2010年8月アーカイブ
文部科学省が朝鮮人学校への高校無償化適用の可否について、非公開で審議してきた専門家会議の報告書を公表。専修学校高等科課程の水準を適用するという基準を満たすと判断。
日本政府が米軍普天間飛行場の移設先とする名護市辺野古崎と隣接水域での代替施設の位置や配置、工法に関する日米専門家の報告書を発表。滑走路は現行計画によるV字形と1本のI字形を併記。
1991年に世界最大の核実験場の一つであるカザフスタンのセミパラチンスク核実験場が閉鎖されたことを記念して2009年の国連総会はこの日を「核実験に反対する国際デー」とする宣言を採択。
8月28日、柏崎市中央地区コミュニティーセンターにおいて、中越沖地震3周年を迎え「やっぱりいらない!柏崎刈羽原発」集会が開かれました。地元はもとより北信越や関東、そして遠く九州・佐賀からも参加者が集まりました。
集会では、基調講演として東北大学大学院教授の長谷川公一さんから「原発は地球温暖化の切り札か?」として、原発推進側によるCO2対策の切り札としての原発活用論に具体的な反論を展開しました。その中で、中越沖地震のように一挙に大量の電力供給が途絶えると、結局はそれらを補うためにバックアップ電源が常に必要になり、そのために火力発電依存から脱却できないと指摘。「原発依存が続く限り、期待される稼働率と現実の稼働率の差は、火力発電で埋めなければいかなくなり、結局はCO2を高めることにつながり、必要なのは、エネルギー利用の効率化と自然エネルギーの活用」と述べました。日本全体で5%節電すると、原発7基分の電力が不要になり(100万KW原発、稼働率75%)、10%節電すると、原発14基分が不要になるとのことです。そこでは廃棄物も、CO2も、お金も、放射能もその分不要になるとのこと。節電の推進がもっと進められることがまず大切であることが訴えられました。
次に「柏崎刈羽原発のここが問題」として、地反原発地元三団体の武本和幸さんから地盤地震問題の報告。中越沖地震の観測値地は、1号機で1699ガルを記録し、旧基準地震道S2の450ガルを大きく越えたこと。地震による原子炉建屋・タービン建屋のひび割れ問題、ハンガーの支持位置のズレ問題が明らかになってきましたが、東電調査、保安院審査では真相が明らかにならないことが報告されました。
また、「KK原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」の山口幸夫さんからも、この間の県技術委員会の傍聴報告とそこで明らかになった、5号機のひび割れやハンガーの指示点の外れ、7号機の再循環ポンプケーシングの問題など地震後の点検・復旧の問題点が指摘されました。
刈羽村生命を守る女性の会の高桑千恵さんからも、同じく県の技術委員会を傍聴しての「問題点と限界」が話され、この間、審議不十分のまままとめがなされ、国の結論が常に優先させるなどの問題点を指摘しました。二つの県技術委員会の報告は、その存在意義が問われるものでした。県民の安全安心の立場に立って議論を進めて欲しいものです。
その後、集会は、集会アピールを採択し、柏崎市内を「柏崎刈羽原発の廃炉!」を訴えて市内をデモ行進しました。
あらためて、原発への不安と地球温暖化に役に立たないことを知ることができた集会となりました。
日本が在沖縄米海兵隊のグアム移転に伴って、米海兵隊に融資する7億4千万ドルの大部分を「返済計画が作成できない」と日本側に伝えていたことが明らかに。日本側は融資の当面の見送りの方向で検討を始める。
「核兵器のない世界、構想から行動への着実な前進」をテーマに、米国、中国、イランなど18ヵ国80人の政府関係者や研究者が話し合う。
九州電力玄海原発3号機、四国電力伊方原発3号機に続く3機目。福島第1原発3号機は運転開始から34年経過し、高経年化(老朽化)への不安が強い。
岡田外相は「核実験を行った場合、協力停止」の方針を表明。インドは核実験のモラトリアム(自発的な一時停止)を行っており、他国から強制されないと反発。
被害は南部シンド州、南西部バルチスタン州で拡大を続け、被災者1500万人を越える。米は追加拠出6千万ドルを表明(支援総額・1億5千万ドル、国連を通じた拠出は9200万ドル)これまで国連は緊急支援約4億6千万ドルを要請していたが、国連緊急援助調整官室は70%が集まったと述べる。
強制連行被害者や元従軍慰安婦らが証言。「被害者と遺族一同」名で、日本政府に謝罪と賠償を求める書簡送付を決める。
被爆65周年原水爆禁止世界大会
被爆から65年、世界にはいまなお2万発を超える核兵器が存在し、核兵器保有国は米・露・英・仏・中から、インドやパキスタン、イスラエルを加え8ヵ国に拡がり、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核実験やイランの核開発疑惑など核拡散の動きも止まっていません。加えて、ブッシュ前政権のもとアメリカの単独行動主義によって核拡散防止条約(NPT)体制はほとんど破綻に瀕しました。
これに対して、平和市長会議の「2020ビジョン」や「核兵器廃絶1000万署名」をはじめとして、核兵器保有国の核大幅削減や包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効などを求める世界的なとりくみをすすめました。そして「核兵器なき世界」を表明したオバマ大統領によるアメリカの方針転換と結びつき、5月の再検討会議でNPT体制を再生させました。最終文書では、核廃絶の行程表や期限設定がないなどの不十分さはあるものの、核兵器廃絶への展望を開きました。その後、8月6日の広島市の平和祈念式典にパン・ギムン国連事務総長やルース米駐日大使が初めて出席し、パン事務総長が「被爆者が生きている間に核兵器なき世界を」と演説し、核兵器禁止条約の制定を訴えたことは大きな前進です。
こうしたなか、私たちは広島・長崎の大会で被爆国日本の果たすべき責務を改めて確認しました。
日本政府は長年、核兵器廃絶を訴えながら、数多くの矛盾した政策も継続し、昨年秋に誕生した新政権もほとんど政策転換していません。
その一つが、日米安全保障条約のもとアメリカの「核の傘」への依存です。新政権は、沖縄返還交渉時の核密約公開など積極的側面も示しましたが、最近では、あろうことか非核三原則の見直しに言及するなど、被爆国の責務を放棄するものにほかなりません。
日米安保条約改定から50年を経て、原子力空母の横須賀母港化、全国各地の米軍再編、それに連動したミサイル防衛(MD)などをすすめ、東北アジアの緊張を高め、沖縄県民をはじめとして住民への負担と犠牲を強めるばかりです。私たちは、国内外のNGOや市民と連携して安全保障のあり方の転換を訴えます。北朝鮮に対しては核開発の放棄と六ヵ国協議への復帰を求めるとともに、日本政府に対して平和的対話への転換を強く求めます。「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定し、東北アジアの非核地帯化に向けてとりくみを強化しましょう。
危険なもんじゅ再稼働、プルサーマル運転開始などを次々と強行し、六ヶ所再処理工場稼働に向けた動きも続いています。日本の再処理施設・高速増殖炉などのプルトニウム利用政策は、世界の核拡散に道を開きかねません。柏崎・刈羽原子力発電所を襲った中越沖地震は、「原発震災」の危険性を示しました。プルトニウム利用政策や老朽原発などの危険な原子力施設の稼動を即時停止し、再生可能な自然エネルギーによる脱原発社会をめざしましょう。
日本政府は、温暖化対策の名のもとに新規原発建設や原発輸出の促進を打ち出しているのに加えて、6月末から日本政府は、条約や国連決議で禁じられているNPT非加盟国のインドとの原子力協定の締結に向けた交渉を開始しました。核拡散と核軍拡につながる協定締結を破棄させましょう。
ヒバクシャをめぐる課題は、いまも、被爆体験者、被爆二世・三世、在外被爆者、原爆症認定など残されたままです。被爆者が高齢化するなかで根本的な解決は急務です。昨年8月6日、ようやく政府は被爆者団体と集団訴訟原告の救済を合意しましたが、未だに認定を待つ8,000人をはじめ、支援を求める多くの被爆者が残されたままです。国交のない在朝被爆者はまったく放置されています。被爆二世・三世や被爆体験者については、支援の充実とあわせて、被爆者援護法の対象とすること、日本の戦争責任と戦後補償の問題として国家補償を明記する改正を求めましょう。
私たちは、核被害を根絶するため、世界のヒバクシャと連帯し「核と人類は共存できない」ことを明らかにするとともに、暴力と殺りくが繰り返される世界を変え、対話と共存を基本にした「核も戦争もない21世紀」を実現し、子どもたちに贈るとりくみを全力ですすめます。
被爆65周年の大会に参加した総意として、私たちはあらためて内外に宣言します。
ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・チェルノブイリ、ノーモア・ウォー!
8月9日、長崎市で「被爆65周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の最終日として、「まとめ集会」と「非核・平和行進」などが行われました。その内容をビデオにまとめました。(約9分40秒)
内容は、約5800人が所属する統合戦力軍の1年以内の廃止、文民・軍人双方の幹部ポストの削減などが柱。すでにゲーツ長官は装備品超脱を5年間で1千億ドル削減目標を明らかにしている。
式典にIAEAの天野之弥事務総長など32ヵ国の代表参加。田上富久長崎市長はNPT再検討会議で核保有国が、核軍縮交渉の期限設定に反対したこと、また日本政府が核密約で非核3原則を形骸化してきたことを厳しく批判。
被爆65周年原水爆禁止世界大会実行委員会は、8月9日、長崎県立総合体育館でまとめ集会を行い、約2200人が参加。川野浩一大会実行委員長の「山は動きだした。この地球から必ず核兵器を廃絶できる」との主催者あいさつにつづいて、高校生国連平和大使、核廃絶高校生1万人署名実行委員会からの訴え、長崎から沖縄へ原水禁平和行進のタスキリレー返還、海外ゲストを代表し、アメリカの先住民アコマ族のメニュエル・F・ピノさんが連帯のスピーチ。また、藤本泰成・大会事務局長が大会のまとめを報告。「世界には核抑止論への根強い信仰があるが、原水禁は決してこれを許さない」と訴えました。集会は最後に、5月のNPT再検討会議を「不十分さはあるが核兵器廃絶への展望を開いた」と位置付け、広島市の平和記念式典に潘基文国連事務総長やルース米駐日大使が初めて出席し潘事務総長が核兵器禁止条約の制定を訴えたことを「大きな前進」と評価。その上で「日本政府は非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定すべきだ」とする大会宣言を会場の拍手で採択しました。そして、爆心地公園まで平和行進し、11時2分の黙とうを行い、原爆資料館を見学し大会日程を終えました。
会場:長崎市・ncc&スタジオ
参加者:230名(うち、大半が初参加者)
●「ビデオ上映 君たちはゲンバクを見たか
原爆投下で一瞬にして約20万人が死んだ。原爆の恐ろしさ、悲惨さがわかり、投下後も苦しみながら生きてきた。戦後65年たっても被害は続いている。ゲンバクを語り後世に引き継いで原爆を無くしていくことが重要です。
●講演:山川 剛(たけし)さん(長崎県原爆被爆教職員の会)
広島の原爆はウランで、長崎の原爆はプルトニウム。
原爆は投下された。この“投下された”ことが重要です。
1.私のこどものころ
戦争になると世の中はどうなったか
写真などの資料を見る
(1)日本人ならぜいたくはできない筈だ=お前はそれでも日本人か?
