2012年3月アーカイブ
・禍は根元から断とう!
・2000人のさよなら原発!!の声、ほか
2012年3月29日
京都府知事
山田 啓二 様
原水爆禁止日本国民会議
京都平和フォーラム
反原発運動全国連絡会
大飯原発を再び動かさないことを福井県ならびに関西電力に対して求める要請書
貴職におかれましては、日頃の京都府行政にかかわる真摯なとりくみに敬意を表します。
さて、関西電力は「原発に依存する電力の比率が高く、この夏の電力が不足する」と主張して、大飯原発3・4号炉の再稼働にむけた動きを強めています。同社は、原子力安全・保安院のストレステスト1次評価を「妥当」とする審査結果とセットで再稼働の必要性を訴えています。そして政府は、ストレステストの2次評価について保安院への提出がないままで、「政治判断」をするのではないかとも伝えられています。
一方、東京電力の福島原発事故については、原因もいまだ明らかになっていません。政府は、事故調査・検証委員会の中間報告をもって「一定の知見が出た」としていますが、検証は終わったわけではなく、事故原因の究明も十分とはいえません。ストレステストは安全性の保証にはならないのです。原子力安全委員会の斑目春樹委員長さえも「2次評価までやるべきである」と述べており、枝野幸男経済産業大臣までが「ストレステストで安全性が確認されたわけではない」と発言するなど、ストレステストそのもののあり方に問題を投げかけています。また、大飯原発周辺の活断層について、調査の結論がいまだに出ていない現実を踏まえるべきです。
今回、防災範囲(事故対策重点地域)が、これまでの10㌔圏から30㌔圏に拡大されて、京都府内の広い市町がその中に入ることになりました。しかし、防災計画の対応は整っていません。福井県や地元おおい町の合意だけで事をすすめようとすることは地方自治の観点から許されません。
京都府におかれましては、大飯原発の隣接地方自治体である京都府との協議がないまま事態が進行することのないよう、福井県ならびに関西電力に対して要望するようことを求めます。そして大飯原発について、3・11以降大きく変化した原発への国民世論を正面から受け止め、府民の生命と財産・安心・安全を確保する立場からも、再稼働については京都市・滋賀県とも協議の上、慎重が上にもより慎重に判断されるよう強く求めます。
2012年3月29日
京都市長
門川 大作 様
原水爆禁止日本国民会議
京都平和フォーラム
反原発運動全国連絡会
大飯原発を再び動かさないことを福井県ならびに関西電力に対して求める要請書
貴職におかれましては、日頃の京都市行政にかかわる真摯なとりくみに敬意を表します。
さて、関西電力は「原発に依存する電力の比率が高く、この夏の電力が不足する」と主張して、大飯原発3・4号炉の再稼働にむけた動きを強めています。同社は、原子力安全・保安院のストレステスト1次評価を「妥当」とする審査結果とセットで再稼働の必要性を訴えています。そして政府は、ストレステストの2次評価について保安院への提出がないままで、「政治判断」をするのではないかとも伝えられています。
一方、東京電力の福島原発事故については、原因もいまだ明らかになっていません。政府は、事故調査・検証委員会の中間報告をもって「一定の知見が出た」としていますが、検証は終わったわけではなく、事故原因の究明も十分とはいえません。ストレステストは安全性の保証にはならないのです。原子力安全委員会の斑目春樹委員長さえも「2次評価までやるべきである」と述べており、枝野幸男経済産業大臣までが「ストレステストで安全性が確認されたわけではない」と発言するなど、ストレステストそのもののあり方に問題を投げかけています。また、大飯原発周辺の活断層について、調査の結論がいまだに出ていない現実を踏まえるべきです。
今回、防災範囲(事故対策重点地域)が、これまでの10㌔圏から30㌔圏に拡大されて、京都市内の一部がその中に入ることになりました。しかし、防災計画の対応は整っていません。福井県や地元おおい町の合意だけで事をすすめようとすることは地方自治の観点から許されません。
京都市におかれましては、大飯原発の隣接地方自治体である京都市との協議がないまま事態が進行することのないよう、福井県ならびに関西電力に対して要望するようことを求めます。そして大飯原発について、3・11以降大きく変化した原発への国民世論を正面から受け止め、市民の生命と財産・安心・安全を確保する立場からも、再稼働については京都府・滋賀県とも協議の上、慎重が上にもより慎重に判断されるよう強く求めます。
経産省は誤りを認め、路線転換を
無責任な核燃料サイクル施設の認可はやめろ!
欠陥工場・六ヶ所再処理工場
現在、六ヶ所再処理工場は、高レベル放射能ガラス固化施設のトラブルで停止し、再開の目途さえたっていません。今年10月に予定されていた「完工」も不可能となっています。今回のトラブルとなったガラス固化製造試験は、2008年12月以降約3年間も同様のトラブルで中断し、今年1月に試験再開となりましたがすぐにトラブル-停止の事態に追い込まれるという失態を演じました。今回のトラブルは、本来のガラス固化製造試験前の作動確認のために「非放射性の模擬ガラスビーズ」を使用し、ガラスの流下がうまくいかなくなってしまったことにあります。あらためてガラス固化体製造技術の問題点(限界)が浮き彫りにされました。ガラス固化施設そのものはA系統、B系統の二つのラインがありますが、そのどちらもトラブルで停止したままとなっています。
そもそも、この施設が完成しなければ、政府・推進側が進める高速増殖炉やプルサーマル計画といった核燃料サイクル政策は根本的に破綻を招くものです。それだけ重要な施設である六ヶ所再処理工場は、いまだ完成の目途がたたない施設としてあり(【表】を参照)、その間に3・11の福島第一原発事故により、原子力そのものをめぐる環境が大きく変わり、再処理の存在自体も問われるようになってきました(P4「最近の新聞記事から」)。六ヶ所再処理工場を支える最大の大株主である東京電力は、今後、事故の莫大な賠償負担を背負い続けなければならず、さらに本格的に再処理工場が稼働していけば費用負担も増大していくことになります。すでに経済的にも六ヶ所再処理工場の破たんは明らかです。そのツケは結局、私たち国民に向けられてくることになります。
無責任な核燃サイクル施設の認可
六ヶ所再処理工場の先行きが不透明感を増す中で、核燃料サイクル政策そのものも破たんが明らかになっています。ウランとプルトニウムを混合してMOX燃料として既存の原発で燃やすプルサーマル計画は、1997年の閣議了解後、これまで2010年に16~18基原発で実施する予定が、杜撰な計画は2015年へと延期されましたが、現在まで福島第一原発3号機など4基のみでしか実施されていません。福島第一原発事故により、プルトニウム(肺や肝臓、骨に蓄積し発ガンの危険性がある)の飛散も検出され、プルサーマル発電そのもののあり方も問われる一方、原発の再稼働自体が危ぶまれる状況にあります。2015年に延期しても計画はまたまた破たんを来すことは明らかです。
また、「夢の原子炉」と言われていた高速増殖炉も、その原型炉「もんじゅ」の相次ぐ事故により、85年の着工以来まともに動かずにいます。95年のナトリウム漏洩・火災事故で15年に渡り停止し、2010年の運転再開に漕ぎ着けても、すぐまたトラブルを頻発していまも停止中で、再開の目途も立っていません。その間、研究開発費も削られますます「実用化」にはほど遠い状況となっています。
さらに、3・11以降、これまでの原子力政策の見直しの議論の中で、核燃料サイクル政策の見直しが議論されています。議論の行方次第では政策の見直し、計画の大幅な変更などが考えられます。さらに、事故や安全規制に対応する安全体制がこれまでの経済産業省から環境省へ移管され、新たな体制(原子力規制庁)がとられようとしていいます。しかし、ここへ来て駆け込み的に、原子力安全・保安院が施設認可を出し続けています。
2月に日本原燃のウラン加工工場の遠心分離器の設置許可、3月にはフルMOX燃料(100%MOX燃料)で発電する大間原発の建設工事に関わる「変更計画」を認可してきました。さらにMOX燃料加工工場の建設の認可も3月中になされる可能性があります。
【表】六ヶ所再処理工場の略年表
1991年3月 事業指定
1993年4月 建設開始
2001年4月 施設完成(通水試験開始)
2002年1月 化学試験開始
2004年12月 ウラン試験開始(劣化ウラン)
2006年3月 アクティブ試験開始
2007年11月 ガラス固化体製造試験開始
(以降多数の事故・トラブルで試験中断)
※建設費 当初 7600億円
現在、約2兆2000億円(まだ未完成)
社会的責任としても許されない!
現在、54基ある原発は、現在北海道電力の泊原発3号機のみとなり、5月に入れば全ての原発が停止することになります。3・11以降、原発をめぐる環境が厳しくなる中で、再稼働そのものがますます厳しくなっています。MOX燃料やウラン燃料の需要があるのか? 仮にそれらの施設で動かしても経済的にも割が合わないものとなり、経済的破綻は明らかです。不透明な核燃料サイクル路線を既成事実化して強引に推し進めることは、3・11以降の政府・電力会社の社会的責任としても許されることではありません。巨額な賠償や復興への資金が必要な時期に、ムダで危険な核燃料サイクル路線を無謀にも進め、そのツケを国民に押しつけることは絶対に許されません。
いま必要なことは、破たんした核燃料サイクル路線の根本的な見直しが必要です。いたずらに「人・モノ・金」の浪費は、いまや電力業界にその余裕はないはずです。これまでの政策的誤りを認め、路線転換を速やかに行うことを求めます。そして無責任な認可はすみやかに撤回することを求めます。
イージス艦3隻を沖縄周辺の東シナ海に2隻、日本海に1隻、PAC3を石垣島、三養基島、沖縄本島に投入。30日、破壊措置命令を出す。
福島県教育委員会
委員長 遠藤 由美子 様
学校での「放射線教育」実施に関する要請
2012年3月27日
原水爆禁止日本国民会議
議 長 川野 浩一
事務局長 藤本 泰成
文部科学省は2011年10月、小学校から高等学校の児童・生徒を対象とした放射線副読本を公表しました。全国的にも2012年4月から放射線教育の実施が予定されていますが、福島県では全国に先駆け、一部の学校ですでに実施されているものと存じます。
この「副読本」は、そもそも電力業界との深い繋がりが指摘されている「日本原子力文化振興財団」が作製したものです。また、福島原発事故についてほとんど触れることがないばかりか、放射線被曝の人体への影響について他の一般的な健康リスクと同列に扱い、一方で放射線の(工業的)利用のメリットについての解説に重点が置かれているなど、その問題性が各所から指摘されているところです。
現実に福島に生き、また学んでいる多くの子どもたちにとって、2011年3月11日の福島原発事故以後、放射線の問題は、子どもたち自身の現在、そして未来にかかわる重大事です。上記の「副読本」の内容では一面的すぎて、子どもたちが放射線の問題について理解を深めるためのものとして、まったく不十分であると言わざるを得ません。
一方、貴委員会が、教職員に対して、この「副読本」の内容から逸脱しないよう指導をしているとの報道がされています。さらに原発の是非についても触れないようにとの指示を出されているということですが、事実ならば、そのような方針には大きな問題があると考えます。
教育の現場で、子どもたちとともに、3.11福島原発事故以後の現実に向き合ってきた教職員に、被災の原因である原子力発電所の存在、そしてその背景にあるこれまでのエネルギー政策を黙認することを強いることに他なりません。子どもたちの健康と安心のために必要になるであろう、子どもたち自身が安全について判断できる力を獲得していくためには、福島原発事故の被害の実相に関するデータなどに基づく、現場での多様な教育実践こそが、大きな手助けになっていくのではないでしょうか。
貴委員会におかれましては、教職員の現実に即したさまざまな教育実践の検討と追求に対し抑制を加えることがないよう、強く要請いたします。
《資料》
東日本大震災:福島第1原発事故 放射線教育で混乱 被ばく触れぬ副読本 (毎日新聞)
◇福島県教委「内容通りに」/現場「リスクをどう説明」
東京電力福島第1原発事故を受け、全国に先駆けて放射線教育を実施している福島県教委が、原発事故やそれに伴う被ばくに触れない国の副読本から逸脱しないよう教員を指導していることが分かった。「原発の是非に触れるな」とも指示。学校現場では、指示通りに教えると被ばくに不安を抱く親から批判され、危険性に言及すると違う立場の親から苦情が来るといい、実情に合わない指導で混乱も生じている。放射線教育は4月から全国で始まる見通しで、同様の事態の拡大も懸念される。【井上英介】
福島県内の放射線教育は、小中学校で週1時間の学級活動を使って計2~3時間教える形で、郡山市や会津若松市などの一部の学校で実施されている。
県教委は実施前の昨年11月以降、県内7地域で各校から教員を1人ずつ集めた研修会を開いた。参加した教員によると、指導主事から「副読本に沿って教えよ」「原発には中立的な立場で」などと指導を受けた。会場から「被ばくのリスクや原発事故を子供にどう説明するのか」など質問が出たが、何も答えなかったという。
研修を受けた教員は「副読本は放射線が安全だと言いたげで、不安に苦しむ住民は納得できない。県教委に従えば、県議会が県内の原発の廃炉を求めて決議し、県が廃炉を前提に復興計画を作ったことにも触れられない」と疑問を示す。
小中学校の教員で組織する福島県教組によると、親の間では被ばくの影響について見方が割れ、学校や教委に「放射線の危険性について認識が甘い」「不安をあおり、過保護にするな」など正反対の苦情が寄せられている。放射線量が高い地域の小学校教諭は「親の意向で弁当を持参して給食を食べず、屋外での体育を休む児童がいるが、他の親たちに批判的な空気も生まれるなど厳しい状況にある。副読本や県教委の指導は福島の現実に即していない」と指摘する。
県教委学習指導課は「大半の教員は放射線の素人で、教え方がばらついても困るので副読本に沿うようお願いしている」と話す。
副読本を作成した文部科学省開発企画課は「地域や教員によっては物足りないと感じるかもしれないが、自治体教委の要請もあり、放射線について最低限必要な知識を伝えるために作った。使うも使わないも自治体教委の自由だ。来年度も作ることになれば、意見を踏まえて充実させたい」と説明している。
5月訪米予定のロシア・プーチン大統領に戦術核削減を提案と語る。(※その後、5月にプーチン大統領は訪米しなかった)。
福井県知事
西川 一誠 殿
大飯原発の再稼働に慎重な判断を求める要請
日頃の県民行政に対する真摯な取り組みに敬意を表します。
さて、現在、関西電力の全ての原発が定期点検に入り停止していますが、関西電力は原発が占める電力の比率が高いことや夏の電力が不足するとの理由から、現在停止中の大飯原発3・4号機の再稼働にむけた動きを強めています。原子力安全・保安院のストレステスト1次評価を「妥当」とする審査結果とセットで再稼働の必要性を訴えており、ストレステストの2次評価も保安院への提出がないまま「政治判断」されるのではないかとも伝えられています。
現在、福島原発事故の原因もいまだ明らかになっていません。政府は、事故調査・検証委員会の中間報告をもって「一定の知見が出た」としていますが検証は終わったわけではなく、事故原因の究明されない中での対応策も十分とはいえません。さらにストレステストも安全性の保証にはなりません。原子力安全委員会の斑目春樹委員長は「2次評価までやるべきである」と述べており、枝野幸男経済産業大臣も「ストレステストで安全性が確認されたわけではない」と発言するなどストレステストそのもののあり方に問題を投げかけています。また、大飯原発周辺の活断層の調査のいまだ結論が出ていない現実を踏まえるべきです。また、防災範囲(事故対策重点地域)がこれまでの10キロ圏内から30キロ圏に拡大し、京都府や滋賀県もその中に入ることになりましたが、そのための防災計画もの対応も整っておらず地元住民合意もはかられない中で、福井県や地元おおい町の合意だけで事をすすめようとすることは地方自治の観点からも問題です。地域住民の合意を最優先に進め、防災範囲が拡大した隣接県などとの協議を深めることを要望します。
大飯原発をめぐる状況は、3・11以降大きく変化した原発への国民世論を正面から受け止め、県民の生命と財産・安心・安全を確保する立場は当然ながら周辺県の住民のことも視野に入れ、再稼働については慎重が上にもより慎重に判断されるよう強く求めます。
拙速な判断は、福井県の歴史に大きな禍根を残すことになることを付言します。
2012年3月26日
3・25 大飯原発3・4号機「再稼働」に
慎重な判断を求める市民集会 参加者一同
滋賀県知事
嘉田 由紀子 様
大飯原発を再び動かさないことを国と福井県に求める要請書
日頃の県民行政に対する真摯な取り組みに敬意を表します。
さて、現在、関西電力の全ての原発が定期点検に入り停止していますが、関西電力は原発が占める電力の比率が高いことや夏の電力が不足するとの理由から、現在停止中の大飯原発3・4号機の再稼働にむけた動きを強めています。原子力安全・保安院のストレステスト1次評価を「妥当」とする審査結果とセットで再稼働の必要性を訴えており、ストレステストの2次評価も保安院への提出がないまま「政治判断」されるのではないかとも伝えられています。
