2011年8月アーカイブ
アキノ大統領は中国に対し経済支援を要請し、中国が総額600億ドル規模の協力を約束。懸案となっていた南シナ海(南沙=スプラトリー)諸島問題はほとんど話題とならず。
8月27日(土)日午後6時30から東京都の新宿で、「くり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会 新宿デモ」が行われました。
このデモは、「原発とめよう!東京ネットワーク」と「再処理とめたい!首都圏市民のつどい」の2団体が毎月1回、定例で開催しているものです。3月11日の東京電力福島原子力発電所の事故から今回で7回目、新宿での開催は7月に続いて2回目になります。デモには脱原発にとりくむ市民団体を中心に、約200人が参加しました。
菅直人首相が佐藤雄平・福島県知事と会談し、福島第一原発事故での放射性物質汚染による、がれきや汚泥などの中間貯蔵施設を福島県内に設置したいとの意向を表明。佐藤知事は時期、場所、期間が示されず困惑と語る。
9月19日は明治公園へ 脱原発へ!エネルギー政策の転換を
「さようなら原発5万人集会」への結集を
大江健三郎、鎌田慧、澤地久枝、内橋克人さんら9人の呼びかけで、「さようなら1000万人アクション」が呼びかけられ、9月19日には、東京明治公園で5万人集会、そして来年の3.11福島原発震災1周年に合わせての1000万人署名(「脱原発を実現し、自然エネルギーを求める全国署名」が提起されました。(詳しくは4ページをご覧下さい)。
現在、メルトダウンや水素爆発、大量の放射能放出などを起こした福島第一原発は、事故の収束に向けて多く労働者が懸命に作業を続けていますが、いまだ事態の収束の目途は立っていません。今後も地震や台風、予期せぬ事故などによるあらたな放射能の放出の危険性は引き続き続いています。
このような状況を反映して、原発を巡る世論も大きく変わってきています。滋賀県知事や大阪府知事などに代表されるように自治体の首長も「卒原発」や「脱原発」を言い始め、ソフトバンクの孫正義社長や信用金庫大手の城南信用金庫も社として「原発にたよらない社会」を宣言するなど、経済界にも拡がっています。あの自民党の小泉元首相でさえ「反対」の立場を表明するなど、様々なところで地殻変動が起き始めています。
7月23、24日に共同通信が実施した世論調査でも菅直人首相が表明した「脱原発」方針に、「賛成」(38.7%)と「どちらかといえば賛成」(38,7%)が、合計で70.3%にのぼったことが報道されています。私たちが放射能の被害の当事者として立たされているが故に、様々な人々が発言し出しました。さらに政党でも、共産党も「原発0」を宣言し、方向転換が始まりました。公明党でも高速増殖炉「もんじゅ」の撤退に向けた議論が始まるまでになってきました。
まさにこの機を捉えての運動の高揚が必要です。1000万人署名は、数としての国民の意思を示すことで、脱原発の世論を国民の1割近い人々が具体的に支持していることを示そうとしています。さらに9月19日の集会は、原子力政策の転換を求める5万人以上もの声を政治の中心でもある首都東京に集めることによって、大衆的な盛り上がりを強くアピールしようとしています。ぜひこれらの取り組みに一人で多くの方々の協力をお願いいたします。
いまこそ脱原発に向けて原子力政策の根本的転換を求めましょう。
●「さようなら原発1000万人アクション」
署名用紙のダウンロードはこちらから
http://sayonara-nukes.org/shomei/
迷走する首相の発言に翻弄される青森県
今こそ再処理中止を求めていこう
核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団 事務局長 山田 清彦
大幅に後退した「原子力推進」
3月11日の巨大地震発生で東京電力・福島第一原発が破損、その後の津波による外部電源喪失による水素爆発、メルトダウン、メルトスルーが、思わぬ事態を引き出している。
原子力推進の「専門家」の予測を超える原発破損と、人命軽視の被曝作業の強制と、原子力に詳しいと自慢する菅直人首相の暴走。延命のための、思いつき発言の数々。それに翻弄されたのが、各地の原子力立地県であり、青森県にも及んだ。
電力会社は、「夏場の電力不足解消」が、原発再稼動の切り札もあったはずだが、「原発のストレステスト」、「脱原発宣言」と、原発輸出を掲げていた民主党代表とは思えぬ発言が続いたため頓挫した。極めつけは、8月19日の「第4期科学技術基本計画」の閣議決定で、高速増殖炉系の原子力推進の内容が大幅に後退するものである。恐らくは、高速増殖炉もんじゅを抱える福井県と、六ヶ所再処理工場が立地する青森県にとって、核燃料サイクルの行方を定める原子力大綱の見直しまで、危うい状態に置かれたことになる。とりわけ、三村申吾青森県知事にとっては、一連の菅首相の発言には、苦虫をかみつぶす思いであろう。
「やらせ問題」の影響
青森県では、3月11日の震災を経た同月17日に、電源開発・大間原発、東京電力・東通原発、むつ中間貯蔵の工事が中断した。4月11日、むつ中間貯蔵の工事を再開したが、他は未だに工事延期状態である。また、六ヶ所再処理工場は、高レベルガラス溶融炉の再試験に踏み出すべきだったが、夏場の電力不足で再試験に踏み出せない状態が続いている。
三村知事は、7月11日~14日に県民説明会を開いた。これは、推進の意見が多く出ることを前提に、県民の意思確認作業を行ったふりを見せたものである。「県民の意向を重んじて」、工事の再開と東北電力・東通原発の運転再開を決意したという筋書きとなるはずであった。だが、この時点で、九州電力による「やらせ問題」が発覚しており、説明会の各会場において、「原子力を推進するべき」という意見はごく少数にとどまった。
身動きが取れない青森県
そこで、青森県が独自に立ち上げた、原子力施設の安全性を検証する委員会の結論を待つこととなった。しかし、その間に「核燃サイクル路線の後退」の閣議決定がなされた。はしごを外された形の三村知事としては、次期首相とその政権による「核燃サイクルと高レベル廃棄物の県外移出」の再確認まで身動きが取れない状況となったのである。この間に、「さようなら原発1000万人アクション」(4ページ参照)に取り組み、再処理中止を求めていきたい。
ロシア訪問中の北朝鮮・金正日総書記とロシア・メドベージェフ大統領が東シベリア・ウランウデ郊外の軍事施設で9年ぶりの首脳会談。北朝鮮が核実験の一時停止の用意を表明。
田中俊一前原子力委員会委員長代理が、原子力委員会定例会議で福島の放射性物質汚染は除染しても年間ヒバク線量を1ミリシーベルト以下に出来ない地域があるとして、年間5ミリシーベルトを目指すのが現実的と語る。
大阪府の橋下徹知事が代表の「維新の会」が、公立学校の実現すべき目標を首長が規定するなど、首長の権限強化を打ち出した全国初の「教育基本条例案」概要を公表。「教育の中立性ゆがめる」と批判広がる。
福島第一原発事故で内閣が設けた第3者機関「事故調査・検証委員会」の事情聴取に、東電社員が原子炉建屋の「水素爆発は予測できなかった」「自動冠水装置を止めた」などと証言していることが明らかに。
「上関原発建設反対キャラバン」が8月16日、山口県上関町室津で28日に開催される「さようなら上関原発全国集会」へ向けて、被爆地・長崎を出発しました。
爆心地公園で9時に開会した出発集会には約100人が参加。川野浩一原水禁議長は「新たな原発の建設を許すことは、原発社会を容認することにつながる」と危機感を示し、30年間にわたる建設阻止の闘いや福島第1原発事故の重大な事態を踏まえ、「何としてもこの流れを止め、脱原発の闘いを強めよう」とあいさつしました。
続いて、現地の「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の山戸貞夫代表が、山口県内の19の自治体で13もの市町議会から計画の凍結や中止を求める決議が出されたことなどに触れ、「一番危惧するのは、『凍結』という言葉を聞いて建設計画がなくなったと思う人が結構いること。しかし決議の真の中身は、今(のタイミングで)はまずいから事を前に進めないだけで、ほとぼりが冷めて条件が揃い、国がゴーサインを出したら計画を進めようとする狙いが目に見えている」と指摘しました。
また、「島民には広島原爆の被爆者、被爆二世も多い。放射能の恐ろしさを知っているからこそ、30年にわたって反対運動を続けることができたひとつの根拠にもなっている」と話し、「私たちのいのちと生活の安全・安心を守る闘いは厳しい瀬戸際を迎えている。反対の声をさらに広げ、8.28全国集会に多くの結集を」と支援を力強く訴えました。
出発集会・キャラバン行進には、原水禁の藤岡副事務局長、山口県原水禁の大久保弘史事務局長、九州ブロックからは大分県原水禁の河野泰博事務局長ら5人、宮崎県原水禁の中別府畩治事務局長も参加しました。
山口県外で「上関原発反対キャラバン」行動が取り組まれるのは今回が初めて。「上関原発建設反対!」の横断幕を先頭に、午前中は爆心地公園から浦上駅、長崎駅、長崎県庁、長崎市役所を経て、蛍茶屋電停近くまでのおよそ6キロを2時間かけて、約80人が歩き通しました。
「上関原発建設反対キャラバン」ナガサキコースの概要
山口県上関町への原発の新規立地計画に対しては、建設予定地の対岸にある祝島(いわいしま)の住民が30年にわたって「いのち」と「暮らし」を守るために反対闘争を続けており、一昨年から取り組んできた全国署名はついに100万人を突破しました。福島原発事故をうけてエネルギー政策の転換が焦点となっていますが、上関原発の建設の是非は、まさに今後の政策転換のカギを握っているといえます。
原水禁国民会議は、今年の原水禁大会をへて被爆地のナガサキとヒロシマを出発して上関現地までキャラバン行動を展開し建設反対と脱原発をアピールします。
日 程
8月16日(火)長崎地区→諫早地区
09:00 爆心地公園(出発集会)~11:00 蛍茶屋
12:40 諫早市役所(出発集会)~15:00 鈴田峠道路公園
8月17日(水)大村地区→東彼地区
09:30 大村市役所(出発集会)~11:30 大村市竹松出張所
14:00~16:00 波佐見町「焼物公園」発着
8月18日(木)佐世保地区
08:30 佐世保市役所(出発集会)~12:00 大塔ジャスコ
13:00 佐世保市三川内支所(出発集会)~17:00 伊万里口
※県境のセブンイレブン前で佐賀県へ引き継ぎ
8月19日(金)~21日(日)佐賀県内
8月22日(月)~24日(水)福岡県内
8月25日(木)~28日(日)山口県内
8月28日(日)「さようなら上関原発」全国集会
13:30~15:30 山口県上関町・室津埋立地
※ヒロシマコース
8月26日(金)~28日(日)広島平和記念公園→山口県内
被爆66周年原水禁世界大会の最後となる沖縄大会が宜野湾市・沖縄コンベンションセンターで、約320人が参加して開催されました。この大会では、地域での原発が推進と、沖縄での基地の問題が、「命の危険を地域に押し付けて、国策の名の下に政策が進められる点では同じ」であるとして、命を大切にする社会や政治の実現を目指すことが訴えられ、7月31日に福島からスタートした原水禁世界大会を閉幕しました。
原水禁世界大会・沖縄大会提起
被爆66周年原水爆禁止世界大会
事務局長 藤本泰成
1945年3月26日、アメリカ軍は沖縄中部の読谷村・北谷村の海岸から上陸しました。物量に勝るアメリカ軍による、鉄の暴風「Typhoon of Steel」と呼ばれる艦砲射撃は、容赦なく住民の頭上を襲いました。日本軍による住民殺害や集団自決の強要など、悲劇的住民被害が続きました。6月下旬まで3ヶ月にわたって続いた地獄のような地上戦の、日本側の死者は約22万人、そのうち10万人以上が民間人と言われています。
沖縄の地上戦は、本土決戦への時間稼ぎを命じるもので、「軍官民共生共死」に方針は住民を意図的に戦闘に巻き込んでいきました。男子中学生などで急遽結成された鉄血勤皇隊約1800人、ひめゆりなどの女子学生による看護部隊約500人などは、そのことを象徴しています。沖縄は、1609年の島津侵攻、明治維新の琉球処分など、日本支配によって多くの辛酸をなめてきました。戦後は、米国の統治下において厳しい生活を余儀なくされてきました。本土復帰以降も、在日米軍の75%を抱える沖縄は、米兵犯罪、戦闘機などの騒音、実弾演習、そしてヘリや航空部品の落下など、常に「命」の危険と隣り合わせの生活を余儀なくされてきました。
そこには、日本政府の政策「国策」の中で翻弄され続けてきた沖縄の歴史があります。
原水禁世界大会は、フクシマから、ヒロシマ・ナガサキ、そしてオキナワへと、議論をすすめてきました。フクシマは、戦後の経済成長政策を支えるエネルギーを供給し続けて、原発事故に遭い、今は、故郷から離れての避難生活を余儀なくされています。原子力を中核とするエネルギー政策によって、フクシマは「命」の危険にさらされています。「日本の原子力は安全」という東京電力・政府の言葉に裏切られました。「国策」の下で、私たちの「命」は、どれほどの重さであったのでしょうか。
今、東日本大震災、福島原発事故の陰で、在日米軍基地機能強化、自衛隊の南西諸島への配備強化など、沖縄県民の思いを逆なでするような事態が進行しています。世界で一番危険と言われる普天間基地撤去で揺れた沖縄は、大きな裏切りにあいました。そして、日本政府は、あろう事か、その危険な普天間基地に未亡人製造器「Widow Maker」と呼ばれるオスプレイを配備しようとしています。テスト飛行の段階から墜落を繰り返しているオスプレイの配備には、沖縄県民の誰もが反対してます。沖縄国際大学のヘリコプター墜落事故の記憶は未だ生々しいものがあります。沖縄県民の「命」を大きな危険にさらすオスプレイ配備を、自ら積極的にすすめようとする日本政府は、いったい誰のための政府なのでしょうか。アメリカ軍のための日本政府なのでしょうか。
この3月、東日本大震災の衝撃の中で、日本政府は、アメリカ軍に対して毎年1880億円を5年間支払う「思いやり予算」を決定しました。1880億円は、毎月10万円を、15万6000世帯に配ることのできる額なのです。被災し雇用を失った人々は14万人と言われています。これらの世帯に今どれだけの支援が行われているでしょう。このこと一つとっても、日本政府が、何を見て政治を行っているのか、みなさんの胸にも大きな疑問がわくに違いありません。
私たちは、この沖縄における事実に、福島における事実に、これまで積み上げてきた怒りをぶつけなくてはなりません。
脱原発も脱基地も、日本の戦後社会を問うことであり、政治のあり方を問うことだと思います。「国策」の名によって、一人ひとりの「命」が失われることを、もうやめようではありませんか。
オキナワとフクシマを結んで、全国で、一人ひとりがつながって、「命」を大切にする社会をつくろうではありませんか。
自然とともに、健やかな「命」を育んでいくことのできる社会をつくろうではありませんか。
脱原発と脱基地を、この運動を成功させることが日本社会を変えることなのだと、確信します。
みなさんとともに、最後までがんばっていくことを、「命」に寄り添って、がんばっていくことをお誓いして、原水禁世界大会、オキナワでの提起といたします。
民主・自民・公明3党が太陽光発電など再生可能エネルギーの全量買い取りを電力会社に義務づける「再生エネルギー特別措置法案」の修正で正式合意。買い取りの価格設定の第三者機関「調達価格等算定委員会」設置で合意。
東日本大震災5ヵ月目、震災の死者、12都道県で1万5689人(宮城9391人、岩手4632人、福島1600人)、行方不明者は6県で4744人(宮城2425人、岩手2063人、福島252人)自衛隊員延べ約1059万7千人、警察管延べ1100万人、米軍が「トモダチ作戦」で最大16000人参加。
8月9日に長崎市で「被爆66周年原水爆禁止世界大会」長崎大会の第3日目が開かれ、長崎大会のまとめを確認しました。また、福島からの訴えなどもありました。最後に、全員で非核平和行進と爆心地公園での黙祷を行い、長崎大会の全日程を終えました。
長崎大会第3日目の模様をビデオにまとめました。(9分45秒)
大 会 宣 言
66年前の8月6日と9日、アメリカは世界で初めて、人類の頭上に原子爆弾を投下しました。ヒロシマとナガサキのすべての人々、生きとし生けるものすべてに史上例のない悲惨で残酷な破壊をもたらしました。今もなお、放射線障害に多くの人たちが苦しんでいます。私たちは、毎年、両地に集い原水爆禁止世界大会を開催し、あの日のことを語り継ぎ、心に刻み、再びヒバクシャを生み出さないことを誓ってきました。
しかし、私たちは、いま新たな重大局面と対峙しています。3月11日に襲った東日本大震災は、多くの命と生活基盤を根こそぎ奪い取る未曾有の被害をもたらしました。とりわけ、東京電力福島第一原子力発電所の事故は、核燃料のメルトダウン、水素爆発や汚染水海洋投棄などによって、大量の放射性物質を、福島県はもとより日本各地、さらには世界中に放出しました。しかも、事故はいまだに収束のめどが立っていません。放射能の汚染は、農産物や海産物などへ広範囲に広がっています。人々の命と健康、とりわけ次世代を育くむ子どもたちや若い人々、妊産婦などの健康被害は重大問題です。福島県民は、避難生活を強いられ故郷へ帰るあてのない生活が続いています。
福島第一原発の事故は人災に他なりません。経済優先の中で原発政策を推進し、安全性をないがしろにしてきた東電などの電力会社、歴代政府、そしてそれを支えてきた研究者、報道関係者の責任は重大です。東電・政府などは、このことを真摯に反省し、事態収束と脱原発への道のりを明確にしなければなりません。また、現在の生活や将来の健康被害への補償そして不安解消に向けたあらゆる措置を可能な限り迅速に行い、将来にわたっての被害の拡大を全力で防がなくてはなりません。
核の「軍事利用」で被害を受けたヒロシマ・ナガサキ、「商業利用」で放射線被害にあったフクシマという事態は、森瀧市郎さんが提起した「核と人類は共存できない」「人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されていない」という原点を改めて明らかにしました。
脱原発を実現し、自然エネルギーを中心とした社会をめざすことが、将来に責任ある私たちに求められています。原発の新規計画を中止し、浜岡をはじめとした既存の原発を廃炉にさせましょう。もっとも危険なプルトニウムを利用する、高速増殖炉「もんじゅ」および核燃料再処理工場を廃棄させましょう。省エネルギー・自然エネルギーを中心に据えた、エネルギー政策への転換を早急に始めさせましょう。そのため「さようなら原発1000万人アクション」を全力で成功させましょう。
アメリカは、「核兵器なき世界」を表明したオバマ大統領プラハ演説と矛盾する臨界前核実験の継続や、早期発効が求められる包括的核実験禁止条約(CTBT)の未批准などの問題をかかえており、核兵器廃絶への動きは遅々としています。平和市長会議の「2020ビジョン」などと連携したとりくみをいっそうすすめましょう。被爆国である日本がアメリカの「核の傘」に依存するという矛盾した政策を脱却させ、「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定し、「東北アジア非核地帯」化に向けてとりくみを強化しましょう。沖縄県民に米軍基地の重圧を強いる施策を止めさせましょう。
ヒバクシャをめぐる課題は、いまも、被爆体験者、被爆二世・三世、在外被爆者、原爆症認定など残されたままです。被爆者が高齢化するなかで根本的な解決は急務です。いまだに支援を求める多くの被爆者が残されたままです。国交のない在朝被爆者はまったく放置されています。被爆二世・三世や被爆体験者については、支援の充実とあわせて、被爆者援護法の対象とすること、日本の戦争責任と戦後補償の問題として国家補償を明記する改正を求めましょう。
私たちは、核被害を根絶するため、フクシマの地で苦しむ人たちや、世界のヒバクシャと連帯し「核と人類は共存できない」ことを明らかにし、暴力と殺りくが繰り返される世界を変え、対話と共存・命の尊厳を基本にした「核も戦争もない21世紀」を実現し、子どもたちに贈るとりくみを全力ですすめます。
ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ、ノーモア・ヒバクシャ、さようなら原発!
