「福島から声を上げ、大きな行動に結びつけていこう!」-「被爆66周年原水爆禁止世界大会」は、福島原発事故を受けて、7月31日に初めて福島市で開催されました。福島県内をはじめ、全国から850人が参加し、「フクシマ」をスタートに、脱原発を実現をめざすことを確認しました。(写真は超満員となった会場)。
主催者を代表し、川野浩一大会実行委員長(原水禁議長)は「私たちはこれまで『核と人類は共存できない』と、原発にも反対して長く運動をしてきたが、今日の事態を招いたのは、その力が及ばなかったからで、残念でならない」とし、「広島・長崎の被爆者は66年間闘ってきたが、それがこの福島でも始まる。ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ、そして『フクシマ』の声をあげていこう」と呼びかけました。
地元の福島県実行委員長の竹中柳一さん(福島平和フォーラム代表)は、「原発から40㎞も離れた飯舘村では食べ物を生産できない大地が広がっている。これ以上、ヒバクのある世界を作ってはならない」と訴えました。また、大会の基調を藤本康成事務局長が行い、「今年の大会は福島を皮切りに、広島、長崎、そして沖縄大会へと続けていく。それは原発も基地も合意なき『国策』として地方に押しつけ、一人一人の命を軽んじてきたからだ。再びヒバクシャをつくらないという原点に立ち返って運動を広げよう」と提起しました。
福島現地の報告を、原発建設当時から反対してきた双葉地方原発反対同盟の石丸小四郎さんが行い、「県民は病み苦しんでいる。学校の校庭では高い線量の放射能があり、子ども達に押しつけている。農業者などの自殺者も増加している」と、切実な実態が語られました。
ノンフィクション作家の鎌田慧さんが「原発体制を越えて、人類の未来へ」と題して講演を行い、「どうして福島に東京電力の原発が作られたのか。中央が東北へ押しつけたからだ。これまで原発が作られた所は、反対運動が負けてきた所だ。原発は巨大な利権でできている。しかし、その危険性と、何万年もかかる廃棄物処理を考えると、コストは膨大だ。もう世界は脱原発に転換している。私や大江健三郎さんなどが呼びかけている『さようなら原発1000万人アクション』の署名や9月19日の5万人集会に参加してほしい」と呼びかけました。
「ふたたびヒバクシャをつくるな!」とする連帯メッセージでは、長崎で原爆を被爆した奥村英二さん(長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会事務局長)が「福島を含めて全てのヒバクシャの健康管理に国の責任を求めるべき」と述べ、1954年にビキニ環礁でヒバクした大石又七さん(元第五福竜丸乗組員)も「マーシャル諸島の島民はいまだに甲状腺ガンを発症している」と、内部被曝の危険性を指摘しました。また、ロシアから来日した、チェルノブイリ原発事故の被災者支援をするアントン・ブドビチェンコさんは「今も被害が続いているが、事故が風化しようとしており、語り継ぐための博物館を建てた。これからは福島の皆さんとも協力していきたい」と話しました。
最後に「豊かな自然とすこやかな『命』を守るために、ここ福島から声を上げ、大きな行動に結びつけていきましょう」と、福島大会アピールを採択して終了しました。原水禁大会は4日から6日まで広島、7日から9日に長崎、11日に沖縄で大会が開かれます。
2011年7月アーカイブ
「『ノーモア・フクシマ』を合い言葉に脱原発に動きだそう!」-7月31日、福島市「街なか広場」を会場に、「放射能のない福島を返せ!原発のない福島を求める県民集会」が、福島県平和フォーラム主催で開催されました。時折、雨が降る中にも関わらず、会場一杯の1700人の参加者が全国から集まり、集会とデモ行進を行いました。
主催者あいさつに立った福島県平和フォーラムの竹中柳一代表は、「3月11日以来、福島の多くの人々は不安と苦しみの中に立たされている。私の住む南相馬市では今も3万人が故郷を離れている。原発がもたらす悲劇を身をもって証明してしまった。私たちの責任は原発のない福島を取り戻すことだ」と、力強く訴えました。連帯あいさつで、原水禁国民会議の川野浩一議長も「震災は天災だが、原発事故は人災だ」と、全国の原発反対を呼びかけました。
現状報告では、高濃度の放射性物質を検出し、計画的避難地域に指定された飯舘村の青年を代表し、佐藤健太さんが「村の女子高生が『将来、子どもが産めるのか』と悩んでいる。避難で村民がバラバラになってしまったが、『負まげねど飯舘!』を作って、放射能汚染の責任を問い、事故を風化させないように活動したい」と述べました。また、浪江町が警戒区域になって、南相馬市に避難している教員の吉田博正さんも、「通勤の負担は増え、妻は失業し、子どもは学校に通えない。原発事故の被害者は、私たちで終わりにしてほしい」と切実に訴えました。さらに母親の立場から、郡山市の松本徳子さんは「中学生の娘を東京の妹の所に預けている。しかし、避難できない子どもも多い。健康が心配でならない」と、涙ながらに報告しました。
今後の福島県での運動の提起を原利正・福島県平和フォーラム事務局長が行い、自治体での「脱原発」に向けた意見書・決議の採択、全国1000万署名とともに、独自に「福島県民の命を守りふるさとを取り戻すための署名」運動を行い、さらに、来年の3月11日の1周年に大規模な取り組み企画を提起しました。
最後に「『ノーモア・フクシマ』を胸に刻み、私たちは新たな時代を福島の地で切り開きます。世界の先駆けとなる福島をつくります。そのために、みんなの力を結集しましょう」と集会アピールを確認しました。
集会後、参加者は福島駅前などを通るデモ行進を行い、「福島に原発はいらないぞ!」「子ども達を放射線から守れ!」「県民の生活と仕事を守れ!」などとシュプレヒコールや、手作りのプラカードを掲げてアピールしました。集会には、韓国、台湾、タイ、インドなど、アジア各国からも活動者が参加しました。
(写真左は集会会場、右はデモ行進の様子)
8月6日・広島、8月9日・長崎の原爆投下から66年。「被爆66周年原水爆禁止世界大会」が、今年は3月11日の福島第一原発事故を受けて、福島市でスタートし、辰巳屋ホテル・ホールを会場に開催されました。また、大会に先立って、市内「街なか広場」では県民集会が行われ、約1,700人の参加者を得て、「原発はいらない」「放射能のない未来を」と訴え、デモ行進を行いました。
9日までの大会期間中はその都度、ビデオや写真などの報告を掲載し、大会終了後にも詳細な報告をアップロードいたします。
被爆66周年原水爆禁止世界大会・福島大会アピール
2011年3月11日、岩手、宮城、福島を中心とする東日本一帯を襲った巨大地震は、多くの命と生活基盤を根こそぎ奪い取る未曾有の被害をもたらしました。震災で犠牲になられたかたがたにあらためて哀悼の意を表します。
この震災によって太平洋岸に点在する原子力発電所も地震と津波によって多くの被害を受けました。特に福島第一原発の事故は、電源喪失、メルトダウン、水素爆発などを通して莫大な放射性物質を東日本全体にばらまきました。特に福島第一原発の地元である福島県民の生活環境や農畜産物などを広範囲に汚染しました。そしていまも事故は収束に至っていません。収束に向けた取り組みは長期にわたるものと推測され、その間さらに多くの甚大な被害が拡大されようとしています。私たちは一日も早い事態の収束を求め、東京電力・政府関係者のさらなる努力を強く要請します。
