2012年5月アーカイブ
「アジア・太平洋地域に展開する米海軍は現在の規模の維持もしくは多少増える。空母、攻撃型潜水艦の他『沿岸海域戦闘機』と呼ばれる新鋭艦を積極的に配備する」と語る。
5月26日、東京・日本教育会館を会場に、「5.26講演会★さようなら原発」が開催され、550人が参加しました。呼びかけ人でルポライター・鎌田慧さん(写真)の挨拶に続いて、前半は、金子勝・慶応大学教授、村上達也・茨城県東海村村長の講演が行われ、後半には写真家・大石芳野さんの福島原発から20km圏内で撮影された写真を紹介しながらの講演。井野博満・東京大学名誉教授、ISEP環境エネルギー政策研究所首席研究員の松原弘直さんによる講演、井野さん、松原さんによるシンポジウムが開催されました。(講演内容は後日アップいたします)。
核燃料サイクル施設は動かなくても金食い虫
国民にツケを押しつける再処理工場
東京新聞の5月14日付けの記事(※本紙では3頁に掲載)にある通り、現在のトラブルで停止中の六ヶ所再処理工場(青森県六ヶ所村)は、稼働しなくても維持費だけで年間1100億円もの経費がかかることが明らかにされました。1日あたり約3億円もの浪費となります。内訳は別表の通りですが、これまで六ヶ所再処理工場の建設に2兆1千億円もの巨費が投じられても、いまだ完成の目途が立っていない現状にあります。今後政府部内での核燃料サイクルのあり方の見直しが進めば、さらにその存在意義が問われてきます。これまでの経費は私たちの電力料金から支払われ、今後もこの巨額の維持管理費は、いやおうなく電力料金から取り立てられます。電力会社や政府の政策的失敗のツケを国民に全て転嫁させようとするものです。
再処理工場だけではない!
巨額の金食い虫は再処理工場だけではありません。これまでも指摘してきた高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)も未完成なまま巨費を浪費し続けています。こちらも年間200億円弱、1日5500万円と言われています。これも完成の目途もなく、将来的に実用化の見通しもたっていません。これらは全て国民の税金で賄われています。
さらに規模は小さくなりますが、もんじゅに付随して日本原子力研究開発機構のリサイクル機器試験施設(RETF/茨城県東海村)も、2000年6月に試験棟が完成しましたが、12年近くに渡って放置されたままです。これまで建設・維持管理費に約830億円もかけても、もんじゅの長期に渡る停止にともなって、ただただ維持管理費(年間約3億円)が浪費されています。もんじゅの運転再開や将来像の見通しが立たない中で、今後も浪費だけは繰り返されていくことは明らかです。これらの建設・維持管理は全て国民の血税からです。
その上、記事にもありますように、核燃料サイクル施設が立地していることを理由に、政府が青森県の自治体に92億円の交付金(2011年度)を支払っています。これも私たちの税金からです。
現在、消費税値上げ論議が交わされる中、さらに福島などの原発震災の補償や事態の収束に向けた費用の捻出など多くの金銭的な課題が山積しています。実現性のない核燃料サイクルにこれ以上こだわり、本来もっと活かすべきところに資金が投入されないことは、政府や電力会社の犯罪的行為とも言えるのでないでしょうか。これ以上ムダな浪費をさせ続けてはなりません。今こそ決断のときです。
核燃料サイクルからの撤退を!
現在、原子力委員会で核燃料サイクルの見直しが議論されています。これまでの全量再処理から再処理せずに直接使用済み核燃料を処分する案がでています。しかし、どのような形でも六ヶ所再処理工場を活用する案では、その全体に施設の完成とスムーズな運転が求められています。しかしその見通しとなるとはなはだ不透明と言わざるを得ません。ましてや核燃料サイクルの完成などさらに問題になりません。すでに破綻しているプルトニウム利用路線からの撤退が必要です。ムダな夢に、ムダな資金を浪費している余裕など今ないはずです。
高レベルガラス固化施設は根本的欠陥施設だ!
