2012年9月アーカイブ

JCO臨界事故13周年集会開かれる

120930JCO001.jpg 1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所で、臨界事故が発生し、二人の労働者が死亡、600人を超す人々が被曝し、約30万人が屋内退避を余儀なくされた事故から13周年を迎える9月30日に、水戸市に於いて「JCO臨界事故、福島第一原発事故を忘れない!原発再稼働反対!―JCO臨界事故13周年集会」が開催され、関東各地を中心に500人が参加しました。

 集会は、主催者や地元からのあいさつの後、ルポライターの鎌田慧さんから3.11以降の政府の動きと、鎌田慧さんが作家の大江健三郎さんらと呼びかけた「さようなら原発1000万人アクション」や首相官邸前行動など、各地の「金曜行動」についての盛り上がりが報告され、これからが推進側との闘いの正念場であると訴えました。
120930JCO002.jpg 現地報告として、双葉地方原発反対同盟代表の石丸小四郎さんから、原発事故以降の福島の状況が報告されました。自身が住んでいた町がゴーストタウンになり、人や家畜などの多くの「命」が原発事故によって失われたこと、そしていまだ放射能は放出され続け、事故は収束していないことが訴えられました。

 また、事故を起こしたJCOから150メートルしか離れていない場所で被曝し、PTSDを発症した大泉恵子さんからは、自身のつらい体験についてのお話があり、最後に「みんなで原発を無くしましょう」と訴えました。

 続いて東海第二原発の運転差し止め裁判の意義と今後について報告され、集会アピールを採択のあと、水戸市内を「JCO臨界事故を忘れない」「東海第二原発の再稼働反対」などの声をあげながらデモ行進を行いました。

 翌日の10月1日には、日本原電やJCOへ申し入れを行いました。
 

集会アピール
県内自治体の首長からのメッセージ
申し入れ書


この度は、JCO臨界事故13周年集会の開催、誠におめでとうございます。
 皆様の、JCO臨界事故を背景とする種々の取り組みに対し、心より敬意を評します。
 本年の集会におかれましても、昨年3月の福島原発事故を踏まえ、今後の原子力発電のあり方や、代替エネルギーについて深く考える貴重な機会になることと存じます。
 本集会のご盛会と、ご参会の皆様のご健勝を心よりご祈念申し上げます。

平成24年9月30日
結城市長  前場 文夫


「JCO臨界事故13周年集会」メッセージ

 「JCO臨界事故13周年集会」が、多くの方々の参加のもと開催されますことに深く敬意を表します。
 本集会にご参会の皆様方の、ますますの御健勝と御活躍をお祈り申し上げ、メッセージといたします。

平成24年9月吉日
鹿嶋市長  内 田 俊 郎


 皆様には、日頃から原発依存からの廃炉やエネルギー政策の転換を目指すための積極的な活動を展開されていることに対し、心から敬意を表します。
 東日本大震災に伴う原発事故から一年半が経過しましたが、未だ福島第一原発事故は収束せず、放射線の多方面に及ぶ影響などを考えますと、原子力そのものを見つめ直さなければならないのではないかと考えております。
 JCO臨界事故から十三年目を迎えますが、十三周年集会が、平和で安全な社会の実現に向けた新たな飛躍の場となりますようご祈念いたします。多くの方々のご参加のもと、この集会が成功されますよう、また皆様の益々のご活躍とご健勝をお祈り申し上げまして激励のご挨拶とさせていただきます。

平成二十四年九月三十日
     茨城県かすみがうら市長 宮嶋光昭


JCO臨界事故13周年集会 高萩市長メッセージ

 本日ここに、JCO臨界事故、福島第1原発事故を忘れない!原発再稼働反対!「JCO臨界事故13周年集会」が開催されますこと深く敬意と感謝を申し上げます。
 JCO臨界事故から11年が過ぎた昨年3月、東日本大震災により、福島第1原子力発電所において、起こしてはならない事故が起きてしまい、私達の生活に甚大な被害と損害をもたらし、未だ収束することなく、見えない放射線の恐怖によって脅かされながら暮らしております。
 原子力事業については、国民の信頼を一層喪失することとなりました。
 再び原子力による重大事故を起こさないためにも、「事故を忘れてはならない、風化させてはならない」の願いを本集会から発信し、原子力事業の安全管理体制の強化と再発防止策の徹底を求めていかなければなりません。
 結びに、本集会が有意義なものとなりますことを心よりご祈念申し上げ、私のメッセージといたします。

