政府の原子力災害現地対策本部は、警戒区域、計画的避難区域外で、放射線が局地的に高いホット・スポットの福島県伊達市の4地区106戸、113世帯に「特定避難勧奨地点」に指定。
2011年6月アーカイブ
◆被爆66周年原水爆禁止世界大会・福島大会
日時:7月31日(日)15:00~17:00
場所:福島市・辰巳屋ホテル・ホール
福島県福島市栄町5-1 TEL:024-522-5111
内容:(1)黙祷
(2)主催者あいさつ 川野浩一(大会実行委員長)
(3)地元あいさつ 竹中柳一(福島県実行委員会委員長)
(4)大会基調提起 藤本泰成(大会事務局長)
(5)福島現地報告 石丸小四郎(双葉地区原発反対同盟)
(6)福島第一原発事故のもたらしたもの~3.11以降の世界
講演 鎌田慧(作家)
(7)ふたたびヒバクシャをつくるな!(連帯メッセージ)
①ヒロシマ・ナガサキのヒバクシャ
②ビキニのヒバクシャ(大石又七/第五福竜丸乗組員)
③チェルノブイリのヒバクシャ
(アントン ブドビチェンコ/NGOラジニシ・チェルノブイリの子どもたち)
(8)福島大会・アピール
(9)閉会あいさつ 小西清一(大会副実行委員長)
◆「放射能のない福島を返せ!原発のない福島を求める県民集会」
日時:7月31日(日)13:00~14:30(集会・デモ行進含む)
場所:福島「街なか広場」 福島市本町17-1(JR福島駅東口徒歩5分)
主催:福島県平和フォーラム 後援/原水爆禁止日本国民会議
内容:(1)開会の言葉(司会が兼ねる)
(2)主催者あいさつ(福島県平和フォーラム-竹中柳一)
(3)原水禁から連帯のあいさつ(原水禁-川野浩一)
(4)現状報告
①計画的避難区域からの報告
②避難区域からの報告
③母親からの報告
(5)今後の福島県での運動の提起(県平和フォーラム-原利正)
(6)全国の運動の提起(平和フォーラム-藤本泰成)
(7)集会アピール
(8)シュプレヒコール
(9)閉会の言葉(司会が兼ねる)
※デモ指示(県平和フォーラム-事務局次長)
*集会終了後、市内デモ。
● 前段に福島県教組によるミニ音楽会(反原発ミニコンサート)内容:屋外集会
●東日本大震災と玄海・川内原発に係る申し入れ書(6月7日)/PDF
●(資料)九州電力の最大電力需要時の供給力/PDF ※足し算のミスや認識間違い(資源エネルギー庁の認可最大出力と計画停止発電所など)がありましたので、訂正したものを再アップロードしました。(9月1日)
同日夜より29日未明まで5時間にわたり治安部隊などと銃撃戦。タリバン8人(全員)、従業員、警官ら11人死亡。
※今年の大会Tシャツと缶バッチは、「さようなら原発1000万人アクション」の分と同一のデザインとなります。
お申し込みはFAX(03-5289-8223)、またはメール(list@gensuikin.org)でお名前、お届け先、品名、個数を明記の上、ご注文ください。
■Tシャツ(M、L、LL) 各1,000円(送料別)※大量の場合はご相談に応じます。
■缶バッチ 150円(送料別)※大量の場合はご相談に応じます。
今年の原水禁世界大会は、福島第一原発事故を踏まえて、福島からスタートして、広島~長崎、沖縄で閉幕するプログラムとなりました。新しい情報は、ホームページで随時ご紹介します。
●原水禁大会日程
福島大会:7月31日(日) 福島市「ホテル辰巳屋」8階ホール(15時~17時)
広島大会:8月4日~6日 広島市「グリーンアリーナ」ほか
国際大会:8月5日(金) 広島市「YMCA国際文化ホール」
長崎大会:8月7日~9日 長崎市「県立総合体育館」ほか
沖縄大会:8月11日(木) 宜野湾市コンベンションセンター
東南アジアでの領有権問題(南シナ海問題)協議。平行線で終わる。
6月24日18時から、東京都千代田区の日比谷公園野外音楽堂で、「原発も再処理もいらない!NO NUKESくり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会」集会が行われました。主催は、「原発とめよう!東京ネットワーク」と、「再処理止めたい!首都圏市民のつどい」の2つのネットワークです。5月27日にも、同じ場所で平日集会を開催しました。この日は約450人が参加して、発言者の声に耳を傾けました。集会後はデモに出発し、経済産業省別館前~文部科学省前を通って、外務省前で通常のデモを終えて、衆議院議員面会所、参議院議員面会所でそれぞれ請願を行い、旧永田町小学校裏(自民党本部斜め前)で流れ解散となりました。
●生田卍さんの歌でスタート♪
●富山洋子さん(日本消費者連盟)
地域の豊かな風土を脅かして、日本列島に54基の原発を建てさせてしまいました。福島第一原子力発電所における、事故後の対応にも腹立たしさが込み上げてまいります。この腹立たしさ、無念さ。今こそ脱原発の政策転換を強く求めていきたいと思います。
今、私たちの暮らし、社会が資本の論理に絡め取られています。それを打ち返し、私はお天道様と米の飯がついてまわる、誰でもおだやかに暮らす社会の実現を目指していきたいと思います。
●澤井正子さん(原子力資料情報室)
政府や東京電力は、被災した人々の補償であるとか、もう事故は終わったかのような印象を与えています。
福島第一原発の1号機、2号機、3号機のメルトダウンした核燃料がどこにあるのか、そしてどういう状況になっているのか誰もわからない。そんな恐ろしい事態がまだ進行中だということを私たちは忘れてはいけません。やはり、原子力の現状をきちんと把握すれば、行きつくところは一つしかありません。脱原発の道しかないと思います。
●福島みずほさん(参院議員・社民党党首)
社民党は、「脱原発アクションプログラム」をつくりました。2020年までに原発をゼロに。2050年までに、自然エネルギー100%という中身です。原発がなくてもやっていける。このことを多くの人にアピールしていきたいと思います。
経済産業省は、着々と原発を推進しようとしています。総理官邸内の、国家戦略室の中のエネルギーを担当する部門は、原発推進で経産省の別働隊のようなかたちで動いています。
経産相が、全国で停止している原発の再稼働について力を入れています。経産省が「再稼働行脚の旅」を全国でやるのであれば、私たち、そして社民党は「脱原発・再稼働をさせるな!全国行脚」を一緒にやっていきたいと思います。
●海渡雄一さん(弁護士)
今年で弁護士になって30年。そのときからずっと原発裁判を続けてきました。負け続けの人生でしたが、ただ一度、もんじゅの金沢高裁判決のときに一度だけ勝たせてもらいました。
司法のご都合主義というものが、全国の原発訴訟を担当している裁判長を非常に消極的にしてしまったのではないかと思います。その結果、われわれが2007年の10月26日。浜岡原発の地裁での敗訴判決をもらってしまいました。ここで勝っていれば、全国の地震、津波対策というものを抜本的に強化することができ、今回のような事故を未然に防げたのではないかと本当に苦しい思いがあります。判決をもらった時点で、耐震設計審査指針というものは変わっていました。新しい指針に基づいて、国が耐震バックチェックという作業をしていました。これは未だに続いていて、結論は出ていません。したがって、国は浜岡原発に関して、安全であるとは今も言えていないのです。それにもかかわらず、中部電力側の主張だけを鵜呑みにして、安全であるという判決を下しました。
脱原発弁護団というものが結成されています。私もその一員になろうと思っているのですが、現在60人くらいの弁護士が参加してくださるということで、すでに全国で原発訴訟が始まっていて、まだ訴訟が起きていない地域も今年の秋にかけて計画中です。弁護士も皆さんと手を携えて、原子力を止めるべくがんばりたいと思います。
●飯田勝平(かつやす)さん(東京労働安全衛生センター)
これまで、原発ヒバク労災の問題につきまして、大阪や神奈川の私たちの仲間が一生懸命、ヒバク労働者の労災認定の問題について取り組んできました。
福島第一原発の事故。その復旧や収束作業の中で、放射線業務に従事する労働者のヒバクの問題が、非常に深刻であるという報道があります。厳しい環境で作業する労働者の健康や安全が本当に守られているのか。こういったことが、非常に大きな問題になっているのではないでしょうか。
今後、労働安全衛生センターは、私たちの命と健康を守る。そして、ヒバク労働を許さないということで、この問題に取り組んでいきたいと思います。
●藤本泰成さん(原水爆禁止日本国民会議)
原水禁は、福島第一原発事故と向き合って、脱原発社会をつくっていこうではないかということで、「さようなら原発9.19全国集会」そして、「さようなら原発1000万人署名」。この二つを中心とした「さようなら原発1000万人アクション」の行動を起こそうということで、今全国で私たちと一緒に活動してくれる仲間の皆さんに提起をさせていただいております。
この福島原発事故の、まだ収束のプロセスも全く明らかにならない中で、経済産業省、経済産業大臣は、原発の安全性は確認された、日本経済のためにこの原発を再起動しようではないかと発表しました。またも、命より経済優先なのか。心の底から怒りが湧いてきます。
私たちは人にやさしい、人の命にやさしい脱原発社会をつくるために、この「さようなら原発1000万人アクション」を成功させるために、ここに集う皆さん、全国の皆さんにぜひ、この運動に参加していただきたいということを訴えたいと思います。
●高木章次さん(プルトニウムなんていらないよ!東京)
「再生可能エネルギー促進法案」が話題になっています。これは、菅内閣の延命だという声もありますが、そういう問題ではなく、これはどうしてもこの機会に通したい。脱原発社会を実現するためには、どうしてもこれが必要だと思います。(高木さんは司会進行役も務めました)。
けしからん! 疑念、批判が噴出
海江田万里経産相が「原発再稼働要請」
福島原発事故から何を学んだのか?
海江田万里経済産業大臣は6月18日、記者会見を行い、原子力発電所を持つ電気事業者11社に対して指示した短期的な安全対策について「シビアアクシデント(過酷事故)対策が適切に取られている」として、これまで定期点検などで停止している原発の再稼働(再起動)を認める発言をし、菅直人首相も19日、それを容認しました。
その中で、「安全性が確認されたものは稼働していく」としていますが、しかし一体、何が確認されたというのでしょうか。福島原発の事故収束も調査もまだ終わっていない段階で、何をそこから学び、他の原発に活かしたというのでしょうか。地震や津波そのものが原発に与えた影響は、いまだ全容が解明されていないなかで、これで安全宣言を出してよいものでしょうか。
原子力安全・保安院の西山英彦審議官の「人類が経験した原発事故を全て考えて対応した。今回の対策をやっている原発は安全だ」との発言には、3.11の原発震災の現実を前に、薄っぺらな「安全」という言葉だけ浮いているようにも感じます。いまだ原子力の安全神話に取り憑かれているとしか思えない発言に、あらためて今回の事故から彼らは本当に何も学んではいないと言えるのではないでしょうか。
尚早な結論
全電源喪失を想定した緊急安全対策は、3月30日に指示されたものです。しかし、炉心損傷などのシビアアクシデントを想定した水素爆発防止策などは6月7日に指示され、14日に各電力会社から報告が提出され、これを踏まえて厳格に評価した結果とされています。しかし、日程から見て尚早な結論であるとしか受け取れません。
福島第一原発事故は、原因究明も進まず事故の収束への見通しも立っていません。放射性物質の濃度も高い建屋の開放を余儀なくされ、放射性物質の高濃度汚染水の除去装置も18日に稼働したものの19日には緊急停止したままとなっています。国際放射線防護委員会(IAEA)においても、事故の調査をすすめ、原発安全強化に向けて来年後半をめどに議論することとなっています。このような状況下で、中長期的対策を抜きにしたまま、原発を再起動することを前提にした経済産業省、原子力安全・保安院の態度は、国民の納得を得る物ではありません。
安全よりも経済優先を許すな
原発を推進する側に、国民の安全よりも経済を優先する考え方があり、原子力安全・保安院もその立場に立って安全対策をないがしろにし、福島第一原発事故によって福島県民の「命」を削る現状をつくったのだと考えます。
今回の大臣談話には、「電力需給の安定は、震災からの復興と日本経済の再生のために不可欠である」「わが国経済の今後の発展のためにも、原子力発電所の再稼働を是非お願いしたい」「電力供給への不安と火力発電で代替することによるコストの上昇は、国内投資の抑制や海外移転につながり、産業の空洞化を招きかねない」といった、これまでと同様に経済優先の姿勢が明確になっています。これでは、安全対策に何ら信頼性を持つことはできません。
福島原発事故の収束のめども立たず、避難生活を余儀なくされている福島県民の安全な帰還のめども立たない中で、経済優先の考えから原子力発電所の再起動へ言及した経済産業大臣の発言に対して、怒りをもって抗議し発言の撤回を求めます。
共同文書発表。被害日本大震災での米軍「トモダチ作戦」を評価。米軍、自衛隊の一層の関係強化、自治体主催の防災訓練、災害対策への米軍の参加を想定し「米軍と地方自治体による災害時の協力の重要性」確認。日米間の「化学、生物、放射線・核(CBRN)防護作業部会」の重要性の再確認のほか、中国にグローバルな問題での性人ある行動、国防費の透明性向上を求める。さらに日米共同開発の「SM3ブロック2A」の米国から第3国への輸出を容認、米軍普天間基地を2014年までに名護市に移設するとした期限を撤回。
平和フォーラム四国ブロック・社民党四国ブロック協議会共同で
愛媛県・四国電力へ申し入れ
四国4県で組織する四国ブロック平和フォーラム(代表 鈴木義博)は6月2日午前、社民党四国ブロック協議会と連名で、伊方原発が設置されている愛媛県に対し、福島第1原発事故で四国の住民に不安が高まっているとして、伊方原発3号機のプルサーマル運転再開中止や自然エネルギー中心のエネルギー政策への転換などの申し入れを行い、労組や社民党から15人が参加しました。
要請では、近隣県に対し、事故を想定した緊急避難態勢などを盛り込んだ防災計画策定を促すことなどをはじめ、運転開始から30年を経過した老朽原発の廃炉を四国電力に求めることなどの要請書を県側として対応した山口原子力安全対策推進監に提出しました。
今回の要請に対して山口推進監は、福島の事故検証を踏まえた安全対策を電力側に求める考えを示しながらも一方で、四国管内での電力量に占める原発の割合が4割を超えている現状を踏まえ、「運転停止や廃炉という選択は現実的ではない」との考えを示しました。