私たちは、これまで地震や津波の被害が常に予想される日本における原子力発電所の立地の危険性を強く訴えてきました。しかし日本の原子力発電所は安全であるとして、政府・東京電力は一顧だにしてきませんでした。経済成長政策万能の考え方から経済効率を優先し、安全性をないがしろにしてきた責任は重大です。脱原発の運動に取り組んできた私たちは、今回の事態をふせげなかったことに、強い責任と憤りを感じざるを得ません。
今必要なことは、放射能汚染の実態や事故原発の現状に関するきちんとした情報公開、避難を強いられている方々の生活保障、地表からの放射性物質の除去そしてヒバクを最小限に抑える施策などに私たちは全力を挙げて取り組んでいくことを誓います。
福島第一原発事故は、チェルノブイリ原発事故と並ぶ原発史上最大級の事故となりました。ヒロシマ・ナガサキから66年、チェルノブイリ原発事故から25年、私たちはこのフクシマから立ち上がらねばなりません。放射能被害の下で「健康」や「生活」への不安、差別と偏見を断ち切らねばなりません。これまで私たちは「核と人類は共存できない」として、核兵器廃絶とヒバクシャ支援、脱原発の運動を進めてきました。今、あらためてその運動の質が問われています。「フクシマ」の現実とどう向き合っていくのかが、私たちの大きな課題です。「フクシマ」をスタートとする運動の構築を模索していきます。
今年の被爆66周年原水爆禁止世界大会は、ここ福島大会を皮切りに、広島大会・長崎大会そして沖縄大会と続けていきます。原発も基地も戦争も、合意なき「国策」として、私たち一人ひとりの「命」を軽んじてきたのです。もうこれ以上「命」が粗末にされてはなりません。豊かな自然とすこやかな「命」を守るためにここ福島から声を上げ、大きな行動に結び付けていきましよう。 私たちは「核」に負けてはいけません。故森瀧市郎原水禁初代議長の「人類は生きねばなりません」の言葉をもう一度噛み締めましょう。
2011年7月31日
被爆66周年原水爆禁止世界大会・福島大会
原水禁世界大会福島大会基調提起
原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成
今ここに立って、あの3月11日の東日本大震災の甚大な被害と家族を失った方々が悲しみを思うと胸がつまります。亡くなった方々のご冥福を祈ります。
また、津波のよる被害と、現在進行中の福島原発事故によって、避難生活を余儀なくされている方々のご苦労に、心からお見舞い申し上げます。
原水禁は、この未曾有の「福島原発事故」という事件に際して、原水爆禁止世界大会を、この地から始めることとしました。今日は、延期されていた選挙当日、また事故の収束が見えず放射性物質の汚染によって避難生活が続く中での開催、「フクシマ」のみなさんには本当に力を尽くしていただきました。心から感謝申し上げます。
この間のニュースで、プルサーマル計画の推進に際して、原子力の安全を守るはずの安全・保安院が、国主催のシンポジウムに「やらせ」を依頼していたことが明らかになりました。いかに推進と規制が癒着して、安全がないがしろにされてきたのか、この一つの事実で、十分理解できるものです。
「フクシマ」の事故は、明らかな人災であり事件です。東京電力は、想定外とされている津波だけではなく、想定の中にあった地震によっても甚大な被害があったことを隠し続けています。事実が明らかになれば多くの原発を止めざる得ないからです。
「フクシマ」の事故の収束が見えない中で、経済産業大臣は玄海原発の再稼働を要請しました。戦後一貫して日本社会を覆ってきた「経済優先」「成長優先」の考え方から抜け出せない政治のあり方が見えてきます。その考え方「経済優先」が、原発の安全性をないがしろにし「フクシマ」の事件を起こしたことを全く顧みるものではありません。
政府・東電は、今、すべての情報を明らかにすべきです。原発は現在どのような状況にあり、どのような危険が今後考えられるのか。放射性物質による汚染はどのくらいの規模でどこまで広がっているのか。きちんとした情報を提供することを基本にして、その上で放射能による被害を最小限に抑える努力に全力を挙げるべきです。
確かな情報の中で、福島県民が自分自身の判断でそれぞれが選択した生活ができるように、明確な支援を政府は行うべきです。
原水禁は、「フクシマ」のみなさんの意見をもとに、政府交渉を行うとともに「線量計を送ろうカンパ」などにもとりくんできました。政府・東電の責任を明確にし、今後も事態の収束に向けて「フクシマ」のみなさんとともにとりくんでいきます。
戦後の日本社会は、米国の支配の下、高度経済成長政策を続けてきました。原子力発電所は、その経済成長を支えるエネルギーとしての役割を演じてきました。しかし一方で、立地地域に交付金を投入する「電源三法」は、地域経済の成長バランスを崩し、原発依存から抜けきれない地方財政を形成してきました。「国策」としての原子力推進政策は、地方経済を抜き差しならぬ方向へ押し込んでいったのです。
昨年、プルサーマル計画に合意した佐藤雄平福島県知事は、脱原発の姿勢に転じています。「フクシマ」の多くのみなさんが声を上げています。行動しています。私たちは、この「フクシマ」の声を全国に広げ、安全な人に優しいエネルギー、「持続可能で平和な社会」をつくり出さなくてはなりません。
今日、お越しいただいた鎌田さんや大江健三郎さん、瀬戸内寂聴さんなど9人の方々が「さようなら原発」の声を上げています。9月19日の全国集会、そして1000万人署名を是非成功させて、「フクシマ」と全国を、そして世界につなげる大きな動きにしていきましょう。
日本社会は、何度も何度も一人ひとりの「命」と「生活の安全」を犠牲にしてきました。1931年から15年も続いた侵略戦争は「満蒙は日本の生命線」と一方的に主張し、「国策」として遂行され、アジアの多くの人々の命を奪い、最後に「ヒロシマ」「ナガサキ」の悲劇を生みました。
戦後も、日米安全保障条約の下、米軍駐留が「国策」としてすすめられ「オキナワ」県民に「命」の危険という大きな負担を押しつけられてきました。政府はここまで来ても、また米国の言いなりに最も危険な普天間基地に、最も危険なオスプレイを配備を強行しています。沖縄県民の声に耳を貸そうとはしません。
「フクシマ」の原発事故も、同じ「国策」の中で引き起こされてものです。
私たちは、もう我慢することやめましょう。「自己犠牲」を強いる「国策」に決別すべき時が来ています。「フクシマ」から「ヒロシマ」「ナガサキ」そして「オキナワ」へ、一人ひとりの「命」に寄り添って社会を変えていこうではありません。一人ひとりの「命」を基本に、私たちの生活を、社会を、政治を変えようではありませんか。
老人や子どもたちが、社会の弱者がしっかりと生きていける、私たちの「命」が脅かされることのない社会へ向けた議論をしっかりと続けていきましょう。
持続可能で平和な社会へ、「フクシマ」からとりくみを積み上げていきましょう。今年の原水禁大会が、そのことの契機になることを願い、基調の提起とさせていただきます。ともにがんばりましょう!
