2011年12月アーカイブ

イランがホルムズ海峡でミサイル発射実験。

米議会がイラン金融制裁法案可決。

●有数の原発立地県で反対の声を上げ続ける
  原子力発電に反対する福井県民会議 事務局長 小木曽 美和子さんに聞く

 

●低調だった第66回国連総会における軍縮議論 問われる日本政府の姿勢
  NPO法人ピースデポ 代表 湯浅 一郎

●さようなら原発1000万人アクションのこれから 政治や世論に強く訴える運動をめざそう

●激動の2012年、流動化する世界 米ロ、米中対立の狭間で日本は?

●電力の無駄遣いに議論の余地なし リニアのための原発再稼働を許さない
  リニア・市民ネット 懸樋 哲夫


有数の原発立地県で反対の声を上げ続ける

原子力発電に反対する福井県民会議 事務局長 小木曽 美和子さんに聞く

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【プロフィール】
 岐阜県生まれ。福井新聞社への就職を機に福井県へ。新聞社時代には、「報道の自由」の問題などで、労働争議を経験。解雇撤回を勝ち取り退職。その後、女性運動や地元の選挙にかかわる。1976年に「原子力発電に反対する福井県民会議」を結成。高速増殖炉もんじゅがあって、また、敦賀、高浜、美浜、大飯原発を抱える、日本有数の原発立地県にあって、長年反対運動の先頭に立ち続ける。

――原発問題にかかわることになったきっかけと福井での運動の経過について教えてください。
 あるとき、地元企業のPCB汚染問題が発生し、旧・社会党の国会調査団が現地調査に入りました。そのとき同時に、原発についても調査を行ったのですが、その調査に私も同行したことがきっかけで、原発問題にかかわるようになったのです。
 福井は最初に商業原発を誘致して建設したところで、敦賀、美浜が70年に運転開始されています。しかし元々保守的な地域だったこともあって、原発推進派の一方的な宣伝ばかりで、危険性についての情報はまったく入ってきませんでした。電力会社、通産省(当時)、そしてそれを権威づける専門家による情報を信じるしかなかったのです。原子力はクリーンエネルギー、そして電力があれば産業もやってくるということで、当時は誘致合戦になりました。
 中には漁民の反対を受け止め、市民の思いを大切にする中で原発をつくらなかった小浜市のような例もありますが、多くの場合、漁業の規模は小さく、反対運動が起きにくい過疎の集落などを狙い撃ちにして、建設計画が進められました。
 しかし現実に運転が始まると、原発に批判的な研究者グループから、コバルトが検出されたという調査報告が出てきました。また運転開始された福島でも海底の汚染が報告され、完全に閉じ込めておくはずの放射性物質が現に環境に飛び出している事実を隠し通せなくなり、新増設が難しくなったために、電源三法が出来たのです。
 原発建設でお金がつくということで、福井には計9機の原発が建設され、そして高速増殖炉「もんじゅ」の新設計画が浮上しました。そういった中で、このままどんどん原発をつくっていいのか、そして「もんじゅ」とは何なのかという疑問が湧き上がってきたのです。そこで私たちは情報をかき集めて、今までの軽水炉とはまったく違う、プルトニウムを使う、世界でもまだ成功していない恐ろしいものであるということがわかりました。
 そうやって原発の実態が少し見えてきて、調査を進めるうちに、原水禁が原発問題で学者を中心に学習会を行っていることを知り、福井でも是非ということで最初にお呼びしたのが故・久米三四郎先生でした。行動する科学者の姿に感動して大きな影響を受けました。このままでは福井はだめだ、どうしたら運動がつくれるかということで先生の研究室を訪ねたりしました。
 それまでは各地域に小さな反対グループはあってもつながりはなく、大きな運動になっていませんでしたが、この「もんじゅ」への反対運動であれば広く組織化できるのではないかということで、全県に党派を超えたかたちで呼びかけました。そうして1976年に「原子力発電に反対する福井県民会議」が結成されました。

――しかし反対の声を押し切って「もんじゅ」は建設され、95年にはナトリウム漏えい火災の重大事故が起こってしまいました。
 「もんじゅ」については、私たちは当初からナトリウム火災事故の危険性を指摘してきましたから、事故が起こったときは、やはり、という思いでした。しかしさらに問題だったのは旧・動燃がビデオ隠しなど事実を改ざんして事故を隠ぺいしたことです。
 事故翌日に私たちは徹底的に情報を明らかにしてほしいと申し入れをして、福井県は抜き打ちの緊急立ち入り権を行使し、独自調査しました。その結果、動燃の公開資料と事実のあまりの違いが明らかになったのです。それがなかったら今でも事実は隠ぺいされたままだったでしょう。やはり情報の公開というのは安全を考える上で大切な問題です。
 しかし、運転しているかいないかにかかわらず、「もんじゅ」の存在自体が危険なものです。もんじゅの地盤には直下1kmに「白木~丹生断層」、直下5kmには「C断層」と2つの活断層があります。美浜原発にも、そして敦賀原発に至っては炉心から250メートルの敷地内に活断層があります。敦賀半島全体が地盤に問題があるのです。深刻な問題ですが、ちゃんと審査されてこなかったのです。
 だから、「もんじゅ」は動かしたらさらに危険なのです。地震で配管が壊れたらナトリウムが漏れ出て、空気と反応して爆発してしまう。コンクリートからも水分を奪って反応し、それが影響して最終的には炉心崩壊に至りうるということはもんじゅの高裁判決でも認定されたことです。

――事故が起こった後でも電力会社は原発運転再開に躍起になっています。
 関西電力の原発依存率は約54%と高い数字です。だから出力の小さい老朽原発を見捨ててでも、出力が大きく比較的新しい大飯3、4号機の再稼動を優先させようという事情が今回のストレステストをいち早く進めている動きの背景にあります。
 しかし、福井で原発事故が発生したときを考えると、関西最大の「水がめ」である琵琶湖がどうなってしまうのかが大きな問題です。また、例えば京都府は高浜原発から最も近いところで4kmしかありません。周辺自治体は一斉に関電に対して、立地県並みの内容を持った安全協定を求めています。今までは福井県と立地する小さな自治体に対応すればよかったのが、そうはいかなくなってしまうので、関電は締結を渋っていますが、このことは関西でも自治体の側が事故のことを深刻に受け止めつつあることを示しています。
 私たちは80年代、1万個以上の風船を飛ばして風向きを調査しましたが、風向きによっては関西を直撃しますし、あるいは名古屋、長野をかすめながら、最終的には千葉あたりまでたどり着いています。

――原発立地県で反対の声を上げていくことには並々ならぬご苦労があるかと思いますが。
 敦賀など原発立地の自治体には、なんと言っても原発に生活を預けている、それで成り立っている人たちが多いわけですから、原発が止まったままでは困る、そういう意味で、早く再開してほしいという住民の声があることも事実ですが、それが圧倒的かというとそうでもないのです。
 敦賀3、4号機の増設問題のとき、県民署名を行ったところ、約21万人分集まりました。県内有権者の3人に1人以上が署名したことになりますので、県知事もびっくりして、長い間増設ができなかったのです。
 福井県内でも小浜市は大飯原発の隣接自治体ですが、若狭の伝統文化を中心とした観光の街としての生き方を選んでいます。地方の経済の落ち込み、格差の拡大の中で、決して豊かとまでは言えませんが、原発なしではやっていけないというわけではないのです。
そして、つくってきた以上は国の責任で、脱原発に向けた道順を指し示していく必要があると思います。

――原水禁へ一言お願いします。
 原水爆禁止運動は一人の主婦から始まり、広がったものです。生命を育む立場にある人の思いで運動が成り立ってきた、その原点を忘れてはいけないと思います。その原点を忘れない限りは、目標達成に向けて、いつまでも力強く続けられるものだと思います。
原水禁は核兵器と原発は区別できない問題としてとりくんできましたが、今回の事故であらためてその正しさを再認識しています。原発を含めた核の廃絶までがんばらなくてはいけません。
 しかし労働運動の中でそのことがなかなかとりくめずにいることを、一般の人たちは疑問に思うでしょう。その克服は緊急の課題です。9.19の集会の成功をさらに発展させていくことが、核のない平和な世界に近づけることになると思いますので、原水禁がその先頭に立つことを期待しています。

〈インタビューを終えて〉
 「女だでら」という言葉は、極めてジェンダーな言葉だろう。しかし、小木曽さんの来し方にはよく似合う言葉かもしれない。女性の社会進出がまだまだ閉ざされている時代、新聞記者として、そして争議も経験して、差別の時代をまさに「女だてら」に生きてきたように思える。だからこそ、「県民会議」をまとめて、ずっと引っ張ってこられたのだろう。高速増殖炉「もんじゅ」、この知恵の菩薩は、極めて危険だ。小木曽さんは、計画の段階から一貫して「もんじゅを廃炉に」と闘ってきた。もう少し、ほんの先に「廃炉」が見えてきているのかもしれない。「原発は命の問題」。そう小木曽さんの顔に書いてあった。

(藤本 泰成)