2011年8月9日
被爆66周年原水爆禁止世界大会
被爆66周年原水禁世界大会・長崎大会のまとめ集会が、長崎県立総合体育館を会場に開催され、約2000人が参加しました。
雨が降ったりやんだりを繰り返す中で集会終了後、参加者は爆心地公園までの平和行進に出発。小雨の降る公園で、原爆投下時刻である11時2分、黙とうを行い、長崎大会の日程を終了しました。
8月8日、長崎市内で「被爆66周年原水禁世界大会」長崎大会の第2日目が開催され、「脱原子力」「平和と核軍縮」「ヒバクシャ」をテーマとする分科会やフィールドワークなどが行われました。
大会2日目の模様をビデオにまとめました。(約7分)
この分科会の参加者は180人、初参加者はほとんどの人、2回目11人、3回目以上10人、でした。
また、北海道B4人、東北B2人、関東B16人、東海・北陸B15人、近畿8人、中国・四国B12人、九州B50人でした。
ビデオ上映 君たちはゲンバクを見たか
原爆投下で一瞬にして約20万人が死んだ。原爆の恐ろしさ、悲惨さがわかり、投下後も苦しみながら生きてきた。戦後66年たっても被害は続いている。ゲンバクを語り後世に引き継いで原爆を無くしていくことが重要です。
講演 山川 剛(たけし)さん(長崎県原爆被爆教職員の会)
広島の原爆はウランで、長崎の原爆はプルトニュウム。
原爆は投下された。この“投下された”ことが重要です。
1.私のこどものころ
戦争になると世の中はどうなったか
写真などの資料を見る
①日本人ならぜいたくはできない筈だ=お前はそれでも日本人か?
②竹槍訓練中の女性たち
③鬼畜米英
④断崖から身を投げる女性=命が粗末に扱われた
⑤クニヲマモレ=強い体をつくれ
教育が戦争につかわれた。
2.私の8月9日
防空壕の向きが重要だった。
①板壁に焼き付いた影(4km地点ではしごと兵隊、ベルト跡が残る。
②私が歩いた爆心地
③被爆前(8月7日)の爆心地
④被爆後(8月12日)の爆心地
⑤爆心地の被爆した人は骨だけか何も残らない
爆心地から1kmで被爆した人は内臓の水分も蒸発
爆心地から4kmでは爆風で家の中が散乱
3.被爆者の願いはなにか
2度と被爆者をつくらない=核兵器を「0」にする
4.願いは実現できるか
憲法は国に戦争をさせない。コスタリカ、スイス、スェーデンに学ぶことはないか?20数カ国は軍隊を持たない国がある。長崎の高校生は「私たちは、微力だけど無力ではない」が合言葉ですが、このことが重要です。
※質疑は横浜
戦災と原災のちがいは?戦災は罹災証明書が発行されたが、原災は原災証明書が警察官から発行された。また、原災は被爆2世、3世・・・まで被害が続くと考えられる。
講演 西岡 由香さん(漫画家)
「放射能ってなに?」をQ&Aで学んだ。内容がわかり易く且漫画がふんだんに使われていたので興味をひいた。基礎編としてこの分科会(初参加の人がほとんど)に合っていた。特に、放射性物質がチェルノブィリの7分の1、広島の114倍が放出されたことに驚いていた。
※フロアからの意見
長崎、北海道から平和の火リレーの継続や原子力潜水艦の危険性、子どもとつながる、子どもをつなぐことが大切という報告。
最後に、今日、第8分科会に集まり学習したことを基礎編として、もっともっと深く掘り下げていくことで真実が見えてくることを確認し、終了しました。
参加者人数:31名
討論の要点と特徴
はじめに、被爆2世組織の方から現状について報告があり、「被爆2世についての法的な定義が存在しない厳しい条件の中で組織化を図ってきた」ということが出されました。そして「被爆2世」が抱える問題として、「被爆2世の健康問題」「原爆放射能による遺伝的影響」「被爆者の子としての差別」などがありますが、この間、国は「遺伝的影響はない」という立場を貫いており、また「親としての責任」という観点から、被爆1世にも精神的負担が強いられている現状も明らかにされました。また、国に対して調査・責任追及を行っていく為には、個人ではなく「組織化」していく事の必要性も叫ばれました。
また、福島の原発事故においても、「残留放射能に対する影響」といった観点では原爆被害と同様であり、被害を認めない国の態度も変わらないことから、今後、福島の方と交流しながら運動を進めていく事の必要性も提起されました。
また、講師からは遺伝学の立場からの検証として、生殖細胞が損傷を受けると「継世代に渡って影響を受けること」が既に動物実験において確認されており、実際にセラフィールドでは受胎6ヵ月前の父親の被曝線量と比例して子どもの白血病の相対的危険度増加が明らかにされ、こうした状況に対して、早急に対策を講じ被害の拡大を防ぐ事が必要だといった提起が行われました。
また、福島原発事故においても、チェルノブイリでは移住しなければならないレベルの汚染地域に未だに多くの住民がおり、これからも食物を通して被曝量が増加する懸念がある一方で、政府は「ただちに影響はない」として急性障害以外は認めない方針を貫いており、健康追跡調査についても限定的で問題があるという事も言われました。
また、被爆2世の参加者からは「組織化しようとしてもなかなか理解して貰えず、役員の担い手がいない」「被爆2世という事がバレルと不利益を受けるので活動したくない」といった問題点が出され、被爆者からも「子どもに対する影響を考えると事実を話せない」「経世代の影響を自分達の問題として考えなければならないと感じた」という意見が出されるなど、課題も浮き彫りとなりました。
最後に、講師の方から「被ばくした事実は消せないが、今後のリスクを減らしていくことはできる。その為にも、加害者の責任を明確にし、被害者の立場にたった対策を早急に講じさせると同時に、福島をはじめとしたあらゆる核被害者と連帯しながら闘いを構築していかなければならない」といった提起も行われました。
人口の流動化などによって被爆2世の把握そのものが難しくなり、被爆者の高齢化や、また福島事故後という事もあって参加者が少ない傾向にありましたが、「被爆2世」の問題を通して、核被害が「見えづらくなり複雑化してきている」ということが明らかになりました。そうした事を踏まえて、今後はそれぞれの立場で抱えている問題を継続して交流していく事の必要性が改めて問われた分科会となりました。
第6分科会は約30人の参加でほぼ船員が初参加でした。そのうち7人が原水禁世界大会に参加自体が初めてでした。
最初に在外被爆者のカク・キフンさんから報告がありました。カクさんは原水禁の分科会にこれまで何度も報告されていますが、今回は初めて日本に来た経緯をお話しました。カクさんは1944年、韓国(植民地下の)の師範学校に通っていましたが、突如、軍に招集されました。カクさんは日本語ができ成績も優秀だったため、幹部候補生となり従軍しました。そして、1945年8月6日、被爆しました。カクさんは「無我夢中で走り、防空壕に入ったら、背中が熱いことに気付いた。背中の服が燃えており、後頭部から背中が火傷していた。3日間意識がなく昏睡状態だったが、何とか生き延びることができた」と被爆体験を語りました。カクさんは「戦争が終わって祖国が戻ってきた。国、言葉を奪われた者の気持ちを想像できますか」と会場の人たちに問いかけました。「国がなければ人格も言葉も何もかも奪われる」と強調しました。日本の植民地政策、そして植民地がいかなるものか、会場全体にいた参加者の胸に突き刺さりました。
次に、在外被爆者のチャン・テホンさんが報告しました。チャンさんは中学1年のときに長崎で被爆をしました。現在、釜山に住むチャンさんは「被爆の体験を伝えることは難しい。いくら説明してもわかってもらえないときがある。被爆をした悔しさや怒りは経験した者しかわからないのだろうか」と、被爆体験を伝えていくことの難しさを訴えました。
高實康稔さん(長崎大名誉教授)からは、「日本の戦争責任と在外被爆者問題を考える」という演題で、1時間報告をしていただきました。高實さんは、在外被爆者問題を時間軸に分けて説明しました。最初は1971年、被爆者援護を求めて不法入国した孫振斗さんにより、在外被爆者に目が向けられるようになったことです。孫さんは裁判により、被爆者援護の「国家補償的配慮」を引き出しました。しかし、旧厚生省からいわゆる「402通達」が出され、日本から出国したから援護が受けられないことになりました。次に、それを打ち破ったのが、冒頭に報告したカク・キフンさんの裁判です。カクさんたちの裁判により、2003年、ついに「402号通達」が廃止され、「ヒバクシャはどこにいてもヒバクシャ」ということが国で認められました。手帳申請の「来日用件」も最近になり、ようやく撤廃され、海外からも申請ができるようになりました。しかし、いまだ朝鮮民主主義人民共和国には、約300人のヒバクシャがいると見られますが、国交がないという理由で日本からの補償を受けていません。高實さんは「日本人のヒバクシャと在外被爆者は分けて考えないといけない。在外被爆者は植民地政策の中で日本につれてこられた。日本の侵略がなければ、彼らは被爆することはなかった。日本政府は、優先して在外被爆者を補償しなければならない。それは日本の道義的責任だ」と厳しく日本政府の対応を批判しました。
質疑応答では、広島原水禁の金子哲夫さんから、今年の7月、訪朝して在外被爆者のお話を聞いたこと、在外被爆者の医療費は被爆者援護法ではなく、別な予算で組まれており、差別的な扱いを受けていることが報告されました。在朝被爆者は特に、医療の援助を求めているということでした。
在外被爆者は医療費に16万5千円の上限があること、手帳取得に依然として2人の証人が必要であり、ハードルが高いことなど、課題がたくさん残されています。特に在朝被爆者に関しては、なんら補償がされていません。これは「被爆者」だけではなく、「慰安婦」、「強制連行」も同様にあてはまります。朝鮮に関しては、被爆者だけではなく、戦後補償や国交正常化という枠組みで取り組んでいかなければならない問題も含まれています。残された時間が多くありません。引き続き、在外被爆者の援護拡大を求めていかなければなりません。
(有田純也・北信越B/新潟)
参加者は、約130人 内初参加者50人ほどの参加で開催。(被爆者の方も多数)。
フォトジャーナリストの豊崎博光さんからは、「70年代後半から、原爆だけではなくすべての核被害、ウラン採掘段階からのヒバクを取り上げて原水禁は、核と人類は共存できないと言ってきた。」とし、「核実験による放射能汚染が世界に広がってきたし、チェルノブイリの原発事故も同様、今回の福島第一原発の事故でも、世界に広がっている。」ことを資料を基に説明いただいた。
その上で、「核兵器を無くすだけではヒバクはなくならない。」「平和利用といってもウラン採掘段階からヒバクをするのであり、原子力を止めるべき。」と強調された。
ここまでの、提起は全体で受け止めることが出来ると思う。
問題は、次の提起をどう受け止めるか。
豊崎さんは、「(福島の事故で)生み出したヒバク者をどうケアをしていくのか?」と問題を投げかけ、①健康被害対策=癌だけではない。甲状腺障害は、成長を止めてしまうなど、癌以外にもさまざまに影響が有る。②心の被害=心配によるうつ状態。差別の問題。③故郷から引き離されコミュニティーを失う。仕事を失う。暮らし全体が破壊される。
との問題点とどう私たちが向き合っていくのかとの提起であった。
この提起は、「核兵器を廃絶だけではなく、原爆被爆者の援護策が必要である」のと同様に、「原発を廃絶しても、福島を中心とした放射能被害の救済が必要」との提起であり、脱原発の取組だけに終わらせることなく、福島を中心とする被害の現状をしっかり全体で受け止めていただきたい。
ロシアNGOのアントン・ブドビチェンコさんからは、以下の報告と提起があった。
・事故後暫く汚染状況を知らされなかった。その後、ミルクは飲むな、外に出るなといわれたが、すでに、山のきのこを採って食べ、湖の魚を釣って食べた。
・住んでいるところは、強制移住区域、避難区域、汚染区域、安全区域の4つの区域に分けられた。
・アントンさんの所は、避難区域だったが、強制ではなかった。レベルの高いところの1m隣は低かったり、道を歩いていても何処が危険かわからなかった。
・徐々に、経済は悪化し、農場も成り立たなくなった。工場も6箇所あったが、1箇所しか残らなかった。
・医者や先生など、専門知識を持つ方は、町から出て行った。
・政府は、保障を始めたが、失業者に1万2千円程度。仕事はなく、昼から酒を飲みだし、j子供は薬物に手を染めた。
・このとき、旧ソビエトという国は危機を迎えていた。
・私たちは、海外のNGOの協力も得て、子供たちを1~2週間海外に連れて行ったり、後には国内の汚染レベルの低いところにキャンプに連れて行ったりした。
・子どもだけではなく、お年寄りや障害を持った方へのボランティアも行なってきた。
・リハビリ施設を立ち上げたり、「コンピュータークラブ」を立ち上げたり、子どもたちが集まれる場を作ってきた。
・子どもたちの3割は甲状腺の障害がある。高齢者の7割が何らかの障害を抱えている。
・しかし、政府の公式発表は、事故の犠牲者(死亡者)は30人。現在もがん患者が増えているが、事故とは無関係という態度。
・チェルノブイリの事故は、「過去のこと」にしたいのが政府の考え。
・福島の事故は、幸い私たちと違い、TVで紹介されている。私たちは(自分たちのために)、これからも福島の皆さんと交流していきたい。
・みなさんは、起きた事故に対して闘っている(事故が進行中ということ?脱原発?)が、私たちは、事故がおきた結果(放射能汚染被害)と闘っている。私たちも協力できると思う。
以上、報告と提起終わり。
この提起は、国が事故を切り捨てようとしているということであり、NGOなど民間のボランティアでチェルノブイリの被害者が救済されているということ。「日本では、政府はそこまで見捨てないだろう」との感覚を持つ方も多いと思われるが、そうではないと感じる。
1つには、チェルノブイリ事故後のアントンさんたち住民への扱われ方が、福島を中心とした地域の住民の扱われ方と全く同じであるということ。稲わら汚染による牛肉の内部ヒバクが言われているが、農家は何も知らずに野菜を食べ、水を飲み、呼吸をしてきた。
2つには、原発被爆者の扱われ方である。会場から長崎の被爆者のイワナガさんから報告があったように、旧長崎しないでなければ、12km内であっても被爆者と認められない。国は、入市や遠距離ヒバクとしての低線量は認めるが内部ヒバクは認めない。「ヒバク体験者」として、被爆者を差別し、切り捨ててきた。
このことから、旧ソビエトのように、「フクシマ」が切り捨てられることは十分に考えられる。
豊崎さんの、「(福島の事故で)生み出したヒバク者をどうケアをしていくのか?」との問題提起に戻るが、ここで重要なのは、「低線量内部ヒバク」に関してである。
会場から被爆者の皆さんから多数発言を頂いたが、被爆者の苦しみはここにあった。
フクシマの報告でも、何を信じて言いか分からずパニック状態になっている。フクシマを離れた人も多く、夏休みをすぎてどれだけもどってくるのだろうとの状況も報告いただいたが、ここでも「低線量内部ヒバク」に関する脅威が語られている。
これまで、「核兵器廃絶」はもちろん「被爆者援護政策」を取り組んではきたが、被爆者の苦しみの根源である「低線量内部ヒバク」に関しては、原発問題とリンクする為か、あまり問題にはしてこなかった。
医師会や医学会の公式見解も「低線量内部ヒバク」に関しては、「影響がない」としているのであり、この点は原子力を進める側にたってきた「研究者」同様であると感じる。
原子爆弾を、ピカ・ドンと呼ぶが、原子爆弾が怖い一番理由は、熱線でもなく爆発力でもなく、後々苦しめる「低線量内部ヒバク」による後遺症である。それは、がんに限らず、「ぶらぶら病」とも表現される症状など千差万別である。
原爆被爆者の皆さんにお願いしたいのは、これからフクシマで発祥するであろう、被爆の後遺症を政府に保障させていくためには、フクシマの皆さんが手帳をもらうというだけではなく、「科学的に明らかでない」と切り捨てられる、被爆者の皆さんの「後遺症」をしっかり訴えていただきたいということです。このことは、フクシマの皆さんを助けることになる。
フクシマの皆さんは、しっかり大変さをうったえていく。このことは、被爆者の皆さんの原爆後遺症を認めさせることにも繋がる。お互いが協力し合うことで、運動が広がっていくのだと思います。