現在、福島原発事故の原因もいまだ明らかになっていません。政府は、事故調査・検証委員会の中間報告をもって「一定の知見が出た」としていますが検証は終わったわけではなく、事故原因の究明されない中での対応策も十分とはいえません。さらにストレステストも安全性の保証にはなりません。原子力安全委員会の斑目春樹委員長は「2次評価までやるべきである」と述べており、枝野幸男経済産業大臣も「ストレステストで安全性が確認されたわけではない」と発言するなどストレステストそのもののあり方に問題を投げかけています。また、大飯原発周辺の活断層の調査のいまだ結論が出ていない現実を踏まえるべきです。
防災範囲(事故対策重点地域)が、これまでの10キロ圏から30キロ圏に拡大して滋賀県もその中に入ることになりました。そのための防災計画の対応も検討中であり、地元住民合意もはかられない中で、福井県や地元おおい町の合意だけで事をすすめようとすることは地方自治の観点から許されません。
隣接県である私たち滋賀県民との協議のないまま事態が進行することのないよう国と福井県に要望することを求めます。
大飯原発をめぐる状況は、3・11以降大きく変化した原発への国民世論を正面から受け止め、滋賀県民の生命と財産・安心・安全を確保する立場からも、再稼働については、慎重が上にもより慎重に判断されるよう強く求めます。
2012年3月26日
原水爆禁止日本国民会議
福井県平和環境人権センター
護憲・原水禁滋賀県民会議
3月25日、定期検査で停止中の大飯原発3・4号機の再稼働が焦点となる中、再稼働に反対する「大飯原発3・4号機『再稼働』に慎重な判断を求める市民集会」が福井市・中央公園で開催され、約700人が参加しました。主催は「原子力発電に反対する福井県民会議」。代表委員で住職の中嶌哲演さんは、「拙速な再稼働はやめて、原発が本当に必要かどうかの国民的議論を行うべき」と発言しました。
集会後、JR福井駅前を目指して、デモが行われました。また、26日には福井、滋賀両県知事宛てに、申し入れ行動を行いました。
3月24日、東京・日比谷野外音楽堂で「再稼働を許すな!さようなら原発1000万人アクション」集会とパレード行進が行われました。全国から6000人が参加し、脱原発をめざし、1000万人署名の達成を決意しました。
その集会とパレードの模様をビデオにまとめました。(約9分)
3月24日、東京・日比谷野外音楽堂で開催された、「再稼働を許さない さようなら原発1000万人アクション」には、雨模様の天気にもかかわらず、6000人が参加しました。集会での発言をまとめました。
鎌田慧(ルポライター/呼びかけ人)
明後日、柏崎の原発が休止します。これで53基、あと1基、北海道電力がまだ残っていますけど、これを停めると日本から原子力発電の発電がなくなります。本当にさっぱりした日を迎えます。
しかし、残念ながら空は今までの空ではありません。放射能に汚染された空、放射能に汚染された土、川、海がまだ残っていて、これはなかなかどうにもならないという状態にあります。それでもとにかく原発を停めてこれからの新しい時代を開いていくという時代がやってきます。
これに対して野田首相は自分が先頭に立って原発再稼働をやると言っています。こういう人々の思いに真っ向から挑戦するようなことは認められない。今日の集会は、原発再稼働を許さないという集会です。電力会社と政府の、今までの古い利害関係と古い思想で何とかしようということ私たちははねのけて新しい社会をつくっていくという思いをこめた集会だと思います。もう原発は原爆と同じで人類には両立できないというのがはっきりしてきました。もう原爆も原発も私たちは全て拒否する、そういう時代に入っています。
これは、ちょうど広島で原爆が落とされて日本政府がもたもたしていた、日本の国体を守るとかのために広島で原爆を落とされてもまだ降参しなかった。そしてむざむざ長崎の犠牲をつくりました。そういう歴史の誤りを今もう一度行っているような気がします。今、福島で原発が爆発しました。しかし、まだ古い勢力は原発絶対体制をやめようとしていません。このような誤った政府を脱原発に向け政策を転換させていく、そして福島の次の第二の長崎をつくらない。そのために今がんばらないと、子どもたちに禍根を残します。もうすでに私たちは子どもたちにどう謝っても謝りきれないような過ちをしてしまったわけです。原発に反対する力が足りなかったとの思いを込めて、今日この雨の中のデモ行進でこれからの私たちの意志を表明したいと思います。
今現在、まだ署名は550万です。550万は多いようでもあるし少ないようでもある。しかし、1000万を私たちはやることに決めています。ですから、明日から本当にがんばりましょう。一人が10票、一人が100票集めれば集まります。そして、7月16日の10万人集会を成功させましょう。8月に政府がエネルギー政策を決める前に絶対再処理工場を認めない。もんじゅも認めない。日本は原発社会から脱する。その10万人集会をやって、さらに電力会社と政府を追い込んでいく。そういう意味が今日の集会になります。この記念すべき雨の集会で何とかがんばっていきましょう。
澤地久枝さん(作家/呼びかけ人)
明後日26日に、今動いている二つの原発のうち一つが停まります。そうすると残るのは北海道の泊原発一つということになるわけです。去年の3月11日の後、みんなが「もう原発はだめだ」と思ったときに、原発がなくなったら江戸時代に戻るというようなことを平気で言う人が出てきたんです。これはマスメディアの責任だと思うけど、その人たちの声のほうが前面に出てきたんです。福島はこうなっている。あるいは岩手はこうなっているとちゃんと言う人がいると、必ず、「しかし」とか言って「日本の技術革新の歩みを止めるわけにはいかない」などという声が、テレビ、新聞、雑誌で大きくなりました。
日本人って忘れやすいのかもしれないけれども、何となく原発事故のことを言うまいという空気が強くなったという気がします。原発絶対反対と言うと冷たいという目で見られるというようなことが現実に起きている。でも、そんなばかなことがあるかと私は思います。
現在、「さようなら原発1000万署名」は550万人だそうです。日本の人口を考えたら、10人に1人が署名をすれば1000万人は軽いと私は思っていたんです。でも現実に動いてくださっている方たちの話を聞くと、結構いろんなしがらみがあってやりにくいことがあるそうです。でも、ここで私たちがだめだと思うわけにはいかないと思うんです。原発を停めても完全に停めるのには何十年もかかる。しかもその跡地は使えないですよね。そのような状態の中で私たちはだんだん寿命がつきて原発がなくなっていくというのではなくて、私たちの意志で原発や原発関連の諸施設もいらないということをはっきりと言っていきたいと思います。困難はあるかもしれないけれども、でも次の世代、さらにその先の世代に恐怖を押しつけて私たちは人生を退場するわけにはいかないと思います。
そして、やがて私たちは魚を食べられない、どこの海の魚がうんぬんという日にもうすでになっていると私は思います。あれだけ海に放射能に汚染された水を流していて海の魚たちが無事なはずはないですね。いずれ私たちはどうするかということを考えなければならない。放射能に東京も汚染されていますよね。今日も雨で濡れるわけだけれども、子どもを生むというようなことに関係のない年齢の大人たちは福島のものでも何でも恐れずに食べなければならないですね。これは食べましょう。そして子どもたちとこれから子どもを生む可能性を持っている男・女にはなるべくそういうものを食べさせない工夫を私たちは自ら守るためにやらなければならないと私は思っています。だから、どこのものは大丈夫、これはだめというのはやめたい。
それから、放射能を測る機械は高く、ちゃんと測るには千何百万円だというけど、計測する機械が足りないんじゃないですか。そんな国ってあります。54基も原発があって放射能を測る機械がないというのは本当にばかげていると私は思います。私は本当に怒っているんです。私が今はっきり言いたいと思うのは、命を金に代えることはできないということです。命を売っちゃいけないですよね。私たちは命をいとおしんで大事にいきましょう。私にできることはこういうところに出てきて、私もみなさんと同じ熱い気持ちを持って、絶対に原発は私たちの力で確実に停める、原発関連のものをみんな停めていくということを、私も思いみなさんも思うという、そういう交流をする以外に今私には道がないです。希望はないように見えるけれども、私たちが希望をつくっていくんですね。みなさんがつくってくださるんです。がんばっていきましょう。
辛淑玉さん(人材育成コンサルタント/賛同人)
こんにちは。辛淑玉です。先だって福島の保育園に行ってきました。私がガラッとその年長組の部屋を開けましたら、約20人ぐらいいた保育園の子どもたちが声を揃えて言いました。「男?、女?、男?、女?、男?、女?」と、大合唱されました。私が「どっちだと思う」と聞きました。そしたら17名の子どもが「男」と言いました。3名の子どもが「女」と言いました。「どうして男だと思うの」と聞いたら、「入ってきた態度がでかかったから」と言われました。そうですね。それで「どっち、どっち、どっち」と聞かれたので、「どっちでもないよ」と言いました。そしたら子どもたちはパニックになりまして、そしてその部屋を出るまで「ねえ、男?、女?、男?、女?、男?、女?」と、みんなまとわりついてきました。そして最後まで私は答えを言わないで出てきました。おそらく今ごろ悩んでいると思います。小さいときからちゃんと悩むということは大事なことです。
だけど、答えを出すまでもないものがあります。それは核を持つということ、そして原発ということ。これははっきりしています。人を殺すものだからだめです。私が原発に反対するのはとても簡単です。それは差別だからです。人を殺してもいい、殺してもいい命がある。だから武力を持ち、だから核開発をする。そして貧しく声を上げられないところに原発を持っていく。あの心根に私は差別があると思っています。
福島が環境破壊をされ、海は汚染され多くの人たちはたくさんの不安を抱えました。それは、これから差別をされるんじゃないかという思いです。私たちはきちんとそういったものを一つ一つ歴史の中で落とし前をつけてきませんでした。たとえば、福島に原発を置くこと、これはまさに沖縄に基地を置くのと全く同じ構造です。そして海の汚染。これは長い間水俣病の人たちを差別してきた構造と全く一緒です。そして帰れないふるさとをつくった。福島だと言ってしまったら不安がある。すでにもう出ています。結婚差別。放射能がうつる。それは、被爆二世・三世にやってきた差別と全く一緒です。この国は世界で初めての被爆国とかなんとか言いながら、その犠牲者に対してきっちりとしたケアをしてこなかったんです。そして、自分の都合のいいところだけとって、さも被害者のようなふりをして、被害者を救ってこなかったんです。その原爆被爆の二世・三世の人たちに対する差別がまた福島で始まりました。そして、部落差別です。全く同じ構造が福島に振り落とされました。心を壊し、家族を壊し、地域を壊し、社会を壊し、これが原発の結果です。
私は、明日より今日、命より金を選ばせる人たちを説得できるほどの人生は長くありません。だから、より理解できる人たちと一緒に手を取り合って少しでも早く、少しでも多くの人たちと命が奪われない社会をつくっていきたいと思います。福島の原発が爆発したときに、今日もここに来ている水道労組の人たちはタンクを抱えて福島に入りました。それは、おれも生きるがあんたも生きろ、一緒に生きていこうというこの思いです。その思いをまた日本全国に届けていきたいと思います。
大内良勝さん(3.11福島県民大集会実行委員会)
先々週の3月11日は大変ありがとうございました。1年ということで、みなさんにお集まりいただき1万6千人ということで発表させていただいています。県内8000人、さらには多くの応援団ということで、全国の仲間8000人以上に結集いただきまして、初めて大集会を成功させることができました。ありがとうございました。
福島の実態は、みなさんご存じのとおり、1年経っても何も一つも変わっていない。復興・支援というニュースからすれば、岩手県、宮城県はいろいろなことが動き始まりましたというニュースをやるんですけども、福島県のニュースは全然やりません。そのとおり何も変わっていないからです。
その中で逃げた子どもたちは2万人ですけども、逃げられない子どもも2万人以上います。その子どもたちのために私たちもこの1000万人署名をぜひ成功させたいということで、ぜひ7月の集会には、1000万人を達成してみなさんとまた東京で集まりたいと思っています。よろしくお願いします。
来年もぜひ3月11日は福島でやりたいと思います。福島でこのぐらい良くなった、このぐらいがんばったという運動の成果を持ち寄って、ぜひ大集会を成功させたいと思います。「何で福島の人は怒らないんですか、もっとどんどん表に出ないんですか」と言われるんですけども、出方がわかりません。こういうふうに呼んでもらえれば、こうやって一生懸命話もできます。
3月11日の日はいろいろな運動をやっている人たちがみんな一緒になって初めて大集会ということで、垣根を取り払って初めてやった集会でした。それでもみなさんに協力していただいてあんなすばらしい集会できました。それもみなさんのおかげです。これを糧にぜひ今後も福島としての運動をしていきたいと思います。
小島誠さん(新潟県平和運動センター副議長)
明後日26日、柏崎刈羽原発7基のうちの6号機が定期検査入り、全7基が停まります。新潟には7基の原発があり、世界最大、総出力821万kWということですが、当初から私たちは原発そのものの危険性、そして活断層の存在などから、反対運動を粘り強く展開してきました。ですが、2007年7月、私たちは大きな衝撃を受けました。中越沖地震です。変圧器の火災、それから原子炉建屋耐震壁を貫通するひび、放射能漏れ、大きなダメージを柏崎刈羽原発は受けています。私たちは本当に恐怖を覚えました。この事態を受けて平和運動センターが中核となって「原発から命とふるさとを守る県民の会」を立ち上げて再稼働させない取り組みを一層力強く進めてきたわけですが、東電、そして県、柏崎市、刈羽村に幾度となく申し入れを行って交渉を重ねてきたわけですけれども、それにもかかわらず、十分な検証そして反省、対策もないままに原発を動かし続けてきました。その結果が福島の事故です。この未曾有の事故を私たち柏崎刈羽原発の教訓を生かせなかった結果だと思うと、私たちとしては本当に止められなかった、防げなかった、本当に申し訳ない。そんな思い、痛恨の極みです。
福島原発事故以来、県内で様々な取り組みを行ってきました。原子力資料情報室の山口幸夫共同代表にコーディネーターとなっていただき連続講座を開設してきました。山口さんはじめ伴さん、飯田哲也さんなど講師をたくさん迎えて月1回、計10回の講座をやってきました。原発の危険性、それから不採算性、不必要性などをしっかりと学んでこれから反原発を訴えていく担い手をつくるという目的です。申し入れその他の抗議行動もいっぱいやってきました。集会も数々開催しました。7月刈羽村で、新潟・福島豪雨のさなか200人を越す規模の集会。そして2月、今度は豪雪に見舞われる中でも450人の規模の集会を行いました。そして今まさに長岡市で500人を超える規模の集会をやっています。再稼働させないという強い思いからです。
これまでの集会とか講座などで聞いた言葉で私が忘れられない言葉が二つあります。一つは「何も終わっていない。災害はまだ続いている」。2月の集会で言った福島の教員の言葉です。もう一つは、「自分たちは見捨てられたんだと思った」と言った福島の中学生の言葉です。私たちはこんな思いをもう誰にも味合わせたくない。そういう強い思いです。新潟にはいまだ7,000人を超える方々、900人を超える子どもたちが新潟に避難し、不安を抱えながら生活をしています。これ以上子どもたちを苦しませたくはありません。
今回の事故を受けて私は「立地県」とか「地元」とかいう言葉を少し考えたんですけども、立地県、地元というのはどういうことなのか。日本のどこもが立地県であり地元ではないでしょうか。みんなが当事者として動かなければいけないと感じました。地方議会も動きつつあります。柏崎刈羽原発から50㎞離れている湯沢町では、先日、「柏崎刈羽原発の再稼働を認めない決議」を採択しました。確実に動いていると思います。みんなで当事者意識を持ってがんばっていきましょう。
全国1000万人署名を達成するために、新潟は24万という目標を掲げました。今現在23万2153筆96.7%に達しています。本当はこの場で100%達成したと報告したかったのですが、今後も100%と言わずに、それ以上1筆でも多く署名を集め、再稼働を絶対に許さない、そんな思いを広めていきたいと思います。こんな言葉も聞きました。「天災は止められないかもしれないけども、人災は止められる」。54基の全ての原発の廃炉に向けてみなさんともにがんばりましょう。
川野浩一さん(原水禁議長)
3.11から1年が経過しました。この1年を振り返って何が変わり何が変わらなかったのか。3月の10、11日に行われた日本世論調査会の全国調査によりますと、将来は脱原発という考え方に賛成が80%に達しているということがわかりました。これは国民がこの1年で明確に脱原発を選択したこと、変わったことを意味します。
しかし一方、政府や経済界や電力業界は、これほどの事故を起こしても依然として原発にしがみつき、原発再稼働に動いています。変わっていません。政府は原発の収束宣言を出しましたが、現実はいまだ復興のめどは立たず、現地福島では放射能の恐怖にさらされ、多くの人たちが避難生活を余儀なくされています。農業、漁業、畜産業の人たちの生計のめどは立たず、自ら命を絶った人、妻子を県外に残し一人寂しくともがんばる人、避難生活は無理と自宅にとどまる老夫婦、家畜や犬や猫は餓死し、先祖伝来で引き継いだ田畑は荒れ放題、それでも政府はまだ原発にしがみつくのでしょうか。