今年1月24日に発生した六ヶ所再処理工場での高レベルガラス固化施設B系統のガラス溶融炉の事故に対する日本原燃の原因と対策が今月21日に発表されました。その中でB系統のガラス溶融炉の流下事故は、「炉の耐火レンガが欠けて底にたまり、炉を詰まらせたのが原因」と推定した上で「炉に大きな損傷はなく、健全性に問題はない」としました。しかし一方で、「今後もレンガが欠ける可能性はある」と説明しました。再発防止策として「炉の温度変化を緩やかにするなど、丁寧な運転で流下不調は避けられる」としました。この説明からもわかるように根本的な対策ではまるでなく、施設の運転でなんとか切り抜けられるのではないかとする対処でしかありません。
当初の「アクティブ試験時に発生が予想されるトラブル等とその対応(詰まり・堆積)」という事故想定の中にも載っていない想定外の事故(それは想定が甘いともいえるのではないか)であったことで、施設そのものの根本的な欠陥でしかないのではないでしょうか。知見も技術も未完成であり、今後も繰り返し同じようなトラブルが発生しうる可能性があるということです。欠陥施設にこれ以上期待をかけることは、必ず裏切られるのではないでしょうか。これ以上、悪あがきはやめるべきだと私たちは強く訴えます。
発表の当日、事前確認試験にむけてガラス溶融炉の熱上げを行いました。完了までに2週間程度かかると言われていますが、その後、前回失敗したガラスビーズを使った試験をまたもやろうとしています。今回も万全を期すとした上での再トライですが、ここで失敗したらどう責任を取るのでしょうか。例え今回うまくいっても、要は試験ビーズではなく本物の高レベル放射性廃棄物で、恒常的にコンスタントに施設が稼働しなければ意味がありません。それまでの道のりは、あまりにも険しいものがあるはずです。
文科省がもんじゅについて、①高速増殖炉実用化を目指す従来路線②5年後に実用化出来るか判断③実用化を断念するが、非基部とを燃やす炉として研究継続④もんじゅを含めて研究開発を中止、などの4案を原子力委員会の新大綱策定会議で示す。
日程の概要/被爆67周年原水禁世界大会
国際会議 8月5日(日)13:30~17:00
「脱原子力に向けた構想力─フクシマ以後の原子力」(仮称)
アークホテル広島
福島大会 7月28日(土)13:30~17:00
福島教育会館
広島大会 8月4日(土)~6日(月)
4日 開会総会「核兵器廃絶2012平和ヒロシマ大会」
グリーンアリーナ(県立体育館)
5日、6日 分科会・ひろば・まとめ集会
県民文化センター、ほか
5日 メッセージfromヒロシマ2012(子どものイベント)
グリーンアリーナ武道場
長崎大会 8月7日(火)~9日(木)
7日 開会総会「核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会」
県立総合体育館
8日、9日 分科会・ひろば・閉会集会~平和行進
ブリックホール、ほか8日 ピース・ブリッジinながさき2012(高校生のイベント)
5.15沖縄平和行進に参加するのは今回で2回目。前回は2008年だと記憶していたのですが、私が参加した嘉手納基地包囲行動があったのは、インターネットで調べたところ07年。平和フォーラムに入局したのが06年9月で、最初の平和行進は東京で留守番をしていたとばかり思っていたのですが、全く当てにならない記憶です。昨年は東日本大震災に伴う規模縮小のため、一昨年は限られた?参加枠を未経験者だったY本さんに譲ったため不参加でした。では、08年と09年はなぜ参加していないのだろう。ひょっとして参加したのかな……。それほど大昔のことではないのに思い出せません。情けない……。
2012年5月11日、暑いというより、痛いという言葉のほうが適切に思えるほどの日射しの下、第35回沖縄平和行進がスタートしました。私は南コース1日目に参加しました。辺野古、宜野湾の東コース、嘉手納、北谷の西コースは米軍基地の周囲を歩くコースですが、南コースは私たちが忘れてはならない、戦争の痕跡をたどるコースとなりました。
出発地点である県庁前の県民ひろばでは、朝9時から出発式が行われ、本土代表として発言した、福島県平和フォーラム事務局次長の國分俊樹さんが、「沖縄は基地、福島は放射能が故郷を奪っている。思いは同じだ」と訴えました。