参加者からは、「伊方で福島のような事故が起これば四国全体に放射能の影響が及ぶ」「想定外の事態が起きることを設置県である愛媛県としてもっと重く受け止めるべきである」と県側の姿勢を強く非難しました。
また午後には、高松市の四国電力本店にも同様の申し入れを行い、私たちが懸念を示している活断層での強地震について電力側は、他社よりもかなり厳しく調査し、国の基準をも上回った構造にしている。安全上問題ないと主張しました。また老朽化原発の廃炉やプルサーマル運転の危険性の指摘についても、四国電力としての総電力の4割を占める原発供給量は全国的にみても依存度が極めて高い。原発が稼動できなければ夏場の電力確保は難しく工場の稼働や一般家庭での生活に影響を及ぼし兼ねないとの姿勢を繰り返すにとどまりました。
事故の発生から3ヶ月になろうとしているにもかかわらず未だ事態の収束のメドも立たない福島原発事故。しかも深刻度を示す国際評価尺度(INES)」では最も深刻な、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故に並ぶ「レベル7」とされた今回の原発事故を四国電力とは全く無関係であるかのような姿勢に終始しました。
また、原発設置県である愛媛県以外の3県においても同様の要請を6月20日までに各県知事宛に申し入れていくこととしています。
平和フォーラム四国ブロック
事務局長 廣瀬 透
2011年6月2日
愛媛県知事
中村 時広 様
四国ブロック平和フォーラム
代表 鈴木 義博
社会民主党四国ブロック協議会
議長 久保耕次郎
愛媛県平和運動センター
議長 松本 修次
社会民主党愛媛県連合
代表 村上 要
プルサーマル運転の中止と原子力政策の抜本的見直しに関する申し入れ
私たちが長年危惧していた原発震災が現実のものとなってしまいました。
去る3月11日に発生した「東日本大震災」は未曾有の災害をもたらしています。
国内最大のマグニチュード9.0の大地震、揺れの強さを示す加速度は宮城県栗原市で2933ガルを観測し、阪神大震災の最大818ガルを大きく上回り、宮城県宮古市での津波は38.9メートルの高さまで駆け上がりました。福島第1原発は緊急冷却装置が作動せず、炉心溶融に至る重大事故に発展してしまいました。
事故の深刻度を示す国際評価尺度は最も深刻な「レベル7」に引き上げられ、大地震から約3ヶ月経った今も放射能汚染は収まらず、多くの住民が避難生活を余儀なくされています。また、土壌・農林水産物の汚染や風評被害・住民や労働者被曝の問題が深刻化しています。
原子力発電所の事故は極めて重大な人災であり、「冷やす」「閉じ込める」という機能が完全に失われ、多重防護により安全だとしていた原発の『安全神話』が崩壊してしまいました。
放射能の潜在的危険性、核兵器の製造、放射性廃棄物、住民・労働者被曝、環境汚染などを発生させる原発から脱却し、自然エネルギー・再生可能エネルギーを中心とした小規模・地域分散(地産地消)型のエネルギー政策の実現を早急に図らなければなりません。
四国唯一の伊方原子力発電所、近く発生すると予測されている東南海・南海地震による被害が懸念され、また、沖合6~7㎞にある世界最大級の中央構造線活断層による地盤崩壊など、住民の不安が高まっています。
活断層の研究が進むにつれ未知の断層の存在が指摘され、今までの耐震基準・安全基準が想定する揺れを超えることはないのか、「想定外」の事故が続く中で大きな懸念材料であります。原子力は永久の電源とはならず、残るのはやっかいな廃棄物、永遠に負の遺産を残してしまうことになってしまいます。
私たちは原子力中心のエネルギー政策の転換を求め、以下のとおり申し入れます。
記
1.原発立地県として、今回の原発事故の教訓を踏まえ、原発推進政策を改め、以下の施策を推進すること。
1)伊方原発3号機のプルサーマル運転の再稼働を認めないこと。
2)30年を経過した老朽原発はただちに廃炉にすることを四国電力に求めること。
3)使用済み核燃料の管理・貯蔵の安全性、搬出計画などについて、四国電力に求めること。
4)原発の安全神話が崩壊し、環境汚染、期間の定まらない住民避難が続いている。県として住民のいのちと財産を守るために原発を廃炉にし、原子力中心のエネルギー政策から、太陽光・太陽熱・風力・地熱・バイオマス・小水力などの新エネルギー政策を進めるとともに、エネルギー多消費の暮らしを見直し、省エネやエネルギーの効率化を推進すること。
5)近隣県に対して、原発事故による放射能汚染・風評被害など住民のいのちと暮らしを脅かす原発政策から自然エネルギー中心政策と省エネ対策を進めていくよう要請すること。6)放射性物質の漏れ、拡散状況などに対する管理体制の強化とその数値を常時県民に公表するとともに、原発及び放射性廃棄物の保管の危険性について、住民を対象にした学習機会を設けること。
7)地域住民参加の下に福島原発事故規模の原発事故を想定したものに地域防災計画を見直すこと。
8)原発が稼働している間は、県の防災計画に緊急時の避難体制の整備、受け入れ等の計画を策定するよう自治体に働きかけること。
2.下記の事項について国に申し入れること
1)2020年までに9基、2030年までに最低でも14基の原発新増設に取り組むとしている現行のエネルギー政策は、エネルギー需要の拡大を前提に組み立てられており根本的に見直すこと。原子力からの段階的撤退を実施する基本法を制定すること。
2)原子力発電所の新増設計画を中止し、太陽光・太陽熱・風力・地熱・バイオマス・小水力などの新エネルギー政策を進め、脱原発政策を進めること。エネルギー多消費の暮らしを見直し、省エネやエネルギーの効率化を推進すること。
3)30年を経過した老朽原発はただちに廃炉にすること。
4)国の一般会計から拠出されるエネルギー対策費は、原子力関係でなく新エネルギー技術開発・普及支援・人材の確保などに使用すること。
5)原子力安全・保安院を経済産業省から分離させ、原発に反対・批判意見を持つものも含めた第3者により構成される独立性の高い安全規制機関に改組するとともに、徹底した情報公開を行うこと。
6) 原発のリスクと引き換えの原発立地県交付金制度を廃止すること。
7)原発労働者、電力会社の社員、下請労働者の被曝が深刻化しており、被曝労働者の健康管理及び万が一生じた疾病や障害及び所得保障に、国や企業が全責任を持って対処すること。
8)伊方原子力発電所沖合6~7kmにある世界最大級の中央構造線活断層による強地震、高津波、地盤崩壊などの安全性について根本的に見直し、伊方原発は廃炉を視野に停止させるよう国に求めること。
9)再生可能エネルギーの普及と省エネ政策を進めるために、国の電力保護制度を改革し、発電と送電を分離させること。
10)もんじゅと六ヶ所再処理工場の相次ぐ事故、日本はもとより世界で核燃料サイクルは破綻している。プルトニウム利用政策は無謀であり、放射能汚染、核拡散の大きな問題から核燃料政策を根本的に転換すること。
11)その他
以上
2011年6月14日
香川県知事
浜 田 恵 造 様
四国ブロック平和フォーラム
代 表 鈴 木 義 博
香川県平和労組会議
議 長 鈴 木 義 博
社民党香川県連合
代 表 奥 田 研 二
プルサーマル運転の中止と原子力政策の抜本的見直しに関する申し入れ
私たちが長年危惧していた原発震災が現実のものとなってしまいました。
去る3月11日に発生した「東日本大震災」は未曾有の災害をもたらしています。
国内最大のマグニチュード9.0の大地震、揺れの強さを示す加速度は宮城県栗原市で2933ガルを観測し、阪神大震災の最大818ガルを大きく上回り、宮城県宮古市での津波は38.9メートルの高さまで駆け上がりました。福島第1原発は緊急冷却装置が作動せず、炉心溶融に至る重大事故に発展してしまいました。
事故の深刻度を示す国際評価尺度は最も深刻な「レベル7」に引き上げられ、大地震から約3ヶ月経った今も放射能汚染は収まらず、多くの住民が避難生活を余儀なくされています。また、土壌・農林水産物の汚染や風評被害・住民や労働者被曝の問題が深刻化しています。
原子力発電所の事故は極めて重大な人災であり、「冷やす」「閉じ込める」という機能が完全に失われ、多重防護により安全だとしていた原発の『安全神話』が崩壊してしまいました。
放射能の潜在的危険性、核兵器の製造、放射性廃棄物、住民・労働者被曝、環境汚染などを発生させる原発から脱却し、自然エネルギー・再生可能エネルギーを中心とした小規模・地域分散(地産地消)型のエネルギー政策の実現を早急に図らなければなりません。
四国唯一の伊方原子力発電所、近く発生すると予測されている東南海・南海地震による被害が懸念され、また、沖合6~7㎞にある世界最大級の中央構造線活断層による地盤崩壊など、住民の不安が高まっています。
活断層の研究が進むにつれ未知の断層の存在が指摘され、今までの耐震基準・安全基準が想定する揺れを超えることはないのか、「想定外」の事故が続く中で大きな懸念材料であります。原子力は永久の電源とはならず、残るのはやっかいな廃棄物、永遠に負の遺産を残してしまうことになってしまいます。
私たちは原子力中心のエネルギー政策の転換を求め、以下のとおり申し入れます。
記
1.南海地震等による多大な被害が想定される伊方原発に隣接する県として、今回の原発事故の教訓を踏まえ、原発推進政策を改め、以下の施策を推進すること。
1)伊方原発3号機のプルサーマル運転の再稼働を認めないよう、愛媛県及び国に働きかけること。
2)30年を経過した老朽原発はただちに廃炉にすることを四電に求めること。
3)使用済み核燃料の管理・貯蔵の安全性、搬出計画などについて、四国電力に求めること。
4)原発の安全神話が崩壊し、環境汚染、期間の定まらない住民避難が続いている。県として住民のいのちと財産を守るために原発を廃炉にし、原子力中心のエネルギー政策から、太陽光・太陽熱・風力・地熱・バイオマス・小水力などの新エネルギー政策を進めるとともに、エネルギー多消費の暮らしを見直し、省エネやエネルギーの効率化を推進すること。
5)住民のいのちと暮らしを脅かす原発政策から自然エネルギー中心政策と省エネ対策を進めること。
6)放射性物質の漏れ、拡散状況などに対する管理体制の強化とその数値を常時県民に公表するとともに、原発及び放射性廃棄物の保管の危険性について、住民を対象にした学習機会を設けること。
7)地域住民参加の下に福島原発事故規模の原発事故を想定したものに地域防災計画を見直すこと。
8)原発が稼働している間は、立地県だけでなく県の防災計画に緊急時の避難体制の整備、受け入れ等の計画を策定するよう自治体に働きかけること。
2.下記の事項について国に申し入れること
1)2020年までに9基、2030年までに最低でも14基の原発新増設に取り組むとしている現行のエネルギー政策は、エネルギー需要の拡大を前提に組み立てられており根本的に見直すこと。原子力からの段階的撤退を実施する基本法を制定すること。
2)原子力発電所の新増設計画を中止し、太陽光・太陽熱・風力・地熱・バイオマス・小水力などの新エネルギー政策を進め、脱原発政策を進めること。エネルギー多消費の暮らしを見直し、省エネやエネルギーの効率化を推進すること。
3)30年を経過した老朽原発はただちに廃炉にすること。
4) 国の一般会計から拠出されるエネルギー対策費は、原子力関係でなく新エネルギー技術開発・普及支援・人材の確保などに使用すること。
5)原子力安全・保安院を経済産業省から分離させ、原発に反対・批判意見を持つものも含めた第3者により構成される独立性の高い安全規制機関に改組するとともに、徹底した情報公開を行うこと。
6)原発のリスクと引き換えに原発立地県交付金制度を廃止すること。
7)原発労働者、電力会社の社員、下請労働者の被曝が深刻化しており、被曝労働者の健康管理及び万が一生じた疾病や障害及び所得保障に、国や企業が全責任を持って対処すること。
8)伊方原子力発電所沖合6~7kmにある世界最大級の中央構造線活断層による強地震、高津波、地盤崩壊などの安全性について根本的に見直し、伊方原発は廃炉を視野に停止させること。
9)再生可能エネルギーの普及と省エネ政策を進めるために、国の電力保護制度を改革し、発電と送電を分離させること。
10)もんじゅと六ヶ所再処理工場の相次ぐ事故、日本はもとより世界で核燃料サイクルは破綻している。プルトニウム利用政策は無謀であり、放射能汚染、核拡散の大きな問題から核燃料政策を根本的に転換すること。
11)その他
以上
6月11日(土)午後1時30分から東京の芝公園23号地で、「くり返すな!原発震災 つくろう!脱原子力社会 6.11集会」が開かれました。集会を呼びかけたのは、原水禁、プルトニウムなんていらないよ!東京、原子力資料情報室、日本消費者連盟、ふぇみん婦人民主クラブ、たんぽぽ舎、福島老朽原発を考える会の7団体です。前日から降っていた雨のせいか、開会時には公園内に空きがありましたが、デモ出発直前には満杯となり、主催者発表で約6000人が集まりました。
ウラン採掘の段階から世界の先住民族は核被害を受け続けている
「被爆65周年原水爆禁止世界大会記録集」より抜粋・再編集
世界のヒバクシャ「ニュークリア・レイシズム」(長崎 第3分科会)
フォトジャーナリスト 豊﨑 博光
【プロフィール】
78年にマーシャル諸島で核実験被害の取材を始めたことをきっかけに、米国、太平洋諸島、オーストラリア、カナダ、旧ソ連、ヨーロッパなどでウラン採掘、核実験、原子力発電所の事故などによる核被害者と非核平和運動などを取材。著書に『核よ驕るなかれ』『アトミック・エイジ』『マーシャル諸島 核の世紀』など。
世界で2,050回以上行われた核実験は、全て先住民族の土地で行われてきました。いろいろな被害を先住民に押し付けてきたと言えます。広島・長崎を起点とすれば、65年間、核の被害を先住民族に押しつけ、核を持つ国が豊かになり、今や私たちは、原子力発電を地球温暖化に対する切り札として推し進めようとしています。それら全ては、先住民族の住む土地のウラン鉱石を掘り出すところから始まって、それを使う事で回っています。つまり、先住民に被害を与え続けている、私たちは今や加害者の側に立っていると言うことです。
ニュークリア・レイシズム