低調だった第66回国連総会における軍縮議論
問われる日本政府の姿勢

NPO法人ピースデポ 代表 湯浅 一郎

米国など核保有国に弱い日本決議案
 12月2日、第66回国連総会が閉幕しました。2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議から1年半が経ち、来年春から次のサイクルである2015年の再検討会議に向けた準備委員会が始まる前の、重要な会議だったのですが、核兵器廃絶に向け目ぼしい動きはありませんでした。そうした中、日本の市民が知っておきたいことを2点、紹介したいと思います。
 第1は、日本が中心となって提出している決議案「核兵器の全面的廃絶に向けた共同行動」についてです。同決議は、12月2日、賛成169、反対1(北朝鮮)、棄権11(中国、インド、パキスタン、イスラエル、イランなど)の賛成多数で採択されました。日本政府による核軍縮決議は1994年以降、18回提出されており、現在のタイトルでは2年目です。中国を除く4核兵器国は賛成し、米国は今回も共同提案国となりました。
 日本決議では、2010年NPT最終文書の成果である「核兵器禁止条約」に関する言及はなく、焦点化している中東決議についても、95年NPT再検討・延長会議の決議を「想起」するだけで、その完全履行への措置を明確に要求もしていないなどの問題があります。
 日本決議は、総じて米国など核兵器国への具体的要求が弱いということが特徴です。これは、新アジェンダ連合(NAC)提出決議「核兵器のない世界へ;核軍縮の誓約の履行を促進させる」と比較するとよくわかります。NAC決議は今年、核兵器国による核軍縮誓約を列挙した、10年NPT最終文書の行動5をはじめ、過去の合意の履行の加速を徹底的に求めるという姿勢をいっそう明確にしました。核兵器国の削減努力やパリ会議開催を手放しで評価するのみの日本決議に対し、NAC決議は12年5月の第1回準備委員会を「履行状況を監視する基礎作業の第一歩」と位置付け、核兵器国に誓約の実質的進捗を求めています。ちなみに同決議は、賛成168、反対6(北朝鮮、インド、イスラエル、仏、英、米)、棄権6で採択されました。

重要な一石を投じたオーストリア決議案
 第2は、ジュネーブ軍縮会議(CD)の停滞を打破しようとする決議をめぐる動きです。国連総会第1委員会にはCDの現状打開に関係する決議案が3件提案され、「軍縮機関」というテーマで集中討論されました。その一つに、オーストリア、メキシコ、ノルウェーが提出した「多国間軍縮交渉の前進」なる決議案があります。CDの停滞を打開するため、総会のイニシアティブで複数の作業部会を設立し、そこで懸案の核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)、消極的安全保証(NSA)を含む核軍縮全般の交渉を前進させようという革新的な決議案です。
 これに対し、非同盟運動(NAM)諸国の多くは、全会一致ルールを重視し、CDの行き詰まりの原因は、FMCTを重視して核兵器禁止条約などを軽視するアンバランスにあり、それを乗り越えようとする政治的意志を示すことがCD打開への道だとの主張を繰り返し、オーストリアなどの案には一様に否定的でした。修正努力の末、オーストリアは「決議案の一体性と強さを保持するため」、今次の委員会では採決を求めないと表明しました。残念な結果とはいえ、同決議案は疑いなく国際的核軍縮議論において、問題の本質に触れる重要な一石を投じました。同じ狙いをもった決議案が今後再び提出される可能性に期待したいと思います。

市民の力で政府の姿勢を変えさせよう
 ここで重要なことは、同決議案はNGOの提言が発端になっていることです。7月27日から29日にかけ、CDの現状打開のための国連ハイレベル会議が開催されました。その会議に向け、「リーチング・クリティカル・ウィル」(RCW)と「核政策法律家委員会」(LCNP)の2つのNGOは「多国間軍縮交渉の再活性化:一つの代案」なる共同提言を提出しました。オーストリアなど3ヵ国の「決議案」は、その提言が下敷きとなって生まれたという経緯があります。
 総じて低調に終わった国連総会でありましたが、オーストリア案により、核軍縮への道筋をどう作るのかの論議が熱く行われたことは意義深いし、今後もそれが追求される可能性はあります。さらに、私たち日本の市民には、核兵器国に対して筋道を立てた要求をしない日本政府の姿勢を変えさせるという課題が、依然として目の前にあることを忘れてはなりません。


さようなら原発1000万人アクションのこれから
政治や世論に強く訴える運動をめざそう

原発の再稼動を許すな
 3月11日の福島第一原発事故から、もうすぐ10ヵ月を迎えようとしています。事故によりいまも多くの人々が故郷を追われ、目に見えない放射能の恐怖にさらされています。事態の収束には多くの時間を要し、故郷への帰還も厳しい現状が続いています。広範囲にわたってばらまかれた放射能は、農水産物を汚染しただけではなく、人々の身体と暮らし、そして心にまで大きな影響を与え続けています。除染や補償も大きな問題となっています。フクシマの直面する問題に私たちも正面から受け止めければなりません。
 福島原発事故は、核文明・核社会の歴史的転換点となる事故です。核社会・核文明に私たちはピリオドを打たなければなりません。ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、JCO、そして今回の「フクシマ」。日本人は5度に渡る核被害を受けてきました。これ以上、核の惨禍を繰り返さないためにも、いまここで私たち脱原発の声を大きく上げなくてはなりません。9月19日の「さようなら原発5万人集会」では予想を超える6万人が集まり、大きく運動が盛り上がりました。しかし、政策転換へはまだまだ道半ばです。野田政権は「減原発」を打ち出していますが、その実態は、原子力政策の延命でしかありません。
 来春には全ての原発が停止し、その後は再稼働問題が、原発立地地域を中心に攻防が予想されます。その闘いを地域の課題に押しとどめるのではなく全国の課題としてとりくみ、原発推進の動きに歯止めをかけていかなければなりません。さらに再稼働を容易にさせるために福島原発事故を「津波」による天災とし、耐震問題は「問題がなかった」かのような東京電力の事故調査報告が出されています。東電の責任逃れと新たな原子力安全神話を許さない闘いが求められています。

3月11日は全国から福島に集まろう
 脱原発に向けた私たちのとりくみは、まさにこれからが正念場です。福島原発事故1周年を機に、もっと私たちは大きな声を上げなければなりません。原発震災1周年に当たる2012年3月11日に福島県郡山市の開成山球場で、地元を中心に福島原発事故1周年の県民集会が開催されます。地元では、超党派の「オール福島」での参加を求めていく予定です。この集会を「さようなら原発1000万人アクション」として全国で支えるとりくみとして呼びかけます。全国から現地への大結集と、各地での連帯を訴えます。
 それに先立って、2月11日を中心に全国各地で「さようなら原発集会」を開催するよう呼びかけています。東京では、代々木公園において集会とパレードを予定しています。大電力消費地である東京で、福島原発事故や脱原発をアピールします。各地でも原発立地地域を中心に連鎖的に様々なとりくみが行われる予定です。すでに北海道や新潟、茨城、愛知、愛媛、島根、佐賀などで集会が予定されています。

1000万人署名を達成しよう
 また、現在進められている「1000万人署名」も、目標に向けて追い込みをかけなければなりません。2011年12月10日に東京・日比谷野外音楽堂で開催された「がんばろう!1000万人署名」集会では、200万筆を超える署名が集約されていることの報告がありました。目標までには、さらに多くの努力が必要となっています。毎日、事務所には100通を超える署名が、全国から送られてきます。これまでの署名運動にはない反響に、私たちも驚いています。それだけ、今回の事故が多くの人々に影響を与えていることがわかります。だからこそ何としても1000万筆を達成し、政治や世論に強く訴えなければなりません。
 3月24日には、東京・日比谷野外音楽堂で署名集約集会を行い、その後、政府へ提出、要請行動を行い、政策議論に弾みをつけたいと思っています。引き続き各地・各団体でのとりくみ強化をお願いします。脱原発への思いは確実に広がっています。これをかたちにしていくことが必要です。私たちの本当の力量が試されています。がんばりましょう。


激動の2012年、流動化する世界
米ロ、米中対立の狭間で日本は?

欧州MD推進にロシアが強く反発
 オバマ米大統領は2011年11月、アジア・太平洋地域に対して積極的な米国の関与を表明し、直後に初参加したインドネシア・バリ島での東アジアサミットで、南シナ海問題で中国と対立したことは、よく知られています。しかし、米国はヨーロッパにおいても、欧州ミサイル防衛(MD)計画でロシアとの対立を深めています。欧州MD計画は北大西洋条約機構(NATO)によるものですが、ポーランドとルーマニアに地上発射型のSM3ミサイルを配備し、トルコに探知レーダーの配備をするというものです。米国はさらに10月、スペインのロタ海軍基地をイージス艦配備基地として使用することで合意しています。
 ポーランドに配備の欧州MD基地については、新START条約のロシアとの交渉に大きな障害となっていたことから、オバマ大統領が09年9月に撤回を表明しましたが、10年に再び米国はポーランドとMD配備協定を締結し、11年9月15日に協定は発効しました。
 しかしポーランド、ルーマニアへのMD配備で、イランのミサイルから米国を防衛するというのは無理な話で、ロシアが自国への脅威と考えるのは当然といえます。ロシアはこのまま計画が進めば、11年に発効した新START条約からの脱退も選択肢に入ると反発を強めています。
 ただ、配備予定の迎撃ミサイル(SM3ブロック2A)は、元々海上発射型として日米が共同開発しているのですが、開発はかなり遅れ、日本でも2020年イージス艦配備の予定が大幅に遅れる見通しとなっています。したがってルーマニア、ポーランドへの配備もかなり先になります。
 2011年3月にロシアのポポフキン国務次官は、新型ミサイルを搭載した原潜8隻、核弾頭10個搭載可能な大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発、戦略爆撃機ツボレフ95の拡充、新型短距離ミサイル「イスカンダル」の配備など、総額19兆ルーブル(約53兆円)の大軍拡計画を発表しました。ロシアは、来年大統領への返り咲きが確実視されるプーチン首相によるユーラシア経済連合など、経済面でも存在感を見せようとしています。軍事費削減が避けられない米国と、経済不況を脱しつつあるロシアとの軍事的な対立は、ともに大統領選を迎えて予断を許さないといえます。