7月31日に福島市内で開かれた「放射能のない福島を返せ!原発のない福島を求める県民集会」とデモ行進をビデオにまとめました。(約10分)
全原発が停止した場合、2012年夏の最大電力供給力は最大電力需要に比べ9・2%(1656万キロワット)不足すると試算。
中部電力と四国電力が経産省が2006年6月の伊方原発プルサーマル計画と07年8月に開催した浜岡原発プルサーマル計画でのシンポジウムで原子力安全・保安院がやらせ発言の依頼があったと明らかにした。
原子力に民主主義はあるか!
九州電力「やらせメール」に抗議する!
九州電力の「やらせメール」は氷山の一角だ!
九州電力は7月6日の記者会見で、玄海原発2・3号機の運転再開にむけて、経済産業省が6月26日に佐賀県内のケーブルテレビなどで中継した「説明会」に関して、九州電力の社員が原発の職員や関連会社社員らに対して、運転再開に賛成する意見を電子メールで送るよう働きかけていたことを認めました。
その内容は、原子力発電本部の課長級社員が、原発関連業務を担当する子会社4社(西日本プラント工業、九電産業、西日本技術開発、ニシムラ電子工業)と玄海、川内の原発3事業所に対して、発電再開を容認する意見を一国民の立場で送信するよう、メールで依頼していたというものです。
こうした文字通りの「やらせメール」問題は、県民世論の誘導を図り、説明会番組の公平性に疑問を投げかけ、県民を冒とくするものです。特に、見過ごしてならないことは、この件は、一社員の問題ではなく、県民の不安や疑問に充分に応えることなく運転再開を急ぐ九州電力の姿勢を反映していると言えることです。
こうした「やらせメール」に準じるような世論誘導は、九州電力だけが行っているのではないと思われます。
まやかしの意見公募
これまでも原発を進めるために行ってきた「公開ヒアリング」も「推進ありき」を前提に進められ、意見を「聞き置く」だけで、セレモニーと化していました。さらに政府が進める「パブリックコメント」も実質「聞き置く」ものとなっており、意見が真剣に討議されることなどありませんでした。すべて「推進」が前提の意見公募では、原子力政策には何も影響を与えないことがハッキリしています。「原子力推進」の前では、何を言っても変わらないという無力感がありました。
民主主義は「原発の門前で立ちすくむ」
九州電力の「やらせメール」問題も、これまでの公開ヒアリングもそしてパブリックコメントも実態として原発推進のための露払いの役割を演じてきました。
また、地元に多額の交付金や公共事業の導入で、経済的にも「原発経済」に依存する地域社会に変えてしまうことに、大きな問題があります。「原発城下町」にならば、原発に不安があっても何も言えなくなるような雰囲気をつくり出し、その不安を払拭しようとするかのように、「原子力の安全神話」にすがって、人為的な安全がつくり出されていました。しかし、今回の福島原発事故でその「安全神話」は崩壊し、多くの推進派の人たちも「裏切られた」とする気持ちが大きかったのではないでしょうか。
その前に、原発誘致の際に「賛成」「反対」で村や町が二分され、地域社会が崩壊させられてきたことも問題です。地域を豊かにするはずの開発が、地域を分断し、モノを言えなくなる社会をつくり出してきたところに、どのような民主主義があり得るでしょうか。
原発があることによって、「管理社会の到来」をドイツの哲学者であるロベルト・ユンクが警告していました。今も、福島原発の問題では、情報公開が大きな問題となっています。情報の公開は民主主義の根幹に関わることです。情報操作の世論づくり、交付金等のお金がばらまかれることによる住民の民意を懐柔すること、公開ヒアリングなどと称して形式的に意見を聞き置き、切り捨てること等々、原発は民主主義そのものを圧殺しています。
さらに、原発での被曝労働の実態も明らかにならないような状況もあります。まさに、原発は秘密主義(管理社会)でしか成り立たないものとしてあります。
熊沢誠さんの「民主主義は工場の門前で立ちすくむ」という日本の工場の非民主主義的体質を訴えた本がありました。まさに原発も「民主主義は原発の前で立ちすくむ」状況をもたらしています。このような閉塞した状況を打ち破ることが今こそ必要です。
6月7日に、原水禁九州ブロックが九州電力に対して行った申し入れへの回答交渉の報告がありましたので、ご紹介します。
●申し入れ書はこちら(PDF)
●【資料】7/12九電・電力需給根拠(PDF)
「東日本大震災と玄海・川内原発に係る申し入れ」 九電回答のポイント
2011.7.27
文責:川内原発増設反対鹿児島県共闘会議 山崎
Ⅰ 概要
2011年6月7日、九州電力社長におこなった申入れの回答交渉が、以下のようにおこなわれました。
(1)と き 2011年7月26日(火)13時30分~15時40分
(2)ところ 福岡市・九州電力本社
(3)要請団 九州・沖縄の8県から25人。
(4)回答者 九州電力エネルギー広報グループの藤本久美グループ長など6人
Ⅱ 署名の提出
「川内原発増設計画を白紙撤回し、脱原発を求める署名」122,761筆を提出。
*内訳 福岡31,880、佐賀8,689、長崎11,051、大分24,949、熊本9,908、宮崎6,751、鹿児島20,294、沖縄9,239.