平成24年9月30日

高萩市長  草間 吉夫


「JCO臨界事故13周年集会」へのメッセージ
         ―脱原発は世直し運動である―

東海村長 村上達也

 JCO臨界事故1 3周年集会のご盛会を心からお慶び申し上げます。
 さて福島原発事故後この1年半、政府を始めとする原子力産業界は停止原発の再稼動、すなわち従来の「国策」原子力政策への回帰を策しています。これは敗北を認知できない恥すべき醜態を世界中に曝しまくっていることに他なりません。アジア太平洋戦争で敗戦が明らかとなっても敗戦を肯んぜず己の保身のため、オキナワ、ヒロシマ、ナガサキ、本土空襲を招来し、国民に空前の犠牲を強いた戦前の軍部に酷似しています。
 野田首相は6月16日、福井県知事らとの茶番劇を演じ、「国民の生活を守る」ためと称し、大飯原発3、4号の再稼動を政治決定しました。なんと国民に対する温かい思いやりでしょうか。ところが国民の大多数は正反対の反応を表明し今日に至っております。
 毎週金曜日の夜の首相官邸、国会を包囲する市民の集会、7・16代々木公園での脱原発大集会、政府自らが企画した新しいエネルギー政策を決める「国民的議論」等に、そのことが良く表われています。苦肉の策の討論型世論調査に至っては「原発ゼロ」の支持割合は討論の後の方が討論前より増加するという政府の意図に反する皮肉な結果がでました。
 古川国家戦略相を座長とする「国民的議論に関する検証会合」も過去に未練タラタラながらも「過半の国民は原発に依存しない社会を望んでいる」と表明せざるを得なくなったようです。しかしここに至っても依然、政府、電力業界、財界、一部マスコミは敗北を認めようとはしません。福島原発事故から1年有半経っても原子力政策の転換、新たなエネルギー政策の決定が何一つできないでいる、この醜態の最大の要因は、「福島原発事故は敗戦である」このことを認めようとしない推進勢力の存在にあります。
 結論を言います。最早原子力は日本では勿論、人類にとって未来を託せるエネルギーではないことがフクシマで証明されました。それは経済の面から言っても、地域社会にとってもであります。ましてや10万年もの先まで管理を要する核廃棄物を未来世代に残すに至っては。過去や現状に捕われず、如何に速やかに原発依存から脱却するかでこの国の将来が決せられる、私はこう確信しています。
 また私の15年余の東海村長としての体験から、この国は原発を持つ資格、能力のない国だと思っています。 JCO臨界事故の原因を「ヒシャクとバケツ」に矮小化し、安全規制体制強化を骨抜きにし、ルネッサンスだ、クリーンエネルギーだと遮二無二原発推進政策を喧伝してきた、その結果がフクシマです。今回改革できなければ第二のフクシマは必ず起こるでありましょう。将来世代のためにも原発の脅威のない平和で健全な社会の創造を目指して参りましょう。脱原発の戦いは世直し運動でもあります。


JCO臨界事故13周年集会のご盛会、誠におめでとうございます。

 福島第一原発の事故から1年半が経過し、この間、多くの方々のご努力により脱原発の声は日増しに高まっております。このような中、5月には全原発が停止したのもつかの間、十分な議論もされないまま大飯原発が再稼働する等、原子力事故への不安は依然として払しょくされておりません。
 「3.11」以降、近隣市町村の放射線量は平常時と比較して高い状況が続いております。本村におきましても、学校等公共施設の空間や食材の放射線量測定を行うと共に放射能対策室を設置し、村内の除染を進めております。また「脱原発をめざす首長会議」への参加、先の議会において「東海第二原発の廃炉を求める意見書」を可決したほか、村内にメガソーラー発電所の建設誘致など、少しずつではありますが、脱原発に向けた取り組みを始めております。
 事故はいつの間にか人々の記憶から忘れ去られてしまいます。それを防ぎ、風化させないためにも、引き続き脱原発に向けた活動が継続されていくことが重要であります。原発からの早期脱却を目指し、放射能の恐怖のない安全安心な社会の実現に向けて、共に頑張って参りましょう。

 結びに、本日の集会が実り多きものとなりますことをご祈念申し上げます。

平成24年9月30日

美浦村長  中島 栄
 

JCO臨界事故13周年集会アピール

JCO臨界事故13周年集会アピール

 あの忌まわしいJCO臨界事故の教訓の一つは原子力事故は必ず起こるという事でした。残念ながら福島原発事故によってそれが実証され、原発の「安全神話」は完全に崩れました。これまでの原子力災害は、どんなに事故対策がたてられても、その想定を超えて事故が常に起ってきました。あらためてJCO臨界事故を風化させてはなりません。

 2011年3月11日の福島第1原発事故は、ひとたび放射性物質を拡散してしまえば、取り返しのつかない事態に陥ることを明らかにしました。事故はいまも続いており、放射性物質に汚染された地域では、未だ住民が帰還できる状況ではなく16万人を超える人々が避難生活を余儀なくされています。事故は、私たちの暮らしを大きく変え、海・空・大地を汚し、農林水産業をはじめ、あらゆる産業に甚大な被害をもたらし続けています。

 原発は「安全神話」のもと国策として強引に進められ、その下で「命」が軽んじられてきましたが、現在も収束作業では、東京電力の下請け会社で、労働者の被曝線量を測る線量計(APD)に鉛のカバー取り付けやそもそも線量計を装着しないで作業をさせるなど被曝隠しも次々と明らかになり、労働者の「命」が軽んじられていることを許すことはできません。40年以上とも言われる収束作業の長期化に伴う被曝労働での労働者の命を守るため、被曝の低減や労働者の権利を確立する必要があります。

 一方、野田内閣は、「革新的エネルギー・環境戦略」で「2030年代に原発稼働ゼロ」を打ち出しましたが、島根原発3号機、大間原発、東通原発の新増設の続行や核燃料サイクル議論の先送りなど、政府として「原発ゼロ」の具体的施策が見えてきません。また今夏には「電力危機キャンペーン」を宣伝し、国民の圧倒的な脱原発の声を無視した大飯原発3、4号炉の再稼働を強行しましたが、「電力不足」は生じず、逆に電力供給量には余裕が有り、原発がなくても電気は十分足りていることが明らかになりました。強引な再稼働は、国民に危険を強いることと同時に、電力会社の利益誘導のための再稼働であり、強く批判しなければなりません。

 日本原電・東海第2原発は、昨年の3・11で一応原子炉は停止したものの、外部電源喪失で、3日後の冷温停止まで原子炉格納容器内で主蒸気逃し安全弁の操作が170回行われるなど、危機一髪の事態が続きました。最悪の場合は福島原発と同様の事態となりえるもので、放射能が首都圏を襲う危機をはらんでいました。
 東海第2原発は、1978年の稼働からすでに33年が経つ老朽原発であり、その位置から周辺30キロ圏内に約100万人が暮らし、東京まで110キロの距離に立地しており、ひとたび事故が起これば人々は押し寄せる放射能から避難できず身を守ることはできません。
 現在日本原電は、8月31日に東海第2原発の1次安全評価(ストレステスト)の提出を行い、「再稼働」に向けた準備を進めています。県内では、東海第2原発の再稼働に反対し、廃炉を求める声はさらに大きくなっており、廃炉を求める署名も23万筆を超えて知事に提出され、「再稼働反対・廃炉」を求める市町村議会決議が相次いで採択されています。

 私たちはJCO臨界事故13周年にあたり、あらためて次のことをアピールします。

・私たちの「命」を守るために、危険な日本原電・東海第2原発の再稼働を一刻も早く断念させ、今後数十年かかる廃炉作業をスタートさせましょう。

・「核と人類は共存できない」現実を踏まえ、すべての原発を即時停止し、自然エネルギーヘの政策転換を図りましょう。

2012年9月30日  JCO臨界事故13周年参加者一同
 

ムハンマド侮辱の動画作成者、米で逮捕。

再処理からの撤退は当然だ!

