2012年8月アーカイブ
日本側代表は本協議では拉致問題を公式議題とするよう求め,正式協議で議題とすることに合意と公表.北朝鮮は合意存在しなかったと反論。
クリントン国務長官の諮問委員会(委員長・ペリー元国防長官)がサイバー空間における中国との偶発的衝突を避けるため、専用ホットラインの設置やサイバー協定の締結などをオバマ政権に求める勧告案をまとめる。
8月25日、渋谷「宮下公園」を集合場所に、「再処理とめたい!定例デモ」が開催され、厳しい残暑の中、70人が参加しました。このデモは、原水禁も参加している「再処理とめたい!首都圏市民のつどい」が主催して、約8年前からほぼ毎月行われているものです。最近は、さようなら原発1000万人アクションの集会やデモとの連携が続き、久しぶりの単独開催となりました。定例デモと合わせて、毎月第4水曜日の18:30からは、「経産省別館前行動」も続けれられており、ニュースの配布や担当者への直接申し入れなどを行なっています。(こちらもどなたでも参加できます)。
米ニュースサイト「ワシントン・フリービーコン」などが、中国が7月14日に最新型の大陸弾道ミサイル「東風41」(最大10個の多段頭ミサイル、射程1万数千キロ〕の実験を実施したと伝える。
将来の展望も見えないのに…
再処理工場のガラス固化試験の中止を!
六ヶ所再処理工場は、高レベル廃液ガラス固化施設のガラス溶融炉の試験を再開しました。これまでB系列での、不溶解残査を含んだ実廃液による事前確認試験を実施し、7月27日に終了しました。また、これまで長期に渡って停止していたA系列についても、8月17日に模擬ビーズを用いた下流確認作業が開始されました。今後も試験の動きに注視する必要があります。
六ヶ所再処理工場は、度重なるトラブル(表1)でその完工の時期がこれまで18回にも渡り延期を重ねてきました。そして、今年10月の完工が予定されていましたが、今回も完工は困難であり、またも延期されることは確実となっています。地元である青森県からも、度重なるトラブルで延期されることに対して、「六ヶ所再処理施設のガラス固化試験には、わが国の技術陣の総力をあげて取り組んでいるものと考えるが、国内外の世界的知見を総動員してスケジュールこだわることなくじっくりと腰を据えて取り組むこと」と、釘を刺される始末です。しかし、問題の本質は、「じっくり腰を据えて取り組む」ことではなく、事業の失敗を認め、工事の中止をはかることです。
延期を重ねる再処理工場は、その間には福島第一原発事故が起こり、原子力をめぐる環境は一変しました。原発の大半が停止する中で、プルサーマル計画も、高速増殖炉計画も実質的に頓挫しています。さらにエネルギー政策も、現政権が進めているエネルギー環境会議で示された、2030年のエネルギーシナリオ「0%」の支持が圧倒的多く、原発そのものの存続自体を、国民の多くが望まない状況が明らかになっています。
2030年「0%」でなくても、「脱原発依存」政策を採り続ければ、再処理工場の存続する理由はありません。今後、エネルギー環境会議での議論がどのように推移していくかは注目されますが、国民多くは「0%」シナリオ支持の声が強く、簡単には無視することは出来ないはずです。それでも再処理を続けようとするならば、国民の前に具体的な利用計画を示すべきですが、実現性に乏しいことは明らかです。
現在、国の原子力政策の大綱を決める策定会議は、エネルギー環境会議の議論が終わるまでは、動けない状況にあります。3.11以降の状況に対応した六ヶ所再処理工場を含めた核燃料サイクルの方針は、未確定なまま現在にいたっています。責任の所在もあいまいなまま、旧来の路線を踏襲しながら、事業を進めています。その一つが、六ヶ所再処理工場のガラス固化施設の試験再開です。
先の見通しも立たない中で、ただ粛々と工事や試験を進めて、既成事実だけを積み上げていくことは、今後の原子力政策を議論する際にも大きな妨げとなるものといえます。まして、将来の展望が見えない再処理事業に、これ以上私たちの電力料金を費やすムダを続けさせること自体も大きな問題です。
私たちは、「ガラス固化試験の中止を!」そして、「再処理からの撤退」を要求します。未来のない再処理にこれ以上固執することなく、オープンな原子力政策の議論を求めます。
【表1】再処理工場の各種試験期間とトラブル等発生数
通水作動試験 2001年4月20日~2002年11月 1,252件
化学試験 2001年11月1日~2004年12月 802件
ウラン試験 2004年12月21日~2006年3月 261件
アクティブ試験 2006年3月31日~2012年7月10日 497件
大 会 宣 言
ヒロシマ・ナガサキに原子爆弾が投下された67年前の8月6日と8月9日。生きとし生けるものすべてに未曾有の悲惨で残酷な破壊をもたらした実相と、放射線障害に多くの人たちを苦しめてきた体験を忘れてはなりません。私たちは毎年、被爆地に集い、あの日のことを語り継ぎ、再びヒバクシャを生み出さないことを誓ってきました。
しかし、2011年3月11日の東日本大震災で生じた東京電力福島第一原発事故は、1年5ヶ月近く経っても未だに収束せず、各地に飛散した大量の放射性物質による環境汚染は、人々から故郷を奪い生活の基盤と雇用を奪い、新たにヒバクシャをつくりだしました。私たちは、事故をふせげなかったことに、強い反省と憤りを感じます。
福島第一原発事故は国策による「人災」です。経済優先の中で原発政策を推進し、安全性をないがしろにしてきた東電などの電力会社、歴代政府、そしてそれを支えてきた研究者、報道関係者の責任は重大です。東電・政府に対し、事故の謝罪はもちろん、現在の生活や将来の健康への保障をはじめ、「国家補償」の精神に基づく3つのホショウ(補償・保障・保証)を求めていかなければなりません。
7月16日、東京代々木公園の「さようなら原発10万人集会」に史上最大17万人の結集、800万筆に達した「さようなら原発署名」をはじめ、日本全体で脱原発への動きが強まっています。にもかかわらず野田首相は昨年12月に福島第一原発事故の収束宣言をだし、今年7月には事故以来停止させていた大飯原発3・4号機を再稼動させました。脱原発への想いと世論を踏みにじる行為であり、強く抗議します。原発推進派は、大飯につづき、柏崎刈羽をはじめ各地の原発で再稼働をねらっており、許してはなりません。もっとも危険なプルトニウムを利用する、高速増殖炉「もんじゅ」および核燃料再処理工場を廃棄させましょう。原発の新規計画を中止し、浜岡をはじめ既存の原発を廃炉にさせましょう。
脱原発を実現し、自然エネルギーを中心とした社会をめざすことが求められています。省エネルギー・自然エネルギーを中心に据えた、エネルギー政策への転換を早急に始めさせましょう。政府が「国民的議論」のため提示した2030年の原発依存度の3つの選択肢のうち「0%」に市民からの圧倒的な声を結集しましょう。「さようなら原発1000万人アクション」を全力で成功させましょう。
オバマ大統領の「核兵器なき世界」声明などに呼応したNATO(北大西洋条約機構)の「消極的安全保証」導入などの前進の一方で、米国は臨界前核実験の継続や、早期発効が求められる包括的核実験禁止条約(CTBT)の未批准などの問題をかかえています。日本も、政治家の「潜在的な核抑止力」発言や原子力基本法への「安全保障に資する」との記述など、プルトニウム保有と関連して核拡散・核武装に関わる危険な動きが起きています。核兵器廃絶への動きを加速させるためにも、平和市長会議の「2020ビジョン」などと連携したとりくみをいっそうすすめ、被爆国である日本が米国の「核の傘」に依存するという矛盾した政策を脱却させ、「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定し、「東北アジア非核地帯」化に向けてとりくみを強化しましょう。沖縄県民にオスプレイ配備など米軍基地の重圧を強いる施策を止めさせましょう。
ヒバクシャをめぐる課題は、いまも、被爆体験者、被爆二世・三世、在外被爆者、原爆症認定など、いまだに支援を求める多くの被爆者が残されたままです。被爆者は高齢化しており根本的解決が急務です。国交のない在朝被爆者はまったく放置されています。被爆二世・三世や被爆体験者については、支援の充実とあわせて、被爆者援護法の対象とすること、日本の戦争責任と戦後補償の問題として国家補償を明記する改正を求めましょう。
核被害に「軍事利用」「商業利用」の区別はありません。原水禁初代議長の森瀧市郎さんが1975年に提起した「核と人類は共存できない」「人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されていない」という原水禁運動の原点をもとに、私たちは、核被害を根絶するため、核社会・核文明を問い、フクシマの地で苦しむ人たちや、世界のヒバクシャと連帯し、暴力と殺りくが繰り返される世界を変え、対話と共存・命の尊厳を基本にした「核も戦争もない21世紀」を実現し、子どもたちに贈るとりくみを全力ですすめます。
あらためて私たちは宣言します。核廃絶は可能だ! そして、脱原発は可能だ!
ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ、ノーモア・ヒバクシャ、さようなら原発!