(2)竹槍訓練中の女性たち
(3)鬼畜米英
(4)断崖から身を投げる女性=命が粗末に扱われた
(5)クニヲマモレ=強い体をつくれ
教育が戦争につかわれた。
2.私の8月9日
防空壕の向きが重要だった。
(1)板壁に焼き付いた影(4km地点ではしごと兵隊、ベルト跡が残る。
(2)私が歩いた爆心地
(3)被爆前(8月7日)の爆心地
(4)被爆後(8月12日)の爆心地
(5)爆心地の被爆した人は骨だけか何も残らない
爆心地から1kmで被爆した人は内臓の水分も蒸発
爆心地から4kmでは爆風で家の中が散乱
3.被爆者の願いはなにか
2度と被爆者をつくらない=核兵器を「0」にする
4.願いは実現できるか
憲法は国に戦争をさせない。コスタリカ、スイス、スェーデンに学ぶことはないか?20数ヵ国は軍隊を持たない国がある。長崎の高校生は「私たちは、微力だけど無力ではない」が合言葉ですが、このことが重要です。
質疑は新潟、佐賀、奈良
平和教育を受けた子どもは、「学びを持っている」ことを大切にしなければならない。
●フロアからの意見
長崎、大分、福岡、奈良から平和教育や学校現場について、青森、香川から長崎の歴史・戦争の体験を伝えていきたい、東京から歴史を学ぶときに「今」と結びつることが大切。
最後に、今日、第8分科会に集まり学習したことを「私たちは、微力だけど無力ではない」の合言葉通り、平和運動を進めることを確認し、終了しました。
会場:長崎新聞文化ホール
参加者:約100名
西尾漠さん(原子力資料情報室共同代表)
「再処理してプルトニウムを取り出すことは、核拡散につながる危険性が増す。日本の原子力開発とプルトニウム利用計画には整合性がない」。
小山英之さん(美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会)
プルサーマルの危険性、六ヶ所再処理工場の大量の放射能放出、ガラス固化技術の行き詰まりや使用消火燃料の増大問題などの説明があった。
質疑
原発労働者の被曝について→原発の定期検査が増えれば、従事者の被曝量も増加していく。労災認定は非常に限られたものになっている。「隠された被曝」は多い。
「被曝労働なくして原発は動かない。」
各地報告
青森(反核燃の日)、福井(もんじゅ)、福島(プルサーマル)、山口(上関原発)、佐賀(玄海プルサーマル訴訟)、鹿児島(川内原発増設問題)
まとめ
原水禁世界大会そのものの役割や具体的な取り組み、国民的議論など言うべきことは言う立場であると全体で確認したい。地球規模で核のゴミが今後の運動課題として、より大きくなると認識させられた。国策は地元の反対を金で押さえつけ、首をたてにふらせるやり方だ。しっかりデータなど公表させる取り組みも重要だと再認識した。今後秋に向け、エネルギープロジェクトも立ち上げていく予定であり、全国の反対運動へ連動させたい。
会場:長崎新聞文化ホール3F
参加者:103名(うち、初参加者38名)
講師:藤井石根さん(明治大学名誉教授)
海外ゲスト:オ・ソンイさん(韓国・エネルギー正義行動スタッフ・エネルギー白書発刊担当)
温暖化に起因するといわれている今日の急激な気候変動、自然災害の多発、そしてアメリカのオバマ政権誕生と日本の政権交代。地球環境が国際政治の共通テーマとなってきました。しかし、一方で「Co2削減のために原発によるエネルギー」という動きも強まっています。
このような中で、藤井先生の講演はきわめてタイムリーでした。
原発の燃料であるウランは極めて限られた資源であること、ウラン採掘から精錬、濃縮、発電、廃棄物処分までの間、膨大なエネルギーを消費し、Co2を出し、膨大な放射性廃棄物をだすこと、そしてその放射性廃棄物は半永久的に管理し続けなければならず、環境対策にはなりえません。再処理については、まだ六ヶ所村では本稼動はしていないが、原発より放射能を自然に放出するものであり、イギリス、フランスでも放射能被害と思われる疾病が拡大している実態があります。
また、韓国の環境団体「エネルギー正義行動」からは、厳しい状況での韓国における原発問題の取り組みの実態、韓国政府の原発輸出の動きなどが報告されました。韓国の政権はアラブ首長国連邦との輸出契約の締結など、経済活性化を原発輸出で行おうする一方で、反原発の活動への弾圧を強めています。
韓国政府が日本政府の原発政策を模倣して原子力政策を進めていること、反面、隣国韓国の原発輸出契約に触発されたかのように日本政府も原発輸出に懸命に動いていることなどからみれば、反原発のたたかいの日韓連帯は重要であることが改めて確認されました。
分科会では、延べ13名の方から発言がありました。
民主党の原子力政策に対する懸念が多く出されました。温暖化対策法案は、先の国会の参議院で否決されまだ成立していませんが、原発容認の政策です。昨年の政権交代以降、エネルギー政策については自民党より悪いという意見も出されました。
何点かの要望も出されました。現在、原発では放射性廃棄物が満杯になりつつあるいわれています。このような事態を少しでも乗り切るために「中間貯蔵」の施設を作る動きもあります。第一には、原水禁の基調の中に「中間貯蔵反対」を加えてほしいという点です。電力資本や民間の宣伝と国の原子力推進政策を反論していく上でも、より取り組みの強化が必要であることが訴えたれました。第二には、学校における「原子力教材」活用に反対する取り組みについても提案が出されました。
握手を交わす講師の藤井石根さんとゲストのオ・ソンイさん
会場:長崎県勤労福祉会館
第5分科会は3人のパネリストから報告をいただき、それを受けて会場からの質疑・討論を行った。全体では46人が参加し、うち被爆者が6人、被爆2世が12人参加した。
長崎県被爆者手帳友の会・副会長の中村キクヨさんは、ご自身の息子さんが白血病という病で他界された際、「この病気はお母さんからもらったものだ」と言われたことがいつまでも心に残っているということをお話されていた。また、以来、自身の被爆者としての経験だけでなく、2世の問題についてもご発言をされているとのこと。同じように白血病で子どもを亡くした被爆者から莫大な医療費の問題について聞いて、これは個人の問題ではない、国に援護を求めることが重要だと訴えた。
長崎県被爆2世の会・会長の丸尾育朗さんは、「2世は大半の人は元気だが、病気で苦しんでいる人たちや、なくなった人もいる。それを私たちが訴えていく。影響が全員に出るわけではないが、出た場合は国に補償してほしい。また、2世の健康診断にがん健診を加えるべき」と政府の被爆2世問題への対応の不備を訴えた。
全国被爆2世団体連絡協議会・会長の山崎幸治さんは、「被爆2世の健診は1978年から国が予算をつけて行われているが、何の法的根拠もない。国は、2世、3世の問題を正式に認めているわけではない。このため、被爆2世の正確な数も分からない。平均年齢も50歳代ということで、がん世代になってくる。がん健診を加えることが必要」と現状を説明するとともに、今後の運動の方向性としては、「今までは2世の活動は労組の活動を通してやってきた。地域の2世団体との連絡・連携が課題になっている」と、2世がこれからの運動の先頭に立つことと、親の被爆体験の継承を挙げた。
お3方とも、親の被爆と2世の健康問題への影響が科学的に明らかになっていないため、2世が病気になったときに「親の被爆のせいではないのか」という気持ちを持ってしまうという点を指摘していた。今後の取り組みの方向性として、放影研の今後の継続調査で真に科学的結果が出されるために働きかけを進めることも挙げられていた。
会場からは、被爆2世の教員から、「2世健診があることを知らない2世の教員が多い。また、職場の健診があるから良い、と受けない人もいる。2世が健診を受けることで問題を継承していく必要があるのでは」という指摘があり、山崎幸治さんからは「2世健診でピーク時は19万人が受けていたが、微減が続き17万人台になっている。内容があまりに貧弱で、もう一度受けよう、と思える内容でないからではないか。私自身も、職場の健診があるなかで、2世健診には行かない年もある」と、健診内容の充実が課題であることが再度強調されていた。
このように、分科会では2世に関連する国の施策の充実を求めていくことが重要課題として出されていた。そのなかでも、親からの体験の継承や、3世、4世への継承の問題も出されていた。この部分は、来年以降の原水禁大会に向けた重要な課題となると思われる。
会場:長崎県教育文化会館2F大会議室
参加人数:84名(内、初参加約70名)
朝鮮人は、なぜ被爆しなければならなかったのか。現代の歴史上でほとんど語られることはないが、吉田松陰、福沢諭吉らは、アジア全域への明確な侵略思想をもっていた。この流れを受け、朝鮮半島への侵略により不当なかたちでの併合条約の締結が行われた。強制連行により、日本へ連れてこられた人々も当然ながら、土地を奪われた朝鮮人らは、やむなく広島や長崎へ渡り、低賃金で重労働を余儀なくされた。国を奪われ、土地を奪われ、名前を変えさせられ、朝鮮民族という誇りを奪われ、人格まで否定された当時の人々の苦しみは筆舌に尽くしがたい。韓国併合100年を機に、「保護条約」も「韓国併合」も当初から不法・無効と宣言すべきである。これこそ今日本政府に求められている政治決断であると言える。
また、在外被爆者への援護などの面からも、日本政府の対応についての批判が出た。被爆者健康手帳の効力を、日本国内のみに限定した1974年7月の厚生省「402号通達」は、在外被爆者を排除する内容であることは明らかである。また、原爆症の認定に関しては、いまだに来日が必要であるという点も、今後争っていくべき課題である。いづれにしても、高齢化していく被爆者にとって、何事も時間をかけ裁判で争うしか方法がないということは、在外被爆者の辛さである。アメリカによる原爆投下への謝罪以前に、日本による朝鮮半島侵略・強制連行・従軍慰安婦問題などに対する謝罪が行われるべきである。
参加者からは、在外被爆者への医療費援護に対する具体的な質問が多く出された。日本の被爆者と在外被爆者の差別の実態はどうか。日本の被爆者は医療費の助成に上限が無いのに対し、在外被爆者は年間16万5千円に制限されている。また、被爆直後の在日朝鮮人に対する初期医療について、朝鮮人だと判ると手当をされない、強制労働により自分たちが掘った地下壕に入れてもらえなかったという証言が多数存在するという報告がされた。長崎市による軍艦島の観光資源化に関連し、島にまつわる強制連行の事実などがクローズアップされないとういう事に対する憤りが参加者から発言された。
韓国国内においても、被爆2世、3世の問題は大きい。この問題を解決するためには、日韓の連携や議論が必要であるが、在外被爆者に対する差別は現在の日本政府にも続いており、このような姿勢は恥ずかしい事である。「朝鮮人はなぜ被爆しなければならなかったのか」という所から、もう一度日本の犯した過ちについて考え直し、そこから我々の運動を構築することが必要である。
講師の高實康稔さん(岡まさはる記念館理事長・長崎大学名誉教授)
ゲストの郭貴勲(カク・キフン)さんは元韓国原爆被害者協会会長
会場:長崎市・NBC別館3Fビデオホール
参加者数:200名(うち、初参加者70名)
第3分科会では、講師3名の講演と1名の報告を受けた後に、参加者との質疑応答を行った。
初めに、フォトジャーナリストの豊崎博光さんから「世界のヒバクシャ“ニュークリアー・レイシズム”」と題して、世界各地でのウラン採掘や核廃棄物処理、核実験などによって先住民をはじめ、様々な人々がヒバクしている現状を、スライドを交えて明らかにした。また、原爆や原発事故だけからヒバクするのではなく、ウラン採掘などからもヒバクは起こりうることを自覚して、視野を広げて運動に取り組んでほしいと訴えた。
次に、海外ゲストで米国の先住民であるメニュエル・F・ピノさんが、出身地である米国南西部の「フォー・コーナーズ」周辺地域でのウラン採掘による、環境汚染やヒバクについて自らの体験をもとに講演した。また、昨年からは、日本の住友商事がカナダの会社と共同で、ニューメキシコ州グランツ鉱脈のロカ・ホンダで新たなウラン採掘プロジェクトを進めており、先週住友商事に直接出向き、プロジェクトの問題点を指摘するとともに撤退するように申し入れたことを報告した。