2回目の参加で、歩くのは初めてだった私は鉢巻きを忘れてしまったのですが、(鉢巻きが必要と自覚していなかった)、たまたま出発式に顔を出していた事務局のS木さんのおかげで、鉢巻きを締めて参加することが出来ました。
発言する國分俊樹さん
参加者は県民ひろばを出発し、昼食をとるための休憩場所である西崎運動公園(糸満市)を目指しました。行進では隊列の後方で、日本音楽協議会・沖縄県支部(沖音協)の皆さんによる歌と演奏が、ほとんど途切れることなく続いていました。ただ歩いているだけでも参ってしまいそうな暑さの中、そのがんばりは印象に残りました。同じ歌も何度か演奏され、参加者の中には思わず鼻歌を歌っている方も見受けられました。休憩中には、食事を終えた参加者の方に、“突撃インタビュー収録”を実施し、快く応じてくださいました。
●参加者へのインタビューはこちら(1分30秒)
演奏しながら行進する沖音協+東京からの応援団の皆さん
昼の休憩場所となった西崎運動公園で
午後は、交通量の多かった泉崎バイパスなどを歩いた午前中とは一転、畑や養豚場のあるのどかな風景の中を通り、白梅の塔での給水を挟んで平和行進の隊列は、到着場所であるひめゆりの塔へ向かいました。道中、腕を何ヵ所か虫に刺され、かゆい思いもしました。
朝の出発から19.2キロ。日焼け止めを塗って臨んだ行進でしたが、腕のしっかり塗れていなかった部分がくっきり火傷のように日焼けし、沖縄の日射しの強さを思い知らされました。併せて、股関節が痛み始め、日頃の運動不足も実感させられました。来年参加される皆さんには、帽子やタオルの準備、十分な水分補給と睡眠(夜のアルコールは控えて!)、日焼け止めは汗で流れてしまうので、丁寧に時間を置いて何度か塗ることをお勧めします。
ひめゆりの塔では、祈念館の館長さんから戦争当時のお話を伺いました。館長さんからは「今、立っているこの辺りにも死体がたくさんあった。私たちはまだ女学生だったけれど、ケガ人の介抱などに従事していて、いつしか死んだ人を見ても何とも思わなくなっていた」と、戦争がもたらす悲惨さを訴え、参加者は静かに耳を傾けました。
(阿部浩一)
平和行進すべての詳細はこちら
カディマはイランへの性急な攻撃に反対している。
北海道電力泊原発3号機の定期検査入りでの停止に伴い、稼働している日本の原発がゼロになる5月5日、東京・芝公園で「原発ゼロの日 さようなら原発5・5(ゴーゴー)集会」が開催され、好天の中、5500人が参加しました。奇しくも、この日は「こどもの日」。会場では、「さようなら原発」鯉のぼりが参加者一人ひとりの手に持たれ、「原発はいらない」、「再稼働を許さない」の思いを乗せて泳いでいました。→詳しくはこちら
2012年5月5日に、42年ぶりに日本中の原発が停止しました。「さようなら原発1000万人アクション」では、この日に「原発ゼロの日 さようなら原発5.5集会」を東京・芝公園で開催しました。主催者の鎌田慧さん、澤地久枝さん、内橋克人さん、落合恵子さんのあいさつの他、賛同者の古今亭菊千代さん(落語家)、神田香織さん(講談師)のアピール、さらに、最後の稼働原発となった北海道から長田秀樹さん(北海道平和運動フォーラム)、福島からは椎名千恵子さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)の報告がありました。また、原子力資料情報室共同代表の山口幸夫さん、韓国・環境財団代表の崔冽さんからも訴えがありました。集会後、参加者は子どもの日にちなんだ鯉のぼりやプラカードなどを手に、東京タワーや浜松町駅周辺をパレードしました。
集会やパレードの様子をビデオにまとめました(約9分50秒)。
米国防総省が日本の次期主力戦闘機に決定している最新鋭ステルス戦闘機F35について、日本が配備を計画する42機の総額が推計100億ドルになると議会に報告。これには維持経費などが含まれるが、日本の推定額を約2倍上回る。
●ストレステストで大飯原発の安全性は判断できるか
原子力資料情報室共同代表・物理学 山口 幸夫
●失望の総選挙結果、そして韓国の反核運動
韓国・エネルギー正義行動 代表 イ・ホンソク
