邱(テグ) ナムサン高校1年) こんにちは。私は韓国の3番目の都市、大邱にあるナムサン高校1年生のパク・サングンです。私は、学校の放送部でアナウンサーを担当していて、将来の夢を実現するために部活動を頑張っています。8月に日本の広島・長崎を訪問して、原子爆弾の実態を把握し、その被害を韓国の友達に伝えたいと思います。日本の多くの友達と交流し、近いのに遠い国ではなく、近くて近い国になるように努力したいと思います。

◎マリア・リテシア・コルムナ(フィリピン)

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講師 藤井石根さんの報告
 時代に原発から自然エネルギー(NE)へと重点が広がり、雇用の裾野も広がっている。2005年でNE利用が55ヵ国だったが、2010年には100ヵ国以上に、投資額も300億ドルから1500億ドルまで拡大している。自然エネルギーの促進には①将来目標値の設定②助成か税控除などの財政支援③公的機関でのグリーン電力の活用などを進めることが重要だ。原発推進派は、供給が不安定、パワー不足というが、蓄電や多種のNEの活用、エネルギーの融通など技術的に解決できる。私たちの手で国のエネルギー政策を動かそう。

海外ゲスト
イエンス・ケンツィアさん(ドイツ緑の党)の報告
 ドイツでは2002年に15年かけて原発の段階的廃止法を制定し、その後、保守党によって廃止か延期されたが、2011年の福島原発事故で再び段階的廃止を決定した。すでに半数以上(8基)を廃止とし、残りも段階的に廃止して2023年には原発ゼロになる。
 ドイツでは固定価格買取制度が市民の投資によって、自然エネルギーが拡大している。原子力ロビー(推進派)は①停電する②送電網が崩壊する③電気料金が上がる④産業に悪影響がある⑤雇用が失われるというが、「原発の半数が廃止でも停電はなく、送電網も安定している。さらに再生エネルギー導入による雇用増や電力輸出が伸びている。
 日本は日照時間も長く風も強い。2年間原発なしでやってきた。日本でも必ず成功する。

イ・サンホンさん(韓国)の報告
 韓国では電力消費の増加が原発増につながり、現在は23基が国内にある。2030年には40基となり、そのうち34基が日本海に面している。国土の面積に対する原発の割合は世界でトップだ。
 韓国の懸案の一つにウォルソン1号の寿命延長がある。2012年に30年の寿命を終えて稼働が中断されているが、政府の寿命延長の法的審査期間は18ヵ月にもかかわらず、44ヵ月を超えて審査している。
 この原発は構造が複雑で、配管も薄く、地震による危険性が高い。国際原子力機関(IAEA)も停電の評価(全電源喪失)をしていないと指摘している。慶州の核廃棄物処理場も地下水の流出が多く竣工が延期されている。

講師 西尾漠さんの報告
 新規制基準にもとづき、各電力会社から申請された原発は、40基の廃炉の例外規定を使っての運転延長を念頭に申請している。「動かしていい原発と動かせない原発とを分け、その上で順次止めていく」ということが現実なのか。即時原発廃止こそ現実的な政策だ。

 各地からの報告では、再稼働の申請を出した電力会社のある福井、愛媛、北海道、新潟から申請内容の問題などが報告され、山口からは上関原発の建設が安倍政権によって、再び浮上している現状が報告された。
 

広島第1分科会.JPG

 講師 振津かつみさんの報告
 福島原発事故で大量の放射能が放出され、多くの住民が被ばくさせられた。地震が多発する日本での原発推進は全くの人災である。「放射線管理区域」に相当するレベルは県外に広範囲に拡散した。原発事故で高被ばくをしながら働く被ばく労働者は1ヶ月で、通常の被ばく労働者の1年分を被ばくする。被ばくに応じた健康の補償が必要だ。
 事故は収束していない。汚染水の備蓄、地下水の汚染、大気中の放出が続いている。進まない除染、食品汚染、健康管理などの汚染と被ばくに加えて、家族、地域社会の崩壊、生活基盤が損なわれる事態がある。「県民健康調査」は20万人を対象にしたが、回収率は23.4%だ。国の責任で全ての被災者への健康調査が必要だ。
 国の責任による「健康手帳」の交付等、被災者の健康、命、生活の保障を求め、闘うこと。全国の脱原発運動をヒロシマ、ナガサキを結んで、フクシマ支援を取り組もう。国家補償に基づく全般的な被災者支援を。
 
 講師 伴英幸さんの報告
 福島原発事故の原因は未解明であり、過酷事故は起こりうるということ。いまも1号~4号機は危うい状態であり、廃炉に向けて40年以上の闘いになる。
 汚染水管理の失敗から漏洩事故が起きた。1日400トンもの地下水が流入している。労働者の不足と被ばく労働が避けられないが、被ばくを低減する観点から廃炉計画を全面的に見直す必要がある。しかし、事故原因を明らかにせず、他の原発を止めさせないための矮小的な議論が行われている。
 