1992年にオーストリアのザルツブルクに、世界の先住民族の方たちが集まって世界ウラン公聴会という大きな会議が1週間開かれました。その時に、ウラン採掘、核実験、さらに核廃棄物を捨てるところも先住民の土地が選ばれてきている──そういった差別を受けてきたことにニュークリア・レイシズムという言葉を使いました。字引にもありません、エンバイロメンタル・レイシズム、環境破壊が先住民族に差別的に被害を与えているということを表現した言葉に沿った形で作られた言葉です。
一番最初は、カナダの北極圏にあるグレート・ベア・レイクで採掘されたウランが広島・長﨑の原爆に中心的に使われました。そこに住んでいたのが、サトー・デネーと呼ばれる人々です。原爆を作る前に、材料を掘り出す段階から被害を受けていました。
ウランの採掘
現在カナダは世界最大のウラン生産国です。ウランの採掘場はサスカチュワン州というちょうどカナダの真ん中になるあたりです。サスカチュワン州の北の方、もっと北に行くとノースウェスト・テリトリーと言います。
デネー・インディアン、あるいはイヌイットといった人々の住む地域がありますが、そことの州境にたくさんの湖があるあたりで採掘されています。こういうところのウランが、我々日本の原発を廻しているのです、そこではデネーと呼ばれる人々が被害を受けています。
アメリカにナバホと呼ばれる先住民族の人々がいます。正式の部族名はディネという、デネーというカナダの部族と兄弟のような関係で似た名前ですが、1910年代にすでにウラン採掘が始まっていました。その時のウランは原発には使われていませんでしたが、採掘にあたったのは地元のナバホ・インディアンです。彼らは放射能、つまりウランがどれほど危険なものかということは一切教わらず、採掘をした人々はほとんど肺ガンなどに罹りました。ウラン鉱脈の中には肺ガンを起こす非常に危険な物が入っているのですが、そういうことを知らずに掘っていたわけです。
また、ナバホの人々は、レンガと石を積み上げてホーガンという伝統的な家をつくるときに、ウラン鉱山の石を使いました。そこに住んでいる人々は、鉱山の仕事に行って被曝をして、帰ってきて家でも被曝するといった事をくり返しているわけです。
採掘されたウランは近くにある精錬所で鉱石の中にあるウランを取り出すわけですが、ウラン鉱石に水を加え、硫酸とアンモニアを使って抽出した物がイエロー・ケーキと呼ばれる黄色いきな粉のような精製ウランになります。それを取り出す過程で廃棄物が出ます。精錬されたウランは、今度は濃縮という工程に持って行かれます。そこでもまたたくさん廃棄物が出ます。濃度を4%ぐらいに上げると商業用の原子炉で使えるようになり、より高くすると、原爆の材料になります。高濃縮ウラン90%ぐらいで即、原爆になります。
アメリカが広島に落とした原爆は、高濃縮ウラン60kgを使って作った物です。濃縮工程で出るたくさんの廃棄物、劣化ウランが主な物ですが、比重が大きいので弾丸や砲弾の頭に使われて、被害を広げています。
1979年にシャーキロと呼ばれる所にあったダム、日本で言うボタ山のようなところですが、それが大雨で崩れてプエブロ川という周辺の人の飲料水や家畜の飲み水になっている川に流れ込んで大変なことになりました。去年、事故から30年になったのですが、まだ放射能除染されていない状況です。
ナバホの人々の住んでいる居留地には、あちこちたくさんの所にこういったウランのゴミが捨てられています。ナバホの居留地と言ってもピンとこないかも知れませんが、おそらく西部劇などで、グランドキャニオンやモニュメントバレーなどを見たことがあると思います。みな居留地の中にあります。もしグランドキャニオンに行く機会があったら必ず通るであろう、キャメロンという小さい村があります、村の後ろ側には使わないウラン鉱石が捨てられています。いまや砂漠の砂と見分けがつきません。
ウラン鉱滓の捨てられた所のそばには羊が放牧されています。汚染された草を食べて育ちます。羊の肉はナバホやプエブロ族の人々がよく食べる肉です。ですから彼らは何重にも被曝をし、放射能を体内に取り込むことになります。周辺地域の子供たちの間には、たくさんの障害が出ていますが、よく調べられていません。レポートも出ていますが、はっきりしたことが分かりません。ただ、確実に子供たちが被害を受けていると言うことが出来ます。
核実験場
世界の核実験場で、アメリカは主な実験場は二つ、マーシャル諸島のこの前世界遺産になったビキニ環礁とエニウェトク環礁、1946年から58年まで67回、原爆と水爆の実験をやりました。それによって周辺の人たちが大変大きな被害を受けています。私たちがよく知っているのは、第五福竜丸被災事件、1954年3月1日にビキニ環礁で行われたブラボーという水爆の死の灰を浴びたことによって、福竜丸の乗組員23人が被害を受けたという事件です。
ビキニ環礁には今、人が住んでいません。23回の実験をやったことで島中に放射能がばらまかれてしまっています。アメリカはお金をかけて何度も放射能を取り除こうとしたのですが、結局出来ませんでした。世界遺産になってもだれも行けない、誰もアクセスできない世界遺産、それがビキニです。
このビキニ環礁の水爆実験で第五福竜丸が被曝したというのがきっかけとなって、原水爆禁止運動の原点になりました。それまで、我々はあの占領体制の中で広島・長﨑の原爆情報は日本人のほとんどに伏せられていたのです。第五福竜丸の被曝をきっかけにして、東京杉並の女性たちが、あるいは大阪の人たちが水爆実験反対署名運動というのを始めて、そこから始まったのが原水禁運動です。今我々が開いている大会もそこから始まったわけです。
ビキニの人たちはもうずっと故郷の島を失ったままです。1946年に彼らは島を出ましたから、64年間も島に帰っていません。人間の寿命で言えば、もう3世代目に入っています。3世代、故郷の島を知らない世代が続いて、1世はほとんどいません。
ブラボー実験では、東に180kmにあったロンゲラップ、さらに、470km離れてウトリック、この二つの島が放射能降下物の被害を受けています。今、アメリカでいろいろ機密解除になった文書が出てきているのですが、それを見ていると、マーシャル諸島ほぼ全体、1950年代から60年代にかけてマーシャル諸島にいた住民たちは、1万2千から1万4千と言われていたんですが、そのほとんどが実は被曝をしていました。我々がよく、広島、長﨑の体験から「唯一の被爆国」と言いますが、そうではない。マーシャル諸島共和国も独立した国です。国連にも加盟しています。マーシャル諸島も被曝国です。ですから「唯一の被爆国」なんて軽々しく言わない方がいいと思います。
もう一つのアメリカの実験場は、ラスベガスの北西100kmにあるネバダ実験場です。ここは、ショショニと呼ばれる先住民族の人たちの大地です。そこをアメリカは勝手に国有地だとか、遙か昔に土地を貸そうという協定を結んでいながら、それに対する代替も出さず、金の補償もしないまま、ずっと使い続けています。
ここでは1951年から1992年までずっとアメリカは核実験をやってきたわけです。大気圏内だけでも100回の核実験です。
次に、2番目の核保有国旧ソ連です、今は独立したカザフスタンのセミパラチンスク実験場で467回、1949年から1991年までやりました。ここはカザフの人たち、馬で駆って羊の放牧をして暮らす人々の土地です。そこで核実験をやって、今やソ連という国は消えましたから、ヒバクシャだけが残されました。カザフの人たちはだいたい120万、多くて150万の人々が被害を受けたまま放り出された、というのが現状です。
3番目の核実験をしたのはイギリス。1952年から57年までオーストラリアでやりました。オーストラリアもイギリス連邦だったわけですが、そこで12回の核実験を行いました。実験の被害を受けたのはアボリジニと呼ばれる先住民です。たくさん被害を受けたのですが、実態は未だによく分かりません。当時オーストラリアではアボリジニの人々が何人いるのか知らないんですね。なぜなら、1967年まで国勢調査の対象になっていなかったんです。それ以前は、何人、どこに住んでいるのか分からない。そういうところで核実験をやって被害を受けた人がたくさんいるのに分からない。その後、イギリスは太平洋中西部のほぼ真ん中にクリスマス島という島が有りますが、そこでも実験をやっています。クリスマス島はあまり人のいないところだったのですが、実験にはイギリス領の国の兵隊がたくさん参加させられました。その中には、ニュージーランドの兵隊、先住民族のマオリの人たちが入っています。この人たちも被曝をしました。この実験ではフィジー島からの300人の兵隊が参加させられて被曝をしています。
4番目はフランスです。最初1960年から65年までは、アルジェリアのサハラ砂漠で核実験をやりました。実験によって、地元アルジェリアの人々、それからサハラ砂漠にはニジェールなど他の国もたくさんありますがそこにはトゥアレグ族と呼ばれる遊牧の民がいます。そういう人たちも被曝をしています、しかしよく分からないのが現状で今日まで来ています。1967年以降は、仏領ポリネシアのタヒチの南東1200kmにある、モルロア、ファンガタウファの2つの環礁で実験をしました。先住民のマオヒの人々の島です。そういう人々に被害を及ぼしながら、フランスは核実験をやってきました。
最後は、中国です。1964年10月16日に新疆ウイグル自治区ロプノールというところで実験をしました。東京オリンピックの真っ最中でした。アジアにある中国の存在を誇示するためにあえて東京オリンピックの期間に原爆実験をやったんです。実験場周辺にはウイグルという先住民の人々がいますが、その人たちに被害を与えて核兵器を手にしました。チベットの独立問題は、新聞でよく目にされると思います、中国がチベットをどう弾圧しているのかも聞かれると思いますが、チベットを中国は決して手放さないだろうと言われています。なぜなら、チベットはウランの宝庫だからです。ほかの鉱物資源もたくさんあります。もし独立してしまったら、中国の工業生産が行き詰まると言われています。モンゴルのも中国の核実験によって被害を受けています。もう一つはすぐ東側にカザフのセミパラチンスク実験場があります。その死の灰も浴びて、二重に被曝している可能性もありますが、そのあたりのことはほとんど分かりません。被害を受けているのは確かですが、どの程度のものなのか分からないというのが現状です。
北極圏へも被害が
もう一つ、私たちが全く忘れてしまう場所が北極圏。せいぜいオーロラがあるぐらいしか、あるいは、イヌイットと呼ばれる人たちがいるだろう、と言う程度しか知られていません。家に帰ったらいろいろ本を読んでみてほしいのですが、アメリカ、旧ソ連、イギリス、フランス、中国、この5ヵ国が大気圏内核実験、つまり地上でやったときに、そのほとんどが北半球にありますが、核実験で空高く放射能の灰を吹き上げると、ジェット気流が死の灰を北極に向かって集めることになります。
北極には大陸がなく北極海を取り巻くようにロシア、カナダの大陸、グリーンランド、アイスランド、スカンジナビアがあります。この地域にだいたい250万人ぐらいの先住民族が住んでいます。その人たちに共通しているものが一つあります。どの先住民族も、トナカイ、カリブの放牧で暮らしており、主食がトナカイ、カリブの肉です。餌にしている苔が放射能を吸い込んでしまうと、苔を食べたトナカイ、カリブを先住民族の人々が食べることになります。
ここに取材に入ったときに、6人家族の所に行きました。だいたい1ヵ月の間に、70kgぐらいのトナカイ1頭を丸ごと食べます。ほとんど主食です。とくに内蔵は生で食べます。北極圏ではほとんど草が生えませんから、ビタミン栄養源になる新鮮な物がありません。内臓を生で食べてビタミンを補っているわけです。しかし、そこに放射能が集中しています。そういうものを食べることによって北極圏の人々が食道ガンや腎臓ガンなどに罹っているというのが少しずつ分かってきました。しかし、私たちは北極圏について全く知らないというのが現状です。
ウランは大地に留めておけ
オーストラリアの中央部のオリンピックダムという場所が、オーストラリアでもっとも多くのウランを採掘しているところです。日本の原発のウランも今ここのオリンピックダムから来ています。ここはクカドゥという元々アボリジニの聖地です。1983年に彼らは聖地を守れと言うことで座り込みをしました。その後オーストラリア政府は採掘に許可を出して、土地の名前もオリンピックに変えてウラン採掘をしています。
92年のザルツブルクの会議に集まった先住民族の人々は「まず、ウラン採掘をやめろ、ウラン採掘をすることによって毒をまき散らす原発が始まる」「ウラン採掘をすることによって、核兵器が拡がってしまう。だから、ウランは大地に留めておけ。そうすれば何事も起きない。だからこれ以上、我々の聖地を、我々の故郷を、母なる大地を傷つけないでくれ」と皆さん一致して声をあげました。そういうところから核兵器の被害も始まり、我々が知らないたくさんの被害が起きています。そういう人たちに被害を与えて我々は今日なお、温暖化防止策として、原発が必要だというのなら、あなたは間違いなく先住民に対する加害者なのです。
ウラン採掘の中止を(長崎 第3分科会)
メニュエル・F・ピノ
【プロフィール】
ニューメキシコ州の先住民プエブロのアコマ族の出身。1950年生まれ。生まれ育ったアコマ族とプエブロ族の「居留区」には、世界最大と言われた露天掘りの「ジャックパイル・ウラン鉱山」がある(1953~1982年操業)。1970年代後半から「全米インディアン青年会議」の活動家として、ナバホ族居住地の石炭開発の環境破壊問題などに取り組み、2001年の「反差別国連世界会議」には、先住民代表として参加。2008年には、他の先住民活動家とともに「核のない未来賞」を受賞。現在は、スコッツデール・コミュニティ大学( アリゾナ州) の社会学教授、アメリカ・インディアン研究課の責任者を務めている。また「先住民環境ネットワーク」「安全な環境を求めるアコマ・ラグーナ連合」「南西部調査情報センター」などの評議委員長としても活動している。
私はアコマというニューメキシコ州の地域からきました、私たちの部族アコマは北米で最も古い先住民族の一つです。そして同じ場所にずっと住み続けている部族です。砂漠の大地の上に400メートルぐらいの高さの、砂のてっぺんが平らになった岩がありますが、それをメーサーと呼んでいます。そのてっぺんに村があります。
白人の人たちは村のことをスカイシティー空の町の土地と呼んでいます。私たちは核被害者です。そして核エネルギーの利用の被害者でもあります。昨日私は広島の資料館に行ってまいりました。そこで様々な展示を歩いて見ながら込み上げてくる強い怒りを感じ、それと同時に本当に悲しい思いをしました。
広島・長﨑とのつながり