米アフガン対策の混迷と中東政策のゆくえ
 2011年12月5日、ドイツで「アフガン復興支援国際会議」が開催され、国際治安支援部隊(ISAF)が撤退する14年以降も国際支援を続けていくとの議長声明が採択されました。この会議には60ヵ国以上が参加しましたが、パキスタンは参加しませんでした。
 その直前の11月26日未明、ISAFのヘリコプターがパキスタン側に2.5km入ったパキスタン軍の検問所を空爆し、パキスタン軍兵士27人が殺害され、11人が負傷しました。パキスタン軍は何度も攻撃を止めるようISAF側に連絡したにも関わらず攻撃は2時間も続きました。パキスタン側は、この検問所はISAFの地図にも記載されており、誤爆はあり得ないと激怒。パキスタンからアフガニスタンへの物資輸送路(カイバル峠)2本の閉鎖と、バルチスタン州のシャムシ空軍基地(米軍の無人攻撃機基地)からの米軍の退去を求めました。
 すでに26日、ISAFのトラック50台がカイバル峠から引き返し、シャムシ基地からも12月4日から米軍の撤退が始まりました。パキスタンからの物資輸送は、全体の40%を占めていて、パキスタンルート以外はロシアからの輸送だけになります。しかし、先に述べたように欧州MD計画に強く反対するロシアが、アフガンへの輸送ルートを閉じる可能性も強いといえます。
 ロシアルートが不安定になった場合、財政難の中にあるISAF各国と米国とも、2014年を待たずに撤退する可能性も現実味を帯びてきたといえます。一方パキスタンは、軍事支援を含めてさまざまな援助を中国から受けてきましたが、11年も4回目となる対テロ合同軍事演習を10月26日に行っています。パキスタンはアフガニスタンの動向に関係なく、米国から離れ、中国との友好関係を強めていくでしょう。

2012年、日本の外交はどう展開されるか
 2011年チュニジア革命で幕を開けた、中東・アラブ変革の波はエジプト、リビアへと拡大し、2012年も変革の波は広がるでしょう。こうした中、10年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書に「中東非核地帯化の会議を2012年に開催する」と盛り込まれた、その年を迎えます。イスラエルと米国はどう対応するでしょうか。パレスチナ自治政府の存在感が増す中で、イスラエルは孤立を深めています。
 激動の2012年が幕を開けましたが、日本はどのような外交を展開していくのでしょうか。このままでは米国の中国包囲網に組み込まれてしまいます。今年もさまざまな課題について、斬り込んで解説していきます。


電力の無駄遣いに議論の余地なし
リニアのための原発再稼働を許さない

リニア・市民ネット 懸樋 哲夫

膨大な電力を浪費するリニア
 JR東海のリニア中央新幹線計画について、2011年5月に国土交通省からゴーサインが出され、いよいよ本格的な工事が開始されようとしています。リニア計画に関しては電磁波問題、トンネルなどの環境破壊、財政、どれをとっても実現不可能な諸問題がある中で、東日本大震災・福島第一原発事故の後は、特に「膨大な電力が浪費される乗り物だ」とする批判が高まってきました。
しかしJR東海も、管轄する国交省も、リニアの膨大な電力消費について、あいまいな答えしかしていません。国交省の中央新幹線の小委員会で、電力問題が議論された形跡もありません。この委員会は、最終報告の段階である5月になって、ようやく電力消費量を公表しました。しかし、それはたったの2行でした。

東京―名古屋 27万kw ピーク時:5本/時間 所要時間:40分
東京―大 阪 74万kw ピーク時:8本/時間 所要時間:67分

 これが、リニアの電力エネルギー使用量に関するすべての情報です。しかし、「ピーク時」とは書いてあるものの、肝心の1編成が発進する際の、瞬間最大電力の情報がなく、結局どれほどの電力設備容量が必要なのかという、基礎データさえ一言の説明もありません。それで「原発5基分」が必要という説や、「1基分以内」とする説も出て、議論が巻き起こる事態を招いています。JR東海は説明会で、「東京電力、中部電力の全発電量の0.4%」という回答も出していますが、これも分母も分子の数値もありません。あくまでも、あいまいにしておいて、そのまま建設工事を開始してしまおうという姿勢なのです。
 この問題では、山梨実験線の建設が開始される頃に当たる、20年以上前から議論がありました。「新幹線の40倍の電力」と元・国鉄技師が批判する一方でリニア推進派は、「新幹線の3倍だ」と反論していました。この食い違いも、瞬間最大電力なのか、平均なのかの違いだったのです。いずれにしても、膨大な電力を使う乗り物であることについて、議論の余地はありません。

「原発リスクを覚悟せよ」と語るJR東海会長
 東日本大震災・福島第一原発事故から2ヵ月後の5月、リニアを推進するJR東海の葛西敬之会長は産経新聞の紙面で、「原子力を利用する以上、リスクを承知し国民的な覚悟が必要。原発をすべて政府の責任で稼動させるべきだ」と主張しています。
 これに対して、私たちリニア市民ネットでは、10月23日に静岡で開催したシンポジウム「『NO!浜岡・NO!リニア』集会参加者一同」の名で抗議声明を採択し、11月11日には葛西会長に宛てて送りました。
鉄道事業で乗客の命を預かる総責任者の方が、このような人命軽視の理念で経営をしているのであれば、安心してJR東海の電車に乗ることはできないでしょう。まして、リニアのような超高速鉄道に「リスクを承知して」乗ることなどできません。リニア中央新幹線計画が膨大な電力を必要とし、原発の電気を使うという目的のもとに「原発推進」を唱えるのであれば、今こそリニア計画は白紙に戻すことが求められなければなりません。
それらを踏まえて抗議声明には、①ただちに「原発推進」の自説を撤回すること。②「リスクを覚悟せよ」発言について福島県民を初めとする被災者に向け真摯に謝罪すること。③リニア計画を白紙撤回することの3点を折り込みました。

「夢の乗り物」を白紙撤回させよう
 東京電力・柏崎刈羽原発から、山梨県の大月変電所まで100万ボルト送電線が出来ているのですが、東電は「リニアにも使われる電力」と原発推進のPRに使っていました。「夢の乗り物」にも使われる、というイメージ作りにリニアが利用されてきたのです。そのためにJR東海が現在停止中の中部電力・浜岡原発の再稼動を求めるなど、許されることではありません。
 いま、沿線でリニアの問題に目覚めた住民たちが声を上げ始めました。各地で開かれた説明会でも反対の声が沸き起こっています。地下トンネルを掘り始める前に白紙撤回させるよう、力を合わせていきたいと思います。

■リニア年表
1962年 国鉄がリニア開発の研究をスタート
1972年 磁気浮上に成功
1977年 宮崎実験センター開設
1978年 500km/h 達成
1990年 山梨実験線に着手
1991年 宮崎実験線で車輌炎上事故
1997年 山梨実験線で走行試験開始
2003年 581km/hを達成(世界最高)
2005年 「実用化の基盤技術が確立」と評価
2007年 JR東海が2025年開業を表明

※「リニア・市民ネットパンフレット」より

 

ムリ、ムダ、キケンなプルトニウム利用
六ヶ所再処理工場の試験再開に異議あり

2012年1月、試験再開?
 これまで青森県は、東京電力福島第一原発事故を受け、県内の原子力事業者に対して緊急安全対策を求めていました。12月26日、三村申吾青森県知事は記者会見を開き、緊急安全対策を了承し、これまで3年間中断していた六ヶ所再処理工場の試験再開が、早ければ来月には再開されようとしています。

再処理をめぐる状況は変化した
 しかし、停止している3年の間に、原子力をめぐる情勢は大きく変わりました。今年3月11日の東日本大地震を受けて、福島第一原発は、水素爆発や大量の放射能を放出するなど、日本の原発事故史上の最悪の事故を引き起こしました。さらに地震により女川原発、東海原発、六ヶ所再処理工場なども緊急停止や電源喪失など「あわや」という事態を招いていました。各地の原発も津波や耐震の見直し、避難区域の拡大など、これまでにない情勢の変化がありました。
 さらに核燃料サイクルを巡っては、もんじゅの研究開発の見通しがさらに悪化し、頼みのプルサーマル計画も「2015年までに16基~18基の原発で実施」という計画が、もはや絶望的な状態となっています。プルトニウム利用計画そのものが破たんしています。その現実をしっかり認識する必要があります。
六ヶ所再処理工場を動かすことによって、これ以上プルトニウムを生産し続けることに何の意味があるのでしょうか。国際公約として余剰プルトニウムを持たないというこれまでの立場と矛盾が拡大するばかりです。使うあてのないプルトニウムを作り続ける大義が失われたいま、六ヶ所再処理工場の試験再開にどのような意味があるのでしょうか。国民に納得できる説明もないまま見切り発車することは、ますます日本の原子力政策に対する不信を高めるものです。そのことを認めた三村青森県知事も同じです。原子力推進派の傲慢さを表しています。
 さらに六ヶ所再処理工場を支えている最大のスポンサーは、福島第一原発事故を起こした東京電力です。全体の4割とも云われています。その最大スポンサーは、いま福島第一原発事故の賠償さえままならない状態で、「東電解体」までいわれています。今後も安定して六ヶ所再処理工場を支えていけるかどうかはまったくもって不透明です。不安定な状況を抱えて六ヶ所再処理工場が今後も「商業工場」としてやっていけるのか、答えは明らかです。

無謀な再開はやめろ!
 六ヶ所再処理工場をめぐる状況の変化を見れば、再処理再開の大義などありません。むしろ国民的合意なき再処理政策の推進に、傲慢さと無謀さを感じます。これ以上ムリ、ムダ、キケンな再処理工場の建設に、貴重な私たちの電力料金をつぎ込むことに断固抗議します。あらためて私たちは、六ヶ所再処理工場の建設中止を強く求めるものです。


福島原発事故の「収束宣言」に抗議する!
「収束」なんかしていない!政府は福島の真実を語れ!