2012年8月9日
被爆67周年原水爆禁止世界大会
被爆67周年原水爆禁止世界大会は、8月9日、長崎大会のまとめ集会を行い、全日程を終了しました。まとめ集会には全国から2000人が参加し、核廃絶と脱原発運動をさらに発展させることを確認しました。集会と非核平和行進の模様をダイジェストにビデオにまとめました。(9分27秒)
被爆67周年原水爆禁止世界大会は、8月9日、長崎大会のまとめ集会を行い、全日程を終了しました。まとめ集会には全国から2000人が参加し、核廃絶と脱原発運動をさらに発展させることを確認しました。
集会で主催者を代表し、川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)「原爆も原発も同じ核だ。国民の世論は脱原発に向かっている。私たちはこの先頭に立とう」と呼びかけました。オスプレイの配備問題を抱える沖縄から、屋良チエミ宜野湾市議会議員が「沖縄県民一丸となって、危険なオスプレイの配備を許さない。本土でも飛行訓練がある。みんなで阻止しよう」と訴えました。また、福島からは渡部英明・福島県平和フォーラム事務局長が「原発事故で16万人が避難を余儀なくされている。原発は原爆と同じく人道に反するものだ。福島は脱原発の先頭に立つ」と決意を述べました。
高校生のアピールでは、今年の第15代高校生平和大使に選ばれた、福島や東北の被災地を含む国内からの16名と、ブラジルからの代表2名が顔をそろえ、国連欧州本部で核廃絶を訴える決意を語りました。また、長崎を初め、全国で核廃絶の署名運動を進める高校生も抱負を述べました(写真左)。
海外ゲストを代表し、ドイツ連邦議会議員で緑の党副会長のベーベル・ヘーンさんが、「世界中で原子力の夢は終わっている。それに代わるエネルギーはある。必要なのはそれを進める政治的意志だ」と脱原発に転換したドイツとの連携を呼びかけました。
大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長が行い、再稼働を許さず、脱原発への政策転換を勝ち取るとともに、ヒバクシャ援護、核廃絶、オスプレイなど、大会で出された問題に正面から立ち向かうことを強調しました。
最後に「核も戦争もない21世紀を実現し、子ども達に贈るとりくみを全力で進める」との大会宣言を満場の拍手で採択しました。
集会後、海外ゲストを先頭に、爆心地公園まで非核平和行進を行いました。(写真右)。爆心地公園では川野議長が献花を行った後、原爆投下時間の11時02分に全員で黙とうをして、全日程を終えました。
被爆67周年原水爆禁止世界大会・長崎大会は、8月8日に第2日目を迎え、分科会やひろば、フィールドワークなどに分かれて、討議や報告、交流などが行われました。
分科会では、昨年の福島原発事故を受けて「脱原子力」に関する分科会が3つに分かれて開かれ、原発に代わるエネルギー政策のあり方、各地での原発再稼働の動きと反対運動の報告などが行われました。中でも、ドイツ・緑の党のベーベル・ヘーンさんはドイツでの2022年までの原発全廃に向けた動きを説明しました(写真上左)。
また、平和と核軍縮に関する分科会では沖縄へのオスプレイ配備問題や東北アジアの非核化の動きなどについて、アメリカや韓国の海外ゲストも含めて討議しました(写真上右)。
さらに、ヒバクシャ問題でも、世界の核被害の現状、韓国・朝鮮などの在外被爆者問題、被爆二世・三世問題など、海外ゲストの報告も含めて認識を深めました。このほか、被爆地・ナガサキの実相を学ぶ分科会も開かれました。また、「ひろば」でも被爆者との交流などが行われました。
分科会以外では、「子ども平和のひろば」では、子ども達が被爆体験の話を聞いた後、原爆資料館を見学し、「核は恐ろしい。福井での原発再稼働にも反対する」(福井から参加の子ども)などと感想を述べていました。また、高校生や大学生などでつくる実行委員会が企画する「ピース・ブリッジ2012inながさき」では、昨年の大震災で被災した東北の高校生も参加し、被災地の現状などを報告しました。(写真下右)
フィールドワークでは、被爆の遺構めぐりが4つのコースに分かれて行われ、今も街の様々な所に残る被爆の実相を語る遺構を回りました(写真下左)。このほか、佐世保の基地めぐりや軍艦島(端島)へのフィールドワークも行われました。
連合・原水禁・核禁会議による「平和シンポジウムin長崎」は、「2015年NPT再検討会議の課題」をテーマに、民主党や外務省、研究者などが討論を行いました。
長崎大会は9日にまとめ集会、非核平和行進を行い、3日間の日程を終えます。
見て、聞いて、学ぼう“ナガサキ”―入門編
証言と映像による被爆の実相と平和運動交流
会場 長崎市「ncc&スタジオ」
講師 西岡由香さん(漫画家)
被爆証言 山川剛さん(長崎県被爆教職員の会)
DVD「君たちは原爆をみたか」を見て、原爆投下から現在に至る原発を含む核開発と事故の歴史を学びました。
その後、被爆者証言として、当時の社会の様子、8月9日当日の様子、被爆者の願い、そしてその願いはかなえられるのかの4つの柱で講演されました。当時はぜいたくが敵であること、校庭で竹やり訓練をするなど、学校で人の殺し方を教えたこと、「人の命は鳥の羽より軽い、喜んで命を捨てろ」と戦争は人の命を粗末にし、軽く見ていたことなど、現在とは違う現実を実体験として語られ原爆が投下された日の行動など生々しく語られました。今被爆者としての願いは「二度とヒバクシャをつくらないこと」であり、人によっては核兵器廃絶など無理という人もいるが、スイス、スウェーデンのように200年近く戦争をしていない国もあり、そうした国の仕組みを学ぶことで可能になるのではないかと思うし、長崎では行動の一つとして高校生が「微力だが無力ではない」を合言葉に署名活動に取り組んでいる姿を見ると被爆者としての願いは必ずかなえられると信じている。皆さんにもできる行動として今日聞いたことを地元に戻って伝えてほしいと要望で締めくくりました。
この後、会場から、高校生は無力ではないという言葉に励まされた。この後、山形に戻って今日の話を伝えていきたいとの感想があり、また、島根からの参加者からは島根原発を抱えているが講師は原発をどう考えているのかという質問があり、講師からは、「原発(原子力発電)」よりは「核発電」のほうがふさわしいのではないか。今まで被爆者として核兵器廃絶に較べ原発に対しては取り組みが弱かったのは事実であり、今後は、核廃棄物など後始末を考えていないような後世に対して無責任であり、「犠牲のシステム」と言われている原発はなくすべきとの発言がありました。最後にこれまでは被爆の悲惨さを伝えて希望を語ってこなかったが、これからは希望も語っていきたいとの言葉で講演は終了しました。
引き続き運動交流として福島からの報告として、講師の今の話を聞いて今の福島はまさに戦争の中にいて非
常に息苦しい状態にあると感じたという感想の後、以下のメッセージが伝えられました。
福島避難者からのメッセージ
目を凝らしましょう。見えない放射能に。
事故発生5日間で放出された放射性物質は77万テラベクレル。チェルノブイリ事故の7分の1。広島原爆約470個分のセシウムが環境中に解き放たれてしまいました。そして毎日、空へ、海へ、大地へ大量の放射能が流れ出ています。それは生き物に入り込み蓄積しています。
目を凝らしましょう。今、生命を削りながら必死の作業を続けている人たちがいます。大量の被曝を強いられ、恐怖と疲労の中で私たち社会の命運を賭けて働く人たち。愛する息子が今日も原発復旧作業のために家を出て行くのをたまらない気持で見送る母親がいます。
目を凝らしましょう。今たくさんの人々が、被曝を強いられて生活しています。チェルノブイリ事故後、強制避難区域となった地域と同じレベルの汚染地域で人々が普通の暮らしをするようにと求められています。次々と見つかるホットスポット、除染しても戻ってしまう放射線量、不安を口に出せない重い空気、後からわかる様々な事実。いつしか人々は疲れ果て、放射能への警戒を手放していきます。大丈夫なのかもしれない・・・人々は村に帰り、田植えをします。子どもたちは復興の象徴。運動会で校庭を走り、鼓笛パレードで汚染された街へと繰り出します。
目を凝らしましょう。
今、子どもたちの未来を守りたいと、。必死に行動する大人たちがいます。たくさんの人々がいのちと最小限の荷物を持ち、避難しました。フクシマの子どもたちは、全国各地に迎えられ、夏の保養に出かけていきます。
市民放射能測定所を作り、危険の食べ物を避ける試みが行われています。安全なお米や野菜が各地から汚染地へと届けられています。内部被曝のリスクをきちんと認識し、人々の側に立った医療者や科学者のネットワークがつくられつつあります。診療所を作ろうと奔走している人々がいます。
原発事故被害者を支援する法律がつくられ、具体的な施策を実現させようと働き続ける議員や市民がいます。
過ちを繰り返さない願いを込めて、原発事故の責任を問う様々な裁判、そして福島原発告訴団が立ち上がっています。
これ以上事故の危険と被曝と核廃棄物を作ることは間違っていると原発再稼働に反対する、たくさんの、たくさん人々の熱い行動があります。
目を凝らしましょう。
ここ長崎で今も消えない67年前に投下された原爆がもたらした影。67年もの間、強いられてきた人々の苦しみ、人体実験、データの隠ぺい、捻じ曲げられる研究、被曝者との分離と差別。
戦後の復興の陰でたくさんの人々が被爆の後遺症と内部被曝による障害に苦しみながら声もなく亡くなっていきました。
耳を澄ましましょう。
ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマ核の惨禍の中から、勇気を持って声をあげ続ける被爆者たちがいます。犠牲を強いる力に渾身の力で抵抗し、人間の尊厳を叫んでいます。
耳を澄ましましょう。
自分の心の声に。
私たちは涙を止めることはありません。
こんなに悲しいことが起きたのですから。
心から泣き、嘆き、悔み、悼みます。
私たちは涙を恐れません。
私たちが恐れるのは嘘です。幻想の上に街を再建することです人々が被曝し続けることです。そして声なき無実の生命たちの未来が失われていくことです。
私たちは変化を恐れません。
恐れるのは悲劇を直視せず、悲劇を生み出した社会に固執し続けることです。
大きなもの、効率、競争、経済的利益、便利さ・・・そうしたものを私たちは問い直します。科学も数字も全て、私たちの生命のために奉仕するべきであって逆ではありません。
私たちは別のあり方を求めます。無数のいのちの網目の中で生きる。
私たち人間のいのちを守る、別の価値観と社会を求めます。
私たちの中の「原発」に私たちは気づいています。
私たちはそれを乗り越えていきます。
私たちは声をあげ続けます。
私たちは行動し続けます。
人間性への深い信頼を抱き限界なくつながり続けます。
再び目を凝らしましょう。
未来の世界に。
人々が放射能に怯えることなく、地球という自然に調和し、つつましく豊かに暮らす世界の姿に。
今日みなさんと歩む一歩一歩の先に、そうした未来があると信じています。
以上
この後、講師による学習会では講師の体験談をもとに核廃絶、脱原発運動を自分の分野である漫画を通して取り組んでいることが紹介され、それぞれの分野で取り組むことができることを学びました。時間の関係で質疑は行いませんでした。
最後に今日聞いたこと、学んだことを明日から伝えていくという行動をおこすことを確認し、分科会を終了しました。
会場 長崎県勤労福祉会館
講師 振津かつみさん(医師/チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西)
分科会は、丸尾育朗長崎県被爆二世の会会長の「福島事故を受けて、核の連鎖をいかにして止めるかと、二世三世の今後の取り組みをどう構築していくかを討論の柱としたい」というあいさつにより開会した。
まず丸尾会長が「被爆二世が置かれた状況と思い」と題して、国は直爆以外は、被爆者として認めない現状の中で、二世を「第五の被爆者」として認めさせるたたかいの報告と、福島事故をめぐる状況について説明をされた。
次に振津さんが、放射線の遺伝的影響について、動物実験においては、明らかにされているが、国はそのことを認めないことや、福島事故においては、住民の被爆は国や行政がしっかりした対応をとっていれば、防ぐことができた。国は国家補償として謝罪をして責任を果たすべきであると述べた。
福島の住民は、被爆していることを現実に受け止め、広島・長崎の経験を活かして、運動を推進することが必要であると説明した。
続いて平野克博全国被爆二世協事務局長が、二世協の取り組みとして国に対して二世の実態調査の実施や健康不安の解消(がん検診の実施、医療措置、手帳の発行)を求めていることを説明した。
また、全国各地で二世の会の結成に向けた動きがある。私たち二世は放射線の影響が政治的・科学的に証明されていない中、中途半端な気持ちで生きている。平和運動の継承を行うために、全国各地で二世の会の結成をめざして、運動の拡大をはかるべきと述べた。
参加者討論では、熊本から本年11月25日に二世の会を結成することの報告や、宮崎での相談会実施で多くの課題が浮き彫りにされたこと、大分、鹿児島の取り組み報告が行われた。特に鹿児島では、二世の無料検診の受信率が悪かったことに対して、病院を増やすなどの取り組みを行い、運動の前進として、受診率を上げる取り組みを進めている。
二世三世問題の今後
全国各地に二世の会を結成して、運動・取り組みの拡大をはかり、諸課題の解決をめざすことが重要である。そのためには、被団協などからの財政支援など、被爆者の支えも必要である。