広島・長崎でアメリカが行ったジェノサイド、虐殺というのは、本当に私たちがアメリカで被った被害と全く同じだと思います。アメリカ政府は私たちを虐殺しながら打ち立てられた政府です。そして私たちの土地を略奪してきました。しかしこのような事実に対して一切見ようとも聴こうともしません。今年は広島に大使が来られるんですね。そのような虐殺を広島でして歴史上初めて広島に来るということを私は聞きました。
広島・長崎とそして私たちのニューメキシコ州とのつながりといいますのは、広島・長崎に落とされたファットマンそしてリトルボーイという二つの爆弾がアメリカ、ロスアラモス研究所でつくられましたが、その原爆の開発にあたって使われたウランというのは私たちの土地からとられ、そしてそのテスト実験は、原爆が広島・長崎に落とされるわずか数週間前にホワイトサンドというニューメキシコ州の実験場で行われました。
広島・長崎に落とされた原爆の材料になったウランはカナダで採られたものです。開発の途中で使われたウランはニューメキシコ州のナバホの土地から掘られました。そしてその初めての実験がアパッチの人々の住む実験場で行われたわけです。ですから、日本の広島・長崎と私たちの被害とあるいはカナダの先住民というのは、そういう形でつながりがあります。
故郷の大地の下のウラン
核エネルギーの一連の鎖の中の最も初めにあるのがウラン採掘です。私の住むアコマの土地の下にはグランツ鉱脈というウランの鉱脈があります。そこは1940年代の後半から90年の初めにかけて非常に集中的に北アメリカでは一番大量のウランを採掘したそういう鉱脈です。
この地域には1,000を超えるウラン鉱山があります。そして非常に多くのウランを精錬する工場があります。そして60年間に渡る開発の中で、ずっと汚染による被害を受けてきましたし、今もその被害が続いています。
様々な健康障害にみんなが苦しんでおり、ありとあらゆる種類のガンに関連した病気に罹る人が増えています。脳腫瘍ですとか肺ガン、胃ガン、大腸のガン、骨のガン、皮膚ガン、そして女性の場合には女性特有の乳ガンや子宮ガン、そういった病気が増えています。
このような被害が続く中、私は核の平和利用という言葉を聞くにつけ本当にとまどってしまいます。そんな言葉があるのだろうかと。そして世界中のいろんなところの先住民の土地で同じような病気で苦しんでいます。
私は日本に来て広島・長崎で被爆をされたお年寄りの方にお会いしましたが、彼ら彼女たちは私たちには被爆による広島・長崎による生存者、被爆者と言われました。その方々にお会いして私は、私もウラン採掘によるアメリカのニューメキシコ州の被害者であるということを確信しました。
私はウラン採掘とその精錬による環境の破壊と私たちの土地で起こっている問題についてお話をしたいと思います。それは環境のありとあらゆるもの、空気、土、そして植物、全てが汚染をされているという事実です。最も重要なのは、やはり水の汚染です。そして人々がヒバクをし様々な病気になるということです。
私がこのような活動に入ったきっかけの一つの場所というのは、ジャックパイルウラン鉱山です。この鉱山は30年間にわたって掘られ続けました。場所は私たちの住むアコマのすぐ隣のラグーナというところ、ラグナーナ・プエブロという人たちが住んでいる場所にあります。
露天掘りのウラン鉱山
30年間ジッャクパイル鉱山で操業が行われていく間に、露天掘りですから、どんどん広がっていきます。その全体の露天掘りの広さは、当時世界で最大級の広い露天掘りの鉱山だと言われていました。そしてその30年間の間に2,400万トンものウラン鉱石が掘られ、その大量のウラン鉱石の90%以上がたった一つの場所に送られました。それはアメリカ合衆国の国防省で、そこで冷戦時代に大量破壊兵器である核兵器をつくるために使われたわけです。
そのジャックパイル鉱山から非常に近いところに村があるんですが、計算すると600メートルぐらいです。本当に目と鼻の先のところにこの村がありまして、村の人口は当時2,500人ほどでした。
風が東から西の方向に向けて、鉱山のほうから吹いてくるときには、この村を汚染したチリが舞い上がり直撃をします。そして当時、1950年代に鉱山会社や政府は、それがこの村が危険にさらされているということは一切教えてくれませんでした。そして人々は畑を耕すしトウモロコシやウリや豆をつくり続けました。そして鉱山のすぐ近くで牛や羊などの家畜を放牧して生活していたわけです。
汚染は拡がる
川が鉱山を突っ切って流れていくわけです。だから鉱山から流れ出た汚染した土砂が川に流れ込み、そしてその下流の500kmぐらい遠くまでその土砂が汚染したものが流れていきました。
ジャックパイル鉱山からの汚染した土砂流れ込んだその川はこの地域で一番大きな川だったんですが、下流の人々は今はその川が汚染しているということを知っていますが、当時は全くそんなことは知りませんでした。何十年も経ってからいろんな病気が増えてくるということで、その事実を知ったわけです。
向こうは非常に乾燥地帯です。しかし、夏場はモンスーンの季節でして、そのときには結構雨が降り、ドライリバーではなくて本当の水の流れる川になります。そういうことで汚染した土砂が流れに沿って川の下流数kmまで土砂が運ばれていくというような状況です。1,200ヘクタールという非常に広い地域から川が筋で流れて来まして、その川とか表面の水流だけでなく地下の地下水も汚染されました。
「除染」の実態
ジャックパイル鉱山が閉鎖されて30年も経ってから鉱山の除染作業、原状復帰作業の議論がされていました。どのように除染をするかという交渉を10年間続け、ラグーナの人々、地元の人々、そしてアナコンダの鉱山会社、そし連邦政府と議論を重ねてきました。そしてやっとどのように作業をするかということが決まりました。
地中を掘った露天掘りのところの一番底の部分にウラン残土をそのまま埋め戻したんです。地下水のあるレベルまではウラン残土ですから汚染した土砂を埋め戻すという作業をしました。ウラン残土の上にまた違う、残土でない土や土砂を覆って地層をつくっていったわけです。
原状復帰の作業がされた後は、底の部分に土が敷かれてなだらかになっています。斜面には土を覆ってカバーをしています。しかし、非常に斜面が急なところには土を埋めることができなかったので、むき出しの大地が見えています。
このジャックパイルの原状復帰作業を、アメリカ政府は非常にうまくいった成功したと誇っているんですが、世界最大の露天掘りの鉱山では今まで復旧作業なんかやったことがないので、比べることができないようなところの作業を自分たちは成功したと言えるだろうかと、私たちは非常に疑問に思います。
その原状復帰作業をやっている最中あるいはやった後のところに行きますと、雨が降った後に覆っていた土砂が下の方に流れていく状況が見られます。そして、鉱山の中に裂け目のようなものが見えます。覆った土が裂け目から流れ下の川に流れ込んでいます。
私たちはこの裂け目のところに行ってガイガーカウンターで放射線を測ったのですが、連邦政府の安全基準をはるかに超えるような放射線が測られました。このようにいまだに放射能のレベルが高いにもかかわらず、連邦政府はこれは成功したと豪語しているわけです。
ジャックパイル鉱山は非常に成功した除染作業を行ったと彼らは言っているわけですが、そのすぐそばに違う鉱山があります。その土地はニューメキシコ州が所有している土地ですが、州は予算がないということを理由に何もせずに放ったらかしにしています。
食べ物・飲み水にも
問題は、牛とか羊とかいう家畜が汚染した草を食べたというようなことだけではなく、クマとかエルク、シカとかライオン、そういう野生の動物がこの丘を降りてこの放射能で汚染された水を飲んでいるという事実です。
野生動物が汚染されるということを私たちは国連にも訴えてきました。国連の食糧機構(FAO)にその問題を提起しました。汚染したチリを食べた家畜やあるいは野生動物が汚染するということで、今国連のほうでは食物の安全保障フードセキュリティーということで、汚染した食物を汚染するということに対する宣言、そういうことをしてはいけないという宣言ができたわけですが、その問題に関連して私たちはやはりこのような水や私たちの食べ物が汚染しているということを証言してきました。
次に私はアコマの西にあるナバホの人たちの土地のことをお話します。ナバホ族は、合衆国で一番住んでいる土地もあるいは人口も最大の部族です。その面積はアメリカのバージニア州と同じぐらいの面積があります。
ナバホの人たちの住んでいるナバホネイションは四つの州が交わるところです。アリゾナ州、ニューメキシコ州、コロラド州、そしてユタ州という四つの州が交わるところに位置しています。ナバホの人たちの土地には1,300ものウラン鉱山、そしてウランの精錬所が存在します。精錬所が閉鎖されてから除染作業が行われるまでの期間はだいたい平均して10年くらいですが、その10年間の間は製錬所から出た廃棄物の山、それは全く野ざらしの状態でこの地域一帯の川に流れ込みそして地下水を汚染するというような状況です。
ホームステイク精錬所という場所は、この地域でも最も汚染がひどいところです。この24 年間の精錬所での操業中、常にここの精錬の量はアメリカでトップ3に入る大量の精錬を行っています。
先ほど申し上げたジャックパイル鉱山から流れ込んでいる汚染している川と同じ川の上流にこの精練所があり、両方の施設によって同じ川が汚染されています。ですからこの川が二つの施設によって汚染され、下流に流れて行ってウラン採掘や精錬のない場所のニューメキシコ州の地域にも汚染を広げているということが理解できるかと思います。
ホームステイ精練所とジッャクパイル鉱山はアメリカ政府が言うところのスーパーファンドサイトと言いまして、除染作業を最優先して行い、そのための予算をつけるそういう場所があるんですが、両方ともそういうスーパーファンドサイトに指定されています。
日本の企業が進出
このグランツ鉱脈の上に日本の住友商事が新しいウラン鉱山を開こうとしています。
実は今週月曜日に東京の住友商事の本社に行き、住友の方とお会いしたんですが、そのときに住友商事に対して私は、「どうしてこのように長年に渡る負の遺産、汚染があるようなところに新しい鉱山を開くのですか」という問題を提起しました。もう一つ住友商事で、「ロカ・ホンダの鉱山でウランを掘ったとしてもそれはほとんどアメリカで使うものではなく、ほぼ100%日本に輸出されるものだ」ということは申し上げました。
もう一つの問題は、ロカ・ホンダでウラン採掘が始まれば、そのロカ・ホンダのところからまた川が流れ込んで、先ほど申し上げましたホームステイク精練所が汚染している川と同じところに流れ込んでいくわけですね。ですからまたそれによって人々、家畜、そして農業が影響を受けます。調査によりますと、このホームステイク精練所の近くの地下水を人々は飲んで暮れしているんですが、地下水の調査で、ほとんどの井戸の水がトリチウムによって汚染されているということがわかりました。
ジャックパイル鉱山よりももっと小さい鉱山は、52年以上経ってもいまだに除染作業がされずに放置されています。このあたりの鉱山から掘られましたウランが広島・長崎の原爆をつくる実験に使われたウランですが、65年たった今日もそこのウラン鉱山は除染されずに残っています。ですから、広島・長崎とナバホの人たちとのつながりということがこういうところにも表われているのです。
被害の実態は
40年代、50年代ごろにウラン坑夫が素手で穴の中、マスクも何もなし、換気もしないような環境で働いていました。人々が働くすぐそばに汚染した鉱滓が積まれていて、何のカバーもされていませんでした。当時、働いている人に対してマスクをしたり換気が必要だと危険なんだということを一切知らせてこなかったわけです。その結果、今日ウラン坑夫の肺ガンの率がウラン鉱山で働かなかった人たちの20倍~30倍というような頻度で出ており、5,000人にものぼるナバホの坑夫たちがガンなどの病気に罹っているという調査があります。
ある推定によりますと、500人から600人のウラン坑夫がすでに1990年までに亡くなったと言われており、そして2000年までに500人から600人がさらに亡くなると言われています。しかし、ナバホの居留区は非常に医療機関から離れたところにありますので、そのような統計を正確にとるということが非常に難しいのです。
連邦政府はいまだにきちんとした健康調査を一切やっていません。ですから、私たち活動家とかその状況を懸念する人たちがウラン坑夫あるいは元精錬工の健康調査をやっていますが、連邦政府はほとんどそれを支援してくれません。
チャーチロックというところで1979年に起こった鉱滓ダムの決壊は、世界で起こった鉱滓が決壊して地域を汚染した最大の事故だったと言われています。その事件により4億5,000万リットルという大量の液体に混ざった汚染物が流れました。政府がその地域の汚染を除去する作業を始めたのはそれから30年も経った2009年になってからです。
このようにして私たちがどのように核被害者になってきたかということがご理解いただけると思います。子どもたちは汚染した残土のところで遊び、人々はその残土を使って家までつくって家畜を汚染した草で育て、そして川が汚染してその水を飲み家畜も飲みそこで洗濯をしたりもしました。
見えない犠牲
核の平和利用と言われますが、見えないところで病気になりそして多くの人々が亡くなっています。これはまさしく核による人種差別です。連邦政府は「あいつらはインディアンだ。放っとけ。死んでしまっても構わないんだと」そんな扱いをしてきました。私たちはそのような扱いに本当にうんざりしています。そういう嘘をつかれたこと、そういう扱いを受けたことにがまんがならないんです。
もう一つ核のいわゆる平和利用を考える前に考えいただきたいのは、廃棄物の問題です。私はここに来る前に福井の原発を見に行きました。美浜の原発を見学したんですが、そのときに本当に驚いたのは原発が目の前に見える浜で子どもたちが遊び家族が海水浴に来ていたんですね。その状況を見て非常にショックを受けました。
そして原発の横にある博物館で原発のPRセンターですが、そこで展示されていることは、いかに原発は安全かということしか人々に知らせていなかったんです。
今日の会場を見回しましたら若い人たちが結構坐っていらっしゃるのを見ました。その若い人たちに申し上げたい。あなたたちが私たちの将来を築いていくんです。人間としてこのような問題を解決するのか、それとも今までのような核の汚染をずっと続けるのかということをぜひ若い人たちに考えていただきたいと思います。