この報告を受けて振津かつみさんが、ピノさんの申し入れに対する賛同を訴えるとともに、劣化ウラン兵器の使用禁止に向けた自らの取り組みを紹介した。その中で日本政府は今、官が風土の汚染やヒバクなどのしわ寄せを受けていることを認識すべきだと強調した。また、参加者に対しても今日学習した事実を多くの人に広めるよう要請した。
最後に、全国被爆体験者協議会会長の小川博文さんが「被爆体験者」について報告しました。現在、国が「被爆体験者」を「被爆者」とは認めない差別政策を取り続けていることを解消するために、裁判闘争を展開していることを語り、署名活動への協力を要請しました。
その後、7名の参加者から講演に対する質問があったが、質問者の多くが初参加の若い人だったことが印象的であった。また、若い女性が英語を交え、海外ゲストに質問するなど、活発な討論が行われた。
会場:長崎市・長崎ブリックホール3F国際会議場
第2分科会は、『東アジアの非核化と日本の安全保障政策』ということで、冒頭、基本ル-ルと基調の提案を終え、始めに舟越耿一さんから提起を受けた。その内容は『NPTにおける新聞報道での被爆者の渡米に対する意見は米国紙の意見は様々だが反核のメッセ-ジが伝わっていないことを始め、核の威力は伝わっていても、その被害の実態が伝わっていないことや、被爆証言も米国からすれば逆に被害意識もあり拒否される中で「核兵器をなくすこと」だけでなく「戦争をなくすという視点での取り組みの重要性など触れられ、そういう中で戦争をなくすという事は、一国だけの意識では成立はしないし、日本や朝鮮・東アジアが平和でなければ日本の平和も成立しないこと」など述べられました。
左から前田哲男さん、舟越耿一さん
また、海外ゲストのスヨルさんからはプロジェクタによる説明も含め『天安艦事件を含む米国・韓国の対応と、その中で、どう天安艦事件を理解すべきかというとの背景をアンケ-ト調査を基に、韓国での地方選挙への利用や、反面、軍事衝突の危惧、イ・ミョンバク大統領の対応への支持にもつながっている中で、天安艦事件によって周辺国の軍事力増強につながっている事、こうした事から天安艦の沈没という結果のみにとらわれるのではなく、背景にある対立や敵対的政策など歴史的結果として捉え、支配階級の連携以上に、私たちの側の連携を強めていく事が課題』ということが述べられていました。
また、前田哲男さんからは、『普天間基地問題を始め、この1年の中での期待から失望へと変化している民主党政権の動きの中でも旧政権に戻さない取り組みの重要性や、この間の安全保障の歴史、そこから、私たち自身の安全保障を考える上で、地球ぐるみの安全の課題である環境やエネルギ-など、様々な分野の安全保障として地球規模での安全保障の必要性などにも触れられ、一方では「自由を守るために抑圧される」という現在の安全保障というジレンマの中で、我々が真に安心できる安全保障をどのように具体化をしていくのか、共通の安全保障の策定していく事がこれからの課題である』ことなど触れられてきました。
海外ゲストのスヨルさん(右)
<質疑>
□神奈川ではヘリ空母が造船されている。2番艦、3番艦では3万トンクラスのもの。なぜ、こんなものが作られる。必用なのか疑問を持つ。政権は変わり様々な追求をしても予算は減らない。
□多面的な安全保障の問題として、東アジアをどうしていくのか?東アジアで安全保障についていかに盛り上げていくのかが課題になっていると感じた。
□普天間基地問題は8月には「方向を出す」と言われている。今後どうなっていくのか。憲法を変えようと思えばいつでも変えられる。地元に帰った時に憲法を守らせる取り組みも大切だと感じた。署名などやりながら一軒一軒話を聞いたりもしている。マスコミから色々言われている中で説明をしていく。何を具体的にどんな事をやればろうかいいだろうか。
□侵略戦争・被爆者が何によって生み出されているのか考えさせられた。イラク戦争などでも労働者が失業となれば軍隊にはいらざるを得なくなる矛盾など、そこも含めて考えていかなければならない課題ではないか。
<答弁>
■特に中国からの留学生も多く、就職斡旋も多くなっている。少子高齢化など日本の将来に見て、そうした事もおきている。日中間での相互移住という中で英語ではなく、多言語でお互いに教えあっていた。その時とても交流が進んだ。多言語主義で平和の溝も超えられる。東アジアでも多言語主義というのはものすごく緊密な関係になれるものだと感じた。
■憲法9条など草の根運動として継続していくことが必要。もう一つは25条との関係で生存権があるのに、一方では派遣切り・失業が横行している。それを保障する権利もある。
■8月までに結論となっているが、そのまま実施計画になるという事ではない。技術的な問題も出てくるが、それ以降となる。普天間基地問題については「何をもって解決か」という事もあるが少なくとも沖縄に海兵隊は必要ないという意見は米国内でもある。
<各地報告>
神奈川より、核密約の問題が明るみに出る前は、核兵器積んでいるのか積んでないのかわからないまま、原子力空母ジョージワシントンの母港化がされた。見直しに向け取り組みを強めている。また、修理の問題もあり、修理・メンテナンスという事で放射性物質の移送など、危険な作業も発生している。また、神奈川では知事が安保50周年記念式典を神奈川へ誘致している。抗議・撤回を求めている。
<運営委員感想等>
最後に、各運営委員より感想として『核兵器だけでなく戦争そのものをなくすという視点に学んだ』『歴史を知り、謝罪し、戦争を起こさないために共同して取り組むことが必要』だと感じた『平和の取り組みについて東アジアを始め共同してやっていかなくてはならない事を感じた』など出され、川野浩一原水禁議長の感想として『心の中で様々な気持ちもある。それは核の問題でも職場の問題でも同様。今日は様々な事を学んだ』が出され、閉会挨拶となった。
会場:長崎ブリックホール3F国際会議場
講師:田巻一彦ピースデポ副代表、平岡秀夫民主党衆議院議員
海外ゲスト:ポール・マーティン米国・ピースアクション政策担当
●具体的な内容
田巻一彦さん
「日本から核兵器の廃絶を発信すること。そのための北東非核兵器地帯化を当面の重要な課題と位置付ける」。という内容の提起。
2万3000発の核兵器庫をゼロにすることを心に刻み、核兵器の悲惨さ、非人道性、国際法に照らして違法であるとの判断が、国際的には敗戦50年後だった。(1996年、核兵器の威嚇、または使用の合法性に関する国際司法裁判所の勧告的意見)。
日本では、63年(55年提訴)の「下田裁判」東京地裁判決の中で、本訴は棄却されたものの、「…当時の国際法から見て、違法な戦闘行為であると解するのが相当である」との見解が示されている。残念ながら、核兵器そのものを禁止する条約はない。
核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、全会一致で「核保有国による核兵器廃絶の明確な約束」を盛り込んだ最終文書が採択されたことと、核兵器禁止条約の検討がなされることになったのは成果である。このことにかかわり、岡田克也外相は「核兵器保有の目的を核兵器抑止のみに限定すること。現在の核兵器保有国以外の保有を認めない」旨の書簡を出したこと。これは旧政権ではあり得なかったことであり、政権交代の成果である。
これらの状況やオバマ米大統領のプラハ演説など、世界的潮流の中で私たちの当面の課題を北東アジアの非核兵器地帯構想の具体化を進める必要がある。
核兵器のない世界に向かって、地域から新しい「非核兵器宣言」「再宣言」を実現する、「日本非核兵器宣言自治体協議会」や平和市長会議への加入促進、市民と議員の「非核平和委員会」をつくるなど提起された。
平岡秀夫さん
北東アジアの非核兵器地帯化の条約の成立のための活動を軍縮促進議員連盟として、開始しているとの報告があった。韓国の国会議員との連携を進めており、今年2月には共同声明を日本で発表した。NPT再検討会議における市民フォーラムでは、北朝鮮の非核化までは一致したが、北東アジアの非核兵器地帯化のための条約を結ぶべき、というところまでは至らなかった。
ポール・マーティンさん
「NPT再検討会議・米国の核戦略、朝鮮半島の非核化」をテーマとする提起がなされた。マーティンさんの大きな特徴は、「米国政府がこの国に不道徳な核爆弾を落としたことについて謝罪したい。ピースアクションの10万人の会員と、核兵器を廃絶すべきだと考える80%以上の米国人(NHKのアンケートでは、60%が核の傘はいらない、将来を含めると80%以上がいらないと答えている)を代表し、広島、長崎、そして日本の人々に対し、恐怖を与えたことを謝罪いたします」との立場をくり返し明確にしているところにある。
NPT再検討会議では、2012年の中東非核地帯構想会議を含む、64項目の行動計画を盛り込んだ最終文書が採択され、2015年の再検討会議では、「第6条の完全な実施のための次のステップを考慮」し、そして核保有国は、保有する核兵器を完全に廃絶をするという約束を無条件で実行することを確約している。またカットオフ条約の促進についても具体化されることになる。
これを受けて、米国の核戦略も新START条約が最終的に採択される可能性が高まっている。少なくとも、オバマ大統領は歴代大統領の中で、初めて私たちと同じ目標(核兵器のない世界の平和と安全保障を追求する)を示している。
米国政府に圧力をかけるため、新START条約を批准すること、核兵器削減をさらに進めるため、ロシアと追加合意について交渉すること、核兵器開発施設への予算を削減し、核兵器廃棄のペースを進めること、CTBT条約を批准し、カットオフ条約に関する交渉の開始を追求していかなければならない。
朝鮮半島の非核化については、北朝鮮に対する「制裁ありき」の政策を転換し、北朝鮮との外交関係を樹立するため、北朝鮮の人々の人間性を回復し、人道援助を行うよう日本政府に働きかけてもらいたい。そして日本政府として米国、国連に対して、積極的に働きかけるべきである。
核兵器廃絶のためには、朝鮮半島の非核化が不可欠である。
フロアから、ロバート・グリーンさん(ニュージーランド軍縮安全センター共同所長)の発言について
「核抑止は、甚大な信用詐欺だ」(nuclear deterrence is a huge confidence trick)と結論づけている。
(1)核兵器は、究極的な恐怖の兵器である。
(2)核抑止は、国家が支援する核テロリズムである。
(3)核兵器ではテロを抑止できない。
(4)核抑止に信頼性はない。
(5)拡大核抑止は効果がないばかりか、逆効果である。
(6)核抑止は合法的ではない。
(7)核抑止は安全保障を蝕む。
日本政府は、米国の拡大核抑止(核の傘)を拒否し、代わりに北東アジア非核兵器地帯の創設に向けた、緊急の交渉を開始すべきであり、皆さんも働きかけてください。
8月8日、長崎市で「被爆65周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の2日目が開かれ、「平和と核軍縮」「ヒバクシャ」「脱原子力」などの課題での分科会や、被爆者との交流、フィールドワークなどが行われました。その内容をビデオにまとめました。(8分30秒)。
核兵器廃絶2010平和ナガサキ大会
一瞬にして、7万4千人余が息絶え、7万5千人余が傷ついた、原子爆弾が長崎に投下され今年で65年を迎える。かろうじて生き残った人々も、今もなお放射線障害に苦しんでいる。今日、核兵器は未だに世界に約2万1千発も存在し、人類は、核兵器の脅威にさらされ続けている。
こうした中、核拡散防止条約(NPT)の運用を見直すために5年に一度開催される再検討会議が、5月3日からニューヨークの国連本部で開催された。連合、原水禁、核禁会議の3団体も参加し、NGO平和集会・平和アピール行進・原爆写真パネル展の実施、「核兵器廃絶1000万署名」提出などの行動を展開した。