最後に、厄介なのは、フクシマの原発事故は進行中ということです。これからの健康被害だけではなく、今漏れている放射能汚染からどう子供たちを守るかも過大なのです。後遺症への補償政策だけではなく、現在の健康保障や暮らしの保障が必要であることもご理解いただきたいと思います。
また、3号機はプルサーマルですし、4号機の使用済みプールが地震等で壊れて落ちれば、日本中が終わってしまう危険性もいまなおあるのです。
「平和と核軍縮2(交流・討論編)~東北アジアの非核化と日本の安全保障政策」は長崎新聞文化ホール3階「珊瑚の間」において、参加者60人、内初参加者は15人で開催された。
この分科会では、3.11東日本大震災における、10万人以上の自衛隊員投入の背景や米軍“トモダチ作戦”について検証を行うとともに、「新防衛計画大綱」「米軍再編計画」と震災出動との関係について討論を行う場として設定された。
二人の講師からは、北東アジア非核化に向けた世界の情勢や、震災をも糧にして深化する日米軍事同盟などについて提起が行われた。
また、特別報告として沖縄から普天間基地・辺野古新基地建設・高江ヘリパット基地建設計画・オスプレイ配備問題などについて報告を行うとともに、11日からの原水禁沖縄大会の開催や「有事の際に政府は国民を守らないことが、原発事故において改めて明らかになった。平和は黙っていても来ない。是非、日本全国から声を上げよう」と訴えた。
核兵器が広島・長崎で多くの市民の命を奪い、街を壊滅させてから66年が経った現在でも、地球上には約二万発の核弾頭が存在し、その拡散と使用の危機が高まっている。核兵器廃絶は、貧困・地球温暖化などと並んで、人類が一致協力して取り組まねばならない喫緊の課題である。北東アジアにおいても不信・緊張の関係から対話・共存の関係を進める上において、非核化を進めることが重要であるとした。
8月2日に発表された今年の防衛白書では、冒頭30ページにわたって、米軍“トモダチ作戦”と被災地への自衛隊投入が詳細にわたって述べられており、安保体制の重要さが説かれている。(詳細については、防衛省HPで公開されているので、是非ダウンロードしていただき一読していただきたい。)
今回の“トモダチ作戦”は演習でなく作戦(オペレーション)であり、日米安保体制の中で初めて発動された作戦である。
また、米軍は福島原発事故を“対核戦争”と位置づけ、被災地支援を行いながら常に福島を監視し、時には福島からの風向きなどを勘案して、行動展開してきたことが明らかになっている。
今、日本は3.11を経て、軍隊の被災地支援感謝の声にかき消され、内閣総辞職するほど重要な問題であった「普天間基地」問題が本土では全く話題に上がらなくなった。被災地支援と基地問題は全く別の次元であり、改めて「沖縄に基地はいらない、日本に基地はいらない」ことを訴えていかなければならない。
参加者からは、国民保護法と原発事故の関連性に関する質問や核抑止力と核の傘の問題などの提起やつくる会系教科書と基地問題、3.11以降の佐世保における米艦船を巡る報告などがあった。
最後に、非核化・安保見直しに向けて、改めて各地での運動が重要であることを参加全員で確認し、閉会した。
禧久章蔵(全水道)
参加者数 76名 初参加者 20名
講師の川崎哲さん(ピースボート共同代表)、が分科会のメーンテーマである「核兵器のない世界」への課題と展望について提起を行った。この中で、核問題について「核兵器」と「原子力」に分けられるが、同じ核燃料サイクルの中で「核兵器」も「原子力」も造られるので根っこは同じであると説明し、福島第一原発の事故も核の問題を考える上では同一であることを明らかにした。
また、核拡散防止条約(NPT)でも核の役割を限定できず、原発ビジネスが拡大しており、日本も原子力を海外に売って国益をあげる政策をとっていると、NPTの現状や問題点を浮き彫りにした。そして、NPTを補完するためにも核兵器禁止条約というかたちで、全面禁止の運動を世界全体で進めて行くことが必要であり、この運動を推進するにあたっては日本の憲法9条の理念を活かすことが重要であると指摘した。
最後に、日本では核廃絶は主張するが、被曝国にもかかわらず米国の核の傘に守られており、原子力大国でもある。核兵器のない世界をつくるには、私たち一人ひとりの考え方を変えて、被爆国日本の体験を世界に発信していくことが大切だと訴えた。
韓国からゲストのス・ヨルさんは、米国の核政策は、核兵器の数を減らすのではなく、核テロ防止に力点が置かれていると説明した。また、「拡散に対する安全保障構想」(PSI)を韓国が米国、日本とともに朝鮮半島で展開したことによって、北朝鮮との緊張が高まり、東北アジア全体の平和を脅かすことになると警鐘を鳴らした。加えて、韓米原子力協定について、韓国政府が核兵器を製造できるウランを生成ができるように改定する思惑があることを指摘した。そして、核は一国のみでは決して止めることが出来ないので、全世界が一緒になって核廃絶の運動を行おうと呼びかけた。
米国のジム・ストッフェルズさんは、「生まれ育ったリッチモンドの町で長崎型原爆が造られた。核兵器をつかった国の国民として、原爆によって奪われた全ての命に、全ての人生に「ゴメンナサイ」と言いたい。そして、人類が想像できる最も忌まわしい兵器がまだ存在していることに申し訳ないと言いたい。二度とこのような事がないように。戦争はもうたくさんだ」。と声を震わせながら真摯な贖罪を述べた。
神奈川県平和運動センターの小原慎一さんは、原子力空母「ジョージ・ワシントン」配備後の横須賀について次のように報告した。「原子力空母は直接核兵器ではないが、動力は核であり、原発と同じである。横須賀は常に事故の危険にさらされているので、横須賀だけではなく日本国内への入港を阻止する運動を展開することが大事である。核密約が明らかになったことを受け、改めて母港化の撤回を求めていきたい」。
討論
Q:中東非核地帯会議は来年開催されることになっているが、中東情勢が不安定な中、実現できるか。
A:ご指摘の通り、開催は流動的だが、開催できなければNPTの存在意義が問われることになるので、日本政府も積極的に開催に向けて取り組むべきではないか。
Q:オバマ米大統領のプラハ演説には期待したが、中身は何もなかった。あのスピーチは一体何だったのか。核兵器禁止条約も保有5ヵ国の同意がなければ実現しないが、可能性はあるか。
A:オバマ大統領の基本政策はブッシュ前大統領と同様にテロから米国を守ることであり、その目的を達成するための手法の違いをアピールするためのプラハ演説だったのではないか。現在のオバマ大統領は様々な妥協を行ったことによって核のない世界は実現していない。NPTしかない世界は核の保有を認めることになるので、核兵器の保有はダメと規範しなければならない。そのためにも核兵器禁止条約は必要であり、昨年からヨーロッパを中心に賛成国が増えてきているので、実現の可能性はある。日本政府はまだ賛成を表明していないので、政府への働きかけを強めるべき。
・参加者人数:100人
・初参加者人数:20人
第2分科会は、大会基調の脱原発の課題について議論を深め、「さようなら原発1000万人署名」や「9.19さようなら原発集会」の取り組みにつなげていく事を基本的な目的として開会した。
冒頭、原子力情報資料室共同代表の西尾漠さんから、原水禁エネルギー・プロジェクトの提言「持続可能で平和な社会をめざして」について報告をうけた。西尾さんからは「まずは省エネや発電効率の改善などでエネルギーの消費を小さくすることが必要。あわせて自然エネルギーの普及を促進することにより、持続可能で平和なエネルギーを確保することは十分に可能となる」といった提起がされた。
次に、明治大学の藤井石根名誉教授から、「原発事故と問われる今後のエネルギー政策」と題し提起がされ、「今回の福島原発の事故により、安全神話やコストの優位性、クリーン性など、原発推進の根拠は崩壊している。そもそも水、空気、土壌、食料といった生活の根幹が大切であり、それを脅かす原発はもはや時代遅れの技術である。我々が本気を出して取り組めば、自然エネルギーの拡大はすぐにでもできる」と指摘した。
続いて交流討論として、参加者から各地での取り組みの報告など6人から発言があった。主だった意見としては、
・教育の場で子どもたちに原発について議論してもらうことが重要。核廃棄物や放射能などの具体的リスクについて丁寧に議論すれば、子どもたちも理解してくれる。そのためには大人も学んでいかなくてはならない。
・今は日本が大きく2つに割れている。それも右左や党派性ではなくなってきている。今こそ過去の原水禁運動に学び全国的な運動の流れをつくるべき。
・脱原発の自治体宣言の取り組みをしてはどうか。
・労働組合同士で立場の違いがあり、大きな流れになっていない。労組は地方連合会など各地域でしっかりと向き合って議論していかなくてはならない。また、各地域での民主党議員に働きかけていく必要もある。
などがあった。
最後に、運営委員から「身の回りから脱原発の輪をしっかりと広げていく必要がある。地域や職場でしっかりと議論をし、共感の輪を広げていこう」として、分科会を閉会した。
本分科会は、核廃絶を願い、フクシマで苦しむ人々や世界のヒバクシャと連帯し、「核と人類は共存できない」という思いを再度強くするために、今世界大会で避けて通れない、「フクシマ」の問題を共有するために設置され、予定の500名、ほぼ満席となる仲間の皆さんが結集し、提言に耳を傾け、熱心に討論が展開された。
伴英幸さん
全国の原発の稼動状況や福島原発事故の実態や背景をパワーポイントを使ってわかりやすく説明した。
放射能汚染が、本来なら120万人非難すべき広範囲に尾トンでいることを指摘し、収束には長期間かかることや被ばく労働者の厳しい状況があるが、第二のフクシマを起こさないために、脱原発を強力にすすめ、来年5月までに、全54基の原発停止をめざすこと。
さらに、省エネや再生可能エネルギーを推進するとともに、全量買い取りや発送電の分離などの制度改革の必要性を訴えた。
バーバル・ヘーンさん
福島での原発事故が起きたことで、6月、ドイツで原子力利用を終わらせる法律ができた。17基中8基が止められ、2022年には全て止まることを紹介。
その背景には当初、原発推進派は原子力の安全、安価、必要不可欠と主張していたが、1980年に反原発政策の緑の党が創設、2002年に脱原発法が通過。しかし、保守派の巻き返しにより昨秋、段階的脱原発の目標が12年遅れることが決定。
しかも、福島原発事故により、メルケル首相により加速された脱原発の進行を受け入れた。
「固定価格買取制度」を主とする再生可能エネルギー法に風力・太陽熱など、わずか1%だったものを13%の市場シェアを占めるまで成長したことが、日本にも学ぶ示唆を与えた。
連合、核禁会議、原水禁三団体による「核兵器廃絶2011平和ナガサキ大会」が長崎市の県立総合体育館で開催され、約4500人が参加しました。原水禁ではそれに先立ち、「さようなら原発1000万人アクション」の行動として、「ノーモア・ナガサキ!ノーモア・フクシマ!」集会とデモを開催し、爆心地公園から県立総合体育館までの道のりを、「核も原発もいらない」「福島の子どもたちを守れ」などと訴えながら歩きました。
一瞬にして、7万4千人余が息縫え、7万5千人余が傷ついた、原子爆弾が長崎に投下され今年で66年を迎える。かろうじて生き残った人々も、今もなお放射線障害に苦しんでいる。今日、核兵器は未だに世界に約2万1千発も存在し、人類は、核兵器の脅威にさらされ続けている。
また、今年3月に発生した、東日本大震災の地震と津波により、福島第一原子力発電所において、爆発および放射性物質の漏えいが発生した。福島の原子力発電所の事故については、一日も早い収束と、徹底した事故原因の究明の中で、国民の信頼回復につとめていかなければならない。
昨年のNPT再検討会議で、核軍縮、不拡散につながる具体的行動計画を盛り込んだ「核兵器なき世界」に向けた最終文書を全会一致で採択された。
今後、核兵器保有国が、採択された行動計画を着実に実施するよう、運動を展開していく必要がある。
日本政府は被爆国として、国是である非核三原則を堅持し、「包括的核実験禁止条約(CTBT)」の早期発効や「兵器用核分裂物質生産禁止条約(FMCT)」(カットオフ条約)の交渉開始、平和市長会議が提唱す「2020ビジョン」の実現など核兵器廃絶の具体的進展に向けた積極的な役割を果たすべきである。
私たち3団体は、これからも国際労働組合総連合(ITUC)や「平和市長会議」、多くのNGOとも連携・連帯し、核兵器廃絶と世界の恒久平和実現に向けて、国内外世論の喚起に取り組んでいく。また、これまで要求してきた原爆症認定、在外被爆者、被爆2世・3世や被爆体験者などの被爆者施策の充実を強く求めていく。
「ノーモア・ナガサキ!」「ノーモア・ヒロシマ!」「ノーモア・ヒバクシャ!」
2011年8月7日
核兵器廃絶2011平和ナガサキ大会
8月7日から長崎市で「被爆66周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」が開かれ、最初に原水禁・連合・核禁会議主催の「核兵器廃絶2011平和ナガサキ大会」が開催され、4500人が参加しました。
その内容をビデオにまとめました。(約9分50秒)
8月7日、長崎市「爆心地公園」で、原水禁世界大会の一環として、福島原発問題を追及する「さようなら原発1000万人アクション」として「ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ長崎集会」が開催され、福島現地の報告などを受けながら、取り組みを強化することを確認しました。
その集会とデモ行進のビデオにまとめました。(8分)
3月11日、東日本を襲った大地震は、岩手・宮城・福島を中心に未曾有の被害を与えました。犠牲者の皆様に心から哀悼の意を表します。
私たちは被爆地ヒロシマで、被爆66周年原水爆禁止世界大会・広島大会を開き、あらためたて「核と人類は共存できない」ことを確認しました。核兵器の恐怖とその非人間性を学びました。ヒバクシャの苦しみは、66年経ったいまでも続いていることを知りました。そして、同じヒバクの苦しみが、いままた「フクシマ」ではじまろうとしています。再び核の被害が日本を襲い、世界に広がっています。
東日本大震災で東京電力福島第一原子力発電所は、全電源喪失の後に核燃料のメルトダウンを起こしました。水素爆発や汚染水の流失・海洋投棄などによって、福島県をはじめ広範囲に大量の放射性物質を放出しました。その結果、多くの住民が避難を余儀なくされました。事故から5ケ月近く経ったいまでも、福島第1原発付近は、10,000mSv/hの高い放射線量を示し、事態収束のめどは立っていません。福島県民は、避難生活を強いられ故郷へ帰るあてのない生活が続いています。
福島第一原発の事故は人災です。事故を引き起こした東京電力、歴代政府、そしてそれを支えてきた研究者たちなど「原子力村」と呼ばれるものの責任は重大です。東電・政府などは、原発政策を推進し原子力の「安全神話」を声高に喧伝してきたことを真筆に反省し、事態収束への努力と脱原発への道のりを明確にしなければなりません。
私たちは、今回の事故により拡散した放射性物質の影響を強く懸念するものです。避難地域はもちろんのこと、広範囲に放射性物質による汚染が広がっています。放出された放射性物質の長期間にわたる影響を余儀なくされる人々の、健康不安と精神的苦痛ははかりしれません。特に放射線の影響に敏感な子どもたちや次世代を育んでいく若い人々への健康被害は重大です。農産物や海産物への影響、就労や生活への不安なども生み出されています。東京電力・政府は、現在の生活や将来の健康被害への補償そして不安解消に向けたあらゆる措置を可能な限り迅速に行い、被害の拡大を防ぐことに全力を注がなくてはなりません。特に子どもたちや妊産婦などへの放射線による被害は、最小限にとどめなくてはなりません。
私たちは、福島の取り組みと連携し、子どもたちの「命」を守る運動を展開します。故郷を奪われた被災者が、一日も早く安心した生活を取り戻すことのできるよう全力で取り組みます。この被害をもたらした「核」そのものの廃絶にむけた取り組みを強化していきます。
今ここに、全国から集う私たちは、核の「軍事利用」で放射線被害にあった「ヒロシマ」「ナガサキ」と、核の「商業利用」で同じく放射線被害にあった「フクシマ」を結んで、あらためて「核と人類は共存できない」ことを強く訴えます。
ノー・モア・ヒロシマ、ノー・モア・ナガサキ、ノー・モア・フクシマ、ノー・モア・ヒバクシャ!