2030年代原発ゼロ?
 9月14日、政府のエネルギー・環境会議は、「革新的エネルギー・環境戦略」を決定しました。原発の依存度を減らし、①40年廃炉を厳格に適用、②原子力規制委員会が安全確認を得た原発のみ再稼働認める、③原発の新増設は行わないとする三原則をあげた上で、「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指すとし、そのため「あらゆる政策資源を投入する」としました。
 9月19日、この方針を政府は、「今後のエネルギー・環境政策については、『革新的エネルギー・環境戦略』を踏まえて、関係自治体や国際社会と責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」として、閣議決定をしました。しかし、方針としての閣議決定にとどめただけで、文書そのものを閣議決定とすることまではいきませんでした。政府の覚悟が疑われます。
 「革新的エネルギー・環境戦略」では、使用済み核燃料の再処理問題は、見直されることなく、事業を引き続き進めるとし、高速増殖炉もんじゅは、年限を区切った研究を経て廃炉にするとされ、原発の廃炉や放射性廃棄物の最終処分について国が責任を持つことが示されただけで、具体的な施策は示されませんでした。核燃料サイクルそのものが破たんしているにもかかわらず、問題を先送りしたものとなっています。
 さらに、この戦略発表後、島根原発3号機や大間原発、東通原発の計画続行を認めました。原発立地県への配慮が目立ち、「原発の新増設は行わない」との原則と大きく矛盾するものとなっています。「40年廃炉」となれば、それらの原発の廃炉は2050年代以降となるでしょう。「原発稼働ゼロ」に向け「あらゆる政策資源を投入する」とした政府の覚悟や具体的政策が見えません。選挙目当てと言われても仕方なく、政権が代われば、簡単に放棄されてしまうのではないでしょうか。
 脱原発に向けた国民的な世論が高まる中で、このような中途半端な戦略では、結局2030年代に「原発稼働ゼロ」は絵に描いた餅でしかなく、いまこそ具体的な原発撤退戦略が求められています。

六ヶ所再処理工場はどうなる?
 この「革新的エネルギー・環境戦略」に対して再処理工場の建設を進める日本原燃は、「2030年代に原子力稼動ゼロの方針となったことは極めて遺憾である。エネルギー政策は、5~10年経って失敗だったということは許されない。今後は、本戦略の中で示されたように、絶えず検証を行うとともに、不断の見直しが必要と考える。そして、わが国の将来の視点に立った冷静で現実的な判断をお願いしたい」と、自らの「失敗」を認めず、強引に核燃料サイクル路線を主張しています。
 再処理工場そのものは、本来今年10月には竣工するはずでしたが、相次ぐトラブルでさらに1年延長され、来年10月と発表されました。前回の延期(2010年9月)に際し、日本原燃の川井吉彦社長は、「最後の延期。不退転の決意で臨む」と強調していましたが、今回、19回目の延期発表となりました。延期、延期を重ねていまだ完成していないのが六ヶ所再処理工場の実態です。1年先延ばしをしても、順調に事が進むとは限りません。新たに発足した原子力規制委員会がどのような完工前審査を行うのか、これまでトラブル続きだった
高レベルガラス固化施設が今後も順調に動き続けていくのか、これまでの事前確認試験の結果だけでは見えません。さらなる延期が待っているのではないでしょうか。
 これまで何度も指摘しているように、作り出したプルトニウムの使い道がないのも問題です。現在、大飯原発が2基稼働しているだけで、残りの48基の原発は止まったままです。再稼働には新たに発足した原子力規制委員会が新基準で評価することになっています。その基準での評価は、来年夏以降となるようです。それ以降でしか再稼働はなく、新たに拡大した防災計画も自治体の対応がこれからという状況にあり、再稼働をめぐる状況は厳しいものがあります。その上プルトニウムを使うプルサーマル計画では、さらに周辺住民などの合意などハードルは高く、2015年までに16~18基の原発でプルサーマルを実施するという計画はすでに破たんしています。原発の再稼働さえ不透明な状況の中、六ヶ所再処理工場でプルトニウムをつくり出す意味はまったくありません。さらに2030年代に「原発稼働ゼロ」を目指すのであればなおさらです。再処理工場は40年間運転を前提にしていましたが、今回の「革新的エネルギー・環境戦略」議論ではその前提さえなくなるものです。
 すでに2兆1000億円以上もの資金が六ヶ所再処理工場に投下されています。完成までさらに費用をかけ、その後何年稼働させるのか? 高くつく再処理工場は、本当に必要なのでしょうか。
 六ヶ所再処理工場は「5~10年経って失敗だったということは許されない」ではなく、1984年の受け入れから28年経っても完成しないのにいまだ「失敗だった」と認めないことが問題です。プルトニウム利用政策の破たんを直視し、「冷静で現実的な判断」こそ、再処理事業に下されるべきです。