本当に今日はどうもありがとうございました。日本の人々と連帯してそして広島・長崎の記念すべき日にここに来られたということを本当に心から感謝したいと思います。それと先住民として私はここに来たことを決して忘れることはないでしょう。それと同時に私はアメリカ政府が私たちにしたことと全く同じことを皆さんにしたということに対して非常に心を痛めて、謝りたいと思っています。
シリア核問題を国連安保理に付託する米国などの決議案を賛成多数で採択。疑惑の施設はシリア東部の砂漠地帯にあり、イスラエルが07年に空爆で破壊した。08年に米国がシリアが北朝鮮の支援で原子炉を建設していたと発表していた。
原子力災害対策本部が福島第1原発事故で1=3号機で燃料が原子炉圧力容器の底に溶け落ち、容器に開いた穴から外側の格納容器に落下して堆積する「メルトスルー(溶融貫通)」が起きた可能性も考えられるとした報告書を国際原子力機関(IAEA)に提出。
2011年6月7日
九州電力株式会社
代表取締役社長 眞部 利應 様
原水爆禁止九州ブロック連絡会議
議 長 明石 佳成
原発はもういらない九州ブロック連絡会議
議 長 重野 安正
玄海原発設置反対佐賀県民会議
議 長 柴田 久寛
川内原発増設反対鹿児島県共闘会議
議 長 荒川 譲
東日本大震災と玄海・川内原発に係る申し入れ書
貴職におかれましては、日夜、安心・安全な市民生活を確保するためにご尽力をいただいていることに対し心より敬意を表します。
さて、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とそれによる津波は、2万数千人もの死者や行方不明者、十数万人もの避難者や数十万にのぼる被災者を生み出すとともに沿岸部の街に壊滅的な被害をもたらしています。特に、「多重防護」という「安全神話」が脆くも崩れ去った福島第一原発の苛酷事故は今なお収束の目途が立たず、日本のみならず地球規模で原子力発電所及びその放射能汚染に対する健康不安や危機感が広がっています。
菅首相は5月18日の記者会見で、川内原発3号機など2030年までに原発を現状より14基以上増やすとした政府の「エネルギー基本計画」を白紙にして見直し、再生可能エネルギーを基幹エネルギーと位置付け、省エネルギー社会を構築するとともに、地域分散型の自然エネルギーに対応して電力会社の発電部門と送電部門の分離などエネルギー政策の転換を明らかにしました。さらに原子力安全委員会斑目委員長は、原発の安全設計審査指針や耐震設計審査指針などの見直しを5月19日に明らかにしています。南日本新聞社が鹿児島県民を対象にした4月の世論調査によれば、7割近くの県民が増設に反対し、8割近くが太陽光・風力などの自然エネルギーを将来のエネルギーの中心にするよう求めています。
貴社自らの判断に基づいて、新たな被曝者を生み出さず、国民に多大な犠牲と負担を押し付けて経営基盤を根底から揺るがす原子力発電事業から直ちに撤退し、人々に信頼される安心安全な電力供給をおこなうよう求め、下記のとおり申入れます。
記
1 増設手続きを凍結している川内原発3号機増設計画を中止し、白紙撤回すること。
2 玄海原発3号機でのプルサーマル運転を中止するとともに、政府に「核燃料サイクル計画」を放棄し、トラブル続きの高速増殖原型炉「もんじゅ」・高速実験炉「常陽」、六ヶ所再処理工場を廃炉にするよう求めること。
3 玄海原発1・2・3・4号機と川内原発1・2号機を計画的に廃炉にすること。
なお、定期点検にはいっている原子炉の再稼動については、地元自治体・議会及び住民の了解なしには行なわないこと。
(1)玄海原発1号機の脆性遷移温度が2009年には98度と想定を越して劣化し、93度未満という新設原子炉の業界基準を上回っているので直ちに停止させること。
(2)九州電力は、2011年3月30日の経済産業大臣指示≪津波により三つの機能(①全交流電源、②海水冷却機能、③使用済み燃料貯蔵プールの冷却機能)を全て喪失しても、炉心損傷や使用済み燃料の損傷を防止し、放射性物質の放出を抑制しつつ冷却機能の回復を図ること≫を踏まえた緊急安全対策が5月6日に国に評価されたとしている。
しかし、この「緊急安全対策」は3月末時点で判明している知見に基づくものにとどまっているため、福島原発第一事故が未だ収束せず、事故の本格的な原因究明が明らかにされていないだけに、抜本的な安全対策が構築されるまでは運転を再開しないこと。少なくとも、九電が冷却機能を失わないよう平成26年度初めまでに完了するとしている対策を終えるまで再開しないこと。
(3)地震や津波対策がなされていないモニタリングステーション及びモニタリングポスト、放水口ポストの地震・津波対策を早急に行ない、整備計画を明らかにすること。
(4)玄海原発と川内原発それぞれに「原発安全地域審議会」(仮称)を新設し、苛酷事故に対応した住民の安全確保のシミュレーションなどの検討を、九電と行政、防災関係団体のみならず、地域住民の参加や原子力発電に批判的な知見を有する学識経験者を含めておこなうよう関係機関に求めること。
4 九州電力は5月31日、①東海・東南海・南海地震が連動しM(マグニチュード)9、②南海・日向地震が連動しM9、③対馬南西沖断層群・宇久北西沖断層群が連動しM8.1の3ケースを試算し、想定した地震により発生する津波の高さは発電所敷地高さより低く、敷地へ影響を及ぼすものではないとし、振動も基準地震動(玄海540ガル、川内540ガル)を下回ったと公表したが、以下の点を明らかにすること。
(1)国や有識者による「試算」結果の検証をおこなうこと。
(2)東海・東南海・南海・日向地震が連動した試算をM9以上でおこなうこと。
(3)玄海原発の耐震安全性評価において敷地に最も影響を及ぼす「検討用地震」とした城山南断層と竹木場断層及び評価対象とした8断層などが連動し、M9の地震を起こした際の試算をおこなうこと。
(4)川内原発の耐震安全性評価において「検討用地震」とした五反田川断層とF‐A断層、F―C断層及び評価対象とした13の断層などが連動し、M9の地震を起こした際の試算をおこなうこと。
5 マスコミ報道に係る九電の見解などについて
(1)福島第一原発は沸騰水型炉、玄海原発や川内原発は加圧水型炉だが、加圧水型の安全性に係るアキレス腱と指摘されている蒸気発生器との関連も含め、福島第一原発が加圧水型炉だったら被害が生じなかったのか明らかにすること。
(2)玄海原発及び川内原発の「耐震安全性評価結果報告書」の「津波に対する安全性評価」での津波評価(玄海は上昇2.1㍍・下降2.6㍍、川内は上昇3.7㍍・下降3.7㍍)を見直すとともに見直し計画を明らかにすること。
また、福島第一原発の津波に係る耐震安全性評価結果における津波評価内容と2011年3月11日の津波の上昇・下降水位を明らかにすること。
(3)福島第一原発1号機が津波前の地震で圧力容器や配管が損傷して放射性物質が放出したのではとか、3号機のECCS(緊急炉心冷却システム)の高圧注水系の配管が地震で破損していた可能性が報じられている。地震による福島第一及び第二原発などの被害状況を明らかにするとともに、原発の安全設計審査指針や耐震設計審査指針などの見直しを国に要請するとともに独自の見直し作業に着手すること。
(4)玄海や川内の使用済み核燃料ピットは地下にあるため、タンクとの水位差により全電源喪失時でも動力源無しに冷却できるとしているが、福島第一原発の原子炉建屋(閉じ込めるための5重の壁の一つで厚さ約1㍍の鉄筋コンクリート製)と川内原発燃料取扱建屋の強度及び密封性能の違いを明らかにすること。
また、福島第一原発の使用済み核燃料プールが原子炉建屋外の建屋地下に貯蔵されていたら今回のような事態に至らなかったのか、その理由とともに明らかにすること。
6 「電気ご使用量のお知らせ」について
九州電力の「電気ご使用量のお知らせ」に、「太陽光発電促進付加金」とともに、印字スペースや示し難いことなどを理由に拒否してきた「原子力発電の廃棄物処理費用」(大島堅一立命館大教授によれば世帯あたり月200円強)を明示し、原子力発電の放射性廃棄物処理費用に係る消費者負担額を知らせること。また、福島原発事故の損害賠償の支払い財源を確保するために増税が検討されている「電源開発促進税」(1,000kwhにつき375円、標準世帯で月120円程度)額を明示すること。
7 計画停電について
北海道・北陸・関西・中国・四国電力は節電数値目標を掲げていない(2011年5月26日:南日本新聞)にも関わらず、九州電力は5月18日の記者会見で、火力発電所のLNG燃料の調達が難しい場合は7月から9月下旬頃まで15%程度の節電を要請する考えを明らかにした。しかし、九州電力の「平成23年度供給計画の概要」の最大電力需給バランスでは、需要1,669万kWに対し供給力1,978万kW、供給予備力309万kW、供給予備率18.5%と、供給余力が十分にあることを明らかにしている。定期検査中の玄海2・3号機と川内1号機及び劣化している玄海1号機を除き、玄海4号機118万kWと川内2号機89万kWの計207万kWに2009年度末の原発以外の最大出力(設備容量)1,476万kWと小丸川1号30万kW(2010年7月運用開始)及び小丸川2号30万kW(2011年7月運用開始)を足すと1,743万kWになり最大電力需要1,669万kWを上回る。しかも、太陽光などの買い取り電力や他社からの購入電力、さらには計画停止発電所を稼動させ、廃止発電所の廃止時期をずらせば、節電数値目標など出さずに省エネを進めれば供給力は十分にある。
2011年6月5日、石油やLNGの確保を理由に「九電電力不足回避へ」(毎日新聞)、「九電節電要請大幅に圧縮へ」(朝日新聞)と報じられたが、根拠不明な「15%節電」要請により定期点検後の原発再稼動を煽ってきたことは責任重大で許されない。これまで九電が「経営上の理由」だとして公表を拒んできた電力供給力の積算根拠などの情報を開示し、以下の点について明らかにすること。
(1)原発を稼動しなくても電力供給設備が十分にあることについて
ア 「平成23年度供給計画の概要」の最大電力時の供給力の積算根拠及び15%節電要請をすることとなった裏づけの供給力の積算根拠を、以下の8項目の電源ごとに明らかにすること。また、「供給計画の概要」と「裏づけ供給力」が相違することになった理由を明らかにすること。
九州電力所有発電所の電力[①原発、②水力、③石炭火力、④石油火力、⑤LNG火力、⑥地熱などその他]及び⑦太陽光などの買い取り電力、⑧他社からの購入電力。
イ 2009年度末の最大出力(設備容量)は193発電所、2,002万kW(電気事業連合会)とのことだが、2011年3月末の最大出力(設備容量)を明らかにすること。
ウ 計画停止中の唐津2・3号機計87.5万kWの稼働時期を明らかにすること。
エ 平成23年度に廃止計画のある苅田新2号37.5万kW及び平成24年度に廃止計画のある大分1・2号機計50万kWの廃止時期の見直しの検討状況を明らかにすること。廃止時期を延長する場合は、新たな廃止時期を明らかにすること。
オ 2001年3月に着工後、工事をストップし2023年度以降に運用開始予定の松浦2号100万kWの工事再開の検討状況を明らかにし、再開する場合はその時期と運用開始時期を明らかにすること。
(2)燃料確保について
石油元売り会社で構成する石油連盟会長が「全体では足りている」(5月28日付け毎日新聞)と記者会見しているなかで、節電の根拠として石油火力発電所の低硫黄石油などの調達が難しい(5月25日付け南日本新聞)ことなどが報じられている。低硫黄石油とLNG(液化天然ガス)、石炭のそれぞれについて、燃料不足・価格・その他の面から燃料調達の見通しについて具体的に明らかにすること。
(3)電気使用量の縮減策などについて
ア 政府は、東京電力と東北電力管内で電力使用制限令により、大口需要家を対象に一定期間の一定時間帯に4段階に分けた削減義務付けようとしている。九州電力による「15%節電実施計画」(もしくは見直し後の「節電計画」)の詳細な内容と、実施された際の供給予備力、供給予備率を明らかにすること。
イ 電力消費の拡大に繋がる「オール電化」に係る営業活動を自粛し、ガスなど他のエネルギー源の活用も図りながら社会全体の省エネを推進すること。
8 「原水禁エネルギー・プロジェクトからの提言/持続可能で平和な社会をめざして」(原水爆禁止日本国民会議)及び「社民党脱原発アクションプログラム」(社会民主党)を踏まえ、「エネルギー基本計画」を白紙に戻し、再生可能エネルギーを基幹エネルギーにして省エネ社会を構築するという原発中心のエネルギー政策を転換するという政府の方向性を後押しし、原子力発電事業から撤退して自然エネルギー・再生可能エネルギーを中心とした小規模・地域分散型電力供給体制を構築すること。
脱原発への決意を固く
-福島原発事故の教訓を生かそう、非核平和行進に、原水禁世界大会長崎に-
確かに3.11の地震も津波も巨大ではあったが、それにしても福島第一の4基の原発設備の脆弱さは目を覆うばかりである。安全性を担保する「多重防護」が機能しなかった原因は今後の検証にまたねばならないが、システムの破損個所もその程度も確認する術がないとなれば原発という巨大システムの設計コンセプトそのものの欠陥を問わねばなるまい。放射能を制御する技術はまだまだ未熟・未完成なのだと言わざるを得ない。いや恐らく、原子力は人智の及ばない、本質的に制御不可能なものなのだろう。核分裂のエネルギーを兵器の破壊力として解放できても、それをコントロールするには巨大すぎて不可能なのである。それが「核は人類と共存できない」との言葉が意味するところである。この認識を一人でも多くの人々と共有したいものだ。
鹿児島は原発立地県であり、川内原発2基に加えて159万KWの巨大な3号機増設計画があり、増設反対を闘っている私たちは脱原発の運動を更に強力に推進する使命を担っている。しかしこれまで増設反対は多数派を形成できたとはいえない。福島原発事故を契機に原発の「安全神話」、廃棄物処理を棚上げにしたコスト安や「環境負荷の少なさ」などの虚妄性を暴き、原発を中心に置くエネルギー政策の危険性を社会の共通認識にする運動を強化したい。
