2011年3月アーカイブ

 東日本大震災によって、壊滅的な打撃を受けた福島原子力発電所で何が起きたか、何が起きているのか。3月29日、東京・総評会館で原子力資料情報室主催の公開研究会「福島原発で今、なにが起きているのか」が、講師に元原子力設計技術者の後藤政志さん、原子力資料情報室・原子炉安全問題担当の上澤千尋さん、そして急遽「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える技術者・科学者の会」の小倉志郎さんをお招きして、開催されました。

 会場は定員270名の大会議室に、立ち見も出るほどの参加者で埋められ、福島原発事故を受けて人々の関心の高さがうかがえました。入りきれなかった皆さんのため、急遽開放した別室で生中継の様子が上映されました。

■公開研究会の模様はこちら

●3/29 第73回CNIC公開研 1/3

●3/29 第73回CNIC公開研 2/3

●3/29 第73回CNIC公開研 3/3

■当日の資料はこちら

●後藤政志さんの資料(PDF・2011/3/29)

●上澤千尋さんの資料(PDF・2011/3/29)

米エネルギー環境調査研究所(IEER=所長・アージャン・マキジャニ)が、福島第1原発事故で環境中に放出されたヨウ素131の量は240万キュリー(1キュリー=370億ベクレル)と推定、セシュウム134と137が50万キュリーと推定との試算をまとめる。スリーマイル島(TMI)事故と比較し、ヨウ素だけで14万倍、全体で19万倍。

  毎月一回続けてきた、原水禁も呼びかけ団体として参加している「再処理とめたい!首都圏市民のつどい」の定例パレード(デモ)。福島原発事故の問題を受けて、3月27日、約1200人の市民が集まり、東京・水谷橋公園を出発して、日比谷公園までのコースを「エネルギー政策の転換」「脱原発」を訴えて歩きました。

  水谷橋公園には、集合時間である13時45分には人があふれました。この時点で、約800人。公園の占有許可・デモの申請は20人で行っていたので、その数は40倍です。出発後、歩道からも人々が加わり隊列はどんどん大きくなりました。

  東京電力本社前に差しかかると参加者は、「被曝の責任を取れ」「私の故郷を返せ」「何度でも来るぞ」などと、大きな怒りの声をあげました。 

 

背景の建物が東電本社

 解散地点の日比谷公園での集会は1時間余りにおよび、終了後、再び東電前へ戻り、抗議活動を行うグループもあるなど、参加者それぞれが、これまでの原子力政策や福島原発事故への怒りを爆発させたデモ・集会となりました。

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  また、デモに先立ち、東京・有楽町マリオン前でチラシ配布行動があり、約20人でチラシの配布やマイクを持っての宣伝、山口県の上関原発建設中止を求める署名集めを行いました。

 ●当日の動画はこちら

※さらに詳しい報告はこちらから

 毎月一回続けてきた、原水禁も呼びかけ団体として参加している「再処理とめたい!首都圏市民のつどい」の定例パレード(デモ)。福島原発事故の問題を受けて、約1200人の市民が集まり、東京・水谷橋公園を出発して、日比谷公園までのコースを「エネルギー政策の転換」「脱原発」を訴えて歩きました。

 デモに先立ち、東京・有楽町マリオン前でチラシ配布行動も行われました。

イエメン、シリアで大規模デモ。

 「鹿児島県川内原発増設反対共闘」による知事(3/23)、九州電力(3/25)への申し入れと、「川内原発建設反対連絡協議会」の薩摩川内市長への申し入れ(3/24)が行われました。

 ●鹿児島県知事・九州電力社長への申し入れ書はこちら

 ●薩摩川内市長への申し入れ書はこちら

福島原発で作業員がヒバク。

福島第1・3号機のタービン建屋地下作業の作業員3人ヒバク、内2人に放射性物質が付着し入院。タービン建屋地下に溜まった高濃度汚染の水によるヒバク。

 新潟県平和運動センターより、「柏崎刈羽原発の運転停止及び福島原発大事故の対応に関する緊急申し入れ」行動の報告がありましたのでご紹介いたします。

【動画】3月23日新潟県への申し入れ1

【動画】3月23日新潟県への申し入れ2

【動画】3月23日新潟県への申し入れ3

●「申し入れ書」はこちら

●新潟県平和運動センターHPはこちら

巨大津波が福島原発を襲う!
日本の原発史上最悪の事態へ

日本を直撃した巨大地震
 3月11日、14時46分頃、三陸沖(北緯38.0度、東経142.9度、宮城県牡鹿半島東130km付近、深さ約24km)、マグニチュード9.0(M9.0)という巨大な東日本大震災が発生しました。その地震発生から今日(3月23日)で12日が経ちました。その間、震度5強以上の地震が30回近く発生し、東日本を中心に甚大な被害をもたらしました。交通・通信・医療・食料・居住などのライフラインが喪失し、その復旧も目途が立っていません。現地では被災者救援に全力が注がれていますが、被災者の要求にはいまだ届いていないのが現状です。
 今回の震災により、死者9199人・行方不明者1万3786人、26万3915人が避難所生活(3月23日・東京新聞)を強いられていますが、この数字は、今後もさらに増えようとしています。私たちも含め、国民的な協力のもと全力を挙げて救援・復旧にむけて努力を重ねなければなりません。

福島第一原発で連鎖的事故
 東日本大震災は、地震時に運転中であった東京電力・福島第一原子力発電所、同第二発電所、東北電力・女川原子力発電所、日本原電・東海第二原子力発電所の計11基の原子炉が自動的に停止しました。しかし、地震による影響で外部電源が失われました。女川原発や六ヶ所再処理工場では非常用電源が稼働する事態となりましたが、福島第一原発では、津波により海水ポンプを水没させ、オイルタンクが流出し、非常用電源も津波により、6号機を除き使用不能となり(注1)、非常用炉心冷却装置が注水不能に陥りました。
 事態はさらに進み、炉心の冷却不能に続き、使用済み核燃料のプールも電源喪失による冷却不能に陥り、核燃料の溶融を招きました。1・2・3号機では水素爆発による原子炉建屋や格納容器下部の圧力抑制室の破損を引き起こし放射能が環境に大量に流れ出ることとなりました。「5重の壁(注2)で原子力の安全が守れている」とする推進側の「安全神話」をことごとく崩壊させた、日本最大の事故となりました。今も原子炉を制御する各種の計器も故障し、現場は放射線も強く容易に原子炉に近づくこともできず、現在も、原子炉そのものを制御することができない非常事態を招いています。まさに危機的状況にあります。

注1.地下1階に2台並列に設置され、非常時にどちらも起動しない確率は100万分の1と言っていた!
注2.「燃料ペレット」、「燃料被覆管」、「原子炉圧力容器」、「原子炉格納容器」、「原子炉建屋」の5つ。

東京電力の地震・津波対策
 当初、東京電力は津波対策を軽くみていました。東電は、「津波が5~6mの高さであれば施設の安全性は保てる」としていました。東京電力ホームページを見れば、「原子力発電所では、敷地周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波シミュレーションによる評価をし、重要施設の安全性を確認しています。また、発電所敷地の高さに余裕をもたせるなどの様々な対策を講じています」とされて、津波が直接原子力施設を襲うことはないとしていました(図1)。国も「過酷事故(シビアアクシデント)」の中でもまったく考慮されていませんでした。
 また、M8.0の地震による津波でも海水ポンプなどの機器に影響はないとしていました。ちなみに福島第一原発の防波堤は6mほどでした。福島原発周辺では、14m超の津波が観測されています。今回はそれを上回る津波が来たことになります。110323_0001.jpg
 
天災ではなく「人災」だ
 今回のM9.0は、想定した地震の30倍もの大きさでした。全ての予想を超えたものですが、原発を進めてきた者たちは予想外の「天災」として済まそうとしていますが、それで許される訳ではありません。過去のチェルノブイリ原発事故を見れば明らかなように、原発事故は、自国をはじめ世界的にも多くの被害をもたらすことが明らかであり、原発は絶対的な安全が求められています。予想外の「天災」ではなく、あくまでも推進側による「人災」です。
 政府も東電の賠償責任について言及する中で、「今回の事故の原因が『異常に巨大な天災地変』には当たらないとして、東電も責任を免れないと判断している」と報道されています。(3月23日・読売新聞)。もちろん、これまで原発を認めてきた国の責任も当然あります。今後、事態が終息すれば、徹底した検証が必要です。