国策民営の原子力エネルギー政策、この狭い地震列島日本に54基の原発、さらに14基を増設し原発で将来的に50%を超える発電供給量を計画してきました。これまで原発に反対する声を金と権力で押さえ続けてきた政府・電力も、さすがに事故以来、国民の声を無視することはできなくなりました。しかし東電は、電気料金の値上げはわれわれの権利だと言い、また政府も原発の再稼働は政治判断だと言っています。彼らの原発願望の本質は何ら変わっていません。戦争好きの政治家は技術抑止力すなわち原発を動かし続けることでいつでも核兵器をつくる能力を維持する、核兵器保有予備軍でありたいのです。枝野経済産業大臣はテレビで、安全性を政治判断することはないと言っていますが、また以前のように御用学者、原子力ムラと言われる専門家を集めて地方では“やらせ”で同意を得たとして政治判断と表明するのではないでしょうか。しかし、このような見え透いた主張では国民はもうだまされません。
近々、東海、東南海、南海の3連続地震は高い確率をもって予測されています。もしこの地震が来たら、関東から九州までの広い一帯が甚大な被害を受けます。たとえ浜岡原発が停止していても、福島原発の例を見ても保管されている使用済み燃料も危険です。もう一度原発事故が起きれば、わが国は壊滅状態になることが予測されます。そこまでいかなければわが国政府と業界は原発と決別できないでしょうか。悲しいことです。
原子力発電は危険です。原発がなくとも経済が疲弊することはありません。私たちの日常生活に何ら影響は与えません。日本を沈没させないためにも、原発を完全に停めましょう。安全・安心な社会をつくりましょう。日本を再生しましょう。みなさんたち一人一人の1000万人アクションの行動で脱原発社会の実現が決まります。国民の脱原発の意志を署名として政府に突きつけなければなりません。署名を集めてください。脱原発の実現はみなさんのもう一歩の行動によって決まるのです。みなさんの力で原発をわが国から世界からなくしましょう。
落合恵子さん(作家/呼びかけ人)
どんな状況でも、まずお元気ですか、元気でいてくださいと心から祈るように思います。とくに福島の子どもたち、元気でいてください。全国各地で、反・脱原発の活動をしているそれぞれの人たち元気でいてください。そして今日ここにお集まりの、外にもずっとあふれておられますが、一人一人の方々、元気でいてください。でも、疲れたときは「疲れた」と言っていいのだと私は思います。辛いときは「辛い」と言っていいのだと思います。権力はいつだって市民のがまんと忍耐の上に太ってきたのです。だから私たちは、辛い、痛い、悔しい、私あまり使わないけど「バカヤロウ」って言ったってかまわないんだと私は思います。世界に誇るべき憲法に記された基本的人権を踏みにじっているのはこの国なのです。だから私たちは怒ります。語り続けます。為政者に私たちは叫んだっていいんです。あなたたちは憲法違反をしているんだって。
あと十数分であの日から1年とまるまる13日になります。私たちは忘れません。「僕たちいくつまで生きられるの」と聞いた福島の子どもの目を私たちは忘れません。「そんなに安全ならお台場につくれよ」と叫んだ福島の女子高生のあの声を。そして私たちは忘れません。「年寄りは足手まといになります。私はお墓に避難します」と書いて亡くなったあの高齢の女性の震えるような思いを。
2011年3月11日から私たちは、この社会を本当の意味で命と人権に根ざした第二の私たちの誕生日を迎えるために踏ん張り続けたいと思い、今日ここにいます。福島第一原発は何一つ収束していないにもかかわらず、大飯原発3号機、4号機を再稼働への手続きと野田政権はもうすでに地元説得という形をとっています。地元説得です。全国民を説得することはできないと私は信じています。崩壊した安全神話の上に再びの安全と安心神話を彼らはつくろうとしていますが、決して私たちはだまされない。もう一度2011年3月11日に戻りましょう。いまだに何一つ解決していない原子力発電を動かせば動かすほど毎日核廃物が、廃棄物じゃないです廃物です。廃物がたまっていくのだということを100年しかせいぜい生きられない私たち人間が10万年も生きる放射能をどうやって見届けていけばいいのですか。
原子力発電は原爆と変わりがありません。私たちは忘れません。つくっても持ってもいけないものなのです。両方とも。もう一度2011年3月11日に戻りましょう。どんなに安全・安心を謳っても原発事故は起きたじゃないですか。私たちは体験したのです。もう一度2011年3月11日に戻りましょう。福島の人はもちろん、日本中、世界中の人々を恐怖に陥れたのです。未来の子どもにまで危険を残してしまったのです。もう一度2011年3月11日に戻って心にしっかり刻み、未来の子どもたちに向かって、私たちは軍縮じゃない全ての核を捨てることと全ての原発を廃炉にもっていくことをここに誓いましょう。もう一度、もう一度です。元気ですか。元気でいましょうね。私たちは長生きしましょうね。全てを見届けていきましょうね。生きている間に答えを出す。元気で、風邪ひかないで、ありがとうございました。
(編集:事務局)
延期の理由は茨城県東海村の再処理施設運転再開が遅れているためとしている。
原子力政策に関する意見書
東京電力福島第一原子力発電所事故は、住民の被ばくや農林水産物の汚染を招き、周辺環境にも甚大な被害を与えるとともに、原子力発電所の安全性に対する国民の不安を引き起こし、更には、国が推進してきた原子力政策に対する信頼を、大きく損ねる結果となった。
福井県に隣接する本府においても、関西電力高浜発電所及び大飯発電所については、現在、国において検討されている緊急時防護措置を準備する区域(UPZ)の30キロメートル圏内に、約13万人の府民が居住しているなど、府民の安心・安全を確保する立場から、その安全対策に万全を期すべく、取組を進めているところである。
このような中、去る2月、経済産業省原子力安全・保安院は、再稼働に向け関西電力が実施した大飯発電所3号機及び4号機のストレステスト(耐性検査)一次評価結果を「妥当」と判断し、その審査結果を原子力安全委員会に報告したところである。
しかしながら、ストレステストは机上の調査にすぎず、再稼働の判断材料とするには、あまりにも不十分である。再稼働に当たっては、地震や津波、高経年化の影響など福島第一原子力発電所事故の原因究明から得られる知見をもとに、国が新たな安全基準を設定し、これに基づき、プラントの安全性を厳格に検査・確認するという手続が必要である。
ついては、国におかれては、大飯発電所3号機及び4号機をはじめ、今後検討が進められる原子力発電所再稼働に当たっては、上記手続が適切に行われた上で、原子力政策を担う国の責任において、慎重に判断がなされることを強く要望する。
あわせて、現下の厳しい経済情勢を踏まえ、国の責任において電力事業者等を指導し、再生可能エネルギーや化石エネルギー等、エネルギー源の多様化を図る中で、安易な電気料金の値上げにより国民や企業に負担を求めるのではなく、経営努力等により、低廉で安定的な電力供給が行われるよう、強い指導力を発揮されることを求める
ものである。
以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。
平成24年3月22日
衆議院議長横路孝弘殿
参議院議長平田健二殿
内閣総理大臣野田佳彦殿
経済産業大臣枝野幸男殿
原子力行政担当大臣細野豪志殿
内閣官房長官藤村修殿
京都府議会議長 近藤永太郎
世界の輸入の44%をアジアが占め、インド10%、韓国6%、パキスタン5%、中国5%、シンガポール4%。
帰宅困難区域(5年間帰宅不可)・一括600万円。居住制限区域(一時帰宅などは可能)・2年分一括払い240万円、避難指示解除準備区域(早期期間を目指す)毎月払い10万円。
また中国全土を射程に入れる弾道ミサイル「アグニ5」(射程Ⅴ千キロ)の初の発射実験も予定。
米原子力委員会(NRC)が今年1月に放射性物質を含んだ水漏れを起こしたカリフォルニア州サンオノフレ原発3号機について、蒸気発生器の配管に破損の恐れがある場所が3ヵ所見つかったとして、専門家による詳細な調査を行うと発表。
韓国原子力安全委員会は、韓国水力原子力株式会社の古里(コリ)原発1号機(釜山市機張郡)が定期検査中の2月9日に外部電源喪失、非常発電も作動しない事故を1ヵ月報告しなかったとして、14日から緊急停止を命じる。
昨年の東日本大震災から1周年目の3月11日、福島県郡山市の「開成山野球場」で、「原発いらない!3.11福島県民大集会」が開かれ、県内はもとより、全国から16.000人が参加し、「安心して暮らせる福島をとりもどそう」と、脱原発への誓いを新たにしました。同集会は県内の農林漁業団体、生協、女性、平和団体など様々な組織の代表が呼びかけた実行委員会が主催しました。(呼びかけ人代表・清水修二福島大学副学長)(写真は満員になった会場の開成山野球場)
集会に先立ち、歌手の加藤登紀子さんが特別参加し、被災地へ思いのを込めた「今どこにいますか」など6曲を熱唱。また、日本音楽協議会福島支部のみなさんも、原発立地地の会員が作った「望郷」などを披露し、ともに原発反対のメッセージを訴えました。
集会は、開会を集会実行委員長の竹中柳一福島県平和フォーラム代表が宣し、「再びあの日が巡ってきた。福島の犠牲を無駄にしないよう、原発いらないの声を大きく挙げましょう!」と呼びかけました。また、呼びかけ人代表の清水修二さんからは「原発いらないの声は痛恨を思いを込めた県民の叫び。この声を全国に届けるのは私たちの使命だ。ともに前進しよう」と訴えました。
連帯のあいさつに作家の大江健三郎さん(「さようなら原発1000万人署名」呼びかけ人)が駆けつけ、「原発事故を絶対に起こさない方法は、原発をなくすことだ。私は、政府が原発の全廃を宣言し、子ども達が歓喜する姿を想像している。それは必ず出来る」と、1000万人署名の協力も呼びかけました。(写真は訴える大江健三郎さん)
次に、県内の様々な立場の人が現状や脱原発の思いを報告。山形・米沢市に子どもと避難している管野智子さんは「一刻も早く元の生活に戻りたい」と述べ、二本松市で有機農業を営む菅野正寿さんは「農業と原発は相反するものだ」と願発反対を強調しました。相馬市で一家で漁業を営む佐藤美絵さんは「また、相馬のおいしい魚を全国に届けたい」と思いを語り、飯舘村から避難を余儀なくされた管野哲さんは「こんなことになった責任はだれがとるのか!」と憤りを露わにしました。富岡町の高校から転校した鈴木美穂さんは「私たちの将来を考えてほしい」と若い世代として訴え、橘柳子さんは戦争を体験したことから「再び棄民扱いをさせられるのか」と悲痛な叫びを上げました。
大震災が発生した午後2時46分に、震災の犠牲になった人々を追悼して全員で黙祷を行いました。「原発はいらない!私たちはいま、全国民に向け、高らかに宣言します」と集会宣言を呼びかけ人の小渕真理さん(アウシュヴィッツ平和博物館館長)が提案し、満場の拍手で採択しました。ドイツから参加の平和団体代表からドイツ国内で呼びかけて集めた千羽鶴の贈呈の後、集会を閉じました。
集会後、市内のデモ行進が行われ、参加者はのぼりやプラカードなどを手に、「原発いらない!」「再稼働を許さない!」「エネルギー政策の転換を!」などと、アピールしました。(写真はデモ行進する参加者)
※「高知県平和運動センター情報」から
集会当日は、県平和運動センターなど関係者と県職労数名は、午前11時に会場の準備のため丸の内緑地公園に集合し、舞台の組み立てや横断幕を設営、また、県平和運動センターは、日教組高知に机を借りて、会場入口で、「全国1000万人署名」を呼びかけました。高知県でさまざまな集会では、ここ数年参加者は多くても150名~200名までであり、集会規模1000名を目標に取組んだものの実行委員会として不安は拭えません。しかし、集会開会の午後2時、集会参加者が続々と詰め掛けます。
集会では、司会にグリーン市民ネットワーク(市民団体)代表の一人である下京さんと県平和運動センター山崎議長の二名で進めました。
それぞれの立場からの報告と提起
横浜から自主避難の島津佐知子さん
「夫と5歳の息子と3歳の娘と一緒に自主避難をしてきました。時々なんで高知にいるんだろうとか、これが長い夢だったらいいのにな~と思うことがあります」震災翌日に、最低限のものを車に積み込み横浜を離れ約一ヶ月保に駆けずり回りました。さらにはガソリンも不足し一時間も並ばなければいけない状態、メルトダウンなど聞きなれない言葉が飛び交い不安を抱えた母親と子供で新幹線は満席だったそうです。
一旦は横浜に帰宅し、これからどうしたらいいか家族で毎日話し合いをした。保育園はお友達に理由を話さないまま、そっと退園をしました。いったいここは何ミリシーベルトあるのか真実が判らず目に見えない放射能に怯えました。
子供たちは外で遊びたい年頃なのに、外遊びを制限し、マスクをしなければとか、とにかく雨に濡れてはいけないとか、水溜りに近づかないでとか、私も夫もノイローゼ気味でした。子供がたんぽぽを摘もうとする手を止める自分が嫌でした。今まで築いてきたもの、夫の仕事も残していかなければいけない。最終的に引越しを決めた理由は、まだ、原発が収束せず今後まだ悪化の恐れがあるということ横浜では西の食材が手に入らないということ何より子供たちにほんの少しでも被爆させたくないという思いがあったからです。
一番辛かったのは、今まで仲の良かった友達から「自分だけそうやって非難するからパニックが起こるんだよ」と責められたことです。
なんで横浜からと思われると思いますが、自宅付近ではストロンチュームが検出され、秋になってやっと通う保育園が除染されました。他の人にどう思われようと親戚や友人などと疎遠になったとしても子供たちを守りたかったからです。こちらの来て本当に良かったと思うことは、子供たちを外で思いっきり遊ばせることがでたことです。雨の中走り回ったり、豊かな自然の中で海に入ったり川に入ったりして夏を満喫できたことです。それと裏腹に自分の判断は正しかったのか、当時先の見えない状態が不安でした。離れた家族のこともしんぱいでした。そんな時、疎開ママの会に誘っていただき同じ心境のママ達と出合った事で前向きになりました。現在、虹色くじらの会は52名が活動をしています。10月から外部被爆より内部被爆に意識が変わっていきました。
内部被爆は94パーセントが食べ物から体内に取り込まれます。子供たちは新陳代謝が活発なので大人の5倍も被爆するといわれています。国の定める暫定基準値は国際的に見てもあまりにも緩く子供たちにとって安全といえません。汚染された食材は西日本だけでなく全国に流出しています。そこで、毎日食べる学校給食をより安全・安心なものにしてもらうため香美市長に要望書を提出しました。先月29日におこなわれた県議会では坂本茂雄議員が給食問題について問題提起してくれました。それに対し、教育長からは高知県は日本一の地産地消を目指します。24年度は県内で2ヶ所、週に一回放射線量を測定を行うという心強いお言葉をいただきました。この問題はすでに東北関東だけでなく全国に広がっています。
札幌市や福岡市では去年12月から測定し、ホームページでは結果を公開しています。香美市からの返答はまだ頂いていませんが、罪のない子供たちも未来を社会全体で守ってほしいと切に願います。何十年もかかって統計的に受傷されたときには、もう遅いのです。レベル7という世界最大の原発事故が起こり私たちに何が出来るのか、もう二度と同じ涙を流さないためにみなさんと一緒に考えたいと思います。
最後になりますが、私の実家は千葉県我孫子市という場所で、茨城県との県境いです。庭の土壌のセシウムは私の想像を超えたものでした。信じたくないのですが確実にホットスポットです。チェルノブイリにあてはめると計画的管理区域と同じレベルで18歳以下は立ち入り禁止区域になります。飲食も禁止です。それなのに、日本では、まだ400万人もの人が普通に暮らしています。私の友人や家族も大勢います。この先どうなってしまうのでしょうか。これからは短期間でも高知に非難できるようにシェアハウスの体制を整え不安を抱えた家族を受け入れたいと思います。私にできる限りのことをやりたいと思います。ありがとうございました。
伊方原発差止め請求訴訟団
谷脇和仁弁護士からの提起
第一次原告300名の訴訟は、昨年12月8日の提訴の後も、「原告の追加募集を」との声に応えるべく協議第2次提訴は、12月8日に提訴したものと併合され、より大きな訴訟となる見通しのもと、新たに200名を超える原告を確保し、すでに提訴した原告300名と合わせて500名の原告をめざすものです。私達は、募集期間を1月16日から3月21日まで都市、原告の「追加募集」と位置づけて取り組んでいます。第二次原告募集と「止める会」への参加を提起しました。
「脱原発四万十行動」の山本裕子さんの報告
昨年の福島原発事故後、早速5月の第二土曜日に脱原発市民デモをはじめました。何と50人もの人が集まってくれて、四万十市始まって以来のことだと言われ、つい、調子に乗って毎月やることになりました。6月・7月は雨に降られ半分になり、8月・9月は猛暑のため、またその半分になり、10月にはとうとう7人までに減り、とてもくどくを噛締めたデモでした。
ここで凹まないのが高知の西の端に住む私たちの、良~とこです。落ち込んでも立ち直りが早い。11月・12月にはどこからか、また人が集まり、乳母車や車椅子もまた戻ってきてくれ、元気な子供のシュプレヒコールに癒されました。昨年5月から12月まで色んな人達が入れ替わり立ち代り参加してくれましたが、そんなデモの中で東北や関東からの避難母子を四万十市で支援している「なごみネットワーク」とも繋がることができ、以後協力し合ってます。