Ⅲ 回答のポイント
1 川内原発3号機増設も定期点検に入っている原発の再稼動問題も国任せ。東京電力は福島原発事故の賠償責任を負えずに国民に負担を強いざるをえない状況。民間企業にとって余りにリスクが大きすぎる原子力発電事業からの撤退を求めたが、九州電力は他人事のような姿勢に終始。
2 玄海原発と川内原発の原子炉再稼動の地元了解は佐賀県と玄海町、鹿児島県と薩摩川内市のみと断言。福島原発事故による放射能拡散による被害が広範囲に及んでいるにも関わらず、福島原発事故以前と同じように、佐賀県内や鹿児島県内の立地自治体以外の声や長崎県や福岡県、宮崎県などの声を聞いて再稼動の判断をする姿勢を明らかにせず。
3 3月30日という福島原発事故の全容すら不明な段階に出された、防潮対策と電源多重化対策のみの「緊急安全対策」や、わずか10日間で適切に実施されたという「シビルアクシデント対策」では原発の安全性が確保されているとはいえない。原発事故が収束し、事故の原因が解明され、原子力発電所に係る国の安全指針などが抜本的に見直され、それをクリアーすることなしに安全を確保したとはいえない。しかし九電は、住民の皆様の安心確保のために「大容量発電機車の配備や重要機器の防水対策など」を2014年度初めまでかけて行なうと言いながら、もう「安全」なので原発を再稼動できるといわんばかりの矛盾した言動に終始。
4 九州電力は電力供給に余裕たっぷり。供給力確保に汗を掻かず、せっかくの発電設備を稼動させるどころか廃棄すると明言。「電力の安定供給」という事業者の本来の任務を置き去りにし、原発を再稼動させる環境づくりに躍起になっているのではないか。
(1)九州電力の2011年7月15日のプレスリリースの「玄海2・3号、川内1号の運転が再開できない場合」の供給力1,736万kWの内訳を以下のように明らかにした。
ア 水力(揚水発電と一般水力):312万kW
認可出力(2011年3月、資源エネルギー庁「電力調査統計」。以下、同じ)327.9万kWの95%稼動、設備余力は15.9万kW。
イ 火力(石油・LNG・石炭):897 kW。内訳の開示を求めたがPPS(特定規模電気事業者)対策を理由に拒否
認可出力1157.7万kWの77%稼動、設備余力は260.7万kW。
ウ 原子力(玄海1・4号、川内2号):250万kW。
認可出力262.9万kW (全原発は525.8万kW)の95%稼動。
エ 地熱など:16万kW
地熱の認可出力21万kWの76%稼動、設備余力は5万kW。
オ 他社受電:261万kW。電源開発などではないかと他社名の開示を求めたが経営情報だという理由で一切拒否
九州電力は、この夏の最大電力需要時においてすら、281.6万kW(原発除く)もの発電余力を有していることが明らかになった。すべての原発が稼動しなくなると想定される2012年夏でも、九電の自社設備をフル回転させ、今年どおりの他社受電をすれば1767.6万kWとなり、2011年の九電による供給力1,736万kWを上回る。
(2)電力不足を宣伝し、「省電」を呼びかけている九電のことだから、電力供給の確保に躍起になっていると思っていたら、逆に、既存発電設備を廃棄すると回答。福島原発事故により全ての原発が停止することを想定し、ガスタービン発電(東京電力は短期日で建設)新設や再生可能エネルギーの大幅な拡大などの新たな電源確保策についても明言せず、福島原発事故はなかったかのような電力供給計画のままにとどまっている。
ア 2004年度から2020年度まで計画停止の唐津2・3号(1971年・1973年営業運転、計87.5万kW)は劣化し、再稼動させるには1~2年程度かかるので再稼動の予定なしと回答。2010年6月3日の薩摩川内市での回答交渉で、九電は「計画停止の発電所は、最大需要電力時などの緊急対応用として確保」していると答え、数ヶ月で再稼動できるようにメンテナンスをしていると回答していた。緊急対応に役に立たない発電所を、2020年度までの9年間も計画停止する意味は不明なまま。
イ 苅田新2号(1972年営業運転、37.5万kW)は劣化しているので予定通り2011年度に廃止、大分1・2号(1969年・1970年営業運転)も劣化しているので予定どおり2012年度に廃止すると回答。大分1・2号は2002年度から2018年度まで計画停止(九電「平成21年度経営計画の概要」)とされていた。苅田新2号は計画停止されることなく突如廃止(九電「平成22年度経営計画の概要」)とされた。
1972年運転開始の相浦1号や1974年運転開始の川内火力1号は稼動中なので、メンテナンスをすれば数年間稼動可能な175万kWもの電源をなぜ廃棄するのか。
民主党の成長戦略・経済対策プロジェクトチーム(座長・直嶋正行元経産相)がまとめたエネルギー政策に関する政府への低減素案で、原発の早期再稼働を求める一方、脱原発についての言及がないことが明らかに。
死者43人、負傷者211人。翌日、高架橋から転落の車両を壊し埋める。証拠隠滅の批判高まる。
7月23日、東京・新宿中央公園を集合場所に、「くり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会」デモが行われ、約600人の参加者が、歌舞伎町などの繁華街を脱原発を訴えて歩きました。
主催は「原発とめよう!東京ネットワーク」(東京ネット)と原水禁も参加している「再処理とめたい!首都圏市民のつどい」(市民のつどい)。このデモは、市民のつどいが2004年から毎月開催してきたデモで、福島原発事故の発生以降、東京ネットとの共催で、東京・芝公園や日比谷で行われてきました。
市民のつどいに参加するふぇみん婦人民主クラブから、山口泰子さんのあいさつに続いて、市民グループ「上関どうするネット」や労働組合「全労協」から発言がありました。最後に、井上年弘原水禁事務局次長から、「さようなら原発1000万人アクション」について、1000万署名や9月19日の東京・明治公園で開催される全国集会への参加が呼びかけられました。
●写真報告
脱原発新宿デモに600人が参加
東アジア諸国連合(ASEAN)がインドネシアのバリ島で中国と外相会議開催し、領有権問題について、2002年に双方が署名した「南シナ海行動宣言」の履行に向け、今後の在り方を定めるガイドラインを正式に承認。
関西電力の福井県・高浜原発4号機、大飯原発4号機定期検査で運転停止、停止中の関電の原発は7機に。また関電は高浜4号機のMOX燃料装荷見送りの方針表明。
7月17日、 静岡市・常磐公園で、「『廃炉は浜岡から』反原発全国集会」が開催され、約500人が参加しました。主催は市民団体「浜岡原発を考える静岡ネットワーク」。集会には、佐藤栄佐久前福島県知事も出席し、発言の中で経産省と東京電力の姿勢を批判しました。集会後、参加者は静岡市の中心部をデモ行進し、思い思いに脱原発を訴えました。
前日の16日には、同じく静岡市の静岡労政会館で、「原発震災」について考える講演会が開催されました。講演した石橋克彦神戸大学名誉教授が、東海地震で浜岡原発が福島原発事故以上の惨事になる可能性などを指摘し、こちらも約500人が耳を傾けました。危険な浜岡原発を抱える静岡でも運動が盛り上がっています。
国連の潘基文事務総長が、ケニア、ソマリアなどアフリカ東部が最近数十年で最悪レベルの干ばつに見舞われ、1100万人以上が生命の危険にさらされており、各国の緊急支援が必要と訴える。