再検討会議では、日本政府が提案した「核兵器保有国が核軍縮につながる具体的進展状況を2014年の再検討会議準備委員会に報告する」旨の項目が取り入れられたことは、被爆国日本の果たした大きな成果である。また、北朝鮮の核実験実施への非難、中東地域の非核化に向けた国際会議の開催、さらに、核兵器保有国のインド、パキスタン、事実上の核兵器保有国であるイスラエルのNPT加盟促進など、画期的な項目を盛り込んだ「核兵器なき世界」に向けた最終文書を全会一致で採択した。合意文書を作成するには至らなかった2005年の再検討会議と比較し一歩前進したと評価できる。
日本政府は被爆国として、国是である非核三原則を堅持し、「包括的核実験禁止条約(CTBT)」の早期発効や「兵器用核分裂物質生産禁止条約(FMCT)」(カットオフ条約)の交渉開始、平和市長会議が提唱する「2020ビジョン」の実現など核兵器廃絶の具体的進展に向けた積極的な役割を果たすべきである。
私たち3団体は、これからも国際労働組合総連合(ITUC)や「平和市長会議」、多くのNGOとも連携・連帯し、核兵器廃絶と世界の恒久平和実現に向けて、国内外世論の喚起に取り組んでいく。また、これまで要求してきた原爆症認定、在外被爆者、被爆2世・3世や被爆体験者などの被爆者施策の充実を強く求めていく。
「ノーモア・ヒロシマ!」「ノーモア・ナガサキ!」「ノーモア・ヒバクシャ!」
7日、長崎市油木町の県立体育館を会場に、連合、核禁会議、原水禁の三団体の主催で「核兵器廃絶2010平和ナガサキ大会」が開催されました。会場には全国、海外から約4500人が参加。大会では、南雲弘行連合事務局長が、今年5月にニューヨークで開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議に触れ、「合意文書を作成できなかった2005年の会議と比べ一歩前進」と述べ、出席した中村法道長崎県知事は、「バン・キムン国連事務総長が来県し、力強いメッセージを発信するなど、核なき世界に向けた機運は確実に高まっている」と期待感を示しました。
最後に、参加者全員で、「日本政府は非核三原則を堅持し、核廃絶の具体的な進展に向けた積極的な役割を果たすべきだ。三団体は多くのNGOと連携し、国内外世論の喚起に取り組む」とするアピールを確認しました。
あいさつに立つ南雲連合事務局長
8月7日から長崎市で「被爆65周年原水爆禁止世界大会」の長崎大会が始まりました。初日は、連合・原水禁・核禁会議主催の「核兵器廃絶2010平和ナガサキ大会」などが行われました。その内容をビデオにまとめました。(9分50秒)。
NPT非加盟国インドとの原子力協定締結を日本政府は放棄し、核拡散と核軍拡へつながる動きに断固反対せよ!
被爆65周年原水爆禁止世界大会広島大会特別決議
国際社会が「核のない世界」を求める様々な動きを進める一方で、南アジアでは核拡散と核軍拡の危機的状況が続いています。
2008年に改訂された、原子力供給国グループ(NSG)のガイドラインで例外扱いとなったNPT非加盟国インドへは、米国を始めフランス、ロシアなど各国が原子力協定を結びました。対抗して同じくNPT非加盟国のパキスタンへは、中国が2基の原子力発電所を提供する計画をすすめています。核拡散防止条約(NPT)の枠外で核兵器開発を続ける両国への原子力協力は、核不拡散体制を土台から揺るがすものです。
日本の原子力技術を必要する米・仏などの強力な圧力や原子力技術の輸出に期待する経済界の要請などから、6月28日、日本政府はインドとの原子力協定の締結に向けた交渉を開始しました。非核三原則を国是とし核廃絶を目指す被爆国日本は、核拡散と核軍拡につながる動きに断固として反対し、NPT体制強化の明確な外交政策をとるべきです。
インド・パキスタンが核実験を行った1998年、日本も共同提案国となり、全会一致で決議された、国連安保理決議1172では、インド及びパキスタンに対し、「核兵器開発計画の中止」、「核兵器用の核分裂性物質の生産中止」を求め、「すべての国に対し、インド及びパキスタンの核兵器計画に何らかの形で資する可能性のある設備、物質及び関連技術の輸出の禁止」を求めています。今年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書でも、「すべての加盟国に対して、核関連輸出が直接的にせよ間接的にせよ、核兵器のまたその他の核爆発装置の開発を支援してはならない」ことを確認しています。
インドは包括的核実験禁止条約(CTBT)にも署名していません。日本が促進するCTBTの発効要件国のうち未署名国は、インド、パキスタン、北朝鮮だけです。インドとの原子力協力は、少なくともCTBTへの署名・批准、インド国内の全ての核施設を査察の対象として、核兵器開発をやめさせることが前提となるべきです。日本自ら提案した国連決議に反して,核兵器計画に資する可能性のある原子力協定を結ぶことは許されません。民生用原子力施設を他国の協力で動かせば、インドは国産のウランを査察対象でない軍用施設で使用する事が出来、核兵器への転用につながることは明白です。
核廃絶へ向けて、被爆国日本の強力なイニシアチブを政府に要請し、NPT非加盟国のインドとの原子力協定の締結を放棄することを強く求めます。
2010 長崎『子どものひろば』
国際交流も盛んな土地に、「坂本龍馬」人気も手伝って、賑わいを見せる長崎。
そこでは、真夏の暑さに負けないくらい「熱い」平和活動が行われています!!!
街頭で目に付くのは、独自に活動している「高校生一万人署名」の活動です。
彼女らが署名活動する姿は、真夏の炎天下も、なんのその!
暑い、熱い、長崎で行われた『子どものひろば2010』、『ピース・ブリッジ2010 inながさき』の報告です。
『子どものひろば2010』
日時:
2010年8月8日(日)9:30~12:30
会場:
長崎県教育文化会館4F401(長崎市筑後町2-1/℡095-822-5195 定員70人)⇒原爆資料館⇒爆心地公園「原爆中心碑」
内容:
平和の歌や被爆体験の証言、原爆資料館や被爆遺構の見学を通して被爆の実相や核の恐ろしさを肌で感じてもらう原水禁版「平和教育」。
スケジュール:
9:30~10:00 歌と交流・ビデオ上映
10:00~10:45 被爆体験の講話
10:50~11:00 徒歩で移動(教育文化会館→長崎駅前・電停へ)
11:00~11:15 貸切電車で移動(長崎駅前→浜口町へ、通りにそって被爆の状況を説明)
11:15~11:25 徒歩で移動(浜口町電停→原爆資料館へ)
11:25~12:05 原爆資料館の見学・説明
12:05~12:30 原爆中心碑前で献花、黙とう、感想発表
ピース・ブリッジ2010 inながさき
日時:
2010年8月8日(日)9:30~12:30
会場:
長崎県勤労福祉会館2F講堂(長崎市桜町9-6/℡095-821-1456 定員200人)
主催:
ピース・ブリッジ2010 inながさき実行委員会
内容:
高校生や大学生でつくる実行委員会が企画し、長崎から「平和の架け橋」を世界につなぐ「ピースブリッジ」第7弾。各地で平和活動を進める高校生や韓国、フィリピンの高校生も参加して活動報告や交流を深めます。また、高校生が作った被爆者証言ビデオのDVDの上映もあります。
プログラム:
1.主催者メッセージ
2.被爆者証言ビデオDVD上映
3.韓国・フィリピンの高校生の紹介と活動報告
4.各地の活動報告・鹿児島、神奈川、福岡、熊本、長崎など。
5.みんなで歌おう
6.高校生平和宣言
「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」に国連の潘基文事務総長、ルース米駐日大使ら74ヵ国の代表が参加。秋葉忠利広島市長が平和宣言で核の傘からの離脱を訴える。菅直人首相は核抑止力が必要と記者会見で語る。潘事務総長はCTBTの2012年発効などを訴える。
被爆65周年原水爆禁止世界大会・広島大会
世界最初の原子爆弾が投下・炸裂したあの日から65年のこの夏、私たちはここ広島の地に集まり核廃絶の流れを大きく前進させるための第一歩を踏み出しました。
戦後、世界に7万個以上あった核兵器が今にも使用される危機に見舞われたときも、地域紛争に核兵器を用いることを主張する勢力に対しても、核兵器の使用を阻止できたのは、被爆者の告発と核実験抗議などの平和運動、そして世界の反核運動と粘り強く連帯したとりくみの力でした。
アメリカの単独行動主義によって5年前のNPT再検討会議は大失敗に終わり、核兵器廃絶のとりくみは後退局面を迎えました。しかし、平和市長会議の2020ビジョンの推進、NPT体制崩壊を危惧する人びとのたたかいは、オバマ大統領の「核兵器を使用した唯一の核保有国として、合衆国には行動する道義的責任がある。本日ははっきりと信念を持ってアメリカは核兵器のない世界の平和と安全を追求すると誓約する」としたプラハ演説と結びつき、核兵器廃絶への展望を開いてきました。
今年のNPT再検討会議では、核保有国と非保有国との意見の隔たりは大きく、核廃絶に向けた行程表の作成や期限の設定はできませんでした。そのなかでも会議に寄せられた多くの署名や参加した人びとの思いを受けて、核兵器廃絶の方向性が合意されるなど、ほとんど破綻に瀕していたNPT体制を再生に導くことができました。
私たちは広島大会で被爆国日本の果たすべき責務を改めて確認しました。日本政府は、長年被爆地の思いを裏切り続け、ヒロシマ・ナガサキの訴えに耳を傾けず、アメリカの核政策に追随してきました。日米安全保障条約によって、日本はアメリカの核兵器の傘の下にあるために、政府はアメリカの利益を忠実に擁護してきたといっても過言ではないでしょう。
被爆者をはじめとする私たち原水禁運動は、政府の態度に業を煮やして、再三にわたり非核三原則を法制化するよう要請してきました。最近では、沖縄返還交渉時の密約が暴露されたことをきっかけに、あろうことか非核三原則の見直しに言及していることなどは、被爆国の責務を放棄するものにほかなりません。
また、ミサイル防衛の推進や米軍再編は、東北アジアの平和と安全に大きな影を落としています。
世界的な核軍縮の高まりのなかで、安全保障のあり方の転換に向けて、国内外のNGOや市民が連携し、政府・政党へいっそう働きかけることが重要となっています。
そして、核軍縮を核廃絶への流れに強めていくために原水禁運動の原点に立ち行動を強めましょう。
広島の体験。それは人知を超えた破壊と残虐でした。人間が同じ人間に対して絶対にしてはならない破壊と残虐でした。そのことを二度と繰り返させないために、私たちは原爆投下の「あの日」の意味をしっかりと問う必要があります。「人の命は地球より重い」と言います。その貴重な命が容赦なく踏みにじられた極限状態、それがヒロシマなのです。
私たちは、広島、長崎の原爆投下にはじまった核時代に生きています。ヒロシマは、人類が生き残るために核兵器を廃絶するしかないことを教えています。そして、核兵器の使用につながる戦争そのものをこの地上から一掃しなければならないことを教えています。
いかなる国のいかなる核兵器も認めない私たちの立場をより鮮明にし、次のことを強く訴えます。
○「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定し、東北アジアの非核地帯化を実現しましょう ○臨界前核実験などすべての核実験を完全になくしましょう。
○再生可能な自然エネルギーによる脱原発社会をめざしましょう。
○被爆者援護法に国家補償を明記させ、世界のヒバクシャと連帯しましょう。
ヒロシマは、いかなる核被害も根絶し核のない世界を求めてとりくみます。暴力、殺戮を繰り返す社会を、対話と共存を基本に乗り越えなくてはなりません。65年前のあの暑い夏のヒロシマの経験を原点にして、核も戦争もない21世紀を子どもたちに贈るとりくみを全力で進めます。
ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノー モア ヒバクシャ、ノー モア ウォー!