●東北アジアの非核化を求めて(1) 北朝鮮の衛星発射と日米の対応を考える
●県内全市町村で脱原発キャラバン行動に取り組む
平和環境岩手県センター事務局長 野中 靖志
原子力資料情報室共同代表・物理学 山口 幸夫
ストレステストは「だまし」
ストレステストは原発を推進する人たちが編み出した新手の「だまし」手法である。この4月13日、政府は大飯原発3、4号機の運転再開を妥当と判断した。関西電力が提出したストレステストの第一次評価報告書が、専門家11人による「意見聴取会」で認められたと原子力安全・保安院(保安院)が判断した。さらに原子力安全委員会(安全委員会)がそれを確認した。それらの一連のプロセスを経た後、関係4閣僚が「おおむね安全が確保された」として、運転再開へと動き出したものである。
3.11福島原発震災は未だ進行中である。事故の検証もなされていない。政府の事故調査委員会は中間報告を年末に出した段階であり、国会の事故調は実質的に今年1月にスタートしたばかりである。科学的・技術的に事故の解明はなされていない。
にもかかわらず、政治家が再開判断をしたということは、民主主義の本旨に反している。いざというときには「責任をとる」と言うが、どのような責任を取るのか。3.11地震で引き起こされた福島第一原発震災は基本的に人災である。だが、政治家、官僚、学者を含めて責任をとった人は未だ一人もいない。保安院、安全委員会、そしてもっとも責任を取るべき原子力委員会の誰一人として、責任をとった人はいない。
ストレステストは、福島第一原発事故の惨状を見たEU理事会が、傘下の14ヵ国の原発を対象に実施要請をした耐性試験のことである。公開性と透明性を謳い、市民の理解と認知を得ることが重要だとした。また、当該国の専門家を除いたピア・レビユーなど、慎重に原発の安全性をチェックする姿勢を示した。
保安院の意のままの意見聴取会
しかし日本の場合、菅総理(当時)が7月7日、「全原発を対象に実施する」と参院予算委員会で発言。7月11日、枝野・海江田・細野3閣僚が「1次評価を停止中の原発の運転再開の条件」とする声明を出し、再稼働条件にしてしまった。
それを受けて、保安院は専門家11名による「発電用原子炉施設の安全性に関する総合的評価に係わる意見聴取会」(ストレステストの表現は使われていない)なるものを設け、11月14日から2月8日まで8回にわたって意見聴取を行った。ちなみに、保安院は9月から11月にかけて、次の四つの課題についての意見聴取会を発足させた。「高経年化技術評価」、「東電福島第一原発事故の技術的知見」、「地震・津波の解析結果の評価」、「建築物・構造」に関してである。
これらの意見聴取会の大きな特徴は、委員が意見を述べ、それを聴いた保安院が委員の意見を集約するものであり、委員同士で議論をたたかわせて結論を導くものではないことである。保安院の意図のもとで、専門家の意見がまとめられてしまうとは奇妙な仕組みである。福島第一原発事故の直接の責任は保安院にあるのであり、これまでの保安院の方針・実施・判断の責任がきびしく問われているのだ。少なくとも保安院の課長クラス以上は引責辞任すべきなのである。さらに、3月31日をもって保安院も安全委員会も解体されることが決まっている(ただし、4月14日現在、解体されていない。新組織の原子力規制庁が発足できないでいるからである)。
大きく広がった「地元」の概念
ところで、ストレステスト意見聴取会は、原発の安全性に関する総合的評価が課題である以上、福島事故の検証ナシ、破綻した従来の安全基準の見直しナシ、事故時に被害を受ける地元住民の参加ナシは異常と言うべきである。意見聴取会には利益相反の疑いが濃い委員が4人もいるありさまだ。
一方で、後藤政志・井野博満の両委員は、毎回、安全性を問う意見を提出したが、二人の意見のほとんどを保安院は無視して、関西電力のストレステスト第一次評価報告書を「妥当」と判断したのである。ストレステストの第二次評価報告書は、各電力会社が年末までに提出するはずだったが、未だ一つも提出されていない。なんと拙速なことであろうか。
福島事故を踏まえれば、「地元」の概念は大きく広がった。しかし、どこまでを地元と言うのか、今後つめなければならない。いまや、関西圏の滋賀、京都、大阪、兵庫も地元というべきである。大飯原発3、4号機の再開などは全く論外なのである。過ちは二度と繰り返してはならない。