硫黄島で暫定実施している米空母艦載機の陸上空母離着陸訓練(FCLP)を同市無人島の馬毛島に移転させる計画を長野力市長に説明したが、長野市長は反対を表明。
米原子力産業・ウェスチング・ハウス・エレクトリック(WH)を子会社に持つ東芝が、5月中旬、米政府高官に書簡を送り、使用済み核燃料などの国際的な貯蔵・処分場をモンゴルに建設する計画を盛り込んだ新構想を推進するよう要請し、対米工作をしてたことが明らかに。
米原子力産業・ウェスチング・ハウス・エレクトリック(WH)を子会社に持つ東芝が、5月中旬、米政府高官に書簡を送り、使用済み核燃料などの国際的な貯蔵・処分場をモンゴルに建設する計画を盛り込んだ新構想を推進するよう要請し、対米工作をしてたことが明らかに。
米原子力産業・ウェスチング・ハウス・エレクトリック(WH)を子会社に持つ東芝が、5月中旬、米政府高官に書簡を送り、使用済み核燃料などの国際的な貯蔵・処分場をモンゴルに建設する計画を盛り込んだ新構想を推進するよう要請し、対米工作をしてたことが明らかに。
中部電力・浜岡原発は危険だとして、廃炉を求め、同原発周辺住民や湖西市元市長、城南信用金庫理事長など34人を原告とし、123人の弁護団による訴訟を静岡地裁に提訴。
福井県敦賀市の河瀬一治市長が定例記者会見で、福島第1原発と同型の日本原電・敦賀1号機は運転開始後41年が経過しており、福島第1原発事故の知見次第では廃炉も選択肢と語る。
●「命か電気か」の選択をする覚悟が必要だ
高木学校メンバー、元・放射線医学総合研究所主任研究員 崎山 比早子さんに聞く
●「さようなら原発1000万人アクション」がスタート
1000万署名、5万人集会に全力で取り組もう
●被爆66周年原水爆禁止世界大会の課題
今年は福島、沖縄でも開催
●ヨーロッパ・自然エネルギー調査に参加して
全日本水道労働組合 禧久 章蔵
●世界の核兵器の状況を考える(3)
核軍拡が中・印・パ3国で急拡大
●《各地からのメッセージ》脱原発・反基地の取り組みを柱に47年
茨城平和擁護県民会議 事務局長 相楽 衛
高木学校メンバー、元・放射線医学総合研究所主任研究員 崎山 比早子さんに聞く
【プロフィール】
東京生まれ。千葉大学医学部卒業、医学博士。米マサチューセッツ工科大学研究員・放射線医学総合研究所主任研究員を経て、1999年から高木学校の専従メンバーに。共著に『受ける?受けない?エックス線CT検査~医療被ばくのリスク』(七つ森書館)。学生の頃から山登りやテニスなど、スポーツも得意。映画や読書など、幅広い趣味を持つが、「最近は忙しくてそうしたことを楽しむ余裕もない」。
〈高木学校とは〉
原子力資料情報室の前代表の故・高木仁三郎さんは、プルトニウム利用の危険性を世界に広く知らせた科学的・社会的貢献により、97年にもうひとつのノーベル賞と言われるライト・ライブリフッド賞を受賞しました。その賞金と多くの方々の支援をもとに、現代社会の直面する諸問題に市民の視点から取り組むことができる「市民科学者」を育成したいと、98年にスタートしました。2000年に高木さんが亡くなられた後は、高木学校に集うメンバーが市民科学者をめざし、市民講座や勉強会、出前講師などの活動を続けています。
●高木学校HP
──高木学校に関わった経緯を教えてください。
私は1975年頃から放射線医学総合研究所(放医研・科学技術庁管轄)に勤めていましたが、放射線による発がん実験などはあまり面白くなかったので、主にがん細胞の転移のメカニズムなどを研究していました。
日本にアメリカの原子力潜水艦が入港して、放医研は入港の前後に海水の放射能量を調べることになっていました。しかし、私は日本に原潜が来ること自体がおかしいと主張し、調査に行くことを拒否しました。そんなこともあり、放医研を定年退職するときに自分の専門性を生かせる場がないかと考えていました。そのときにたまたま高木仁三郎さんを紹介する新聞記事を見て、99年に飛び込んだのです。それまで高木さんの名前も知りませんでした。
──高木学校での活動について教えてください。
文部科学省は子どもたちに原子力推進教育を行っており、原子力の危険性については全く教えていません。それで高木学校では、2003年に市民講座「原子力と環境教育を考える」を開き、その後も学校の教員などと一緒に「原子力教育を考える会」をつくって、ホームページで誰でもわかるような原子力の問題を解説するなど、活動を続けています。
高木学校では、04年からは「医療被ばく」の問題を連続して取り上げています。日本ではエックス線・CT検査などで、年間約9万人がガンになると推定され、世界でも群を抜いて医療被ばくが多いのが現状です。また、医療従事者の被ばくも多いのです。しかも、医師は放射線のリスクに関する知識がなく、厚生労働省も対策を取っていません。そうした実態を知らせるために「受ける?受けない?エックス線 CT検査~医療被ばくのリスク」というブックレットや「医療被ばく記録手帳」を作ったり、市民講座を毎年開いたりしてきました。手帳は検査による被ばく線量の記録を付けられます。そのような活動が福島原発事故後の講演でも生かされています。
──福島原発事故で、政府や専門家は「人体にただちに影響しない」と言っています。
これまで原発を進めてきた立場の者が「安全・安心」を言うのはおかしいと最初から思っていました。確かに、自然界にも放射線は存在しますが、それに人工放射線が加わるわけですから、影響がないなどとは言えません。被ばく線量と発ガンリスクの関係については「ある線量以下なら影響がないという『しきい値』はなく、比例関係にある」ということが、現在では国際的な合意になっています。特に、今回は原発の事故現場で働く労働者の年間被ばく線量の上限を250ミリシーベルトまで引き上げました。急性障害が出るギリギリの値で、大変危険なことです。
そして、子どもの年間放射線被ばく限度を20ミリシーベルトとし、校庭等の使用を毎時3.8マイクロシーベルト以下なら問題はないとしました。国際的な基準では年間1ミリシーベルトであり、さらに、「社会的・経済的に達成可能な限り低くする」という付帯条件も付けられています。子どもは大人よりも放射線の被害を受けやすいことを考えると、今回の措置はとんでもなく非科学的・非人道的なことです。1ミリシーベルトを適用すれば、広い範囲の子どもたちが避難しなければならず、大変だからということで政治的に決められたわけですが、子どもの命を考えれば、集団で安全地帯に疎開させるなどの対策を取るべきでしょう。大人が推し進めた原子力行政の失敗のツケを、子どもに払わせるのは許されることではありません。
今回の事態は戦争中の特攻隊と同じ構図ではないかと思います。若い人の命が失われることを平気でやっているわけです。命を軽視しています。それでも特攻隊の場合は自ら選択ができましたが、今回は無差別に何も知らない子どもたちを犠牲にしているのです。
──それでも原子力エネルギーが必要だという神話がまかり通っています。脱原発への世論をどうつくっていくかが問われています。
福島では、地域全体が汚染されている可能性があります。そうした中で、人々は汚染されたものを食べなければならず、これからもっと差別的な構造が出てくるのではないかと思います。早急に脱原発の方向をめざすべきです。浜岡原発は止まりましたが、当然のことで、遅すぎるくらいです。これからは、定期点検や事故で止まった原発は動かさないと決めれば、2年以内に全ての原発を止めることができます。