 12月16日、政府は原子力災害対策本部を開き、東京電力福島第一原発の原子炉が「冷温停止状態」になったとして、「事故そのものは収束に至った」と宣言しました。今後は除染、健康管理、賠償に全力を挙げる考えを示しましたが、本当に事故は「収束」したのでしょうか。

 事故発生から9ヵ月あまり、今回の宣言は、冷温停止(状態)=事故収束とし、事故の矮小化を狙ったあまりにも幼稚な政治的なパフォーマンスです。事故の被害者を馬鹿にするもので、国内外の多くの専門家や地元福島の住民からも強く批判されています。これほどいいかげんな収束宣言は、かえって国民の不安を高め、政府への不信を強めるものです。私たちは、今回の「収束宣言」に強く抗議するものです。

 そもそも「冷温停止」と言う言葉は、正常にコントロールされている原子炉であってはじめて使うものであり、今回のように完全にコントロールを喪失し、放射性物質を閉じ込めることもできない状態の中にあって、冷温状態が継続していることをもって収束とすること自体に問題があります。現在も福島第一原発では、破壊された原子炉内部の状況がまったく把握できていません。溶融した核燃料がどこにあるのか、どのような状態にあるのかさえもわかっていません。内部の放射能が高く、いまでも容易に近づくことできない中で、何が収束なのか。誰も事故が収束したなどと思っていません。事故の本当の収束はこれからも長期に渡り、より困難な状況が待ち受けています。溶けた核燃料を取り出すまでに30年とも40年ともいわれていますが、それさえも希望的な「願望」であり、努力目標以上の意味を持ち得ていません。まさに本当の収束までこれから何年かかるのかだれも責任がもてません。それでも事故を過小に見せようとする原子力推進派の人々は収束と言い続けようとしていますが、それで現実が変わるわけではありません。事故の過少評価で、原発推進の復活を少しでも狙っているのでしょうか。

 放射性物質の放出も当初に比べ減ったとはいえ、いまだ放出は止まらず「通常」の状態ではありません。汚染水の海への流出も度々起こり、地下水が大量流入する中でその増加が懸念され、保管場所も来春には満杯になるといわれ、その対策の見通しが立たないのが現状です。原子炉冷却の循環注水冷却システムも度々故障し、その不安定性が危惧される中、廃炉まで長期間にわたって冷却し続ける必要があります。また、溶融した燃料を取り出すには、その技術開発も必要とされています。まだまだ際どい状況が続く中にあるのが福島第一原発の現実です。収束宣言はそのような状況を覆い隠すもので、国民に誤解をあたえるものでしかありません。今後予想される最大余震への対策も十分とは言えません。科学的根拠を示すことなく、あいまいな定義を持ち出し、国民を安心させようとするのは、あらたな「安全神話」をつくり出すことにつながります。

 私たちは、事故の本質を見失わせるこのような安易な事故の収束宣言に対して、強く抗議するとともに、あらためて、福島第一原発の現状に関する正確な情報公開を求めます。さらに、安易な収束宣言を発することなく、廃炉に向けた収束作業にさらなる努力を傾注するように関係機関に対し強く要請するものです。

評価書の配達を住民らが阻止。(28日に沖縄防衛局長らが未明に提出)。

「国際共同開発・生産への参加」と「人道目的での装備品供与」を解除する新たな基準を了承。

産業技術総合研究所(茨城県つくば市)などの研究グループが、東北地方の太平洋海底で水深約5千メートルの深海汚泥から福島第一原発事故で放出されたと見られるセシウムが検出される。

ジョージア州ボーグル原発3、4号機とサウスカロライナ州のV・Cサマー原発2、3号機などに納入の予定。

政府が群馬県の八ッ場ダム建設再開を決定

2011年12月19日

日本政府の「福島原発事故収束宣言」に対する抗議声明

原水爆禁止日本国民会議
議長 川野浩一

 12月16日、政府は原子力災害対策本部を開き、東京電力福島第一原発の原子炉が「冷温停止状態」になったとして、「事故そのものは収束に至った」と宣言し、今後は除染、健康管理、賠償に全力を挙げる考えを示しました。事故発生から9カ月あまり、避難を余儀なくされている福島県民の帰還もままならない中での事故の収束宣言は、あまりにも拙速といわざるを得ません。国内外の多くの専門家やマスメディアそして地元福島の自治体首長や住民らからも批判が大きくあがる中、あまりにも明白な政治的パフォーマンスであり、かえって国民の不安を高め、政府への不信を強めるものです。

 そもそも「冷温停止」と言う言葉は、正常にコントロールされている原子炉の状態で使うものであり、今回のように完全にコントロールを喪失し、放射性物質を閉じ込めることもできない状態で、「冷温停止」とすること自体に問題があります。
 現在も福島第一原発では、破壊された原子炉内部の状況がまったく把握できていません。溶融した核燃料がどこにあるのか、どのような状態にあるのかさえもわかっていません。放射性物質の放出も当初に比べ減ったとはいえ、通常の状態というレベルではありません。汚染水の海への流出も度々起こり、地下水が大量流入する中でその増加が懸念されています。保管場所も来春には満杯になり、対策の見通しが立たないのが現状です。

 原子炉冷却の循環注水冷却システムも度々故障し、その不安定性も危惧される中、廃炉まで長期間にわたって冷却していく必要があります。また、溶融した燃料を取り出すにはその技術開発も必要とされています。まだまだ際どい状況が続く中にあるのが福島第一原発の現実です。「収束宣言」はそのような状況を覆い隠すもので、国民に誤解をあたえるものでしかありません。今後予想される最大余震への対策も十分とは言えません。科学的根拠を示すことなく、あいまいな定義を持ち出し、国民を安心させようとするのは、あらたな「安全神話」をつくり出すことにつながります。
 事故収束へのロードマップのステップ2がやっと完了した段階であり、むしろ本格的な収束作業はこれからと言わざるを得ません。

 私たちは、事故の本質を見失わせるこのような安易な「事故収束宣言」に対して、強く抗議するものです。原水禁は、福島第一原発の現状に関する正確な情報提供を求めるとともに、安易に収束宣言を発出することなく、予想される余震への徹底した安全対策と放射性物質の完全な隔離及び早期の廃炉に向けて、万全の努力を関係機関に対し強く要請するものです。

同日、30キロ圏の藤枝市でも酸化銅を認めない決議・意見書を可決。

 自民党の石破茂前政調会長による「核の潜在的抑止力を持ち続けるためにも、原発を止めるべきではない」との主張に対し、原水禁は自民党へ質問状を送りました。


「潜在的核抑止力」論への質問状

自由民主党総裁 谷垣 禎一 様
幹   事   長 石原 伸晃 様
政務調査会会長 茂木 敏充 様

原水爆禁止日本国民会議
議   長 川野 浩一
事務局長 藤本 泰成

 「報道ステーション」(2011年8月16日)やSAPIO誌2011年10月5日号で、貴党の石破茂政調会長(当時)が、核の潜在的抑止力を持ち続けるためにも、原発を止めるべきではないと主張しています。そして、後者では、日本が核武装をすれば国際的な制裁措置のために核燃料の輸入ができなるとの問題は、核燃料サイクルが完成すれば無くなるとの見解を示しています。高速増殖炉の商業的導入が進み、核燃料サイクルが完成すれば、「純国産燃料」のプルトニウムが長期的に確保でき、核燃料の禁輸措置を心配することなく核武装する可能性が生まれる、つまりは、「潜在的核抑止力」が実際に機能するようになるということでしょう。これは、再処理・高速増殖炉計画が潜在的核抑止力確保のためにとくに重要な意味を持つとの主張と解釈されます。石破前政調会長が、防衛庁長官、防衛大臣を歴任されていることを考えると、同氏の主張は、自民党のこれまでの原子力開発の裏にあった主張・方針なのかという疑問を持たざるを得ません。

1. 自民党が長年に亘って原子力開発を推進してきた目的の一つは、「核の潜在的抑止力」の確保・維持ということにあったのでしょうか。
2. 核の潜在的抑止力を持ち続けるために、原発を止めるべきではないというのは、現在の自民党の主張でしょうか。
3. 再処理によるプルトニウム生産は、高速増殖炉に初期装荷燃料を提供するというのが目的だったはずですが、高速増殖炉計画が大幅に遅れ続け、原型炉「もんじゅ」の運転計画が厳しい批判に曝されている今でも、六ヶ所再処理工場の運転をすべきと自民党は考えていますか。
4. 自民党は今でも高速増殖炉計画を進めるべきと考えていますか。
5. その場合、高速増殖炉の商業的導入時期について何年頃と自民党は判断していますか。

上記、質問項目への回答をお待ちしております。
 


参考

●石破茂前自民党政調会長の核武装についてのこれまでの見解と高速増殖炉

 石破議員は、これまで日本の核武装について、そのデメリットを考えると核武装などすべきでないとの見解を表明されていました。デメリットとは、(1)日本が核武装の決意を表明すると、核燃料が輸入できなくなり、原子力発電が止まる(2)NPT体制が崩壊し、数多くの核保有国が出現してしまう、などです。つまりは、結局「核か原発か」の選択となるのではと『サピオ』誌に問われた石破議員は、「バックエンドたる核サイクルも未だ展望が見えていないため、そのような二者択一になる」と答えています。