韓国・エネルギー正義行動 代表 イ・ホンソク
高まる原発問題に対する韓国民の関心
福島原発事故後の最初の韓国の総選挙が終わった。今年の総選挙は、いつにもまして変化への期待が高かった。韓米FTA、四大河川事業、チェジュ島の海軍基地問題など主要な懸案はもちろん、李明博大統領が普段自信があると豪語していた経済問題に至るまで、国民の失望が大きかったからだ。ほぼ全てのメディアは、今回の総選挙で野党の勝利を予想し、各種世論調査の結果はそれを裏付けていた。<br /> 特に原子力発電の問題に対する国民の関心と熱は非常に高かった。宗教界では総選挙の候補者に対する政策の検証内容を発表し、原発の周辺地域と新規原発候補地では原発問題は選挙の最大の争点であった。これまで脱原発問題で微妙な反応を見せていた野党第一党の民主統合党までが「原発見直しの立場」を発表し、与党のセヌリ党を除くすべての野党が原発に対して否定的な立場を表した。福島原子力事故の前は、少数の進歩政党だけが原発廃止を公約に掲げていたことを考えると大きな変化であった。
緑の党の出発とセヌリ党比例代表1番
この変化の最たるものが緑の党だ。以前にも韓国社会で「緑の党」という名前の政党が結成されたことがあったが、きちんと「緑」の価値が含まれていないと批判を受けたりし、新しい政党の結成を難しくさせている韓国政党法の限界を乗り越えることができなかった。韓国で政党を結成するためには少なくとも五つの広域市にそれぞれ千人ずつの党員が必要だが、これは新生政党にはあまりにも大きな壁だからだ。しかし福島原発事故は、この厳しい状況を変える大きな流れをつくり、結党は難しいという一部の予測を超えて党員7,000人規模の緑の党が結成され、地方選挙区の国会議員候補2名と比例代表候補3名が出馬した。<br /> このような脱原発陣営の流れにも与党は全く反応しなかった。セヌリ党は今後の原子力発電政策を問う市民社会陣営の質問に回答を遅らせるような形で結局答えなかった。しばらく時間稼ぎをしていたセヌリ党は比例代表の1番に「韓国原子力研究院」の研究委員を選ぶという「正面突破」を試みた。セヌリ党は女性科学者の役割を考慮して彼女を選定したと表明しているが、様々な女性科学者がいる中で、どうしてよりによって「原子力工学」を選んだかについては、相変わらず黙ったままだった。これは誰が見ても脱原発への意志がないことを明確に表した事件だった。
より強固な運動をつくる苦い薬に
そして総選挙が終わった。しかし、結果は非常に失望に満ちたものだった。選挙運動期間中、大統領府が政府に批判的な芸能人をはじめ、民間人を査察していたという証拠が出てきたり、一部のセヌリ党の候補者は、セクハラ、論文の代筆など資質が問題になったりしたが、国会議員全議席の過半数の152議席をセヌリ党が獲得した。ヨンガンを除いた既存の原子力発電所の地域と新規原子力発電所の地域でセヌリ党の候補が当選した。脱原発政策に何度も言及しながら比例代表候補当選のために努力していた緑の党と進歩新党は、それぞれ0.5%と1.1%の支持を獲得するにとどまった。韓国の政党法上、2%未満の支持率だった政党は解散することになっているため、これらの政党は新たに登録手続きを踏まなければならない。
今回の選挙結果は、まだ選挙で政策が優先されない韓国政治の断面を見せた。原発問題をはじめ様々な社会的問題への関心はこれまで以上に高かったが、まだ進歩政党はオルタナティブな勢力として認識されておらず、野党第1党の民主統合党に対する失望がより大きく作用したのだ。<br /> 韓国反核運動は、新たな戦略を練らなければならない。その戦略は、核のない世界を夢見る人々の考えを結集することから始めなければならないだろう。今回の総選挙は、巨大な大衆運動として反核運動が発展しない限り、原発を廃止させることができないという、最も単純な真理を韓国反核運動全体に伝えている。「雨降って地固まる」ではないが、今回の総選挙の結果は明らかに痛恨の失敗ではあるが、より強固な反核運動をつくるのに必要な"薬"になるだろう。この苦い薬を飲んで再びスタートに立てば、いつかは韓国でも真の脱原発が成されるだろう。