2011年8月6日
被爆66周年原水爆禁止世界大会・広島大会
原水爆禁止世界大会・広島大会まとめ
被爆66周年原水爆禁止世界大会
事務局長 藤本泰成
「緑の中で、深呼吸がためらわれる」これは、今大会の国際会議の中で報告された、福島平和フォーラムの原利正事務局長の言葉です。
声を荒げて主張するわけではない、淡々と福島の現状を語る原さんの言葉の中に、私たちのごく普通の日常が壊れていく「フクシマ」の現状が見えてきました。
第4分科会で発言された、同じく福島の国分さんは、家族のためにどうしたらいいのかと思う苦しい心の内を述べて、原子力に関わってきた人々に対して「核利用には、軍事利用も平和利用もない“使うな”と言いたい」と怒りを露わにしました。
福島原発事故は、ゆっくりとしかし確実に、日本社会の日常を変えています。水素爆発は、いったいどれだけの放射性物質を放出し、どれだけの範囲を汚染したのか、はたして正確な情報が国民に知らされているでしょうか。
「フクシマ」では、通常では放射線管理区域に指定される汚染地域、つまり一般の人の立ち入りが制限され、線量計の常時携帯と健康診断の実施が義務化される地域において、生活を余儀なくされている人々が100万人以上に及んでいると、チェルノブイリ事故の放射線障害と取り組まれてきた医師の振津かつみさんから報告がありました。しかし、政府はそのことを明らかにしていません。それは、法治国家の中にあって、明らかに違法な状態なのだと指摘されています。原発推進政策は、違法な状況をあえて隠さなくてはならない現状をつくったのです。
福島原発事故の原因を、東京電力は想定外の津波としています。そのことによる全電源喪失と緊急炉心冷却装置の停止が炉心溶融を引き起こしたと主張しています。
しかし、専門家は、原子炉冷却水の水位低下と原子炉圧力の減圧のデータから、地震が来た直後に原子炉内のどこかの配管が破断していたことを指摘しています。想定が妥当かどうかは別として、津波は想定外だが、地震の揺れを示す数値は想定の範囲とされています。東京電力があえてそのことを発表しないのだとすれば、その事実は全国の原発に影響を与えるからだと思われます。
「フクシマ」の現実を前にしても、姑息な手段を労しても原発政策を推進しようとする電力会社や政府の姿勢が見えてきます。
事故の収束もままならない中で、停止中の原発の再稼働に言及した海江田万里経済産業大臣の姿勢は、経済成長には安定的エネルギーが必要であり、そのためには原発は欠かすことができないというものです。
しかし、再稼働ありきの姿勢には、危険な原発以外の選択肢を全く顧みることのない政府の姿勢があります。
「フクシマ」の被災者の今の生活を、子どもたちの置かれている状況を考えるならば、その現実に言及しつつ、原発依存をどのように解消していくことができるのか、その道筋を探りながらの話になるべきです。未だに経済成長神話から抜けきることのできない政府の姿勢が、「フクシマ」の現状を作り出したといわざるを得ません。
私たちは、これまで推進と規制の分離を主張してきました。それは、日本の原子力行政が、推進の側に大きく傾斜し、規制の側は推進の側と立場と同じにしてきたからです。 事故後の報道にあるような、プルサーマル問題での原子力安全・保安院による「やらせ」問題は、これまでの安全・保安院のあり方を考えるならば、私たちにとっては「驚くに値しない」事象です。がしかし、決して許すことのできない事件であり、国民の権利を侵害する行政の身勝手な、憲法違反の行為なのです。
このことは、単に責任者の更迭で済ませてはなりません。原子力を中心としたエネルギー政策が、国策として行われてきた以上、この「やらせ」は、国家による国民を裏切る犯罪行為であるからです。「フクシマ」においても、情報の操作など同じことが行われています。
このような国民を愚弄する政府の姿勢は、これまでも多くの場面で見られてきました。脱原発のとりくみは、単にエネルギー問題ではなく、そこを超えた権力と国民の対峙、主権者としての国民の権利の課題であることを証明しています。
今年の三団体による「核兵器廃絶2011ヒロシマ大会」で、連合南雲弘行事務局長は「福島原発事故で、原発の安全への国民の信頼は失墜した、原子力を含めてエネルギー政策の根本的見直しが必要」との見解を示しました。これまで、原発推進の立場にあった連合が、核と核政策の現状をしっかりと見極め、企業論理にたった成長戦略に安易に乗ることなく、労働者の立場と市民生活の立場に立って、人間に優しい自然エネルギー中心の政策へと切り替えていくことを強く要望します。
高木義明文部科学大臣は、核燃料サイクルの根幹である高速増殖炉に触れて、「もんじゅ」の開発は断念すべきとの趣旨の発言を行いました。翌日発言の内容は撤回されましたが、独立行政法人「原子力開発機構」の事業、いわゆる高速増殖炉開発に対する監督官庁の最高責任者の発言は重たいと考えます。
NPT核不拡散条約加盟国、核兵器を持たない国の中で、唯一日本がこのプルトニウム利用する核燃料サイクルを推進しようとしています。現在、日本が国内外に保有するプルトニウムの量は45t、核兵器にすると約5000発分にも相当します。これは、中国をも凌駕し世界で米英仏露についで第5位の位置を占めるものです。
日本政府は否定しても、他国から見れば日本は世界有数の核兵器保有国です。2005年には、米国の専門家によって「六ヶ所再処理工場を無期限に停止することでNPT核拡散の防止を強化するように」という要請も行われています。
原子力安全保安院が、やらせ問題を起こしたプルサーマル計画は、大量のプルトニウム保有に対する諸外国の批判をかわす狙いがあります。
高速増殖炉「もんじゅ」も、六ヶ所再処理工場も、全く破綻した計画となっています。 もともと高速増殖炉の計画は、米英仏独などにおいて、技術的に困難として放棄されたものであり、多額の費用を費やして継続する理由は全くありません。
ここにも、日本政府の嘘があります。全く可能性のない計画をあたかも日本の将来の希望であるかのように見せながら、核兵器保有につながるプルトニウム利用政策を継続しているのです。
2010年のNPT再検討会議以降、米ロの新SUTART以外に大きな成果は上がっていません。この間、米国は未臨界核実験を継続して行っています。北朝鮮はウラン濃縮の実態を明らかにし、日米韓の核開発放棄の要請に応じる気配はありません。中東における核問題の交渉、イランの核疑惑問題も解決を見ていません。核兵器禁止条約も含めて、私たちのアクションで日本政府を動かし、世界を動かしていくことが重要です。
世界の核廃絶の運動を、日本政府が牽引していくためには、意味のない疑惑を招くだけの核燃料サイクル計画から手を引かなくてはなりません。そのことが世界平和への、日本の名誉あるイニシアチブを可能にするのです。私たちは、そのことを脱原発と核廃絶の視点から追求していかなくてはなりません。
私たちは、二つの分科会で「平和と核軍縮」について話し合いました。日本政府は、新防衛計画大綱を昨年12月に示しました。これまでの基盤的防衛力構想を覆し、先制抑止に踏み込むものです。
東西冷戦構造が収束し、旧ソ連の脅威が消滅していく中で、米国の東アジア戦略に乗って、中国や北朝鮮を新たな驚異と位置づけ、米軍駐留の理由を作り上げるものに過ぎません。このことが、原水禁がこの間強く主張してきた「東北アジア非核地帯構想」の実現にも、大きな影響を与えることは必死です。
東日本大震災に際しての、米軍によるトモダチ作戦、10万人を投入した自衛隊の活躍、このことも、防衛計画大綱の問題としてきわめて冷静に評価すべきと考えます。日米の共同軍事行動が明確になる中で、きわめて意図的な報道には注意が必要です。
第3分科会の前田哲夫さんは、東北の震災に目を奪われている一方で、日米安保が日米同盟に変わりつつあること、沖縄の基地強化が進められていることを忘れてはならないと指摘しました。
今年の原水禁大会は、福島に始まって沖縄まで続けます。「国策」とそれによる市民の「命」の危険は、原発でも基地でも変わらないことに目を向けねばなりません。
脱原発も、脱基地も、戦後社会との決別、脱アメリカに他なりません。市民社会の成熟の上に、アジアでの日本の主体性を確立し、国民無視、国民不在の国のあり方からの脱却をめざさなくてはなりません。
今大会の国際会議は、ノー・ニュークス・アジア・フォーラムとの共催で行われました。ドイツ・アメリカ、そしてチェルノブイリから、韓国・台湾その他多くのアジア諸国から、ともに脱原発の道を歩もうとするメッセージが送られました。
一貫して脱原発の主張を続けてきた原水禁は、「さようなら原発1000万人アクション」を成功させ、世界の仲間とともに脱原発社会をつくることを宣言します。
そのことは、日本社会が新しい社会に、様々な意味で脱皮することにつながるに違いありません。
広島、長崎と福島、沖縄をつないで、人に優しい、「命」に寄り添う社会を作ることを、皆さんとともにがんばる決意を申し上げて、
本大会の成功へ、ご協力いただいた広島の皆さん、そして世界からお越しいただいたゲストの皆さんに感謝申し上げて、広島大会のまとめといたします。
世界最初の原子爆弾が炸裂したあの日から66年のこの夏、私たちはここ広島の地に集まり「核と人類は共存できない」ことを改めて確信し、核廃絶の流れを大きく前進させるための誓いを新たにしました。
3月11日、東日本一帯を襲った巨大地震は、多くの命と生活基盤を根こそぎ奪い取る未曾有の被害をもたらしました。この震災によって、とくに福島第一原発の事故は、電源喪失、メルトダウン、水素爆発などを通して莫大な放射性物質を世界中にばらまきました。事故はいまも収束に至っていません。脱原発の運動に取り組んできた私たちは、今回の事態をふせげなかったことに、強い責任と憤りを感じざるをえません。
福島第一原発事故は、チェルノブイリ原発事故と並ぶ原発史上最大級の事故となりました。ヒロシマ・ナガサキから66年、チェルノブイリ原発事故から25年、いま改めて被爆30周年(1975年)の原水禁大会の森瀧市郎さんの基調演説を思い起こさなければなりません。
「私たちは今日まで核の軍事利用を絶対に否定し続けて来ましたが、いまや核の平和利用と呼ばれる核分裂エネルギーの利用をも否定しなければならぬ核時代に突入したのであります。しょせん、核は軍事利用であれ平和利用であれ、地球上の人間の生存を否定するものである、とことわらざるをえないのであります。結局、核と人類は共存できないのであります。
共存できないということは、人類が核を否定するか、核が人類を否定するかよりほかないのであります。われわれは、あくまで核を否定して生き延びなければなりません。
人類は未来を失ってはなりません。未来の偉大な可能性を確保しなければなりません。私は被爆30周年のこの大会で、全世界に訴えます。
人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されてはいないのであります。」
森瀧市郎さんの訴えは、福島原発事故の発生により、先見性が示されました。それは、私たちの運動の原点となるものです。
米国をはじめとする核兵器保有国の政策を注視し、核軍縮に向けた動きを確実なものにする運動を作らねばなりません。具体的な核兵器廃絶への動きや核保有国の核軍縮状況を検証し、今後の私たちの運動を展望することが必要です。日本政府は、核兵器廃絶を主張する一方で、米国の核の傘に依存するという矛盾した政策を継続してきました。核の抑止力に依存し続ける中で、世界に向けて核廃絶を訴えることは、説得力を欠くものです。被爆国の政府として、このような曖昧な姿勢しか持てないことは問題です。
私たちは、広島、長崎の原爆投下にはじまった核時代に生きています。ヒロシマは、人類が生き残るために核兵器を廃絶するしかないことを教えています。そして、今こそ、「核と人類は共存できない」ことを強く訴えなければなりません。
私たちは、66年前のあの暑い夏のヒロシマの経験を原点に、さらにフクシマを胸に刻み、次のことを強く訴え、核も戦争もない平和な21世紀を子どもたちに贈るとりくみを全力で進めます。
○再生可能なエネルギーによる脱原発社会をめざそう
○「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定し、東北アジアの非核地帯化を実現しよう
○臨界前核実験などすべての核実験を完全になくそう
○被爆者援護法に国家補償を明記させ、世界のヒバクシャと連帯しよう
ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノーモア フクシマ、ノー モア ヒバクシャ
2011年8月6日
被爆66周年原水爆禁止世界大会・広島大会
広島に原子爆弾が投下されて66年を迎えた8月6日、広島市の中国新聞ホールを会場に、4日から続いた原水禁広島大会を締めくくるまとめ集会が開催されて、約760人が参加しました。
大会実行委員長である川野浩一原水禁議長のあいさつに続いて、5日に開催された子どもたちのイベント「メッセージfromヒロシマ」の報告がありました。米国の団体「ピースアクション」からニューヨーク州事務局長のアリシア・ゴッズバーグさんら海外ゲストが紹介された後、山口県平和運動フォーラム議長の岡本博之さんから、上関原発建設計画中止にむけた署名提出など、この間の動きが報告され、福島県平和フォーラム事務局長の原利正さんからは、福島第一原発の状況と現地の状況についての報告がありました。藤本泰成大会事務局長(原水禁事務局長)からのまとめと特別決議に引き続いて、広島県実行委員会から「ヒロシマ・アピール」が提案され、参加者の拍手を以って承認されました。
最後は参加者全員による「原爆を許すまじ」を合唱。「脱原発」「非核三原則の法制化」への運動をより強くしていくことを確認して、広島大会は閉会となりました。
●フクシマに連帯する特別決議/被爆66周年原水爆禁止世界大会・広島大会
発言する原福島県平和フォーラム事務局長
2011 長崎『子どものひろば』
長崎といえば、『坂本龍馬』。
『坂本龍馬』といえば、『日本の夜明け』。
『日本の夜明け』といえば、『反核・非核の平和な未来』がすぐそこに・・・
というわけで、長崎の地では、真夏の暑さに負けないくらい「熱い」平和活動が行われています!!!
街頭では、独自に平和活動をしている「高校生一万人署名」の皆さんの姿は見られます。
彼ら・彼女らが署名活動する姿は、真夏の炎天下も、なんのその!
日焼けした姿もまぶしく、麦綿帽子も似合っています!
それでは、暑い、熱い、長崎で行われた『子どものひろば2011』、『ピース・ブリッジ2011 inながさき』の報告です。
『子どものひろば2011』
子ども平和のひろば
日時:2011年8月8日(月)9:30~12:30
会場:
長崎県教育文化会館4F401(長崎市筑後町2-1/℡095-822-5195 定員70人)⇒原爆資料館⇒爆心地公園「原爆中心碑」
内容:
平和の歌や被爆体験の証言、原爆資料館や被爆遺構の見学を通して被爆の実相や核の恐ろしさを肌で感じてもらう原水禁版「平和教育」。
スケジュール:
9:30~10:00 歌と交流・ビデオ上映(ナガサキのこうま)
10:00~10:45 被爆体験の講話
10:50~11:00 徒歩で移動(教育文化会館→長崎駅前・電停へ)
11:00~11:15 貸切電車で移動(長崎駅前→浜口町へ、通りにそって被爆の状況を説明)
11:15~11:25 徒歩で移動(浜口町電停→原爆資料館へ)
11:25~12:05 原爆資料館の見学・説明
12:05~12:30 原爆中心碑前で説明、献花、黙とう、感想発表
運営・進行:長崎県教組長西総支部
ピース・ブリッジ2011 inながさき
日時:
2011年8月8日(月)9:30~12:30
会場:
長崎県勤労福祉会館2F講堂(長崎市桜町9-6/℡095-821-1456 定員200人)
主催:
ピース・ブリッジ2011 inながさき実行委員会
内容:
高校生や大学生でつくる実行委員会が企画し、長崎から「平和の架け橋」を世界につなぐ「ピースブリッジ」第8弾。各地で平和活動を進める高校生や韓国、フィリピンの高校生も参加して活動報告や交流を深めます。また、高校生が作った被爆者証言ビデオのDVDの上映もあります。
プログラム:
1.主催者メッセージ
2.被爆者証言ビデオDVD上映 「今 伝えたい~あの日からのメッセージ~」ダイジェスト版
3.特別報告:東日本大震災・被災地からの報告 ―岩手県立高田高校選出・高校生平和大使より
4.各地の活動報告(神奈川、福岡、熊本、大分など)
5.韓国・フィリピンの高校生の紹介と活動報告
6.みんなで歌おう平和の歌
7.高校生平和宣言
≪高校生・意見交換会≫
テーマ:『核兵器のない平和な世界の実現に向けて』
(1) 核兵器の廃絶はできるだろうか
(2) 世界の平和の実現のために必要なこと
(3) わたしたちは何をなすべきだろうか
広島市のYMCA国際文化ホールを会場に、被爆66周年原水爆禁止世界大会・国際会議が開催され、国内、海外から約160人が参加しました。
「脱原子力にむけた構想力」と題した会議では、ドイツの連邦議会議員で、緑の党会派副代表のベーベル・ヘーンさんら、日本や米国、欧州などの専門家が参加して、3.11東日本大震災・フクシマ第一原発事故以降の世界における、エネルギー問題・脱原発の必要性など、活発な議論が交わされました。
夕暮れの広島市・ハノーバー庭園で、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・フクシマ ヒロシマの集い」の行動が行われました。
これは「さようなら原発1000万人アクション」と連携する取り組みで、蛍光ライトを手に、「人間の鎖」が原爆ドームを取り囲み、参加者は「さようなら原発」を被爆地・広島から訴えました。
被爆体験について講演する平井昭三さん
第6分科会は、DVD上映及び、被爆証言を通じて、被爆地ヒロシマの実相に触れるとともに、若い世代へ運動をつなぐための分科会(入門編)として行われた。会場は約350人、3分の2が初参加者であり、なおかつ、若い人たちで占められ、そのほとんどは女性であり、次の世代への平和運動の継承という点からもふさわしい会場となった。
開会あいさつの後、分科会進行内容の説明を運営委員が行い、その後、DVD「君たちはゲンバクを見たか―ヒロシマ・ナガサキからの伝言」を上映した。内容は、ヒロシマ・ナガサキの被災状況から、ビキニ環礁での水爆実験による第五福竜丸、スリーマイル島及び、チェルノブイリ原発事故など23分にわたるものであった。被爆の状況や被爆者の写真、被爆者の証言や被爆二世の思い、韓国・中国・アメリカなど、海外の被爆者についても盛り込まれていた。また、アメリカが原爆投下の正当性をアピールしていることにも触れていた。
被爆者の証言の中で「つらいのは人の情けがないこと」という言葉や、「正しい戦争は絶対にない」「後に続く人たちに被爆者の心を引き継ぐことが使命」だという言葉が印象的だった。
その後、平井昭三さんを講師に迎え、「被爆証言」の講演を聴いた。平井さんは当時16歳で、友人宅にいて被爆した。父親と弟を原爆で亡くし、母親も被爆し、負傷したとのことだった。