8月6日に広島市で開かれた「被爆65周年原水爆禁止世界大会」の第3日は、「まとめ集会」が行われ、広島大会の集約が行われ、長崎大会に引き継がれました。その集会の内容をビデオにまとめました。(約9分30秒)。なお、同日、広島市主催の「平和祈念式典」(別にビデオ報告)や、原水禁大会の特別企画として、ベストセラー「世界がもし100人の村だったら」の著者・池田香代子さんが「あなたもここに生きています」と題する講演会も行われました。
2010年8月6日に行われた広島市主催の「平和祈念式典」の模様をビデオにまとめました。(約6分40秒)
広島市・アークホテル広島を会場に「被爆65周年原水爆禁止世界大会・国際会議」が、海外からのゲストなど約90人の参加者を集めて開催されました。
会議では、米国・ピースアクション政策担当のポール・マーティンさんら、パネリストによって東北アジア非核兵器地帯などが議論されました。ピースデポ特別顧問の梅林宏道さんからは、「核軍縮を進める包括的アプローチ」として、核兵器禁止条約と非核地帯をとの指摘がなされ、それに対して、韓国・参与連帯協同事務局長のイ・テホさんは、その実現には日韓の国会議員の連携が欠かせないと述べました。
パネリストの議論に参加者は熱心に耳を傾けました
8月5日、原水禁世界大会・広島大会は第2日目を迎え、「平和と核軍縮」「ヒバクシャ問題」「脱原子力」などの課題での分科会やひろば、国際会議などが開かれました。国際会議と、子どもたちが平和について考える「メッセージfromヒロシマ」の取り組みを中心にビデオにまとめました(一部、写真含む)。(約8分)
会場:広島市西区民文化センター2F大ホール
参加者:約300人(うち、初参加者が約160人)
●DVD「君たちはゲンバクを見たか」上映、被爆証言
DVD上映では、原水禁運動の歴史と意義などについて、映像に登場する被爆者および、被爆二世の活動を通して学習した。その後、阿部静子さんによる被爆証言を伺った。阿部さんは、被爆時18歳で、爆心地から約1.5kmの平塚町で被爆した。屋根の上で瓦を運ぶ疎開作業中のことで、右半身に大やけどを負った。両親と同居していたが、ご本人のみが被爆。薬も不足し、満足に治療が受けられない中でも、家族の献身的な看病もあり、一命をとりとめた経緯について詳細にお話いただいた。ケロイドで苦しんだことや、それによって「赤鬼」などと言われてからかわれた悔しさについてもお話があった。
ご高齢、体調不良にもかかわらず、予定時間一杯使われて、反戦・核兵器廃絶を強く訴えた。また、なぜ8月6日の8時15分だったのかということについても、米軍の緻密な調査により、8時15分が広島では最も人々が多く外へ出ており、晴天であるほど、人体に与える影響が大きいということからだったという。さらに、原爆の「熱」「爆風」「放射能」による、きわめてむごい被爆状況についても具体例を挙げて詳しく説明していただいた。
こうしたお話に、参加者の多くはメモをとりながら熱心に聞き入っていたが、後半になると、そのメモをとる手も止めて、真剣なまなざしが向けられていた。
●核廃絶のために(初級編)
講師:川野浩一原水禁国民会議議長
川野議長は、当時5歳だった長崎での被爆体験を語られるとともに、第二次世界大戦と原爆開発の関係、米軍が日本へ原爆投下するまでの経過等についても説明された。
その後、これらの経過を踏まえ、原水禁運動の歴史について話される中、核兵器をとりまく現状や、ヒロシマ・ナガサキを決して風化させてはならないと強調された。まだ、当面の具体的な行動として、日本が早急に「非核三原則」を法制化し、世界に向け明確な核兵器廃絶の方針を策定すべきであることが提起された。
●まとめ
10代~20代の参加者も多く、「若い世代へとつなぐ運動」という本分科会の当初の目的を、おおむね達成することができた。
会場:広島市・ホテルチューリッヒ東方2001
原水禁大会2日目、第6分科会は「脱原子力社会を目指す2-交流・討論編-プルトニウム利用政策の転換に向けて」というテーマで開催されました。
分科会は、前半原子力資料情報室共同代表の西尾漠さんの「破綻したプルトニウム利用-政策転換への提言」と題する講演を受け、質疑討論を行い、後半は原発建設阻止のたたかい、プルサーマル、高速増殖炉稼動などに反対するたたかいをとりくんでいる全国の仲間からの報告を受けました。
講演後の最初、初めての参加者からの質問でした。「作られたプルトニウムは使用されなければどうなっていくのか。」「原発から自然エネルギーへの転換は費用対効果などの面から難しくないのか」との質問でした。一見、素朴な質問ですが、今のエネルギー論争でのもっとも大きな争点であり、地球温暖化問題の中で代替エネルギーを原子力にしようとする動きにたいして反論していくために、一番重要なポイントです。
プルトニウムの使い道は原爆しかありません。現在、数千発に匹敵するプルトニウムが国内にあります。核は地球からなくさなければならないのです。再処理によってプルトニウムを作り出すことが、高速増殖炉、プルサーマルなどより危険な選択につながっています。プルトニウムが出てくる原子力発電や再処理を稼動させないことによって、プルトニウムをださないこと以外に解決道はありません。
また、民主党のエネルギー政策に関する指摘も多く出されました。
政府がNPT未加盟のインドとの2国間原子力協定の締結交渉を始まりましたが、インドは核拡散防止条約(NPT)に加盟しないまま核実験などの核開発を進めてきたのです。そこへ原発の機器や技術を輸出すれば、核拡散に加担することになりかねなません。核なき世界の実現を先頭に立って訴えるべき被爆国の責務を置き去りにしいるという懸念です。
後半では青森から鹿児島まで全国から取り組みの報告がありました。いずれもが厳しい状況の中での貴重なたたかいであり、全国での連帯するたたかいが求められています。特に、上関原発建設反対の取り組みは重要局面を迎えており、会場での署名を取り組みました。
最後、まとめのなかで菅原運営委員は「私たち運動を担っている側が訴えたいことと、多くの市民が聞きたいことの間にずれがあるのではないか」と感想を述べました。脱原発の運動が広まっていくためには、わたしたちがもっとみんなの目線で運動をつくり、主張を展開することが大切なのではないでしょうか。がんばりましょう。
各地からの報告に耳を傾ける西尾漠さん
会場:広島市・YMCA国際ホール
<講演の概要・・・原発をめぐる状況>
(1)政府の方針は、原発推進。経済が行き詰まり雇用の場も増えない中で、経済政策として原発技術を海外に売り込もうとなっている。現実には、高速増殖炉は実現が難しく、すでに150トンものプルトニウムを抱え込んでいる中で、MOXでも減らせない。六ヶ所再処理工場はトラブルで本格稼動は遅れているが、イギリスでのウィンズケール再処理工場による全海域の汚染や、北極海域のプルトニウムの汚染など、放射能による環境汚染は深刻であり、六ヶ所再処理工場が本格稼動したら海や大気中へ大量の放射能が拡散され、大変なことになる。地球規模の環境問題として考えていかなければならない。
(2)原発は動かせば動かす程放射性廃棄物が増え続ける。放射能は必ず漏れる。原子力に加担して将来はあるのか。これからのエネルギー政策は、環境に負荷をかけない自然エネルギーへ軸足を持っていく。子孫に負の遺産を残さず、材料の再利用が出来て、そこに雇用の場が生まれ、経済の活性化につながる。事実を知った上で、それぞれが考えてほしい。
<特徴的な意見と討論・・・>
(1)太陽光発電の余剰電力買取制度は、PVをつけていない人にも負担させることになり不公平ではないか。環境税導入についてどう考えるか。
◆環境に対して何らかの負荷を与えることについての負担は当然であり、環境に対するただのりは許されない。環境税導入は負荷を減らそうとする力になる。
(2)「核と人類は共存できない」原子力の平和利用についてどう考えるか。
(3)6月18日に閣議決定された新成長戦略では原子力利用のアジア進出。日印協定では米国と同一の動きに。原水禁として、日印協定に反対の表明と政府に対する行動提起を。
(4)14基の原発を新設することについて、他国は日本に批判的な意見をもっていないのか。
◆全体の流れは脱原発。核開発と原子力政策は表裏一体。一方で原子力推進の業界の動きに政府が巻き込まれている。情勢に危機感を持って、各地の運動と連携し動きを止めていこう。そして、再生可能エネルギーにもっと目を向けていこう。
原子力に加担して将来はないと語る藤井石根さん
参加者の多くが熱心に講演に耳を傾けた
会場:広島市・ワークピア広島
参加者:41名(うち、初参加者8名)
●平野伸人さん(韓国の原爆被爆者を救援する会)から
被爆地を爆心地からの距離や行政区で決めることの誤り。
上空での爆発、放射能は広範囲に影響を及ぼしている。
厚生労働省との意見交換(7月)の中で、国は「原爆症の認定について、これ以上拡大したくない。今、年間1400億円のお金が認定患者を増やすと、財政破綻する。対象者を少なく」。という考えが明らかだった。
また、被爆地の基準の見直しについては、基準は多分に政治的圧力で決められている。非科学的な基準は見直されるべき。
「誰が被爆者なのか」が大きな課題。今は(1)直接被爆者(2)入市被爆者(3)救護被爆者(4)胎内被爆者の4種だが、被爆二世、三世は第5の被爆者ではないか。しかし、法律上そうはなっていない。新たな被爆者として認めよ、という声は裁判でしか改善されない。30万人署名とともに闘っている。最大の支援は原水禁国民会議である。
●在外被爆者 郭貴勲さん(元韓国被爆者協会会長)から
日本に徴兵で来て被爆した。終戦で韓国へ帰った。韓日条約で一言も被爆者について触れられていなかった。日本政府は知っていたが、韓国が触れなかったのでふたをされた。生きることもままならず、1967年に被爆者協会をつくり、保障要求を始めた。しかし、「韓日会談で解決済みである」の一点張りで、仕方なく裁判を起こした。
当時、三度も密航した人が、福岡地裁(74.3.31)で、密航者であろうと被爆者は被爆者であるとする判決を受けた。
その日に申請を出した。すぐ、旧厚生省の402号通達(日本居住者に限り保障が受けられるとした通達)が出された。韓国の口座に、保障金を振り込んでほしいと言ったら、国外居住者に資格はないと言われた。そして、大阪地裁で「どこにいても被爆者」であるとする判決を勝ち取った。
●中谷悦子さん(広島県被爆二世協議会)から
父親が被爆者。二世も影響を受けている。医学は進歩しているが、まだ低線量被爆、内部被爆、染色体異常、遺伝的解明はなされていない。二世、三世は皆、健康不安を抱えて生きている。
実態調査は一度も実施されていない。二世、三世が何人いるかもわからない。20万とも50万とも言われて、漠然としている。
被爆者援護法に、二世、三世が触れられていないことが問題。
次に、結婚への不安がある。被爆者であるゆえの差別的人権問題がある。子どもを生むことへのためらい。
ピースボートに参加して、核兵器廃絶への関心が高いことがわかった。体験を伝える大切さを感じている。
●会場からの発言
原爆被害者の認定は、原発被害者救済へも波及する。大阪では、裁判に取り組んでいる。