ことし、1月には映画チェルノブイリハートと講演の集いを「なごみネット」と「四万十行動」で共催し実現できました。350名あまりの観客を集め、遠くは愛媛県からも、また高知市からもきていただき有難うございました。たくさんの方からの協力、おかげで今日のバスも四万十市から出すことができました。有難うございます。そして2月、今年は大変寒くて、しばしの冬眠をきめ込みました。それでも1月の集いの成功で、またまた調子に乗ってしまって冬眠中にサロン日曜日を立ち上げることにしました。
サロン金曜日ではありません。サロン日曜日です。金曜ではありません。・会場から笑い日曜日の午後、お茶とおしゃべりの会です。原発、放射能、に限らず孤立した人達がみんな繋がれるような地道な活動にしたいと思っています。サロン日曜日は開かれた場所です。どなたでも、もし第4日曜日、四万十市を訪れることがあれば一杯のお茶とおしゃべりを楽しみにお立ち寄りください。そしていよいよ今日、私たちは冬眠から目覚めました、こうして高知市で皆さんとのつながりを実感でき勇気百倍です。
先月グリーンピースが伊方の原発から200個の風船を飛ばしました。なんと四万十市には3時間後には確認されているのです。風向き次第では九州や本州でも他人事ではありません。とにかく津波、津波と宣伝されていますが、伊方原発は中央構造腺上にあり地面が動けば、津波を待つまでもありません。先日、新しい燃料棒が3号機に搬入されました。あくまでも再稼動あり気です。しかし、私たちは再稼動を許さず廃炉を求めます。
元東京電力技術者の木村利雄さんの報告
原発の安全性が十分でないことを指摘すると、原子力計画部でやっていた上司が「やあ、その通りだよ、木村、お前は鋭いな~と、だけれども安全審査をやっている裏方の中では津波を想定事故、シビア アクシデントに盛り込むのはタブーなんだ」と。何故ならばタービン建屋地下一階に非常用電源を置いているということ、それさえが、もう原発を作り変える、しかも安全審査を最初からやりなおす、安全指針も書き直す、非常な労力とお金を要することからタブーなんだと。
そこまでは言及しなかったけど、彼のタブーだという言葉の裏には、それがあった僕たちはサラリーマンなので巨大な組織の中で動いている蟻んこと一緒なんで何か言っても経営者は動かない。ということで僕の言ったことは何処へも伝わらなかったのですが、いまとなって見ると、僕が瞬間的に思ったことが正しかったんだなと思うし、所詮東京電力世界の科学技術の推移を集めた発電所ってもんはそんなもんなんだと、僕はそのとき非常にガッカリしました。
僕自身は電気エネルギーという社会の根幹のエネルギーを作っているという一員としての誇りもありましたし、そのために原発を安全に動かすために鋭意努力してきた人間として、まあもう大したことないなって思いましたね。それともう一つ僕はずっと燃料に携わってきたもんで、日々刻々とできる高レベル廃棄物の処分方法が、会社入って17年たっても、いまも、まったく決まってない。この葛藤を担ぐのに嫌気がさして辞めました。
だけども誰かを責めることばっかりでもしょうがないんで、じゃあ僕たち今から何をやろうかと思ったとき、自然エネルギーをどんどん活用していこうと、でも、巨大な風車を作るのは僕はちょっと考え物だな、人に優しい環境にやさしい地域に合ったものをみんなで見つけていく。
もう一つ、電気ポットを一世帯が使っていて700Wだと何キロワットになるか計算したら700万キロワット。一時間使ったとして、そうすると110万キロワットの原発が6基いらなくなってしまいます。すごいことじゃないですか。自家発電しなくても明日から一日に使う電気の三分の一を減らす、脱原発、三分の一の脱電力、それが明日から僕たちができること、それを伝えに土佐清水から今日ここに来ました。みんなができることは色々あると思うけれども、一つ一つそれを整理しながら知性を高め子供たちを守るという命題の元しっかりと二本の足で立ってこれからも歩いていきたいなと思いますので、みなさん頑張りましょう。有難うございます
4名の報告と提起が終ったが、タイムキーパー(城下さん)の敏腕で震災が起きた午後2時46分黙祷に時間を余したため、高知県平和委員会の和田さんがパレードの指揮説明をおこない、閉会とまとめのあいさつを高知県平和運動センターの山崎秀一議長がおこないました。山崎議長は「原発の三つの神話は崩壊した、その一つは安全神話、二つ目は、電力が不足する。三つ目は、原発の電気は安いことを取り上げ、伊方原発の再稼動を許さず、廃炉に向けがんばろう」と締めくくり、山崎議長の黙祷の合図で、2時46分参加者一同で被災地でお亡くなりになった方達に一分間の黙祷を捧げて、パレードに出発した。
パレードの先頭には鳴物や替え歌、さまざまな衣装やプラカード、シュプレヒコールなど、にぎやかな隊列と静かに整然とパレードなどさまざまです。
原発いらない!3・11福島県民大集会
2012.3.11 福島県郡山市開成山野球場
●この3・11は決して忘れてはならない特別な日
竹中 柳一さん(大会実行委員長)
原発いらない!3・11福島県民大集会に県内各地から、そして全国から私たちの思いを受け止めようと駆けつけて下さいました皆さん、本当にありがとうございます。私たちにとって、この3・11は決して忘れてはならない特別な日になっています。地震・津波、多くの人々が命と財産を失いました。その事に加え私達は、原子力発電所の事故とその結果拡散した放射性物質により、今なお不安と苦しみの中で生活しています。私達は多くの物を失いつつあります。豊かな恵みをもたらしてくれた水田や畑、そして自然の全てが放射性物質によって汚染されました。多くの県民が自然豊かな故郷から追われました。そして多くの子どもたちが、赤ん坊、幼児を含め県外に転校、避難しました。数々の災害や戦争、多くの困難を克服し、現在の豊かな暮らしを、豊かな暮らしの基礎を築いてくれた先人たちの尊い努力が、放射性物質により失われようとしています。そして同時に、福島県の将来を担う子どもたちや若い世代を失おうとしています。3月11日が、再び巡ってきました。この日だからこそ、現在の私たちの苦しい状況をお互いの共有しながら今後について思いと決意を新たにすべきだと考え、この集会を企画しました。この集会が福島とそして日本の新しい変革のスタートとなる事を願い開会を宣言いたします。
●「原発いらない」の声は痛恨の思いを込めた県民の叫び
清水 修二さん(大会呼びかけ人代表)
3月11日が再び巡ってきました。一年前のあの頃と同じように、今日は寒い日となりました。あの日いつも通りの平穏無事な日常が一瞬にして一変し福島は、そして私たちは最早それ以前と同じように生きることはできなくなりました。津波で肉親を失い、家を失い今なお古里に戻ることも身内の遺体を捜すことも叶わぬ人々がいます。
地震や津波を免れたにも関わらず、放射能のため古里の山野を後にして避難を余儀なくされている人がいます。避難の中で尊い命を落としたお年寄りもたくさんいます。母親は子どもたちの将来に、言いようのない不安を抱いています。
家族や地域がバラバラになり、人々の絆が至るところで断ち切られる事態が生じています。農家は生産の喜びを奪われています。地方自治体は存亡の危機に瀕しています。一見すると、町は平穏無事でいつもの風景が目に映ります。しかし、よく見ると子どもの姿が見えません。福島県の人口は一気にそして現在もなお、ジワジワと減り続けています。復興のかけ声は高く上がっていますが、足下の除染さえ遅々として進みません。避難生活が長引くに従って古里に戻る気力は萎えていきます。これまで原発の危険性に警鐘を鳴らしてきた人ですら、こんな悪夢のような事態の出現をどれだけリアルに想像し得たでしょうか。
3月11日、この日は亡くなった多くの人々の霊を慰める鎮魂の日です。しかし、福島では災害は今も進行中です。目に見えない放射能と言う敵に包囲されて私たちは今だ、魂を静めるゆとりを持つことができません。福島で今何が起こっているか、本当のことは、未だ多くの日本国民に理解されていないと思います。
放射能でバタバタ人が死んでいるわけではないし、人心の分断と言った社会現象は、放射能と同じように目に見えないからです。原発という物がまかり間違えば、国の破滅にすら繋がりかねない巨大な危険性をはらむものであることを、今度の事故は私たちにハッキリと示しました。世界有数の災害国である日本が、50基を超える原発を運転してきたことがどんなに無謀で異常なことであったか、福島の私たちは身をもって知らされました。
福島県は原発に依存しない社会を作ることを宣言しました。けれども、その声はまだまだ日本の隅々にまで届いてはいません。それどころか、電力不足や地域経済の打撃を理由にした再稼働の動きが、急速に高まって行く気配があります。今日、ここ郡山だけでなく県内各地で様々な集会が行われています。場所は離れていても県民の気持ちは一つです。「原発いらない」の声は痛恨の思いを込めた福島県民の叫びです。この叫び声を全国の心ある人々の耳に届けるのは福島県民の使命であり義務であると思います。
今日のこの集会が私たちの、そうした決意を固める意義深い集会となることを願っています。本日は本当に多数の皆さんにおいでいただきました。全国からたくさんの方が参加しておられます。本当にありがとうございました。心から感謝致します。共に前進しましょう。
●子どもたちの大きい歓声が響くだろうということを、私は想像します
大江 健三郎さん(「さようなら原発1000万人アクション」呼びかけ人)
今日の集会は、大きい困難を乗り越えていられる、乗り越えられない悲しみを見舞われていられる方が集まられた集会であります。その福島の人たちが中心になられた会だと言うのを承知しています。しかし今、清水先生がお話になったことを聞いておりまして、本当にこの集会の意味と強い感情、深い倫理観、そういうものがしみじみ伝わって参りまして、ここに参加させていただいてありがたいと存じております。私は東京から参加させていただいた、大江健三郎であります。私は、7分間お話しする時間をいただいていますが、もうマイクの都合で3分使ってしまいました。できるだけ長くならないように致します。
原子力発電所をどうしなければならないかと言うことについて、私の考えを申しますが、元よりこの1年前の今日、津波で亡くなられた方たちへの思いと言うものを入れながら、その2つのことが繋がっていると思いつつ、お話しすると言うことを受け止め願えればと思います。この1年間、信頼する学者たちの分析と批判とを注意深く読んで参りました。そして原子力発電は人類が初めてやっていることだが、その理論こそ明確でも技術的に完全にコントロールされてはいなかった。特に地震への配慮は、この活断層だらけの国で学者たちの警鐘がよく生かされていなかったと言うことを学びました。非常に恐ろしい思いで再認識しました。
3・11の後も、その原発の再稼働を考える人たちがずっといます。そして今、現に彼らの大きい運動が始まっています。その中でもうすでに再稼働しても良いという許可を出した学者たちの集まりがあります。どうもその集まりの中の学者たちが、日本にあるいくつもの原発の地盤が、実は活断層の上にかかっていることを報告して、警告しているにも関わらず、それを無視されていたということを告発しておられます。ところが、その責任ある学者が、今も原発の再稼働を決める中におられるということを、極めてこう言う知識をみんなのものにしなければならない、反対しなければならない。そして、改めて大事故が起これば今現在を生きる私らのみならず、未来社会に向けて生きる人間皆に、子どもたちが中心です、大きく長い期間の影響のあることを思い知りました。
正直に言えば、私は力を落としておりました。でもドイツで行われた原発を全廃しようと言う委員会の答申があった。それをドイツの国会が承認した。そしてドイツ全体の動きが原発廃止に至ったということを、メルケル首相について私どもは知ったわけでありますが、この原発をどうするかと言うことを、最初に議論した集まりの名前は倫理委員会、すなわち、まず政治的な理由、或いは経済的理由よりも優先して、倫理的な理由ということを考える人たちがいる。その人たちが作った動きが、今度のドイツの原発廃止の結果になったと言うことであります。
私は、日本人も倫理と言うことを考える人間だった。モラルとか考えることをしてきた。しかしどういうわけか、あのバブルの頃から倫理的という言葉をあまり使わなくなった。バブルで騒いでいる人に、それは倫理的でないんじゃないか、というようなことはなかった。すなわち、私は倫理的な責任を取るということが、人間のいちばん根本的なことでなければならないと考えています。そして、倫理的な責任ということは、この世界で人が人間的に生きることを妨げるような行動を取ってはならないということです。
人類は過ちを犯しましたが、本当に倫理的でないことが行われてきたんですが、しかし大筋ではこの責任を取って生き続けてきた。それが、人類が「生き続けたきた」ということだと思います。しかし、あと1度2度、原発で大事故が起きれば、私らは将来の人間に向けて彼らが人間らしく生活していく場所を取っていくという、すなわち倫理的な責任において、その責任が取れないということであります。
そして、私どもは将来の人間について考えますけど、今、現に生きている私らの、自分自身についても不安を感じています。それが私たちから、今、現にいる場所ということではないでしょうか。私が力を落としたと、先ほど言いましたのは本当であります。しかし、その後は立ち直ってきているように思います。現に私は、このように多くの人たちの前で、原稿を読んだりする勇気があまりない人間です。ところが今、平気で市民の集会とデモに加わって、私は力を与えられてきました。そして、私たちに求められているものは何か。私たちが必要とされているものは何か、というと原発の事故を絶対に無くすることです。ところが、絶対にやると言うことができるのか、という問いかけがあるかも知れません。それはできます。この国の原発を全て廃止すれば。
私たちが、或いは私たちの子どもが、そのまた子どもたちが、原発の事故により大きい放射能の害を被るというようなことは絶対にないわけです。それは現にドイツで行われています。イタリアでもやろうとしています。それを私たちがやらなければならないと思います。原発からの電気が無くなれば、私たちの生活はどうなるかとすでに政府が、産業界が、またマスコミの一部が脅迫しています。しかし私らは、政治的な責任よりも経済的な責任よりも、国防的な責任すらよりも人間が将来、人間らしく生きていけるかどうかということの、すなわち倫理的責任を重んじると言い返すことができます。市民生活に負担、そういうことを民主主義的に担えばいいのであります。
民主主義と更に言いますのは、日本の電力会社が全く民主主義的ではないからであります。そして今こそ、私たちが起きている危機、民主主義において一人一人がどのように抵抗するか、どのような新しい電気の道を開くか、或いは電気の運搬について配分について。現に、ここにいらっしゃる方たちが昨年の夏、自分たちで節電して、あの電力の危機と言われたものを乗り切った人たちじゃありませんか。それを今年も来年も続けていけばいい、ということであろうと思います。
さて、もう時間がなくなりましたので。私どもが東京で大きい集会(2011年9月19日の明治公園集会)を開催しました。そこで、ジョン・レノンのイマジンという「想像しましょう」という詩のことを言われました。私は小説家で「想像力」ということを、いつも言っていまして、「想像力バカ」とも言われている人間でありますので、この言葉が身に染みるんですが、一つ想像することがあるんです。それは近い将来のある日、ある朝、この国の全ての小学校、全ての中学校、全ての高校で校庭に生徒たちが集まる。そして、先生が或いは生徒代表がこういうことを告げることになる。「皆さん、この国は原発を全廃する事を昨日決意しました」。それが私たちの将来です。私たちの未来に原発事故の不安はもうありません。そして子どもたちの大きい歓声が上がるということを、その歓声が響くだろうということを、私は想像します。それを実現させましょう。
●福島が好きだという気持ちは変わらない
管野 智子さん(県外に子どもと避難中)
私は、小学1年と3年の子どもを持つ母親です。3・11原発事故を境に、目に見えない放射能が降り注ぎ、放射線量の高い地域から遠ざかっても、自身やわが子がすでに被曝し、いずれ影響が体に現れるのではないか、という不安がつきまとっていました。毎日毎日、否応なく迫られる決断、「逃げる、逃げない」「食べる、食べない」「洗濯物を外に干す、干さない」「子どもにマスクをさせる、させない」など様々な苦渋の選択をしなければなりませんでした。
子どもたちは前のように自由に外遊びができません。学校の校庭で運動もできない、運動会もプールも中止。子どものことを日に日に考えるようになってきました。そこで私達家族は、10年後に後悔したくないという思いから、子どもの夏休みを機に、福島市から山形県米沢市に同居しているお姑さんと子ども2人と私の4人で自主避難しました。
現在は借り上げ住宅に住んでいますが、避難生活は経済的な負担があり、二重生活や住宅ローンも重くのしかかります。仕事の都合で家計を支える父親は、地元福島市を離れられず、週末だけ子どもに会いに来ています。そして私は、精神障害者の施設で色々な支援に携わっている仕事をしていますので、米沢市から福島まで毎日通勤しています。子どもたちは、区域外通学ということで、2学期から米沢市の小学校に転校しました。福島から来たこと、運動着の色が違うことで、いじめに遭うのではないかと心配しましたが、1学期からすでに福島からの転校生がいること、いじめの事実もなく、2学期からの転校生が10数名おりました。学校の先生やお友達に暖かく迎え入れられ、お友達もあっという間にできて、遊びに行ったり来たりしています。外で思い切り遊ぶこともできます。