もんじゅは即刻廃炉しかない!
 六ヶ所再処理工場とともに、核燃料サイクルの中核を担うとされている高速増殖炉は、もんじゅの開発段階で破たんを来しています。1995年にナトリウム漏洩火災事故を起こして以来17年間、まともに動いたことのない原子炉です。現在も2010年8月の炉内中継装置の落下事故で停止したままです。今後の再開の見通しさえ立っていません。
 そして今回の「革新的エネルギー・環境戦略」の中では、もんじゅ開発は、「年限を区切って廃炉にする」となっています。その年限も5年と言われ、放射性廃棄物の減容に寄与する研究が無理矢理付けられて、なんとか研究開発は続行しようとしていますが、そこでの成果など期待できるものではありません。
 すでにもんじゅ開発には、9600億円以上の資金が投入されてきました。それらは、すべて私たちの税金です。さらに東海再処理やMOX燃料加工、常陽などの高速増殖炉関連の開発では、さらに1兆7000億円もつぎ込んでいます。六ヶ所再処理工場の莫大な資金投下と合わせて、未完の核燃料サイクルに私たちの税金や電力料金が浪費されています。福島の事態の一刻も早い収束にむけた取り組みに、人やものや資金を全力で投入すべきであり、これ以上ムダな浪費を繰り返している場合ではありません。もんじゅを即刻廃炉にすることがまず先決です。

日本学術会議もNO!
 これまでの核燃料サイクル路線は、原発から出てくる使用済み核燃料を全量再処理して出た、高レベル放射性廃棄物をガラス固化して数万年に渡って地中に廃棄処分する計画でした。現在その処分場の候補地さえ見つかっていません。この計画に対して、日本学術会議は見直しの「提言」を原子力委員会に提出しました。(9月11日)。その中で、日本では「万年単位で安定した地層を見つけるのは困難」と指摘しています。これまで「トイレなきマンション」と言われてきた原子力政策が、「トイレ」がないことがあらためて明らかにされました。六ヶ所再処理工場での高レベル放射性廃棄物の処分そのものがあらためて問われています。どこにも処分できるところがないまま、原発をさらに進めていくことは、大量の廃棄物をつくり出すだけで、後の世代に大量の負の遺産となるだけです。2030年代と言わず、一刻も早く脱原発に向けた政治選択と具体的取り組みを取るべきです。とりわけ再処理や高速増殖炉などの核燃料サイクル路線は即刻中止すべきです。

報告

 「さようなら原発1000万人署名」は、9月21日の集計で、8,015,807筆となり、目標の1000万筆まであと200万筆を切りました。事務局には全国各地から途切れることなく、署名が届いています。

 6月には政府と国会に対して、第一次提出を行いました。今回、次の国会(臨時国会)開会中に第二次提出行動を行います。そのための集約締め切り日が、以下のとおり決まりましたのでお知らせいたします。

●集約締め切り日:10月15日(月)
      ※必着ではありません。集約日を目安にお送りください。

●提出日時:次回臨時国会開会中(決まり次第、ご案内いたします)。

●送付先:101-0062 東京都千代田区神田駿河台3-2-11
      連合会館1階 原水禁気付
      「さようなら原発」一千万人署名 市民の会

署名は1000万筆達成まで継続します。引き続きよろしくお願いいたします。
オンライン署名もあります。

中国の艦船13隻尖閣諸島周辺海域に接近。

原子力規制委員会・原子力規制庁が発足。

政府の「革新的エネルギー・環境戦略」に関する声明

フォーラム平和・人権・環境
(平和フォーラム)
代表 福山 真劫

 原水爆禁止日本国民会議 
 (原水禁)
議長 川野 浩一


 9月14日、政府は「2030年代に原発稼働ゼロ」をめざす「革新的エネルギー・環境戦略」を策定し閣議決定することとしました。平和フォーラム・原水禁は、2011年3月11日以降「さようなら原発1000万人アクション」の中核を担い、多くの市民を結集して運動を展開してきました。運動は、全国の市民を繋ぎ「脱原発」の世論を形成し、首相官邸における金曜デモなど新しい市民の動きにつながってきました。私たちは、その結果としての「原発稼働ゼロ」を評価します。また、原発推進を進める自民党や財界、電力関連企業などを中心とした旧来の勢力の力を押しとどめて、原発稼働期間40年の厳守、原子力規制委員会の安全確認なしの再稼働は行わない、新増設はしないの三つの原則に基づいて「原発稼働ゼロ」を決定した政府・民主党の決断を歓迎します。

 しかし、一方で使用済み核燃料の再処理問題を先送りし、燃料装荷前の島根原発3号機やフルMOXの大間原発、直下に活断層があるとして設計の見直しを行った東通原発などの建設容認に言及したのは、「原発稼働ゼロ」の方針に大きな疑義をいだかせるもので容認できるものではありません。

 日本社会は、大きな犠牲を払って「脱原発」の方向に動こうとしています。市民社会の選択は、大飯原発を止めて即座に「原発稼働ゼロ」を実現することにあります。政府は、覚悟と勇気を持って「原発稼働ゼロ」の社会にむけて全力を尽くさなくてはなりません。2030年代を待つことなく、その実現を果たさなくてはなりません。
 
 平和フォーラム・原水禁は、「さようなら原発1000万人アクション」の運動の中核として、「脱原発」が揺るぎない方針として日本社会に定着するよう、全国の市民と連帯して更なるとりくみをすすめることを確認します。 
 

リビアでは重装備の民兵が米領事館を襲撃、大使ら4人死亡。エジプトでも抗議広がる。

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 9月9日、鹿児島県薩摩川内市内の向田公園において、「再稼動阻止! エネルギー政策転換! さようなら原発! 九州集会」が開かれました。集会には九州一円から1000名の参加者が集まり、鹿児島の川内原発1・2号機の再稼働反対や3号機の増設中止、さらに佐賀の玄海原発の再稼動反対の声をあげました。

 

 