二世、三世の問題は今、三世同士の結婚に直面。これ以上、被爆者をつくってはいけない。偏見を持たず、理解してほしい。
また、米国の被爆者の保障についての疑問や、被爆者が高齢化し、学校教育の場などにもあまり呼ばれなくなっている。二世、三世への健診内容がお粗末。もっと充実をはかってほしいなどの意見が出された。二世の健診費用は1億4千万円、被爆者援護が1400億円なので、1000分の1しかない。
いろいろな観点からの発言があり、教育については地域の力で平和教育を守ってほしい。被爆二世、三世のことも援護法の中にきちんと位置付け、まず調査を行い、保障をすべきとの考えもはっきりした。裁判も力を合わせてがんばろう。
さらに、被爆の実態を70年、100年と語り継ぐ重要性を再確認した分科会だった。
会場:ワークピア広島
参加者:約160人(うち、初参加者約120人)
講師:豊崎博光さん(フォトジャーナリスト)
振津かつみさん(医師)
海外ゲスト:メニュエル・F・ピノさん(米国・先住民アコマ族)
初めに、フォトジャーナリストの豊崎博光さんから、「ヒバクシャ」という言葉は、放射能・放射線を受けた人を指していて、世界的に通用する言葉であるといった解説から入った。そして、広島・長崎だけでなく、ウラン鉱石を採ることで被曝してしまう現状と、これにかかわる人は、世界の先住民族であり、全体で30ヵ国においてウラン採掘が行われていること。また、大量の核廃棄物を捨てたままにしていることで、二重、三重と被害が拡大しているとの現状が報告された。その後、ジャーナリストの斉藤達雄さんが、ビキニ環礁と世界遺産の意味について触れられた。ビキニ諸島から住民を追い出し、核の実験場とした米国政府が、広島の原爆ドームを世界遺産にしようという動きが始まった際に反対したことや、原水禁運動の始まりが、第5福竜丸の被曝がきっかけであり、今日に至っていることなどである。
続いて、米国の先住民活動家、メニュエル・F・ピノさんによる講演があった。具体的な内容として、(1)先住民の命である大地を犠牲にウラン採掘が行われている現状。(2)採掘による被曝の被害拡大。(3)採掘による自然破壊と野生動物や家畜への被害。(4)鉱山発掘と近隣の町への被害。(5)ウラン発掘被害の訴訟問題など多岐にわたり、体験談を踏まえ話された。印象に残ったのは、ウラン発掘から処分に至るまで被害があることと、先住民を含め、空・自然・大地・水・地下水などが、すべて被害を受けてきたということが報告された。
次に、医師で「ウラン兵器禁止を求める国際連合」運営委員の振津かつみさんから、新たな被曝を許さない闘いについて講演があった。その中で、米国の先住民をはじめ、世界中の先住民族が苦しんでいる。ウラン開発の裏側で鉱山採掘の作業員が被曝し、周辺の町や自然に被害が及んでいるとの報告がなされた。
振津さんは、ウラン採掘プロジェクトをやめさせるため、原子力産業や兵器としてウランを使用させないための運動が必要であると訴えた。そして、劣化ウラン兵器の禁止に向けて取り組みを強化し、世界の運動との連携も必要であると付け加えた。
その後、参加者から特別報告に移り、茨城県東海村の臨界事故による健康被害の訴訟報告と、裁判の結果を受けた今後の活動について話があった。
質疑・討論について
1.ウラン採掘は、地下水の汚染を含め、廃棄方法についても問題がある。採掘を行う会社は、これをどう考えているのか知りたい。
回答:採掘会社は、地下水を飲み水として使用しないものと考えており、影響が出るとはあまり考えていない。この考えを改めさせるために、企業に対して水の大切さを訴えていく。放射能廃棄物は、埋めるだけの処置では安全が保たれない。
2.被曝した人々への被害の保障問題はどうなっているのか。
回答:放射線被曝者保障法では、労働者しか保障されないが、それでさえ、労働していた証明や、医師の証明がない限り難しい。1万5000人いると言われる被曝者のうち、5000人弱しか保障を受けられていないのが実態。
3.チャーチロック事故(先住民のいる地域で1979年に起きた放射能漏れ事故)は、スリーマイル事故よりも大きかったと記憶しているが、30年も忘れられ、放置されてきたのは先住民への差別があったのか。
回答:米国には、白人が優位であるとする人種差別がある。スリーマイルは白人、チャーチロックはインディオであるという背景があった。最近、先住民の被害にも注目が集まるようになった。目に見える被害と、見えない被害というものがある。
全体のまとめとして
核の「平和利用」ということはあり得るのかという観点から、核のない世界へ運動をつなげなければならない。核開発の過程で被害は拡大している。このことは、地域の運動にとどまらず、世界規模での連帯が必要であり、今日の講演を通し、学んだことを生かしてほしい。多くの仲間へ運動の輪を広げていくことをまとめとした。
最後に座長より、世界には3000万人とも言われる核被害者が存在している。被害者による世界大会が過去に2回開催された。今後、広島でも開催できるよう取り組んでいきたいとのコメントがあった。
発言するメニュエル・F・ピノさん
会場:広島市・ホテルチューリッヒ東方
参加者:81人(うち、初参加者は16人)
●イ・テホさん(韓国・参与連帯副議長)
いかに、東北アジア非核地帯を達成するかを話したい。
この構想は、韓国、北朝鮮、日本がいかなる核の抑止にも頼らないことが基本である。
北朝鮮は、核兵器を開発しないという約束を反故にしていると非難されている。北朝鮮が核再処理工場を建設したり、核実験をしたりする以前から、韓国には1,000発以上の核兵器が配備されていた。アメリカの核の傘に入っていることを認識しなければならない。北朝鮮の核を論じるのであれば、日本も韓国もアメリカの傘からの離脱が必要だ。
どうすれば良いか。韓国、日本、アメリカは、東北アジア非核地帯へ向けて、‘先制攻撃‘ではなく“先制平和行動”を率先して行わなければならない。
・核保有国は、先制核攻撃の破棄。
・核の抑止に依存しないで、核の傘政策からの離脱。
・軍事費の削減も平行して行うこと。
・韓国・日本は核兵器を容易につくることができる核燃料再処理工場をもたない
・「哨戒艦沈没事件」を東北アジアの「核抑止力」に使われてはいけない。平和的解決が大切だ。
この後、高知、千葉、大阪などから質問あり。
●前田哲男さん(軍事評論家)/「次の安保50年」をどう生きるか?
先制平和行動をわれわれがいかに具体化していくかが大切。
Ⅰ.この1年
「安保密約」解明への小さな一歩
(1)外務省調査報告書が公表され(3月)、「核持ち込み密約」
(2)外交文書の「30年ルール」が実現し(7月)、知る権利に一定の前進
(3)とはいえ、「米軍基地再編」の強力化していること(自衛隊も巻き込み)や「普天間問題」が解決されない。
(4)核の抑止力から抜け出せない。
「普天間基地問題」をめぐる動き
(1)5月27日、日米「2プラス2」「県内移設容認」の共同声明が採択された。
(2)鳩山内閣が社民党・福島瑞穂環境相を罷免し「辺野古周辺案」受け入れ閣議決定。(5月28日)
(3)しかし、沖縄県民の「基地反対気運」はますます高まっている。第2の「島ぐるみ」闘争。
(4)菅政権になって報道もされなくなった。
民主党政権の変質
(1)社民党の連立離脱
(2)菅首相の現状肯定主義
(3)参院選挙後の政権の姿勢
国際社会の動き
(1)オバマ大統領「プラハ演説」後の足踏み。「核なき世界」と「アフガニスタン」との落差。
(2)国際人道法の進展=「クラスター爆弾禁止条例」調印。次は劣化ウラン弾」の禁止へ
(3)経済危機と過剰軍備への疑問=地球温暖化への危機感。「環境安全保障」に共通の関心
Ⅱ.「県内移設に逆戻り」、だが「普天間問題」は終わらない
(1)沖縄の占領状態を終了させる
(2)EUの「共通の安全保障」に学ぶ-先制平和行動
Ⅲ.では、「次の50年」の座標軸をどこに立てるのか?
(1)「安全の保障の考え方」が変わりつつある。「地球環境」「経済のグローバル化」「食料」など、「敵のない脅威」、「地球ぐるみの安全」が世界的な課題。
(2)東北アジアの非核化はEUが実現しようとしている。(75年ヘルシンキ宣言以降)=先制平和行動を
この後、徳島、千葉、広島などから質問あり。
●神奈川の報告
神奈川の松沢成文知事は、日米安保条約締結50周年式典を原子力空母の艦船上でやろうとしている。安保条約があるがゆえに基地があり、それを祝うことは許されない。
この秋は、熱い闘いとなるので協力を要請する。
発言するイ・テホさん(左側)
「次の安保50年」を提起する前田哲男さん
会場:広島市・ホテル八丁堀シャンテ
参加人数:282人(35県)
初参加者:142人
講師:湯浅一郎さん(ピースデポ代表)
海外ゲスト:ポール・マーティンさん(米国・ピースアクション政策担当)
ロバート・グリーンさん(ニュージーランド軍縮・安全センター共同所長)
<討論の要点と特徴>
学習編ということで、基本的な事柄を含めて3人の講師から提起を受けてきた。
オバマ大統領による「核兵器を使用した唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任がある」とのプラハ宣言に代表されるようにアメリカでは核兵器廃絶に向けた動きが進んでいる。そうしたなかで開催された今年のNPT再検討会議では、核兵器禁止条約のような枠組みを作るための努力が必要といった全会一致の文書を採択することができた。何も合意できなかったブッシュ政権時の前回会議とは大きな変化。同時に、矛盾も発生している。2011年度予算では70億ドルもの新たな核兵器開発の研究費が計上された。これを5年間続けるという。また、保守化している米議会の状況を考えれば、新STARTによる核兵器削減のスピードが速まることはないだろう。背景には軍産複合体の利害の問題など、アメリカが抱える構造の問題があると考えられる。政権交代が起きてもこの構造は急には変えられない。
こうした現実の壁を突き崩すために日本が果たさなければならない役割は大きい。ひとつは、核兵器の非人道性を訴えることが求められている。NPTは、「非人道だから核兵器をなくそう」ということで作られた条約ではない。非人道性との視点を各国で共通認識とするためにも、唯一の被爆国として被曝者の証言を世界に訴えていくことが問われている。また、北朝鮮との外交を樹立することも必要。北朝鮮が保持していると言われる核兵器の目的は軍事面ではなく交渉の材料という政治的なもの。しかし、米朝でトラブルが発生すれば、戦場となるのは日本である。北朝鮮との問題は非常に重要となっている。
また、私たちの運動に求められていることは、(1)核兵器に依存しない政策を探る(2)北東アジアの非核兵器地帯を作ることなどがある。南半球では、非核兵器地帯が広がっている。核兵器を使用できない状況を広げ、保持していても意味がない環境をつくりあげなければならない。1987年には7万発と言われた核兵器も現在では2万3千発と明らかに減少している。これは運動の広がりと成果を意味するもの。楽観できる状況ではないが、現在の転換点を好機として活かす私たちの視点と力の蓄積が問われている。
文字だけでは伝わらない、イベントの「熱さ」が少しは感じていただけるでしょうか?!