 プルトニウムを燃やしながら、燃やした以上のプルトニウムを生み出す無尽蔵のエネルギー源となるはずの「夢の高速増殖炉」が商業的に導入される時期になれば、軽水炉用の低濃縮ウラン燃料の入手について悩むことなく核兵器と原発の両方を選択できるようになる、つまりは、潜在的核抑止力が実際のものとなるということのようです。石破議員の言う「潜在的核抑止力」は、高速増殖炉の商業利用によりプルトニウムが「純国産燃料」となる時期以降ということになります。高速増殖炉商業導入は、原子力委員会の長期計画では、1961年には、1970年代とされていましたが、最新版の2005年原子力政策大綱では「経済性等の諸条件が整うことを前提に、2050年頃から商業ベースでの導入を目指す」となっています。当初予定から70年以上の遅れが生じています。

 なお高速増殖炉のブランケット部分(プルトニウム製造用部分)で産み出されるプルトニウムは、プルトニウム 239 の含有量が極めて高く、核兵器の材料として最適のものです。これは「もんじゅ」のような原型炉でも作れますですが、石破議員が述べているのは、これとは直接関係のない話です。石破議員は、核武装を宣言すると軽水炉用の低濃縮ウランの燃料供給を外国から即座に止められる可能性を強調した上で、外国からの供給に頼らなくてすむようなバックエンド体制・核燃料サイクルが実現できれば、原子力利用と核武装の両立が可能となり、潜在的核抑止力が持てるようになると言っているようです。つまり、潜在的核抑止力は、高速増殖炉が商業規模で多数導入されて初めて可能になるということになります。

●石破茂前自民党政調会長発言抜粋

1.「報道ステーション」 2011年8月16日

 原発のウェートを減らしていきながら、再生可能エネルギーのウェートを高めていくという方向性に異存はありません。ですけども、原発をなくすべきということを目標とするやり方には賛成してはおりません。原子力発電というのがそもそも、原子力潜水艦から始まったものですのでね。日本以外のすべての国は、原子力政策というのは核政策とセットなわけですね。ですけども、日本は核を持つべきだと私は思っておりません。しかし同時に、日本は(核を)作ろうと思えばいつでも作れる。1年以内に作れると。それはひとつの抑止力ではあるのでしょう。それを本当に放棄していいですかということは、それこそもっと突き詰めた議論が必要だと思うし、私は放棄すべきだとは思わない。なぜならば、日本の周りはロシアであり、中国であり、北朝鮮であり、そしてアメリカ合衆国であり、同盟国でるか否かを捨象して言えば、核保有国が日本の周りを取り囲んでおり、そして弾道ミサイルの技術をすべての国が持っていることは決して忘れるべきではありません。

2.SAPIO 2011年10月5日号

 「核の潜在的抑止力」を維持するために私は原発を止めるべきとは思いません。
私は核兵器を持つべきだとは思っていませんが、原発を維持するということは、核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れるという「核の潜在的抑止力」になっていると思っています。逆に言えば、原発をなくすということはその潜在的抑止力をも放棄することになる、という点を問いたい。・・・

 私は日本の原発が世界に果たすべき役割からも、核の潜在的抑止力を持ち続けるためにも、原発を止めるべきとは思いません。・・・

 核の基礎研究から始めれば、実際に核を持つまで5年や10年かかる。しかし、原発の技術があることで、数ヶ月から1年といった比較的短期間で核をもちうる。加えて我が国は世界有数のロケット技術を持っている。この二つを組み合わせれば、かなり短い期間で効果的な核保有を現実化できる。・・・

[(核武装を決断して)NPTを脱すると、核燃料が止められてしまい、原発も動かせません。結局は、「核か原発か」の二者択一になってしまうのでは?]

 それは今後の「原発」のあり方にもよるでしょう。わが国は、核燃料というフロントエンドは外国に頼り、バックエンドたる核サイクルも未だ展望が見えていないため、そのような二者択一になる。だから、今までのところ、「絶対に軍事利用しない」という条件の下で、IAEAの厳格な査察を受け入れながら原発を進めてきた。日本の核抑止力が「潜在的」である所以です。

3.「核の傘はないよりまし」石破茂自民党政調会長 産経新聞 2011.2.19

 [日本が核武装することの]デメリットは『米国の核抑止は信用ならない』という議論になることだ。核兵器の実効性を確保するための実験をどこでするのか、という非常に高いハードルもある。加えて、核拡散防止条約(NPT)は当然脱退することになり、(原子力発電用の)核燃料がわが国に入らなくなり、電力は4割ダウンする。外交関係で非常に難しい問題を惹起することも覚悟しなければならない。

 確かに、NPT体制は『核のアパルトヘイト(人種隔離政策)』だといわれるほど、(米、露、英、仏、中の)5カ国だけに核保有を認める不完全な体制だ。だが、日本はそれを承知の上で入っている。日本が脱退して核を持つと、韓国も、台湾も、フィリピンも、インドネシアも(持ちたい)、となる。世界中が核を持つのは今のNPT体制より良いか、といえば、そうではない。核が今以上に拡散すれば、核兵器を管理できない国家やテロ集団に核が渡る可能性はさらに高まる。持つメリットと比較考量すべきだ。

4.石破 茂、清谷 信一 『軍事を知らずして平和を語るな』 ベストセラーズ (2006/10) p.179-180

 結局、最終的には損得の世界だと思うんですよ。核を持てば得する面もあるでしょう。その代わり、同際社会から村八分になれば、草をはまねばならなくなる。日本がウランを輸入するにあたっては各国と原子力協定を結んでいますから、協定義務違反となれば、ただちに核燃料の供給は止まります。するとやがて原発が止まるから、今みたいに夏場に冷房なんてきかせられないし今の文明生活が六割減になるでしょう。


5.石破 茂、小川 和久 『日本の戦争と平和』 ビジネス社 (2009/5/21) p.284

 核兵器を持つ、というのはそれはそれで一つの考え方です。しかし、当然NPTは脱退しなくてはならない。 核燃料も入らなくなるし、再処埋もしてもらえない。現在原子力発電が約4割ですから、その分経済活動はダウンする。太陽光発電や風力発電で代替できるものではとてもありません。
 日本が核を持つということはそのままNPT体制の崩壊を意味し、あちこち核保有国だらけになる。NPT体制自体は相当に不公干なものだけれど、世界中が核を持つよりはまだマシでしょう。核保有論者はそんなことも全部国民に説明してくれるのでしょうか。

 政府が国際原子力機関(IAEA)の補償措置の対象となっている全国の262施設を調査した結果、計量や報告をしていない濃縮ウランやプルトニウムなどが、中国、北陸、中部電力や原子力関連14施設の廃棄物から大量に見つかったことが明らかになり、IAEAと協議を始める。

挺対協が元慰安婦への謝罪と賠償を求めて日本大使館前で開いてきた抗議の「水曜集会」が1000回目となり、被害女性も参加して集会後に像を設置。

来年度予算に4機分・551億円(1機約6500万ドル ※約50億円)計上を決める。最終的に40機を目標とする。

漁船員は逮捕され、中国政府は遺憾の意を表明。

アフガンに展開する米軍中心の国際治安支援部隊(ISAF)がパキスタンの検問所を誤爆し24人が死亡した事件で、パキスタン政府が求めていた南西部バルチスタン州のシャムシ飛行場から撤退。米軍はパキスタン国内の拠点全てを失う。

12DSC00159.JPG 12月10日、東京・日比谷野外音楽堂を会場に、「がんばろう!さようなら原発1000万人署名」12.10集会とデモが開催され、5500人が参加しました。集会には呼びかけ人から大江健三郎さん、鎌田慧さんが参加、1000万人署名の成功を力強く訴えました。集会後、参加者は新橋~銀座、解散地点の常盤橋公園までデモ行進しました。また、集会の前にはJR有楽町駅前で街頭署名を行い、鎌田さんや集会でMCを務めた講談師の神田香織さんもかけつけました。※写真はデモの先頭を歩く鎌田さんと神田さん。(写真撮影:今井明さん)。

写真報告はこちらから

発言記録はこちら

 動画はこちら

 

 

 石川県平和運動センターから、昨年12月10日に石川県で開催された、「脱原発」集会の報告をいただきましたのでご紹介いたします。

 昨年の12月、能登地区で初めての「脱原発」集会を開催しました。志賀原発現地である志賀町の署名や街頭宣伝、輪島市や珠洲市での街頭宣伝、単産・単組オルグ、九条の会などの連帯活動を集約する形で開催しました。500名の仲間が結集し、会場は立見席ができるほどでした。富山県平和運動センターからも105名の仲間が大挙参加してくれました。

111210nanao.jpg

写真:ブログ「いま珠洲がおもしろい」より

●111210 志賀原発の運転再開を許さないために

 

「さよなら!志賀原発」七尾集会に500人以上!!(ブログ「いま珠洲がおもしろい」)

12月10日、東京・日比谷野外音楽堂で、「がんばろう!さようなら原発1000万人署名」集会が開催され、5500人が参加しました。署名呼びかけ人の鎌田慧さん、大江健三郎さんなどが1000万人署名の達成を呼びかけました。集会後、東京電力本店前、銀座を通るパレード行進が行われました。また、集会前には有楽町駅前で署名の呼びかけもありました。その様子をビデオにまとめました。(9分45秒)。