そのためには、日本人全体が「命か電気か」の選択をする必要があります。福島で起きていることは、明日は自分のことになるかもしれないのです。その覚悟が迫られているのに当事者意識がなさすぎます。当然、電気が全て無くなるわけではありません。自然エネルギーの利用も進めて、脱原発社会をつくるべきです。そのために、原水禁も原水協も手をつなぎ、様々なところと連携して運動を進めてもらいたいと思います。
司法にも責任があります。これまで、原発をめぐる裁判では、原告側はことごとく敗訴してきました。マスコミも正しいことを報道してきませんでした。全てコントロールされて、世論がつくられてきたのです。そして、原発推進に都合の悪いデータは出さない。責任をとらず、批判に耳を貸さないような構造が全体を覆っているように見えます。
高木学校で講師を務める崎山さん(右端・2010年1月)
──いわゆる「原子力村」と言われるような体制が、問題を引き起こしたとも言われます。
それは、日本人全体にも問題があるように思います。東京都知事選挙で石原慎太郎が4選を果たしたのもその表われでしょう。加藤周一さんの『日本文学史序説』(75・80年、大佛次郎賞受賞)がありますが、その中で加藤さんは、大勢に身を任せる日本人の精神のあり方を指摘しています。個人主義ができにくい「ムラ社会的」だとも言えます。
例えば今回のことでも、自治体はもっと自主性をもって、住民を避難させるなどの措置がとれたはずですが、そうしたこともない。主体性の無さが蔓延しているように思います。私もよく避難すべきかどうかの相談を受けますが、自分の命のことは自分で判断するように言っています。自分で判断しない社会がこうした事態を招いたとも言えます。
私は「憲法9条を守る会」の活動にも参加していますが、9条がなし崩しになってくる過程を見るとき、「流れ」に逆らうことが難しい日本社会の「ムラ的構造」に問題があるように思います。もっとみんなが意識的に変わらないと、間に合わないのではないかという危機感で一杯です。
〈インタビューを終えて〉
福島第一原発事故は、冷温停止の道筋もつかないまま大気や土壌、海洋への放射能汚染を拡大しています。日本社会が脱原発の道を選択し、全ての原子力施設を廃棄するとしても、数十年間は放射能被ばくと向き合いながら歩んでいかなければなりません。崎山さんが指摘するように、市民科学者を育て学校教育で原子力の危険性を学び、被ばくのリスクと立ち向かえる社会を築くことが、「国策」を変えられなかった私たちのせめてもの責任でしょう。あらためて脱原発社会への転換に向け、正念場の闘いを進めていかなければならないことを痛感しました。(藤岡 一昭)
「さようなら原発1000万人アクション」がスタート
1000万署名、5万人集会に全力で取り組もう
内橋克人さんなど著名人が呼びかけ
3月11日に発生した東日本大震災は、約2万3,000人の死者・行方不明者を出し、今もなお約12万5,000人の人々が避難生活を余儀なくされています(6月15日現在)。そして、福島第一原子力発電所の事故は、原子炉内の燃料の溶融や水素爆発にまで至り、放射性物質を周辺地域に拡散しています。
私たちは、人間の生存を脅かす計り知れない原子力エネルギーの恐怖に、多大な犠牲を伴いながら直面することになりました。エネルギー政策を根本から見直すことが求められています。「安全神話」のもとで、原子力政策を推進してきた政府、電力会社、産業界、原子力学会などの責任を厳しく求めると同時に、経済成長を求めエネルギー需要を拡大し続けてきた日本社会の暮らしや働き方の見直しも必要です。
平和フォーラム・原水禁は、原子力中心のエネルギー政策を見直し、自然エネルギーを中心とする「持続可能で平和な社会(脱原発社会)」を実現するため「さようなら原発1000万人アクション─脱原発・持続可能で平和な社会をめざして」に全力で取り組みます。運動の呼び掛け人に内橋克人さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、鎌田慧さん、坂本龍一さん、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さん、辻井喬さん、鶴見俊輔さん(6月20日現在・五十音順)がなり、多くの人たちの参加を求めていきます。
原発の計画的廃炉、自然エネルギー中心へ
「さようなら原発1000万人アクション」の求めるものは、①原子力発電所の新規計画を中止し浜岡をはじめとした既存の原子力発電所の計画的な廃炉、②もっとも危険なプルトニウムを利用する高速増殖炉「もんじゅ」と青森県六ヶ所など再処理工場の廃棄、③省エネルギー・自然エネルギーを中心に据えたエネルギー政策への転換です。
そのための1000万署名に取り組みます。平和フォーラム・原水禁の加盟組織はもとより、関係する個人・団体、各戸訪問や街頭署名などを展開します。また、インターネット署名も行います。署名は来年3月11日の震災1周年に、衆・参両院議長、内閣総理大臣に提出するため、集約を9月10日(第1次)、12月20日(第2次)、2月28日(最終)とします。
9月19日(月・休日)に東京・新宿区の明治公園で「さようなら原発全国集会」を開催します。規模は5万人とし、13時から集会を開き、パレードも行います。集会に向けて、様々な団体や各地での集会開催や、キャラバン、自治体要請、ビラ配布などの多様な取り組みを行います。全国集会の前段の9月17日~18日には関連イベントも計画します。
「原発ゼロ社会」へ再生可能エネルギー推進法を
こうした全国アクションを進めるために、ポスターやちらしの他、のぼり旗、パンフレット、ワッペンなどを作成して配布します。また、詳細や最新情報は下記のホームページでお知らせしています。「さようなら原発1000万人アクション」のニュースも発行します。
一方、全国アクションの一環として「福島へ、線量計を送ろう!」全国カンパも実施します。カンパは街頭カンパを主に、署名行動と結びつけて運動の広がりを求めていきます。さらに、原水禁のプロジェクトがこれまで提起してきた「2050年原発ゼロ社会」をめざして、「再生可能エネルギー推進法(日本版脱原発法)」の制定を求めて、民主党・社民党などの政党や「日本のエネルギー政策を考える勉強会」などの議員の皆さんと協力して政策転換をめざして取り組みます。今夏の原水禁世界大会も全国アクションと関連させて取り組みます(次頁参照)。
●さようなら原発1000万人アクションHP
署名用紙やチラシをダウンロードできます。
被爆66周年原水爆禁止世界大会の課題
今年は福島、沖縄でも開催
核社会を問う大会
3月11日に起こった東日本大震災は、東日本一帯に大きな被害を与えました。その中で福島第一原発が電源喪失、水素爆発そしてメルトダウン(メルトスルーも想定される)というこれまでの原子力史上最悪の事態を迎え、いまも事態の収束が図られていません。今後も長期に渡っての放射能放出とともに被害の拡大が懸念されています。この事態を受けて、原水禁世界大会も見直しを迫られ、広島大会、長崎大会(8月4日~9日)に加え、福島大会(7月31日)と沖縄大会(8月11日)を実施することになりました。