東北アジアの非核化を求めて(1) 北朝鮮の衛星発射と日米の対応を考える
あいまいな米朝協議後の衛星打ち上げ
今年の2月29日、米・国務省と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)外務省はそれぞれ、北京での高官協議における合意事項を発表しました。その内容は、「北朝鮮は核実験、寧辺(ニョンピョン)でのウラン濃縮活動、長距離弾道ミサイル発射実験の一時停止を受け入れ、国際原子力機関(IAEA)からの査察に応じる。一方米国は、24万トンの栄養補助食品を提供し、さらに追加的な支援を協議する」というものでした。
この協議は、昨年12月14、15日に開かれた米朝高官協議直後の17日に、金正日総書記が死去したため、仕切り直しとして開催されたと言えます。この12月の協議では、北朝鮮側から衛星打ち上げが伝えられています。北朝鮮は2009年3月に「宇宙条約」に加盟していて、2月の協議でも「平和的な衛星打ち上げ」と主張し、一方で米国は「衛星もミサイルと見なす」と主張し、双方の意見がまとまらないまま、前記の合意点だけ発表されたのが真相といえます。
こうしたあいまいな米朝合意後の3月16日、北朝鮮は4月15日の故・金日成主席の生誕100年に合わせ、地球観測衛星「光明星3号」をロケット「銀河3号」で打ち上げると発表。4月13日早朝、人工衛星を打ち上げましたが爆発し、破片が黄海に落下しました。
米国の懸念は長距離弾道ミサイル
今年末に大統領選を控え、外交成果の欲しい米・オバマ政権と、金日成国家主席生誕100年を前に食料支援を求める北朝鮮、双方の思惑があいまいな合意を作りだし、結果として合意を無にする結果となりました。6ヵ国協議再開や朝鮮半島、東北アジアの非核化を求めてきた私たちとしては、今後どう運動を進めていくのか、北朝鮮の衛星発射をめぐる米韓日の対応、特に日本の対応を検証し、考えていくべきだと思います
米国の北朝鮮に対する懸念は、小型核弾頭の開発と長距離弾道ミサイルの開発です。核弾頭は現在では不完全なものでも、小さな都市を破壊できることがわかっています。ですから当面の最大の懸念は、長距離弾道ミサイルの開発です。また衛星と弾道ミサイルのどちらも、同じロケットを使用するので、米国としてはどちらについても反対の立場です。ただ理由づけとして、国連安保理決議違反であるとしたのです。
こうして米国は反対の姿勢を強く打ち出し、宇宙、海上、陸上配備のレーダーと迎撃システムによるミサイル防衛網を起動させます。さらに日韓両国と共同して対処する方針を打ち出したのです。日韓両国もまた北朝鮮の衛星発射を最大限利用しました。ただ、核サミットに参加した中国の胡錦濤国家主席との会談では、反対の立場は引き出せたものの、中国は「憂慮する」との表現にとどめ、自制を求めました。
日米統合作戦の訓練の場に
北朝鮮の衛星発射を積極的に利用した日本は、どう動いたのでしょうか。北朝鮮の衛星が3段ロケットで、1段目が韓国西方沖の黄海、2段目が沖縄県・石垣島上空付近を通過し、フィリピン・ルソン島東方沖へ落下するとの通報を受け、3月30日に安全保障会議を開き、衛星打ち上げを長距離弾道ミサイル発射実験と見なして田中直紀防衛相は、自衛隊法に基づく破壊措置命令を出しました。さらに、イージス艦1隻を日本海に、2隻を沖縄周辺海域に配備、PAC3部隊を首都圏、沖縄本島、石垣島、宮古島に配備。その上、自衛隊員800人を沖縄本島や、石垣島、宮古島、与那国島に配備しました。
航空自衛隊の航空総隊は、米軍再編成によって3月26日に、これまでの府中基地から福生市の米軍横田基地に移転したこともあり、日米初の統合作戦が行われることになりました。陸上自衛隊の中央即応集団司令部も2013年3月までに、在日米軍司令部のある神奈川県のキャンプ座間に移転する予定です。アジアに軍事力の重点を移すとした米政権と、日本政府が2010年末に閣議決定した「防衛大綱」「新中期防」で「動的防衛力」を打ち出し、対中国への防衛力増強(沖縄などへの軍事力増強)を進めようとする両国政府にとって、北朝鮮衛星発射問題はまたとない日米統合作戦訓練の場となりました。