現在も続く非常事態
 福島第一原発での一連のトラブル(表1)によって、政府は原子力緊急事態宣言を発して関係者とともに懸命に事態収拾に動いています。特に3号機に対して自衛隊や消防庁などの協力を得て、空と陸からの放水で使用済み核燃料のプールを冷やそうとしています。しかし、現場は放射線量が高く、作業員も十分に動けない中での活動は、思うように成果があげられていません。今後もこの状況が続けば、さらに厳しい事態につながっていきます。この3号機は、本体にMOX(ウラン・プルトニウム混合酸化物)燃料を12体内蔵しており、最悪の場合には、放射能毒性の大変強いプルトニウムが大量に環境に放出される可能性もあります。(注3)。
 現在、政府は原発から半径20km圏内に避難を指示し、20~30km圏内は屋内退避としています。一方で、原子力事故での第一線で指揮をとるべきオフサイトセンターは、遙か後方の郡山まで退避し、自分たちは安全圏にいようとするこの矛盾は許せません。(注4)
事故の拡大が続く中、いつまでもこの範囲で良いとはとても思えません。
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 この状況に対して、NGOや市民団体が中心となって緊急要請として、「妊産婦並びに乳幼児・児童・生徒などの避難について」を首相宛に提出し、関係国会議員にも要請しています。(原水禁HP「http://www.peace-forum.com/gensuikin/」参照)。放射能の影響を特に大きく受ける若い命を守らなければなりません。これは大人の責任です。
 事態がより一層深刻化する中で、労働者の被曝の問題も深刻化しています。すでに現場で作業する人々の被曝線量が、緊急時被曝100ミリシーベルトを大きく超え、2.5倍の250ミリシーベルトまで引き上げられました。法令にも載っていない超法規的措置です。現場の労働者に、そこまで迫るほど現場は混乱し、事故が厳しいものであることを示しています。しかし、現在も労働者がどれくらい被曝しているのかは、一切わかっていません。
 緊急時であっても、現場の労働者に不要な被曝をさせないこと、被曝作業を強制させないこと、被曝労働に国や企業が全責任を持って対処することを求めていかなければなりません。

注3.現在、茨城県産のホウレンソウと福島の原乳から食品衛生法の暫定規制値を超える放射性物質が検出されました。風評被害が心配です。
注4.ましてや、原子力安全・保安院の検査官が、事故発生後1週間も原発を離れるなど、住民を置いて自分たちだけさっさと逃げてしまうなど、本当に許しがたない行動を起こしています。こんな人々に日本の原発の安全を本当にまかせることができるのでしょうか。
 
今後の事態の推移
 厳しい状況が続く福島第一原発の今後の推移はどのようなものになるのでしょうか。3月17日、原子力資料情報室主催の院内集会「福島第一原発で何が起きているのか」が開かれました。元東芝の原子力技術者である後藤政志さんから報告がなされ(原子力資料情報室のHP「http://cnic.jp/」に動画がアップされています)、福島原発の原子炉格納容器の設計にも携わった経験から、このまま終息に向かうことが困難になれば、以下の3つのパターンの可能性が示されました。

今後予想される危険(1)
・原子炉の冷却ができないと炉心が溶融して原子炉の底に原子炉の底に溶融物(デブリ)が落ちる。
・さらに冷却ができないと原子炉容器の底が抜ける。
・溶融物が格納容器の床を突き抜けコンクリートと反応し大量の水素ガス等を出す。
・この段階で格納容器が破損するので外部に大量の放射性物質が放出される。
今後予想される危険(2)
・冷却に失敗すると、事故の進展にともない水素爆発、水蒸気爆発、あるいは再臨界が起こりうる。
・大規模な爆発現象をともなうと、大量に放射性物質が飛び出し、チェルノブイリのようになる。
・爆発を起こさない場合には、徐々にではあるが放射性物質が外部に出続ける可能性がある。
今後予想される危険(3)
・原子炉建屋の上部のプールに使用済み燃料が大量に貯蔵されている。
・冷却できなくなると、使用済み燃料が溶融し、同様に放射性物質が撒き散らされる可能性がある。

 このような状況の中で、関係者の懸命な努力がなされています。私たちも一刻も早く事態の収拾がはかられることを切に願っています。しかし、政府や事業者、マスコミなどの発表や報道を冷静に見ればより厳しい事態が予想されます。安易な楽観論は国民の選択を大きく誤る恐れがあります。政府や東電などに、情報の速やかな公開を求めながら、今後の推移に注目していかなければなりません。

原子力政策の根本的転換を!
 今回の事態によって、社会・経済が大きなダメージを受け、混乱が続いています。これまで「日本の原発は絶対安全」として推進してきた自民党も、「原発推進は困難」と言うようになりました。国民も「88%が原発に不安」としています(3月19日、東京新聞)。今後、事故が長引けば長引くほど原発推進の声はますます小さくなるでしょう。今度こそ原子力政策の根本的転換が求められます。
 今回の事態によって、電力は東電だけにまかせてはならない、という考えが拡がったと思います。企業や病院、福祉施設、そして一般家庭も含め東電離れが進み、自家発電などの傾向が一段と進むことになるはずです。そのことはより一層原発離れを生むことになるはずです。
また、プルトニウム利用政策の破たんが、より明らかなものとなりました。青森の六ヶ所再処理工場は、2012年10月の稼働予定は全く見通しが立たなくなりました。さらに、福井の高速増殖炉「もんじゅ」も、2012年の再開宣言を出していますが、先が見えない状況となりました。長期停止になるほど、1日5500万円の維持費が大きな問題となってきます。
 プルサーマル計画も、東電・福島原発、関西電力・高浜原発で相次いで実施されましたが、今回の事故によって今後の実施は困難と言えます。
 今まで「安全」だと思っていた人々にとっても、原発は「危険」なものになってしまいました。私たちは、大きく「脱原発」を訴えます。そのためには、まず事故の早期終息を願うばかりです。

■止めよう再処理!共同行動ニュース3/23号(PDF)

■バックナンバーはこちらから

都、乳児の飲用控えるよう求め、飲料水のボトル24万本配布。(24日解除)。

IAEAの放射線測定チームが福島第1周辺の土壌と大気から測定した放射線量発表、原発から約20㎞離れた浪江町付近で毎時171μSVと通常の約1600倍。政府が福島、茨城、栃木、群馬の4県に当分の間ほうれん草、かき菜の出荷停止を指示

国際放射線防護委員会(ICRP)が声明。

国際放射線防護委員会(ICRP)が原発事故周辺地域の年間ヒバク限度量を07年勧告に基づき緊急事故後、年間1~20㎜(緊急時:20~100㍉SV)が妥当と声明。

エジプトで憲法改正の国民投票。

東京消防庁が緊急消防援助隊を派遣、3号機に放水(最大ヒバク線量・2万7千マイクロシーベルト(μSV)。自衛隊の放水車が3号機に放水。作業員6人が10万μSV超のヒバクと東電発表。

東日本大震災に際しての平和フォーラム・原水禁の対応について

 3月11日、14時46分ころ発生した「東日本大震災」は、日本の観測史上最大規模の巨大地震であり、東北地方を中心に日本各地に大きな被害をもたらしました。津波や家屋の崩壊、地滑り、火災など、この地震による犠牲者の方々に心から哀悼の意を表するとともに、被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。事態はいまだ進行中であり、今後も予断を許しません。余震活動も活発であり、生存者の救出活動やライフラインの復旧などに、今は全力を尽くすべきと考えます。
 今回の地震と津波によって東京電力福島第一・第二原子力発電所は緊急停止しました。しかし緊急停止時の安全確保に欠かすことのできない「緊急炉心冷却装置(ECCS)」が作動せず、炉内溶融に至る重大事故に発展しています。格納容器内の温度上昇及び圧力上昇が起こり、格納容器減圧のために炉内水蒸気の大気中への放出も行われました。大気中への放射性物質の拡散がおこり、一部の住民の被曝の実態も報告されています。発生した水素ガスが爆発し原子炉建屋が吹き飛ぶという事態や使用済み核燃料貯蔵プールの火災など深刻な事態が続いています。
 原発の危険性を指摘し脱原発の取り組みを進めてきた平和フォーラム・原水禁は、この事態を招いたことを極めて遺憾に思います。運動の足下を見直し、強力な取り組みを進めなければならないことは議論の余地がありません。事態は進行中であり、情報の収集と問題の把握に努めるとともに、今後に向けて何をしなければならないか、また、何をすべきかを真剣に検討すべきと考えます。
 平和フォーラム・原水禁は、今年1月「原水禁エネルギー・プロジェクトからの提言-持続可能で平和な社会をめざして-」をまとめ政府に提出しました。私たちは、危険な原発に依存する社会から再生可能な自然エネルギーを中心とした社会への転換を求めてきました。今後、この運動を全国的に国民の中に広げ、日本のエネルギー政策を変えていくことに全力で取り組んでいきたいと思います。
 現在、消防署員・警察官・自衛官・東京電力社員・協力会社社員・自治体職員など、多くの方が身の危険を顧みず、事態の収拾と住民の安全確保に全力をあげています。その勇気に敬意を表するとともに、政府・自治体・東京電力一丸となって、周辺住民や現場において事態の収拾にあたっている方々の生命と安全を最優先に、事態の収拾を図ることを心から望みます。