111209fukushima.JPG 3月11日、福島第一原発事故によって、福島県は豊かな自然が放射性物質で汚染されてしまいました。現在も事故は収束しておらず、県の産業も大打撃を受けています。県独自の取り組みとして9月~11月にかけて、「福島県民の命を守りふるさとを取り戻すための署名」が行われました。県内を中心に、159,762筆が集められ、12月9日に上京した福島県平和フォーラムの竹中柳一代表らによって、政府に提出しました。その後、東京電力に対する要請行動を行い、衆議院議員会館で記者会見が行われました。

 

国会に新設された福島第一原発事故調査委員会の委員長に黒川清・元日本学術会議会長、委員に石橋克彦・神戸大学名誉教授、崎山比佐子・元放射線医学総合研究所主任研究官など9人を任命。

 現在取り組まれている、「さようなら原発1000万人署名」の街頭署名向けに署名を呼びかける音源(BGM入り)がつくられました。

♪音声を聴く・ダウンロードはこちらから

国際治安支援部隊(ISAF)が撤退する2014年末以降も、国際社会がアフガン政府を全面的に支えていくとした「権限移譲から変革の10年へ」の総括文書をまとめる。パキスタンは参加せず。

英国のヘイグ外相がミャンマーを訪問。

18年連続で、反対は北朝鮮のみ、棄権は中国、インド、パキスタン、イラン、イスラエル、ミャンマーなど11ヵ国。

2011年12月1日

京 都 府 知 事
山田 啓二 様
 

2011もんじゅを廃炉へ!全国集会実行委員会 
原子力発電に反対する福井県民会議      
原水爆禁止日本国民会議(京都平和フォーラム)
反原発運動全国連絡会、ストップ・ザ・もんじゅ
原子力資料情報室、全国集会賛同団体・賛同人 

申し入れ書

 今年3月11日、東日本を襲った巨大地震は、同地域を中心に巨大な爪痕を残しました。そして、各地に点在する原発・関連核施設にも甚大な被害を与え、特に福島第一原発では、レベル7という世界でも類例のない最大級の過酷事故を起こし、現在も収束できないまま、多くの被災民を生みだしています。さらに原発から放出された放射能で海・空・大地が汚染され、多くの人々を被曝し、あるいは故郷を追い立てられました。ヒロシマ-ナガサキ-ビキニ-JCOに続く新たな核被害です。これらの痛ましい核被害の歴史を持つ国は、世界でも日本だけです。これ以上の核被害を繰り返してはなりません。核文明がもたらした悲惨な歴史にピリオドを打つ時です。
 その意味で、福井県敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」の危険性を私たちはかねてから指摘してきました。暴走事故の危険性、炉心溶融の危険性、ナトリウム漏洩による水素爆発の危険性、プルトニウムの危険性など、高速増殖炉が持つ様々な危険性があるうえに、今回の東日本大震災で、改めて「もんじゅ」の地質、地盤問題が一層危険性を深刻にしています。
1991(平成3)年の美浜原発2号炉蒸気発生器細管破断事故を契機に、京都府の申し入れを受けて、旧・動燃から「もんじゅ」異常時のプレス発表文がFAX送付されるようになりました。1995年12月の「もんじゅ」ナトリウム漏洩火災事故を経て、京都府議会でも「もんじゅ」の安全対策に関する国への意見書が何度か採択されています。
 「もんじゅ」は、ナトリウム漏えい火災事故から16年もたった現在も、運転に漕ぎ付けることができず、トラブルで停止したままです。停止中も1日5,500万円、年間200億円にも上る維持管理費を浪費し続ける「もんじゅ」を、存続させる意味があるのか。政府・電力会社が進めていた核燃料サイクル路線はすでに破綻しています。もはや「もんじゅ」を推し進める理由はありません。福島原発事故を受けて新聞の論調も「安全最優先」から「もんじゅは廃炉に」、「きっぱり廃止の宣告を」と変わりました。政府の行政刷新会議も、11月20日、「提言型政策仕分け」で「もんじゅ」の存廃も含めた計画の抜本的見直しを要請しています。
 私たちは、関西電力久美浜原発建設計画について、京丹後市の中山市長の撤回申し入れを受けて、「久美浜に原発はなじまない」とした、先見性ある山田知事の英断を高く評価するものです。京都府として、全国知事会の会長でもある山田啓二知事が先頭に立って、ムリ、ムダ、危険な「もんじゅ」の再、再開を認めないこと。そして、国に対し「もんじゅ」の廃炉を働きかけていただきますよう強く要請いたします。

以上


2011年12月2日

福井県知事 西川一誠 様
敦賀市長  河瀬一治 様

‘11もんじゅを廃炉へ!全国集会実行委員会
原子力発電に反対する福井県民会議
原水爆禁止日本国民会議・原子力資料情報室
ストップ・ザ・もんじゅ・反原発運動全国連絡会

申し入れ書

 3月11日、東日本を襲った巨大地震は、同地域一帯に深い爪痕を残し、各地の原発・関連施設にも甚大な被害を与えました。福島第一原発1~4号炉は、安全審査が想定していなかった全電源喪失により、レベル7級の破局を招き、10万人を超える周辺住民が避難者として生活基盤である故郷を失い、漂流しています。

 廃炉措置にある「ふげん」を含めて15基ある若狭湾岸の現状は、県民にとって安閑とできるわけがありません。集中化の規模、炉型の多様化、11人の死傷者まで出た老朽化の中で、想定外の過酷事故が起きれば、フクシマの比ではない破局が待ち受ける恐れがあります。
 若狭湾一帯は、ひずみエネルギーが蓄積された空白地帯であり、地震学者が「浜岡と若狭湾岸原発群の原発震災は首都、中京、京阪神を滅亡させる恐れがある」と警告している地域でもあります。


県民のいのちを第一とし、福島事故を2度と繰り返さないために、次のことを強く要請します。

1.防災対策重点地域が30キロ圏に拡大され、原子力防災計画は、非現実的にならざるを得ません。策定できない以上、住民の安全は確保できません。原発の再稼働に対する県のこれまでの姿勢を高く評価し、これからも事故原因の徹底究明がない再稼働は認めない姿勢を堅持されたい。

2.かねてから指摘してきた「もんじゅ」の超危険性に加え、その老朽化、長期運転休止による劣化、組織の劣化でさらに危険が増しています。
そのうえ直下1kmには白木―丹生断層、直下5kmにC断層が走っている点で、関西圏を含む周辺住民の不安は、ただ事ではありません。
存在自体が危険であり、高速増殖炉開発の見込みがほとんどなくなった「もんじゅ」再開は、断固認めないでいただきたい。

以上


2011年12月3日

日本原子力研究開発機構
理事長 鈴木篤之 様

抗議

 2011年3月11日、あってはならない原発過酷事故が福島第一原発で起きてしまいました。放出された放射能は人々を、生きとし生けるものを、海を、大地を、空気を、水を、ガレキさえも汚染してしまいました。放射能汚染によって、故郷を追われ、避難を強いられる十数万の人々がいます。フクシマ事故は、いまだに収束することができません。廃炉への道は遠く、放射能にさらされた膨大なガレキの中間貯蔵すらめどが立たない状況です。
 安易な便利さと引き換えに襲った巨大なリスクを前に、人々の意識は大きく変わり、いまや脱原発が普通のことになりつつあります。

 政府の科学技術白書2011年版では、「高速増殖炉の実証施設を実現する」との記述も削除されました。「もんじゅ」が原型炉の役割を失ったことは明らかです。高速増殖炉の開発を支持する声は限りなくゼロに近い現実があります。
 政府の行政刷新会議が「提言型政策仕分け」で「もんじゅ」存廃も検討すると、10月に発表されると、鈴木理事長は、高速増殖炉の実用化は無理との認識を示して、「もんじゅ」は研究に軸足を移すという姑息な生き残りの発言をしています。
 「もんじゅ」の総事業費は2010年度末で約1兆810億円にのぼり、原子力機構の公表はこれより1500億円以上も少なかったといいます。1995年12月8日に起きたナトリウム漏えい火災事故の事故隠しは、世間で「ウソつき動燃」と呼ばれ、組織の名前が変わっても情報の隠ぺい体質は今も生き続けているといえます。

 ひずみエネルギーが蓄積された若狭湾の巨大地震が心配されています。地震に弱い構造の「もんじゅ」は活断層の真上にあります。原発震災を引き起こしたフクシマ事故を2度と繰り返してはならないのです。
 16年間も停止している「もんじゅ」に、これ以上の国費を投入し、動かすことは許されません。即刻、廃炉を決断されることを強く要請します。

2011 もんじゅを廃炉へ!全国集会参加者一同

ミャンマーとの関係改善を目指す。また北朝鮮との関係を絶つよう要請。2日にはアウンサンスーチーさんと会談。

●廃炉まで「間に合わなかった」の思いを胸に
  ハイロアクション福島原発40年実行委員会 武藤 類子さんに聞く

●新潟と島根の現場からのレポート 危険な原発の再稼働を許すな!