真夏の異常な「暑さ」をも吹き飛ばす、参加者、実行委員の「熱さ」をご覧下さい。
今年もたくさんの参加者が集まってくれました。
始まる前から、熱気にあふれています!!!
オープニングは「広島朝鮮初中高級学校舞踊部」による
朝鮮舞踊『喜び』でスタートです。
総合司会は、沖本さん(左)と、森崎君(右)。
リハーサル時点から、テンションあげてお送りしています
司会者は少し緊張の面もちの二人。
田原さん(左)と、横田さん(右)。
第1セクションでは、三重県実行委員の向井さん(左)と、
広島県実行委員の佐々木さん(右)が、
実行委員を代表して意気込みを述べてくれました。
まだまだ緊張している参加者の緊張をほぐすため、
みんなで踊りました。『LET'S GO!いいことあるさ』
踊りの解りやすい指導をしてくれたのは水野さん(右)。
彼女は、以前、総合司会も担当したことがあるベテランです。
やっぱり体を動かすことは、楽しいんです!
第2セクションでは、
今回からプログラムに加わった企画『平和のメッセージを届けよう』で、
会場は真面目な顔でいっぱいになりました。
毎年恒例、メッセージシートづくりです。
「平和へのメッセージ」を表現すべく、一生懸命書いています。
書き込んだメッセージシートを張り込んでいきます。
おや?貼り方に、何か意味があるのでしょうか???
みんなが何を書いているか、気になるものです。
「ばっちり!」な笑顔で、平和への気持ちもばっちり表現しちゃいました!
第3セクション「全国のお友だちの紹介」では、
手話を付けて、メッセージを発表してくれた子もいました。
全国のお友だちからのメッセージの後は、
海外のお友だちの紹介です。
韓国、フィリピン、あわせて四名の参加です。
第4セクション。「原爆と戦争の傷跡を訪ねて」をテーマに、
広島実行委員から活動報告がありました。
多くの写真を使った分かりやすいものでした。
第2セクションで、みんなが書いた平和のメッセージは、
ハトの形になって登場しました。
ピンクと青の花形シートがきらめいて、とてもきれいな仕上がりです。
実行委員揃っての記念撮影です。お疲れさまでした!
「楽しかった」と顔に書いてあるような、素敵な笑顔ですね!
「メッセージfromヒロシマ」の後は、
海外ゲストとの交流会です。すっかり仲良しです!
~プログラム~
12:50 オープニング
広島初中高級学校の皆さんの朝鮮舞踊
13:02 第1セクション 全国のお友だちと仲良くなろう
実行委員の紹介
被爆地から-平和のメッセージを届けよう
踊りと歌を覚えよう!「LET'S GO! いいことあるさ」レッスン
13:06 第2セクション 考えよう、表現しよう、平和の思い
平和のメッセージを書こう! 表現しよう!
13:49 第3セクション 世界のお友だちと平和を語ろう
全国のお友だちからの一言メッセージ
海外のお友だちより(フィリピン、韓国のお友だちからのメッセージ)
14:12 第4セクション 広島を学んで、そしてお友だちをつくろう
広島のお友だちの平和への取り組みを紹介
全国のお友だちと「LET'S GO! いいことあるさ」を歌って踊ろう!
14:38 エンディング 平和はみんなの心から ―2010夏休み―
世界への平和メッセージを発信!
みんなで書いた平和のメッセージが???になって登場!
「メッセージfromヒロシマ2010」報告
メッセージ from ヒロシマ 2010核も戦争もない平和な21世紀へ !もう10年目になりました。
原爆投下から65年目を迎えた広島。特に、今年は、平和祈念式典に参加した海外ゲストに注目が集まりましたが、「メッセージfromヒロシマ」にとっても特別な年だったといえます。「メッセージfromヒロシマ」は2001年に開催されてから、今年で記念すべき10回目となりました。10周年を迎え、更にパワーアップした「メッセージfromヒロシマ2010」、真夏の暑さにも負けないほどの熱気がありました。
リハーサルから真剣勝負です。
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今年は、実行委員としての参加者も大幅に増え、前日のリハーサルからやる気あふれる姿が見られました。また、本番中に実行委員の目印として使っている紙の花飾りも、リハーサル終了後、工作の苦手な子、得意な子、それぞれが協力して作りました。これで、本番への準備もばっちりです。
そして、本番当日も朝早くから集合し、通しのリハーサルです。前日は、別の会場で練習を行っていたいため、会場となる武道場の広さに圧倒されている実行委員の姿もありました。昨年に続き、今年は15人という大人数で参加してくれた、三重県実行委員会も当初の予定より早い時間に、リハーサルに駆けつけてくれました。無事にリハーサルも終わり、お昼休憩をはさんで、もうすぐ本番というところ、実行委員用のTシャツに着替えると、ドキドキという期待感から、気持ちも引き締まります。
メッセージfromヒロシマ2010開幕
オープニングは、朝鮮初中高級学校、高級部舞踊部の華麗なダンスで開幕です。『喜び』という曲に合わせてのダンスは、普段なかなか目にすることの出来ない、鮮やかな魅力を持ち合わせたものでした。所定の場所に座ったものの、まだ少し落ち着きのなかった子も、引率として参加している大人も、会場全体が引き込まれてしまうダンスです。
第1セクション
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総合司会、司会者が登場した後は、実行委員の紹介です。実行委員全体を代表して、広島県の高校三年生、佐々木綾さん、三重県の高校二年生、向井南穂さんが一言ずつやる気あふれるメッセージを発表してくれました。
踊りのレッスン
参加者全員で、ダンスの練習です。曲はポンキッキーズで使われていた「LET'S GO! いいことあるさ」で、馴染みのあるものだったのではないでしょうか。周りの子とハイタッチをする振り付けに対し、最初は恥ずかしさや戸惑いもあったようです。しかし、頭の柔らかさはさすがと言うべきか、すぐに振り付けを覚えて、踊ることが出来ました。
第2セクション
「考えよう、表現しよう、平和の思い」と題したこのセクションでは、新しいプログラムも加わり、更にパワーアップして、30分強の時間もあっという間に過ぎていきました。
被爆地から-平和のメッセージを届けよう
平和学習としても、参加価値のあるイベント「メッセージfromヒロシマ」ですが、10周年を迎える今年、更に一歩進んだプログラムとして、新コーナーが登場しました。広島の高校生の平和に対する生の声を聞く、貴重な時間です。広島在住の高校生が意見を出し合い、身近にいる被爆者のことや伝えたいことをまとめ、それを会場全体に話しかけるように発表してくれました。
みんなで考えよう―表現しよう平和の思い
高校生のメッセージを聞いて、思い浮かんだことや、自分の中にある思いを、キラキラした花型のシートに書きこむ時間です。この時間は、イベントの中でも中核となるプログラムです。イラストで表す子や、漢字で書こうとする姿など、真摯な姿勢が会場中で見られました。まだこの時点では、何故花形シートがきらきらしているのか、また、完成したものを貼り付ける場所が決まっているのかなど、子どもたちは気にしていないようでしたが、それこそが「後のお楽しみ」なのでした。
第3セクション
日本全国から参加している県の代表者から、平和をテーマにメッセージが発表されました。
また、韓国、フィリピンから参加してくれたゲストによるメッセージ発表もありました。
北海道代表 Y.Tさん
昔広島でどのようなことが起きたか、どうして戦争をしたのか、原爆を受けてどのような苦しみをしているのか、どうしたら戦争がなくなるのか、私たちはどのような行動をしたらいいのかを学びに来ました。広島で学んだことを北海道に帰って友人に伝えていきたいと思います。
山形県代表 M.Oさん M.Iさん
広島に来て原爆ドームや原爆資料館などを見学して、原爆の悲惨さなどを目や耳でしっかりと感じることができました。また、被害者の方の話を聞いて、二度と戦争を繰り返してはいけないと強く感じました。このことを家族や友人に伝えたいと思います。
生活クラブ生協神奈川代表 K.Yさん
私たちの住む神奈川県はアメリカ軍の基地がたくさんあります。そして横須賀や厚木の基地から戦闘機や空母が出ていって、外国の人々に爆弾やミサイルを撃っています。難しいことは分かりませんが、人を殺しても問題が解決するとは思えません。家に帰っても平和が大切であることを同級生や友だちに伝えたいと思います。
神奈川代表 K.Yさん
戦後生まれ、戦争をまったく知らない僕たちにとって、65年前のあの日はすでに終わった過去の1日です。それでも、被爆者の方たちにとっては、あの日は65年間終わることなくずっと続いているのだと思います。65年前の8月6日は二度と繰り返してはいけない日ですが、あの日を繰り返し繰り返し思い出すことは必要なことだと思います。
東京三多摩代表 S.Oさん
今でも戦争で苦しんでいる人たちがいます。では、平和とは一体なんでしょうか。私は、平和を作るためには戦争を無くせばいいわけではなく、人間一人一人が大切にされている社会が必要だと思います。
埼玉県代表 S.Tさん
今日は僕の15歳の誕生日です。広島市長は、10年後の2020年に核兵器のない世界を作ろうと頑張っています。10年後、25歳になった僕は広島に立ち、核がなくなった世界の実現を、原爆で亡くなられた人に伝えていきたいと思います。
群馬県代表 H.Yさん
僕は、広島に来る際に千羽鶴を折ってきました。すると、何も言わずにおばあちゃんが千羽鶴を折ってくれました。おばあちゃんは、平和になってほしいという思いで作ったと言っていました。僕は、正直平和については何も出来ません。けれど、おばあちゃんの思いを千羽鶴とともに持ってくることができてよかったです。
長野県代表 Y.Nさん
広島に来て、戦争や原爆について見たり聞いたりしたら、ものすごく心が痛くなり、悲しい気持ちになりました。今の私の気持ちは、広島の皆さんと同じだと思います。だからもう、二度と同じ思いをしないように、私たち子どもが平和について一緒に考え、広島で起きたその悲劇を忘れないようにしましょう。
三重県代表 T.Mさん
私たちは今被爆者やそのことを詳しく知っている人から話を聞き、次の世代へちゃんとつなげていきたいと思いました。そのことをこれからも心がけて、友だち、家族、身近な人たちにちゃんと喋っていきたいと思います。
長崎県代表 N.Nさん
核兵器廃絶のために長崎で署名活動をしている、高校生1万人署名活動のメンバーです。私たちのスローガンに「微力であるが無力でない」という言葉があります。一人の力はとても小さいものですが、それは決して無力ではありません。私たちの力は、長崎から少ししかありませんが、でも、みんなで協力すれば絶対に核兵器廃絶という目標は達成できると思うので、これからもみんなで手を取り合って、平和の輪を広げていきましょう。
広島県代表 A.Aさん
僕は平和行進に参加しています。平和行進のときはいつも暑くてしんどいです。でも戦争で焼け死んだ人は、熱すぎて汗もかけない中で苦しんで死んでいったと思います。初めはこんなしんどい思いをして歩くことが本当に平和を訴えることになるのだろうかと思っていました。でも、今は、自分が戦争を忘れないために平和行進や集会に参加しています。
J.Aさん
僕は人を殺したり、多くの人が悲しむ基地より、世界中のみんなが来て楽しくなるものを作ったほうがいいと思います。