しかし、二世が自覚を持った上で、「二世が三世であれるように」一歩ずつ前進する取り組みを推進し、被爆体験を継承し、二世の健康を守る制度の確立と、今後2度と被爆者を作らせないことを実現するためにできるところから行っていく。
会場 長崎市「自治労会館」
講師 高實康稔さん(岡まさはる記念館理事長、長崎大学名誉教授)
海外ゲスト カク・キフンさん(元韓国原爆被害者協会会長)
チャン・テホンさん(韓国原爆被害者協会釜山支部)
質疑・討論
韓国から参加(若い方):日本の被爆者と在外被爆者とが連帯した運動・活動について教えてほしい。
カクさん:他の被爆者団体と協力した運動は少ない。
日本においては、韓国人に対する援護の拡充については、運動が広がりにくい状況にある。
韓国政府からは、私(郭)の運動にたいして勲章が授与された。赤十字からも評価されている。
チャンさん:大規模ではないが、長崎と釜山の学生により年1回協力した核反対の運動を行っている。
カク・キフンさんの講演要旨
・ご自身の被爆体験(広島)について
・韓国人の被爆者は、推定で7万人(広島・長崎)と言われているが、実際はもっと多い。
・日本の侵略戦争責任の一つとして、強制連行がある。
・当時から現在までも、韓国人に対する差別が続いている。
・裁判闘争についての経過報告
・日本の責任について、日本の皆さんとも認識を一つにして、問題解決に向けて引き続き、皆さんと共に頑張っていきたい。
チャン・テホンさんの講演要旨
・ご自身の被爆体験(長崎・15歳)について
・その後、韓国へ移り住む。これまでの間、そして今日も大変な苦労をしてきた。
会場 長崎市「NBC別館3Fビデオホール」
講師 豊崎博光さん(フォトジャーナリスト)
瀬川嘉之さん(高木学校)
海外ゲスト アントン・ブドビチェンコさん(ロシア/NGO「チェルノブイリの子どもたちのために」)
第5分科会は、「世界の核被害と内部ヒバクを考える」をテーマに、フォトジャーナリストの豊崎泰光さんからは、1940年から始められた人類初の米国によるマンハッタン計画(原爆製造計画)以降の核被害の現状として、ウラン鉱石の採掘に伴い、初めての核被害の犠牲者が先住民族であったことや、その後、世界各国における核被害の実態、とりわけ初の核爆発実験(長崎に投下されたものと同じ)では55km先の牛のヒバク、4万km離れた写真関連会社のフィルムの感光など、その影響がすでにわかっているにもかかわらず、使用されてきたこと。
そうした核実験により死の灰は地球全体被害ともいえる事態になってきていることが述べられ、加えて原子力発電の初の起動はイギリスであることや、それが日本に入り、平和利用として区別され、「事故は起きないもの」としてすり替えられてきた事実についても報告されてきました。さらに多発する海上での核実験は月日が経って放射性物質の数値が減少しても、実際は海底深くに蓄積しているだけのものであり、70年前から、たくさんの核に伴うさまざまな放射性物質が地球に捨てられてきたことに対して、「ラクダはいくら丈夫といっても、最後はワラ一本が限界となる」を例に同じように放射性物質も増え続けてしまっている。しかし今後、福島の問題も含めてどう補償をしていくのかも課題であることが述べられていました。
また、高木学校の瀬川喜之さんからは、放射性物質は有害物質であるにもかかわらず、この間、さまざまな専門家の意見として科学者・学者がマスコミ政治の場でも登場する。しかし彼らは自分の分野の研究のみであり、どれだけ影響があるのかという広い範囲での影響まで理解しているのかは疑問を持つ。福島原発の燃料、使用済み燃料など、広島に投下された爆弾63kgの1300倍もあり、その量の大きさが原子力発電の問題でもある。
また、放射性物質は目に見えないこと、そしてヒバクには内部ヒバクと外部ヒバクの違いがあることや、ガンマ線など、その物質が残っている限り放射線を出し続けるものであり、本来、数cmしか届かない放射性物質も靴や服に一度付いたら、影響を受け続けることになる。それが人体へ影響し、DNAを傷つけるものであること、人体は細胞のかたまりで、元は1つのDNAが60兆個に分裂・増殖などコピーされ続けて人体が構成されているが、成長の著しい子どもたちにとって、その過程で傷つけられることになり治癒力はあっても、放射性物質による損傷など傷が多くなればなるほどミスも増え、分裂・増殖の段階で同じDNAをつくることができなくなることについても詳しく述べられていました。
また、放射線の影響力の範囲や、体内でも蓄積もあるが、土地などからの外部ヒバクの危険性は常に浴び続けることにあることでもありました。こうした中で放射能への対策として「増やさない。閉じ込める。遠ざける。離れる」など、自然界でも医療などそうだが、
会場 長崎市「県教育文化会館」
講師 前田哲男さん(軍事評論家)
田巻一彦さん(ピースデポ副代表)
海外ゲスト ポール・マーティンさん(米国/ピースアクション組織化・政策担当ディレクター)
スヨルさん(韓国/社会進歩連帯)
第4分科会は、核密約・核の傘・非核三原則、沖縄米軍基地のありかたなどについて学習・討論を行った。
4人の報告者からは三つの主な論点について語られた。一つ目は核兵器廃絶に向けた米を中心とする国際情勢については、「核兵器のない世界をめざす」としたオバマ米大統領は、緊縮財政の中で国防予算の削減にも実施したが、核関連予算は保守勢力(国防省等)の抵抗により、依然聖域化されている。また、米ロでの核兵器削減交渉では、その他の核保有国を巻き込むまでの削減目標とはなっていない。そうした中で米国の核の傘にある日本を含めた諸外国が核の傘は不要であるとの意思を明確にしなければ、核兵器ゼロの世界は待っていても来ない、そのために具体的な行動をすることが、東北アジアの不安・緊張を解き、ひいては核兵器廃絶向けたシナリオとなると訴えた。
2点目の北東アジアにおける非核地帯化構想については、日米韓の軍事的連携が軍事演習のみならず、軍事情報でも共有化が図られようとしている状況となっている。こうした状況は北朝鮮の好戦的行為が日韓の防衛体制増強に走る口実を与えるとともに、中国・ロシアにも軍備増強する口実ともなっており、北東アジアにおける軍事的緊張が高まる結果となっている。緊張緩和に向けてどのような取り組みが求められているか提言があった。
3点目のMV22―オスプレイについては、設計構造上からも問題があり、実戦配備については米国内からも非難の声が相次いでいるなかで、米国内ではできない低空飛行訓練を日本に押し付ける背景などの報告があった。
報告に対しては、限られた時間の中で、5人の参加者から計9点の質問があった。主な質問としては、日本の原子力基本法と安全保障に対する韓国の反応やオスプレイの飛行訓練頻度。核兵器ゼロにつながる具体的な行動についてなどであった。
原子力基本法の改定については、韓国国内では一般国民でも重要な課題としてみているが、その心理を保守派が利用していると述べた。また、オスプレイについては沖縄においては高江ヘリパッド場を利用して日常的に訓練が行われるが、本州においてもキャンプ富士などを拠点に、北は青森から九州まで、広く低空飛行訓練が行われると回答があった。
核兵器ゼロ行動については、ピースデポなどが取り組んでいる「北東アジア非核兵器地帯」への自治体首長による署名は402自治体にとどまっており、議会決議などを通じてもっと多くの首長が署名することで、核兵器廃絶への道ができるのではないかと解いた。
最後に座長からまとめとして、「核兵器を廃絶し、北東アジアにおける緊張緩和を進めるためには、直接民主主義や間接民主主義など様々な手法があるが、それぞれの国における大衆運動が結合し、運動を進めることが大事である。」と締めくくった。
会場:長崎市「長崎新聞文化ホール」
講師:藤井石根明治大学名誉教授
討論の要点と特徴
冒頭、講師の方より「被爆体験者訴訟の問題は、これから福島においても同様の問題が多数出てくるのではないか。」という指摘があり、「放射能は、北海道・九州以外の日本中に拡散されている。まずは1人一人が『どれだけ被曝しているのか』把握することが大切」そして、「これから汚染された中で生活していく事を考えると、おのずと『脱原発ありき』で考えていくべき。」といった提起が行われました。
一方で「電気が足りない」ということや、「レントゲンと同程度の被曝」ということも宣伝されていますが、これについても「省エネや電気の融通で今まで足りなくなった事はないし、被曝の問題も、今後は自然界放射線+人工的にまき散らされた放射線を持続的に浴びることになる。福島第一原発では、今でも人が近づけない程高い放射線値になっていて、中身がどうなっているのかすら分からないにも関わらず、政府は『収束宣言』を出している。安全が確立されないまま原発を動かすことの方が問題。」という指摘が行われました。
そして、この間、政府や電力会社は「安全・コスト安・クリーンエネルギー」の3つの神話をもとに原発を推進してきましたが、これについても「事故によって安全神話は崩壊、コストについても事故の際の補償費用や国からの補助金などが換算されておらず、また原発が止まっていても他の発電所からの電気で燃料を冷やし続けなければならず、どんどんCo2を排出している。」と指摘され、放射性物質をまき散らしても責任が問われず被害者が泣き寝入りさせられている事なども含めて、「いかに原発がリスキーかという事を改めて認識して行く事が必要では」という事も言われています。
次に、今後のエネルギー政策の在り方について、「まずは『大量生産・大量消費・24時間型社会』から『地産地消型・低エネルギー社会』を目指していくべき。その為には、化石燃料に頼らず、自然エネルギーを活用していく事が必要。」という事で、「NPOの試算によると、日本でも太陽光発電で原発30基分・風力782基分・地熱20基分・水力28基分もの発電量が見込まれ、供給量は十分ある。それぞれ安定していない部分はあるが、ベストミックスして運用して行けば十分やっていける。」という提案が行われました。
また、そうした施策を推進していく為にも「自然エネルギー割合の数値目標の設定」「環境悪化に対するペナルティ」「化石燃料・原発に対する補助金の段階的廃止」「自然エネルギー利用の義務付け」などの政策も求めて行かなければならないという事も言われています。
最後に、「何が正しくて何が間違っているのか、自分の頭を使って考え、判断・行動していく事が大切」「人間社会は1人では成り立たず、みんなでどう共存していくのかといった視点で社会を作っていくことが必要」という主張が行われ、締め括られました。
参加者からの質疑では、「電力会社は『地域独占』で原発に固持している。そうした中で、発・送電分離問題をどう考えていくのか。」「地域が一定の割合で担う『オーナーシップ制度』とは。」といった事が出され、その後の討論でも、「今からでも出来る取組みとして、自販機などをなくしていく取組みなどを考えてみてはどうか」「教育現場では、毎日遅くまで残業している実態がある。まずはそうした働き方を見直さなければならないのでは」「九州では6月に計画停電の宣伝が行われ、様々な対策を強いられた。そうした中で国民の意識を誘導しようとしているのでは」といった問題提起もされました。
会場 長崎新聞文化ホール3F
講師 西尾漠さん(原子力資料情報室共同代表)
討論の要点と特徴
講演及び各地域報告を終えた後、参加者からの質問を通して、主に以下の討論が行われた。
(1)要点
政府が定める放射線の安全基準をどう捉えればいいのか。たとえば、食品(学校給食)をはじめ日常生活で必要となるものに対する安全基準が本当に人体に健康被害をもたらさないのか。
原発事故後の原発立地地域における原発政策に対する住民の反応と労働組合をはじめとする団体の取り組み状況(佐賀県、鹿児島県、福井県、静岡県、愛媛県)。
政府や電力会社が試算するエネルギーコスト(原発や自然エネルギー)は実際の研究では、どう評価されているのか。
(2)特徴
①自らが働く職場や地域を軸とした原発政策に対する疑問や提案についての発言が目立った。
たとえば、教員の方は、子どもたちが口にする学校給食の安全基準の問題や文部科学省が作成する副読本(放射能に関する)の扱い方について疑問を投げかけた。
また、原発立地外で暮らす参加者は、原発事故で原発の危険性が明らかになった今、なぜ原発立地地域で反対の声が上がらないのか、また、原発で働く労働者、労働組合はどう考えているのかといった投げかけも出た。原発立地地域と消費地域で異なる運動の盛り上がりやその困難さが際立つ状況となった。
②脱原発運動を取り組むにあたって、原水禁への提案が上がった。
1000万人署名や10万人集会(7月16日、代々木公園)をはじめ各地で広がる運動を背景にしつつも、政府にエネルギー政策を求める交渉、大飯原発を再稼働させた関西電力が所在する関西地域での大規模集会の開催、そして、学校現場で活用できる放射能の危険性を学習できる副読本の作成をはじめ、いくつかの提案があり、討論を通して、改めて脱原発を実現させる取り組みのさらなる強化を求める参加者の熱意が感じられた。
脱原発社会の実現に必要なのは、脱原発への意思である。(ベーベル・ヘーン)
脱原発は民主主義の回復だ(鎌田慧)
脱原発、反原発への決意が固まった第一分科会
会場 長崎ブリック・ホール
講師 鎌田慧さん(ルポライター)
海外ゲスト ベーベル・ヘーンさん(ドイツ・緑の党)
9時30分から長崎ブリックホール国際会議場で、第1分科会「原子力1学習・討議編‐福島原発事故と脱原発社会の選択」が500名の参加で行われました。集会運営は座長である長崎市市会議員の池田章子さん、日教組の平野忠司さんによっておこなわれました。
まず、さようなら原発1000万人アクションの呼びかけ人でもある鎌田慧さんとドイツの緑の党連邦議員であるベーベル・ヘーンさんからの講演を受け、福島原発の実態、各地方での脱原発の取り組みの意見効果などの報告をもとに、討論を行いました。