フォーラム平和・人権・環境   
原水爆禁止日本国民会議     
事務局長 藤本 泰成

 

米国、福島第1原発事故でフェーズ1発動、在日大使館、50マイル(80㎞)圏内の米国人に避難勧告。横須賀基地の原子力空母ジョージ・ワシントンほか多くの米艦船が横須賀出港。関東在住の米国人、米軍人の家族ら続々と国外へ脱出。

・放射性ヨウ素:飲料水、牛乳、乳製品1㎏当たり300ベクレル(Bq/Kg)、野菜類(根菜、芋類除く)200
・放射性セシウム:飲料水、牛乳、乳製品、200、野菜類、穀類500
・ウラン:乳幼児食品、飲料水、牛乳、乳製品20、野菜類、穀類、肉、卵、魚、その他100
・プルトニウム及び兆ウラン元素のアルファ核種:乳幼児食品、飲料水、牛乳、乳製品1,野菜類、穀類、肉、卵、魚、その他10

福島第1原発・1号機の燃料損傷は全体の70%、2号機は33%に及ぶ。4号機建屋の8mの穴2ヵ所確認。3号機で原子炉格納容器損傷の疑い。福島市で水道水1キロリットルからヨウ素131、177ベクレル、セシュウム137,58ベクレル検出。

 内閣総理大臣 菅直人 様

妊産婦並びに乳幼児・児童・生徒などの避難の実施について(要請)

 この度の災害に対して全力で取り組む政府及び関係者の多大な努力に敬意を表します。
さて、現在、福島第一原子力発電所の事態が刻一刻と厳しい状況になりつつあります。それに対応して避難地域が20Km~30Kmに拡大されていますが、現在の状況を考えますと、放射能の放出が止まらない状態が予想されます。このまま推移していけば、より広範囲に被害が拡大していく恐れがあります。
 放射能の影響は、特に妊産婦並びに乳幼児・児童・生徒など若い命に大きな影響を与えます。たとえ現在の避難地域が現状で安全であったとしても、不測の事態に備え、大きく避難地域の拡大をはかるべきですが、まずは、放射能の影響を大きく受ける妊産婦並びに乳幼児・児童・生徒のより遠方への避難に早急に取り組むとともに、他県の施設などの受け入れ態勢をととのえるよう、ここに要請いたします。
 また20Km~30Km圏内あるいはそれより遠方の地域に居住する妊産婦並びに乳幼児・児童・生徒も同じく安全の側に立ち、同じような措置を執っていただきたく、要請いたします。

フォーラム平和・人権・環境
原水爆禁止日本国民会議
議  長 川野 浩一
事務局長 藤本 泰成
東京都千代田区神田駿河台3-2-11総評会館内
℡ 03-5289-8224

関係省庁・企業・市民団体リンク

東京都内の大気中から放射性物質検出。横須賀、さいたま宇都宮などで空間放射線量が上昇。フランス原子力安全局のラスト局長が、福島第1原発事故のレベル6相当と述べる。

オバマ米大統領が新規原発は予定通り進めると発言。

ベネズエラのチャベス大統領が原子力開発計画を凍結と表明。ドイツ、スイス大使館首都圏の自国民に国外退去を検討するようウェブサイトで呼びかけ、インドネシア政府、仙台市などの避難所の自国民99人を定期航空便で帰国させる。中国大使館が宮城、福島、茨城、岩手4県の在住の中国人帰国を支援すると緊急通知、仏大使館が数日首都圏を離れるよう勧告。

1~4号機で中央制御室の放射線量上昇し、運転員が常駐できない状態。政府、半径20㎞圏内の住民に避難指示、20㎞~30㎞圏内の住民に屋内退避呼びかけ。東電の情報隠しは変わらず。

2号機の燃料が水面から完全に露出し、空だき状態に、原子力安全・保安院、判明20㎞圏内の住民に屋内退避呼びかけ。NHKを始めとするテレビ局、原発推進派の学者らを登場させ、安全性を強調。

1、3号機で海水注入始まる。政府自衛隊派遣10万人に。ドイツ政府、17基の全原発の安全検査実施を表明。在日仏大使館が関東在住の仏国民にインターネットを通じて関東から離れるように勧告。15日、再度、家屋を最大限密閉するように伝える。

福島第2原発・1、2、4号機で冷却機能失い、東電緊急事態を政府に通報。政府、福島第2にも緊急事態宣言を拡大。福島第1原発・1、2号機でベント作業開始。1号機で炉心水位が低下し、燃料最大90㎝露出。1号機で建屋爆発(水素爆発)。放射性物質環境に広がるが、原子力安全・保安院は爆発後の放射線量を明らかにせず。自衛隊派遣、5万人に。

福島第2、女川はその後電源回復。政府が「原子力緊急事態宣言」発令。東京電力の「情報隠し」、政府の危機意識の薄く、状況はほとんど説明されず。

「東日本大震災」発生

宮城県牡鹿半島の東南東130㎞付近、深さ約27㎞付近で、マグニチュード9,2の巨大大地震発生。津波が北海道、岩手県、宮城県、福島県、茨城県などに押し寄せ、沿岸部から内陸部まで広範囲に被害が及ぶ。多数の死者、行方不明者。政府自衛隊2万人の派遣命令。名称は「東日本大震災」。

●12.18さようなら原発 街頭アピール行動(高松市/12月18日)

●【新潟の取り組み】核燃輸送抗議行動(10月17日)

●「福島県民の命を守りふるさとを取り戻すための署名」のご紹介 (10月12日)

●【鹿児島の取り組み】「鹿児島県護憲平和フォーラム情報 No.5/特集:さようなら原発1000万人アクション」(9月30日)※PDFファイル

●【鹿児島の取り組み】鹿児島県護憲平和フォーラム情報「原発はもうこりごりだ」発行(9月5日)※PDFファイル

●新潟県平和運動センターがブログを開設(8月2日)

●【鹿児島・九州ブロック】申し入れに対する九州電力からの回答(7月27日)
●【鹿児島の取り組み】6/7九電申し入れ/(資料)九州電力の最大電力需要時の供給力(6月30日)

●【四国ブロックの取り組み】四国電力・各県への申し入れ (6月13日)

●【鹿児島の取り組み】東日本大震災関連・九州電力への申し入れ(6月7日)

●【鹿児島の取り組み】「鹿児島県護憲平和フォーラム情報No.22」から(6月7日)

●【鹿児島の取り組み】東日本大震災と川内原発に係る申し入れ 九電回答要旨(5月16日)

●【新潟の取り組み】脱原発プラカードを制作(5月6日)

●【新潟の取り組み紹介・動画】110429福島原発ドキュメンタリー(4月29日)

●【広島の取り組み】チェルノブイリ原発事故から25年、今こそ政策転換を!(4月26日)

●原水禁全国委員会・平和フォーラム総会で福島、宮城、岩手からの報告(4月26日)

●【岩手】被災地からのメッセージ/平和環境岩手県労組センター議長 来内広幸さん(4月20日)

●【茨城】3.11東日本大地震と「原発震災」に伴う申入れ(4月14日)

●【福島】ビデオ報告 東日本震災と福島原発事故の影響を竹中福島県平和フォーラム代表に聞く(4月8日)

●【鹿児島の取り組み紹介】知事、薩摩川内市長、九州電力へ申し入れ(3月25日)

●【新潟の取り組み紹介】3/23、新潟で県への要請行動が行われました。(3月25日)

「再処理とめたい!首都圏市民のつどい」ニュース(PDF)

チラシ「さようなら原発 脱原発・持続可能で平和な社会をめざそう」(9月8日)

ウラン採掘の段階から世界の先住民族は核被害を受け続けている(6月10日)