米沢は雪が多く、スキーの授業も生まれて初めての経験でしたが、「楽しい、滑れるようになった」と嬉しそうに話してくれます。中には学校や環境になじめず、福島に戻られた方もおります。子どもたちは不満も言わず、元気に過ごしていますが、子どもの心の叫びは「原発がなければ福島から米沢に来ることもなかったし、福島の友達と遊べた」「米沢はマスクもいらない、放射能を気にする事なく外で遊べる、でも福島の方が楽しかった」。時折淋しそうな顔をします。私たちは、福島第一原子力発電所の事故がなければ、福島を離れることはありませんでした。子どもを守りたいと米沢に来たこと、それでも福島が好きだということ、その気持ちは変わりません。有難うございました。
●第一次産業を守ることが原発のない持続可能な社会を作ること
菅野 正寿さん(農業・二本松市)
原発から約50kmの二本松市東和町で、米、トマトなどの専業農家をしています菅野と言います。原発事故から1年、とりわけ自然の循環と生態系を守り健康な作物、健康な家畜を育んできた、何よりも子どもたちの命と健康のために取り組んできた有機農業者への打撃は深刻です。落ち葉は使えるのか。堆肥は使えるのか。米ぬかは、油かすは……。これら様々な資材をこれから検証しなければなりません。改めてこの福島の地域支援の大切さを感じています。
津波で家も農地も流された農家、自分の畑に行くことができず、避難を余儀なくされている苦渋。そして自ら命を絶った農民。私たちは耕したくても耕せない農民の分までこの苦しみと向き合い、耕して種を蒔き、農の営みを続けてきました。その農民的な技術の結果、放射能物質は予想以上に農産物への移行を低く抑えることができました。新潟大学の野中昌法教授を始め、日本有機農学会の検証により粘土質と腐植の有機的な土壌ほどセシウムが土中に固定化され、作物への移行が低減させることがわかってきました。つまり、有機農法により土作りが再生の光であることが見えてきました。
幸い福島県は、農業総合センターに有機農業推進室がある全国に誇れる有機農業県です。見えない放射能を測定して見える化させることにより、「ああ、これなら孫に食べさせられる」とどれだけ農民が安心したか。夏の野菜も秋の野菜も殆ど0~30ベクレル以下と、ただ残念なのは福島特産である梅、柿、ゆず、ベリー類は50~100ベクレル以上、キノコ類も菌糸が取り込み易く山の原木があと何年使えないのか、椎茸農家や果樹農家の中には経営転換を迫られる農家、離農する農家も出てきています。1月に農水省が発表した福島県内の玄米調査では、98.4%が50ベクレル以下です。500ベクレル以上出た僅か0.3%の玄米がセンセーショナルに報道されることにより、どれだけ農民を苦しめているか。私たちは夏の藁の問題、花火大会の中止、福島応援セールの中止、ガレキの問題など丸で福島県民が加害者の様な自治体の対応、マスコミの報道に怒りを持っています。マスコミが追及すべきは電力会社であり、原発を国策として推し進めてきた国ではないか。
私たち人間は、自然の中の一部です。太陽と土の恵みで作物が育つように、自然の摂理に真っ向から対立するのが原発です。農業と原発、人間と原発は共存できません。戦前東北の農民は、農民兵士として戦地で命を落とし、戦後、高度経済成長の下、高速道路に、新幹線に、ビルの工事に、私たちの親父たちは出稼ぎをして労働力を奪われ、過密化した都市に電力を送り、食糧も供給してきました。その東京は持続可能な社会と言えるでしょうか。福島の豊かな里山も綺麗な海も約3,500年続いてきた黄金色の稲作文化も正に林業家、漁業家、農民の血のにじむような営農の脈々と続いてきた結果なのです。つまり、第一次産業を守ることが原発のない持続可能な社会を作ることではないでしょうか。
私たちの親父やそのまた親父たちが、30年後、50年後のために山に木を植えてきたように、田畑を耕してきたように、私たちもまた次代のために、子どもたちのために、この福島で耕し続けていきたいと思うのです。そして子どもたちの学校給食に、私たちの野菜を届けたい、孫たちに食べさせたい。そのために、しっかり測定して、放射能ゼロを目指して耕していくことが、福島の私たち農民の復興であると思っています。生産者と消費者の分断するのではなく、都市も農村も、ともに力を合わせて農業を守り、再生可能なエネルギーを作り出して、雇用と地場産業を住民主体で作り出していこうではありませんか。原発を推進してきたアメリカの言いなり、大企業中心の日本のあり方を今変えなくていつ変えるんですか。今、転換せずしていつ転換するんですか。がんばろう日本ではなく、変えよう日本、今日をその転換点にしようではありませんか。
●もう一度あのおいしかった福島の魚を全国の皆さんに送り届けたい
佐藤 美絵さん(漁業・相馬市)
去年の3月11日、東北沿岸は巨大津波を受け、私たちの住む相馬市も甚大な被害を受けました。漁業、農業、観光業、全てを飲み込み、美しかった松川浦の風景が跡形もありません。私は港町で生まれ育った漁師の妻です。夫が所属している相馬双葉漁業協同組合は、年間70億円の水揚げと、沿岸漁業では全国有数の規模を誇っていました。私はその日も明け方5時から市場で水揚げした魚を競りにかけ販売し、午後1時頃に自宅に戻り自営業の魚の加工販売の準備をしていました。そのとき、あの地震が起きたのです。
長い揺れが収まり、呆然と落ちてきた物を片付けていると、消防車が「津波がくるから避難してください」と海岸沿いを巡回していました。私は本当に津波なんかくるのか、半信半疑で道路から遠くを眺めると、真っ黒い波が動く山のように見えたのです。「だめだ、逃げろ」。息子は子どもを抱きかかえ、私は夫とともにやっと高台へ駆け上がりました。そこから見えた光景は丸で地獄のようでした。それから無我夢中で実家の両親や弟たちを捜したのです。その頃、弟は地震が起きた後、すぐに自分の船を守るために沖に出たのです。沖では仲間たちと励まし合いながら津波が落ち着くのを待ち、やっと帰ってこられたのは、確か3日後でした。
しかし、両親は逃げ遅れ、家ごと津波にのまれて帰らぬ人となりました。本当に残念でなりません。そして船を津波から守った漁師たちは、9月になれば何とか漁に出られると思い、失った漁具を一つ一つ揃えがんばってきました。しかし、放射能がそれを許しません。毎週、魚のサンプリングをして「来月は大丈夫だろう。船を出せる」と期待しては、落胆の繰り返しでした。市場や港は変わり果てた姿のままです。元通りになるまでは、まだまだ時間がかかりますが、私たちは1日も早い漁業の復興を望んでいます。
現在、漁業者は海のガレキ清掃に出ています。しかし、夫たちはもう一度漁師として働きたい、私は市場で夫の獲ってきた魚を売る、活気ある仕事がしたいのです。そしてもう一度あのおいしかった福島の魚を全国の皆さんに送り届けたいのです。
●東京電力と国はきちんと責任を取ってほしい
菅野 哲さん(飯館村からの避難者)
飯舘村の菅野です。5月から福島に避難し、お世話になっています。飯舘村では高原野菜を作っていました。しかし今回の原発事故で全てを失ってしまいました。野菜を国民の皆さんに届けることができません。飯舘村の農家は殆どが農地も牛も全てを失って、涙を流して廃業しました。もう飯舘村で農業ができないのです。避難していても何もすることがないんです。農家は農業やることが仕事です。どうやって生きろと言うのですか。誰も教えてくれません。
事故から1年を過ぎますが、飯舘村は去年の3月15日の時点で44.7μsvです。この高い放射線量の中に飯舘村民は放って置かれたんです。その期間被曝させられたんです。誰の責任ですか。更には、放射能まみれの水道水まで飲まされていたのです。加えて学者は、国も行政も安全だと言っていました。どこに安全があるんでしょうか。その物差しがないんです。これをどうしてくれるんですか。答えがほしい。国民に国も学者も政治家全てが正しく教えるべきであり、正しく道を敷くべきであります。
死の灰を撒き散らして(東京電力は)「無主物」だと言います。何事ですか。火山灰ではないのです。原発事故は天災ではないのです。明らかに人災なのです。東京電力と国はきちんと責任を取ってください。今、大手ゼネコンが双葉地方、相馬地方に入っています。「除染、除染」と歌の文句のようです。何を言葉並べているのでしょう。
路頭に迷う住民の私たちの今後の暮らしついては、住民の意向を何一つ汲んでいません。今後の暮らしの希望の持てる施策がないんですよ。こんなことで許せますか。良いのですか。それはないでしょう。被害を受けた私たちは、悲惨な思いで生活をさせられております。まだまだ長生きできたはずの、村の高齢者が次から次へと他界していきます。家に帰れないで避難先で悲しくも旅立ちます。早く、早く、放射能の心配がなくて元のように美しい村になって安心して安全で暮らせることができる、そういう生活の場所と今までのようなコミュニティの形を作った、新しい避難村を私たちに建設してください。
美しかった飯舘村は放射能まみれです。そこには暮らせません。新しいところを求めなければならないんであります。国にも行政にも子どもの健康と、若者が未来に希望を持って暮らすことの出来る、そういう生活ができること。そのためには、住民の意向を充分に反映した新しい施策を要求します。皆さん、この悲惨な原発事故、この事故を2度と起こしてはなりません。この起きた事故の実態を風化させてはなりません。国民が忘れてはならないはずです。
福島県の皆さん、全国の皆さん、特に福島県の皆さん県民が一丸となってもっともっと声を大きくして全国に世界に訴えていきましょう。
●私は被災者になっていました
鈴木美穂さん(高校生・富岡町から転校)
私の地元は、郡山ですがサッカーがしたくて富岡高校に進学しました。寮生活をしながらサッカーに明け暮れ、仲間と切磋琢磨する充実した日々を送っていました。地震が起きたときは、体育の授業中でした。もの凄い揺れであのときは必死で守ってくれた先生がいなければ、私は落下してきたライトの下敷きになっていたと思います。校庭に避難しているとき、まさか津波がきているということ、そして原発が爆発するということは想像も出来ませんでした。私はこの震災が起きるまで原発のことを何も理解していませんでした。
翌日には、川内村まで避難しました。乗り込んだバスの中には小さな子どもを抱えた女性やお年寄りがいました。自衛隊や消防車が次々とすれ違っていく光景は、現実とは思えませんでした。避難所に着くと小さな黒い薬を配る人たちがいました。それはおそらく「安定ヨウ素剤」だと思います。配る様子がとても慌ただしく焦っているようで、私はやっと事態の深刻さが飲み込めました。
1号機が爆発し、川内村も危なくなり郡山に避難することになりました。私のことを郡山まで送ってくれた先生は泣いていました。先生には原発で働く知人がいたのです。原発事故を終わらせることができるのは、作業員の方だけだと思います。でもその作業員の方は、私の友人の両親であったり、誰かの大切な人であったりします。こうしている今も、危険な事故現場で働いている人がいます。そのことを考えると私は胸が痛みます。爆発から2ヵ月後、私は転校しました。たくさんの方々が優しく接してくれ、サッカー部にも入部し、すぐに学校にもなじむことが出来ました。でも私は被災者になっていました。
被災者ということで、様々なイベントにも招待されたりもしましたが、正直、こういう配慮や優しさは、返って自分が被災者であることを突きつけられるようで、それがいちばん辛いものでした。「がんばれ」という言葉も嫌いでした。時が経つにつれ、原発事故の人災とも言える側面が明らかになってきています。原発が無ければ、津波や倒壊の被害に遭っていた人たちを助けに行くことも出来ました。それを思うと怒り、そして悲しみで一杯です。人の命も守れないのに電力とか経済とか言っている場合ではないはずです。
3月11日の朝、私は寝坊して急いで学校に行ったのを覚えています。天気は晴れていて、またいつものような一日が始まろうとしていました。しかし、その日常に戻ることは出来ません。線量が高い郡山で生活し続けることに、不安を持っていますが、おじいちゃん、おばあちゃんを置いて移住することは出来ません。私は原発について何も知りませんでしたが、今ここに立っています。私たちの未来を一緒に考えていきましょう。
●もう少しの間、寄り添ってください。傷はあまりにも深いのです
橘 柳子さん(浪江町からの避難者)
浪江町は原発のない町、しかし原発が隣接する町です。私は、先の大戦から引き揚げてきて以来浪江町に在住していました。現在は本宮市の仮設住宅に入居中です。それまで9ヵ所の避難所を転々としました。あの原発事故のときの避難の様子は、100人いれば100人の、1,000人いれば1,000人の苦しみと悲しみの物語があります。語りたくとも語れない、泣きたくても涙が出ない、辛い思いをみんな抱えています。
津波で多くの方が亡くなった浪江町請戸というところは、原発から直線で6.7kmの距離です。でも事故の避難のために、その捜索も出来ずに消防団を始め、救助の人も町を去らなければならなかったのです。3月11日は津波による高台への避難指示、3月12日は「避難してください」のみの町内放送でした。「なぜ」が無かったのです。従ってほとんどの町民は「2、3日したら帰れるだろう」と思って、着の身着のまま避難しました。そこからそのまま長い避難生活になるとはどれほどの人が考えていたでしょうか。
もっとも、町長に対しても、国からも東電からも避難指示の連絡はなかったとのことです。町長はテレビでその指示を知ったと言っています。テレビに映ったのを見て初めて知ったということでした。なぜ、浪江にだけ連絡がなかったのでしょうか。原発を作らせなかったからでしょうか。疑問です。そんな中での避難は、また悲劇的です。114号線と言う道路を避難したのですが、そこは放射線が最も高いところばかりでした。朝日新聞「プロメテウスの罠」の通りです。
津島の避難所には3日間いました。テレビはずっと見ることが出来ました。15日に再度、東和の避難場所の変更。この日の夜まで、携帯電話は一切通じませんでしたから、誰とも連絡の取りようもなく、町の指示で動くしかありませんでした。12日と14日の太陽の光が、チクチクと肌に刺すようだったのが忘れられません。12日の避難は、私にとって戦争を連想させました。戦争終結後、中国大陸を徒歩で終結地に向かったあの記憶が蘇りました。原発事故の避難は、徒歩が車になっただけで、延々と続く車の列とその数日間の生活は、あの苦しかった戦争そのものでした。そして私は怯えました。国策により2度も棄民にされてしまう恐怖です。
いつのときも、国策で苦しみ悲しむのは罪もない弱い民衆なのです。3・11からこの1年間、双葉郡の人々のみならず、福島県民を苦しめ続けている原発を、深く問い続けなければいけないと思います。脱原発、反原発の運動した人もしなかった人も、関心あった人もなかった人も、原発があった地域もなかった地域にも福島第一原発事故の被害は隈なくありました。そして復興と再生の中で差別と分断を感じるときがあります。それを見逃すことなく、注意していくことが、今後の課題ではないでしょうか。
福島は、東北はもっと声を出すべきだ、との意見があります。でも、全てに打ちひしがれ喪失感のみが心を打っているのです。声も出ないのです。展望の見えない中で、夢や希望の追及は、困難です。しかし、未来に生きる子どもたちのことを考え脱原発、反原発の追及と実現を課題に生きていくことが唯一の希望かも知れません。先の戦争のとき、子どもたちが大人に「お父さん、お母さんは戦争に反対しなかったの」と問うたように「お父さん、お母さんは原発に反対しなかったの」と言うでしょう。地震国に54基もの原発を作ってしまった日本。そして事故により、日々放射能と向き合わざるを得ない子らの当然の質問だと思います。その子たちの未来の保証のために人類とは共存できない核を使う原発はもうたくさん、いらないとの思いを示すこと。いったん、事故が起きれば原子炉は暴走し続け、その放射能の被害の甚大さは福島原発事故で確認出来たはずです。この苦しみと悲しみを日本に限って言えば、他の県の人々には、特に子どもたちには体験させる必要はありません。
膨大な金と労力を原発のためだけでなく再生可能エネルギーの開発に援助に向けていくべきです。なぜ今、原発の稼働、このような大変なことに遭遇していても、未だ原発必要だという考えはどこから来るのでしょう。他の発想をすることが出来ないほど、原発との関わりが長く深かったということなのでしょうか。でも立ち止まって考えましょう。地震は止められないけど、原発は人の意思と行動で止められるはずです。私たちは、ただ静かに故郷で過ごしたかっただけです。
あの事故以来、われわれは何もないのです。長い間、慈しんできた地域の歴史も文化も、それまでのささやかな財産、われわれを守っていた優しい自然も少し不便でも良い。子どもやわれわれが放射能を気にせず生きることの出来る、自然を大事にした社会こそが望まれます。どうぞ全国の皆さん、脱原発、反原発に関心を持ちお心を寄せて下さい。そしてもう少しの間、寄り添ってください。傷はあまりにも深いのです。3・11福島県民大集会の私からの訴えと致します。ありがとうございました。
福島第一原発事故1年。福島からの県外避難者約6万3千人、福島県郡山市、東京、大阪など各地で脱原発の集会。台湾智北で「原発ゼロ」をスローガンに集会デモ、約1万人参加。韓国では新規建設候補地の江原道三陟(サマウチョク)で焼く〇〇人が集会。オーストラリア・メルボルンではウラン採掘反対集会、住民ら300人参加。スイス、仏、独、米でも人間の鎖などの抗議行動。