ところで南日本新聞の原発等についての県民意識調査(4月23日紙面)によれば、川内3号機増設については反対(「どちらかといえば反対」を含む 以下同様)が70%弱、そのうち福島原発事故以前からの反対は43%、以前は賛成と保留だった人の合計が、56%とのこと、今後は再生可能エネルギーを中心に置くとする意見が78%であったことと併せて福島事故の影響が電力問題の意見形成に強く働いており、この限りでは脱原発を推進するのに有利な環境が生まれたといえる。しかし、3号機増設は「産業構造やライフスタイルを支えるのに必要」との意見が男性、とくに20歳代男性に多いことや、1・2号機は安全性見直しの条件付きで稼働を容認する意見も66%あることは電力需給への不安感が根強いことをうかがわせる。これについての説得力ある理論構築が必要である。脱原発の運動強化は今夏の被爆66周年原水禁世界大会で重要なテーマに位置付けられているので、非核平和行進にとっても被爆者援護、核兵器廃絶とともに重点事項の一つである。5月19日から行った県内の行進でも各自治体にこれを要請した。すでに増設の凍結を表明している自治体には白紙撤回を要請することを申し入れ、それ以外の自治体には早急に対応を検討するよう要請した。現在とりくんでいる「増設計画白紙撤回」を求める意見書採択の陳情運動に有利に反映することを期待している。
(鹿児島県護憲平和フォーラム代表 荒川 譲)
東京・ 国立オリンピック記念青少年総合センターを会場に開催された「脱原発エネルギーシフトをめざす6.4シンポジウム」には、約650人が参加しました。原水禁ではブース出展も行い、多くの人でにぎわいました。
1985年4月9日に青森県議会の全員協議会が六ヶ所村に核燃料サイクル施設の受け入れを決めた日を私たちは「反核燃の日」として、毎年抗議の全国集会を重ねてきました。今年は、4月の統一地方選挙もあり、6月4日に移し青森市で「全国集会」と「全国交流集会」を開催しました。
青森市内の青い森公園で開催した「『4・9反核燃の日』全国集会」では、北は北海道から南は鹿児島まで、全国各地から約1500人が結集しました。集会では、福島第一原発事故を受けて、脱原発への訴えが続きました。原水禁の藤岡一昭副事務局長からは「再処理工場をとめ、青森を脱原発のスタートラインにしよう」と訴えました。また、今も事故の収束の見通しが立たないなかで、見えない放射能の恐怖にさらされる福島県からも15名が参加し、福島県平和フォーラムの竹中柳一代表が現状報告をしました。竹中さんは、日々自分が受ける放射能を測り続け、どれだけこれまで放射能を浴び続けているかを紹介しながら、特に福島の学校現場で起きている現状を報告しました。その後、市内をデモ行進して「原水禁全国交流集会」に合流しました。
あいさつする藤岡原水禁副事務局長
竹中福島県平和フォーラム代表が福島の厳しい現状を報告
「全国交流集会」では、元原子炉プラント設計技術者の後藤政志さんから「福島第一原発で何が起こっているのか」と題して、事故の経過や現状そして今後の見通しについて解説していただきました。また原子力資料情報室共同代表の西尾漠さんからは、今後の原子力政策の行方を語っていただきました。この事故を契機にますます原子力行政は行き詰まり、核燃料サイクル政策の存在意義すら見えなくなっていることが指摘されました。さらに福島の現状報告として福島県平和フォーラムの國分俊樹さんからは特に20mSv問題に揺れる学校現場での放射線問題に苦悩する実態が報告されました。女川原発を抱える宮城県護憲平和センターの菅原晃悦事務局長からは、女川原発でも地震や津波によって多くの被害を受け、福島と同じように過酷事故につながる一歩手前であったことが報告されました。
翌日は、六ヶ所村の核燃料サイクル施設へのフィールドワークを行い、六ヶ所PRセンターで、日本原燃から六ヶ所再処理工場の進捗状況の説明を受けました。その中で来年10月の工場の竣工については変更ないとの回答がありましたが、震災以後のプルトニウム利用計画が大幅に崩壊したにもかかわらず、強気の発言でした。
なお、全国集会に先立ち、前日の3日に日本原燃と県庁に申し入れを行いました。その中で、日本原燃を支える東電が今回の事故により企業の存続さえも厳しくなる中で、日本原燃の存続自体も厳しくなるのではないかと問いに、他の電力会社で支えてもらうとの回答でした。もともと財政状況の非常に厳しい日本原燃に、本当に「豊かな」未来がひらけているのだろうか?
福島第1原発事故後、政府が新たに設けた国家戦略室がまとめた「革新的エネルギー・環境戦略」素案で、原発推進路線の堅持を明記。
2011年6月3日
青森県知事 三村 申吾 様
原水爆禁止日本国民会議
議長 川野 浩一
原子力資料情報室
共同代表 西尾 漠
社会民主党青森県連合
代表 渡辺 英彦
青森県平和推進労働組合会議
議長 江良 實
原水爆禁止青森県民会議
代表 今村 修
(公印省略)
六ヶ所再処理工場・青森県の原子力施設の運転・建設計画を撤回させ、
青森県を放射能汚染から守る申入れ
今年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震が発生し、その後に発生した巨大津波とあわせて、未だかつて経験したことがないような大被害を東北地方にもたらしました。被災者の多くは、未だに避難所に暮らすなど、不便な生活を強いられています。そして、福島県民は新たな放射能被曝の恐怖との闘いを強いられることとなりました。
地震発生直後、既に破壊が始まっていた東京電力・福島第一原発の損壊については、事故直後の情報が最近になった公開されるようになりました。その中で、1-3号機のメルトダウンと1-4号機の爆発の進行に伴い、放射能が広く拡散したことも明らかとなりました。その結果、福島県民の200万人が、放射能の影響調査対象とされることになりました。
そして、被ばく許容量については、原発事故の収束に従事する作業者は、5年間で100ミリシーベルト未満であった基準を、1年間で250ミリシーベルトまでに引き上げました。また、敷地境界の住民に対して被ばく許容量は1ミリシーベルト未満としていたのに、それを引き上げ、子どもたちに20ミリシーベルトまで浴びて大丈夫としました。いずれも、その被ばく線量での安全確認が行われたことはなく、これでは国民が被ばくの実験台にされているに等しく、絶対に容認できません。
なお、青森県の原子力施設でも、福島の悲劇が再現される可能性が高いと考えます。4月7日の余震により、再処理工場と東通1号機では、外部電源と非常用電源の喪失が発生するあわやの事態が起きました。両方とも外部電源が喪失し、非常用電源が起動しました。再処理工場では5台のうち2台、東通原発では3台のうち1台が起動しました。しかし東通原発では、起動した1台が途中で軽油漏れを起こし、再処理工場では重油漏れを起こしました。もし外部電源復旧が遅れたならば、福島原発4号機のように、使用済み核燃料が冷却不能の事態になったかも知れません。この軽油漏れの原因が取り付けミスによるものであり、本当に首の皮一枚で、大事故遭遇に至らなかっただけであったのです。
以上のことから、貴職には、以下の事を申し入れます。
記
1. 日本の核燃料サイクル政策の抜本的な見直しを国に働きかけ、青森県に展開している原子力施設の運転・建設計画の撤回を事業者に要請すること。
また、以下について、質問しますので、回答をお願いします。
記
1. 青森県の原子力防災計画について、いつ、どのように見直すのか。
2. 既に貯蔵している使用済核燃料は、再処理が行えない場合、どのように処分するのか。
3. 高レベル放射性廃棄物の長期貯蔵後に、最終処分場が未確定であるが、搬出期限を守らせる用意はあるのか。
以上
2011年6月3日
日本原燃株式会社
社長 川井 吉彦 殿
原水爆禁止日本国民会議
議長 川野 浩一
原子力資料情報室
共同代表 西尾 漠
社会民主党青森県連合
代表 渡辺 英彦
青森県平和推進労働組合会議
議長 江良 實
原水爆禁止青森県民会議
代表 今村 修
(公印省略)
六ヶ所再処理工場の本格稼働をやめ、
核燃サイクルから撤退する事の申し入れ
今年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震が発生し、その後に発生した巨大津波とあわせて、未だかつて経験したことがないような大被害を東北地方にもたらしました。被災者の多くは、未だに避難所に暮らすなど、不便な生活を強いられています。そして、福島県民は新たな放射能被曝の恐怖との闘いを強いられることとなりました。
地震発生直後、既に破壊が始まっていた東京電力・福島第一原発の損壊については、事故直後の情報が最近になった公開されるようになりました。その中で、1-3号機のメルトダウンと1-4号機の爆発の進行に伴い、放射能が広く拡散したことも明らかとなりました。その結果、福島県民の200万人が、放射能の影響調査対象とされることになりました。
そして、被ばく許容量については、原発事故の収束に従事する作業者は、5年間で100ミリシーベルト未満であった基準を、1年間で250ミリシーベルトまでに引き上げました。また、敷地境界の住民に対して被ばく許容量は1ミリシーベルト未満としていたのに、それを引き上げ、子どもたちに20ミリシーベルトまで浴びて大丈夫としました。いずれも、その被ばく線量での安全確認が行われたことはなく、これでは国民が被ばくの実験台にされているに等しく、絶対に容認できません。
なお、東京電力と政府の安全対策の不足がマスコミの脚光を浴びていますが、貴社には、非常用電源の不足があったことを、明らかになりました。
3月11日、フロッシングにより使用済み核燃料貯蔵プール水が約600リットル漏水しました。3月15日、冷却水循環ポンプ2台のうち1台が停止しました。これに対し貴社は4月21日に、外部電源・非常用電源を喪失した場合に備えて、大型電源車を3台用意しました。
しかし、以上の措置にどのように備えたのかが、県民には見えないのが遺憾です。
なお、日本の原子力発電所は、早晩停止を迎えますが、貴社には使用済み核燃料を再処理する能力が完璧には備わっていません。そこで、各原発サイトに使用済み核燃料を長期貯蔵させ、貴社の再処理工場を操業しないことが必要なのではないのでしょうか。
以上のことから、貴社には以下のことを申入れます。
記
1. 日本の核燃料サイクル政策の抜本的な見直しを国に働きかけ、再処理工場のアクティブ試験中断に取り組むことを要請する。
また、以下について、質問しますので、回答をお願いします。
記
1. 約240㎥の高レベル廃液が貯蔵されているが、電源喪失すると、どのようになるか。
2. 既に貯蔵している使用済核燃料は、再処理が行えない場合、どのように処分されるのか。
3. 高レベル放射性廃棄物の長期貯蔵後に、最終処分場が未確定であるが、搬出期限を守るべき用意はあるのか。
以上
米国エネルギー省のプルトニウム使用実験について
2011年6月3日
原水爆禁止日本国民会議
議 長 川野 浩一
事務局長 藤本 泰成
米国エネルギー省の国家核安全保障管理局(NNSA)は、ニューメキシコ州にあるサンディア研究所の実験装置「Zマシン」で核兵器物質プルトニウムを使った実験を行いました。これまでの未臨界実験と同じく、「核兵器の維持・管理」のための安全性実験とされています。
昨年11月18日と今年の3月31日に行われた実験では、世界で最も強力なX線の出力を使い、核兵器の爆発に近い超高温・高圧下でのプルトニウムの反応テストに成功したと発表されました。これまでの未臨界実験では、ネバダ核実験場の地下施設で爆薬を使って行われており、極小出力の核実験との見分けが難しく、検証を難しくする事から、核拡散上の問題になっています。今回の新装置をつかった実験では、地下施設に隠れた実験ではなくなり、この検証問題では改善と評価すべき点もありますが、核兵器開発につながる危険性も疑いようもありません。削減されつつある米国防予算のなかで突出する核関連予算の問題とあわせ、核廃絶を目指すオバマ政権の姿勢が問われます。サンディア研究所の運営会社が世界最大の軍需企業ロッキード・マーティンの完全子会社であることもその性質を表していると言えるでしょう。
CTBT批准を実現させるため、米国議会内の取引材料であるとみても、その政治的コストは高すぎるものになっていると言わざるを得ません。
一方で、NNSAは、福島第1原発の震災事故後、放射能汚染の空中測定を続け、原発周辺数十kmの注目すべき測定データも日本政府より先に公表するなど、米国内外の核・放射能危機への対応や核兵器の安全性・信頼性の維持・発展を担う年間予算91億ドルの強力な組織です。公表データも福島住民の被曝対策にも有効なものでした。
原発震災後の核の恐怖のもとにある日本の政府は、こうしたNNSAの危機管理については、学ぶ必要も大いにありますが、米政府に対しては、ネバダ核実験場の閉鎖や、CTBT早期批准を求め、核開発につながる動きを抑止するよう求めるべきです。
原水禁は、「核と人類は共存できない」考えから、あらゆる核開発に反対します。これらの新型実験の中止と、ネバダ核実験場の閉鎖、CTBT早期批准を米国政府に強く求めます。
ブラジル・サンパウロで開催の「第4回世界大都市気候変動サミット」で2012年6月リオデジャネイロで開催の「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」に向け、協力して地球温暖化防止対策に当たるよう、世界に呼びかける。
国連安保理のイラン制裁に関する専門家パネルが作成した最終報告書で、核・弾道ミサイル開発を目的にイランがペーパー企業や偽装工作を駆使して活発に軍事転換可能な民生品の密輸を試みていると指摘していることが明らかに。
●「エネルギー大消費社会」転換が進むべき道
元京都大学原子炉実験所講師 小林 圭二さんに聞く
●東電社長発言・県知事や市長も不快感を表明
柏崎刈羽原発3号機「年内再開」を撤回せよ
原水爆禁止新潟県協議会 事務局長 中村 進
●世界の核兵器の状況を考える(2)
削減されない米ロの核戦力
●《各地からのメッセージ》
住民パワーで今こそ、脱原発社会の実現を
フォーラム平和・人権・環境しまね 事務局長 古川 輝雄
●福島を「原発震災」が襲った
県内に広がる汚染への恐怖と不安
福島県平和フォーラム 事務局次長 國分 俊樹
元京都大学原子炉実験所講師 小林 圭二さんに聞く
【プロフィール】
1939年中国・大連市生まれ。京都大学工学部原子核工学科卒、京都大学原子炉実験所助手、同講師。原子力発電の実用化に夢を抱き原子力を専攻、原子力開発研究者の道を歩み始めたが、70年代前半、四国電力伊方原子力発電所1号機建設に反対する住民訴訟の支援を契機に原発反対へと舵を切る。2003年定年退職後も、精力的に研究や講演活動などを続けている。著書に「高速増殖炉もんじゅ 巨大核技術の夢と現実」(七つ森書館)、「原発の安全上欠陥」(共著・第三書館)など。
──小林さんが原子力に携わることになったきっかけは何ですか?