 原子力と核による放射能の被害は、ウラン採掘の段階から始まっています。「被爆65周年原水爆禁止世界大会記録集」より、フォトジャーナリストの豊崎博光さん、ニューメキシコ州の先住民、メニュエル・F・ピノさんによる分科会での報告を、抜粋・再編集しました。

「地球温暖化と核燃料サイクル政策について」の各政党へのアンケート・集計結果(2010年7月・PDFファイル)

2010年、参院選が行われた際に各党に実施したアンケートの集計結果です。福島第一原発事故後の現在と、当時では状況は違いますが、つい最近まで主要政党が原子力政策に対してどのような姿勢を示してきたかを知り、今後を考えるための参考資料になると思います。


●プラカードやチラシづくりに使える「フリー素材集」 

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●「福島原発情報・特報便」/平和フォーラム・原水禁発行(PDF)

◆No.4 工事再開直後の震災、上関原発工事中止に! 原発依存からかじを切れ/0324朝日記事_静岡県知事(4月1日)

◆No.3 推進・安全一体の原子力政策、企業・官僚・政治の癒着構造が安全を破壊(3月28日)

◆No.2 事故情報(3月25日)

◆No.1 津波は「想定外」と言えない(3月23日)

(9月)

●9.19さようなら原発集会・パレード(9月19日)
 9月19日に東京・明治公園で開かれた「さようなら原発1000万人アクション」の集会には、6万人が参加しました。集会に続いて、参加者は3つのコースでパレード行進をしました。そのパレードの模様をビデオにまとめました(9分30秒)。

●脱原発デモに6万人が参加(Ourplanet-tv/9月19日)

●2011.9.8「講演会 さようなら原発」(9月8日)
 9月8日に東京「日本青年館」で「講演会 さようなら原発」が開かれ、大江健三郎さんや鎌田慧さん、落合恵子さん、内橋克人さん、山田洋次さんが、9月19日の明治公園での「さようなら原発集会」参加など、脱原発を訴えました。その模様をビデオにまとめました。(9分10秒)

●さようなら原発集会 呼びかけ人記者会見(9月6日)
 9月6日に、大江健三郎さん、落合恵子さん、鎌田慧さん、宇都宮健児さんが「9.8さようなら原発講演会」と「9.19さようなら原発集会」についての記者会見を行い、「脱原発」に向けての思いを語りました。その模様をビデオに収録しました。(9分30秒)

(8月)

●竹中福島平和フォーラム代表の訴え(8月9日)
 8月9日に長崎市で開かれた「被爆66周年原水禁世界大会まとめ集会」において、竹中柳一福島県平和フォーラム代表は、原発事故に直面し、苦悩している福島県内の実情を切実に訴えました。その報告をビデオに収録しました。(7分50秒)

●さようなら原発 ノーモア・フクシマ長崎集会(8月7日)
 8月7日に長崎市の爆心地公園で「さようなら原発1000万人アクション ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ 長崎集会」が開かれ、被爆地ナガサキから原発反対を訴えました。集会後、1500人の参加者は市内デモ行進を行いました。(6分50秒)

(7月)

●7.31原発のない福島を求める集会・デモ(7月31日)
 7月31日に福島市で「放射能のない福島を返せ!原発のない福島を求める県民集会」が開かれ、1700人が参加しました。厳しい現状が報告され、今後、脱原発に向けた運動を強めようと確認しました。集会後、福島駅前をデモ行進しました。(約10分)

〈6月〉

●ビデオメッセージ「福島の子どもたちはいま」 竹中福島県平和フォーラム代表が語る(6月23日)

●ビデオメッセージ 6月15日「さようなら原発1000万署名・全国集会」記者会見(6月15日)

●ビデオメッセージ 澤地さん、内橋さん、鎌田さん 脱原発アクション訴え(6月15日)

●ビデオ報告 2011年5月のドイツでの脱原発デモ参加と視察の報告(6月10日)

●6.4「脱原発・エネルギーシフトをめざすシンポジウム」(動画・6月4日)

●Ourplanet-TV/福島県内の学校生活に関し、文科省が専門家ヒアリング(動画・6月1日)

〈5月〉

Ourplanet-TV/三保恵一二本松市長インタビュー(動画・5月28日)

●Ourplanet-TV/「20ミリシーベルト基準」撤回を〜福島の父母らが文科省に要請行動(動画・5月24日)

●インタビュー3/福島県双葉地区原発反対同盟代表 石丸小四郎さんに聞く(音声・5月3日)

〈4月〉

●新潟/110429福島原発ドキュメンタリー(4月29日) ※現地での放射能測定レポート

●被災地からのメッセージ/平和環境岩手県労組センター議長 来内広幸さん(4月20日)

●4/10原発いらない!浜岡とめろ!福島とめろ!2500人が反原発を訴えてデモ行進(4月10日)

●ビデオ報告 東日本震災と福島原発事故の影響を竹中福島県平和フォーラム代表に聞く(4月8日)

●ビデオ報告 東日本大震災による仙台市周辺の被災地視察(4月7日)

●インタビュー2/原子力資料情報室・共同代表 西尾漠さんに聞く(音声・4月5日)

●原子力資料情報室・緊急報告会「福島原発震災―"いわき"からの報告―」
 (いわき市議会議員・佐藤和良さん)
(4月3日)

〈3月〉

●インタビュー1/明治大学名誉教授 藤井石根さんに聞く(音声・3月31日)

●原子力資料情報室・公開研究会「福島原発で今、なにが起きているのか」(3月29日)

●ビデオ報告 3.27福島原発事故に抗議し、脱原発を訴える銀座デモ行進(3月27日)

●新潟/柏崎刈羽原発・福島原発に関する県への申し入れ(3月23日)

●東京「がんばろう!さようなら原発1000万人署名」12.10集会に5500人(12月10日)

●9.19「さようなら原発集会」に約6万人が参加(9月19日)

●月例デモに200人が参加―新宿で脱原発を訴える(8月27日)

●「くり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会」デモに約600人が参加者(7月23日)

●6.24「くり返すな!原発震災  つくろう!脱原発社会」に450人(6月24日)

●くり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会~福島からの上京団を先頭に6000人がデモ行進(6月11日)

●6.4「脱原発・エネルギーシフトをめざすシンポジウム」に650人(6月4日)

●福島の子どもたちを放射能から守ろう! 原発も再処理もいらない!1500人が銀座をデモ行進(5月27日)

●野菜にも一言いわせて! さよなら原発デモ!! 第2弾(5月22日)

●原発問題を生存権から議論 施行64周年憲法記念日集会(5月3日)

●くり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会/東京タワー下での集会&デモに4500人が参加(4月24日)

●野菜にも一言いわせて! さよなら原発デモ!!
1500人が渋谷の街で農魚産物の安全確保を訴える
(4月16日)

●4/10原発いらない!浜岡とめろ!福島とめろ!2500人が反原発を訴えてデモ行進(4月11日)

●3.27福島原発事故に抗議し、脱原発を訴える銀座デモ行進(3月27日)
 

東日本大震災・福島第一原発事故関連

新しい外相に、松本剛明副大臣が就任。

米・国務省のメア日本部長(前沖縄総領事)が、米国の学生に国務省内で行った講義で、沖縄の人たちは怠惰で、ゆすりとごまかしの名人だなどと語っていたことが明らかに。沖縄で強い反発広がる。当初、腰が引けていた政府も慌てて米政府に抗議。

新潟水俣病4次訴訟で和解が成立。

新潟県の阿賀野川流域で、1960年代に発生した新潟水俣病(有機水銀中毒)で、未認定の患者ら173人が国と昭和電工に損害賠償を求めた新潟4次訴訟。新潟地裁で、昭和電工が1人210万円を支払うことで和解が成立。

被災57周年3・1ビキニ・デー全国集会

 3月1日、全国各地から300人が集まり、静岡市内の静岡県勤労者総合会館6F大ホールで「被災57周年3・1ビキニ・デー全国集会」を開催しました。川野浩一・原水禁議長と鈴木修・静岡県平和・国民運動センター会長によるあいさつに続いて、医師で「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」などで活動する振津かつみさんから「チェルノブイリ原発事故から四半世紀―あらゆるヒバクシャと連帯し、ヒバク被害のない世界をめざして」と題する講演と提起があり、医師として大阪に在住する広島・長崎の被爆者と接する中で、放射線の影響について学んだことや、チェルノブイリ事故から四半世紀を経てなお残るヒバクの影響などについて話されました。その中で、核の軍事利用、商業利用の中でヒバクシャが生み出されることを訴えられ、「核と人類は共存できない」ことをあらためて認識させられました。