120909_02.jpg  集会では命や暮らしを守るために脱原発が必要と訴え、エネルギー政策の転換を強く訴えました。福島現地からの報告では、現在も16万人もの避難者がおり、被害が深刻化している状況とともに生活も仕事に展望を見いだし得ない状況が報告されました。
 さらに、同日沖縄でオスプレイ配備反対の県民集会が開かれており、その沖縄から現地報告がなされました。原発も米軍基地も「合意なき国策」として強力に推し進められ、その下で住民が犠牲を強いられる構造は、福島原発事故以降も変わっていません。あらためて脱原発、脱基地の取り組みの強化が求められています。

 集会終了後、「川内原発の再稼働反対」や「増設中止」、「原発なくても電気は足りてる」、「原発止めても仕事はあるぞ」と訴えて市内を行進をしました。
 

120909_04.jpg なお、当日川内原発のPR館に立ち寄ってみましたが、福島原発事故の反省もないまま堂々と地震や津波に対して十分対策をとってある(それはどのようなものかわかりませんが)との文言が並べてありました。真摯な反省もなく厚顔にも「安全神話」を振りまくことだけは変わっていませんでした。少しは福島原発事故の現状(被害)を報じることが信頼回復の第一歩だと思うのですが、やらせメールなど住民を馬鹿にしてきた九州電力ではムリな話なのかも。
 

 

集会アピール

 

 

 

さようなら原発! 九州集会 アピール

 世界を震撼させた3.11福島原発事故はいまだ終息せず、進行中です。福島原発から放たれた放射能は、空を、水を、土を、人体を、そしてすべての生き物を汚しながら広がり、人々の生活と生態系を脅かし続けています。福島をはじめ多くの地で、放射能の不安に脅える日々が今も続いています。子どもたちの未来に大きな不安をもたらしています。

 今、日本は、脱原発への道を進むか否かの分かれ道に立っています。800万もの「さようなら原発」署名に込められた思い、毎週積み重ねられている首相官邸前や全国各地のデモ、7.16さようなら原発17万人集会、パブリックコメントでの圧倒的な「原発ゼロシナリオ」など、脱原発を求める声は全国各地で大きなうねりをつくりだしています。にもかかわらず政府は、安全性の検証や対策を先送りにしたまま、原発の再稼動を急いでいます。九州電力は原発を動かさないと「計画停電」だ、と不安を煽りました。

 ここ、薩摩川内市の川内原発は28年、佐賀の玄海原発は37年も経っています。福島原発事故を眼のあたりにしながら、九州電力は世界最大級の川内原発増設計画断念を表明していません。愛媛には伊方原発、島根には島根原発があります。原発で大事故が起きたら、九州は、いや日本は壊滅してしまいます。「核と人類は共存できない」ことを改めて確認します。

 本日、沖縄では「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」がおこなわれました。日米軍事一体化によるオスプレイ配備が迫っています。全国の空が低空飛行訓練の危険にさらされています。福島の人々も沖縄の人々も国策によって故郷を追われました。いのちと暮らしを奪う、米軍基地もオスプレイも、そして原発も、わたしたちはいりません。

 原発は、何万年、何十万年も管理が必要な大量の放射性廃棄物を生み出し、核兵器保有にもつながります。この夏の猛暑も原発なしでのりきりました。原発が動かなくても、電気は足りたのです。この地球上の全てのいのちが、これ以上放射能で汚されず、生まれてくる子どもたちが次の世代、また次の世代へといのちを繋いでいけるように、平和で、持続可能な未来を築くため、本日、わたしたちは二つのことを誓います。

1 原発の新・増設を中止させるとともに、原発再稼働を阻止し、全ての原発を直ちに、計画的に廃炉にします。
2 再生可能な自然エネルギー中心の社会へ転換させ、社会全体の省エネを推進します。

2012年9月9日
再稼働阻止!エネルギー政策転換!さようなら原発九州集会
 

脱原発基本法案が衆議院に提出される。

韓国軍が竹島周辺で軍事訓練。

 台湾の馬英九総統が台湾再北端の彭佳嶼を視察した後、尖閣諸島について日台、中台、日中で対話を進め、日中台の三者協議へと発展させたいとの提案を発表。

 中央防災会議が福島第1原発事故を教訓に地震、津波、原発事故の複合災害を想定して対策をとるため、これまで原発から8~10km圏としていた対策重点区域を拡大、原子力規制委員会が指針で30km圏内に拡大を決める。

静岡県平和・国民運動センターのホームページが開設されました。

ホームページ
活動紹介(ニュースペーパー記事より)

南シナ海問題で会談。意見は噛み合わず、内容公表されず。

中断している合同軍事演習を再開し、軍事交流を拡大することで合意。

ASEAN各国は抑圧や脅迫、武力行使なしで協力して解決すべきだと中国を牽制。

被爆67周年原水禁世界大会が開かれる
原子力利用支える「核社会」を問う大会に

国際会議でエネルギー政策を討議
脱原発運動の新しい一歩を示す

政策を歪めてきた原子力偏重が初めて変わる可能性
エネルギー・環境戦略見直しと核燃料サイクル


被爆67周年原水禁世界大会が開かれる
原子力利用支える「核社会」を問う大会に

 被爆67周年原水爆禁止世界大会は、7月28日の福島大会からスタートし、8月4日~6日の広島大会、そして8月7日~9日を長崎大会として開催しました。福島大会から長崎大会まで多くの報告や議論を積み重ね、大会以降の様々な闘いや取り組みに展望と確信を与えることができました。
 今年の原水禁世界大会は、昨年に引き続き「『核社会』を問う」ものとし、原子力の軍事利用や商業利用(平和利用)も含め、それを支える「核社会」そのもののあり方を問うものとしました。特に、福島第一原発事故が与えた国内外への影響は大きなもので、そのことを契機とした日本社会の変化が見えつつある中での大会となりました。