福島原発事故は、国内外に大きな影響を与える事故でした。ただ単に、この事故を原発のエネルギー政策の可否を問うものだけでなく、私たちの命や暮らし、社会、経済、環境そして思想など多くの分野でこれまでのあり方を問う大きな出来事でした。「核社会」や「核文明」そのものを問う出来事であるとの認識のもと、大会の基調を提起します。
福島と沖縄を加えたことは、原発問題も基地問題も、交付金などで地域の住民世論を抑え、危険を背負わされていく構造は同じであると考えるからです。地域の発展が、原発や基地経済だけに縛られるようになり、他の選択肢が無くなっていく中でさらに、その経済に依存を増していくという構造があります。その上に都市部を中心とする地域の繁栄が築かれるという、ある種の「地域差別」の構造を見つめ直さなければなりません。まさに私たちの暮らしや社会のあり方が問われています。さらに沖縄では平和課題が大きくあります。
その上でこれまで同様、「核兵器廃絶の課題」、「脱原発の課題」、「ヒバクシャ援護の課題」の三つの柱を中心に今回の原発事故を絡ませながら、それぞれの課題を深めていきます。
核兵器廃絶の課題
2010年のNPT(核拡散防止条約)再検討会議では、2000年に合意された「核保有国による核廃絶への明確な約束」があらためて確認され、「2012年に中東の非核化についての会議の開催」などいくつかの核軍縮に向けた合意が採択されました。今年の2月には、米ロの間で新STARTが発効しました。その後の具体的な核兵器廃絶への動きを検証し、今後の私たちの運動の展望を確認します。特に、私たちを取り巻く東北アジアをめぐる平和と安全をどのように考え、つくり上げるか、北朝鮮の核問題を含め、私たちが長年訴えている「東北アジア非核地帯化構想」をどのように具体化していくのかを提起していきます。さらに、福島原発事故がもたらす核被害が、核兵器による被害の一端を表わしています。そのことからも核兵器廃絶の必要性を強く訴えたいと考えています。
脱原発の課題
福島第一原発事故は、「原子力安全神話」を徹底的に崩壊させました。あらためて脱原発を強く主張しなければなりません。原発の段階的廃棄をめざす具体的な政策と運動の展開が求められています。すでに現在、鎌田慧さん、大江健三郎さん、澤地久枝さんら9名の著名人による呼びかけで、「さようなら原発1000万人アクション」として、原子力政策の転換を求める「さようなら原発1000万署名」や「9.19さようなら原発集会」(東京・明治公園)が提起されています(前頁参照)。それらの動きと連動した訴えを重ねていきます。さらに、原発に頼らないエネルギー政策の具体的展開を提示していくことで、「原発はなくても大丈夫!」という裏付けを示していきます。
ヒバクシャ援護の課題
3.11以降、ヒロシマ・ナガサキに続く新たな核被害が原発事故によってもたらされようとしています(例えば原発労働者では、124人も100ミリシーベルトの被曝量を超えているヒバクシャが出ている/6月20日)。被曝労働で成り立つ原発の存在そのものも問題になっています。「ヒバク」そのものを問う必要があります。さらに、今年はチェルノブイリ原発事故から25年が経ちましたが、現地ではいまだその被害に苦しんでいる多くの方がいます。国際ゲストもロシアの汚染地域からお呼びし、その実態を伺います。
ヒロシマ・ナガサキの被爆者の問題でも、66年経ったいまでもその被害に苦しんでいる方々が多数存在します。被爆体験者問題、在外被爆者問題、被爆二世三世問題など、残された課題が山積しています。被爆者の残された時間は限られています。国家補償も含め課題の前進をめざしていかなければなりません。
福島原発の事故は不幸にも、私たちが主張していた「核と人類は共存できない」ことを示しました。あらためて核の軍事利用も商業利用も、核被害に苦しむということでは同じであることが明らかとなりました。原水禁大会を起点に反核・脱原発をあらためて確認したいと思います。
全日本水道労働組合 禧久 章蔵
軍隊の撤退跡地に「持続可能なモデル地区」
平和フォーラム・原水禁の「ヨーロッパ自然エネルギー調査団」の一員として参加した私は、ドイツ到着早々、素晴らしい街に巡り合えました。その街とは、ドイツ南西部に位置し、フランスとスイスの国境に接するバーデン=ヴュルテンベルク州フライブルグの郊外にあるヴォーバン(Vauban)地区です。
フライブルグは別名「環境首都」と呼ばれ、黒い森として有名なシュヴァルツヴァルトの南に位置し、70年代に酸性雨問題や原発立地問題などから環境政策を推進し、廃棄物のリサイクル、自然エネルギー、交通政策、都市計画・景観政策などで先進的な事例をいくつも実践している都市であり、今日では大学・研究機関が集積する学術都市としても有名です。
ヴォーバン地区は、もともと東西冷戦下ではフランス軍が駐留地として使用していた地区であり、冷戦終結後フランス軍が撤退した跡地に「持続可能なモデル地区」として行政・住民が一体となって90年代後半以降につくられた新しい街です。
案内をしていただいたフライブルグ在住の環境・建築ジャーナリストの村上敦さんによると、ヴォーバン地区のすべての住宅は、低エネルギー消費仕様(40%以上カット)で建てられており、その内の100戸ほどの住宅は、パッシブデザインの超低エネルギー住宅となっているそうです。パッシブデザインの住宅とは、「機器などのモノを用いず、『自然にあるもの』を用いる」ことを現わします。つまり、「エアコンなどの機器を出来るだけ使わず、『自然にあるもの』によって、快適な暮らしをしようとする設計思想・設計手法のことを言います」となっています。
街全体が環境をコンセプトに調和
素晴らしいのは、街全体が環境をコンセプトに調和していることです。まず、公共交通機関(LRT=路面電車)を事前整備し、自動車を副次的交通手段に位置づけています。既存の建物や植生を取り壊し・伐採をしないで活かすとともに、地形をも活用して街全体に風が流れるように配置することで、夏はエアコンいらず。集合住宅を活用し、1ヘクタール当たりの人口密度を130人~150人に設定したことで、LRTは採算が採れるとともに、住宅地内に小規模の商業施設や雇用(人口の10~15%程度)を確保できるように設計されています。
さらに、宅地部分は自家用車の駐車場設置を禁止。駐車場は街の中心部に1,000台収容の立体駐車場がありますが、住民の皆さんは駐車場よりもLRTの停車場が近いため、駐車場はガラガラでした。また、街の動線が車ではなく、歩行者・自転車のための設計になっているため、どこの路地でも子どもたちが安全に遊べる場となっています。全ての建物の屋根は屋上緑化、もしくは太陽熱発電などを備えており、ヒートアイランド対策のみならず、雨水が一気に流出しない措置が施されていました。
太陽光パネルをつけたモデル住宅(フライブルグ)
日本にも「ヴォーバン地区」を
紙面の都合で素敵なヴォーバン地区の全てを紹介できませんが、一つ悩ましい問題を抱えています。隣国のフランスは電力の約8割を原発に依存する原発推進国ですが、そのフランスで最も古い原子力発電所から20㎞圏内にヴォーバン地区は位置し、しかも、季節によっては原発の風下になるとも言うことです。
ちょうど、私たちは福島第一原発事故後の調査団でしたので、もし同様の事故が発生したら、この街はどうなってしまうのか。他国の政策に口を出すのは内政干渉になるので非常に難しい問題ですが、ドイツで脱原発政策を進めてきた緑の党では、欧州議会にも議員を送り込んでいるということで、「原発廃止に向けて」フランス政府に要請をしていくとのことでした。