東日本大震災・福島第一原発事故から1年目を迎えた3月11日、全国で様々な集会やイベントが行われました。東京では、「3.11東京大行進」が開催され、約14,000人が参加しました。主催は首都圏反原発連合、3.11再稼働反対!全国アクションの皆さんとともに、さようなら原発1000万人アクションも協力しました。
3月11日、福島県郡山市で「原発いらない!福島県民大集会」が開かれました。昨年の3月11日に発生した東日本大震災と福島第一原発事故から1年。福島県内の多くの団体が参加して、脱原発実現、放射能汚染責任を求めて、全国から16,000人が参加しました。その集会とデモ行進の模様をビデオにまとめました(約9分)
北朝鮮の核問題めぐり南北関係者が参加する非公開のニューヨークの学術会議で、北朝鮮の李容浩(リ・ヨンホ)外務次官が、核開発停止の合意を遵守するとし、米に敵視政策をやめ関係を正常化するよう訴えた。クリントン米国務長官と金星煥韓国外交通商相が米国務省で会談し、クリントン米国務長官は「北朝鮮への食料支援について近く進展が見られる」と記者会見で述べる。
中国、インドなどアジアの国防費が欧州を12年にも上回る可能性を指摘。
日本原電敦賀原発1、2号機の敷地を通る活断層「浦底~柳ケ瀬山断層帯『浦底断層』」が全長35キロあり、マグネチュード7.4程度と従来想定の2倍以上の自身の可能性と、産業技術研究所の調査で明らかに。
3月2日、静岡県、中部電力、原発立地周辺市町要請行動が行われました。静岡県庁では、川野浩一原水禁議長が、川勝平太知事宛てに「さようなら原発1000万人署名」呼びかけ人による要請書を、対応した県危機管理部 原子力安全対策課の藤原和夫課長に手渡しました。その後、意見交換が行われ、藤原課長は津波対策が出来れば運転再開かと言われるが、そうではないとして、まず福島の事故の全容が解明されることが必要であると話しました。
その後、中部電力では「浜岡原発の再稼働の中止と廃炉を求める要請」を提出しました。「社長に渡します」と言って早々に切り上げようとする職員を引き留め、意見交換を行いましたが、安心・安全に務めるとばかり強調する姿勢は、東京電力・福島第一原発事故が起こる以前と何ら変わりなく、議論は平行線に終わりました。
県と中電の他、焼津市、藤枝市、島田市、吉田町、御前崎市、牧之原市、菊川市、掛川市、袋井市、森町、磐田市でも申し入れを行われました。
2012年3月2日
中部電力株式会社
代表取締役社長 水野 明久 様
浜岡原発の再稼動の中止と廃炉を求める要請
日々の電力事業における貴社の活動に敬意を表します。
さて、福島第一原発事故を機に昨年5月6日に菅直人首相の要請により、同月14日には貴社の浜岡原子力発電所が全基停止しました。その際貴社は、津波対策完了まで停止するとしています。
現在、再稼動に向けて浜岡原発は、防波堤工事などの津波対策を中心とする防災対策を実施しています。しかしそのことの契機となった福島第一原発の事故原因は究明されてはいません。事故の収束さえできずにいる中で、現場の検証すらまともにできていない状況です。地震や津波による事故原因の究明が徹底的になされてはじめて教訓や対策が講じられるのだろうと思います。原因究明も道半ばの中で、今後予想される東海地震へ対応しようとしても不十分であることは明らかです。何をもって現在の対策で、住民の安心・安全につながっていくのか、私たちにとってまったく理解に苦しむものです。
さらに今回の福島原発事故で、浜岡原発をめぐる世論の状況が大きく変わったことは明らかです。牧之原市議会をはじめ多くの県内の自治体で「永久停止」決議や再稼動に反対や慎重な発言が出てきていることは、これまでになかったことです。県民の不安は拡がるばかりです。さらに自治体にとって、今回の事故によって防災計画の範囲が拡がろうとしています。今後30㌔圏、50㌔圏の自治体でそれぞれ防災対策や避難対策など計画や訓練がなされなければならなくなります。その体制も整っていないのも現状です。震災対策でさえ大変な中で、放射能対策も加わることは自治体側も住民も想定外といえるでしょう。そのような状況がある中で、再稼動の県民合意をどのようにとろうとするのでしょうか。
東海地震の想定震源域の真ん中にある浜岡原発は、巨大地震による災害と放射能災害が同時に起こり、巨大災害=原発震災の危険性が、多くの専門家からも指摘されています。第二、第三のフクシマ原発事故を繰り返してはなりません。そうなれば明らかに人災です。
さらに、仮に原発が動いたとしても、現在の核燃料サイクル路線が破綻している現状があります。使用済み核燃料の行き場とともに最終的に核のゴミがどこに処分されるのかも明らかではありません。「トイレなきマンション」と言われる状態はいまだ解消できていないし、今後もその見通しが立っているわけではありません。見通しがない中で、原発再稼動によって大量に核のゴミをこれ以上生み出す正当性はないはずです。場当たり的な事業によって住民の命をこれ以上危険に晒すことは許されません。
私たちは、原子力の展望がない中で、東海地震の危険性がますます危惧される状況の中で、浜岡原発を再稼動させる理由はないと考えます。県民の安心・安全に対して貴社の責任は大きく、重いものがあります。県民の声をよく聴き、浜岡原発の再稼動を断念し、廃炉への舵を切ることを要請します。
2012年3月2日
原水爆禁止日本国民会議
議 長 川野 浩一 印略
原水禁東海ブロック連絡会議
議 長 櫻井 靖雄 印略
原水爆禁止静岡県民会議
代表委員 宮下 智亘 印略
代表委員 櫻井 規順 印略
3月1日、静岡市「静岡県産業経済会館」を会場に、原水禁、東海ブロック原水禁連絡会、原水禁静岡県民会議で構成する実行委員会の主催で、「被災58周年3.1ビキニ・デー全国集会が開催されました。集会には、県内外から約190人が参加しました。
はじめに、主催者を代表して川野浩一原水禁議長が、福島第一原発事故からもうすぐ一年が経過することに触れて、「日本を沈没させないために、皆さんの力で原発を無くしましょう」と訴えました。
あいさつする川野浩一原水禁議長
地元歓迎のあいさつは静岡県平和・国民運動センター議長の須藤達美さん
講演と提起では、フォトジャーナリストの豊田直巳さんを迎えて、「福島原発震災のまちから考える」と題して、スライド写真や映像を見ながらの講演がありました。3.11の震災以来、被災地で取材を続けてきた豊田さんは講演の中で、ガレキの処理問題について、「汚染されていないからといって、被災地のガレキを大量の燃料を使って(他県に)持ち込むことが何のお手伝いになるのか」と、疑問を投げかけました。
豊田直巳さんの生々しい福島での報告に参加者は熱心に聞き入った
特別報告では、福島県平和フォーラムから、永山信義さんが発言し、「3.11県民大集会を成功させて、全国、全世界に脱原発を発信したい」と訴えました。また、「浜岡原発の現状と県民投票」として、前静岡県磐田市長の鈴木望さんによる特別報告では、「私も原発神話に侵されていたという反省がある。(3.11が起こって)地域が良くなるよう努力してきたこれまでは何だったのだろうと思った」という思いが語られ、自らが実行委員を務める静岡での原発県民投票の成功を呼びかけました。
永山信義さんは福島県平和フォーラムで事務局次長を務める
鈴木望・前磐田市長の特別報告
続いて、静岡から高校生平和大使を送り出すことが決まったことに関連して、第11代高校生平和大使で大学生の大神櫻子さんが発言。長崎で小学生時代を過ごし、6年生のときに福岡へ転校した体験について語られ、「被爆地とそうでない地域で、核廃絶などの問題への取り組みに差があっていいのかと疑問を持った」と、高校生平和大使になった動機を披露されました。
大神櫻子さんの懸命な訴えには大きな拍手が起こった
最後に集会アピールが読み上げられ、拍手の中で2時間の集会を終えました。
集会の前には焼津市の弘徳院で久保山愛吉さんの墓前祭があり、約30人が参加して、第5福竜丸乗組員として被災し、亡くなった久保山さんの墓前に線香や花束を手向けました。
■集会アピール
■静岡県焼津市長からのメッセージ(PDF)
■静岡県牧之原市長からのメッセージ
久保山愛吉さんの墓前祭
被災58周年3.1ビキニ・デー アピール
第五福竜丸がヒバクした1954年3月1日、ビキニ環礁での核実験から58年。あの衝撃から半世紀を超えたビキニ事件は、けっして過去のことではありません。
これまでヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、JCO臨界事故と核被害の歴史は続き、昨年3月11日の福島第一原発の大事故が起きてしまいました。福島第一原発事故は、いまだ収束の見通しが立たず、大量に放出された放射能は、いまも海、空、大地を激しく汚染し、多くの住民がいまも放射能の脅威の中に置かれています。
私たちは、原水禁運動の中で「核と人類は共存できない」として反核、脱原発、ヒバクシャ連帯を訴えてきました。核の「軍事利用」はもとより「商業利用」についても問題とし、原子力施設の建設・運転に反対してきました。しかし、福島第一原発では、私たちの力及ばず、事故が引き起こされる結果となってしまいました。痛恨の極みです。もうこれ以上の核被害を繰り返してはなりません。核兵器や原発のある核社会からの決別が強く求められています。
一方で核兵器や原子力に固執する勢力もまだ大きな力を持っています。核兵器保有は、米ロ英仏中の5つの核保有国の他、インドやパキスタン、イスラエル、朝鮮民主主義人民共和国などへ拡がり、いまだその廃絶の道は厳しいものがあります。2万発を超える核兵器の存在は人類の存亡に関わる問題で、廃絶は喫緊の課題です。
また、福島原発事故の現状を見れば、「脱原発」は当然のことです。54基ある原発のうち現在稼働しているのは、柏崎刈羽原発6号機と泊原発3号機のみとなりました。この春には全ての原発が停止することになります。推進側は、原子力産業の生き残りをかけて、原発の再稼働に向けて総力を挙げて動き出していますが、これを許してはなりません。第五福竜丸の母港であったこの地、静岡では、東海地震の想定震源域の真ん中にある浜岡原発の存在によって、第五福竜丸に続き、再びヒバクシャを生み出す危険性をはらんでいます。巨大地震による災害と放射能災害が同時に起こりうることが、多くの専門家から指摘されています。
私たちは、広島、長崎、そしてビキニ事件を契機に原水爆の禁止を訴えて運動を進めてきました。その中には、「ヒバクシャを再びつくらない」という広島・長崎やビキニのヒバクシャの強い願いがありました。残念ながらビキニ事件以降も、相次ぐ核実験や原子力の「平和利用」という美名の下で、多くのヒバクシャを生み出してきました。私たちは、あらためて核の歴史に終止符を打つとともに、ヒバクの歴史にも終止符を打たねばなりません。
私たちは、ビキニのヒバクシャをはじめ世界中のあらゆるヒバクシャや平和を求める人々と連帯し、あらゆる国の、あらゆる核実験・核兵器、そして原発に反対し、ヒバクシャを生み出す全ての核開発を止めていくことをあらためてここに決意するものです。
2012年3月1日
被災58周年3.1ビキニ・デー全国集会参加者一同
本日ここに、被災58周年3・1ビキニデー全国集会が盛会に開催されますことを心からお喜び申し上げます。
皆様方には、原水爆禁止、核兵器廃絶にむけ、日夜活発なご活動を実践されておりますことに対し、深い敬意を表する次第であります。
さて、牧之原市は平成22年12月20日に、美しい郷土を守り、次の世代が安心して暮らせる平和な世界を築くため、「核兵器のない世界を目指す平和都市」であることを宣言いたしました。
昨年9月26日には、牧之原市議会が「市民の生命・財産を最優先に守るため、確実な安全・安心が将来にわたって担保されない限り、浜岡原子力発電所は永久停止すべきである」と決議しました。
また、市といたしましても「浜岡原子力発電所の永久停止」を求めることを表明し、市民の安全と安心のため、行動してまいることとしております。
今後、皆様のより一層のご活躍と核兵器のない平和な世界の実現を心から祈念いたします。
平成24年3月1日
静岡県牧之原市長 西原 茂樹
●さようなら原発1000万人署名の成功へ 道を開く! 平和で再生可能な社会へ
平和フォーラム・原水禁 事務局長 藤本 泰成
●「原発いらない! 3.11福島県民大集会」にご協力を オール福島の実現をめざして
福島県平和フォーラム 事務局長 原 利正
●福島第一原発は今、どうなっているのか 依然として続く深刻な状況
原子力資料情報室 上澤 千尋
●最優先すべき脱原発の社会づくり 今こそシナリオと戦略を立てるとき
明治大学名誉教授 原水禁専門委員 藤井 石根
●福島原発事故と食の安全・安心 徹底した放射能測定と結果の表示を
食の安全・監視市民委員会 代表 神山 美智子
●「原発関連被ばく労働者支援局」設立へ
神奈川労災職業病センター 川本 浩之
さようなら原発1000万人署名の成功へ
道を開く! 平和で再生可能な社会へ
平和フォーラム・原水禁 事務局長 藤本 泰成
12,000人が参加した2月11日の東京集会
2月11日に開催された「再稼働許すな!さようなら原発1000万人アクション全国一斉行動in東京」は約12,000人の市民が代々木公園の会場を埋め尽くしました。
呼びかけ人の大江健三郎さん、落合恵子さん、澤地久枝さんが、脱原発と再稼働の問題について発言しました。この間、本業をなげうって脱原発の運動を進めている俳優の山本太郎さんも駆けつけ、パレードの最後まで道行く人々に訴えました。タレントで中学生の藤波心さんは、自らの思いをしっかりと語り、原発事故で故郷を追われている福島県民に思いを馳せ、唱歌「故郷」を澄み切った声でじっくりと熱唱しました。参加者みんな感動の渦の中にいたと思います。福島県平和フォーラムや有機農業者、福島から避難している方、それぞれ熱い思いと怒りの声を上げました。
放射能との闘いに有効な手段はない
福島は、未だ放射能の中にあります。県民の多くは故郷に帰ることができず、避難生活を余儀なくされています。県内の多くの場所が放射線管理区域と同じような放射線量を記録し、放射能による健康被害におびえて暮らしています。行き場のない怒りが渦巻いています。
放射能は目に見えませんし、除染してもどこかに移動させただけであって、消すことはできません。それが放射能です。火事は消すことができます。火は太古の時代から人とともにありました。しかし、放射能は人ともにあるべきものではありません。福島原発事故で生み出された放射能は、そもそも自然界に存在していたものではありません。人の手によって生み出されたもの、自然界に存在してはならないものなのです。大江さんは「原子力発電所の存在は、人のモラルと倫理に反する」と述べました。その言葉の意味を、私たちはしっかりと受け止めねばなりません。
原水禁は「核と人類は共存できない」と主張してきました。ウラン採掘の現場から使用済み核燃料を中心とした廃棄物の処分まで、私たちは放射能と闘い続けなくてはなりません。そして、その闘いに有効な手段を誰も持っていないのです。確立されない技術というものを、確立されないままに使い続けてきたということ、それが原発であり、それが福島第一原発事故の本質なのです。
許せない既存原発の再稼働
2011年6月の「さようなら原発1000万人アクション」の立ち上げ、呼びかけ人の記者会見から10ヵ月を経過しようとしています。福島から沖縄までをつないだ「原水禁世界大会」、9月8日の「講演会・さようなら原発」、そして6万人を集めた9月19日の明治公園での「さようなら原発全国集会」、「がんばろう!さようなら原発1000万人署名」12.10集会、前述の2月11日集会と、私たちは声を上げ続けてきました。
この間54基の原発は次々と停止し、現在2基が稼働しているに過ぎません。電力不足を懸念された去年夏も、しっかりと乗り切ってきました。菅直人首相(当時)が提起した「原発に依存しない社会」に向けてしっかりと歩み出したかに思えました。枝野経産相も「再稼働は困難であり、今夏は原発なしで乗り切らなくてはならない」と発言しました。
しかし今、政府は既存原発の再稼働へ向けて舵を切っているように見えます。原子力安全・保安院の「大飯原発ストレステストへの妥当評価」、野田佳彦首相の「福島原発事故の収束」発言、そして細野豪志原子力行政担当相の「原発寿命実質60年の原子炉等規制法の改正」提起、そして健康問題を度外視するかのような避難地域の強引な放射性物質の除染作業と住民の帰還、全てが今夏に向けた「既存原発の再稼働」に向けた地ならしとしか見えません。原水禁は、再稼働を考える政府を許すことはできません。
ごまかされる地震と事故原因
東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という日本の観測史上最大の地震でした。日本の地震研究は、世界の最先端を行っていると考えられますが、しかし、それでもなおこの大規模地震は予測できませんでした。そして、マグニチュード9.0という地震発生後は、さらにきびしい知見が発表され続けています。新しい知見は、これまでの原発の安全基準の更なる見直しを要請しています。
原発の基準値振動は、阪神淡路大震災、中越沖地震とその度にさらにきびしく見直されてきました。しかし、今回の事故を防ぐことはできませんでした。福島原発事故の政府調査委員会は、中間報告の中で「地震が原因とはわからない」としていますが、原子力安全基盤機構は、地震直後に圧力容器内の蒸気圧が低下していることから「地震によって配管等の破断があった」との見解をまとめています。500ガルを超える程度の地震動で福島原発が破壊されているとすれば、全ての原発を動かすことはできません。