被爆当時の状況、広島市街地が炎上する様子、被爆した人々が北方面に避難する状況を克明に証言された。父親の遺体発見、弟の遺体や遺品が全くないことがつらいということ、防火水槽や河川が遺体で埋めつくされた様子など、生々しく語られた。初めて被爆証言を聴いたという参加者には、原爆の悲惨さや惨状がよく伝わったと思う。
その他、アメリカで2ヵ月ホームステイし、ヒロシマの被爆証言をしたこと。ピースボートに参加し、様々な被爆(被曝)者との交流、また、ドイツに行って、アウシュビッツ収容所や、ドイツでの被曝証言や参加者との交流についてもお話があった。その中で、東日本大震災での福島原発事故にも触れて、「すぐには解決できないが、人類と原爆・原発は共存できない」と語った。最後に、「正しい戦争は絶対にない。どんな理由があっても絶対に戦争をしてはいけない」と強調した。
入門編にふさわしく、ていねいで、初参加者にもわかりやすく、なおかつ詳しく話されたので、説得力のあるだった。
「ヒバクシャを生まない世界に2(交流・討論編)~原爆訴訟・在外被爆者と被爆者援護法」はワークピア広島3階「楓」において、参加者59人、内初参加者は32人で開催された。
この分科会は、広島・長崎の原爆被害者は、高齢化し原爆後障害で苦しみ続けている人々今なお多くいるが、被爆体験者・在外被爆者・被爆二世・三世などの残された課題への理解と解決に向けた取り組みに対する運動・連帯につなげる目的で開催された。
二人の講師からは、1.原爆被害者の現状、2.原爆症認定制度と原爆認定訴訟について、3.認定に係る被爆地認定の是正、4、在外被爆者問題の現状と課題、5、被爆二世・三世問題などについて、自身の体験を交えて講演が行われた。
被爆者援護についてはこれまで国策としての「核の平和利用=原発推進」の観点から、原爆被害が過小評価された。そのことによって放射能被害の重大さを抑制する観点から、被爆者認定数を少なくする政策がとられてきた。具体的には、原爆体験者が爆心地からの距離のみで、医療費補助について一定の措置が取られた。
しかし、多くの「原爆症集団訴訟」を経て、一定の拡大が図られてきたが、今なお認定を受けられない多くの人々が存在しており、司法の解決の前に政治的な解決が求められている。また、福島原発事故により状況が変わろうとしている。今回の事故により内部被ばく問題は、国としても見過ごせない課題となった。今も様々な健康被害を被ってきた被爆体験者が、認定を求めて提訴を行ってきているが、このことは将来福島原発事故による健康被害に通じるものがあることが報告された。
つづいて、在外被爆者についてであるが、在外は外国人という意味ではない、戦後南米などに移住された方も含むということを忘れてはならない。「被爆者はどこにいても被爆者」であり、実効性のある被爆者援護法が必要である。また、国交のない国に住む在外被爆者に対する救済についても求められる。
参加者からは、福島原発事故における被曝者救済に向けた対策や二世・三世問題に対して質問などが出されたが、時間上の都合から議論が深まるまでは論議できなかった。しかし、参加者の想いは「新しい被爆者を生まない、被爆された方への手厚い援助が必要である」。また、すべての被爆者と連帯していくことが必要であることを確認し閉会した。
参加者80名。講師にフォトジャーナリストの豊崎博光さん。
豊崎さんは、核兵器、核燃料製造の流れについて説明があり、核燃料サイクルというのはウソであり、最後にはゴミを生むだけで、ウラン採掘から運ぶ人、製造する人、多くの人が被害を受けるということ、それゆえに、ウラン採掘に対しても反対をしなければならないこと。採掘を止めれば原発も核兵器も無くなるとして、われわれは自身や津波を止めることはできないが、原発は止めることができると訴えました。
また、核実験が及ぼす被害は世界に広がっていること、また、チェルノブイリでもヨーロッパ全体、そして日本のお茶にも影響があったこと。同じように福島の事故も世界中に被害を与えていることの説明がありました。そして、福島で考えなければならないのが、長期間放射能を浴びることからくる健康被害。そして、どのような影響があるかわからないことからくる、心の被害が大きいこと、そして差別問題であると指摘がありました。続いて、私たちは核を使わないようにしていくこと、被曝者をどうやって救済していくかが重要であるとの話がありました。
海外ゲストのアントン・ブドビチェンコさんからは、自身が9歳のときに起きたチェルノブイリ事故の状況について話がありました。時が経つにつれて、国は事故のことを忘れさせるために、救済のプログラムがオリンピック等のイベント費用捻出に切り替えられていったことを語り、そのため、自分たちで何かをやろうと、ドイツのNGOの援助を受け、「チェルノブイリの子どもたちのために」というNGOを結成したことを説明しました。その活動は、障がいを持つ子どもたちのためのリハビリセンターや学校をつくること、汚染地域から離れるためのサマーキャンプや、健康調査も行い、これまで約1万人の検査を行ったといいます。そのうちの約7割の子どもが何らかの健康障害を受けているそうで、福島についても、チェルノブイリの経験を生かした対応が重要ではないか。自分も未来の子どもたちのためにがんばりたいという話がありました。
9歳のときに体験したチェルノブイリ事故について語ったアントン・ブドビチェンコさん(左)
福島からの報告(福島県平和フォーラム・国分俊樹さん)
国分さんからは涙をかみしめながら、自分の住む郡山について話していただきました。特に、家族のためにどうしたらいいのか、苦しい胸のうちと、自分自身のストレス障害について話がありました。
また、原子力に携わった人たちへ「核利用には軍事利用も平和利用もない」と怒りを表明しました。
それから2つの提起があり、1つは木造家屋は放射線が強く、子どものいる家庭はすべて除洗するべきであること。2つめは学校給食では地産地消として、地元の作物が使われているが、食物を通した内部被曝が
心配であり、安全なものを使わせてほしいというものでした。
その後、参加者との意見交換に入り、チェルノブイリの取り組みの具体的な点や福島へのアドバイスを求める意見、学校給食では、いま何が問題であり、対応できないのか。チェルノブイリで行われている健康調査の結果や、その後の対応についてなどのやり取りがありました。
最後に豊崎さんから、これまでこういった事故が起きたらどうなるか、ということで訴えてきたが、現実になってしまい、非常にくやしくてつらいという想いが語られました。
参加者 85人 初参加者15人
講演者 前田哲男さん(軍事評論家)
大きくは二つの提起があった。 一点目は、 3・11では、国民が求めるイメージ(国防白書では30年間国民の意見のトップの)「災害派遣」で、自衛隊は活躍した。 当初防衛省は2万人の派遣であったが、菅総理が10万人の派遣を決め、実際には10万6千人が出動した。 自衛隊は、福島原発事故には対応できなかったが、一方遺体収容や物資輸送、避難民の後方支援では活躍した。
今回は、自衛隊の出動ではなく派遣。出動は任務だが、派遣はサービス。 軍事的な訓練や災害対応の訓練は行っているが、今回のような大規模災害への訓練は行っていないし装備もない。
もちろん原発事故に対する訓練も装備もない。 15万の陸自のうち7万五千が動員された。これは、一方的軍縮 でもあるが、誰も攻め込んでくる国はなかった。
こうした現状を踏まえ 「(自衛隊が意見かどうかの論議は、別に行うとしても)自衛隊を国民が求める、災害救助隊へ任務変えを行わせる」運動を行ってはどうか? の提起がされた。
運営委員会としては、提起は分科会として受け止めるが、分科会で論議を尽くせる内容ではなく、分科会で決定できる内容ではない。、とした。
二点目は、 3・11以降、福島は全国民の注目になっているが、普天間で行われていることが隠されている。
小泉政権のころから、日米安保が日米同盟に変わってきた。米軍再編の中で沖縄の基地が強化されてきた。
日米同盟は、共通の戦略、役割と能力を分担しているのであり、自衛隊は自衛のためではなく軍隊になっている。 「東北」に目を奪われて「南西」を忘れてはならない。 という提起だった。
運営委員会としては、原発問題も沖縄の基地問題も、言葉は悪いが地域の差別化の問題である。
原発事故も沖縄の基地問題も、特定地域の問題としてしまわないことが必要。
具体的被害の事実から運動にしていこう、とした。
沖縄の報告
*自衛隊の、軍事力が強化されている。
*普天間は危険だから、辺古へ移転して返還するというように、基地を縮小する気がない。
*日米安保の7割が、沖縄へ押し付けられている。
*高江のへりパットも、一部返還の変わりに倍以上の敷地を確保しようとしている。
*国が住民を通行妨害で訴え裁判を起こしている。
*アメリカでは、言葉は悪いが「未亡人製造機」と言われる、オスプレイも配備されようとしている。
*これは、構造的、差別ではないのか?
質問
大阪 前田さんは、自衛隊が役に立たないといったが「自衛隊員の友達はだいぶがんばった」
前田 個人的にがんばったがんばらなかったということではなく、組織として、72時間以内への対応や原発への対応の
組織ではないため、この件に対して約に立たなかったということであり、そうした面でも役立つ組織にしたほうがいいという
こと。
神奈川 自衛隊が米軍の友軍として、強化されているのでは?
前田 ソマリアの海賊退治など、海外活動が常態化しており、米軍と一体となった戦力になっている。
神奈川 厚木の爆音訴訟をしているが、原子力艦船が横須賀にいるので厚木に艦載機がある。
原子力艦船の入港も原水禁として反対してはどうか?
運営委員 この間原水禁として、核兵器・原発だけではなく、原子力艦船の入港も反対してきた。
あらためて、この分科会としてそうした運動の強化も確認したい。
広島 中国との関係を運動としてどう考えるのか?
前田 中国が強行的になったと評価されているが、「日本が空母を持つなど軍事力を強化していることに対する対抗
措置」だといえる。
日本が、日米同盟を強化していけば行くほど、中国は威嚇・対抗・対立の姿勢を強めるのであり、軍事的防衛がい
いのか、平和的な友好関係で守るのかを考えてほしい。
感想
*「東北」と「南西」などとわけることにより、「原発事故問題」と「沖縄基地問題」が対立するかの印象がもたれたので
は?
*何が共通するかという観点での提起が必要と感じた。
*共通するのは、経済的な観点で原発や基地問題が捉えられてるということ。大勢の人権のためには、少数の人
権、特別の地域の人権が犠牲にされているということ。
*これは、護憲大会へ引き継いでほしい。
(菅原晃悦/東北ブロック・宮城)
参加者は全体で100人、初参加者は30人程度だった。
湯浅一郎さんからの講演では、現在も米ロで2千発の核弾頭が警報即発射の状態に置かれていること、冷戦が終わったらこれはゼロにすべきものだという指摘があった。しかし、核兵器保有国はいずれも核兵器保有の目的として「他国の脅威を抑止するため」という理由を挙げている。オバマ政権も、プラハ演説で核兵器廃絶を言いつつ、昨年の核態勢見直し(NPR)では「核兵器による脅威が存在する限り、核兵器による抑止力を維持する」という矛盾を抱えた核兵器政策をとっている。
東アジアで言えば、「核兵器に依存しつつ核兵器をなくそう」という矛盾を解消するためには、東北アジア非核地帯の取り組みを進めて行くことが重要。NPTは矛盾を抱えた条約だが、経済難のなかで軍事費削減を求める米世論や、中堅国家構想を進めるスイスの市民の取り組みなど新たな動きもある。市民社会の力こそが原動力となる。市民と自治体の共同が重要という提起があった。
これを受けた交流では、大阪の仲間から「核と人類は共存できないという言葉は1975年の世界大会で提起された言葉。非核自治体宣言運動が活発だった。これからは脱原発自治体宣言を広範に取り組むべきでは」「原爆の被害に対して国家補償を求めてきた。これは福島についても明確化させて、国の責任を問うべき」「いかなる核実験にも反対すべきだが、それを基調がはっきり伝えていない」という意見が出された。
また、三重の仲間からは湯浅さんからの提起のあった自治体との連携に関して、「県で非核平和行進を取り組み、各自治体に非核自治体協議会や平和市長会議への加盟を求めてきた。ただ、県の姿勢は協議会に入らなくても充分に情報が取れるというもの。また、8月に子どもたちをヒロシマ・ナガサキに送るのに助成を求めている」といった取り組みが報告された。
放射能の被害について、湯浅さんからは、放射能をつくるという意味では原発も原爆も同じであり、福島を通じて核兵器の問題も見えてくるという指摘があった。一方、会場からは福島の問題について交流する重要性の一方、「福島」と「福島以外」のギャップがあることも指摘された。今後の運動の課題として、このギャップを埋めることの重要性を確認し、分科会を終えた。
まず初めに、原子力資料情報室・共同代表で原水禁副議長の西尾漠さんより、「福島原発事故と脱原発社会の選択」ということで、3月11日に発生した「東日本大震災」に伴う福島第一原発事故の現状や今後の危険性、そして原発を止めていくための提起がされました。
チェルノブイリ事故から25年が経過している今年。事故が起こってから4ヵ月。いまだに被害が拡大している状況がある一方、国際評価でもチェルノブイリと並ぶ、それ以上ともいえる史上最悪の
事故であることが述べられました。
「人災」とも言えるこの事故は、「大きい事故は起きていない」思い込みから、今回の「想定外」につながったことであるとともに、福島原発のように、既存の施設に複数もの原発が集中する中で、今回はそれぞれの異なる危険性が相互に影響しており、外部電源喪失から始まり津波による拡大、メルトダウンに至る中で止めることはできたものの、「冷やす、閉じ込める」ことのすべてにおいて、失敗している現状。自身と原発による「原発震災」となっている中で、放射能汚染がより一層、事故収束の弊害にもなっています。
また、3回、4回とロードマップが示されましたが、事故の実情はわからないままです。その障害となっているものは、自らが放出している放射能をはじめ、原発労働者についても、防げたはずの被曝が防げなかった現状につながっています。
こうした中で、今後議論すべき課題について、いくつか出されており、空、海、大地、地下へと広がる放射能汚染の中で、自身が判断を下し、がまんするしかないことと、国に対して主張していくことが重要であり、二度とこうした事故を起こしてはならないし、原発は止めていかなければならないということが述べられました。
そのためにも現在、国内に54基ある原発が16基しか稼動していないことを考えれば、その分の確保は節電等によって可能であり、節電から効率性向上による低エネルギー消費への移行など、自然エネルギーをうまく利用していくことも述べられました。
質問や意見
1.マスコミ報道された牛肉を政府・東京電力の食堂で出すべき。
2.報道の姿勢について疑問がある。
3.国や東電の責任の取り方が不明確。また、送発電の分離について教えてほしい。
4.「止める」までは行われたが、「冷やす、閉じ込める」はそもそも可能か。
5.フランスと米国の製品を使用しているが、つなぎの不良を含めて大丈夫か。
6.どうしたら子どもたちを福島へ帰せるか。
7.再稼動をどう止めるべきか。被爆国として、何が必要か。
答弁
1.「東京電力」と一括りに言っても、経営側と一般社員は異なると思う。
2.政府は東電を生かそうとしており、出資者の責任は問われていない。むしろ、政府に移すなどの考え方もあるはずで、そこは問題だと考えている。
(鈴木郁夫)
「メッセージfromヒロシマ2011」の様子を写真にてご紹介いたします。
少しでも、迫力、熱気を感じてもらえれば!との思いから、写真を厳選してみました。
なんと、これらの写真は、すべて、実行委員として参加してくれた高校生の撮影したものです。
「さすが!写真部!」といった作品ばかりです。
朝鮮舞踊部による華麗な舞でイベントのスタート!
赤いスカートが高級部、青いスカートが中級部。鮮やかですなっ!
総合司会は真柴さん(左)と、下岡さん(右)。
二人とも発声が素晴らしい!
放送部に、演劇部とくれば、もう怖いものはありません!
司会は、小川さん(左)と、三田くん(右)です。
総合司会者をしっかりフォローしました。
「マル・マル・モリ・モリ!」を踊って緊張をほぐします。
恥ずかしいと思っているのは、最初だけ・・・。
やっぱり、踊るのって楽しいのです。
ほらっ、この笑顔が、楽しさの証拠でしょう!
第2セクションの「考えよう、表現しよう、平和の思い!」では、
真剣そのもの。
司会者が会場をまわって、進行状況をリポートしています。
メッセージが書けたものは、シートに張り込んでいきます。
「ここで目立つかな・・・」
と言いながら貼り付け(ているかどうかは分かりませんけど...)。
第3セクション「世界のお友だちと平和を語ろう」では、
海外ゲストがメッセージをくれました。
韓国からは、代表してチェ・テホさん(左)がメッセージ発表です。
フィリピンのゲストはマイテ・イバルダローザさん。
13歳とは思えない落ち着きぶり!
こちらのセクシー娘三人組は、
可部高校ダンス部の小泉さん(左)福本さん(中)、枡田さん(右)。
出たっ!マイケル!と思いきや、こちらは、中学生ながら、
実行委員に参加してくれた日上くん。
表現力ではダンスに負けず劣らず!
可部高校の三人による紙芝居は情緒たっぷり。
総合司会のお2人に加えて、田代さん(右)。
エンディングでは、このイベントのメインである「平和のメッセージ」の発表です。
実行委員を代表して発表してくれたのは、
三谷くん(左)、日上くん(中)、佐々木さん(右)。
第2セクションで書いたメッセージシートは鳩の形になって登場。
実は、こういう貼り付け作業も実行委員が頑張っているのでした。
さぁ、テンションはMAX!
ダンス指導をしてくれたダンス部に混じって、
司会者もステージ上で踊ります。
おや?ケロロ軍曹もおどってますね・・・。
一日、お疲れ様でした。
ケロロに、スティッチ、司会者の三者で満足げな笑顔です。
終了後には、イベント恒例の集合写真です。
実は、別の場所に行ってしまって、集合写真に間に合わなかった実行委員も・・・。
来年は、是非、センターで写って下さい!
参加者、実行委員、関係者、皆様のおかげで、
2011年も成功を収めることが出来ました。
ありがとうございました!
~プログラム~
12:50 オープニング
広島初中高級学校の皆さんの朝鮮舞踊
13:07 第1セクション 全国のお友だちと仲良くなろう
実行委員の紹介
「被爆地から-平和のメッセージを届けよう」 踊りと歌を覚えよう!「マル・マル・モリ・モリ!」レッスン
13:21 第2セクション 考えよう、表現しよう、平和の思い
平和のメッセージを書こう! 表現しよう!
13:50 第3セクション 世界のお友だちと平和を語ろう
全国のお友だちからの一言メッセージ
海外のお友だちより(フィリピン、韓国のお友だちからのメッセージ)
14:13 第4セクション 広島を学んで、そしてお友だちをつくろう
広島のお友だちの平和への取り組みを紹介
全国のお友だちと「マル・マル・モリ・モリ!」を歌って踊ろう!
14:35 エンディング 平和はみんなの心から ―2011夏休み―
みんなで書いた平和のメッセージが???になって登場!
世界への平和メッセージを発信!