 現地報告 角田政志さん(福島)
 福島市内に居住しているが、現在も1.6~2.3マイクロシーベルトもあり、子どもは庭で遊ばせない。庭は荒れ放題だ。年間1ミリシーベルトへの除染は進まない。震災後、臨時休校したままが10校、再開した28校も生徒が減少した。双葉地区では生活する環境がない。
 福島市内では身の回りに放射能が存在しているにも関わらず、体力回復などの安心意識作りが進められている。子どもの健康調査を通じて、①安心して健康を守るということ、②現状をしっかり認識すること、③全国の仲間とともに考え行動をすることが大切だとわかった。
 
 各地報告 菅原晃悦さん(宮城)の報告
 自然災害に原発事故が加わると、復旧・復興は困難になる。宮城でも10万人の避難者や廃棄物の除去という課題を抱えている。特に高レベル放射性廃棄物の課題が障害になり、復旧が大きく立ち遅れてしまう。
 除染や復旧も資材不足、人手不足等の課題があり、入札不調となって進まない現実がある。低レベル廃棄物でさえ、やっと一時保管場所が決まる状況だ。対応が先延ばしされれば、住民のいない復興となってしまう恐れがある。
 
 参加者からの質疑・意見として、「集団疎開」などの対応、除染作業の効果とゼネコンの利権、食品汚染で国の基準が守られていれば良いのか、被ばく労働者との連帯、国の責任で健康管理手帳交付の運動をすべきなどの他、浪江町からの避難者として国や東電への怒りが語られた。
 最後に運営委員から、事故が今も進行中であること、廃炉には40年以上もかかる闘いであることが明確になった。そのなかで「フクシマ」を忘れないということの意味の重さを痛感した。全体で「脱原発を達成しなければならない」という決意を確認した、というまとめで閉会した。
 

8月5日に広島市内で開かれた「被爆68周年原水禁世界大会・広島大会」の2日目は分科会や国際会議、メッセージfromヒロシマなどがおこなわれ、ビデオにまとめました(8分50秒)

原水禁世界大会広島大会 基調提起

被爆68周年原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本 泰成

 2013年のストックホルム国際平和研究所のイヤーブックによりますと、世界の核弾頭数は、17,265発となっています。また、世界中で稼働する原子力発電所は、429基です。核兵器も、原発も、それ自身が持っている破壊力と放射能は、私たちの「命」を脅かす存在であること、そしてあり続けること。2011年の3月11日、私たちはそのことの現実を知りました。今、私たちは「核時代の終わり」を宣言しなくてはなりません。

 米ロ間で結ばれた新戦略核兵器削減条約は、2018年までに戦略核の30%を削減するとしています。今年6月には、オバマ米大統領は、さらなる戦略核の削減に言及しています。私たちは、プラハ演説における「核なき世界」を前進させようとするオバマ大統領の姿勢を歓迎するものです。

 一方で、ストックホルム国際平和研究所のイヤーブックは「NPT加盟核保有国5カ国は、自国の核兵器を無制限に維持しようとしている」と強調されていますし、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准についても米国は曖昧な姿勢を続けています。核セキュリティーサミットを開催し核テロの被害を強調する米国が、「核なき世界」にむけて努力しようとする米国が、しかし、臨界前核実験を繰り返し、新たな兵器の開発に邁進し、世界に紛争の火種を巻き、核の拡散を呼び込んでいます。軍事大国である米国が率先して「対話」と「協調」の新たな時代に踏み込まなくてはなりません。米ブッシュ政権が悪の枢軸とした北朝鮮やイランは、イラク戦争の現実から核兵器の保有を選択しています。米の核兵器が新たな核兵器を生んでいる現実を直視しなくてはなりません。

 日本は、NPT加盟の核兵器を持たない国で唯一使用済み核燃料の再処理を行い、約44トンものプルトニウムを貯め込んでいます。ざっと計算しても核兵器5,500発分にもなるプルトニウムは、周辺諸国の脅威であるとの指摘もあります。核実験を繰り返す朝鮮民主主義人民共和国とプルトニウムを大量に抱える日本の間にあって、韓国は、韓米原子力協定の交渉において、再処理を熱望しています。原発の多くが稼働停止の状態にあり、新規の原発建設が事実上不可能な状態にある中で、また、高速増殖炉もんじゅや六ヶ所再処理工場の計画がこれも事実上破綻した中で、用途の不明確なプルトニウムを分離することは許されません。私たちが主張してきた東北アジア非核地帯構想の実現のためにも、核燃料サイクル計画からの離脱が求められています。