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開会あいさつをする川野議長

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振津さんは「核と人類は共存できない」ことを訴えた

 続いて原子力資料情報室共同代表・西尾漠さんによる「行き詰まる日本の原子力政策」と題する講演と提起が行われました。ここでは、国も電力会社も本音では原子力政策はやりたくないが、誰も責任を取りたくないから続けられているということが語られ、それゆえに市民の運動で政策転換を目指すしかないと提起がありました。

 地域報告では、原水爆禁止山口県民会議の大久保弘史さんからは、「上関原発阻止の闘い」として、中国電力による埋め立て工事の強行について緊迫感を増す現地の様子が報告されました。最後に「被災57周年ビキニ・デーアピール」を採択し、閉会しました。

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原水禁山口県民会議の大久保さんからは緊迫する上関の現状が生々しく報告された

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西尾さん(左)は活動者会議でも講演と提起、松原さんは自然エネルギーについて講演と提起

 また、本集会の日程に合わせて、平和フォーラム全国活動者会議が行われ、西尾漠さんによる「日本のエネルギー政策の現状とエネルギープロジェクト提言の意義」、環境エネルギー政策研究所研究員・松原弘直さんから「日本の自然エネルギーの現状と可能性」と題した講演と提起が行われました。翌2日には、立教大学教授の李鍾元(イ・ジョンウォン)さんによる講演と提起「東アジアにおける平和構築の課題」がありました。詳しくは、平和フォーラムのホームページもご覧ください。

 午後から、焼津市内の弘徳院で久保山愛吉さん墓前祭を行いました。

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久保山さんの墓前に線香を手向ける参加者ら

■「被災57周年ビキニ・デーアピール」はこちら

■焼津市長、マーシャル大使からのメッセージはこちら

「メッセージ」
 本日、「被災57周年3・1ビキニデー全国集会」にあたり、一言ご挨拶を申し上げます。本市焼津港所属の第五福竜丸がアメリカ合衆国の水爆実験により被災してから、本年で五十七年が経過しました。以来、今日まで、世界各国の多くの人達による熱心な核兵器廃絶運動にもかかわらず、今もなお多くの核兵器が地球上に存在していることは本当に残念でなりません。

 昨年は、本市にとって、核兵器廃絶に向けた特別な一年でありました。5月にニューヨークで開催されましたNPT再検討会議に平和市長会議代表団の一員として参加し、73,997人もの焼津市民の署名を国連上級代表に直接手渡し、市民の熱い想いを伝えてきました。
 6月30日には、「第五福竜丸事件6.30市民集会」の中で、核兵器廃絶と恒久平和実現のための運動を熱心に行っている個人・団体を表彰する「第一回焼津平和賞」を公益財団法人第五福竜丸平和協会に贈りました。
 7月末には、第五福竜丸事件の起きたビキニ環礁が世界文化遺産に登録されました。このことは、核実験の恐ろしさを次世代に伝えるとともに、核時代の終焉に向かう第一歩になると思いました。
 そして、10月、アメリカ合衆国の臨界前核実験の実施が明らかになり、オバマ米大統領とルース駐日大使に抗議文を送付しました。
 明けて、新年早々、秋葉広島市長退任の報に接しました。私たちは、秋葉市長が広げた平和市長会議、核兵器廃絶の取組み等、築き上げたそのたすきをしっかりと受け継いでいかなければなりません。核兵器と人類は決して共存できません。このことを肝に銘じ、今後も引き続き、焼津の平和の原点である第五福竜丸事件を次世代に継承し、平和を愛する心を市民が持ち続けるよう核兵器廃絶に向けて全力で取り組んでいきます。
 結びに、皆様方の運動が大きな力となり、「核兵器のない地球」の実現につながりますことを念願いたしますとともに、お集まりの皆様のご健勝を心から祈念し、ごあいさつといたします。

平成23年3月1日
焼津市長 清水 泰


終わりの無い人間の愚行をやめて平和を
 王や皇帝、大統領を含む独裁政権の人々によって行われた殺戮の記憶のなかで、今日、暦のうえでもう一度、いったい誰が、または何が、生命に対してそんな行為をする権利を与えたのかという質問をし、深く考える時が来ました。
 戦争は組織化された殺戮行為です。 それによる集合墓地は、非難された人々が集められ、撃たれた溝穴では、もうないのです。組織化された殺戮による次の集合墓地は、都市になるでしょう。
 言い知れぬ意図によって、何でも焼却するでしょう。ドレスデンの焼夷弾より何千度も高い熱で最も固い金属をも焼き尽くすでしょう。

それは全くどんな人にも利益にはなりません!

 広島と長崎の核爆弾は、マーシャル諸島共和国のビキニやエニウェトク環礁で67回も多く使われた、より強力な核爆弾とつながっています。 それぞれの場所で、ヒバクシャ、死ぬには早すぎた若い人々の医療ファイル、さらにヒバクシャ特有の病気の数々に、まだ放射性の核物理的な影響が残存する状態が続いています。
 これは私の心からの望みなのですが、祈念の式典が毎年同じスピーチと、空約束の言葉に終わるのではなく、日本の国会と、米国議会でも、原水禁や世界のたくさんのグループによって提案されている核廃絶への要請に沿って、実効性のある本当の宣言を挙げることです。

2011年3月1日
J. B. カブア マーシャル諸島共和国駐日大使

被災57周年ビキニ・デーアピール

 1954年3月1日、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験は、マーシャル諸島住民の生活を根底から破壊するとともに、周辺海域で操業していた多くの漁船に多大な被害を与えました。なかでも第五福竜丸のヒバクは日本に大きな影響を与え、幅広い原水爆禁止運動として全国に広がりました。
 あの衝撃的な事件から半世紀を超えたビキニ事件は、けっして過去のことではありません。
ビキニ事件に先立つ1945年8月、広島・長崎に原爆が投下され、一瞬にして筆舌に尽くしがたい惨状の中で多くの命が奪われました。生き残った人々も未だに癒されず、その苦しみを背負い続けています。さらに今年はチェルノブイリ原発事故の惨事からも25年目を迎えようとしていますが、ウクライナやロシアなどでも多くの被災者が放射能の深刻な被害に今も苦しみ続けています。ヒバクの歴史が、ヒロシマ・ナガサキ-ビキニ-チェルノブイリ-JCOと連綿と続いています。あらためて「核と人類は共存できない」事を確認しなければなりません。
 第五福竜丸の傷ついたヒバクシャを迎えたこの地静岡は、いままた東海地震とその想定震源域の真ん中にある浜岡原発の存在によって、再びヒバクシャを新たに生み出す危険性をはらんでいます。巨大地震による地震災害と放射能災害が同時に起こり、人類がいまだ経験したことのない巨大災害=原発震災の危険性が、多くの有識者から指摘されています。
 私たちは、広島・長崎そしてビキニ事件を契機に原水爆の禁止を訴えて運動を進めてきました。その中には、「ヒバクシャを二度と再びつくらない」という広島・長崎やビキニのヒバクシャの強い願いがありました。残念ながらビキニ事件以降も、相次ぐ核実験や原子力の商業利用という美名の下で、多くのヒバクシャを生み出してきました。私たちは あらためてヒバクの歴史に終止符を打たねばなりません。
 世界に2万発余もの核兵器が存在することも、日本が核の傘に甘んじていることも、全ての核の軍事利用や商業利用についても、ヒバクシャをつくりだすことにつながっていることを直視し、行動しなければなりません。
昨年5月、ニューヨークの国連で開かれたNPT再検討会議や今年2月の米ロの新START(戦略核兵器削減条約)の発効など核軍縮の流れが生まれてきました。さらにその動きを加速させなければなりません。いまだ「核抑止力」を認める勢力が存在する中、私たちは「対話と協調」を軸とした安全保障の実現を目指していかなければなりません。核軍縮の機運を高め、核兵器保有国を国際的に包囲しましょう。
 また、六ヶ所再処理工場や高速増殖炉もんじゅの稼働、プルサーマル計画の推進、原発の新増設など、核拡散や事故の危険性を高める動きにも反対していきましょう。そして、今年の被爆66周年原水爆禁止世界大会を成功させ、核も戦争もない平和な21世紀をつくりだす契機にしましょう。
 私たちは、ビキニのヒバクシャをはじめ世界中のあらゆるヒバクシャや平和を求める人々と連帯し、あらゆる国の、あらゆる核実験・核兵器に反対し、そしてヒバクシャを生み出す全ての核開発を止めていくことをあらためて決意するものです。