「メッセージfromヒロシマ2011」報告
《「メッセージfromヒロシマ」も11歳。》
原爆投下から66年目を迎えた広島。「メッセージfromヒロシマ」は2001年に開催されてから、今年で11回目の開催となりました。特に今年は、3月11日に発生した東日本大震災のこともあり、平和、安全に対する認識を新たにされた方が多いことと思います。「メッセージfromヒロシマ」は、今までの10年間で、「核」や「戦争」に対して、反対の思いを強くアピールしてきました。その中には、当然、原子力政策への批判も込められていました。イベントの開催地が広島、そして、原爆投下の一日前である8月5日に開催しているということもあり、参加者は、被爆、核といったフレーズには敏感です。特に、実行委員会の中心となっている広島の高校生たちは、毎年、平和に関してのすばらしい活動報告をしてくれます。また、イベントの総括として、原水禁大会の閉会総会でも発表している「メッセージfromヒロシマ・平和のメッセージ」は若い世代だから感じることを、素直に表現しています。そして、今年は、その中に、東日本大震災、とりわけ福島原発事故放射能被害に対する思いが強く打ち出されました。
《リハーサルさえも全力投球》
今年は、実行委員の顔ぶれも、初参加の人も多く、高校生が中心となっていた今までとは少し変わり、大学生の参加も半数近くに上りました。また、大学院生のボランティアの方が東京から駆けつけてくれたり、中学生も多くの仕事をこなしてくれました。高校生で参加し、その後、大学生として、再び参加してくれた子、高校生時代から参加し続け、社会人になった今も参加してくれた子。様々な人に支えてもらって、早くも11歳となった「メッセージfromヒロシマ」ですが、今年のリハーサルは、本番の会場として使うグリーンアリーナ武道場で行いました。本番さながらに、走ったり、踊ったりと、大汗をかきながら、翌日のイベントを成功させるため、練習に励みました。
《メッセージfrom ヒロシマ2011幕開け!》
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「やはりこれがなくては、始まらない!」といった名物になっている「広島初中高級学校舞踊部」による朝鮮舞踊からのスタートです。鮮やかな衣装に、華やかなダンス。今年は、例年踊ってくれている高級部に加え、中級部の学生さんも参加して、ステージを所狭しと踊ってくれました。普段目にすることの出来ない民族舞踊に、驚く子や、夢中になる子、圧倒される子など、反応は様々でした。また、リ・ミョンソンさんが、代表して「反核兵器、反原発のために私たちに出来ることを考え、真の平和のためにともに歩んでいきましょう」とメッセージをくれました。
今年は、総合司会者の下岡三都穂さん、真柴公美子さん、司会者の三田雄哉くん、小川真奈さんともに初参加ながら、大役をやりきってくれました。また、午前中の「子どものひろば」の企画である「子ども慰霊祭」から、暑さに負けず、400人の子どもたちが元気に参加してくれました。
《第1セクション》
実行委員メンバーが壇上に元気に登場して始まった第一セクションですが、なんと、今年の広島県高校生実行委員会の橋本桂子さんは、スティッチの姿でやる気をアピールしてくれました。また、三重県高校生実行委員会の三葉二郎君は、一年生ながら、落ち着いてしっかり平和への思いを述べてくれました。
踊りのレッスン
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毎年、最初は恥ずかしがる子も、最後にはノリノリに踊りだすダンスレッスンの時間になりました。今年は、芦田愛菜ちゃん、鈴木福くんのコンビで大人気となったドラマ『マルモのおきて』の主題歌「マル・マル・モリ・モリ!」を選曲しました。どの子にも親しみやすくなるようにと、踊りもドラマのときのものをそのままにしました。
《第2セクション》
ようやくリラックスをしてきたこの頃になると、冷静に「メッセージfromヒロシマ」のことを考え始めます。「あれ? 踊りに来たんだっけ?」なんて学年が高くなるほど、考えてしまうものです。そこで、このセクションでは、「考えよう、表現しよう平和の思い」と題して、高校生から会場の子どもたちへのメッセージを送り、そしてそれを受けて、子どもたちも自分のメッセージを表現する時間となっています。
■被爆地から-平和のメッセージを届けよう
昨年からこのセクションに加わったプログラムですが、メッセージを読む子も、聞いている会場も真剣そのものです。今回は、一部抜粋してご紹介します。
真っ黒にこげた弁当箱、ボロボロになった服、洋服の模様が背中に焼きついた人、死んだりケガをしたたくさんの人の写真や絵。原爆資料館を訪れるたびに、一瞬にして何もかも奪ってしまう核兵器の恐ろしさ、戦争の悲惨さを思い知らされます。しかし、原爆や戦争の恐ろしさは少しずつ忘れられようとしています。戦争は決して過去の出来事ではありません。戦争はまだ世界中で起こっています。貧困、いじめ・差別などの人権の問題も多くの国で抱えています。(中略)3月11日、「東日本大震災」をきっかけに福島第一原子力発電所で大変な事故が起こりました。たくさんの放射能がまきちらされ、いまも多くの人が避難生活を送っています。いつになったらこの事故が収まるのか、放射能がこれからどのような被害をもたらすのか、想像もつきません。
このメッセージから、参加している子どもたちに一つでも何か気持ちを伝えられたら、という思いから、話しかけるような、耳から聞いて、すぐに理解できるような分かりやすい表現となっています。
■みんなで考えよう―表現しよう平和の思い
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花形のシートにマーカーペンを配布された子どもたちは、何を書いたらいいのか、戸惑い気味の子もちらほらと。昨年に比べると、少し短縮されて、制作時間は20分に。しかし、スタートの合図で、しっかり平和を表現するアーティストの姿になりました。まわりの高校生実行委員のみんなに手伝ってもらって、花形のシートを貼り込んでいきました。でも、何で貼り込んだのか、まだまだあとのお楽しみということでした。
《第3セクション》
全国各地から400人も集まれば、主張は様々。しかし、共通しているのは、「全国・世界のお友だちと平和を語ろう」という気持ちでした。
トップバッターは、少し緊張気味な北海道代表のK.Aさん。会場中央のお立ち台に上り、マイクを使ってのアピールです。「震災で苦しんでいる人が何万人もいます。その人たちを苦しめているものの一つは、放射能なので、放射能を使わない日本をつくれたらいいなと思います」と、放射能におびえながら生活している人々を心配する気持ちを伝えてくれました。
東北ブロックからは山形県代表のH.Rさん、W.Rさんが「ヒロシマで学んだことを山形に帰って、たくさんの人に伝え、核兵器や戦争のない世界を作って行きたい」と力強い発表でした。
関東ブロックの一番手は、神奈川県代表のK.Kさんです。会場に向けて元気なあいさつから始まったアピールは「何を食べ、何処に住んでいいのか、目に見えないので、とても心配です」と、福島原発事故のことに触れ、放射能に対する恐怖と「一日も早く解決して欲しい」という願いを込めたものでした。
生協クラブ神奈川の代表であるI.Yさんは、東日本大震災で犠牲になった人々への哀悼の意を表すとともに、原爆で実際に被災した人から話を聞いて、「現代を生きる戦争を知らない私たちは、原爆について語ってくださる人の話に耳を傾ける」ことが大事だと訴えました。
続いて、東京三多摩を代表して、二年連続で代表メッセージを読んでくれたのは、O.Sさんです。「戦争をして誰が幸せになったのでしょうか。原爆を落として誰が喜んだのでしょうか」今も悲しみ続けている人々のことを思う率直なフレーズには胸を打たれた人も多かったのではないでしょうか。
埼玉県からは、M.Sくんが、「過去に日本が被爆したヒロシマの街には、僕の知らない、想像の出来ない現実が数多くあったと思います。この機会に、もっと原爆、原発について知って、自分に出来ることは何か、伝えて行きたいです」と今後の活躍を期待させるアピールとなりました。
関東ブロックの最後は、群馬県です。O.Sさんは、横断幕を掲げたお友だちの応援を受けて、「原爆は豊かな自然、笑いが耐えない街、そして、温かい家族の輪までも破壊しました」と言いつつも、今の広島があるのは、復興へ向けて頑張ってきた人々の努力の結晶であるとして、今後戦争をなくすのも日本の人々、世界中の人々が協力することで達成できるだろうと強くアピールしました。
北信越ブロックからは、長野県代表のM.Aさんがメッセージを発表してくれました。「ここに来る前に『人間を返せ』というビデオを見てきました。目を背けたくなるような映像で、とても怖くて、とても悲しくなりました」と発表しました。やはり広島に来たからこそ、平和学習の成果も上がったのではないでしょうか。「長野に帰ったら、クラスの友だちにこのことをしっかり話そうと思います」と締めくくったのが、何よりの証拠です。
近畿・東海ブロックからは三重県代表で二度目の参加というN.Nさんです。「色々な人とつながりを持つため」に参加してくれました。前回参加したときには、その後、学校で平和について発表をしてくれたということで、今年も「ここで学び、感じたこと、考えたことを学校でみんなに教えていきたい」と、真面目な姿勢を示してくれました。
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四国、九州ブロックの長崎県からは、「高校生1万人署名」のS.Rさんが、日ごろの署名活動のときに鍛えられたアピールを披露してくれました。核兵器廃絶のための署名活動を行い、それを国連へ持っていく平和大使のためのカンパ活動も行っていて、「16日に、12人の平和大使が国連へいきます」と活動の活発さが伺えました。
そして、最後は、開催地である広島県代表の発表です。昨年に引き続き発表してくれたA.Nくん、昨年発表してくれたお兄さんからバトンタッチをしたH.Sさん、そしてS.Kくんの三人です。「毎年参加している平和行進で、今年は『ノーモアフクシマ』というコールがありました」と原田さん。また、A.NくんとS.Kくんは、福島の被災者が避難先で差別にあったことなどに触れ、「何もしていないのに、急に避難しなくちゃいけなくなって、避難したところで差別されたと思うと、とても腹が立ちます」と自分に置き換えて考えてくれました。また、原発や差別などの人間が作ったものは人間が止めることが出来るものだとして、「僕たちが止めます」と力強く宣言しました。
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参加者代表からメッセージをもらった後は、海外ゲストからのメッセージ発表です。韓国ゲストはチャン・チュスンさん、チェ・ジェホさん、イ・ゴウンさんです。三人とも日本語での自己紹介だったことに会場は驚きました。代表して、チェ・テホさんが、3月に行われた釜山での原爆写真展、核兵器廃絶の署名活動、東日本大震災への募金運動に参加し、それらを通じて原爆被害について深く知ることが出来たこと、そして、「世界の若者たちが平和交流活動を通じて、戦争と核の危険がない平和な世の中を実現するために頑張ります」と力強いメッセージを発表してくれました。
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第3セクション、最後の発表は、フィリピン代表のマイテ・イバルダローザさんです。小さい頃のつらい体験とその現実を受け入れて頑張っていること、そして今の生活の大変さを報告してくれました。また、「ブカス・パラドという自立支援施設でのボランティアの経験を通して、与えることで出てくる喜びが分かりました」と、何事にも一生懸命に取り組んでいることを伝えてくれました。ところで、マイテさんの通訳は、長崎「高校生1万人署名」のメンバーが担当してくれました。とても仲がよく、言葉を超えて通じ合っている姿を見ているようでした。
さて、第三セクションでは、表現の仕方は違えど、それぞれが広島に来て感じたこと、その上で何が出来るかを考えてくれたということが、鮮明に伝わるものばかりでした。緊張していたり、恥ずかしかったりというのもあったと思いますが、このことは今後、貴重な体験として残っていくことと思います。
《第4セクション》
雰囲気がガラッと変わって、広島の高校生の発表です。今年は、広島県可部高校の皆さんが多く参加してくれました。まず、一組目は、小泉優姫さん、桝田裕稀さん、福本美沙さんら率いるダンス部のオリジナルダンスと原爆詩人の栗原貞子さんの「生ましめんかな」をモチーフにした創作ダンスです。また、今回のダンスには、中学生の日上温大くんも参加してくれました。迫力のあるダンスに、会場全体が飲み込まれてしまいました。イベント最初から、「マル・マル・モリ・モリ!」のダンス振り付け練習をステージに上がって指導してくれていた四人にとっては、もうこの頃には、緊張よりも充実感のほうが大きかったのではないでしょうか。
続いて、紙芝居「トビウオのぼうやはびょうきです」を発表してくれたのは、総合司会の真柴さん、下岡さん、そして、田代遥佳さんです。高校では、放送部や演劇部に所属している彼女たちの演じる紙芝居は、圧巻の一言でした。せりふの一言一言に感情が込められ、みんな自然と夢中に聞き入っていました。
《エンディング》
イベント全体で二時間、ここまでですでに一時間45分程度過ぎていますが、本当にあっという間でした。このセクションでは、子どもたちの意見をまとめ上げて作った「平和のメッセージ」を読み上げ、世界に発信する時間です。実行委員会を代表してメッセージを発表してくれたのは、三重県の三谷くん、広島県の佐々木璃彩さん、日上くんの三人です。会場全体が、本当に静かになり、しっかりと耳をかたむけていました。そして、そのメッセージはステージ上に用意されたパソコンを使って、核兵器保有国に同時送信されました。
続いて、カウントダウンとともに、完成した花形シートが登場すると、会場は大盛り上がりです。大きな鳩の形になって登場した花形シートは、会場の子どもたちのメッセージで出来上がっています。一人ひとりの思いが集まれば、大きな力になる、そのことが感じ取れた瞬間でした。
最後の最後は、もう一度「マル・マル・モリ・モリ!」を元気よく踊って、終了となりました。この日のために準備をしてきた実行委員や関係者、そして参加した子どもたち全員が、しっかりと有意義な時間を共有した2011年の「メッセージfromヒロシマ」となりました。
~海外のお友だち紹介~
≪韓国からのお友だち≫
チャン・スチュンさん(16歳)
チェ・ジェホさん(16歳)
イ・ゴウンさん(16歳)
《フィリピンからのお友だち》
マイテ・イバルダローザさん(15歳)
メッセージ from ヒロシマ 2011
いま、この瞬間にも、どこかの国で戦争やテロが起きて、多くの命が失われています。私たちの暮らしている日本も、かつてはいろいろな国と戦争をして、多くの人の命を奪い、そして多くの人の命を亡くしました。日本が戦争によって失ったものは数えきれないほどありますが、何より自分にとって大切な人を失うことはとっても辛いことです。私は自分の大切な人を戦争なんかで失いたくありませんし、誰もがみんな、誰かにとって大切な存在です。
世界には、戦争によって安心して暮らせなかったり、くすりが無いために病気で死んでしまったり、食べるものが無く苦しんだりしている人がたくさんあります。同じ人間なのに、生まれた国や地域によって生活が大きく違ったり、差別したり、されることがあってはなりません。世界の人々が助け合いったり、学びあって、みんなで仲良くしていけたらいいと思います。いまも、困っている子どもたちを支援する活動がたくさんありますが、これからもどんどん増やしていって、世界の子どもたちが平和に暮らせるようにしたいです。
私たちは原爆資料館で見て学んだことを忘れることができません。服の模様が肌に焼きついた女性の写真や、皮膚が垂れ下がった被爆者の人形、家の下敷きになって動けない人々など、それがたった一つの爆弾によって引き起こされたということに驚きました。 被爆から66年。被爆者から直接話を聞く機会もだんだん少なくなり、原爆についてよく知らない人も増えてきています。世界の人々はどうなのでしょうか。原爆が引き起こした悲惨な状態を見て感じる恐ろしさは、世界で共通です。だからこそ、世界のすべての人がヒロシマやナガサキを学び、原爆による被害や影響を知ってほしいと思います。それが核なき世界につながると、私は強く考えています。
3月11日、東日本大震災をきっかけに福島原子力発電所でたいへんな事故が起こりました。たくさんの放射能がまき散らされ、今も多くの人が避難生活を送っています。日本は原爆によって被災した国として、原爆がどれほど恐いものかはよく知っていたはずなのに、電気をつくるために必要だからと言って、たくさんの原子力発電所をつくりました。私たちは「核と人類は共存できない」という被爆者のことばをもう一度しっかり考えなければいけません。
一人ひとりが平和について考え、平和への気持ちや思いを世界に伝えていきましょう。被爆者の体験した苦しみ、悲しみ、原爆の悲惨さを伝えていきましょう。自分にできることから活動していくことで、少しずつでも戦争をする国、核兵器を所有する国を減らしていくことができるはずです。戦争を知る努力をしましょう。いじめや差別をなくしましょう。そして、戦争や核兵器をなくしましょう。 「もう戦争はいらない! 核兵器もいらない!」
2011年8月5日
子どものひろば 「メッセージ from ヒロシマ 2011」 参加者一同
※ このメッセージは、イベントのエンディングにおいて、首相官邸や核保有国の代表宛にメールにて送信しています。
子どもの広場全体のスケジュール 2011年8月5日(金)
8:00~8:30 子どもの慰霊祭
8:40~10:20 フィールドワーク
10:25~10:40 ダイイン
10:40~11:40 被爆電車
10:40~11:40 被爆のお話を聞こう
12:50~14:50 『メッセ-ジ from ヒロシマ2011』
15:05~16:40 海外のお友だちとの交流会
15:00~16:00 マイ灯ろう作り
8月5日に広島市で開かれた「被爆66周年原水爆禁止世界大会」広島大会の第2日目は、国際会議や分科会などの討議、メッセージfromヒロシマ、「さようなら原発1000万人アクション」として原爆ドーム前でペンライトを腕に、「人間の鎖」行動などを行いました。
その模様をビデオにまとめました。(約7分30秒)
連合、核禁会議、原水禁の三団体で構成される実行委員会の主催で、広島県立総合体育館大アリーナを会場に、「核兵器廃絶2011平和ヒロシマ大会」が約6,500人の参加を得て開催されました。
7月31日、福島からスタートした今年の原水禁大会は、3月11日に起こった東日本大震災・福島第一原発事故が大きなテーマとなります。原水禁の川野浩一議長は、福島第一原発事故に言及し、「原発も事故を起こせば、核兵器と同じ被害をもたらす。“フクシマ”を克服し、未来を論議しましょう」と訴えました。
熱線と爆風、恐るべき放射線により一瞬にして14万人余の尊い命を奪った原子爆弾が広島に投下されて今年で66年を迎える。今もなお多くの被爆者が放射線障害に苦しんでいる。今日、核兵器は未だに世界に約2万1千発も存在し、人類は、核兵器の脅威にさらされ続けている。
また、今年3月に発生した、東日本大震災の地震と津波により、福島第一原子力発電所において、爆発および放射性物質の漏えいが発生した。福島の原子力発電所の事故については、一日も早い収束と、徹底した事故原因の究明の中で、国民の信頼回復につとめていかなければならない。
昨年のNPT再検討会議で、核軍縮、不拡散につながる具体的行動計画を盛り込んだ「核兵器なき世界」に向けた最終文書が全会一致で採択された。
今後、核兵器保有国が、採択された行動計画を着実に実施するよう、運動を展開していく必要がある。
日本政府は被爆国として、国是である非核三原則を堅持し、「包括的核実験禁止条約(CTBT)」の早期発効や「兵器用核分裂物質生産禁止条約(FMCT)」(カットオフ条約)の交渉開始、平和市長会議が提唱する「2020ビジョン」の実現など核兵器廃絶の具体的進展に向けた積極的な役割を果たすべきである。
私たち3団体は、これからも国際労働組合総連合(ITUC)や「平和市長会議」、多くのNGOとも連携・連帯し、核兵器廃絶と世界の恒久平和実現に向けて、国内外世論の喚起に取り組んでいく。また、これまで要求してきた原爆症認定、在外被爆者、被爆2世・3世や被爆体験者などの被爆者施策の充実を強く求めていく。
「ノーモア・ヒロシマ!」「ノーモア・ナガサキ!」「ノーモア・ヒバクシャ!」
2011年8月4日
核兵器廃絶2011平和ヒロシマ大会
米国で1955年11月8日にフーバー国務長官が、ロバートソン国防副長官に充てた極秘書簡で米統合参謀本部が核兵器を日本に配備する必要があると判断した経緯を記載していることが、米公文書で明らかに。
8月4日、広島市で「被爆66周年原水爆禁止世界大会」広島大会の第1日目が開催されました。原水禁大会は7月31日の福島大会から開幕しました。
4日は、「折鶴平和行進」と、原水禁・連合・核禁会議主催の「核兵器廃絶2011平和ヒロシマ大会」が開かれました。
その様子をビデオにまとめました。(約10分)
収穫前の予備検査と収穫後の本検査を行い、1キロ当たり500ベクレルを超えた場合、政府が合併前の旧市町村単位で出荷停止の指示を出す。
金沢地裁で2006年に石川県志賀原発2号機の運転差し止め判決を出した元裁判官の井戸謙一弁護士も弁護団に参加。
新潟県平和運動センターのブログが開設されましたので、ご覧ください。
中山義活政務官(左)に要請書を手渡す祝島島民の会・山戸貞夫さん(右)
8月1日、経済産業省において、「上関町の『原発建設計画中止!』を求める署名」の提出行動が行われました。署名の提出には、上関現地や山口県内の方々を中心に、東京の市民グループからも参加がありました。2009年にスタートしたこの署名は、第一次、第二次集約を経て、目標を上回る総数1,009,527筆が集まりました。
経済産業省で行われた署名提出では、祝島島民の会の山戸貞夫さんが、中山義活経済産業大臣政務官に要請書を手渡しました。これまでになかった、大臣政務官自らの対応には、100万筆を超えた署名の重みを受け止めてもらえたかもしれないという、期待が感じられました。署名提出後は、経産省のロビーで記者会見が行われました。
その後、参議院議員会館に移動して、「上関原発建設計画中止!院内集会」が開催され、平日にもかかわらず、約60人が参加しました。原水禁山口議長の岡本博之さんの司会で、最初に山戸さんが署名提出の報告を行い、福島みずほ社民党党首、藤本泰成原水禁事務局長のあいさつに続いて、原水禁山口事務局長の大久保弘史さんから、今年2月に建設予定地である、上関町田ノ浦で海面埋め立て工事の強行以降の現地の動きや行動について報告がありました。長島の自然を守る会代表の高島美登里さんからは、パワーポイントを使って、自然豊かな上関の生物多様性について解説がありました。
福島第一原発事故以来、上関原発建設計画も行き詰まりが明らかですが、まずは新規立地を何とか白紙撤回に追い込もうという、参加者の熱気が感じられる集会となりました。
8月16日~28日には「上関原発建設に反対するキャラバン行動」が行われます。
提出行動の前に、横断幕に署名筆数を書き入れる原水禁山口議長の岡本博之さん
経産省のロビーで詰めかけた報道陣の質問に答える
経産省の正門前で記念撮影
原水禁山口事務局長の大久保弘史さん
上関の動きと山口での取り組みについて丁寧に解説
長島の自然を守る会・代表の高島美登里さん
発言には上関の自然や生物に対する深い愛情が感じられた
自民党の新藤義孝、稲田朋実衆院議員、佐藤正久参院議員ら3人が韓国竹島(独島)北西の韓国領・鬱陵島(ウルルンド)視察を目指して、ソウルの金浦空港に到着するも韓国政府が入国拒否。
●「大人」には子どもたちの未来に責任がある
福島県平和フォーラム代表 竹中 柳一さんに聞く
●原水禁・平和フォーラム ヨーロッパ視察レポート
日本にも取り入れたいドイツの脱原発政策
●さようなら原発1000万人アクションに全力で取り組もう!