 日本は、昨年10月22日に国連総会第一委員会において発表された、非核保有国30カ国以上が賛同した「核兵器を非合法化する努力の強化」を求める共同声明に賛同せず、国内外から厳しい批判を受けました。米国の核の下、その抑止を絶対とする日本政府の姿勢は、しかし、実体的意味を持たないことは明らかです。止むことのない局地的な戦争は、核の抑止の外にあると考えなくてはなりません。被爆国でありながら、核兵器廃絶を主張しながら、なお、核兵器の存在を利用しようとする日本政府の主張に、誰が耳を傾けるでしょうか。

 私たちは、「核と人類は共存できない」と主張し、脱原発の社会をめざして運動を続けてきました。しかし、2011年3月11日の福島第一原発の事故を防ぐことは出来ませんでした。原水禁運動に関わってきた多くの人々の心に、忸怩たる重いが、「何で私たちの声が届かないのだろうか」という無念の思いが広がったのではないでしょうか。事故に対する政府の収束宣言は、福島を含め全国から抗議の声が上がりました。昨日の朝日新聞は、一面トップで「福島第一、汚染水危機」と書き、福島第一原発の廃炉作業が破綻する恐れが高まっていることを報じています。放射性物質による高濃度汚染水の海洋への流失を止めることが出来ない、現在42万トンもたまっている汚染水、毎日400トンずつたまる汚染水の貯蔵もフローしてしまう、しかし、溶融した核燃料をこれから先もずっと冷やし続けなくてはなりません。「放射能を消すことが出来ないならば、核をエネルギーとして使ってはならない」福島第一原発では、放射能との闘いが毎日続いています。事故は収束に向かっているのではありません。福島第一原発は、崩壊に向かっているのです。その崩壊は、私たち自身の社会の崩壊に、密接につながっているのです。

 「フクシマ」抜きの脱原発はあり得ないと、私たちは主張します。いまだ15万人が避難をし「命」に関わるほどのきびしい状況に置かれているのです。しかし、政府は、国会で全会一致で成立した「福島原発事故子ども被災者支援法」の基本計画さえ作ろうとはしていません。除染作業も当初計画の年間被曝量1ミリシーベルト以下を達成できずに、「除染作業が目標値に届かなくても、新しい線量計を渡すので、被曝線量を自己管理して生活しろ」と強要しようとしています。再除染は行わないとする政府の姿勢は、広島・長崎の被爆者を切り捨てようとしてきた姿勢と同様です。
 「国は、原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護すべき責任 並びに これまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っていることに鑑み」と、「福島原発事故子ども被災者支援法」には明確に記載されています。支援法の施策の実現を求めるフクシマの人々を、「左翼のクソども」と罵倒した官僚の言葉は、実はこれまでの、これからの政府の姿勢を端的に表しているのです。
 
 安倍首相は、経済再生のためにと称して「原発輸出」のトップセールスを世界に向けて展開しました。「フクシマ」の被災者を置き去りにしながら「過酷事故を起こした日本の原発は、それ故に世界で一番安全だ」とする厚顔無恥、「あに芳杜(ほうと)をして顔を厚くし、薜茘(へいれい)をして恥ずる無からしむべけんや。」との、南北朝時代の孔稚珪の「俗悪な官僚」を非難した言葉、そのものを首相に送らせていただきたいと思います。昨夏の国民的議論の中で生まれた民主党政府の「脱原発方針」をゼロベースから見直すとしながら、全くそのことを放置したままに「再稼働」を実現しようとする姿勢にも当てはまるものだと思います。
 「2011年6月10日 1時30分 大変お世話になりました。私の限度を超えました。ごめんなさい。原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けずに頑張って下さい。仕事をする気力を無くしました」。

 南相馬市の酪農家が残した言葉です。本大会の前に開催されました「原水禁フクシマ大会」の翌日、私は飯舘村、南相馬市へのフィールドワークに参加しました。やませ吹く冷涼な大地に立ち向かい、幾多の冷害を乗り越えた「日本一美しい村」飯舘は、今や、茫漠とした痩地の広がる、放射性物質に汚染された土地だけが残されました。この村に人の営みが戻るのは、何時のことになるのでしょうか。

 今日から、長崎大会の終了まで、多くの議論を積み上げていただきたいと思います。私たちは決してあきらめません。私たちは、「命」の尊厳を基本にした、再生可能で平和な社会の実現をめざして、着実に歩んでいきましょう。

 今年の、原水禁広島大会・長崎大会は、意見の相違から「連合・核禁会議」のみなさんとは共同開催が出来ませんでした。労働運動と市民運動を結んでの社会変革をめざす私たちは、極めて残念に思います。
 しかし、私たちは意見の相違を非難することなく、私たちがめざす目的のために「脱原発」「核兵器廃絶」「ヒバクシャ支援」の運動の拡大を図らなくてはなりません。
 三団体は「意見が異なることを理解し合いながら、しかし、被爆国日本の国民的願いである核兵器廃絶とヒバクシャ支援に三団体で積極的にとりくんでいくこと」を確認しています。2015年のNPT再検討会議に向けては、意見の相違を乗り越えて全国的な運動の展開を図らなくてはなりません。