2011年3月1日
被災57周年3・1ビキニ・デー全国集会参加者一同

●世界のヒバクシャを見つめ続ける「まなざし」
 フォトジャーナリスト 豊崎 博光さんに聞く

●使えない核兵器の意義を無くすための次の手段は?
 新START発効とその後のステップ

●台湾で新たな被爆者調査を行う
 実態を把握して早急な支援体制を

 在外被爆者支援連絡会 共同代表 平野 伸人

●広がるチュニジア・エジプト革命の影響
 米ロの軍事戦略の違いが顕在化

●チェルノブイリ事故から25年
 悲劇は今も終わらないまま

 チェルノブイリ子ども基金 事務局長 佐々木 真理


世界のヒバクシャを見つめ続ける「まなざし」

フォトジャーナリスト 豊崎 博光さんに聞く

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【プロフィール】
 1948年、横浜市生まれ。復帰前後の沖縄、在日韓国人・朝鮮人、アメリカ・インディアンなどを取材後、アメリカが核実験を行った太平洋中西部、マーシャル諸島のビキニ島住民や水爆実験の死の灰を浴びせられたロンゲラップ島住民などの取材をきっかけに、世界各地の反核・反原発運動などを追うようになる。

 ――核をテーマに仕事をされるようになったきっかけを教えてください。
 今から33年前の1978年3月末、グアム島にあるアンダーソン空軍基地で、航空機・B52に同乗して取材する予定だったのですが、その直前の新聞にマーシャル諸島・ビキニ環礁の話が掲載されていました。当時ビキニ環礁には、核実験が終わった後にアメリカ政府が「安全宣言」を出したことで、島民が戻っていました。しかし、帰った島にはまだ放射能が残っていて島民たちが汚染されたのです。それでもう一回閉鎖しますという記事でした。それを読んで、グアム島の取材が終わったらビキニに行こうと決めたのが最初です。その頃から原水禁国民会議と付き合うようになりました。
 ビキニに入って取材を始めたのですが、そう簡単にはいきませんでした。核実験の跡は目に見えるものだと思っていたのですが、実際には全く見えないわけです。例えば、地中に放射能が残っていて、「ここの椰子の実は危険な食べ物だ」と言われても、その椰子の実は別に変形しているわけでも何でもありません。島の人も、「これのどこに放射能があるのだ、何にも変わっていないし、味も変わっていない」と言いました。このとき、放射能という全く見えないものを表現する難しさを感じたのですが、非常に奥深い問題であると考えて、とにかく現場に行って写真を撮ることを始めました。ビキニの核実験の跡を感じさせるものは、まだ少し残っていましたが、もっぱら島の人たちの暮らしや表情を中心に撮りました。しかし、話を聞けば非常にその内容は重いわけです。
 その後、アメリカ国内でも同じことが起きているのではないかと思い、翌年からネバダの核実験場などへと取材を広げていきました。

――戦後、冷戦という形を伴って核被害者を再生産させたという事実は重いですね。
 旧ソ連が原爆を持つことになってイギリスが追随し、フランスや中国なども持つようになりました。核軍拡が続く一方でしたが、その陰で、実はたくさんの人々が被害を受けているということを重要なことだと感じたのです。きっかけはマーシャル諸島のことでしたが、80年にはアメリカのネバダ実験場やアリゾナ州の先住民族・ナバホインディアンの居住地における、ウラン採掘などによる被害の取材を行いました。
 アメリカの取材ではウラン鉱石から始まり、核兵器の開発、79年のスリーマイル島の原発事故まで、一連の流れの中にある被害者の姿を知ることになりました。

――核開発が先住民を抑圧しています。
 核開発が権力に弱い地域を利用して行われてきたという話は、80年代後半に出てきます。初めてその話を聞いたのは、88年にカナダのサスカトゥーンというところで、「先住民ウラン公聴会」という小さな集会があったときです。そこに、アメリカの先住民やオーストラリアの先住民・アボリジニとカナダの先住民がやって来て、「ウラン採掘から核実験によってわれわれは被害を受けている」ということを言ったのです。そのとき、先住民たちが一方的に被害を受けている、偏っているという意味合いとして「Racism」(レイシズム)という言葉を使いました。
 先住民族の核被害が認識され始めたのが、マンハッタン計画開始から50年目の92年にオーストリアのザルツブルグで開かれた「世界ウラン公聴会」です。つまり、核兵器が使用されたのは「ヒロシマ・ナガサキ」ですが、世界の核開発はマンハッタン計画を端緒にして始まり、世界中でウラン採掘が始まったわけです。その75%が先住民族の居住地域に当たっていました。そこに注目した彼らがウラン公聴会を開いて、ウラン鉱石の採掘から核実験、原発から核廃棄物の処理など核開発のあらゆることを全部、先住民族のところで行っている、被害を与えているではないかと訴えました。そのとき初めて、核開発による人種差別という意味の造語である「Nuclear Racism」を使いました。
 一般的に先住民族は、後から来た入植者たちによって、最初は肉体的に消す、つまり殺されるという形で、次にはかわいそうだから保護しようということで、居留地をつくって「同化」を強要してきました。最初の虐殺は、英語で「Body Determination」、肉体的根絶と言います。「同化」していくことはCultural Determination(determinationは「根絶」)と呼んで文化的に根絶していく。つまり、あなたたちの持っているものはいらない、アメリカ化しなさい、文明化しなさいとしたのです。先住民たちはそのような被害を受けながら生き残ったところでもう一つ、核開発の被害にあったのです。どれも並行して行われてきました。
「Nuclear Racism」という言葉の一つ前に、今でも使われている言葉が、「Environmental Racism」というのがあります。
 これは、環境汚染の一番ひどいことが、全部先住民族に行くということです。例えば、マーシャル諸島の人々や、北極圏に住んでいるイヌイットの人々などに一番被害が集中します。「Environmental Racism」という言葉は、新しい辞書にはすでに載っていると思います。そして、環境破壊のもう一つは核開発の影響であるというのが90年代になって出てきました。それが世界を支配してきました。マンハッタン計画の開始を端緒にすれば、核開発はそういう少数の先住民族の人々にずっとその被害を押しつけることで成り立ってきたということで、今も続いています。
 原発が温暖化の切り札だと言って日本もそれに乗っかっています。90年代の終わり頃にこれに一番敏感に反応したのはエネルギー産業界です。原発をつくることで燃料のウランが足りなくなることがわかると、あっという間に世界中でウラン採掘が始まりました。全部少数民族の住む所です。今、集中的に採掘が行われているのはカザフスタンやアフリカです。アフリカには、アメリカやヨーロッパのような採掘の際の環境保護の規制がありません。だからやり放題の採掘です。そうして得た安いウラン燃料を手に入れ、原子炉とセットにして原発を売るということです。われわれの暮らしもそのことによって維持されています。

1103_22.JPG1954年3月1日、水爆「ブラボー」でできたクレーター

――平和フォーラム・原水禁に何かお願いします。
 原水禁が「非核太平洋運動」を始めたときに、「反核」ではなく「非核」という言葉が入りました。それまで反核というのは「核兵器はいらない」、あるいは「原発はいらない」というものでした。そうではなく、非核ということはあらゆる核をわれわれは廃絶するとしたのです。太平洋の非核化運動というのは、核実験を体験したビキニなどやマーシャル諸島、クリスマス島やポリネシアが核実験を体験したから非核としたのではなく、かつて太平洋に核廃棄物を投棄され、また核廃棄物が投棄されようとしているから非核だと言ったのです。捨てられる廃棄物は原発のものでもあるし、医療用のものもあります。原水禁には、反核というより非核、あらゆる核を使わない、拒否するという方向で運動を続けてほしいと思っています。
 原水禁が中心になって、以前は核被害者世界大会を開いてきたわけですし、その経験を活かして、ヒバクシャを救済する、あるいは補償法をつくる。ヒバクシャの問題を一国の問題としないで、むしろ国連の世界人権宣言のように、「世界ヒバクシャ人権宣言」を制定するくらいに、国際的なレベルに押し上げられるよう、取り組んでほしいと思っています。