「フクシマ」の今と向き合って考える
平和フォーラム・原水禁 事務局長 藤本 泰成
●《各地からのメッセージ》名物「讃岐うどん」のように粘り強い運動をめざして
香川県平和労組会議 事務局長 廣瀬 透
●【本の紹介】原発ジプシー〈増補改訂版〉被曝下請け労働者の記録/堀江 邦夫 著
福島県平和フォーラム代表 竹中 柳一さんに聞く
【プロフィール】
1951年、東京都生まれ。葛飾区役所の職員として4年間勤務後、退職して教員免許を取得。結婚を機に30歳で福島県へ移住。福島県の採用試験を受験し、中学校の英語教員となる。教員として働く傍ら、組合活動にも従事。現在は、福島県教職員組合・中央執行委員長も務める。東京の下町育ちで「(福島に30年暮らしても)下町訛りがあって、例えば今も『ヒシ』という言葉が言えません」(笑)。
――学校の教員をなさっていたということですが。
ずっと中学校で英語を教えていました。私は東京で生まれ育ち、区役所に4年間勤務しましたが、いろいろ考えて教員免許を取りました。最初に赴任したのが矢祭町に1校しかない中学校、矢祭中学校です。矢祭町は住基ネットに参加せず、「平成の大合併」のときも合併しなかったことなどで知られる町です。
最初に驚いたのは、男子生徒全員が校則で坊主頭(丸刈り)だったことです。他の教員になぜかと訊ねると「髪の毛を伸ばすと不良になるから」ということでした。30年前は福島県全体がそういう意識でした。教員としていちばん面白かったのは、その校則改正に取り組んだときです。管理教育などと一括りで言われていたのでしょうが、厳し過ぎる校則が全国的に話題になっていた頃、子どもたちと「何で坊主頭?」などと話すわけです。
校則についての学校や学年での話し合い、生徒会主催のシンポジウムなど、約一年間の活動の結果、最終的には「中学生らしい髪型」をということで、丸刈り校則は廃止されました。子どもたちが自分で考えて、自分の意見を言ったことが良かったと思います。
当時、ある女の子の言葉に感心しました。「制服は家に帰れば脱げるけれど、髪の毛は切ってしまえば、家に帰っても伸びないでしょう。何で、学校以外の時間まで規制されなければいけないのか、それはおかしい」と言い出したのです。突き詰めて言えば、これは人権問題。話し合えば、中学生がそこまで考えられるわけで、私が教育を通じていちばん喜びを感じたのはそういうことです。
――校則改正では子どもたちが一生懸命に議論をしたということですが、社会の中で原発をどうするのかという議論はほとんどありませんでした。
原発が良いか、悪いかという議論もなく、訳のわからないうちに決まるというのは、非常に大きな問題だと思います。学校のことでたとえれば、教員も自分の意見を持って物を言うわけですが、それが絶対だなんて子どもたちに思ってほしくないということです。
賛成・反対それぞれが集まって、公開討論会などをやればいいと思います。当然、賛成の人も意見を言う権利があります。それをやらずに、放射線のことも専門家が一方的に大丈夫だというわけです。しかし、インターネットを見ると危険だと書いてある。そういう人たちが一堂に会して、パネルディスカッションをやればいいのです。悪いのは、そのようなことを企画しないマスコミの姿勢だと思います。
――東京で使う電力は福島の原発が担ってきました。福島県内の脱原発運動について教えてください。
私は東京からやってきた人間ですが、原発ができる当時から、石丸小四郎さんを中心とした「福島県双葉地区原発反対同盟」の運動がありました。そういう面では、双葉地区の運動はたくさんの教訓を持っていると言えます。当初は、どこでも原発なんて反対です。でも、交付金などで懐柔されていく。こういう事態になって思うのは、原発の立地市町村の首長のことです。ごく最近も、福島ではプルサーマルが始まって、次は7号炉、8号炉の増設を求めていたのです。私が住んでいる南相馬市と合併した、旧小高町にも原発を誘致しようという動きがありました。
自治体もそうですが、そこに住んでいる人たちの生活も、その地域の経済的な仕組みの中に組み込まれています。今だって、逃げたい人はたくさんいると思います。でも、逃げるに逃げられない人が多いのです。逃げるということは、全部投げ捨てていくということですから、いわば、"難民"となって、何の生活の糧もないまま、さまようことになります。
私は東京に住んでいましたから、東京電力の電気を使っていたということになります。東京と福島に住んだ私が感じるのは福島の「豊かさ」です。例えば、東京で断水になればペットボトルの水をコンビニなどへ買いに行きますよね。でも、私が住んでいた地域なら、車で少しの場所にちゃんと安全な水場があります。地方と都市の格差、などと言われますが、生きていくための本当の豊かさはどちらにあるのでしょうか。義理の母は、今回の津波で亡くなったのですが、水田を所有していました。水田というのは、先祖から何百年も引き継がれてきたものです。原発事故は、それらを一瞬にしてダメにしました。未来に向かってだけではなく、過去までも。東京電力は、賠償金の話をしていますが、300年前の祖先に対する賠償までできるはずはありません。
「くり返すな!原発震災 つくろう!脱原子力社会 6.11集会」
福島からも多くの人々が参加した(東京・芝公園)
――原発はクリーンで安全なエネルギーと言われてきました。原子力行政における、学校教育への介入というのはどうですか。
それはあります。どこでもあることかもしれませんが、交付金などで原発のPRセンター、体験学習館が建てられます。そこに遠足へ行くと決めれば、電力会社がバスを無料で出してくれます。ほとんどお金をかけず、下手をすればおみやげまで持たせてくれます。私はやったことはありませんが、だから教員は小中学生を連れていくのです。引率した若い教員が、自分も話を聞いてきて、「あんなに頑丈な五重の壁で守られていて、それでも反対するのですか」と私に問いかけたこともあります。
そういうところへ連れて行った教員が今、どういう気持ちでいるのかを考えると複雑な気持ちになります。双葉地区の教員や組合関係者も避難しています。もっと反対運動をきちんとやれば良かったと後悔していますが、親が原発で働いている子どもに向かって、原発は危険だと言えるかどうかという、つらい面も抱えています。
――福島第一原発事故が契機となって「さようなら原発1000万人アクション」がスタートしました。今後の運動への思いを聞かせてください。
私たちの世代は戦争が終わって、高度経済成長の時代を生きてきて、今は退職の年齢です。その結果がこれなのかという思いがあります。原発に反対していたから良い、推進していたから悪いということではなくて、私たちは「大人」として、罪悪感のようなものを持つべきだと思うのです。未来に向かって責任があると感じます。原発事故による「負債」は、借金を重ねていくこととはわけが違うのです。
ある中学生が、今回の事故を受けて原子力について勉強してみたら、とんでもないことだと気付いて、「放射能まみれの土地を残すのか、そんなこと頼んだ覚えはない」と言いました。それに対して、私たちは一言も返す言葉がありません。死ぬまで言い続けたり、行動したりしなければいけないという気持ちを持つのが当然です。
福島は脱原発、これからはエネルギー政策転換の先進的なモデル地区をめざさなければなりません。このまま、汚されっぱなしでは収まりません。今でも多くの子どもたちが県外へ避難しています。未来を担う子どもたちがいなくなるということの意味を深刻に考え、社会を変えたいと思います。
〈インタビューを終えて〉
昨年6月、10周年を迎えた福島県平和フォーラムは、福島原発問題、特にプルサーマル計画反対運動を全国の最先頭で闘ってきました。東京出身、福島在住の教員であった竹中代表には、ご自分の半生を振り返りながら「こどもたちに何を残すべきか、何を残してはいけないのか」と言う立場から原発問題の本質を語っていただきました。
原発事故の収束の目処がつかない中、「福島から子どもがいなくなることは、福島の未来が無くなること」と語る言葉を受け、脱原発の重みを胸に刻む思いでした。
(藤岡 一昭)
原水禁・平和フォーラム ヨーロッパ視察レポート
日本にも取り入れたいドイツの脱原発政策
今年1月に原水禁エネルギー・プロジェクトとして「持続可能で平和な社会をめざして」とする脱原発に向けたエネルギー政策の転換を訴える政策提言をまとめました。これは政権交代を機に民主党を中心とする政権に対して政策を提言し、実現をめざそうと、書籍「破綻したプルトニウム利用──政策転換への提言」(緑風出版・2010年7月)に続いてまとめたものです。3月11日の東日本大震災に伴う福島原発事故を受けた今、まさに具体的な方向性が求められています。
そのことを背景に原水禁・平和フォーラムでは、5月24日から6月1日にかけて、脱原発を政治選択したドイツを訪れ、制度・政策を学び、それを日本でどう活かせるかを考えました。合わせて、古くから核軍縮を取り組み、原水禁とも交流の深いイギリスの反核・平和団体「核兵器廃絶キャンペーン」(CND)を訪問しました。
各国の政策に影響を与えた福島原発事故
ドイツでは、1998年に誕生した社会民主党と緑の党の連合によるシュレーダー政権が、温室効果ガスを1990年比で2030年までに40%以上削減し、2050年までに80%以上削減するという、非常に野心的な政策を打ち出しました。そして、それに基づくエネルギーシナリオを発表し、その中で原発を削減しながら、再生可能エネルギーの普及を推進することとしていました。
2002年に施行された「改正原子力法」では、原発の新設はせず、運転稼働中の原発も運転開始から32年経過したものから順次廃炉にし、2020年前半には全ての原発を廃炉にする政策を選択しました。その結果、現在では旧・東西ドイツの原発両方を合わせて27基あったものが、17基まで減りました。
しかし、2009年に誕生したキリスト教民主同盟と自由党の保守連合政権のメルケル政権では、2010年に原発の運転期間を、それまでの32年から旧型原発については8年延長して40年とし、新型原発については15年延長して47年とすることを閣議決定するなどの政策の後退が進められようとしていました。しかし、福島原発事故を受けて、延長方針が凍結されました。
福島原発事故は、その後もヨーロッパ各国の政治にも大きな影響を与えました。今年3月27日に実施されたドイツ・バーデン・ビッテンベルク州議会で緑の党が躍進し、社会民主党との連立政権で初めて州の首相を誕生させました。その後のイタリアの脱原発国民投票にも大きく影響し、スイスも脱原発を選択するなど大きな衝撃を与えました。
「環境首都」と呼ばれるフライブルグ市。ヴォーバン地区は90年代
後半以降につくられたエコタウン
再生可能エネルギー100%をめざすフライブルグ
最初に訪れたフライブルグ市の中に、「持続可能なモデル地区」がありました。その地区「ヴォーバン地区」の様子については前号の記事「ヨーロッパ・自然エネルギー調査に参加して」に詳しく報告されています。ここでは、フライブルグの緑の党とエコロジー研究所への訪問について報告します。
フライブルグ市の緑の党は、市議会議員46人中13人を占め、連邦議会へ1人、欧州議会へも1人を輩出しています。その組織は、70年代、80年代の反原発運動が基盤になっていると言います。まさにしっかりした「運動」を背景に、議会への足がかりを得ています。
そして、今回の福島原発事故が脱原発政策を後押しし、「原発は嫌だ」というドイツ国内の世論を決定的にしたと言えます。そのことは保守層の強いと言われているドイツ南東部の同州の4月の選挙で、24%以上の得票をあげ、バーデン・ビュルテンベルク州の首相を同党から出すことになったことにも結びついています。エネルギー政策では、様々なエネルギー資源を活かすネットワークを活用し、2020年までに脱原発を実現させたいと話していました。
同市内にあるエコロジー研究所も、原発反対運動を背景に生まれました。1993年に設立され、ドイツをはじめ欧州の100名以上の科学者が関わり、運営されています。フライブルグのエコ研究所は、気候やエネルギーを中心に研究を進めています。「反原発運動」から出発して、新しい運動へとつながっていったのです。
一人ひとりの市民が動くことでエネルギー革命を起こし、市民の意見を行政につなげる取り組みとともに自治体として、再生可能エネルギー100%の自給をめざす取り組みが進められています。それはドイツ全土へと広がっています。さらに、再生可能エネルギーをビジネスや産業に活かす取り組みもなされ、2009年には経済界などを中心にその連盟が設立されるなど、NGOとして進める運動の幅がとても広いことが伺われました。
約2万人が参加したベルリンでの脱原発デモに視察団も参加(5月28日)
趣向を凝らしたデコレーションが目に付いた(同上デモ)
核廃絶をめざす緑の党や英・CND
フライブルグからベルリンには鉄路で向かいました。途中幾度となく車窓から、なだらかな丘の上に立つ風力発電用の風車が見えました。ベルリンでは緑の党の国会議員を中心に訪問し、議論を重ねました。まず驚いたことは、学生の国会議員がいたことです。スタッフも20代、30代という若い世代が参加していて、政治や政策にかかわっていました。日本とは違い、政治との距離が若い人にとって、身近なものなのかもしれません。
そのことは、ベルリンで参加した反原発デモでも感じたことでした。デモには年輩者もたくさんいましたが、若い人たちが思い思いのスタイルで、自由に参加していたのも印象的でした。参加した現地のデモは約2万人。日本から来た私たちの隊列は持参した横断幕とともに注目を集めていました。
そのベルリンでの緑の党との交流では、原発問題だけでなく軍事問題なども意見交換をしました。核兵器問題では、もちろん核兵器廃絶の立場で、核保有国に対して主張していくと言います。2009年のオバマ米大統領による核廃絶に言及した「プラハ演説」には希望があったけれど、北大西洋条約機構(NATO)の政策の中には、核軍縮がいまだ反映されていないのが現状であり残念である、と述べました。さらに、ドイツの徴兵制の廃止は緑の党の主張であり、市民レベルでどのように平和をつくるのか、議論が現在も続いているという話もありました。
エネルギー政策についても、先のフライブルグと同じように、反原発運動が党の支持基盤でもあり、現在のメルケル首相の脱原発へのスピードが遅いとして、今後どのように交渉していくのかが問題だとする発言がありました。
また、一方で福島原発事故以降、緑の党への信頼が増していると言います。まさに「フクシマ」が与えた影響は、私たちが考える以上に世界に広がっていることを実感しました。今夏の原水禁世界大会には、緑の党の副代表であるべーベル・ハーンさんが参加することになっています。
一方、イギリスの「核廃絶キャンペーン(CND)」と原水禁は、長年交流を続けてきました。イギリスではドイツほど脱原発運動は強くなく、福島原発事故を契機に運動の強化を図りたいと述べていました。
CNDの運動の中心の一つに、原子力潜水艦の廃棄の運動があります。イギリスの原潜は古く、維持管理にも多額な資金が浪費されているとのこと。さらに、冷戦が終結した今、核技術はアメリカに依存したままで、その存在意義が問われていると説明がありました。イギリスにとっては、「脅威」がどこにあるのかはっきり見ることができないのです。ある意味で、五つの核兵器保有国の中ではイギリスが、いちばん核廃絶に近いのではないでしょうか。そんなことを考えながら、帰国の途につきました。
さようなら原発1000万人アクションに全力で取り組もう!