●米中の対立構造にインドが参加 揺れ動くアジア・太平洋

●被ばく労働問題で関係省庁と交渉 労働者を守り、脱原発へのプロセスを歩む
 全国労働安全衛生センター連絡会議 飯田 勝泰


廃炉まで「間に合わなかった」の思いを胸に

ハイロアクション福島原発40年実行委員会 武藤 類子さんに聞く

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【プロフィール】
 福島県三春町で喫茶店を営みながら、1986年に旧ソビエトで起きたチェルノブイリ原発事故を機に、原発に反対する運動に関わり始める。東日本大震災・福島第一原発事故の発生以降は、地元住民の中継地点として、避難先の受け入れ態勢づくりや、放射線の測定所の運営などの支援を行なっている。9月19日の「さようなら原発集会」では、現地の報告を行なった。

――これまでどんな気持ちで活動してこられたのか聞かせてください。
 チェルノブイリ原発事故をきっかけに、自分が住んでいる福島に10基も原発が建っているということに、血の気が引くほどびっくりしまして、細々とではありますが、25年間活動を続けてきました。福島では去年、プルサーマルが3号機で行われることになりました。一生懸命みんなで反対はしたのですが、それを止めることができませんでした。プルサーマルが始まってから、事故が起きたときに、いったいどうやって逃げるのかという話になっていました。そういう危機感は持っていたのですが、実際、事故が起きるかどうかということは、それほどリアルには考えていなかったと思うのです。東日本大震災・福島第一原発事故であのようなことになってまず感じたのは、止めることができなかった、「間に合わなかった」という思いです。
 私は原発の非常用電源が全部入らなくなったという時点で、家族と一緒に避難しました。しかし1ヵ月後、87歳の母もおりますので、疲れてしまい戻りました。戻ってきて思ったのは、「やはり(原発事故が起これば)こういうことになるのだなぁ」ということでした。

――武藤さんはすぐに避難されましたが、政府の対応によって大勢の人を被曝させてしまいました。
 とてもひどい、政府や東京電力の対応は犯罪的なものだと思いますね。最初に避難区域を広げて、徐々に戻ってくることがあったとしても、もっと広げるべきだったと思います。スピーディーな発表がされていればおそらく、自分たちのところに放射能が来るとわかった人たちだっていたはずです。
 3月11日の時点で、子どもがいる友だちの家をまわって、逃げたほうがいいよと言ってみんな避難したのですが、戻ってきたら、まだ子どもと一緒に住んでいる友だちもいました。本当に混乱状態というのか、何も始めから真実はよくわかっていなかったです。だんだんわかってくる国の対応というのは、ひどいものでした。そういうことがわかってきて、ここで何かしなくてはいけないという思いに至りました。

――何で日本人は怒らないのかとヨーロッパの人から言われますが、いかがでしょうか。
 やっぱり市民の怒りというものが封じ込められてきたという自覚が必要だと思います。私たちは物言わぬ国民にされてきたのです。学校教育もそうですし、経済成長の頃から、社会もメディアもみんなこぞって、国民を操作してきたというか、物を考えさせないように、愚民として扱われてきたのだとすごく思います。そういう中で、国民一人ひとりが、まんまとそれに乗ったというそういうのもあると思います。
 豊かさとか便利さの陰で、犠牲にしているものがたくさんありますね。原子力発電はウラン採掘や、劣化ウラン弾、被曝労働者、ゴミの問題から、本当にたくさんの被曝者を出さなければできない発電だから、まずそこで犠牲にしていますし、他人を犠牲にしていると同時にやっぱり自分も犠牲にしてきたのだという自覚が本当に必要だと思います。
 自分たちが使っている電気について、9月19日の集会では「コンセントの向こう側」と言いましたが、その向こうにどういう世界が広がっているかという想像力というものが必要だと思います。どこを取っても安全ではありません。そういう人類だけではなくて、いろんな生き物の犠牲を伴う発電方法だということをみんなが知る必要があると思います。
 みんな頭にきていると思うけれど、結局社会とか世界を変えるのは自分だということに、自信が持てないというのがあるのではないでしょうか。私にも、「私ごときが」という思いがありますけど、やはりそこにとどまらないで自信を取り戻すというのがすごく大事だと思うのです。
 特に若い方々が本当についてない時代に生まれて、就職もない、バブルの恩恵もない、そしてすごく自分たちがすばらしいのだという、そういう感覚が持てない、そういう環境にいるのかなと思っています。でも、決してそうじゃなくて、若い人たち一人ひとりの中に、そんな力があるしそれを確信してほしいと思います。それをどんな形でもいいけれど、政治に関わろうが、山の中の暮らしをしようが、自分のことをすごく大好きになって自信を持って新しい、自分の生き方をしてほしいとつくづく思っています。

――福島県も復興計画に脱原発を掲げていますが、自治体の役割についてどう考えていますか。
 中央はいちばん力があって、地方というものへとピラミッド式になっています。そういう構造はやっぱり良くないと思います。自治体というのは、政府と対等な立場であるはずです。自治体には誇りを持ってほしいですね。国の言うことだけを訊いているということでは、まったく自治とは言えません。地方こそ、いちばん地方のことがわかるわけですから。
 前の佐藤さん(佐藤栄佐久・前福島県知事)は、国のエネルギー政策に真っ向から反対しました。彼は細かいところは私たちとの相違点があったとしても、本当に地方自治を全うしようとしたのではないかなと思います。そういう人をみんなで選ばなければいけないでしょう。佐藤さんが最初からそういう考えだったのかどうかはわかりませんが、すごく原発のことについて勉強されたと聞きました。

――現在、平和フォーラム・原水禁では1000万人署名に取り組んでいます。
 自分の名前を書くというのは、やっぱり意思の表明だから署名というのは大事ですし、署名が本当に活かされてほしいと思います。集めたものをどのように国に突きつけていくのか、その方法をぜひ考えていってほしいです。署名を行うことにもいろんな意見があって、「こんなことしたってダメじゃないか?」という考えもよく聞きます。しかし自らペンを取って、自分の名前を書くわけですから、それなりの責任というものがある行動だと思います。
 私は、本当はいろいろわかってなくて、感覚的な運動しかできないのですが、それで十分だと思っています。去年の7月に作家の広瀬隆さんの講演会をやりました。そのときに地震が起きれば津波が起きて、原発事故が起きるとお話なさっていたのです。でもそれが起きるのは静岡の浜岡原発だと思っていました。どこか警戒心や緊張感がなかったという思いはあります。
 非暴力直接行動のようなことが好きで、昨年の8月6日に福島第一原発3号機でのプルサーマル運転が始まった際に、50人くらいで門の前で丸くなってダイインをしたり、青森県六ヶ所村では座り込みをしたり、ハンガーストライキもやりました。あと「核燃いらない女たちのキャンプ」というのをやって、実際道路に出てトラックを止めるということをやりましたが、50分くらいしか止められませんでした。そういうやり方が自分にはものすごく合っているし、好きなのです。話したり、演説したりすることなど、本当はものすごく苦手で、文章を書くことも好きではありません。ですから、今回の「女たちの座り込み」(写真)もそういう意味で表現としては自分の好きな分野です。

〈インタビューを終えて〉
 福島で暮らす武藤さんは、福島原発の非常用電源がダウンしたというニュースを聞いて、爆発が起きる前にこどもを持つ友人知人に避難するよう呼びかけたそうです。チェルノブイリ原発事故から25年、10基ある東京電力の原発を廃炉にするため活動されてきた武藤さん。福島原発事故が起き、「(廃炉が)間に合わなかった」と唇をかみしめて語っていただきました。原水禁・平和運動を進めてきたわが身を振り返り、あらためて一刻も早い脱原発社会の実現に向け、思いを胸に刻むインタビューでした。

(藤岡 一昭)


新潟と島根の現場からのレポート
危険な原発の再稼働を許すな!

柏崎刈羽原発への核燃料搬入に抗議
 2012年1月に定期点検に入る予定の東京電力・柏崎刈羽原発5号機の交換用核燃料(196体)が福島原発震災後、初めて搬入されることとなったため、10月17日に刈羽村で抗議の集会とデモが行われました。集会は、柏崎刈羽原発設置反対新潟県民共闘会議の呼びかけで県内の原発反対市民団体や県平和センター・労働団体・政党などから約200名が参加しました。

 初めに、県民共闘会議の渡辺英明議長が、「定期点検後に再稼働が許されるかどうかもわからないのに核燃料を搬入するとは県民感情を逆なでする言語道断の行為だ」と東電を厳しく批判しました。
 地元三団体の共同代表・高橋新一さんは「7000人を超える福島からの避難者が新潟県に余儀なく住んでいる。二度と、悲惨な事故を起こさせてはならない。今後6号機の交換用燃料も輸送される予定だ、抗議行動を含めて運転再開に反対していく。廃炉に向けて共に闘う」と決意を表明しました。
 県民共闘の共同代表でもある小山芳元・県議会議員は「全国から6万人が結集した9.19集会の成果を無にすることなく原子力政策の転換を強く求めていこう」と提起し、「いのちを守る刈羽村女性の会」の近藤ゆき子さんからは「いつも全県から大勢の方が柏崎・刈羽に来られて激励をいただくことは、私たちの運動の大きな支えだ。3.11で推進派が言う想定外の事故を起こした。廃炉まで闘い抜く」と決意を表明しました。
 集会の最後に「3.11以降、国民世論は大きく変わった。共同通信社の『自治体首長アンケート(回収率95%)』で新規原発を認めず早期に廃止が65.1%で、『認める』の17.3%を凌駕した。経産省に『コスト等検証委員会』が新設されるなど原子力村にも風穴が空いてきたが、私たちの闘いがなければ元のもくあみだということを共に確認しよう」とまとめました。
 集会後「さようなら柏崎刈羽原発!」「危険な核燃料 持ち帰れ」などと刈羽村民に訴えるデモを行いました。また、輸送トラックの車列に対し、路上に立ち止まり抗議のシュプレヒコールを浴びせました。

(中村 進/新潟県原水禁 事務局長)