〈インタビューを終えて〉
豊崎さんは、マーシャル諸島ロンゲラップ島やネバダ、セミパラチンスクなど、米ソ冷戦下の核実験で被曝した人々の生きざまを撮り続けてきました。核実験場で被曝した先住民や関係者、チェルノブイリなど原子力発電所の事故で死の灰を浴びた人々は数百万人を超え、甚大な被害となっている事実は意外と知られていません。3.1ビキニデーを前に、核被害者の実態、人類と核は共存できないという歴史的な事実を再認識しなければならないでしょう。〈藤岡 一昭〉

 


使えない核兵器の意義を無くすための次の手段は?
新START発効とその後のステップ

難関を突破、ようやく新たな一歩
 米国とロシアは2月5日、ミュンヘンで戦略兵器削減条約(新START)の批准書を交換して、条約を発効させました。長い交渉を経て昨年4月の署名発表以来、もっとも懸念されていたのは、米上院での批准承認でした。中間選挙で大敗した米国民主党では絶望視された批准承認を、ぎりぎりの議会運営で年末に採択。続いてロシアの上下院でも批准承認して、なんとか両国とも核軍縮の旗ふり役にとどまり、核無き世界への第一歩を踏み外さずに済んだ形です。
 これで戦略核兵器の配備数を2018年までに1,550とする上限ができました。数を見れば、成果は極めて限定的ですが、2009年12月のSTART-Ⅰ失効以来、実施できなかった両国の戦略核の検証が可能になり、条約発効をミュンヘン安全保障会議に合わせて行ったことからも見えるように、他国にも核軍縮を訴えやすくなる意味もあります。

次の焦点は戦術核、ミサイル防衛の問題も
 さらに核軍縮へ向け、新START対象外の戦術核の削減条約交渉を計画する米国に対して、ロシアは通常戦力で劣り、北大西洋条約機構(NATO)諸国・中国との長い国境に接している地理条件もあり、消極的です。米国の戦術核は合計で500、そのうちヨーロッパに配備されているものは、ベルギー、ドイツ、オランダ、イタリアの各国の基地と、イタリア、トルコ内の米軍基地に配備されている核爆弾B61が200と推計され、戦闘機F-16やトルネードに搭載されます。
 このヨーロッパ諸国の核弾頭については、11月のNATOリスボン・サミットで注目すべき戦略概念が発表されました。1999年以来11年ぶりに改訂され、NATOの今後の指針となる新戦略概念では、核兵器の無い世界のための条件をつくり出すため、「核兵器が世界に存在する限りNATOは核同盟であり続ける」とオバマ大統領のプラハ演説に平行する形で核抑止を認めています。しかし、ヨーロッパ配備の戦術核に関しては、NATOでの欧州と米国の間の不可欠な政治的・軍事的リンクであるとする99年の戦略概念にあった表記が消え、戦略核のみが重要であるように変わっています。戦術核兵器の配備が政治的・軍事的役割を無くしたと解釈できます。
 これまでも、2009年にドイツが戦術核配備の撤去を提案するなど、議論されてきています。また、99年から2010年までに、ロシアの戦術核配備に関係なく一方的に約480から200に削減されてきた経緯もあります。90年代のブッシュ大統領による一方的核削減の成功を思い起こせば、米軍のヨーロッパ配備の戦術核の一方的な撤去こそが合理的判断のはずです。
 新戦略概念は一方で、ミサイル防衛(MD)を重要な抑止力として強調しており、さらにこの指針を実際の核政策に反映させる今後の議論では、強硬姿勢を示しているフランスとの妥協もあり、一筋縄では行きそうにありません。MDについては、米上院での批准承認に際して、これと引き換えに、条約がMD開発に制限をかけないとする決議を採択しています。

核無き世界へ確実な歩みを
 アジアではどうでしょうか。2月8日に発表された米国の7年ぶりの「国家軍事戦略」では、北朝鮮の核開発や中国の軍拡を強調し、アジア太平洋地域を最重視しています。米軍は北東アジアで今後数十年、強固な軍事力を維持すると記されており、米国や同盟国への核攻撃抑止が核兵器の基本的役割としています。核抑止の考えは変わっていません。
 戦術核に関しては、日本からの働きかけで特記すべきこととして、米国の戦術核全体の5分の1を占める核トマホーク(TLAM/N)の退役決定があげられます。従来の日本政府は米国に対し、核卜マホークの退役に反対し、核先制使用のオプション維持も要請していました。退役決定には、昨年4月の米国核態勢の見直し(NPR)決定に向けた、当時の岡田外相からの書簡や、日米の反核運動が連携した働きかけも功を奏したと思われます。
 他方、北朝鮮の核開発で新たに明らかになったウラン濃縮、またヨンピョンド(延坪島)砲撃などを受けて韓国国防相が戦術核の再配置検討に言及するなど、南北軍事協議の不調も含めて、情勢は流動的です。日本の核依存政策も、核先制使用については、従来の容認姿勢から変化の流れが見えたものの、実際の政策としては変えられていないのです。核の無い世界へ向けて確実に歩みを進めなければなりません。


台湾で新たな被爆者調査を行う
実態を把握して早急な支援体制を

在外被爆者支援連絡会 共同代表 平野 伸人

乏しい外国人被爆者の情報
 国外に居住している被爆者のことを在外被爆者と言います。しかし、在外被爆者は2種類に分類されます。それは外国人被爆者と日本人被爆者の2通りです。アメリカやブラジル、南米に移民として居住するようになった被爆者や、仕事やその他の理由で国外に居住するようになったのが「日本人」被爆者です。
 しかし、広島や長崎で被爆したのは日本人ばかりではありません。韓国・朝鮮人や中国人、オーストラリアやイギリス、オランダなどの捕虜なども被爆しました。そして、韓国・朝鮮と同じように植民地であった台湾の人も被爆しています。しかし情報が乏しく、これまで実態が明らかではありませんでした。調査についても、関係者が居た長崎医科大学関係の被爆者についての調査が、昨年行われたに過ぎません。今回、14人の台湾の被爆者に関する情報を得て、1月15日から3日間台湾での被爆者調査を行いました。

政府が初めて在外被爆者の調査を報告
 昨年12月に厚労省のホームページに「平成17年原子爆弾被爆者実態調査」(調査概要)がアップされました。この調査は「被爆者の生活、健康等の現状などを把握することを目的」として2005年度に実施され、このたび、調査結果がまとめられたものでした。国内の被爆者65,217人(回答者48,689人)が主とした対象者ですが、今回の被爆者調査では、初めて「国外調査」として、在外被爆者への調査が行われています。
「国外に居住している、平成17年9月1日現在の被爆者手帳および被爆確認証交付者3,058人のうち、死亡、長期不在及び所在不明の事実が判明したものを除いた3,039人に対し、調査票を郵送して調査を実施した」もので、回答のあった人は、2,499人となっています(回答率82.2%)。
 今回の調査報告で注目されたのは、台湾の被爆者の14人の回答でした。台湾人の被爆については、何人かの所在が確認され、私も訪台して調査を行っています。そのときは、全員が長崎医科大学関係者でしたが、今回の回答者の被爆地をみると、広島6人、長崎8人と、「広島で被爆した台湾人被爆者もいる」ということが判明しました。韓国・朝鮮人以外は、極めて少数の外国人がいるだけですので、「外国人被爆者」としては、台湾の被爆者は人数的にも多いほうだということになります。

1103_33.JPG台湾の被爆者・王文其さん(左)に話を聞く平野さん(手前)

 

情報が届かず援護対策に遅れ
 そこで、所在の判明した被爆者9人と遺族2人に面会しました。内訳は、広島で被爆した人が3人、長崎で被爆した人が6人、長崎の被爆者ですでに亡くなった被爆者の遺族2人です。67才から97才までの男性6人、女性3人の被爆者に面会して、被爆状況や原爆前後の生活、被爆後の健康状態について聞きました。
 今回の調査でわかったことは、①勉学のために日本に来た人が多い。特に長崎は長崎医科大学関係者がほとんどだった。②経済状態は、医学関係、学校関係者が多く比較的裕福に感じた。しかし、「援護が十分でなく苦しい」という人もいて一様ではない。③健康状態は高齢のために厳しい状況にある。④日本の被爆者援護については情報が行き届いていなくて、被爆者手帳の取得が遅れた人が多い。一方、日本との行き来があった人は早い時期に被爆者手帳を取得しており対照的であった。また、402号通達のために被爆者手帳を取得しても意味がないと思い、被爆者手帳の申請が遅れた人もいた。⑤被爆者団体や支援団体がなく支援体制がない。行政の支援もほとんどない。
 以上のことが、今回の調査でわかったことです。今後、さらに新たに所在の明らかになっている3人の被爆者と死亡している被爆者の遺族との面会を行い、台湾の被爆者の実態把握に努めるとともに、支援体制の確立に尽力していかなければなりません。