「フクシマ」の今と向き合って考える
平和フォーラム・原水禁 事務局長 藤本 泰成
「日本で最も美しい村」に放射性物質が
「地元のサクランボの観光農場の経営者が観光客の激減を悲観して自死をはかった」と福島で聞きました。畜産農家や野菜農家の自殺も新聞報道で聞いていました。福島原発事故によって、一体どのくらいの命が失われていくのでしょうか。暗澹たる思いにとらわれます。
同時に、福島県産の肉牛から高濃度の放射性物質が検出されたと聞きました。福島県産の肉牛は出荷停止になるのでしょうか。出荷した生産者は、「飼料がこれほど汚染されていたとは知らなかった。本当に申し訳ない」と答えています。謝らなければならないのは誰か。いつのまにか、福島県民は被害者から加害者に変わろうとしています。どのような悲劇が「フクシマ」を覆っているのでしょうか。
被災の後、4月8日に福島県飯舘村を訪問しました。緑深い森とその中に点在する水田、のどかな懐かしい風景がありました。しかし、今そこには誰もいません。福島原発の水素爆発による放射性物質は、海からの東風に乗って大量に飯舘村に降り注ぎました。私たちが持ち込んだ旧式のガイガーカウンターはバリバリと異常な音を立て、見えない放射能の恐怖が頭をよぎりました。結局、飯舘村は4月25日に計画的避難地域に指定されました。
飯舘村は市町村統合にも参加せず、「日本で最も美しい村」連合に加盟し、地域資源を有効に利用することで村の活性化を図ることをめざしていました。村振興公社が飼育する約3,000頭の肉牛は「飯舘牛」のブランドで軌道に乗り始めていました。全ての努力が水泡に帰した村民の失意はどれほどでしょうか。「フクシマ」の復興には、東京電力・政府が全責任を負っていることを忘れてはなりません。
これ以上原発に依存できない
放射性物質が、どれほどの範囲でどれだけ拡散したのか、そしてそれは私たちの生活にどのような被害をもたらすのか、何もわかっていません。そして、東電・政府は、何も的確な指示を出せないでいます。結局、事故後の対策は何も計画されていなかった、そして、放射性物質そのものを何らかの形で制御するような技術も持ち合わせていなかったということではないでしょうか。
「事故は起きない」と言う幻想以外、何も持ち合わせていなかったのです。そのことが「フクシマ」の悲劇なのです。人類はその起源に「火」を利用しました。消火という技術があればこその火の利用です。しかし私たちは、放射性物質を消すことの技術なしにその利用に走り、取り返しのつかない災害を生んでいるのです。
政府は、復興基本方針の原案に東日本大震災の被害地を自然エネルギーの拠点にすることを盛り込みました。原子力発電所がもたらした今回の災害を考えるなら、人に優しい自然エネルギー中心へとシフトすることは当然です。採掘から、高レベル廃棄物の処分まで、放射線と闘うことを余儀なくされ、しかもその制御技術が確立されない中で、これ以上原発に依存する社会を続けることは、人間存在そのものからも許されない行為と言わざるを得ません。そのためには、成長神話を支え続けるためのエネルギー大量消費の社会から脱却しなくてはなりません。
全国集会と1000万人署名に力を結集しよう
いまだ、日本社会は経済成長こそが豊かさを支える唯一の道であるとして、原発の廃止が経済成長を止め、日本社会を崩壊に導くような主張がくり返されています。そしてそのことが、安全性をないがしろにしてさえも、再稼働の道を開く主張となっています。私たちは、「フクシマ」の現在に向き合わなくてはなりません。一人ひとりの命に向き合わなくてはなりません。
私たちは、大江健三郎さんや鎌田慧さんら9人の呼びかけに応じ、9月19日に5万人規模の全国集会(東京・明治公園)と「1000万人署名」を中心にした「さようなら原発1000万人アクション」に、組織の全力をあげて取り組むことを決意しました。大きな悔恨を持って「フクシマ」を見つめなくてはならない私たちこそ、全力での取り組みで社会を動かすことが求められています。今同じ思いでいる多くの市民と、そして「フクシマ」と連帯し、全ての力を結集して「持続可能で平和な社会=脱原発社会」をつくろうではありませんか。
6ヵ国協議の合意が破棄される状況
今年の原水禁世界大会・国際会議は核兵器問題が中心ではないので、あまり語られる機会が少ない朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核問題について、昨年来の動きを検証しながら考えたいと思います。
昨年1月1日の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」など北朝鮮の主要新聞が、米国との「敵対関係終息」「対話と交渉」などを強調した共同社説を掲載しましたが、米国は反応しませんでした。さらに2月28日~3月10日(一部は4月30日まで)にかけて、米韓は大規模な米韓合同軍事演習を実施しました。この軍事演習中の3月26日に韓国哨戒艦・天安(チョナン)沈没事件(乗組員46名が死亡)が発生します。韓国政府は北朝鮮の魚雷攻撃によるものだと結論付けましたが、北朝鮮は沈没事件に一切関与していないと表明しました。「天安」沈没には多くの未解明点が存在しているにもかかわらず、韓国は金泰栄(キム・テヨン)国防相が11月22日に国会で「撤去された在韓米軍の戦術核兵器を再配備」する可能性に言及します。
さらに11月23日、韓国軍が北方限界線近くで砲撃演習中に、北朝鮮軍が延坪島(ヨンピョンド)に砲撃。韓国軍兵士2人、民間人2人が死亡する事件が発生します。北朝鮮は11月30日、朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」でウラン濃縮を公式に報じるなど、08年まで続いた6ヵ国協議合意事項がことごとく破棄される状況に至りました。
中国はこうした緊張激化を心配し、6ヵ国協議再開を再三提案していますが、日米韓三国が受諾しない状況が続いています。
パキスタンに見る北朝鮮の核ミサイルの状況
これまで米国が北朝鮮の訴えかけに応じてこなかった理由の一つに、北朝鮮の核ミサイルが米国を脅かすことは当分ないだろうという認識がありました。しかし今年に入って、米国の認識は変化してきます。まず、1月上旬に訪中したゲーツ国防長官は、「北朝鮮は米国の直接の脅威」と語りました。1月26日に行われた国防総省の定例記者会見でも、モレル報道官が「北朝鮮の核兵器、弾道ミサイルの開発は、5年以内に米国の脅威になる」との見解を述べます。
北朝鮮のミサイル開発の状況は、具体的には明らかでありませんが、パキスタンの核ミサイル開発が参考になるでしょう。
パキスタンでは、中国と北朝鮮の技術協力を受けて「ガウリ」「シャヒーン」の二種類の短距離、中距離の核ミサイル開発を進めてきました。とくに中距離弾道ミサイル、シャヒーン・シリーズは、大幅な進捗を見せていて、今年中にはシャヒーンⅢロケットを完成させ、人工衛星を打ち上げるのではないかと言われています。パキスタンは、アフガン戦争で米国と協力関係にありますが、北朝鮮との関係も続いており、ミサイルの情報もある程度共有されていると考えるべきでしょう。
北朝鮮北西部のトンチャンリ(東倉里)に新しいミサイル発射台も完成したと考えられており、北朝鮮も人工衛星を打ち上げる可能性は大きいと言えます。人工衛星発射が成功したからといって、ミサイルに重い核弾頭が搭載できるかは別問題ですが、ミサイル技術の発展は、投射重量(どれくらい重い弾頭を発射できるか)を大きくすることにもつながります。
中国・北朝鮮VS日・米・韓対立構造の危険
こうした状況を変えていくことができるのは、現在ではオバマ政権しか存在しません。しかしオバマ政権は、昨年発表した「核態勢の見直し」の中で、北朝鮮への核攻撃の可能性に言及しています。これは、米国から北朝鮮を攻撃しないと明記した05年に、6ヵ国協議で採択した「5・19共同声明」を否定する内容でもあり、オバマ政権の北朝鮮核問題解決への真剣度が問われています。
オバマ政権では7月1日から、国防長官にレオン・バネッタ元CIA長官が就任します。これまで、国防総省とオバマ大統領との対立が伝えられていましたが、新長官の就任で、北朝鮮問題にオバマ色が出せるかが注目されます。
北朝鮮は日本海側に面した北東部のラシン(羅津)港・第一埠頭を、中国と10年の賃貸契約を結んで以来、中国との貿易量が急速に拡大しており、それは一方で中朝関係がより強固になったことを意味します。
日本は現在、政治は機能不全、外交政策なしという中、軍事的には米国の言いなりという状況が続いています。韓国も右バネばかりが目立ちます。このまま推移すれば、東アジアで中国・北朝鮮対米・韓・日という対立構造がつくられる危険性があります。これは軍産複合体の望む姿でしょうが、これだけは私たちは避けなければなりません。
《各地からのメッセージ》
名物「讃岐うどん」のように粘り強い運動をめざして
香川県平和労組会議 事務局長 廣瀬 透
3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
香川県平和労組会議は、22の産別・単組から構成され、約14,200人の組合員で結成されています。私たちは平和と民主主義を守り、そして、安心して暮らせる社会を求めて、平和憲法の改悪阻止の運動をはじめとする平和・人権運動を大きな柱に、地域運動や国民運動、環境を守る運動の前進をめざして、取り組んでいるところです。
現在、日本政府は、原子力空母の横須賀母港化や沖縄をはじめとする全国各地の米軍基地再編問題によって、東北アジアの緊張を高め、平和から遠ざかっていくような政策を進めています。こうした課題では、「護憲香川県民連合」(護憲香川)の中心的組織として、毎年4回憲法講座を開講するなど、県内での反戦平和の気運を高め、全国に発信していく運動に取り組んでいます。
また、脱原発課題では、今回の福島原発事故で不安が高まっているとして、6月2日、香川県平和労組会議など四国4県で組織する四国ブロック平和フォーラムは、伊方原発が設置されている愛媛県と四国電力
に対し、伊方原発3号機のプルサーマル運転再開中止や自然エネルギー中心の政策への転換などの申し入れを行いました(写真)。県や四国電力は、電力の供給問題などを理由に、「運転停止や廃炉という選択は現実的ではない」との否定的な態度を示しました。私たちは「伊方で福島のような事故が起これば四国全体に放射能の影響が及ぶ」「想定外の事態が起きることをもっと重く受け止めるべきだ」と強く主張してきました。
「さよなら原発1000万人アクション」では、香川でも10万筆を超える署名集約が求められますが、組合員一人ひとりが、自ら戸別訪問や街頭に出て、本気で脱原発を訴えないと、達成できない数字であることは明確です。香川県の名物である「讃岐うどん」のように長くて腰のある粘り強い運動が求められます。全国の仲間の皆さんとともにエネルギー政策の転換に向けて取り組もうと決意を新たにしているところです。全国の仲間の皆さん、共にがんばりましょう。
【本の紹介】
原発ジプシー〈増補改訂版〉
被曝下請け労働者の記録
堀江 邦夫 著
3月11日の事故発生以来、福島第一原子力発電所の状況を伝えるニュースには、常に「協力会社」という、耳慣れない言葉が混じっていました。事故現場の最前線で連日奮闘しているのは、当の東京電力の社員ではなく、「協力会社」=下請け会社から派遣された作業員でした。
本書は1979年に刊行され、「科学技術の結晶」たる原子力発電の実際が、どのような労働によって支えられているのかをまざまざと描き出し、大きな反響を呼びました。しかしその後永らく絶版状態にあり、今回の事故をきっかけに加筆修正の上、再刊されたものです。
メディアに氾濫する原発推進側からの圧倒的な情報量の中で、原発の〈素顔〉が見えなくなっているのではないか。いらだちを覚えた筆者がとった手段は、自身が下請け労働者として現場で働くことでした。美浜、敦賀、そして福島第一原発。各地を転々としながら原発の姿をつかもうとします。
身を守る上で大切な防護マスクすら、その暑さ、息苦しさゆえに外してしまいたくなる、過酷な労働環境。のみならず、下請け労働者と正社員との差別が、職場には徹底的に貫かれています。「あの機械(放射能検査装置)は使えないの?」「いや......、別に故障しているわけじゃないんだけど、あれは社員専用なんだよ」「社員用?」「そう、東電の社員が使うために置いてあるんだ」(本書159ページより)。
いまなお、技術の発展によって「安全な原発」なるものが実現し得るなどという幻想から自由ではない人々がいます。原発というものが「被曝労働」という、労働者の命と健康を削り取ることによってしか成り立たないという現実から、私たちは出発する必要があるのではないでしょうか。
「ジプシー」という言葉の使用については議論が分かれるところですが、そのことも含め、しっかりと考えてなくてはならない内容を提起している、歴史的な著作です。 (山本 圭介)
「瀬戸内の原発予定地しづかなり海ゆく鳥の啼きかはす声」(山口:宮田ノブ子さん)。
7月10日、原発立地県会議の翌日、新山口駅から新幹線に乗って開いた"毎日歌壇"掲載の短歌。山口県上関町長島に建設予定の中国電力・上関原子力発電所を歌っている。上関原発の建設工事は、今年に入って埋め立て準備工事が強行され、多くの台船と30年もの長きにわたって反対する祝島住民の漁船との対峙が続いた。陸上でも工事関係者や警備員と反対の市民とが睨みあった。その最中に福島第一原子力発電所の事故が起こり、世論は一変した。上関原発建設予定地の周辺自治体議会は、原発工事の凍結を求める決議を上げ続けている。賛成派も反対派も同様のことである。祝島の山戸貞夫さんは「凍結と言う言葉はしばらく様子を見ようとの意味で、原発建設をあきらめると言うことではない」と言う。中国電力は一旦楽屋に戻っただけで、上関原発是非の劇は幕間なのだと。
原発予定地は、祝島の対岸、目と鼻の先である。縄文の古代から人の営みがあった。連綿と瀬戸内の自然の恵みを享受しながら生きてきた歴史があった。祝島も同様である。漁業補償を誰も受け取らず30年の長きにわたって反対を続ける祝島住民たち。原発は、祝島の営みそのものを否定してしまうと考えてのことか。
安全だとして再起動を要請したはずの政府は、突如原発のストレステストを実施するという。いち早く再起動に同意した佐賀県知事と玄海町長は、政府の姿勢に憤っている。これといった産業が見当たらない玄海町にとって、原発の運転停止は自治体財政のひっ迫を招く。原発依存という罠に落ち込んだ自治体にとって、今回の事故は自治体の存続そのものを問われている。
原発建設がストップした柏原重海上関町長は、「原発によらない町の産業振興も考えねばならない」との趣旨の発言を行ったと聞く。辺野古の新基地建設に反対して当選した稲嶺進名護市長は、基地交付金のよらない市財政の確立をめざしている。両者に違いはない。
脱原発は、脱成長なのだ。震災復興を含めて、日本社会のあり方を根本から見つめ直すことが大切ではないか。自然と寄り添うのか、命と寄り添うのか。いや、まだ豊かさを求めて成長を続けようと競争しあうのか。残された時間は多くない。
福島市で開かれた「被曝66周年原水禁世界大会」の関連企画として、8月1日に震災と原発事故に直面している南相馬市などの被災地の視察や、桜井勝延南相馬市長との意見交換のフィールドワークを行いました。
海に近い地域では、一面が大津波に襲われ、いまだに倒壊したままとなっている家々や、ようやく復旧作業に取りかかった現場を見ながら、津波の恐ろしさを実感しました。また、放射線の線量計で計測していくと、特に飯舘村では相当に高い数値が出ました。そのため飯舘村は避難地域とされ、無人となった集落や、荒れ果てた田畑が続いていました。周辺の自治体とのあまりの格差に参加者は言葉を失っていました。
桜井市長との意見交換は南相馬市内で行われました。桜井市長は原発事故での政府の対応を動画投稿サイト「ユーチューブ」で批判、世界に支援を訴え、米誌のタイムで「世界で最も影響力のある100人」に選ばれています。
桜井市長は「私も広島の原水禁大会に参加の経験がある」とした上で、「震災直後の情報不足の中、3月15日に私が市民に避難を呼び掛けた。国からの連絡はその後だった。7万1千人の住民のうち、6万人が避難した。その後、戻った人も多いが、いまだに3万人が離れている。この夏休みのうちに2千人の子どもが転校する予定だ。その人達はいつ戻れるかと苦しんでいる」と、厳しい現実を語りました。
その上で、原発推進のこれまでの政策を批判し、「原発は安価でもクリーンでもない。先日の東京電力の株主総会で、自治体で脱原発への転換を主張したのは南相馬市ともう一つの市だけだ。福島県もまだ転換していない。学校教育の中でも放射能の恐ろしさを教えていない」などと、政府や自治体、さらにマスコミの対応も批判しました。
参加者からは、「市長の姿勢に感銘を受けた」「南相馬市を先頭に脱原発の都市宣言を全国的に進めてはどうか」「原発災害の補償は政府の責任でやるべきだ」などの意見が出されました。(写真左は20㎞圏の立ち入り禁止区域の地点、右は桜井・南相馬市長)