二度目の原水禁福島大会
 昨年3月11日の東日本大震災から1年5ヵ月が過ぎた今でも福島第一原発事故の収束は見えず、被災地の復興も放射能に阻まれ思うように進まぬ中で、二度目の原水禁福島大会となりました。
 冒頭、川野浩一大会実行委員長が「二度と再び悲惨な原発事故が起きないよう、全ての原発の停止を求めたい」と訴え、現地からの報告では、福島県平和フォーラムの五十嵐史郎代表から、事故後の福島の変化が報告されました。その中で、県の人口も減少し、1万人を超える子どもたちが県外に避難し、いまも16万人以上の避難者が生み出され、将来に対する希望が持てない現状に置かれていることが報告され、原発事故がいかに「過酷で無惨」なものかが訴えられました。
 また、専門家からの講演として、元原子炉プラント設計者の後藤政志さんからは、「福島第一原発事故の現状と課題」について問題提起がありました。原発事故はまだ収束していないこと、収束までには十数年もの長期に渡ること、その他にも課題が山積し、それを一つひとつ解決していくには、非常に大きな困難が伴うことが指摘されました。
 医師で、チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西で活動する振津かつみさんからは、ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリの経験からヒバクとどう向き合うかの提起があり、①県民の現在の健康と暮らしの保障、②放射線被害による回復できない損害と健康被害への補償、③脱原発による確実な未来に向けた保証と三つの補償(保障)の観点を示しました。

「福島の現実」を憂慮する声
 広島・長崎大会では、原水禁・連合・核禁会議の三団体での集会なども行われ、多くの参加者同士が交流を深めました。両大会を通じて、核兵器廃絶課題、脱原発課題、ヒバクシャの援護・連帯の課題の三つの課題を中心に、分科会やひろばなどの取り組みが行われました。また、子どもたちや若者の取り組みとして、「メッセージfromヒロシマ2012」や「ピース・ブリッジ2012inながさき」なども開催され、子どもたちは歌や踊りを楽しみながら、平和について考えました。

 脱原発課題の中では、多くの場面で福島からの参加者から、その実情が訴えられました。さらに分科会の中では、放射性物資の汚染の中で暮らす「福島の現実」を憂慮する声が多く上がりました。
 原子力資料情報室の西尾漠さんからは、簡単に言い切ることができない福島県民の葛藤について「放射線が健康に与えるリスクを、どのように考えたらいいかという信頼すべき情報は与えられていない。その中で被害者同士が、自らの生活をどうするかという選択の中で対立していく構図があり、一人ひとりの心に、本当はどうすればいいのかという判断の葛藤がある」と指摘されました。
 地震と原発、そして再稼働の問題については、各地で活断層の問題がクローズアップされる中、分科会でも大きな関心を集めました。地震大国の日本で「活断層上にある原発は決して動かすべきではない」ことが明らかになり、活断層などの問題がある石川(志賀原発)や新潟(柏崎刈羽原発)、北海道(泊原発)などの地元からも報告がありました。
 原発推進側は夏の電力危機を煽り、大飯原発の再稼働を強行しました。一方で多くの原発が停止したままでも、この夏を十分乗り切ることができました。原発がなくても電気は足りるし、脱原発社会は可能であることが証明されたのです。原発ゼロの脱原発社会へ向けたエネルギー政策の具体化も、今後の運動課題であることが確認されました。
 大会の中で、8月12日まで政府のエネルギー・環境会議が募集していた、エネルギー・原発政策への意見を求める「パブリックコメント」についても紹介があり、2030年の原発依存度の割合を0%にする「ゼロシナリオ」への意見の集中が訴えられました。圧倒的な0%支持を各地から上げることで、政府の政策に影響を与えていこうと提起されました。

ヒロシマ・ナガサキ、残された課題
 ヒバクシャ課題では、ヒロシマ・ナガサキの残された課題が取り上げられました。特に爆心地から12㎞圏内で原爆に遭ったにもかかわらず、旧自治体の境界を基準とする指定地域から外れているとして「被爆者」とは認められていない長崎の「被爆体験者」の課題が取り上げられました。被爆者健康手帳の交付などを求めているこれまでの「被爆体験者」訴訟は、6月25日の長崎地裁判決で、被爆体験者が被爆者に該当するかについては「高度な蓋然性の証明が必要」、内部被爆での健康被害に関しては「合理的根拠を欠く」として訴えが退けられました。判決は、爆心地から5㎞圏内しか健康被害はないとし、内部被爆を否定するものです。
 この判決の内容は、単に「被爆体験者」だけの問題ではなく、福島原発事故による健康被害にも大きな影響を与えるものであり、福島第一原発事故以降に見られた、放射線のリスクを矮小化する動きと同じものであることが指摘されました。どんなにわずかであっても、放射線によるリスクは存在することを基本にした運動が求められていることが確認されました。また、韓国の被爆者からは、在外被爆者の置かれている現状の紹介と、差別なき援護施策の実施の要求や、被爆二世・三世への援護施策の充実が訴えられました。

「核と人類は共存できない」の大きな流れ
 核兵器廃絶の課題では、東北アジアの非核化と安全保障政策を中心に議論と討論を進め、特に東北アジア非核地帯構想については、日米韓の軍事的関連が軍事演習のみならず、軍事情報の分野でも共有化が図られようとしている状況となっている中で、北朝鮮のこの間の行為が日韓の防衛体制の増強に口実を与え、それがさらに中国・ロシアによる軍備増強の名目ともなっており、東北アジアにおける軍事的緊張が高まる結果を招いていることが指摘されました。
 東北アジアの緊張緩和に向けた取り組みの緊急性、重要性が訴えられ、その一つに東北アジアの非核地帯化構想もあり、さらに今、大きな焦点となっている米軍用機MV-22オスプレイの配備は、設計構造上の問題だけではなく、沖縄への配備そのものが軍事的緊張を高める結果となることが訴えられました。
 東日本大震災と福島第一原発事故以降も、平和フォーラム・原水禁は原水禁世界大会の場をはじめ、あらゆる場面で「『核社会』からの離脱」と「一人ひとりの命に寄り添う社会と政治」を訴えてきました。大会開催前の7月16日には、東京・代々木公園で「さようなら原発10万人」集会が開催され、17万人もの人々が「脱原発」を訴えました。これまでの大会で、私たちが常に訴えてきた「核と人類は共存できない」ということが、世の中の大きな流れとなってきたことを確信できた今年の原水禁世界大会でした。