最初に行われたドイツにおける脱原発の取り組みの報告は、原発問題できわめて参考になる点がありましたので、紙面の関係上、第一分科会の報告はベーベル・ヘーンさんの発言を中心に報告します。以下はベーベル・ヘーンさんの発言です。
「ドイツにおいても、10年前は原発による発電が全体の発電量の30%を占めていいましたが、2010年には22,2%、2011年には17.1%まで削減することができました。特に2010年からの1年間で5%もの発電比率を下げることができました。それは、一方で再生可能エネルギーを拡大させることができたからこそ、原発による発電を削減することができたのです。再生可能エネルギーと原子力は、2011年で逆転しました。雇用でも再生可能エネルギー関連の雇用は拡大しており、3万人程度の雇用にとどまっている原発関連の雇用より4倍の雇用を創出し、将来は60万人の雇用を見込んでいます。グリーンニューディールとよばれています。
ドイツでは、再生可能エネルギーの拡大のために再生可能エネルギー法を制定し、固定価格買い取り制度や供給方法などの支援策をすすめてきています。この中で、地位低下を恐れている電力会社からの反発が強まっており、再生可能エネルギーは料金が高くなるなどのキャンペーンを張っています。しかし、再生可能エネルギーは普及が進むにつれ、価格が下がり、エネルギー市場で原発による発電に負けない価格となりつつあります。他国との関係でも同様です。昨年の2月、厳寒の中フランスは電力不足におちいり、ドイツはフランスに太陽光発電の電力を輸出しました。
電力へのドイツからフランスへの輸出について日本でほとんど知られていません。この実態には、驚きの声がでました。
鎌田さんは、原爆投下の必要性はなかったといいます。マンハッタン計画のなかで、最終実験として投下されたものです。原発建設、核の平和用のきっかけとなったアイゼンハワー演説でさえ、その趣旨は核の開発費用の回収のためのものでしかすぎません。
また、鎌田さんは、原発建設の進め方は、きわめて非民主的だと指摘しています。日本はアメリカの意向を受け、買収と懐柔によって原発建設を進めてきたものです。原発は政治の問題です。脱原発の実現はまさに民主主義の復活であると強調しました。
集会は福島から千葉親子さんの報告、青森、宮城、佐賀、鹿児島からのたたかいの報告があり、会場から8名の意見質問の中で討論が行われました。脱原発に向けて意義ある討論でした。
ベーベルさんが、現在のドイツでも脱原発のたたかいは続いており、脱原発にはなによりも脱原発を目指す意思がひつようなのだということを強調していたこと。鎌田さんが、原発は非民主主義の結果であり、民主主義の回復として脱原発を実現しなければならないとして、政府のパブコメに多くのファックスを集中し1000万人署名の実現を訴えたこと。集会参加者は一人ひとり胸に刻み込んで、各地方に持ち帰りました。
原発はいらない。再稼働を止めよう。
2012年8月8日に開かれた「被爆67周年原水禁世界大会・長崎大会」第2日目は、分科会やひろば、フィールドワークに分かれて、討議や学習、交流を行いました。その内容をビデオにまとめました。(約9分)
中国の温家宝首相が「憲法に違反し社会主義経済の基礎を転覆している」と、約1600人以上の保守派老幹部や学者ら署名し、罷免を要求する文書が共産党中央委員会に送られていたことが明らかに。
「被爆67周年原水爆禁止世界大会」は8月7日から長崎大会が開かれ、「オスプレイ配備と原発再稼働は許さない!脱原発!脱基地!ナガサキ集会」からスタートしました。福島原発が収束しない中で大飯原発の再稼働が強行され、さらにアメリカの海兵隊が沖縄・普天間基地に危険なオスプレイが配備されようとしていることに反対して、長崎へ原爆が投下された爆心地公園で開催されました。(写真左)
福島県平和フォーラムの五十嵐史郎代表は「福島県の半分以上は放射線管理区域以上に汚染されてしまった。この経験を脱原発運動でいかしてほしい」と訴えました。さらに沖縄からは、屋良チエミ宜野湾市議会議員が駆けつけ「8月5日に予定していたオスプレイ配備反対の県民集会は台風のために延期されたが、沖縄では県民一丸となって反対している」と報告されました。
集まった1200人の参加者は、脱原発と脱基地を一体のものとして取り組みを進めることを確認し、集会後、「すべての原発を廃炉にしろ!」「オスプレイの配備を許さない!」などとシュプレヒコールをしながら、デモ行進を行いました。(写真右)
連合・原水禁・核禁会議主催の「核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会」は県立総合体育館を会場に、4500人が参加して開かれました。
開会あいさつに立った川野浩一原水禁議長は「福島原発事故を契機にエネルギー政策をどうするか真剣に考えなければならない。そうした中、政府は、原子力基本法で核兵器開発につながる改訂を行った」と厳しく批判しました。また、連合の南雲弘行事務局長は核廃絶やヒバクシャ援護政策とともに、「中長期的には原発依存を減らし、最終的には原発に依存しない社会をめざす」と述べました。(写真左)
来賓の中村法道長崎県知事、田上富久長崎市長、海外来賓として、国際労働組合総連合(ITUC) のスティーブン・ベネディクト人権・労働組合権局長のあいさつに続いて、被爆者の訴えとして、長崎県被爆者手帳友愛会の中島正徳会長が15歳で被爆した経験を語りました。「当日は工場で軍需品の生産をしていたが、ドーンと強烈な爆風で吹き倒された。自宅は爆心地から700メートルで、母と弟を亡くした」と語り、「体が続く限り、戦争に反対する活動を続けていく」と語りました。
毎年、高校生が国連の欧州本部を訪ね、核廃絶の署名を提出して要請する「高校生平和大使」の今年の代表に16人が選ばれ、大震災で被災した岩手県立釜石高校の菊池のどかさんが「国際的な支援にも感謝しながら、核兵器の廃絶を訴えたい」と決意を述べました。
さらに、歌と被爆体験記などの朗読で物語を構成する「構成詩 親子で綴る平和の願い」が100人の参加者で発表され、盛んな声援を受けました(写真右)。最後に「核兵器廃絶と世界の恒久平和の実現をめざして、2015年のNPT再検討会議へ取り組みを強化する」との平和アピールを確認して大会を終えました。
被爆67周年原水禁世界大会は8月7日から長崎大会が開かれました。最初に「脱原発!脱基地!ナガサキ集会」とデモ行進を行った後、連合・原水禁・核禁会議主催の「核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会」が開かれました。その模様をダイジェストにビデオにまとめました(9分55秒)
広島上空で原子爆弾が炸裂したあの日から67年目の8月6日、原水爆禁止世界大会・広島大会は「まとめ集会」を行い、核廃絶・脱原発の流れを大きく前進させようと誓いを新たにしました。
黙とうに続いて、あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)は、「福島原発事故では広島原爆の168発分の放射能が放出された。広島・長崎の経験を生かし、被害を最小限にとどめなければならない。早急に脱原発社会の実現をめざそう」と決意を述べました(写真左)。
高校生などから「子どものひろば・メッセージfromヒロシマ」の報告(写真右)が行われた後、海外代表として、アメリカのポール・マーティンさん(ピースアクション)は、原爆を投下したことを謝罪したうえで、「オスプレイの沖縄配備は安全性と騒音問題からも絶対に止めるべき」と訴えました。特別報告でも、山口県平和運動フォーラムの岡本博之議長が「岩国にオスプレイが搬入されたが、国内での訓練をさせず、沖縄に持って行かせない運動を起こそう」と呼びかけました。
このほか特別報告では、福島原発事故の現状について、福島地方平和フォーラムの小磯義雄議長が「いま16万人が避難をし、戻れないという思いを強くしている。福島から脱原発の運動を拡大する」と決意を語りました。さらに、「さようなら原発1000万人市民アクション」呼びかけ人の鎌田慧さん(ルポライター)は「原爆と原発は密接につながっており、絶対に認められない悪だ。広島・長崎・福島から平和のアピールを起こそう」と強調し、当面、1000万人署名の達成や政府のエネルギー政策転換を求めることを訴えました。
広島大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長(原水禁事務局長)が行い「原発や公害に代表されるような、人々の犠牲の上に立った経済や政治から転換しなければならない時代だ。脱原発と再生可能エネルギーの拡大、核廃絶、ヒバクシャの権利拡大など、私たちの運動の正しさに自信を持って、新しい社会をめざそう」と呼びかけました。
「67年前のヒロシマの経験を原点に、さらにフクシマを胸に刻み、核も戦争もない平和な21世紀を子ども達に贈ろう」とのヒロシマアピールを採択して、広島大会を終了しました。引き続いて、7日から9日まで長崎で原水禁世界大会・長崎大会が開かれます。
『子どものひろば』
日時
8月8日(水)9:30~12:30
会場
長崎県教育文化会館4F401会議室
(長崎市筑後町2-1/TEL095-822-5195/定員70人)
(電車移動)⇒原爆資料館⇒爆心地公園「原爆中心碑」
内容
平和の歌や被爆体験の証言、原爆資料館や被爆遺構の見学を通して被爆の実相や核の恐ろしさを肌で感じてもらう原水禁版「平和教育」。
日程
9:30~10:00 歌と交流・ビデオ上映(ナガサキのこうま)
10:00~10:45 被爆体験の講話
10:50~11:00 徒歩で移動(教育文化会館→長崎駅前・電停へ)
11:00~11:15 貸切電車で移動(長崎駅前→浜口町)
11:15~11:25 徒歩で移動(浜口町電停→原爆資料館へ)
11:25~12:05 原爆資料館の見学・説明
12:05~12:30 原爆中心碑前で献花、黙とう、感想発表
『ピース・ブリッジ2012inながさき』
日時
8月8日(水)9:30~12:30
会場
長崎県勤労福祉会館2F講堂
(長崎市桜町9-6/TEL095-821-1456/定員200人)
主催
ピース・ブリッジ実行委員会/高校生1万人署名活動実行委員会
内容
高校生や大学生でつくる実行委員会が企画し、長崎から「平和の架け橋」を世界につなぐ「ピース・ブリッジ」第9弾。
日程
9:30~ 9:35 主催者メッセージ
9:35~10:00 DVD「今 伝えたい~あの日からのメッセージ~」ダイジェスト版上映
10:00~10:30 東日本大震災・被災地からの報告(岩手県、福島県)
10:30~11:20 活動報告:神奈川県、静岡県、東京都、広島県、福岡県、熊本県、大分県、佐賀県、佐世保市
11:20~12:10 フィリピン・韓国・ブラジルよりのメッセージ
12:10~12:20 みんなで歌おう平和の歌
12:20~12:30 平和宣言
ヒロシマアピール
世界最初の原子爆弾が炸裂したあの日から67年目のこの夏、私たちはここ広島の地に集まり「核と人類は共存できない」ことを改めて確信し、核廃絶・脱原発の流れを大きく前進させるための誓いを新たにし、行動を提起しました。
2011年3月11日に発生した、東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故による放射能被害は1年5ヵ月近くを経過した今なお、収束の目途は立っていません。広島・長崎の悲劇を二度と繰り返さず、原子力・放射能による被害を出さないことを運動の柱にとりくんできた私たちは、福島第一原発の事故を防げなかったことに、強い反省と憤りを感じざるをえません。
日本全体で脱原発への動きが強まっていくなかで、野田首相は2011年12月16日に福島第一原発事故の収束宣言を出し、2012年7月1日、18日には福島第一原発の事故以来停止させていた大飯原発3・4号機を再稼動したことは、国民の脱原発への思いを踏みにじる行為であり、強い怒りを感じざるをえません。
2012年7月16日に、東京・代々木公園で行われた「さようなら原発10万人集会」には、全国から17万人が結集し脱原発を訴えました。誰も核との共存を望んでいないことは明らかです。
1975年、原水禁国民会議初代議長の森瀧市郎さんは、米国などの核保有国の戦略展開地域、核実験場になっている太平洋地域を非核化することが目的で開催された「非核太平洋会議」に出席し、その年の原水禁世界大会で「核絶対否定」の理念を明確に打ち出しました。この理念は私たちの運動の原点となるものです。
米国をはじめとする核兵器保有国の政策を注視し、核軍縮に向けた動きを確実なものにする運動を作らなければなりません。具体的な核兵器廃絶への動きや核保有国の核軍縮状況を検証し、今後の私たちの運動を展望することが必要です。日本政府は、核兵器廃絶を主張する一方で、米国の核の傘に依存するという矛盾した政策を継続してきました。核の抑止力に依存し続けるなかで、世界に向けて核廃絶を訴えることは、説得力を欠くものです。被爆国の政府として、このような曖昧な姿勢しか持てないことは問題です。
私たちは、広島、長崎の原爆投下にはじまった核時代に生きています。ヒロシマは、人類が生き残るために核兵器を廃絶するしかないことを教えています。そして、今こそ、「核と人類は共存できない」ことを強く訴えなければなりません。
私たちは、67年前のあの暑い夏のヒロシマの経験を原点に、さらにフクシマを胸に刻み、次のことを強く訴え、核も戦争もない平和な21世紀を子どもたちに贈るとりくみを全力で進めます。
○くり返すな原発震災! めざそう脱原発社会!