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各県の参加者代表からメッセージをもらった後は、海外ゲストからのメッセージ発表です。韓国から来たジョ・ケンヒョンさんは、「正しい歴史の認識をもって、韓国と日本がお互いを理解し、世界の平和運動の先頭に立つべきだと思います」とし、続くパク・ミンヒョクさんは、「これから医学部に進学して、原爆被害者たちのために働きたいと思います」と、自身平和交流活動の具体的目標を挙げてくれました。また、ナム・ハンナさんは、「普段から日本文化と交流活動に対して関心が高く、今回の機会を通じて、核のない平和な世の中で生きることができるように、世界の多くの友だちと付き合って、一緒に頑張りたいと思います」と、日本語での自己紹介を交えて、メッセージを発表してくれました。第3セクション、最後の発表は、ジャミー・ニコル・アーティータさんです。「一生懸命勉強して大学へ行くという私の夢をかなえたいです。これは私から家族への贈り物です。特に父、それから私が学校へ行くための支援をしてくれる人たちへの贈り物でもあります」と、支援者への感謝を伝えてくれました。
表現の仕方は違えど、それぞれが広島に来て感じたこと、その上で何が出来るかを考えてくれたということが、鮮明に伝わるメッセージばかりでした。
第4セクション
広島からの活動紹介では、地元広島にいるからこそ気づくこと、思うことをDVDや写真で紹介してくれました。発表内容は、「原爆や戦争の傷跡を訪ねて」と題し、被爆樹木について、高校生が普段から取り組んでいることをまとめたものでした。この取り組みは、新聞にも取り上げられたことがあるそうです。平和祈念公園内の被爆樹木はメジャーになっていますが、広島市内の別の場所にある被爆樹木についても取り上げるなど、深みのある内容となっていました。
エンディング
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全体で2時間という長い時間のイベントも、あっという間に、エンディングの時間です。参加者を代表して、実行委員によって読み上げられたメッセージは、会場全体の気持ちをまとめたもので、「反核」、「平和の大切さ」をしっかりと伝える内容となっています。そして、熱気にあふれた会場全体でカウントダウンを行い、参加者の気持ちを載せた「平和のメッセージ」は、全世界の核保有国にメールで送信されました。
イベントの締めは、インパクトのあるものとなりました。第2セクションで花形シートに書いたメッセージがつなぎ合わされて、完成した形での登場です。なんと!きらきら光る色がとてもきれいな「大きな鳩」へと形を変えました。毎年、何かしらの形にするのですが、「気持ちをアピールできる様な形」として検討していくと、新しいアイデアを探していくのは大変です。「鳩の形」というのは、今回で3回目となりました。しかし、「わぁ、きれいだった」と、ご覧になった方々からの評判も上々でした。勿論、会場の子どもたち、実行委員も目を見張るものであったのは、言うまでもありません。
メッセージfromヒロシマの存在
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今年で10回目を迎える「メッセージfromヒロシマ」ですが、何よりも、進行のお手伝いをしている者として感じることは、「子ども達というのは正直だ」ということです。「戦争は怖いものだ」、「人殺しなんて良くない」、「核兵器は危険なもの」ということを、きちんと理解しています。戦争を体験していなくても、実際にその目で見ていなくても、子どもならではの感覚で理解することが出来ます。また、今も戦争で苦しんでいる人、原爆被害で苦しい思いをしている人のことを、心から心配し、思いやることが出来ます。世の中では、いじめや少年犯罪など、恐ろしい出来事が数多く起こっています。しかし、本来子どもとは、素直な存在です。子ども達の素直さを活かして、「平和の大切さ」を感じてもらうことが重要なのではないでしょうか。
「メッセージfromヒロシマ」は、核も戦争もない平和な世界の実現をめざして開催される子どもによる、子どものためのイベントです。このイベントの主催や参加を通して、平和を願う全国の若者たち、子どもたちが、出会い、同じ想いを感じ、分かち合い、その関係や動きを継続的に発展していくことは、イベントの大切な目的のひとつです。だからこそ、参加してくれた子どもたちが「平和の大切さ」について感じ、協力してくれた実行委員にとっては「平和の大切さ」の再認識してもらう機会となることを願っています。「楽しみ」ながら、「平和を考える」、そんな素敵なイベントへの皆様の参加をお待ちするとともに、来年のイベントは更なる充実を図っていきたいと思います。
~海外のお友だち紹介~
≪韓国からのお友だち≫
ジョ・ケンヒョンさん(趙勤衡)(16歳)
パク・ミンヒョクさん(朴旻赫)(16歳)
ナム・ハンナさん(南翰娜)(16歳)
《フィリピンからのお友だち》
ジャミー・ニコル・アーティータさん(15歳)
平和アピール メッセージ from ヒロシマ 2010
真っ黒にこげた弁当箱、ボロボロになった服、洋服の模様が背中に焼きついている人、死んだりケガをしたたくさんの人の写真や絵。原爆資料館を訪れるたびに、一瞬にして何もかも奪ってしまう核兵器の恐ろしさ、戦争の悲惨さを思い知らされます。そして、二度と戦争を起こしてはいけない、平和を大切にしなければいけないという思いを強くします。
戦争で一番の犠牲となるのは、一般市民であり子どもたちです。家を失い、家族を失い、生きる気力を失った人たち。友だちを失った悲しみ、食べる物も着る物もない生活、子どもたちにはじっと耐えることしかできません。そのようにすべてが破壊された広島の街ですが、生き残った人々は生きるために力を合わせ、子どもたちにも笑顔が戻ってきました。各地で、校庭の木陰にゴザを敷いた「青空教室」ができ、授業が再開されたからです。
原子爆弾の被害を受けたのは人間だけではありません。すべての動物や植物も、爆風と熱線、そして放射能によって焼きつくされたのです。「75年間は草木も生えないだろう」と言われていた広島。しかし驚いたことに、黒く焼け焦げた樹木は、ボロボロの姿から再び新しい芽を出したのです。その傷つきながらも力強く生きる姿は、被爆者を励まし勇気づけました。高熱のために真ん中に大きな穴の空いた樹、少し傾き棒で支えられている樹、ぐにゃりと大きく曲がって変形した樹、私たちはその樹木の生命力の強さにとても驚きました。広島市内の小学校や中学校にはたくさんの被爆樹木があり、子どもたちに原爆の悲惨さを今も伝えています。
しかし、原爆や戦争の恐ろしさは少しずつ忘れられようとしています。戦争は決して過去の出来事ではありません。戦争はまだ世界中で起こっていますし、貧困、いじめ・差別などの人権の問題も多くの国で抱えています。そして、たくさんの小さな命が毎日奪われ、子どもの権利は守られていません。「戦争はダメ! 原子爆弾もダメ! 人が死ぬのはイヤ! だいじな家族や友だちがいなくなるのはイヤ! 世界中の人が友だちになれば、戦争はなくなるはず。私も世界中に友だちをつくって、戦争をなくしていきたい」
私たちは平和のための小さいとりくみでも、一人ひとりが思いを込めてとりくめば、大きな力になると思って活動しています。平和を願うばかりでなく、その考えを広げていくなど、行動を起こすことが大切だと思います。自分から動くことで何かが変わるし、それに協力していっしょに動いてくれる友だちもできます。平和についての思いを多くの人に伝え、国と国が認め合い・助け合えば、みんなが「相手を思いやるこころ」をもてば、世界から戦争をなくすることがきっとできます。そして、世界中に笑顔を増やしましょう!
「もう戦争はいらない! 核兵器もいらない!」
2010年8月5日
子どものひろば「メッセージ from ヒロシマ 2010」参加者一同
※このメッセージは、イベントのエンディングにおいて、首相官邸や核保有国の代表宛にメールにて送信しています。
子どもの広場全体のスケジュール 2010年8月5日(水)
8:00~8:30 子どもの慰霊祭【平和公園内 原爆供養塔前】
8:40~10:20 フィールドワーク
10:25~10:40 ダイイン
10:40~11:40 被爆電車
10:40~11:40 被爆のお話を聞こう
12:50~14:50 『メッセ-ジ from ヒロシマ2010』
15:05~16:40 海外のお友だちとの交流会
15:00~16:00 マイ灯ろう作り
8月6日広島、9日長崎に原子爆弾が投下されて65年。6日間におよぶ、「被爆65周年原水爆禁止世界大会」が広島からスタートしました。最初に、「核兵器廃絶2010平和ヒロシマ大会」が、連合、核禁会議、原水禁の三団体で構成する実行委員会の主催で、広島県立総合体育館大アリーナを会場に、約6,800人を集めて開催されました。
9日までの大会期間中、ビデオや写真を含めた速報態勢をとります。また、大会後も詳細な報告を掲載してまいりたいと思います。
閉会のあいさつをする川野浩一原水禁議長
開会総会の会場へ向けて行われた折り鶴平和行進
熱線と爆風、恐るべき放射線により一瞬にして14万人余の尊い命を奪った原子爆弾が広島に投下されて今年で65年を迎える。今もなお多くの被爆者が放射線障害に苦しんでいる。今日、核兵器は未だ世界に約2万1千発も存在し、人類は、核兵器の脅威にさらされ続けている。
こうした中、核拡散防止条約(NPT)の運用を見直すために5年に一度開催される再検討会議が、5月3日からニューヨークの国連本部で開催された。連合、原水禁、核禁会議の3団体も参加し、NGO平和集会・平和アピール行進・原爆写真パネル展の実施、「核兵器廃絶1000万署名」提出などの行動を展開した。
再検討会議では、日本政府が提案した「核兵器保有国が核軍縮につながる具体的進展状況を2014年の再検討会議準備委員会に報告する」旨の項目が取り入れられたことは、被爆国日本の果たした大きな成果である。また、北朝鮮の核実験実施への非難、中東地域の非核化に向けた国際会議の開催、さらに、核兵器保有国のインド、パキスタン、事実上の核兵器保有国であるイスラエルのNPT加盟促進など、画期的な項目を盛り込んだ「核兵器なき世界」に向けた最終文書を全会一致で採択した。合意文書を作成するには至らなかった2005年の再検討会議と比較し一歩前進したと評価できる。
日本政府は被爆国として、国是である非核三原則を堅持し、「包括的核実験禁止条約(CTBT)」の早期発効や「兵器用核分裂物質生産禁止条約(FMCT)」(カットオフ条約)の交渉開始、平和市長会議が提唱する「2020ビジョン」の実現など核兵器廃絶の具体的進展に向けた積極的な役割を果たすべきである。
私たち3団体は、これからも国際労働組合総連合(ITUC)や「平和市長会議」、多くのNGOとも連携・連帯し、核兵器廃絶と世界の恒久平和実現に向けて、国内外世論の喚起に取り組んでいく。また、これまで要求してきた原爆症認定、在外被爆者、被爆2世・3世や被爆体験者などの被爆者施策の充実を強く求めていく。
「ノーモア・ヒロシマ!」「ノーモア・ナガサキ!」「ノーモア・ヒバクシャ!」
8月4日、広島市で「被爆65周年原水爆禁止世界大会・広島大会」の第1日目が開かれ、折鶴平和行進や、連合・原水禁・核禁会議主催の「核兵器廃絶2010平和ヒロシマ大会」が行われました。その内容をビデオにまとめました。(9分間)