国際会議でエネルギー政策を討議
脱原発運動の新しい一歩を示す

 2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う、東京電力・福島第一原発事故は、世界の反核運動にとって大きな転機となりました。世界的に脱原発運動が広がる中、7月16日には「さようなら原発10万人集会」が東京・代々木公園で開催され、国内外から日本で開催された脱原発関連の集会では最多となる、17万人が参加しました。
 こうした高揚する脱原発への思いを胸に抱きながら、被爆67周年原水爆禁止世界大会は、7月28日の福島大会を皮切りに8月9日まで、広島、長崎で開催されました。そして8月5日には、「脱原子力に向けた構想力―フクシマ以降の原子力」をテーマとする国際会議が広島市のアークホテルを会場に開催され、熱い討論が交わされました。
 パネリストにはベーベル・ヘーンさん(ドイツ緑の党・連邦議会議員)、キム・ヨンヒさん(韓国、脱核法律家グループ「ひまわり」代表)、伴英幸さん(原子力資料情報室共同代表)、松原弘直さん(環境エネルギー政策研究所研究員)を迎え、コーディネーターを原子力資料情報室の澤井正子さんが務めました。

フクシマの深刻な現状は変わっていない
 最初に、福島県平和フォーラム代表の五十嵐史郎さんから、福島第一原発事故以降の状況報告が行われ、「政府は原発事故の収束を宣言したが、実際は破壊された原発がいまもなお放射能を出し続けており、溶融した原子炉の状況は全く把握されていない。それどころか万一、電源喪失の事故でも起これば、再臨界の危険が存在している。4号機の使用済み核燃料プールも強い余震が起こって倒壊する危険も払拭されていない」と訴えました。
 また、政府の収束宣言は、大飯原発などの再稼働を意図して出されたとも考えられると指摘し、「野田佳彦首相は『国民の生活を守るために大飯原発を再稼働すべきというのが私の判断。私が責任を取る』と述べたが、福島県民の生活を守ることに誰も責任を取っておらず、無責任な発言だ。現在もなお16万人の福島県民が故郷を追われ、避難生活を余儀なくされている。県外に6万人、子どもだけで18,000人が放射能を恐れて避難しており、さらに増え続けている」と力を込めました。
 こうした福島の深刻な報告を聞いた後、藤本泰成大会事務局長によるキーノート・スピーチが行われました。

再生可能エネルギーは最も安価なエネルギー
 その後、各パネリストによる問題提起と討論が行われました。ドイツのベーベル・ヘーンさんは「ドイツ、ヨーロッパの状況とフクシマ以降の変化」について、韓国のキム・ヨンヒさんが「韓国から見た日本の原子力政策とその影響」について、伴さんが「日本の原子力政策とその行方」、松原さんが「脱原子力に向けたエネルギー政策の可能性」についてそれぞれ報告・討論を行いました。
 初めにヘーンさんが、「10年前、ドイツでは原発が発電の30%を占めていた一方で、風力、太陽光、バイオマスの全てを合わせて、再生可能エネルギーはわずか1%しかなかった。しかし『再生可能エネルギー法』を制定し、2010年までに再生可能エネルギーが12.5%のシェアを持つように計画を立てた。実際には17%のシェアを獲得し、最近では20%を超えている。また40万人の新しい雇用(グリーンジョブ)を作り出している」と、ドイツ国内でのエネルギーを取り巻く状況の変化について解説しました。
 さらにヘーンさんは、「電力会社は再生可能エネルギーになると価格が高くなると宣伝した。しかし、再生可能エネルギーはドイツの『固定価格買い取り制度』によって保障され広がっていった。確かにこれは電気料金を上昇させる結果を招いたが、やがて人々は原発事故や放射能への心配を軽減させ、また枯渇が言われている石油の未来を心配することもないと理解した」と、人々が長期的にみれば、再生可能エネルギーが最も安価なエネルギーであることを理解するようになったと訴えました。

いまこそ原発ゼロへ向かって
 伴さんは、福島第一原発事故によって、2030年までに14基の原発を増設し、核燃料サイクルを推進するとした2010年策定のエネルギー基本計画が、根底から見直されることになったこと。そして、これまでの国のエネルギー政策を転換するまたとない機会がいま訪れていると指摘しました。
 また、国家戦略室によってエネルギー・環境会議が発足し、7月2日から8月12日まで、2030年のエネルギー・環境に関する三つの選択肢(原発依存度を軸に「①ゼロシナリオ」「②原発依存度を15%にする『15シナリオ』」「③同じく20~25%にする『20-25シナリオ』」を提示し、国民の意見を聞く「パブリックコメント」が実施されることにも触れて、「原発を廃止し、核燃サイクルを停止するためにはゼロシナリオしかない。私たちはゼロシナリオ支持の圧倒的な声を寄せなければならない。この秋、原子力規制委員会が発足するが、規制委員には『原子力ムラ』出身の委員が多数を占める恐れがあり、国民は注視しなければならない」と訴えました。
 なお伴さんの資料には、エネルギー・戦略会議の「コスト等検証会議」試算資料も添付されました。これまでの発電原価(原発建設費、ウラン燃料費、人件費など運転管理費)に加えて、政策経費(立地交付金、もんじゅ等の研究開発費など)、事故リスク対応費用(賠償・除染・廃炉費用)などを加算すると、最低でも8.9円となり、これまで5~6円であるとされてきた原発の発電コストは、約2倍に跳ね上がることが明らかにされました。