私が大学を受験したとき、「原子核(原子力)工学」と銘打っていたのは、全国でも京都大学工学部しかありませんでした。当時はまだ、日本には商業用の原子力発電所は1基もなく、アメリカで試験的な小さい原子炉が動き始めたくらいで、原子力利用に対しては、明るい夢しかない時代です。そこに夢と希望を抱いて選んだ分野ですね。大学卒業後は原子炉実験所に入り、原発開発の研究者になりました。
──それがなぜ原子力に対し疑問を持つようになったのでしょうか?
研究者としての道を歩む中で、原子力に対して「輝かしい未来のエネルギー」として希望を持つ一方で、放射性廃棄物の処分方法が確立されないまま、見切り発車してしまってもいいのだろうかという疑問は漠然としたものとしてありました。そこに60年代末の全共闘運動や日本各地で噴出していた公害問題に対する運動が巻き起こり、自らの行っている「学問」というものについて問い返す、大きな契機となりました。
70年代に入ってまもなく、伊方原発1号機の行政訴訟が始まりました。現地の住民たちは、それまで土地問題を根拠に闘ってきたものの挫折し、原発そのものの安全性を真正面から問う闘いとして裁判闘争に入りました。そのとき久米三四郎さん(元大阪大学講師・故人)や荻野晃也さん(元京都大学工学部講師)を通じて、研究者に対する裁判への支援の呼びかけがありました。
話を聞く中で、愛媛県における行政の強権的体質、四国電力のカネの力が相まった、かなり悲惨な現地の状況を知ることになりました。住民たちは建設が強行される中でとことん追い詰められて、自殺者まで出ていたのです。
私はその時点では、原子力が将来的にものにならない技術だとは、必ずしも思っていませんでした。ですから「反原発」というよりも、権力やカネをかさに着た態度に対する反発をきっかけにして、住民たちを応援しなくてはいけない、そのために私の原子力の知識が活かせるのなら、という気持ちで関わるようになりました。
──推進派の研究者が圧倒的多数ですが、なぜ「反原発」の立場を選択されることになったのでしょうか?
そもそも原子力開発は国のプロジェクトであるからこそ初めて存在し得る学問です。原子力の専門家にとっては、自分の存在がかかっている以上、国の原子力政策を擁護するのはむしろ必然と言っていいでしょう。全共闘運動の中でも、自分の専門分野については深く知っていても、そこから外れたことに対してはまるで知らないし、関心もないという研究者の態度が批判されていました。私自身、そういう狭い範囲でしか考えることのできない研究者であったわけですが、原発というのは、例えば学問領域でざっと分類してみても、原子核工学、電気工学、機械工学、化学などが関わってきます。もちろん放射線の影響については医学や生物学です。このように非常に広範囲な分野の集積によって成り立っているものなのです。だから専門家というのは、実は原発の全体像が見えていない。原発というものをトータルなものとして見るという視点を、専門家はそもそも持っていないのです。
ところが伊方原発の裁判では、様々な分野の専門家が一堂に会し、一緒に議論しました。そこで初めて広い視野で原発を捉えることができたわけです。例えば、放射能の被害は急性のものだけではなく晩発性障害もある。閾値(しきいち・ある反応を起こすための最小値)があるのではなく、どんな少量であってもそれに応じたリスクがある、といったことを知りました。そうした中で私が痛感したのは、原発というものが、本質的に人類と相容れないものである、ということです。
損壊の激しい福島原発建屋(東京電力海外プレス向けHP)
──福島第一原発事故は国際原子力事象評価尺度(INES)のレベル7と認定されました。
まず、この評価尺度が放射能の放出量だけで決められていることに問題があります。これではどうしても結果論に陥りがちです。事故の重要性というのは、どういう危険性がどれだけ存在したか、最悪の事態へどのくらい接近したのか、そういった潜在的な危険性の大きさを見なくてはなりません。そのことを踏まえた上で、最悪のレベル7と評価されたことは、あの事故の経過から言って当然だと思います。
スリーマイル島原発事故では電源喪失していません。条件としてはずっと「楽」なのです。福島第一原発では全電源を喪失しています。その上、4機同時に原子炉のみならず使用済み燃料プールでの事故まで起こっているわけですから、事故の幅広さからみても、ケタ違いの規模です。
──電力会社は今回の事態を「想定外」としていますが、安全対策に問題はなかったのでしょうか?
初めから、本当の意味での安全性は考えられていないのです。「想定内」であるべき自然災害を「想定外」と設定したことは、もはや人災であると考えています。伊方の裁判でも問題になったのは、地震が来たときに発電所はどうなるのかということでした。電力会社は「非常電源は複数あるから1台故障しても大丈夫」という論理ですが、同じ場所に同じ構造物があれば同時に故障すると見るほうが、むしろ自然で合理的な想定であると言えます。学術的には「共通モード故障」と言い、いわゆる共倒れの状態です。
しかし津波や地震で、一方は壊れて他方は生き残るという、非合理な想定に立った上での安全審査がまかり通っています。これは歴代の裁判でもそうだし、浜岡原発についてもそうです。
実は90年代の女川原発の調査報告でも、869年に東北地方に大きな津波被害をもたらした貞観地震のことが取り上げられています。さらに2009年、岡村行信さん(産業技術総合研究所活断層研究センター長)に安全対策の必要性を指摘されているのにもかかわらず、それを無視しておいて何が「想定外」でしょうか。このように、電力会社の行ってきた安全対策というものが、自分たちの都合に合わせたシナリオに沿ったものでしかないのですから、実際の役に立つわけがないのです。
今回これほどまでの大きな事故になった一方で、しかし、「これほどで済んでいる」のは、スリーマイル島での事故を教訓としたシビアアクシデント(過酷事故)対策があったからなのです。日本を含め世界のどの国でも「格納容器は絶対に壊れない」という安全対策の大前提がありましたが、スリーマイルで格納容器が壊れるようなこともあり、それを受けてアメリカ原子力規制委員会(NRC)がシビアアクシデント対策を義務付けたのです。
──その対策には、具体的にどのようなものがありますか?
代表的なものがベント(緊急用の排気弁)です。多少放射能が漏れてしまってでも、より大きな形で放射能が漏れる事態を防ぐためにはやむを得ないということでベントをつける。もう一つは消防の設備を炉心の注水に転用可能にすることを義務付けたのです。ヨーロッパでもそれに倣って対策を行いました。
ところがそのとき、日本ではそういうことは起こらないとして対策に動きませんでした。ずいぶん後になって、電力会社の自主的判断で対策することを勧める、としました。他国の大事故の教訓にも学ぼうとしない、日本だけは特別だという思い上がった発想で、そこには安全思想なんて存在していません。描いたストーリーどおりの「安全対策」で済ませるという形式的なものでしかないのであって、実質的な安全対策としてそもそも体をなしていないのです。そのことを今回如実に示したのは、これまで説明されてきた「安全対策」が一切役に立つことがなく、ただ唯一役に立ったのが、シビアアクシデント対策だったということです。今回、非常用炉心冷却装置(ECCS)が動かなかったものの、炉心に海水を注入できたのは、このシビアアクシデント対策のおかげなのです。
しかし、東電は燃料が露出してから海水注入を決断するまでに約20時間かかっています。これが決定的な失敗です。スリーマイル島原発事故では、燃料棒露出から約100分間で炉心溶融に至りました。東京電力は海水を入れたら原子炉として二度と使えないから、財産の損失をためらっていたのでしょう。
しかも1号機でこういう事態に陥った以上、同じ経過をたどることが予想されるのだから、同時に2、3号機にも注入するべきだったのですが、そうしなかった。地震には耐えたが、津波によって破壊されたから今回の事態に至ったという電力会社の説明には疑問があります。
巨大な塔が印象的なスリーマイル島原発(47News HP)
──政府や東電の情報公開についてはどう考えておられますか。
例えば水素爆発が起こっていますが、水素は配管が健全であれば建屋内に溜まることがないはずです。したがって地震の段階で大きなダメージを負っている可能性が高いと思います。また、地震のあと、運転時70気圧くらいの原子炉の圧力が一桁にまで急激に下がりました。田中三彦さん(サイエンスライター・元原発技術者)によれば、このとき配管が破壊されているのではないかということです。少なくとも今ある情報からすれば、地震には耐えることができたとは言うことができないと思います。
また、自動停止機能は働いたと言っていますが、これだって制御棒がしっかり全部挿入できていたかは保証の限りではありません。核分裂の反応は低下したかもしれないが、現時点の情報では、再臨界を起こしていた可能性も全く否定することはできないと思います。彼らの言ってきた「止める・冷やす・閉じ込める」の「止める」の段階すら、成功したのか疑問が残ります。
恐ろしいことは、事故についての詳細情報がまともな形で出てこないことです。唯一記者会見がありますが、これも記者クラブによって統制されています。本来は日々原発の情報に接している記者が自由に質問できるような場でなければ、ろくな情報は出てこないでしょう。今までの事故であれば、現場に記者用の部屋が設けられて、各社が発電所の職員たちに直接取材できたことを考えると、現状は極めて異常な情報管理の状態であると思います。
東京では毎週のように脱原発集会やデモが開催されている
(4月24日・東京・芝公園)
──このあと事故を収束させるためにはどうすべきでしょうか?
長期化させないためには、とにかくこれ以上燃料を溶けさせないことです。燃料自体は元々、溶けにくいものですが、そうであるがゆえに一度溶けてしまったら手の施しようがありません。溶ける兆候が現れたらすぐに対応しなければなりません。
──政府の放射能汚染対策についてはいかがですか?
放射線量基準の引き上げなど、非常にご都合主義的です。平常時と事故時で基準を分ける考え方は昔からありましたが、それは緊急作業をする人に限った話で、一般市民に対して安易に緩めることはよくないですね。そうであるならば避難させるべきです。
最近、内閣参与を辞任した小佐古敏荘さん(東大大学院教授)は原発推進派として有名で、シンポジウムなどではたびたび対決してきました。とくに上関原発の設置に関しては際立った推進側として発言してきた人物です。
しかし彼の今回言っていることはそのとおりで、大人と子どもを同一のレベルで見るのは愚の骨頂です。発ガン率という意味で言えば、同じ被曝量で一桁違うと見ていいでしょう。もはや別の問題として考えるべきです。
──政府の原子力利用政策についてはどのようにお考えですか?
実態はすでに崩壊しています。六ヶ所再処理工場一つとっても、高速増殖炉が動かない以上、全く必要ないものです。それを取り繕うためにプルサーマルをやっているわけですから、無駄に無駄を重ねているにすぎません。プルトニウム利用はただ危険性を高めるだけですから、リスクを考えてもやるべきではありません。そもそも高速増殖炉は実用化できないと考えています。それは危険性のみならず核拡散の問題もありますし、危険なナトリウムを冷却材に使用しているために、ひとたび問題が発生すれば検査による長期停止を余儀なくされるのですから、商業的にも成立し得ないものなのです。
それでもなぜ、これほどまでに固執するのかと言えば、使用済み燃料の問題があるのです。これまでプルトニウムを取り出して再処理するのだからこれは「資源」なのだと強弁して、最終処分の問題解決を先延ばししてきたのですから、核燃料サイクル計画の破たんを認めてしまうと、途端に使用済み燃料が単なる「ゴミ」として宙に浮いてしまうわけですね。「核燃料サイクル計画」と言い続けなければ、軽水炉も含めて日本の原子力すべてが崩壊してしまうのです。
小林さんが講師として勤務した京大原子炉実験所(熊取町HP)
──今ある原発については、今後どうしていくべきでしょうか?
いったん全て停止し、抜本的な安全検証をするべきです。たとえ全部止めたとしても設備容量からすれば何ら問題ないのです。唯一問題があるとすれば、真夏の数日間の昼の消費ピークだけです。それにしても対策はできるわけです。だからまずは止めて検証しなくてはならないし、いま政府主導で行われているような小手先の検証ではダメです。これまでの安全審査の内容のレベルを超える事態が起きたのですから、今後は今回の規模の事故に対応できるのかという視点から検証しなくてはなりません。津波被害の想定が著しく甘い、関西電力の原発(福井県の美浜、大飯、高浜)も根本的見直しが必要です。また、上関原発は内海に建設が予定されていますが、ひとたび事故が起こった際の被害の大きさは、外海に比べ甚大になる危険があります。とにかく原発新設は止めるべきです。
──その一方で代替エネルギーの問題も指摘されていますが。
大規模集中発電というあり方自体を見直していかなくてはなりませんが、とは言え多くの電気を消費する大都市が存在する以上、当面のつなぎの切り札としては、コンバインドサイクル発電(ガスタービンと蒸気タービンを組み合わせた発電方法)です。発電効率は60%にも達しますから、原発に比較すれば約2倍の効率です。東電もすでに湾岸沿いに7機建設しています。
──今後進むべき道はどこにあるでしょうか?