○許すな再稼動! 止めよう再処理!
○安心して暮らせる福島を取り戻そう! 子どもたちを放射能から守ろう!
○エネルギー政策転換! 持続可能なエネルギー利用を増やそう!
○武力で平和はつくれない! いかせ!憲法9条
○非核三原則の法制化を! 東北アジアに平和と非核地帯を!
○ストップ!米軍再編 沖縄に米軍基地を押しつけるな!
○核兵器廃絶へ! 核兵器禁止条約をつくろう!
○すべてのヒバクシャの権利拡大! 被爆者、二世・三世に国家補償を!
ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノー モア フクシマ、ノー モア ヒバクシャ
2012年8月6日
被爆67周年原水爆禁止世界大会・広島大会
2012年8月6日に開かれた「被爆67周年原水禁世界大会・広島大会」の3日目のまとめ集会の内容をダイジェストにビデオにまとめました(9分50秒)。
会場 広島市西区民文化センターホール
講師 平野貞男さん(被爆者)
第7分科会は参加者のほとんどが原水禁大会への参加が初めてということで、青年層や親子づれの参加者の姿が目立ちました。
最初に原水禁が作成した23分のDVD「君たちは原爆を見たか」を全体で鑑賞しました。被爆者のみなさんの証言をやスリーマイル、チェルノブイリ、東海村のJCO事故の影響を通じ、「核と人類は共存できない」ことを再確認しました。その上で、被爆者の平野貞男さんのお話を伺いました。平野さんはアメリカが原爆投下に至るまでの経過と、自身の被爆体験をお話されました。
当時12歳だった平野さんは、学校の校庭で被爆し、生き残ったものの、思いやけどを負って、戦後はケロイドで苦しみながら生きてきたことをお話されていました。「被爆者には、モノも言わず、じーっと耐えて暮らしてきた人もいる。私も戦争をずっと引きずっている。寝ている間だけが極楽だ」とおっしゃっていました。「運命じゃけえ、しょうがない」とおっしゃっていましたが、そのなかで強く生きようとする平野さんの姿勢が参加者に感銘を与えていました。
会場からは「私たちがどのように平和運動に取り組めば良いか」という質問が平野さんに出されました。平野さんからは、「小さなことでも人を思いやる、痛みを少しでも分かち合うことが大事。私もみんなのおかげで生きさせてもらっている」「なかなか大きな力には抗し難いが、みんなでギャフンと言うわけにはいかない。こうやって原水禁大会にみなさんが参加し、少しでも世界を動かそうとすることに頭が下がる思い。そうやって、一瞬、一瞬を大事に生きていくことが平和につながる」というお答えがありました。
DVDでは、被爆者から「人の情けがないことが一番辛かった」という証言が出されていました。平野さんの証言とあわせて、私たちの言葉で言い直せば、連帯が問われていると思います。また、運営委員からの分科会の進め方の案内の際に、分科会参加者から、分科会の進め方を前方のスクリーンに表示できるようにしてほしい、という意見が出されていました。
会場 広島市「ホテルチューリッヒ 東方2001」
講師 振津かつみさん(医師、チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西)
平野伸人さん(韓国の原爆被害者を救援する市民の会)
海外ゲスト カク・キフンさん(元韓国原爆被爆者協会会長)
第6分科会は、『ヒバクシャを産まない世界に2-ヒロシマからフクシマへ核被害者の課題』という事で、初めに海外ゲストとして招いた元・韓国原爆被害者協会会長の郭貴勲(カク・キフン)さんからは、当時の韓国において殖民地支配の中での、高額な税金により、土地を持てず売却する以外になかったことなど行き場のない中で、日本の賃金は韓国の5倍ということもあり広島・長崎には14万人を越える韓国人が移り住んだそうです。多くの韓国人は帰国しても200万人は帰れない人々が韓国に帰っても家も土地ない状況など、なぜ韓国人が被爆してしまったのかという歴史的背景や、軍隊からも韓国人は貨車に詰め込まれ物同然の扱いや被爆者認定など様々な差別があり苦悩しながら生活をしていたことなど話されていました。
平野伸人さんからは、原爆被爆の被爆者援護法などについて触れられ、自らのご両親の話から被爆者認定も含め、認定基準の問題として1つには「病気の内容」という課題や2つには「爆心地からの距離」の問題があり、最初は2kmいないの被爆者を対象としてきたものが運動の中で3.5kmまで延長されたが3.6kmで認定外になってしまっている現状について報告もされていました。
また、原爆が投下されてもいない韓国になぜ被爆者がいるんだという疑問も当時はあったが、植民地支配されていた歴史的背景があることや、だからこそ「日本が唯一の被爆国」と言われることは間違いであり様々な被爆があるという認識も必要であること。
在外被爆者の問題として日本に移住しない。日本にいないだけで、認定をされない「在外被爆者問題」や移住政策により、同じ被爆者の中でも認定をされない人たちがいることとあわせて、原爆や原発など異なるものでも同じように「ヒバクシャ」がいるということ、ここを理解してほしいということも述べられていました。この事は被爆者援護法として、原爆被爆者だけの問題と受け取られるが、それだけではないという課題もあり、今後の運動として突き詰めて言えば「ヒバクシャをこれ以上増やさない」という事で大切だということでもあります。
国としてはPTSDは認定されず被爆者援護法には入っておらずガンも認定に入っておらず本当はガン治療を認めてほしいということ。長崎では市内と市外では土地に所属しているかいないかで認定されない問題など被爆内容や地域の妥当性という課題などについても触れられていました。
くわえて、被爆二世・三世についての「遺伝的影響」、さらに福島原発事故以降、内部被爆の問題について注目もされ、国の言い方も変化し、「健康問題」「遺伝的影響」「被爆者の子供という社会生活上の立場」「人権」などの課題がある中、「被爆二世健康影響調査」が行なわれているが調査内容は不十分なもの、本人だけでなく、子や孫にまで健康被害・健康不安をあたえるものとなっていることからも、核爆弾と原発の違いはあるにせよ、放射能というのは、人の命を奪い、健康を蝕むものであり、今後は福島をどうしていくのかという認識に立ちながら、書くと人類は共存できない視点で運動を続けていきたいと述べられて言いました。
振津かつみさんからは、過去から現在に至るまで、様々な核開発・核利用の過程の中で生み出されてきた問題や、根本的には国策として進めてきた原発が事故を起こしてしまったこと。だから補償を求めることが必用であるという事が述べられ、被爆国である日本さえ原発事故が起きるのを止められなかったが、事故から1年が経過して現地では問題は山積しており、福島の現状は4万ベクレル以上の「放射線管理区域」相当の地域がフクシマの半分以上、県外にすら広がる現実もあるが、ヒロシマ・ナガサキにおける健康被害が軽視され無視され、被爆問題が過小評価されていることに触れられました。
この押し付けは、基準が明確にされておらず、1日で安全な基準が変更されてしまうことにも表れ、命を守る視点で政府にもやってもらわなければならない。今起きている事を確認していく事が重要になっていることでもありました。
また、福島では避けられた被曝について情報を出さないことによって被曝を避ける努力をしされていない。この事は今も続いており、もう一度責任を問う闘いを続ける事の重要性など述べられました。
また、原発は経済的利益を守るために作られたものであり、今後援護法を含めて人々をヒバクから守るとともに脱原発の運動とも平行して取り組む必要性や、フクシマの被曝者や原発労働者など健康手帳を交付、国家補償として総合的な援護策を求めていくことなど、あらゆるヒバクシャと連帯し「福島を最後にしたい」という決意を含めて述べられました。
講師から報告に対して、それぞれ意見や質問も出されてきました。
■ 被爆者の補償問題として、核兵器を使用した米国にも投下した責任があるという事から国際人権委員会などに対して米国を訴える運動なども必要ではないか。
■ 福島において線量が高くなったといわれていたが、井戸水なども今後セシウムが出る
可能性はあるのか。
■ 事故から1.5年が経過した。原水禁として具体的にどうしていくのかが弱い気がし
ている。大会を通じて具体化をすべきではないか。
■ 被爆者に学ぶということで参加した。補償問題は国が犯した責任をとるのであれば国
内でも国外でも同じ事であり、国の責任を明らかにしていく必用がある。
■ 小名浜在住で、ライフラインは寸断されたが、ショ-トメ-ルで原発関係者から情報
が出された。高い線量の地域では早く以前の生活にと忘れようとしている雰囲気すらある。その中で「早く帰村したい」「そうは言っても高い線量では」という人と大きな亀裂が生じている。また、いわきでは原発労働者は孫受け会社等により生活基盤の弱い人たちが集められてきた敬意もある。そこでは文句を言わず働かされているのが現状であり、店が襲われたというニュ-スすらあった。補償の難しさや副読本などの悪影響もあるが追求していくことが必要になっている。
こうした意見に対して、講師からは
□ 米国を訴えるという考え方は言われるとおりと考える。原爆被害者訴訟などでも少しずつ前進した経緯もあり難しい面があっても求めていく事も重要。
□ 井戸水のセシウムの問題は継続してモニタリングを行なっていく必要がある。
など答弁されました。
最後に、梶原運営委員からまとめとして『多くの在外被爆者の思いも込めた闘いであったということ。被爆者の訴訟の取り組みの中で明らかになった課題について、難点かにまとめられたが特に反戦があっての反核なんだ、つまり侵略の歴史の中での在外被爆者問題という課題があり、これまで放置され続けてきた様々な被爆者の存在を認めようとしない日本政府の姿勢は、カクさんが言われていた「韓国に帰ったら被爆者でなくなる」という課題とかさなった。振津さんからはチェルノブイリでの活動を踏まえながら映像を交えての様々な情報を合えて出さなかったことによって事故直後避けられたはずの被爆を避けることが出来なかった。そして今もなお、住民に流される安全神話の中で普通に生活し被爆し続けている人がいる重大な事実。これらは直ちにとめなければならない。国策としての原発推進であった以上、国策としてすいしんされた原発の事故である以上国の責任においてお金も含めて補償させていく必要がある。
戦後67年が経過し、広島を学び長崎を学ぶ姿勢でやってきたが60年学んだのに福島で事故が起きてしまった。私たちは一体何を学んきたのか、その学んだ質や広がりいつまで学び続けるのかなど含ましの原状から思わざるを得ない。基本は生きる権利だと思う。不津さんが最後に言われていた「福島を最後にしなければならない」運動はいつも不利益を受けた人、差別をされた人から立ち上がるが多くの人々が共に立ち上がることによって解決に進んでいく。今なお原子力政策を推進しようとする多くの人がいる以上、私たちはそれ以上の力を力をつけそれ以上の連帯を造らなければならない。彼らは様々な情報を流すが正しい情報をきちんと学習しながら連帯して運動をつづけなければならない。首相官邸包囲行動や7・16集会など多くの人が集まったが、それは魂の叫びとして次の時代に安全で安心な環境をつないでいくことを確認したい』とまとめられました。
会場 広島市「ホテルチューリッヒ 東方2001」
講師 豊崎博光さん(フォトジャーナリスト)
海外ゲスト アントン・ブドビチェンコ(ロシア/NGO「チェルノブイリの子どもたちのために」)