すぐにでも脱原発は可能だ
 松原さんは、20世紀が自動車産業の世紀であったとするなら21世紀は自然エネルギーの時代だとし、「すでに世界はそのように動いている。日本だけが大幅に遅れていたが、昨年の福島第一原発事故を受け、ようやく再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度が実施され、全国的に産業としての再生可能エネルギー事業が始まった。まだまだ課題は多いが、新しい時代が始まった」と、環境エネルギー政策研究所が提案している自然エネルギーを2020年に電力の30%、2050年には100%を目標とする、中長期的なエネルギーシフトのシナリオなどの図表を示しながら、具体的に脱原発の生活をすぐにでも始めることができると説明し、参加者の共感を得ました。
 今年の国際会議は全体的に短い時間の中で、深い内容の報告・討論が行われただけに、やや消化不良の感もありましたが、原水禁として脱原発運動の新しい一歩を踏み出したことを示す会議になったと言えるでしょう。

被爆67周年原水爆禁止世界大会《記録集》
講師・海外ゲストが「平和と核軍縮」「ヒバクシャ問題」「脱原発社会の選択」などのテーマで語った内容を掲載。
◎1冊1,500円(送料込み)/◎発行:10月予定。
◎申込先:原水禁 FAX 03-5289-8223


政策を歪めてきた原子力偏重が初めて変わる可能性
エネルギー・環境戦略見直しと核燃料サイクル

新しいエネルギー基本計画をつくる最終段階へ
 これまでエネルギー政策は、国会での議論もほとんど無く、経済産業大臣の諮問機関である総合資源エネルギー調査会で決められたことが、ほぼそのまま国策として通用してきました。審議会自体、事務局である官僚のまとめた原案を形式的に承認するのみに近い状態でした。3.11以降は、曲がりなりにもこれを変える力が働いています。
 菅直人前首相の設置した「エネルギー・環境会議」の枠の中で、中長期的エネルギー政策の根本的見直しが行われ、その中に位置づけられたエネルギー調査会の基本問題委員会、原子力委員会など各審議会の中には多勢に無勢ながらも原子力に慎重な立場の委員も入って、審議もネット中継され、資料も公開されるなど、従来とは様変わりしています。
 もちろん、既得権側の抵抗は大変強く、事務局の官僚が意図的に「論点整理」し、ベストミックスなるキーワードで原発推進政策の温存を図ってきました。6月末に出された「エネルギー・環境に関する選択肢」では、2030年の原発依存度によって0%、15%、20~25%の三つのシナリオが示されました。いま新しいエネルギー基本計画をつくる最終段階に入っています。

8月12日までに9万弱のパブリックコメント
 全国11ヵ所での意見聴取会や、パブリックコメント(意見)募集を8月12日まで行うなど、エネルギーの未来が国民的議論で決まるとされています。これを現実とするには、これからのエネルギー政策決定プロセスに関与し続けることが肝心です。選択肢の提示がずれ込んだまま、「国民的議論」の期間を短縮し、さらにパブコメや意見聴取会での意見をどう扱うかも公開しないまま、閣僚のみの「政治判断」で原子力含めたエネルギー政策を決めてしまうことは許されません。
 選択肢の全てで、省エネや再生可能エネルギーに消極的であり、省電力が1割固定では低過ぎです。再生可能エネルギーもより早く積極的にシフトするべきです。原発をゼロにする時期に関しても、明確に示されていませんが、設備容量が足りているのですから、電力会社の恣意的経営にまかせず、発送電分離を含めた電力システム改革を直ちに行い、関西電力に見られるような原発依存体質を改めるのが先決でしょう。ヒロシマ・ナガサキ、フクシマを体験した日本は、民主的な議論の上で、エネルギー・デモクラシーをつくり出すべきです。

原発ゼロで核燃料サイクルを止めよう
 選択肢の議論の中から意図的に外されているのが、再処理などの核燃料サイクルです。「ゼロシナリオ」のみが再処理中止を含み、その他では自動的に再処理の続行に結びついてしまいます。さらに、核燃料サイクルについては政府が決めるとされているのです。
 元々、絵空事だった「使った以上の核燃料を高速増殖炉でつくり出す」という国策である「核燃料サイクル」は、解決策の無い使用済み核燃料をどうするかという問題を先延ばしにする役目しか果たしませんでした。結果としてプルトニウムを45トンも溜めこみました。使用済み核燃料は、六ヶ所再処理工場の貯蔵プールに運び込まれていますが、ほぼ満杯です。各原発サイトの使用済み核燃料プールも、保管容量の合計の7割近くが埋まっています。
 原発が稼働していなくても、使用済み核燃料がプールにあるだけで危険な事が福島第一原発の事故で明らかになった今、既存の使用済み核燃料は、より安全な乾式貯蔵で管理すべきです。六ヶ所再処理工場が本格稼働すれば、核兵器1,000個分ものプルトニウムが毎年取り出されることになります。核保有国以外で唯一、再処理を進めている日本は、安全保障を核兵器に頼ろうと考える世界の国々に、「平和利用」で核兵器物質を保有する先例を示すことになってしまいました。これ以上プルトニウムを増産し、核テロの脅威も高めることは、あまりにも世界の現実から乖離しているのではないでしょうか。
 これまでの原子力大綱の見直しの中で、プルトニウムを取り出す再処理をしない「直接処分」(そのまま貯蔵すること)のほうが数兆円も経済的であることが明らかになっています。将来世代に使用済み核燃料の重い負担を負わせ、放射能汚染のリスクも押し付ける原発は、もはや倫理的に許されるべきではありません。2030年までと言わず、直ちに原発ゼロを達成するべきです。

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