さらに北朝鮮の衛星発射に際して、沖縄などへの連絡の遅れあったことを大きな理由として、政府は偵察衛星の必要性を訴えようとしています。衛星打ち上げに失敗した北朝鮮は、今後どのように動くでしょうか。昨年末までの米朝協議では、05年9月19日の6ヵ国協議共同声明を基礎とすることが確認されてきました。
しかし、金正日総書記の後を継いだ金正恩第1書記は、核武装は父の遺訓であると語るなど、今後、核実験にまで踏み切るのかは見えていません。
平和環境岩手県センター事務局長 野中 靖志
平和環境岩手県センターは、2010年12月、県原水禁、県護憲連盟と平和環境岩手県労組センターが統合し、新組織として結成されました。昨年3月11日の東日本大震災・大津波によって、本県でも大きな被害があり、この間の全国からの支援に対し感謝申しあげます。<br /> 当センターは、社民党岩手県連合とともに、さようなら原発1000万人アクションの取り組みの一環として、2月14日から3月6日にかけ県内全町村の延べ700キロをめぐる「脱原発キャラバン行動」に取り組みました(写真)。キャラバン隊は、県都の盛岡市を出発し、県北地域から沿岸部、県南部の順に県内を1周して、市民に脱原発を訴え続けました。
キャラバンでは、社民党の地方議員団が弁士として街頭宣伝を行い、県北部の久慈地域では市の日にあわせて街頭署名行動にも取り組みました。地元の社民党市議が、「福島第1原発の放射能もれ事故によって、本県南部を中心にシイタケなど農作物をはじめとする風評被害や、幼稚園・保育園、学校などの庭土からも放射性セシウムが検出され、市民の不安が大きい。今こそ、岩手から脱原発の声を大きく上げていこう」と、市場に訪れた買い物客に訴えました。
現在、岩手県内に原発はありませんが、今から50年前には、岩手でも原発の誘致、建設の動きがあり、県労連(当時)や社会党が地域住民といっしょになって反対行動に取り組み、原発建設を阻止した歴史があります。1000万人署名の岩手県の目標は10万筆であり、現在7万筆を集約したところです。
3月11日に福島県郡山市で開催された「原発いらない3.11福島県民大集会」には岩手から70人が参加。また、4月7日に青森で開催された「反核燃の日全国集会」にも40人が参加しました。今後も、広範な市民とともに手を携えて、脱原発への道筋を確かなものにするため取り組んでいく決意です。
「原発はあんたたち(注・マスコミの人間)ふうに言えば、タブーの宝庫。それが裏社会の俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ。はっはっは」。とある原発立地の街のヤクザの組長の言葉です。地元の有力者をとりまとめ、街を代表して電力会社と交渉し、補償問題を解決する。ゼネコンと話をつけて、息のかかった地元の土建屋に仕事を振り、また労働者のあっせんを請け負う......。筆者はこう言います。炭鉱でもそうだったように、「暴力というもっとも原始的、かつ、実効性の高い手段は、国策としてのエネルギー政策と常にセットとして存在している」。
筆者はヤクザ専門誌の元編集長で、裏社会取材を得意とするジャーナリストです。暴力団関係者から寄せられた情報をきっかけに取材をするうちに、周辺取材に飽き足らず、福島第一原発へ作業員として潜入取材を行いました。筆者自身が汗まみれになり被曝の恐怖を肌身に感じながら、付け焼き刃の工事の実態、ずさんな放射線管理、すさんだ現場の様子を記録していきます。事故直後の第一原発での決死の作業に従事した、いわゆる「フクシマ50」の当事者にも接触しています。彼の所属する会社への電力会社からの要請は、「死んでもいい人間を用意してくれ」。その内容は実に生々しいものです。
筆者は、タブルスタンダードの常用を余儀なくされる点に、ヤクザと原発の親和性を嗅ぎ取ります。「原発は村民同士が助け合い、かばい合い、見て見ぬふりという暗黙のルールによって矛盾を解消するシステムの上に成り立っている。不都合な事実を詰め込む社会の暗部が膨れあがるにつれ、昔からそこに巣くっていた暴力団は肥太った。原発と暴力団は共同体の暗部で共生している」。構成からも、取材の行き当たりばったりさが伺えますが、それが筆者の息遣いをよく伝えていて、迫真のノンフィクションに仕上がっています。
(山本 圭介)