信頼に足らない大飯原発の安全評価
大飯原発の安全評価は、福井県におけるこれまでの地震研究の成果によって行われています。しかし、新しい地震に対する知見がどんどん出ている現状で、そのことが信頼に足るものとは考えられません。もし、再稼働後に事故が発生するならば、関西電力は東京電力と同様に「想定外」と発表するのでしょうか。
想定というハードルはどんどんと高くなっています。大飯原発の事故は、滋賀県の嘉田由紀子知事が言うように、必ず関西地方の飲料水を供給する琵琶湖を直撃し、放射性物質で汚染するに違いありません。そのとき、「想定外」ではもう遅いのです。
事故原因もわからず、地震の規模の評価も定まらないままに、電力不足という宣伝と電気料金高騰による経済的影響を喧伝し、再稼働へと進めようとする経済効率優先の姿勢は、世界に例を見ない公害病を出した水俣でも、そしてこの福島原発事故でも非難されてきたものであったはずです。二度目の原発事故が引き起こされたなら、日本経済は立ち上がることのできないほど打ちのめされることでしょう。
7月16日は代々木公園で大集会を開催
「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけ人の皆さんは、2月11日に全国の原発立地県知事および立地市町村長にあてて、再稼働を許すことのないようメッセージを送りました。2月16日の新聞報道では、経団連など経済3団体の強い要請に基づいて、民主党のエネルギープロジェクトチームが「原発の稼働なしには今夏電力不足の可能性がある」として、定期点検で停止中の原発の再稼働を容認する方向で調整に入るとしました。
再稼働は地元合意が前提としているものの、その姿勢を容認することはできません。脱原発の方向を全く決定せずに、再稼働に走る行為は、人の命を金で売ることと同様の野蛮で愚かなものです。
原水禁は、地方自治体への働きかけと原発立地の地元での運動を強化し、全力を挙げて再稼働阻止に向けて取り組みを進めなくてはなりません。多くの市民と連帯し、脱原発で「命に寄り添う社会と政治」をスローガンに、「平和で再生可能な社会」をめざして、「さようなら原発1000万人署名」を全力でやりきって、7月16日の代々木公園での「さようなら原発全国集会」で脱原発実現の道を開こうと思います。
全国の皆さん! 懸命な努力で、道を開こうではありませんか。新しい社会をつくろうではありませんか。
「原発いらない! 3.11福島県民大集会」にご協力を
オール福島の実現をめざして
福島県平和フォーラム 事務局長 原 利正
間もなく3月11日がやってきます。福島を、日本と世界を変えたあの日です。福島では、原発事故により県民の多くが生活の基盤を破壊され、大きな不安を抱えて暮らしています。今もなお多くの県民が県外に避難し、人口の流出が続いています。事故を契機に国の内外で原発に対する不安が高まり、海外では脱原発を決定した国もあります。
ところが当の日本自身が本当に変わったのかというと、そうではないようです。いまだに誰も責任を取らず、原子力ムラは温存されています。原発は再稼働に向かっており、海外輸出も目論んでいます。このままでは、日本は、過ちに何も学ばない、何も反省しない国になってしまいます。しかし、二度目のフクシマは日本の最後を意味します。二度とあってはならないのです。
今が正念場です。まさに日本の将来を分ける重大な分岐点にあります。原子力ムラとそれを推進している勢力との闘いに何としても勝たなければなりません。その闘いの一助とすべく、福島県平和フォーラムは、「原発いらない!3.11福島県民大集会」の成功に向けて今、組織の全力を傾注して準備を進めています。
福島が経験したことのない取り組み
昨年、原発事故が起きたときに私たちが思ったのは、なぜ事故が起きる前に原発を止められなかったのかということでした。そしてこれまでの運動についても反省させられました。一つは、事故について私たち自身が「想定外」ではなかったかということです。確かに私たちも地震の危険性を訴えてきましたが、そこには甘さもありました。真に危機感をもった訴えをすることができませんでした。
また、運動を広げる努力も不足していました。本当に原発をなくすには多くの県民の賛同が必要ですが、それを最初からあきらめ、理解してもらえる人に理解してもらえればいいと、自ら萎縮していたように思います。
この反省の上に私たちが意思統一したのは、今後はオール福島を追求しようということです。主義主張に関係なく、「もう原発はいや」というのが全県民の率直な思いのはずだからです。そして、ようやく実現したのが、まず昨年7月31日に行った「原発のない福島を求める県民集会」でした。
その後、事故1周年となる今年の3月11日の取り組みについて議論した結果、さらに大規模な県民の大集会を開催しようということになりました。野球場を一杯にするくらいでないとインパクトがない、200万県民の1%で2万人を目標にという声があり、会場は郡山市の開成山野球場と決定し、準備を開始しました。
当然、私たちだけでは会場を埋められませんし、オール福島と言う意味からも、県内各地から、組織に関わらず各界各層の県民が結集するものにしなければなりません。そのため県内の著名人や主だった団体の代表者に呼びかけ人をお願いすることとしました。これは福島ではいまだかつて経験したことのない取り組みです。誰にどうやって要請するのかなどなど、全くの手探りで、紆余曲折を経ながら最初の呼びかけ人会議を開催できたのはようやく12月25日でした。しかし呼びかけ人を要請していたJA農協などについては、理事会やその他で決定する必要があるとのことで、この会議に間に合わず、最終的な呼びかけ人や集会名称は決定できませんでした。
JAや漁連、森林組合の協力を取り付ける
名称が確定したのが1月29日、そしてさらに要請していたJA、漁連、森林組合などの生産者団体の会長が呼びかけ人として確定したのはようやく2月初旬でした。やむなく県平和フォーラムが事務局となって会場の手配やビラやポスターなど宣伝の準備などは先行して進めてきました。
集会のメインスローガン、主な訴えとして考えたのは、次の3点です。
・福島県では原子力発電は将来にわたり行わず、福島県を再生可能エネルギーの研究・開発拠点とすること。
・放射能によって奪われた福島県の安全・安心を国と東京電力の責任で実現すること。特に子どもたちを放射能から守ること。
・原発事故に伴うすべての賠償の実現と、県民の生活と雇用の保障を実現すること。
もちろん他にも様々な要求がありますが、挙げればきりがありませんし、ほとんどの県民が共感できるであろうもの、オール福島として集約できるのはこの3点だろうと考えたのです。これにより集会の企画書を作り県内の主な団体に呼びかけ人への就任等を要請したのですが、現実を言えば、残念ながらオール福島にはなり切れていないと言わなければなりません。
ネックは「脱原発」です。私たちの内部でも議論はありましたが、あえて「福島では」との限定を付けたにもかかわらず、一部の要請先に理解を得られなかったのです。まず県内の労働組合で対応がまとまっておらず、連合福島の協力を得ることはできませんでした。また商工団体も同様です。このように限界はありますが、一方で、生協連に仲介役を担っていただきJAや漁連、森林組合に協力が得られたことは大きな成果だと思っています。
脱原発、まずは福島での実現を
この集会が「県民集会」であることについても議論があります。市民グループの方々からも様々な意見をいただきました。「1000万人アクションの一環として位置付け全国集会にすべき」「福島での脱原発と限定するのはおかしい」「これまで脱原発を中心に担ってきた人が呼びかけ人になっていない」などです。実はそうした思いは私たちも同じのなのです。私たちの立場も全国の原発の廃炉です。そのための集会であることは間違いありません。しかし、まず福島において脱原発を実現しようということです。
県議会が県内全原発の廃炉を決議し、県は復興計画の中で原発からの脱却を明確にしています。しかしそれに対して、県内でも異論がないわけではありません。また国や東電はいまだに全原発の廃炉を決定していません。一部週刊誌は、東電が福島第二の再稼働を狙って動いていると報道しています。おそらく国も、時が経過し事故が風化すれば再稼働を容認するでしょう。そうさせないためには、県民の明確な意思を示すことが必要です。
また、県民が直面している課題、放射能汚染対策や賠償の実現、生活と雇用の保障等々を何としても解決していかなければならないということです。これらは県民の切実な願いです。こうした問題を抱え、理不尽な犠牲を強いられているからこそ原発はこりごりと思うのです。福島においてこの3点は切り離すことはできません。そしてこの3点を主張するにはやはり県民集会でなければならないのです。
多くの広範な県民の結集をめざすために、県平和フォーラムは「黒子」になることとして、あえて呼びかけ人に名前は出していませんでしたが、実務の中核は県平和フォーラムが担う他、集会の実行委員会の実行委員長には、県平和フォーラムの竹中柳一代表が就任することとなりました。さらに、私たち以外の様々な団体や市民グループの皆さんにも協力をいただくこととなっています。
財政づくりも重要です。野球場が会場ですから特設ステージを設置するなど大変な経費がかかります。基本的に賛同金で賄うこととしており、参加者の確保とあわせて実行委員会全体で懸命に進めています。
3月11日を脱原発運動の節目の日に
8月6日と9日が日本の核廃絶運動にとって大きな節目の日であるように、3月11日は脱原発運動の節目の日にしなければなりません。県平和フォーラムとしては、まず福島から脱原発を日本と世界に発信することにより全国の脱原発運動に貢献することを課題としています。
また県民は憲法の保障する生存権や労働権など基本的権利が侵害されており、その回復を図らなければなりません。その点では県民と連帯する取り組みでもあります。さらに集会を担うことを通して、組織の強化を図ることや、県内における私たちの影響力拡大にもつなげたいと考えています。
ぜひ全国の皆さんのご支援をお願いします。また、集会当日はまだ大変寒いと思われます。参加される方は寒さ対策もお願いします。
〈集会のHPはこちら〉http://fukushima-kenmin311.jp/
福島第一原発は今、どうなっているのか
依然として続く深刻な状況
原子力資料情報室 上澤 千尋
なぜ上昇した2号炉の温度
2月2日から2号炉の原子炉圧力容器の温度が上がりだし、13日には摂氏90℃を超える値を示し、さらに急上昇を続け、公表されているグラフをみると400℃を超える指示値を示している温度計(熱電対)があることがわかります。東京電力は、圧力容器内への注水量を17.5tに増やし、さらに注入量を増やしたため再臨界防止措置として注入する水の中にホウ酸を添加しています。
高い温度を示しているのは、「底部ヘッド上部」の円周方向0°位置にある一つの温度計です。近くにある温度計が、40℃から30℃へと低下傾向を示しています。このため、東京電力は、実際に温度が上がっているのではなく、温度計が計器の断線などで故障しているのだとほぼ断定しています。
しかし、何らかの理由(操作、地震、崩壊)で核燃料の熔融物がこの温度計の近くに移動していき、その結果、実際に温度が上がっているのかもしれません。あるいは、何らかの核反応が局所的に活発になった結果かも知れません。たとえ、温度計が故障しているとしても、その理由を知る必要があります。なぜこの時期にこのようなことが起きたのでしょうか。他の温度計は大丈夫なのでしょうか。
今回、小さめに出来事を見積もっても、温度計を一つ失ってしまったわけですが、今後どうなっていくのかを考えると、かなり深刻です。原子炉内部を知る手がかりすらないという状態になりかねないからです。そうなると、熔融物の管理などまったく見通しが立たなくなってしまいます。
崩れ落ちている原子炉内の核燃料
現段階では、たとえ原子炉内部にカメラを入れることができても、核燃料の状態まで見るのは相当困難でしょう。非常に高い放射線の環境下で、「見る」ための素子を開発するということと、遮へいをがっちり施した放射線に強い装置をつくることとは相反する要求だからです。格納容器の中をちゃんと見ることができるかどうかも疑わしいと思います。実際、1月19日に2号炉の格納容器の中に放射線の遮へいを施された工業用の内視鏡を入れて内部を見る作業を行いましたが、熔融物の様子に関しては重要な情報は得られませんでした。
1、2、3号炉とも、原子炉内の核燃料の大半は熔けて崩れ落ちているのは間違いありません。燃料は熔け崩れ、制御棒も燃料と一緒になって熔け落ちているものとみられます。その上に、炉心シュラウドやシュラウドヘッド、気水分離器、蒸気乾燥器などの原子炉内にある大型構造物が、熱のため大きく変形して重なり落ちているのでしょう。
圧力容器も大きく破損している
炉心だけでなく原子炉圧力容器も大きく破損していることでしょう。原子炉の底や制御棒を通す管の回りなどに穴が空き、熔けた核燃料が原子炉の外に飛び出していることは確実です。圧力容器の上ぶたのフランジ部なども、ゆるんでしまっているかもしれません。格納容器の壁も貫通している部分があるはずです。格納容器の上ぶたフランジは完全に機能を失っているとみられます。
原子炉内にとどまっている核燃料の残骸もかなりあると見られます。2月13日現在の時点で、1、2、3号炉へは、炉心の冷却のためそれぞれの原子炉内に1日あたり146、424、216tの注水を続けているからです(注水の経路は給水系と炉心スプレイ系の配管)。しかし、圧力容器から抜け落ちた熔融燃料の方の挙動の把握は全くできていません(冷温停止を達成している5、6号炉への外部からの注水量はゼロであり、原子炉の水温はそれぞれ38℃、26℃です)。
また、「循環注水冷却」によって、注入された超高濃度の汚染水の放射能が、集中廃棄物管理施設内に設置された浄化装置によってこしとられ、貯まり続けています。使用しているフィルター類は、付着した放射能による発熱で300~500℃もの高温になっていることもあると言います。
疑わしい東電の事故分析
原子炉圧力容器や格納容器の内部はおろか、原子炉建屋の中にも人間が自由に出入りできない現状では、公表されている原子炉回りの温度や圧力などのデータから推測するしかありません。事故がどのように進行していったのかについては、挙動が激しい割に残っているデータが少なく、もっと不確かです。
東京電力や原子力安全・保安院が行っている事故解析では、地震の揺れによる原発の重要な施設の破壊・損傷はなかったと強調していますが、その科学的根拠は乏しいと言わなければなりません。
東京電力は、2011年11月30日に開かれた「東京電力福島第一原子力発電所1-3号機の炉心損傷状況の推定に関する技術ワークショップ」において、事故解析プログラムによる炉心熔融に至る過程と格納容器の損傷状態に関する推定結果の概要を公表し説明しています。推定結果の再現性はあまり良いとは言えず、実測された原子炉(水位、圧力)や格納容器(圧力)のデータを模擬できていない箇所がいくつもあります。
無理やりデータと合わせる操作
たとえば、1号炉について東京電力は、原子炉水位については事故の早い段階から水位計が正しい値を示していないと判断して、全く無視しています。その他、3月12日の0時前後の様子として、減圧操作をしていないのに原子炉圧力が急激に低下していること、格納容器内の圧力が圧力容器の破損以前に大きく上昇していることが、解析では模擬できていません。東京電力は、実際には作動していない主蒸気逃し弁が動いていることを仮定して解析を実施して、無理やり実際のデータに近づけようとしているように見えます。
東京電力は、これらの不確かな結果をもとに熔融炉心による格納容器の損傷状態を導いており、1、2、3号炉それぞれで、床のコンクリートを65㎝・12㎝・20㎝侵食したと推定した結果を説明しています。熔融燃料がコンクリートと水蒸気爆発を起こすケースや、熔融燃料が流れ広がってペデスタル部(圧力容器を支えているコンクリートの土台)の壁を貫通してしまうケースを考慮していないなど、結果は当然疑わしいものにならざるを得ません。
配管や機器に破壊・損傷が起きた可能性
元原子炉設計者で科学ジャーナリストの田中三彦さんは、事故後に早くから1号炉で原子炉につながる重要な配管、もしくは、機器で地震による破壊・損傷が起きている可能性が否定できない、と指摘しています。田中さんは、1号炉における原子炉圧力の挙動、原子炉水位の急激な低下、格納容器圧力の急激な上昇を示すデータ、および、非常用復水器の運転状況から、原子炉につながる配管のどこかに微少な漏えいが発生していると推定しています。
保安院に対して、原子炉につながる配管に漏えいが起きていた場合の解析をすべきではないかと求めたところ、原子力安全基盤機構(JNES)が、過渡解析用のコンピュータ・プログラムを用いて解析を行いました。これは東京電力が使っているプログラムや、JNESがこれ以前に使っていた汎用のプログラムに比べて精度が格段に高いとされています。ただし、それでも一次元的な解析しかできないのです。
否定できない配管からの漏えい
解析の結果は、12月9日の東京電力福島第一原子力発電所事故の技術的知見に関する意見聴取会(第4回)及び建築物・構造に関する意見聴取会(第5回)の資料3-2「福島第一原子力発電所1号機非常用復水器(IC)作動時の原子炉挙動解析」として公表されています。保安院・JNESは、3c㎡程度の漏えいが起きた場合には原子炉水位が実測値より急激に下がるため、それ以上の破損は生じていないと説明しています。