島根原発の再稼働に首長も慎重姿勢
 3.11の福島第一原発事故の当初、「原発怖いね」と言っていた人たちから、その声があまり聞かれなくなりました。あれから半年が過ぎ、「地震はそんなに起きるわけがない」、「起きたら国が何とかしてくれる」。そして「(原発をやめて)エネルギーはどうするのだ」、「せっかく造った原発がもったいない」、「交付金がなくなると困るし、雇用はどうするのか」。こんな声が聞こえるようになってきました。
 全国で唯一、原発が県庁所在地に立地する中国電力・島根原発。30キロ圏内の人口は46万人とされ、その住民の避難場所や県庁、オフサイトセンターなどの機能移転が議論されています。また、30キロ圏内にある周辺自治体(出雲市、雲南市、安来市、米子市、境港市)は一斉に中国電力に安全協定締結を迫っています。
 島根原発1号機は運転開始から37年が経過した老朽原発です。昨年の点検漏れから止まったままの状態にあり、プルサーマル計画のある2号機は来年1月末に定期検査に入るため、このままいけば原発全てが停止状態になります。
 1号機も2号機も、立地区域に活断層はないとしていたはずでした。
 3号機は、ほぼ建設が完了するものの、制御棒が製造ミスによって試験時に挿入できず、それを中国電力は金属くずが混入し、動かなかったと説明しました。メーカーに持ち帰って点検するものの、うまく動かないにもかかわらず、来年3月には運転開始したいとしています。現在、1~3号機はすべて、2次ストレステスト実施中です。
 島根県知事と松江市長はともに再稼働に対して、ストレステストだけでは判断せず、福島第一原発が地震によってどのような損傷を受けたのかなど、事故の全容解明と説明の上、対策が取られない限り判断できないとして、慎重な姿勢を示しています。

(芦原 康江/島根原発増設反対運動 代表)


米中の対立構造にインドが参加
揺れ動くアジア・太平洋

大国化する中国とインド、米国
 21世紀に入って、アジア・太平洋は米中にインドが加わる複雑な状勢に大きく揺れ動いています。中国の軍事力発展は、特に海軍力でめざましいものがあり、米海軍の象徴的存在である原子力空母も、うかつに中国には近づけなくなっています。
 中国は長年の悲願であった第1列島線突破から、第2列島線突破を可能とする海軍力の増強をなしとげ、こうした海軍力増強が東シナ海や南シナ海での領海・領有権問題を引き起こす結果となっています。このため、中国近辺の国家で軍事力増強の連鎖が広がっています。東シナ海では、尖閣諸島沖での日本による中国漁船だ捕事件を機に、南西諸島への陸上自衛隊配備という愚かしい計画が進んでいます。
 南シナ海でも中国とベトナム、フィリピンの間で領有・領海権問題が発生し、米国は艦船の自由航行権とからめて両国に介入しています。しかし、米国は一方で中国との経済的関係を発展させる必要があります。そこでインドが東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国との軍事関係を強化する形で出現してくるのです。

米豪の軍事協力に日本が積極参加
 インドとASEAN諸国との軍事関係の前に、日米豪の軍事協力について述べておきます。
 米国とオーストラリア、ニュージーランドとの軍事協力関係は、1951年の太平洋安全保障条約(ANZUS)締結以来続いてきましたが、86年に南太平洋非核地帯設置条約(ラロトンガ条約)が成立する過程で、84年にニュージーランドが非核政策を採択。核兵器積載艦船のニュージーランド入港拒否を宣言したため、米国はニュージーランドに対する義務の停止を通告(86年)するなど、ANZUS同盟は分裂状況で、さらにオーストラリアも長年の続いた労働党政権の外交政策によって、米豪の軍事協力は緊密な状態ではありませんでした。
 しかし、96年に保守連立政権が発足し、米豪関係は一変し、積極的な軍事協力関係がつくられていきます。この協力関係の変化は、2003年に米ブッシュ前大統領の提唱によって結成された、「大量破壊兵器の拡散防止構想」(PSI)の最初の訓練がオーストラリア沖で開催されたことからも知ることができます。
日本もPSIには積極的に参加していきますが、同時に日本・オーストラリア間の軍事協力関係も強まっていきます。日本は07年3月に「安全保障に関する日豪共同声明」を発表し、08年12月には日豪防衛相間で「日豪防衛協力に関する覚え書き」を交わします。
 こうして日本、米国、オーストラリア3ヵ国による合同軍事演習が07年から始まります。昨年6月に沖縄で行われた日米豪合同軍事演習は、米原子力空母も参加する大がかりなものでした。さらに同年10月の韓国沖で開催されたPSI訓練は日米韓豪の大がかりな軍事演習といえる内容でした。

インドは米国との関係を一層深めるのか?
 米ブッシュ前政権によって、07年に米印原子力協定が締結されますが、これは米国とインドとの積極的な軍事協力の始まりでした。07年末インドは早速、米ボーイング社と10億ドルに及ぶ軍用機の共同製造事業で合意。その後、米印間の合同軍事訓練・演習が開始されます。米国防総省の発表では11年度だけで、どの国よりも多い56回の訓練・演習を行っています(11月2日現在)。米印による軍事包囲網の実態が初めて明らかになりました。
 インドはベトナム、オーストラリア、インドネシア、タイなどと積極的な軍事協力を築こうとしています。ベトナムは中国との紛争の直後、インドに軍事支援を求めるなど、対話よりも軍事的対応に動く姿勢を見せています。同じく中国と南沙諸島の領有権問題を抱える、フィリピンのアキノ大統領は8月末に中国を訪問し、130億ドルの直接投資の約束を取り付けた直後、米国から大型巡視船の購入を発表。9月には訪日し、日本の協力を求めました。米国の中国包囲網の一翼を担う日本が今後どう動くか注目されます。
 中国をライバルとして軍事力強化を進めてきたインドは、米国と協力関係を強める一方、「上海協力機構」への正式参加を求めています。(現在、印パ両国はオブザーバー参加)。政治的にも経済的にも存在感を高める「上海協力機構」が、印パを加盟国として認めるのかどうか。今年11月の総会では結論が出ていません。
 「上海協力機構」には中国、ロシアが参加していますが軍事同盟としての機能は存在しません。対話による国家関係を求める中国としても、印パを加盟国として認めるべきでしょう。中国とASEANとの間では関税なしの「包括的枠組み条約」も今年1月1日に発効しました。米国主導の環太平洋経済連携協定(TPP)にこだわる日本、軍事的大国を求めるインド。2012年はどう動くでしょうか。


被ばく労働問題で関係省庁と交渉
労働者を守り、脱原発へのプロセスを歩む

全国労働安全衛生センター連絡会議 飯田 勝泰

労働者の被ばく限度を引き上げ
 全国労働安全衛生センター連絡会議では、今年5月から10月の5回にわたり、東京電力・福島第一原発事故による緊急作業に従事する労働者の放射線被ばく問題について関連省庁との交渉を行ってきました。
 3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原発事故に伴う政府の原子力緊急事態宣言を受け、厚労省は電離放射線障害防止規則(電離則)の特例省令として、緊急作業に従事する労働者の放射線被ばく線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げる措置をとりました。さらに厚労省は4月28日付けの通達で、緊急作業に従事した労働者が他の原発で働いても5年間で100ミリシーベルトの範囲であれば年50ミリシーベルトを超えても指導しないという方針を出しました。
 緊急事態とはいえ、労働者の被ばく線量の引き上げによって未曾有の原発災害を乗り切ろうとする政府と東電の方針に私たちは強い危機感を覚え、厚労省および、経産省の原子力安全・保安院に今回の措置の理由と根拠を明らかにするよう求めました。一方で、厚労省に「放射線業務従事者の線量限度について」(4月25日付)という文書を開示させ、経産省が厚労省に対し、福島第一原発の事故対処だけでなく他の原発の安全に支障を来すため被ばく線量の緩和を求めていた事実をつかみました。

厚労省に規則の修正を迫っていた経産省
 7月26日の交渉の席上で原子力安全・保安院に対し、この事実を問いただしたところ、翌日に前述の文書を提出してきました。緊急作業の影響として「福島第一原発での作業は、BWR2大プラントメーカーの東芝・日立(協力会社を含む)が日本全国で抱える約3,300名の熟練技術者を動員して実施。メーカーによれば、今後の緊急作業により、100ミリシーベルトを超える者が約320名、50ミリシーベルトを超える者が約1,600名に上ると試算される」と見積り、「今後1,000~2,000名前後の熟練技術者が不足する事態が継続することとなる。これは、福島第一原発の処理及び全国の原子力発電所の運用に重大な支障を来す」としています。そして、経産省の対処方針として「今回の緊急作業で受けた線量は、平常時の線量限度の枠外」とし、「作業員の安全性は、生涯線量1シーベルトを遵守することで担保する」よう厚労省に電離則の修正解釈を迫っていたことが明らかになりました。
 10月31日発表の東電の資料では3月~9月末まで16,916名が緊急作業に従事し、被ばく線量が100ミリシーベルト超は162名、50ミリシーベルト超は750名と報告されています。保安院の想定は、プラントメーカーからの過剰な見積もりに基づき、事故の対応だけでなく他の原発の稼働維持をも目論んだものでした。

線量基準にダブルスタンダードは問題
 11月1日、厚労省は電離則の特例を改正し被ばく線量の上限を100ミリシーベルトに引き下げました。しかし、対象は11月1日以後に新たに緊急作業に従事する労働者のみであり、原子炉建屋やその周辺の高線量な区域で起きるトラブルに対応する労働者も除外されています。
 今回の被ばく線量の上限引き下げは当然の措置ですが、被ばく線量基準にダブルスタンダードを設けたのは、国際的な放射線防護の考えに照らしても問題であると考えます。全国労働安全衛生センター連絡会議は、今後も被ばく労働問題にとりくみながら、脱原発へのプロセスをともに歩んでいきたいと思います。

〈表〉 放射線業務従事者の被ばく線量【2009年度】(財団法人放射線影響協会HPを基に作成)

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