はじめに座長の木原省治さんから、第5分科会は学習編であるので、率直な質問を出してほしい、とあいさつがあり、前段の司会を担当した。後段のアントン・ブドビジェンコさんの報告の後は梅尾泰文さんが座長を務めた。
運営委員の禧久章蔵さんから運営のあり方について説明があった後、フォトジャーナリストの豊崎博光さんからスライドを使いながら、世界に広がる核被害者の現状について講演された。スリーマイルではバラの花の異常や頭が2つある牛の写真などが紹介され、生態系が破壊されるだけでなく、精神的、社会的被害についても、ふれられ、会場から多くの質問が寄せられた。
続いてロシアからNGO「チェルノブイリの子どもたちのために」のアントンさんから、今もチェルノブイリに住む者として、その実態を報告した。事故が起こってから、汚染地域であることを知らされたのは3週間後であり、住み慣れた街を離れ、でも結局仕事がなく、元の街に戻らざるを得なかった人たちが、今も住んでいる。経済的にも社会的にも困難な状況で職を失い、酒におぼれ、子どもたちも酒やタバコに手を出すような荒廃を生んでいると話した。
ソ連解体後は解決に動いたが、今は政府はチェルノブイリを忘れたい、そして補助を打ち切りたいと動いている、情報を隠したがっていると話した。
会場からは、ソ連での風評被害はあったのか、ソ連の原発政策は変わったか、子どもたちのサマーキャンプはどのように行われているかなどの質問が出された。
豊崎さんは、東京電力の被害算定に何で加害者が被害者の話も聞かずに、勝手に決めるのかと怒りをあらわにし、アントンさんは、原水禁と交流ができたことを大変評価し、これからも交流したいことを強調した。
石川県の中村運営委員から「信頼は専制の親である」というトーマス・ジェファーソンの言葉を紹介し、政府に物を言い、反核・反原発を成し遂げねばならないとまとめて、終了した。
会場 広島市「ワークピア広島」
講師 湯浅一郎さん(ピースデポ代表)
海外ゲスト ポール・マーティンさん(米国/ピースアクション組織化・政策担当ディレクター)
討論の要点
ピースデポ 湯浅一郎さんの講演を受けて
・北東アジアの非核化に向けて、日本の使用済み燃料の再処理政策をやめさせる運動を
・原子力基本法への「日本の安全保障に資する」文言挿入には抗議を。
・原子力発電所輸出をやめさせる運動を。
・大阪維新の会、東京都知事の尖閣諸島購入など、日本はどんな方向に向かっているのか。
・オスプレイ配備は反対である。
ポール・マーティンさんの発言を受けて
・北朝鮮の非核化への一つとして、韓国にかかる再処理も止める運動を。
・オスプレイは能力が高いヘリコプターのため、米国政府も配備を止めないと思われる。米兵から自らオスプレイは危険なんだと言ってもらえないか。
・日米安保を廃棄して、日米友好条約を。
・原子力空母ジョージワシントンはトラブルが多く、一時廃艦の動きも言われていたが、現在どうなっているのか。
・2010年のNPT再検討会議で、2012年に中東のNPT再検討会議が決議されたと思うがどうなっているのか。
横須賀報告を受けて
・空母と厚木基地はセットである。10日間ルールなどがある。爆音問題などがある。
会場 広島市「YMCA国際文化ホール」
講師:藤井石根明治大学名誉教授
海外ゲスト:ベーベル・ヘーンさん(ドイツ・緑の党)
1.ベーベル・ヘーンさんについて、質疑応答
Q:原子力産業に依存した雇用について、脱原発への道を歩めば、雇用の心配がある。
A:そうした状況は、ドイツにもあった。しかし、日本のような政治的な背景はなかった。
原子力発電所での雇用者数よりも、再生可能エネルギーに関わる雇用者数の方が、圧倒的に多い。原子力発電には、多額の投資が必要であるが、雇用者数は少ない。その一方、再生可能エネルギー関連は、個人宅へのソーラーパネルなど小規模設備を数多く設置することから、少ない投資額で多くの製造業者や施工業者その他、多くの雇用が確保される。
2.藤井石根さんの講演について、質疑応答
Q:文科省の放射線副読本(2011.10)の撤回を求めている。子どもたちへの風評被害払拭を口実に放射能は危険ではない旨の内容である。
A:放射能は、人間にとって有害、無害の議論は論外。数値基準の設定自体も疑問がある。
Q:原子力規制委員会は、「原子力を推進する委員会(規制を含む)」としている。マスコミ等は、正確に報道すべき。従前の不測の事態を今後は、想定することなども盛り込まれている。
A:原発の存続のための組織といえる。今後は、「いかにして廃炉にしていくか」、「使用済み核燃料を安全に格納する方法」についての議論が必要である。存続のための議論は必用ない。
Q:講演で、憲法25条にふれながら講演いただいた。国の責務として、国民の豊かな生活を確保していくことが重要であるが、政治に対して不信感が高まっている。
A:今の政治状況を見ていると、なかなか変わらない状況にあると感じている。解散総選挙があるとしても、誰に投票したらいいのか・・・。脱原発に向けて市民一人ひとりが、意識を高めていくことが重要。
※座長より、福島からの参加者に発言を求めた。
Q:福島からの転出・転居者が多い。自身は、福島で暮らしていきたいが、不安が大きい。農家の人たちは、風評被害により大打撃を受けている。放射線量測定器により安全を伝えていきたい。政治がしっかりしてほしい。
A:風評被害は、事実を隠すなどのことから大きくなる。政府が放射線量を測定することが、不信感となっている面もあるか・・・、いずれにしても自分自身が対応することも必要。
※座長より、脱原発に向けた各地の取り組み報告を求めたが、初参加の人が多く、報告発言なし。
まとめ
ほとんどの原発が停止している今日、また8月の猛暑の中でも電力は供給されていることを皆さんとともに認識したい。私たち自身が、脱原発に向けた要求を組み立て、その実現に向けて一人ひとりの意識を高め、そして多くの人が結集し大きなうねりとなりアクションをおこしていくことを誓い合いたい。
会場:広島市「ワークピア広島」
講師:長澤啓行大阪府立大学名誉教授
まず最初にに講師から、地震や津波は地球が生きている限り発生する現象であり、決して避けられない自然現象であることが地震のメカニズムから理論的に説明され、特に内陸地殻内地震(活断層)のときに発生する短周期地震動は固有周期が一致する原子力発電所にとって非常に危険な地震動であり、安全性を考えれば活断層上にある原発は決して動かすべきでないことが、いろいろなデータを示すことで説明されました。
続いて現地報告として石川から志賀原発の再稼働に向けた動きと阻止のとりくみと決意表明、新潟からは柏崎・刈場原発の07年中越沖地震以降の行政の動向や再稼働に向けた動き、それを阻止するためのとりくみと決意表明、島根からは島根原発30キロ圏内の住民アンケートの結果報告と再稼働に向けた動き、それを阻止するためのとりくみと決意表明、北海道からは泊原発の再稼働問題と幌延の深地層研究所計画に関する報告、さようなら原発1000万人アクション北海道のとりくみ報告、最後に茨城からJCO事故報告、東海第2原発ハイロアクションのとりくみ報告の5か所からの報告がありました。
その後の質疑・討論では、脱原発後の炉内燃料や使用済み核燃料プールはどうするのかという質問があり、今の技術でプルトニウムを安全に保存する技術はなく、地下に埋めたとしても1000年後には容器もとけ、地中に漏れ出すため、後世につけを残すだけとなる。結局監視できる場所で監視を続けるしかない。従ってこれ以上生み出さないこと、すなわち、脱原発しかないとの回答がありました。
また脱原発を考えたときに廃炉後の対応や最終処分方法を思うと、脱原発運動に踏み切れないといった意見や、原発を抱える地元では、脱原発後の原子力発電関連従事者の生活の問題を考えると一概に脱原発とは言えないといった前向きな悩みがだされました。
今回この場で、これが正解といったものは出せないかもしれませんが、こうした率直な現地の声が出たのはいいことだと感じました。これまでは建前の発言がほとんどで、議論が進んでいなかったのではと思いました。
ただ、そのことを議論していては進展しないので、まずは、脱原発かこのまま推進かを決め、それから、具体的な問題点について解決策を議論すればいいのではないでしょうか。原発がある限り、原発関連従事者の労働者被曝は続くことは忘れないでほしいと思います。脱原発後は国策として脱原発に踏み切ったドイツが参考になるのではないでしょうか。
最後に地元では様々な悩みもあると思うけれど、まず脱原発。それから地元の悩みについてみんなで議論をしていくことを確認して分科会を終了しました。
講師:西尾漠さん(原子力資料情報室共同代表)
鎌田慧さん(ルポライター)
海外ゲスト:パク・ヘリョンさん(韓国・反原発活動家、慶尚北道緑の党運営委員長)
討論の要点及び特徴
西尾漠さんから、「福島第一原発の事故は終わっていない。原子炉の状態が全く分からない状況。今後、配管の腐食等による破断や燃料プールが余震他で危険な状況に陥る可能性がある」と指摘があった。
福島では放射線量の高い地域に生活をせざるを得ない状況の中で、必要な情報がないまま個人が避難や生活や仕事などの選択をせざるを得なくなっている。
原発ゼロはへ向けて電気需要のピークや節電の組み合わせ、エネルギーの損失分(温排水他)を活用すれば可能との話があった。
鎌田慧さん(ルポライター)からは、「『さようなら原発集会』や国会包囲デモは今までになかった運動が広がってきている。1ヵ所で効率よく大量に発電することは力の信仰。電力会社も原発を巨大化させてきた。これは人間の横暴で政府の責任は大きく、政府が政策で原発を止めれば止まる。原発の再稼働をさせない政治的解決が必要。だから運動の意義がある。今私たちの方が押している。政府の『エネルギー・環境に関する選択肢』へのパブコメや1000万人署名の取り組みが重要」との話があった。
会場からは「子どもの内部被ばくについて、政府・東電・原子力ムラの人たちが避難を言うべき」、「原発はエネルギー問題だけでなく人権問題としても捉える。今後、内部被ばく被害が出た場合、補償を求めるたたかいになるが、自民党の憲法改正案では11条の基本的人権を『現在及び将来の国民に与へられる』、憲法97条の基本的人権の本質が丸々削除されている。これは子どもたちの健康被害を先読みしているのではないか」との危惧する発言があった。
また、福島の避難者をサポートしている参加者からは「震災から1年を過ぎてようやく酷い実例を聞くことができた。この事を聞き取り記録し残すことが必要」、栃木からは「国のエネ政策変更に向けて県議会、市町村議会へ陳情し、国へ意見書を出すよう取り組んでいる」との意見・報告があった。
海外ゲストのパク・ヘリヨンさんからは韓国の原発推進状況は日本と変わらない状況にあること。福島の事故は原発が根本的に安全でなく、平和的ではありえない。原発は根本的に暴力的であり、生命に反するという意味では核兵器と異なるところがない。原発事故は被害の状況・範囲は一つの国による対応や対策では克服できないと問題点の指摘があった。
各地からの報告
福島より「住民は表面的には落ち着いている様に見えるが仕事、家族の分断、避難すべきか否かという葛藤を抱え将来が見えない生活を送っている。たからこそ第2の原発事故を起こさせないことが大事。福島を忘れないで欲しい」。
宮城からは「仙台で金曜デモ行っている。第一次産業が復興しないと東北は潰れてしまう。健康被害を心配している人たちへ生産者も被害者だと言うことを分かって欲しい」との報告があった。
青森からは4.9集会の歴史的経過の説明と運動の風化への懸念、しかし六ヶ所で事故が起これば東北全体に放射能広がる。地道に運動を続けたいとの決意が表明された。