エネルギー大消費社会を転換していかないと根本的な問題解決にならないと思います。自然エネルギーであっても、大量消費を前提に大々的に活用するのであれば、新たな問題が発生することになり、結局問題の先送りにすぎないでしょう。
あくまでも分散型エネルギーを中心としながら、エネルギー消費のあり方を変えていかなくてはなりません。そうすると、東京一極集中もあり得ないのです。都市型中心の生活様式そのものを問い直さなくてはならないと思います。火力にしても水力にしても、地方で発電した電力の大部分を大都市が消費しています。リスクを消費地が負わない社会のあり方を変えなくてはなりません。
〈インタビューを終えて〉
原子力工学を専攻する小林圭二さん。京都大学原子炉実験所原子力安全グループに属する小林さんは、「熊取六人衆」とか「異端の研究者」とか言われている研究者の中のお一人です。京大原子炉がある大阪府熊取町にほど近い、JR阪和線「和泉府中駅」前でお会いした小林さんは、物静かな研究者の印象で、とても原発の危険性を指摘し続けてきた、「闘う研究者」のイメージからは遠いものでした。
しかし、小林さんの言葉は権力に迎合せず、ひたすら科学的な見地から、うそ偽りないものとして、私の胸に響きました。原子力工学の専門家が吐く反原発の声は、だからこそ圧倒的な力で迫ってきます。〈藤本 泰成〉
東電社長発言・県知事や市長も不快感を表明
柏崎刈羽原発3号機「年内再開」を撤回せよ
原水爆禁止新潟県協議会 事務局長 中村 進
3.11東北地方太平洋沖地震で壊滅的破壊に至った福島第一原子力発電所は、未曾有の人災・「原発震災」を引き起こし、甚大な被害を与えた。震災後の3月15日、「総理が来る。会長を呼べ」と取り乱し、翌16日から点滴を打っていたが「めまい・ふらつき」で29日に入院したとされる東京電力・清水正孝社長が4月13日、約1ヵ月ぶりで記者会見を行った。
福島第一原発の収束見通しも立たないのに
席上、危機的な状況が続く第一原発の見通しに質問が集中したが「1日も早く(収束への)工程表を示したい」と述べるのがやっとだったと言われている。しかし、柏崎刈羽原発3号機について「年内に(国と地元に運転再開の)了解をいただく手続きに入る」とした。そのため私たちは翌日、①福島第一原発収束の見通しがない②廃炉に向けた工程表もない③地震による配管・各種機器等の損傷が明らかになっていない(津波に矮小化するな)④レベル7の原子力事故に対する責任を一切明らかにしていない⑤3月20日の県の申し入れ、及び3月30日の経済産業大臣の指示への回答は、"対処療法"で「津波波高3.3m」の見直しもなく、場当たり的だと抗議し、発言の撤回を求めた。
当然、新潟県知事や柏崎市長からも「不快感」を示す発言があり、特に会田洋柏崎市長は「収束が明確にならない限り、停止中の原発の運転再開の了承はあり得ない」とした。また、県技術委員会の委員からも「こんな状況で、東電だけで再開時期を言えるのか。とんでもない」(鈴木元衛委員)。「福島の事故は史上最悪のチェルノブイリ事故に並ぶ深刻な事態だ。柏崎刈羽で稼働中の原子炉もそのままにしていいのかという問題もある」(吉川栄和委員)と清水社長の発言に批判的な声が上がる一方、「東電は電力供給の責任もあり、(早期再開の)希望があるのは理解できる」(北村正晴委員・設備小委員長)というコメントもあり、予断を許す状況ではない。
※写真は市民団体「ナインにいがた」のminaさんが制作したプラカード
注目される県の技術委員会の審議
翌14日、横村忠幸柏崎刈羽原子力発電所所長は「国や県でも審議が進んでおらず『年内までに』の状況ではない。社内でも議論していないし、私どもから相談もしていない。社長の『希望』を述べた」と釈明した。また、17日に勝俣恒久会長も同様の発言であった。しかし、疑問が残る。一説によれば「おとなしい清水は社長の体をなさない」とか、部下が報告や判断を仰ぐと「会長の了解を取ってくれ。会長にも説明して」と答え、社員を呆れさせているとも言われている。そのような人物が勝手に判断し、発言したとは思えない。今後、清水社長が発言に至った経過を分析する必要がありそうだ。
5月3日、新潟市内で行われた「原発どうする?シール投票」
一方、東電の「緊急対策(1.緊急時電源対策 2.除熱機能の確保 3.原子炉への注水機能の強化・淡水源の確保 4.使用済み燃料プールの冷却確保)」や「今後の対策(1.標高15mの防潮堤 2.建屋への浸水対策)など」を検討する県の技術委員会の開催が予定されている。技術委員会のメンバーのあり方の改善を私たちは求めているが、県原子力安全対策課は「手続きを変える」姿勢は現在ない。浜岡原発運転停止を踏まえれば、その審議の方向・結論によっては「電力不足=日本の経済活動停滞論」が前面に打ち出される恐れがある。
日印原子力協定とインドの原賠法
福島第一原発事故は、日本だけでなく世界に衝撃を与えました、原子力エネルギーを平和的に利用できるという考えは、人間の驕りにしか過ぎないことを、今回の事態は私たちに認識させたと言えます。
いくつかの国は脱原発政策を再確認しましたが、新たに原発を建設しようとする国も存在します。特にインドは事故を全く教訓とせずに、新たな原発建設を進めようとしています。
日印原子力協定問題では、インドが核実験を実施した場合のことだけが報道されていますが、あまり日本で報道されていない「原子力損害賠償法」(原賠法)について触れておきます。原賠法は、2010年9月にインド議会で成立しました。その内容は、原発建設以降100年にわたって、重大事故が発生した場合、その補償を契約会社や建設会社が負うと言うものです。
この原賠法には、米印原子力協定を締結した米国は強い異議を唱えていますが、福島第1原発事故が影響し、見直しどころか、原賠法の補償上限額150億ルピー(約276億円)を大幅に上げる可能性が強まっています。インドでは仏アレバ社による原発建設が始まろうとしていて、現地では死者も出る激しい反対運動が続いています。
米国の核戦力維持がもたらす危険
福島第一原発事故は、一種の核戦争と同じ状況を福島にもたらしたと言えます。その一方で、核兵器による脅威も、また広がり続けています。昨年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議での人々の期待を裏切り、米ロの新START条約締結の意味さえ失う核兵器の拡大が続いているのです。
まず米・オバマ政権は、深刻な財政危機に直面する中、共和党とせめぎ合いながら、軍事費を含めた財政削減を進めていますが、しかし軍産複合体の意に反する削減には踏み込んでいないだけでなく、逆に「核戦力の維持+新兵器開発」による増強を進めているのが現状です。
オバマ政権は昨年度予算案で、備蓄核弾頭の劣化を防ぎ、軍需産業と技術レベルを維持するために、2011年度~2020年度にかけて総額810億ドル(約7兆円)、各予算年度で70~90億ドルを支出する案を提出、成立させましたが、今年2月に発効した新STARTは、実数での核弾頭数のほとんどが削減なしで、配備から外した核弾頭を廃棄せずに、備蓄に回すことが可能という形で保障されたと言えます。
こうしてオバマ政権は、核戦力を維持し続ける一方で、アジア、欧州へのミサイル防衛(MD)の展開、新たな「即時グローバル打撃」(PGS=Prompt Global Strike:地球のあらゆる地域を短時間で攻撃するシステム)の開発などを進めようとしているのです。ロシアや中国が警戒感を示すのは当然のことと言えます。
ロシアの大幅な核戦力増強計画
ロシアは米国と結んだ新STARTによって、保有する核弾頭を削減するどころか、むしろ数字上は増やせることになったため、積極的な核戦力増強に乗り出そうとしています。
今年3月24日、ロシアのポポフキン国防次官が戦略核戦力の強化を最優先する軍装備近代化計画を明らかにしました。それは2020年までに19兆ルーブル(約53兆円)を投じて、新型のSLBM(潜水艦発射戦略ミサイル・ブラワ=RSM―56)を搭載する戦略原潜8隻の他、液体燃料式のICBM(大陸間弾道ミサイル)の開発を行うと言うものです。この新型ICBMは核弾頭を最大10個搭載可能だとしています。
さらに戦略爆撃機ツボレフ(TU-95)の拡充も進め、中短距離ミサイルに対応する防空ミサイル・システム「S400=射程400㎞」を56基配備する他、より長射程の「S500」も10基導入。新型短距離ミサイル「イスカンダル」を10旅団に配備し、戦闘機600機以上、ヘリコプター1,000機以上、艦船約100隻、フランスと共同開発している強襲揚陸艦4隻をフランスから、無人偵察機などの特殊兵器をその他の国から購入する意向であると発表しました。
ロシアは新START条約交渉の中で、米国が欧州に配備するMD、PGSに強い警戒感を示してきましたが、その結果が核戦力を含む軍事力の増強へとロシアを動かしているのです。しかし、なぜそれほどの増強が必要なのか説明はありません。
一時期、偵察衛星が老朽化して機能せず、地上配備のレーダー網だけに頼っていたロシアは、最近ではソユーズロケットに搭載された軍事偵察衛星「コスモス」が機能しています。経済力の回復が、軍拡、海外膨張政策へと向かうとすれば、世界にとっても不幸なことです。
《各地からのメッセージ》
住民パワーで今こそ、脱原発社会の実現を
フォーラム平和・人権・環境しまね 事務局長 古川 輝雄
3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
平和フォーラムしまねは、14の団体に16名の個人会員、そして2つの地区フォーラムがあり、会員数は約12,000人となっています。専従がいないため、書記が一人で事務所の切り盛りをしている状況で、護憲、反戦・反核平和、脱原発等の取り組みを行っています。
島根原発は、全国で唯一県庁所在地にあり、10キロ圏内には県都松江市も含まれ、万が一の場合約20万から30万人が避難しなくてはならず、その避難方法・避難先、そして、防災拠点のあり方など、今回の原発事故で改めて大きな問題点となっています。
福島原発事故から1ヵ月が経った4月14日、島根県・松江市・中国電力に、38年経過している島根原発1号機の稼働停止、2号機でのプルサーマル計画中止、3号機の建設中止などを要請するとともに、「原水禁エネルギー・プロジェクトからの提言」を手渡し、持続可能なエネルギーへの転換を求めました。
しかし、残念ながら中国電力は、原発依存の考え方を変えておらず、また、県も市も国の動向を見守る回答しか出ませんでした。こうした状況下で住民がどう選択するのか。リスクを負ってでも原発が必要かどうか、判断することも必要なのかもしれません。
かつて島根では、国策であった「宍道湖・中海干拓淡水化事業」を中止させた住民パワーがあります。そのために、市民グループと連携しながら、原発の危険性、エネルギーの地産地消、再生可能なエネルギーの推進を訴え、「脱原発」をめざした取り組みを展開していきます(写真は4月25日、島根県民会館で開催された映画「サクリファイズ」上映会&脱原発集会)。
過度な自粛は復興の妨げにつながります。島根には、出雲大社、世界遺産の石見銀山、夕日が美しい宍道湖があります。宍道湖のシジミが皆様をお待ちしております。
福島県平和フォーラム 事務局次長 國分 俊樹
放射能拡散が「復興」を阻む
3月11日、福島県は未曾有の被災を経験しました。地震、津波、そして原発事故です。
地震による被害は県全体におよび、コンクリートづくりの建物、橋、道路までも損傷が大きく、新幹線をはじめとする鉄道も長期間の不通状態になりました。津波被害は県の東部の「浜通り」と呼ばれる太平洋岸で深刻です。国道6号線から東の太平洋側の平地が何らかの被害を受け、死者・行方不明者は1,000名を超える模様ですが、混乱のため全容はつかめていません。
テレビでは毎日のように「復興にむけてがんばれ」「悲しみをのりこえて」とのスポットが流れています。しかしその応援の声は、私たちを勇気づけてくれません。原発事故による放射能拡散が、復興を阻む根源的な不安要因となっているからです。
いわき市で開催された「さよなら原発」デモ(5月15日・写真提供「脱原発まちだ」)
紋切り型の対応が被曝を増やした
福島第一原発の水素爆発、そして予告なしに行われた「ベント」により福島県の東半分が、少なからぬ量の放射能拡散の被害を受けました。地震・津波は天災ですが、放射能拡散は明らかに人災です。そして、その人災への国や県の対応が極めて脆弱です。今まで「安全」をくり返し唱え、それを自ら信じ、「安全」を前提として原子力政策を推進してきた自治体の中枢の人々が、今度は放射能対策に取り組む羽目になったのです。しかしそれでも原発事故の現状や放射能・放射線に関して、東京電力や原子力安全・保安院、政府の発表と指示を鵜呑みにし、事故前の論理と同様の論理で対策を進めています。「原発安全神話」の思考回路のままでの対策です。この構造自体が原発事故を引き起こした元凶であるにもかかわらず、有名になってしまった飯舘村の村民への対応を振り返れば、それは明らかです。紋切型の対応を修正するまでに、村民がどれだけの被曝をしてしまったかを考えると心が痛みます。
大量の放射能が拡散した、原発周辺自治体の財政が困窮していることも、悲劇に拍車をかけています。東電からの「麻薬金効果」により、産業が著しく停滞していました。町村独自での対策をとれないのが実情です。郡山市に「ビッグパレット」というイベントホールがあります。原発近隣住民、千数百名の避難所となっています。被災50日を経過した今も布団が配布されておらず、毛布と段ボールの生活です。廊下にまで被災者があふれ、被災直後から生活状況の改善がほとんど進んでいません。これが、つい最近まで「GDP世界第2位」と胸を張っていた日本社会の本当の姿です。
放射線測定器を送ってほしい
放射能被害は福島第一原発20~30㎞圏内どころか50㎞以上離れた地域へも及んでいます。水蒸気爆発もしくはベントの際の気象条件と地形により、福島県北部・中部まで少なからぬ量の放射能が拡散しました。放射線の影響を受けやすいと言われる幼い子どもをもつ親は、恐怖と不安に苛まれています。「遠くへ逃げること」が肝要なのですが、経済的側面、人間関係、差別等々、まさに「人間」であるが故に、地域に留まらざるを得ません。
5月3日、憲法記念日の新聞には、日本国憲法前文が踊っていました。「日本国民は、(中略)全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、(中略)恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。私たちは、一刻も早く、恐怖と不安から解放されることを望んでいます。
福島にもツバメがやってきています。数千㎞の旅をして、その間の生存率は半数程度だといいます。春から初夏の日本の気候が食料の獲得に適しているからとも聞いています。福島の地で、その「いのち」が繋がることを念じずにはいられません。
いま、「放射線量測定器」の入手が困難です。福島県平和フォーラムまたは福島県教職員組合にぜひ送ってください。よろしくお願いいたします。
◎福島県平和フォーラム
〒960-8106福島市宮町3-14労働福祉会館内
TEL:024-522-6101
◎福島県教職員組合
〒960-8134福島県福島市上浜町10-38福島県教育会館内
TEL:024-522-6141