しかし、よくみると再循環系配管に0.3c㎡以下の面積の漏えいが起きた場合の解析ケースが示されていて、漏えい面積が0.3 c㎡では、漏えいがない場合と区別ができないことが読み取れます。0.3c㎡での漏えい量は、1時間当たり7.2tにも達します。このように大きな規模の量の漏えいであっても、このプログラムで再現できず、その結果、1号炉での配管からの漏えいが否定できないことがはっきりしてきています。
最優先すべき脱原発の社会づくり
今こそシナリオと戦略を立てるとき
明治大学名誉教授 原水禁専門委員 藤井 石根
生存、生活を危うくする原発事故
自然エネルギー資源量では日本より確実に少ないドイツが福島第一原発事故を契機に早々に脱原発を宣言しました。10年余りで全原発を廃炉にすると言います。翻って広島と長崎、そしてこのたびの原発事故と三度もの悲惨な被害を経験した日本、それでも今もってなお、原発に未練を残し、脱原発を語れないでいます。それどころか54基全ての原発がまもなく稼動停止状態になるのを受けて、「この夏は電力不足になる」などと人々の不安を煽る始末、原発の再起動に躍起になっている節すら見られます。
一体、このドイツとの差はどこから来るものなのでしょうか。ドイツと同様に日本には原発を廃炉にできる十分な技術を持ちあわせているし、ドイツ以上の十分な自然エネルギー資源にも恵まれています。その気にさえなれば危惧する電力不足など短期間のうちに払拭できる状況も整っています。足りないのはやる気になることと積極性でしょう。世界は今や確実に時代の節目に差し掛かっています。当然、エネルギー問題にしても同様でしょう。
脱原発に異を唱える表向きの理由には、既に見た電力の供給不足による経済的な影響と、このところのイラン問題で起こるであろう原油の値上がりがあります。確かにどれも一見、もっともらしく聞こえますが、将来性、持続性それに最も大切にすべきものは何かといった観点が欠落しています。今や一時しのぎの対応では事が済まない状況に至っています。経済性を重視する余り、日常生活を根底から覆されては元も子も無くなります。
このたびのような原発事故の再来は、経済的損失はおろか生存、生活をも危うくし、社会の崩壊につながる可能性があります。それに比べれば経済的な問題は取るに足らないものです。「今後はより原発の安全性を高めて」などと言うセリフも聞かれますが、安全神話の実態が公になり、人為の限界が再認識されたとき、安全な原発などできるとはほとんどの人は思わないでしょう。むしろ違和感や不信感を募らせるのがおちです。いまだに原発に固執し続けている人たちは概ね、原発の推進に深く関与してきた人たちであり、しかも、今日の事態を招いています。万物の共有財産である自然を広範に放射能で汚染し、多くの人たちの生活を台無しにした上に生存すら危うくしているのです。その罪の程は決して小さくありません。その責任の一端は彼らにもあります。しかしそのことに対して、反省どころかその責任すらあまり感じていません。原発にさらに依存し続けようとする論理の背景にはこうした人間性の欠落が存在しています。少しでも責任を感じれば、こうした主張が出てくるはずがありません。
物質的追求より持続可能な社会づくりを
今の社会システムや生活のありようは潤沢なエネルギー消費で支えられています。しかしその一方で、供給の確実性や持続性に不安を残し、かつ無視し得ない程の環境負荷を醸し出しています。そうした中、この度の事変はこうした生き方の限界を啓示、有りようの変革を求めています。
もしエネルギー消費の程を家庭での収入にたとえるならば、現況は収入減に伴うこれからの生活の有りようを求めています。当然、その対応あり方には①収入に似合うライフスタイルの再構築②確実にして持続性のある新たな収入源の確保③これまでの生活の継続をなおも第一に考え、高リスクを覚悟で借金する方法があります。このうちどの策を選択するかはわれわれの英知次第ですが、将来性や後世の人たちにも思いを馳せるとき、③の選択肢はあり得ません。
今、精力的に行うべきは、未だ余裕があるうちに最初の二つの策の実行です。具体的にはエネルギーの有効利用、すなわち省エネルギーを基調としたエコ・エコノミー社会へのつくり替えとソフトエネルギー活用の促進です。目標は豊かな生活の実現で、これまでのような物質的な豊かさの追求ではありません。この変革は容易ではありません。綿密にして周到な戦略が当然、必要になってきます。
ないがしろにされてきた自然エネルギー資源
自然エネルギーによる世界の発電設備容量は2010年の時点で3億8,100万kWと、原発の容量の3億7,500万kWと拮抗しています。一方、日本では活用可能な自然エネルギー量は20億3,349万kWと見込まれていますが、現在の導入量はたったの1,490万kWに過ぎません。新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の見積りによると、もし本気になったら導入できる設備容量は、太陽光で原発や火力発電の30基分に当る2万9,550MW、風力は782基分の78万2,220MW、地熱で20基分の2万540MW、中小水力で28基分の2万7,600MWと、その供給ポテンシャル量は相当なものです。これにバイオマスなどを加えれば、その量たるや莫大で日本は自然エネルギー面では資源大国です。
日本の原発を含む現在の総発電設備容量は2億kW余りと言われているので、日本が抱えている活用可能な自然エネルギーの量はそれの約10倍で、しかもほとんどを無駄にしています。この状況はもったいないという程度を通り越しています。
事故を引き起こした当事国に住む私たちは、この状況をどのように見て、今後を考えるのか極めて重要な岐路に立たされています。
可能性が大きい自然エネルギー
東京や大阪で一部の市民グループは、原発の是非を問う住民投票条例制定を直接請求するための署名活動を展開し、必要数以上の署名を集めています。これにちなんで為政者はもとより、一部学者の意見やコメントなどが新聞紙上、その他で散見されるようになっています。当然、脱原発に否定的なものも少なくなく、そこには自然エネルギーの弱点をあげつらうものも含まれています。
これらの内容は概ねよく聞かされてきたものですが、そんな中で少し目新しいものとしては、一つに「パワー不足の自然エネルギーは主役になれない」とする意見もあります。ここで言っているパワーとは単位時間当たりの仕事をする能力、すなわち平たく言えば一基当たりの発電設備容量や出力密度の程を指しており、この点で自然エネルギーによるものはその程が小さいので問題だと主張しています。
しかし、この点の対応は技術的に可能で、たとえば複数個の系の出力を合わせれば、いくらでも出力密度も容量も増やすことができます。電気自動車(EV)の普及・拡大の風潮を背に蓄エネルギー技術も向上しています。今のエネルギーシステムは集中型で発電系もそれに対応してできています。そのシステムをほとんど変えずに、分散型の自然エネルギーの系を持ち込めば馴染みにくく、不都合が生じるのは当然で、それを理由にマイナスの評価をする論は傾聴に値しません。
また「自然エネルギーは必ずしもエコではない」とする論もあります。だからと言って他がエコということにはなりませんし、エコ度を上げる方策は少なくありません。これらに限らず他の論や意見も現況の系や制度を固定的に考えて自然エネルギー導入の弱点を挙げ連ねています。これでは、環境負荷がより大きな持続不可能なエネルギー資源に、なおも多く依存し続けることになり、将来性は細るばかりか今後の負担もますます大きくなります。
また、石原慎太郎東京都知事は原発反対の動きに関し、代案が出ていないと最初から無視する態度を示しています。これまで多く提示されてきた自然エネルギー活用案やその実を無視、ドイツやイタリアの動きも軽視しています。失敗や事故、それに挫折を体験しながらも、それらを克服することで文明は進歩するとして原発の維持を暗ににおわせています。このことから、彼には原発の本質を理解しているとは思えないし、チェルノブイリや福島原発事故を飛行機事故等と同一視し、事故の影響の程の差異を全く考えていない節があります。文明の進歩など目的にするものでもなければ主役になるものでもありません。私たちは今なお、こうした為政者を頂いている状況にあることを決して忘れてはなりません。
いま一番重要なことは、目前の課題への対応もさることながら、将来を見越した社会づくりです。それ故にそこに至るシナリオづくりや戦略を早急に立てることも必要であり、先見性や理念も要求されています。将来像がしっかりと決められなければ意味のある策が立てられるはずもありません。昨今の政治からはこの辺がはっきりと見えてきません。政治の質は国民の質を映し出していると言われますが、われわれ一人一人にしても反省すべき点を多々抱えています。かのインドの偉大な政治指導者ガンジーは、あってはならない「七つの大罪」の一つに「理念なき政治」を掲げています。この言葉からも考えさせられるところも決して少なくありません。
福島原発事故と食の安全・安心
徹底した放射能測定と結果の表示を
食の安全・監視市民委員会 代表 神山 美智子
広範な食品汚染、安心だと宣伝した政府の嘘
昨年3月11日の大地震と津波により破壊され爆発した福島第一原発から、大量の放射性物質が飛散降下して、いわゆるホットスポットと呼ばれる高濃度汚染地域をつくり出しました。そのため農産物、畜産物、水産物などに、広範な食品汚染をもたらしたのです。
政府の対応が後手に回ったため、いまだに新たな汚染源が見つかる有様です。稲わらの汚染が牛肉のセシウム汚染を招いただけでなく、2月になってからも、福島の材木を燃やした灰でろ過した水を使った沖縄のそばから、1㎏当たり258ベクレルのセシウムが検出され、福島産の大根を使った切干大根から同じく3,000ベクレルが検出されています。また福島のビニールハウスをリサイクルするため洗浄して落ちた土から、58,000ベクレルものセシウムが検出されたと言います。
こうした放射性物質の汚染に対し、厚生労働省が昨年3月に暫定規制値を設定し、原子力災害対策本部が、原子力災害対策特別措置法による必要な措置として、出荷制限や摂取制限などを指示してきました。そもそも、原発の重大事故自体、想定されていなかったので、放射性物質に関する食品の規格基準が設定されていなかったことに問題があります。チェルノブイリ事故後、輸入食品を規制するため、セシウムについて370ベクレルという規制値が設けられていましたが、福島事故後の暫定規制値はこれより緩いもので、一般食品については500ベクレルでした。
政府はこの暫定規制値に基づき、各地に検査を指示しましたが、検査態勢は非常に不備がありました。食の安全・監視市民委員会は、検査体制の充実と結果公表を政府に求め続けてきましたが、検査機器やスタッフが間に合わず、場当たり的な対応しかなされてきませんでした。それにもかかわらず政府は、「市場に出回っている食品は規制値以下だから安心して食べろ」と宣伝しました。しかし、稲わら牛肉の汚染が発覚し、その嘘が白日のもとにさらされることになったのです。
4月から新基準、子どもの健康への配慮は不十分
厚労省は新しい放射性物質の規制値を設定し、4月から適用されますが、一般食品について100ベクレル、水10ベクレル、乳児用食品50ベクレル、牛乳50ベクレルとされています。暫定規制値はセシウムについて、年間5ミリシーベルトを超えないようにと定められていましたが、新規制値は、これを年間1ミリシーベルトに引き下げた結果です。ところが、本来子どもの健康を守ることが使命であるはずの文部科学省の放射線審議会が、この規制値は厳しすぎるとの意見を述べました。乳児などに特別の規格基準を設けなくても、子どもへの配慮は十分というのです。
その背景には、陰膳方式で測定した結果、検出される放射性物質の濃度は十分低いという認識があると思われます。陰膳方式は、1食分の食材をミキサーにかけて測定するので、実際の食事のデータを取ることができます。検査された食材そのものを食べる学校給食などでは、摂取実態に合っているとも考えられます。
しかし、これを普通の家庭の食生活にあてはめることはできません。それは、食生活は多様であり、平均で食べているわけではないからです。魚介類を多食する人もいれば、同じ生産地の食材を食べ続ける人もいます。牛乳の場合、集荷されたクーラーボックスで測定することになっており、高濃度汚染牛乳が混じっていても薄められるので検査結果は低くなります。その牛乳を飲むのだから支障ないとされていますが、ホットスポットの汚染を見落とすことになり、対策につながりません。
一部の専門家の中には、100ミリシーベルト以下では健康に有意な影響は見られず、むしろ気にしすぎることのほうが有害であると言う人もいます。しかし、小さい子を持つ親にしてみれば、将来何が起こるかわからない低線量長期曝露は、できるだけ避けたいのは当然です。化学物質の世界では子どもの基準は大人の10分の1にすることが通常ですが、新基準の乳児用食品と牛乳は一般食品の半分にしかなっていません。これは10ベクレルに設定するべきでしょう。また徹底した測定と測定結果(ベクレル)の表示を求めたいと思います。それにより、消費者は何を食べ、何を子どもに食べさせないかを自ら決定することができるのです。
「原発関連被ばく労働者支援局」設立へ
神奈川労災職業病センター 川本 浩之
被ばく労働の規制を緩和する国
全国労働者安全衛生センター連絡会議は、福島第一原発事故以来、被ばく労働に関して、国と交渉を続けてきました。国は、緊急作業という名目で、実は他の原発を動かすために技術者が足りなくなるというメーカーなどの要請を受けて、被ばく労働の規制緩和を行いました。また、被ばく労働者の補償問題については、積極的に情報提供したり、基準を明確にしようとしたりしていません。一方でその効果が疑問視されている「除染作業」の被ばく労働対策として、新たな規則をつくりました。
原発内に限らず、被ばく労働を余儀なくされている実態に対して、制度だけではなく、現場での取り組みが求められています。そうした中で現在、連絡会議では「全国安全センター原発関連被ばく労働者支援局」(仮称)の設立に向けた動きを進めています。
東電に情報開示、補償問題で団交要求
関西労働者安全センターは、原子力資料情報室や、よこはまシティユニオン、原水禁などの協力を得て、福島第一原発で働き、「多発性骨髄腫」になった故・長尾光明さんの労災認定、そして東京電力を相手取る損害賠償裁判に取り組んでいました。厚生労働省は労災認定しました。しかしながら、東京電力は団体交渉を拒否し、裁判では長尾さんが「多発性骨髄腫」であることすら否定してきました。2010年2月、最高裁判所は、請求を棄却。国の労災認定にもかかわらず、司法として、原発内被ばく労働と病気の因果関係をあくまでも否定するという姿勢を取りました。
2011年4月、福島第一原発事故を受けて、よこはまシティユニオンは、東京電力に対して、情報開示、被ばく労働を低減化すること、万一の補償問題などについて、団体交渉を要求しました。交渉は拒否されていますが、ある意味では「不誠実な団体交渉」以上の明確な文書回答を得ています。現在12回目の要求書を提出中です。
アスベスト補償の教訓を生かそう
原発被ばく労働についても、アスベスト問題と共通の構造があります。そもそも原発では放射能も問題ですが、配管には大量のアスベストが使われています。わずかな曝露、被ばくによって、何年も経ってから病気になるという意味においても非常に似ています。
残念ながらアスベストは被害が明るみに出てから、本格的な対策が講じられたため、多くの被災者を生み出すことになりました。被災者や遺族は一人でも入れる労働組合に加入し、労災認定、そして企業に対する損害賠償請求、情報開示、健康管理を要求してきました。2011年秋には、退職者は労働者ではないとして団体交渉を拒否してきた件について、最高裁判所が不当労働行為であると言う決定を出しました。
被ばく労働者も、アスベストに優るとも劣らぬリスクを抱えています。裁判所は遺族には団体交渉権を認めていないことにも注意しなければなりません。病気になる前にこそ、団結することが非常に重要です。
その他にも、教員、JR、港湾、水道、清掃などの労働組合が、職場や地域での取り組みを様々な形で展開しています。そうした心ある労組とも協力しながら、被ばく労働問題に積極的に取り組むことが今こそ必要です。
労働者、市民の共同の取り組みを
支援局がめざしている具体的活動は以下の通り。
1.相談活動
放射線被ばくはもちろんのこと、メンタルヘルス、熱中症など、原発関連作業における安全衛生問題は非常に重要です。雇用問題も発生しています。会社や国以外に相談できる受け皿をつくりましょう。
何よりも地域における健康相談や労働相談活動が信頼関係づくりの柱となるでしょう。
2.教育宣伝活動
必要な情報が必要な人にわかりやすく届いているとは言い難い状況が続いています。被ばく労働問題に関する政策、法律、医学、その他の関連情報をまとめて発信しましょう。連絡会議が現在設置している「情報公開推進局」並みにがんばりたいと思います。
3.国や会社との交渉
東京電力や国の姿勢を変えるのは、労働者、市民の共同の取り組みです。交渉、行動、必要に応じて訴訟などを通じて、適切な健康管理、補償制度などを実現していきましょう。
4.労働組合の結成や加入推奨
具体的な労働相談で会社との交渉が必要な場合には、直ちに労働組合を結成、もしくは既存のユニオンなどに加入してもらい、団体交渉で解決を図ります。
韓国の李明博大統領が旧日本軍の元従軍慰安婦の人たちに手紙を送り、日本が女性らへ謝罪することが「韓日間の他の懸案よりも至急の問題だ」と述べ、両国間の最優先課題だとの認識を示す。