新潟からは柏崎刈羽原発の再稼動について、新潟方式として原発の安全に関する技術委員会に再稼動の慎重な学者を入れる取り組みの報告がされた。
愛媛からは想定される東南海地震で伊方原発の危険性と伊方原発差し止め訴訟で松山地裁に提訴しており、合わせて署名を活動を行っている報告があった。
また会場の福島からの参加者より「原発を止めるには政治を変えるしかない。政治が経済界と結びついている。マスコミは原発是非についての政治家の考えをを報道すべき」との意見があつた。
大阪の参加者からは子どもたちに配られる「放射能に関する副読本の100mSvの記述は問題であり、撤回運動や冊子の作成などに取り組んでいる」との報告があった。
会場に集まってくれた参加者は、20都道府県、北海道から九州まで、全国各地から集まりました。「楽しさを通して、平和を学ぶ」というテーマのイベントではありますが、子どもたちはアピールしたいことがあって参加してくれています。その強い気持ちを表現するのが第三セクション「全国・世界のお友だちと平和を語ろう」です。
12:50 オープニング
広島初中高級学校の皆さんの朝鮮舞踊
13:04 第(1)セクション 全国のお友だちと仲良くなろう
実行委員の紹介
被爆地から―平和のメッセージを届けよう―」
踊りと歌を覚えよう ! 「つけまつける」レッスン
13:21 第(2)セクション 考えよう、表現しよう、平和の思い
平和のメッセージを書こう ! 表現しよう !
13:50 第(3)セクション 世界のお友だちと平和を語ろう
全国のお友だちからの一言メッセージ
海外のお友だちより(フィリピン、 韓国のお友だちからのメッセージ)
14:14 第(4)セクション 広島を学んで、そしてお友だちをつくろう
広島のお友だちの平和への取り組みを紹介~
「被爆樹木を訪ねて」、 「チロヌップのきつね」、 「ヒロシマからフクシマへ」
全国のお友だちと「つけまつける」を歌って踊ろう!
14:35 エンディング 平和はみんなの心から ―2012夏休み―
みんなで書いた平和のメッセージが???になって、 登場するぜぇ~ ! ワイルドだろ~ !
世界への平和メッセージを発信 !
「メッセージfromヒロシマ」とは
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戦後も67年となり、被爆体験を聞くことも、原爆が落とされたことに対して考えることも、そもそも平和とはなんなのかを考える機会自体が、日常では少なくなってきたのではないでしょうか。「メッセージfromヒロシマ」は、ただ過ぎてしまう日常の中で、「平和とはなんなのか」について、考えてもらうきっかけとなるものです。
1人で考えると難しくてわからないことでも、メッセージfromヒロシマに参加することを通して、みんなといること、楽しい空間を共有できることで、そのすべてを享受できるのは、「平和だから」ということに気がつくはずです。
今年の実行委員数は、例年以上となりました。広島の高校生が中心となって実行委員会が構成されていますが、今年は三重県の高校生が8人、広島県の尾道地区からは中学生が5人、東京からは大学生が3人、参加してくれました。さらに、今年から新設された静岡県の平和大使も実行委員を務めてくれました。もちろん、昨年実行委員として参加してくれたOB、OGの参加もあり、リハーサルの時点からとても良い雰囲気となり、笑いの絶えない練習となりました。
「メッセージfromヒロシマ2012」スタート!
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イベントのスタートは、「朝鮮初中高級学校舞踊部」による朝鮮舞踊です。「民族の誇り」を表わす華麗なダンスに、鮮やかな衣装。誰もが目を奪われる光景に、実行委員たちさえも、例外なく魅了されていました。初参加の子どもたちにとっては、ステージで踊る舞姫たちの姿に、ただただ心奪われたのではないでしょうか。舞踊部を代表してリュウ・ミクさんが、「差別に負けず、民族の伝統と誇りを持ってしっかりと生きていきます」と強い思いのメッセージを届けてくれました。
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スタート前は会場を駆け回りはしゃいでいた子や、午前中のフィールドワークで疲れていた子も、オープニングで心地よい緊張感に包まれ、そこで、総合司会の登場となりました。イベント進行途中、暑い中でも着ぐるみを着るなど、体を張って全力で努めてくれたのは、白髪美咲さんと山道真子さんです。二人とも、初参加ながら、総合司会という大役を最後までしっかり努めてくれました。続けて登場したのは、志が高く、平和への確固とした思いを持っている司会担当の田中美穂さんです。そして昨年、マイケル・ジャクソンのダンスで会場を熱狂させた中学生の日上温大くんも、高校生に負けじと司会を務めてくれました。また、会場には、早朝から屋外で様々な平和行事に参加しているものの、まだまだ元気の有り余っている小学生、中学生を中心とした400人の子どもたちが集まってくれました。
第一セクション
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ここでは、実行委員の紹介から始まります。実行委員全体を代表して、高校2、3年生がステージに上がって、一言ずつ挨拶をしていきました。その中でも、実行委員長で広島県の高校生、宮武茉里佳さんからは「今日はたくさん来てくれてありがとうございます。一日よろしくお願いします」、三重県の高校生、三谷葉二郎くんからは「みなさんと一緒に楽しく平和について考えていければと思っています」とメッセージの発表がありました。また、当日のビデオ撮影、パソコン操作、写真撮影までもを、実行委員が行っており、「自分たちが主体で作り上げる」というイベント開始当初のスタイルを今も踏襲しています。
実行委員の紹介が終わったところで、ダンスの練習となります。曲はきゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」です。選曲理由は、CMで使われていて知名度があることや、ノリの良いリズムであることなどです。ダンスの振り付けも、すぐに覚えられるように、原曲の振り付けを簡単にしています。実は、前日の練習時にも変更を加え、子どもたちが覚えきってしまっても飽きずに踊れるように、工夫しました。ダンスの振り付けは、毎年とても頭を悩ませる問題で、難しすぎれば覚えきれない、簡単すぎても踊り飽きてしまうという問題があります。また、これまでは踊りの指導担当の実行委員がいましたが、今年は、総合司会者、司会者が中心になり、舞台上で見本を見せるように練習が行われました。その甲斐あってか、進行もスムーズにいきました。さすが、子どもたちは覚えが早いというべきか、すぐに踊れるようになりました。もちろん振り付けの中には、手をつなぐ部分もあり、恥ずかしがって中々手をつなげない子もいましたが、曲に合わせて体を動かすことで、緊張も解け、笑顔で踊るようになっていました。
第二セクション
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リラックスした後は、平和の思いを表現する時間です。花形シートに平和のメッセージを書き、そのシートを張り合わせて、大きなモニュメントを作っていくという恒例のコーナーです。毎年、書き始めてからは早いものの、取りかかるまでに時間のかかる子を見かけます。心の中に平和への思いを漠然と抱いていても、言葉に表したり、文字に表わそうとするとなかなか難しいものです。そこで、実行委員から先に、子どもたちへ、ヒントとなるような言葉を届けました。発表してくれたのは、広島県の村上愛さん、吉野可奈さん、三重県の濱中ひかるさん、西村祐里那さんです。実行委員が原爆資料館に行って感じたこと、身の回りの人権問題、東日本大震災のことなど、「相手を思いやるこころ」を持てば、世界は良い方向にまわるはずだというメッセージです。メッセージを聞いて、子どもたちは、書きたいことが頭の中で膨らんでいったのではないかと思います。そこで、東京から参加してくれた実行委員の、五味彩耶さん、加藤あゆみさん、上野絵里香さんが花の形をしたシートへのメッセージの書き込み方の説明をしてくれました。司会の合図で、子どもたちは思い思いに作業に入りました。一枚目を書き終わった子は、二枚目へと書きすすめていきます。
同じグループのお友だちが、次に取りかかれば、負けじと他の子も新しいシートをほしがります。文字をひたすら書き込んでいったもの、イラストで表現されたもの、色を多用して表現したものなど、多種多様のメッセージシートが実行委員が掲げる大きなシートに張り込まれていきました。なんと、子どもたちが作業をしている間も、司会者はビデオ撮影担当の実行委員とともに、会場内を巡り、逐一子どもたちの様子をステージ横の巨大スクリーンを通して、伝えてくれました。インタビューの内容は多岐にわたり、将来の夢を語り合う場面もありました。こうしていると、たっぷり取った作業時間もあっという間に過ぎてしまいます。張り込んだシートは、ここでいったん舞台裏に運び、巨大モニュメントを作るべく結束作業に入ります。しかし、そのことはまだ、子どもたちには秘密にしてあります。
第三セクション
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トップバッターは北海道代表、NSさん。「みなさんと交流し、帰ったら、仲間に平和について伝えたいと思います」と、堂々とした発表でした。
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東北ブロックからは、山形県を代表してSCさん、AMさん。「核兵器は私たちが平和な時代を生きていく中で、最もいらないものだと思います。この核兵器、戦争のない時代が来ることを、私たちの未来のために願います」と、声をそろえての発表でした。
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関東ブロックからは、まず神奈川県代表のUEさん。「いまでも原爆のもたらした放射能により、病気になり、多くの人たちが苦しんでいることが判りました」と発表するとともに、福島原発事故の影響で苦しんでいる人たちを心配する内容のメッセージでした。
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続いて、神奈川生活クラブ生協のIRさん。「原爆は何万人も殺す大変な核兵器です。だから、僕は怖いと思っています。戦争もしたくありません」と授業中に知ったという原爆に対する素直な気持ちを表現しています。
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原爆ドームを見学した東京三多摩代表のMMさん。「世界中の一人ひとりが、人の気持ちを理解し、そして原爆の恐ろしさを伝えていくべきだと思います」原爆ドームは見た者に、戦争の恐ろしさを感じさせ、平和のために努力することを決意させます。
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埼玉県を代表して、YKさんは、福島原発事故と67年前の戦争を重ねて考えるようになり、今回、広島へ来たそうです。「広島で何が起きたのか、この目で見てみたいと思った。被爆者の思いをつないでいかなくてはならない」と強く宣言しました。