 連合は、自らのエネルギー政策を見直し「原発に依存しない社会をめざす」としました。その意思を具体的運動につなげていくことを期待し、原水禁世界大会広島大会での基調提起とさせていただきます。
 

 広島大会開会総会.JPG折鶴平和行進.JPG

 今年の「被爆68周年原水爆禁止世界大会・広島大会」は、「折鶴平和行進」から始まりました。青森での「4.9反核燃の日行動」、沖縄での「5.15平和行進」を起点とした「非核平和行進」が全国各地で取り組まれ、8月4日に広島平和公園の資料館前に到着しました。そこに全国各地の参加者が合流し、「折鶴平和行進」として、広島大会の開会総会会場まで行進しました。
 資料館前には各都道府県・市民団体などの代表や子ども達など3500人が集まり、原水禁世界大会への海外ゲストを先頭に、横断幕やプラカード、旗などを手に、「核兵器をなくそう!」「原発の再稼働を許さない!」「核も戦争もない平和な21世紀を作ろう!」などとシュプレヒコールを繰り返しながら、行進しました。

 広島県立体育館で拓かれた開会総会では、最初に原爆や原発など核の犠牲になった多くの方々への黙とうから始まり、主催者あいさつで川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)は、「昨年の衆院総選挙に続き、7月の参院選挙でも勝利した安倍政権は平和憲法の改悪を企てている。平和が当たり前でなくなっている。改悪を絶対に許してはならない」と述べたうえで、「私たちは核と人類は共存できないの信念のもとで運動してきた。しかし、安倍政権は命より金を優先し、原発再稼働を進めている。福島原発事故は収束していない。さらに運動を進めよう」と呼びかけました。
 来賓として連帯あいさつに立った高橋睦子・連合副事務局長は「核廃絶とヒバクシャ支援を求めて、連合もともに運動を進めていく。また原子力エネルギーに依存しない社会をめざして取り組む」と述べました。また、湯崎英彦・広島県知事のメッセージや松井一實・広島市長(代理)のあいさつも受けました。
 被爆者の訴えでは、広島県被団協の柳川良子さんが女学生の時に被爆をした、その惨状を生々しく語りました。その上で「戦争は多くの人の命を奪った。もうこのような苦しみを、これからの後世の人達にさせてはならない。核兵器を使うことのないように、これからも伝えていきたい」と語りました。
 また、原発事故を受けた福島から、渡辺英明・福島県平和フォーラム事務局長が「事故から2年5ヶ月が過ぎたが、収束も除染も進んでいない。汚染水の垂れ流しも発覚した。しかし、福島以外では事故のことが風化しているのではないか。再び福島から放射能問題をアピールしていきたい」と訴えました。
 
 毎年、全国各地の高校生が国連欧州本部を訪ね、核廃絶を求める署名提出と国連大使のアピールを行っていますが、その第16代高校生平和大使に広島から選ばれた小櫻智穂さん(広大附属高校1年)は「被爆者の証言を聞いて、核兵器をなくすべきだと本気で考えて、署名活動を始めた。未来に希望をもちたい」と強調。同じく平和大使の松岡朱音さん(県立広島高校2年)も「最近は広島でも原爆投下の日時を知らない若者が増えている。生の声で伝えていくことが大切」と抱負を語りました。
 大会の基調提案を藤本泰成・大会事務局長が行い「この大会で、核時代に終止符を打つ決意を固めよう」と、「核兵器廃絶に向けた動きを加速させよう」「原子力政策の転換を」「ヒバクシャの権利確立」の3つの課題を中心に、「原水禁運動に確信をもって取り組もう」と呼びかけました。
 海外方のゲストとして、大人14人、子ども4人が紹介され、代表してドイツの緑の党のイェンス・ケンツィアさんが「ドイツは2022年に原発の全廃を決めた。これに圧倒的多数の国民が支持している。自然エネルギーはもう25%を占め、原発を抜いた。日本も早く転換すべきだ」と訴えました。
 
 大会は最後に「原爆を許すまじ」を参加者全員で合唱し、佐古正明・広島実行委員長の閉会あいさつで1日目を終了しました。大会は2日目に分科会や国際会議、フィールドワークなどを行い、最終日の8月6日に「ヒロシマアピール」を採択することになっています。 

 

 

2013年8月4日に広島市で開かれた「被爆68周年原水禁世界大会・広島大会」の1日目の折鶴平和行進と開会総会の様子をビデオにまとめました(9分45秒)。

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