広がるチュニジア・エジプト革命の影響
米ロの軍事戦略の違いが顕在化

 

変革の動きは中東全域におよぶ
 チュニジアからエジプトへと続いた体制変革の波は、中東全域に広がりつつあります。これは、これまで長期独裁政権に軍事的支援を行い、原油などの資源を得てきた米国の帝国主義的外交政策の破たんでもあります。また、イスラエルが大きな影響を受けるのは確実です。さらに、昨年1月の任期切れ以降も居座り続けてきたアッバス議長率いるパレスチナ自治政府は、議長と評議会(国会)の選挙を9月までに実施すると発表しました。1月にアルジャジーラが、自治政府の資料を暴露したこともあり、ハマス派の議長に代わることは確実です。
 昨年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書には、「イスラエルのNPT加盟と同国の核関連施設全てを国際原子力機関(IAEA)の査察下に置くことの重要性を確認した2000年決議を想起し、中東地域の全ての国家が非核国としてNPT参加を求める」「核兵器など大量破壊兵器が存在しない中東非核地帯をつくるため、地域の全ての国家が参加する会議を2012年に開催する」ことが盛り込まれました。
 同じく、昨年開催されたIAEA理事会では、19年ぶりにイスラエルの核兵器が議題となりましたが、米国などの抵抗によって、具体的な議論に入ることはできませんでした。今後の米国や欧州、日本の対応が問われます。

パキスタンで広がる反米感情
 中東の変革は、米国のアフガニスタン戦略に影響が及ぶのは必至です。この戦略の失敗はいまや明らかですが、その余波でパキスタンの情勢も不安定さを増しています。現在、パキスタン政府は殺人容疑で逮捕された米国人の即時釈放を強く求める米政府と、釈放を拒否する警察との間で揺れ動いています。米議会からは釈放しなければ支援金75億ドルと、軍事支援20億ドルを凍結するとの主張が出ています。
パキスタン政府の対応如何で、一気に反米感情が吹き出る可能性があります。パキスタンで反米感情が広がっている原因の一つに、アフガン領内からパキスタンへ無人攻撃機が発進し、多くのパキスタン市民が殺傷されていることがあります。
 しかしこの無人攻撃機が、米・ネバダ州にある、ネリス空軍基地から操作が行われていることはあまり知られていません。当初は無人偵察機だったプレデターが攻撃機に改造され、次々に新型が開発され、パキスタンを攻撃しています。ネリス空軍基地で、パイロット、カメラ操作のセンサー・オペレーター、情報収集官3人でパキスタンを攻撃し、市民が被害を受けているのです。

1103_44.JPG飛行中のプレデター(airforce-technology.comより)
 

軍拡を招く米での核関連予算増大
 今年2月5日、米ロ間で「戦略核兵器削減条約」(START-Ⅰ)の後継条約、「新START」が発効しましたが、この条約交渉の過程で、米ロ間の軍事戦略の違いが顕在化し、今後の重要な課題である非戦略(戦術)核弾頭削減交渉へ進むのはきわめて困難な状況となっています。
この軍縮交渉過程で、ロシアは米国のミサイル防衛(MD)と「即時グローバル打撃(PGS=Prompt Global Strike)」に強い警戒感を持ち続ける一方、米国はMDの展開やPGSの推進に新STARTが障害にならないかを警戒しているのです。
 PGSとは、今では全世界を監視できるようになった衛星画像によって、1時間以内に世界のあらゆる場所をミサイル攻撃するというものです。通常兵器使用とされていますが、相手国からは核、非核の区別は困難であり、核戦争の引き金を引きかねません。
 オバマ米政権は、核関連予算を増大し続けてきました。2月14日に、大統領は2012年度の予算教書を提出しました。オバマ政権では結局、核関連予算を増やし、軍拡を進めただけだったということになれば、世界に無力感が広がるだけです。
 米国には包括的核実験禁止条約(CTBT)批准など重要な課題が残っています。こうした重要な課題の達成は、米国だけでなく世界の運動が監視を続けなければ実現しません。今後の私たちの運動の展開、そして日本政府の姿勢が問われています。
 


チェルノブイリ事故から25年
悲劇は今も終わらないまま

チェルノブイリ子ども基金 事務局長 佐々木 真理

 1986年4月26日、旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所で爆発事故が起きました。環境に放出された放射能は広島型原爆の500倍とも1,000倍とも言われ、人体・環境に多大な被害をもたらしました。事故から25年を経た現在の被災地の子どもたちの様子と、私たちの救援活動についてお伝えします。

病気は次世代の子どもにまで
 チェルノブイリ事故から数年後、被災地では小児甲状腺ガンが多発しました。発見が遅れたため命を落とした子どもたちもいました。子ども基金は設立当初、甲状腺ガンの子どもたちの支援を中心に活動を行いました。甲状腺手術後の患者に生涯必要となるホルモン剤などの医薬品や医療機器の支援、同時に子どもたちを現地サナトリウムでの転地療養に招待してきました。
 この世代はすでに結婚をして子どもをもつ人が多くいます。幼少時に甲状腺ガンの手術を受けたインナさん(ウクライナ・キエフ市)は、妊娠すると医師から出産を諦めるように言われました。しかし彼女は無事出産しました。インナさんの子どもに今のところ大きな問題はありませんが、次の世代の子どもたちの中には、重い病気の子どもも少なくありません。
 事故数年後に小児甲状腺ガンが多発したベラルーシ・ゴメリ州では今、次世代の子どもたちに、様々な腫瘍病が表れています。ゴメリ市の小児病院で働く看護士マリーナさんは言います。「チェルノブイリ事故の前には、病気の子どもはこんなに多くありませんでした。今は患者がいっぱいで病室が足りません。こんなことがいつまで続くのかと思うと恐ろしいです」。彼女の娘も甲状腺に異常があります。
 現在、子ども基金は、このような次世代の子どもたちに対して、医薬品の援助を行うとともに、現地サナトリウムでの転地療養に招待しています。同じように病気をもつ子どもが集うこの転地療養では、それまで心を閉ざしていた子どもが「自分は一人ぼっちではない」と気づくことで、見違えるように明るくなります。それは病気を克服する力となっています。
 2000年生まれのディーマさん(ゴメリ州カリンコヴィチ地区)は8歳のときに脳腫瘍の手術を受けました。手術後は左半身に麻痺が残り、リハビリを続けています。07年生まれのルスラン君(ゴメリ州ドーブルシ地区)は2歳で腎臓ガンの手術を受けました。父親はショックのため自殺、現在24歳の母親が一人で子どもを育てています(この女性の妹は、幼少時に白血病で亡くなっています)。01年生まれのアーニャさん(ゴメリ州レリチツァ地区)は腹膜の神経芽細胞腫と診断され、6歳のときに手術を受けました。1年後に退院しましたが、現在も定期検査が欠かせません。アーニャさんの暮らしている村のすぐ近くに、「放射能汚染により立ち入り禁止」という立て札のある森が広がっています。しかしそこには柵も監視所もなく、誰でも自由に入ることができてしまいます。その森でとれたキノコが町で売られたり、伐採した木が家庭用の燃料として使われたりしています。  

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母親に抱かれるルスラン君(左)とアーニャさん(右)

公的援助打ち切りなど厳しい状況に
 発病した子どもが「チェルノブイリ事故障がい児」と認定されると、以前は医薬品や通院のための交通費が無料となり、また公共料金の減額などの援助がありました。しかし数年前からこのような援助は徐々に削減されたり、打ち切られたりしています。そのため収入の少ない家族の家計が圧迫されています。また、「高濃度放射線汚染地域」として人々が立ち退きをさせられた地区の中には、最近になって居住が認められるようになったり、農地としての利用が始まったりしているところもあります。病気の子どもを抱える家族はみんな言います。「子どもたちの病気はチェルノブイリのせいです。汚染された土地に住んだり、その土地の食べ物を食べたりしてはいけないことはわかっています。しかしここに住み、ここでとれたものを食べるしかないのです」。
 一度原発事故が起きると取り返しのつかないことになってしまうことを、子どもたちは身を持って示しています。地震国日本に54基もの原発を抱える私たちにとって、チェルノブイリの悲劇は決して過去の出来事でも他人事でもありません。
 

 

 

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