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横断幕を用意してくれた群馬県からは、TSさんが代表としてのアピール。「平和祈念資料館や原爆ドームを見て、核兵器の恐ろしさを改めて知ることが出来ました」とは、まさに百聞は一見に如かず。フィールドワークの効果がしっかり表れています。。
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北信越ブロックから長野県代表、OTさん。「核兵器を世界からなくすために、僕たちにも出来ることがあるはずです。核のない平和な世の中にするために力を合わせて頑張っていきましょう」と会場への強い呼びかけ。
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近畿・東海ブロックからは三重県を代表して、TFさん。「私が平和にするために出来ることは、武力による解決をしないということです。そして、それを伝えることです」身近な人に伝えることから始めることは、確かな一歩へとつながります。
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四国・九州ブロックからは長崎県高校生一万人署名のYHさん。「被爆者の方は高齢化していて、私たちが生の声を聞ける最後の世代と言われています。私たち若い世代が平和の大切さを伝えていくことが大切だと思っています」炎天下での署名活動に負けない力強さを感じさせるパフォーマンスでした。
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最後を締めてくれたのは、広島県のYSくん、TKくんです。「僕たちは戦争しないことを選びたい。原子力発電所を使わないことを選びたい。誰かにやってもらうのではなく、大人に決めてもらうのではなく、僕たち子どもが自分たちで考え行動したいです」そして、会場にいる子どもたちに一緒に行動することを呼びかけました。今回もアピールメッセージはどれも熱いものばかりでした。
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続いて海外のお友だちからのメッセージです。フィリピンからは、ロマーノ・クリス・G・ベーラーくん、韓国からは、ジュ・ソンミンくん、イ・ユンジさん、ベ・ゴンヒくんの登場です。 まずはロマーノくんが、「弁護士になって、困っている人たちを助けるのが僕の夢です。日本にいる間、多くのことを経験したい」と将来に向けて頑張っていくと宣言。なんと、通訳は、長崎県高校生一万人署名の参加者です。
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続いて、韓国からのトップバッター、ジュ・ソンミンくんが流暢な日本語で挨拶。「今、日本への留学準備をしていて、日本に関心があります。今ここで、この活動をしながらたくさん学び、感じたいと思います。」続いて、イ・ユンジさんは「私の祖父は日本人です。日本の歴史と文化についてたくさん教えてくれました。その影響で、日本の文化などに興味を持っていました」ということで、日韓交流にも積極的だということがわかりました。最後に、ベ・ゴンヒくんが「こんなに意味のあるところに参加できてうれしいです」と締めてくれました。会場の参加者は、国が違っても、暮らしが違っても平和への思いは同じだと、改めて感じたのではないでしょうか。
~海外のお友だち紹介~
《韓国からのお友だち》
ジュ・ソンミンくん(高校3年生)
イ・ユンジさん(高校3年生)
ベ・ゴンヒくん(高校1年生)
《フィリピンからのお友だち》
ロマーノ・クリス・G・ベーラーくん(15歳)
メッセージ from ヒロシマ 2012
「私が原爆資料館に行ったのは、小学校4年生のときでした。そこで目にした、皮膚が垂れ下がった被爆者の人形を忘れることができません。幼い私は、怖くなり逃げ出しそうになりましたが、ガイドの人に『ちゃんと見なさい』と言われ見ました。これが原爆が引き起こした悲劇だと実感しました。」
67年前ヒロシマとナガサキに落とされた、たった二発の原子爆弾は、一瞬にして数十万人の大人や子どもの命を奪い、今なお苦しめ続けています。
「私のおじいちゃんは沖縄戦で戦死をし、おばあちゃんはたいへんな思いで生きてきました。そんな苦労を知らない私たちは、多くの命を奪った戦争を、二度と繰り返さないために、平和についてもっと多くのことを学んでいくべきだと思います。」 沖縄戦では約5カ月間戦闘が続き、住民の多くが戦闘に巻き込まれ、20万人以上の命が奪われました。 広島、長崎、沖縄だけではありません。東京、名古屋、大阪をはじめ、日本各地でも空襲によってたくさんの命が犠牲となりました。また、日本は戦争によって大きな被害を受けただけではなく、日本はアジアの国々に大きな被害を与えたことも、同時に学ばなければなりません。
原爆は人間だけではなく、すべての動物や植物も、爆風と熱線、そして放射能によって焼きつくしました。「75年間は草木も生えないだろう」と言われていた広島。しかし、黒く焼け焦げた樹木は、ボロボロの姿から再び新しい芽を出したのです。その傷つきながらも力強く生きる姿は、被爆者を励まし勇気づけました。広島市内の小学校や中学校にはたくさんの被爆樹木があり、子どもたちに原爆の悲惨さを今も伝えています。
昨年の3月11日、「東日本大震災」をきっかけに福島第一原子力発電所でたいへんな事故が起こりました。たくさんの放射能がまき散らされ、今も多くの人が避難生活を送っています。日本は原爆によって被災した国として、原爆がどれほど恐いものかはよく知っていたはずなのに、電気をつくるために必要だからと言って、たくさんの原子力発電所をつくりました。私たちは「核と人類は共存できない」という被爆者のことばをもう一度しっかり考えなければなりません。
戦争の恐ろしさが、時間とともに忘れられてきています。いつの時代も、どこで暮らしていても、平和を望む気持ちは同じです。それなのに、どうして戦争が起きるのか、平和な世界をつくるためにはどうしたらいいのか。被爆者の体験した苦しみや悲しみ、戦争や核兵器の悲惨さを学び伝えていきましょう。
自分にできることから行動していくことで、少しずつでも戦争や核兵器を減らしていくことができるはずです。戦争を知る努力をしましょう。いじめや差別をなくしましょう。みんなが笑顔でくらせる社会をつくりましょう。
「もう戦争はいらない! 核兵器もいらない!」
2012年8月5日
子どものひろば 「メッセージ from ヒロシマ 2012」 参加者一同
※ このメッセージは、イベントのエンディングにおいて、首相官邸や核保有国の代表宛にメールにて送信しています。
子どもの広場全体のスケジュール 2012年8月5日(日)
8:00~8:30 子どもの慰霊祭
8:40~10:20 フィールドワーク
10:25~10:40 ダイイン
10:40~11:40 被爆電車
10:40~11:40 被爆のお話を聞こう
12:50~14:50 『メッセ-ジ from ヒロシマ2011』
15:00~16:00 15:00~16:00 マイ灯ろう作り
8月5日に広島市内で開かれた「被爆67周年原水爆禁止世界大会・広島大会」の第2日目は、課題別の分科会やフィールドワークなどのほか、国際会議、子どものひろば&メッセージfromヒロシマが行われました。
分科会では、昨年の福島原発事故を契機とした、「脱原子力」に向けた課題やエネルギー政策のあり方を中心に、平和と核軍縮、世界のヒバクシャとの連帯や被爆者援護の問題などについて、学習や討議で認識を深めました。
また、連合・原水禁・核禁会議の主催による「平和シンポジウムin広島」では、2015年のNPT(核不拡散条約)再検討会議に向けた取り組みについて討論を行いました。
一方、原水禁大会の国際会議は「脱原子力に向けた構想力 フクシマ以降の原子力」とテーマに、ドイツ、韓国、日本の専門家が、各国の脱原発への状況や再生可能エネルギーの拡大の課題などについて意見を交わしました。(写真左)
若者や高校生が企画運営するメッセージfromヒロシマでは、全国や韓国、フィリピンからの参加者を含め、一緒に遊びながら平和を考え、メッセージを世界の核保有国に送信しました。(写真右)
広島大会は、6日にまとめ集会が行われます。
8月5日に広島市内で開かれた「被爆67周年原水爆禁止世界大会・広島大会」の第2日目は分科会や国際会議での討議や、子どもたちによるメッセージfromヒロシマ、また、沖縄のオスプレイ配備反対集会が行われ、それらをビデオにまとめました(6分40秒)
「被爆67周年原水爆禁止世界大会」は7月28日の福島大会に続き、8月4日から広島大会が始まりました。今年の大会も、昨年の3月11日の東京電力福島原発事故を教訓に、脱原発、そして「核社会からの離脱」が大きなテーマになっています。
最初に広島国際会議場で開かれた開会集会では、主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)は「67年が経ってもヒバクシャは多くの問題を抱えている。さらに福島原発事故は深刻さを増している。核廃絶のためにも原発をなくすことが必要だ」と訴えました。(写真左)
大会の基調報告で藤本泰成・大会事務局長(原水禁事務局長)も「事故は明らかに人災だ。しかし、政府や電力会社は傲慢にも再稼働を進めている。核社会からの離脱をめざそう」と呼びかけました。
被災地の福島からの訴えを、福島県平和フォーラムの五十嵐史郎代表が行い「事故は収束していない。16万人の県民が故郷を追われた。県民の命は守られないし、誰も責任をとらない」と怒りを露わにし、「原発事故がいかに過酷で無残なものかを知ってほしいし、忘れないでほしい」と語りました。
集会では、1998年から毎年、国連欧州本部に高校生が出向き、平和と核廃絶を訴える「高校生平和大使」の今年の代表となった広島の女子高生2人の決意表明があり、最後に「原爆を許すまじ」を420人の参加者全員で合唱して集会を終えました。
集会後、平和公園から折鶴平和行進が行われ、約2000人の参加者は「核兵器をなくそう」「ヒバクシャの権利を」などとともに「原発震災をくりかえすな!」「再稼働を許すな!」などと、シュプレヒコールや横断幕でアピールしました(写真右)。
夕方からは県立総合体育館で、原水禁・連合・核禁会議の主催による「核兵器廃絶2012平和ヒロシマ大会」が開かれ、6500人が参加しました。(写真)
主催者あいさつで連合の古賀伸明会長は核兵器の廃絶に向けた取り組みとともに、原発問題について「連合は最終的には原子力エネルギーに依存しない社会をめざす」と述べました。来賓として、中下善昭広島県副知事、松井一實広島市長、スティーブン・ベネディクトITUC局長があいさつしました。
被爆者からの訴えでは、広島県原爆被害者団体協議会の箕牧智之事務局長が、3歳で被爆した経験を語った後、「福島原発事故で新たなヒバクシャを作ってしまった。将来、もし子ども達に障害があれば、その責任を問おう」と強調しました。
平和アピールを採択した後、閉会あいさつに経った川野浩一原水禁議長は「原発事故を契機にエネルギー政策のあり方を考え直してほしい」を呼びかけて、大会を終了しました。 広島大会は6日まで開かれ、5日は分科会などが行われ、6日にまとめ集会が開催されます。
8月4日から始まった「被爆67周年原水爆禁止世界大会・広島大会」の第1日目は「開会集会」「折鶴平和行進」「核兵器廃絶平和ヒロシマ大会」が行われました。その内容をダイジェストにビデオにまとめました。(9分52秒)
原発の40年超は「厳格にチェック」「大飯原発に活断層あれば運転停止」と語る。