今、東北3県は地震と津波により街が壊滅してしまった都市が多数あります。再生・復興に向けて様々な話し合いがもたれていますが、ぜひヴォーバン地区を参考にして「原発に依存しない」、そして持続可能な再生エネルギーを最大限活用して、街中から子どもたちの活気あふれる声が聞こえる街、世界中から視察に訪れるようなすばらしい街が日本にもできたらと感じました。
世界の核兵器の状況を考える(3)
核軍拡が中・印・パ3国で急拡大
軍事大国化をひた走る中国
中国は国防費を年々10%台で伸ばしています。(昨年だけ7.5%)。今年度も12.7%の伸びです。しかも、世界の軍事力を分析している「ミリタリーバランス2011」(3月8日発表)によると、兵器の研究・開発費、物価の格差などを考慮すれば、実際の2倍以上と指摘しています。さらにこうした軍事力増強の懸念が、東シナ海、南シナ海、インド洋の各地域に広がっていると指摘しています。
具体的に見てみましょう。中国はこれまで射程12,000㎞~13,000㎞の大陸間弾道弾・ICBM(液体燃料、「東風5」)を約20基配備していましたが、新たに射程8,000㎞~14,000㎞の固体燃料・移動式ICBM(「東風31」)を20基ほど配備していると推定されています。東風31はMIRV(多弾頭)ミサイルで、中国の軍事技術の発展をも示すものです。中国は他に長射程の巡航ミサイルも保持しています。
さらに中国は、海軍力の強化も図ってきました。現在、「漢級」、「商級」の攻撃型原潜のほか、射程2,000㎞のSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)12基搭載の戦略原潜(「夏級」)のほか、射程8,000㎞のSLBM搭載予定の戦略原潜(「晋級」)を就役させています。原子力空母の建設計画も明らかになっています。こうした中国の軍事力増強は、圧倒的な軍事力で、第一列島線・第二列島線(中国の海域における軍事防衛ライン)と、中国を牽制してきた米国軍産複合体の戦略によるものでもあります。中国と米国との軍事力格差はまだまだ大きく、中国の軍拡は今後も続くでしょう。
日本はどうするのか。日本政府にはただ米国の軍事戦略に協力し、沖縄先島に自衛隊駐屯を進めるなど、中国と対立・対抗以外の外交戦略は持っていません。福島第1原発事故の収束のメドも立たない中、アジアの国々とどう共生の関係をつくっていくのか、転換のときを迎えています。
中国の後を猛追するインド
中国の軍事力増強に強く反発するインドは、積極的な軍事力増強に動いています。6月7日、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は、2006年~10年の5年間の兵器購入額は、インドが9%と世界一になったと報じました。05年~09年は中国が1位(9%)、インドは2位(7%)でしたが、1年で中国を抜いたのです。最大の購入先は、インド、中国ともロシアです。
インドは早くから最小限の核抑止力を唱え、中国10都市、パキスタン5都市への報復用として、1都市に20キロトン核爆弾3個、不発の場合も含め、命中率を30%、さらに破壊される分も計算に入れて、90~135個の保有が必要であるとしてきました。
現在インドは、射程3,500㎞の中距離核ミサイル「アグニⅢ」を保有していますが、さらに射程5,000㎞のICBM「アグニⅤ」を開発中です。この他、核爆弾搭載可能な戦闘爆撃機、SLBMが発射可能な原子力潜水艦「アリハント」を09年7月に就航させて、2番艦の建造計画も進めています。07年からは巡航ミサイルを保有しています。
過剰な核施設建設に動くパキスタン
一方、インドの隣国パキスタンはインドの軍事力に過剰に反応し、核軍事力を増強させています。これまでパキスタンは、中国と北朝鮮の技術協力を受けて「シャヒーン」「ガウリ」の二種類の短距離、中距離の核ミサイル開発を競っていて、すでにインド全土を射程に収める核ミサイルを保有しています。
さらに、中距離弾道ミサイル「シャヒーンⅢ」や、人工衛星搭載可能なシャヒーンⅢLVロケットの開発を進めていて、今年中に人工衛星を打ち上げる可能性もあると言われています(なお、インドはすでに多くの人工衛星を打ち上げ、成功させている)。
またパキスタンは、プルトニウム爆弾開発のための原子炉を次々と建設しています。1996年に最初の重水炉の稼働を始めてから、現在2基が稼働中で、さらに07年に3基目、今年2月には4基目の建設も確認されています。
プルトニウムを取り出す新たな再処理工場も建設されており、この再処理工場が稼働を始めると、年間100トンの使用済み核燃料の再処理が可能であると伝えられています。これら全ての核施設が稼働するとしたら、パキスタンの核物質の保有は、余りにも多すぎます。
米国はアフガン侵攻作戦のために、パキスタンの核戦略物質製造を黙認していますが、アフガン状勢の推移、パキスタン政治の動向によっては、世界の安全を不安定にする可能性があります。
このように核拡散防止条約(NPT)の期待とは裏腹に、中・印・パでは、核兵器の拡散という負の連鎖が続いています。
《各地からのメッセージ》
脱原発・反基地の取り組みを柱に47年
茨城平和擁護県民会議 事務局長 相楽 衛
茨城平和擁護県民会議は、1963年の原水禁世界大会での「いかなる国の核実験にも反対」をめぐる分裂で翌64年に結成、今年47年目を迎えます。現在13団体と個人会員、7地区組織で構成、原水禁・護憲・反基地を柱に活動しています。県内には東海村を中心に多数の原子力施設があり、脱原発と自衛隊百里基地での米軍再編に伴う日米共同訓練反対運動は重要な柱です。
3月11日の東日本大地震では県内でも、死者24人、行方不明1人、負傷者693人の人的被害を受けました。そして、福島第一原発事故で大量の放射性物質が放出され、隣県である茨城では放射線量の高い数値を観測しました。
東海第二原発も大地震後、「原発は安全に停止」との報道の影で外部電源喪失、大津波の浸水でディーゼル電源3台のうち1台が喪失する重大事故が発生。津波があと30センチ高く、全電源を失えば福島第一原発と同様の事態につながるものでした。
茨城では、12年前のJCO臨界事故以降、毎年集会を開催してきましたが、「原子力災害は起きる」という教訓を学ばず、「原発は安全、事故は起こらない」としてきたことが今回の事故につながっています。
4月14日には、市民団体7団体で日本原子力発電東海事業所、日本原子力研究開発機構、茨城県に対し、今回発生した事故の情報公開と「プルサーマル計画を放棄し、老朽化と地震の影響を受けた東海第二原発の運転再開の断念」を緊急申し入れました。
5月になり日本原電は、東海第二原発の「地震・津波の緊急安全対策」として、15mの津波を想定した防潮堤新設や大容量の代替電源配備等を発表し、「運転再開は白紙」「プルサーマルは手続き開始を見送る」としましたが、これは津波対策さえ行えば、運転再開やプルサーマルもめざすものであり、認めるわけにはいきません。
昨年12月には、原水禁や原子力資料情報室、関東ブロックの各平和運動センターの賛同を得て、「東海第二原発のプルサーマルに反対する連絡会議」を結成しましたが、引き続きプルサーマルを断念させ、東海第二原発を廃炉にするためにがんばっていきます。
昨年9月26日のJCO臨界事故11周年のデモ